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  ハイブリッド人生心理学へのご招待 
■ご挨拶
■個人研究家による独自心理学です−インフォームド・コンセントに基づいて−
■ハイブリッド人生心理学は、「心の成長」による心の問題の根本的な克服を目指します
  −怒りを捨て、心を解き放って現実を生きる
  −真の愛や自信へ向かうための建設的生き方

■ハイブリッド心理療法は、心理障害と人格障害の根本的治癒を目指します
  −ホーナイ精神分析と認知療法をさらに発展させた考え方
  −心の癒しを超え、人格の根本的治癒改善への道

■島野自身の心の歩みの小説化をしています

ご挨拶  

 こんにちは、島野隆です。

 私は早稲田大学大学院修士まで心理学を学び、その後社会に出て、長くIT関連企業に勤めていた者です。
 大学院では、カレン・ホーナイ精神分析論理療法を中心に研究をしました。
 心理学を学んだのは、自分自身の心に取り組むためでした。高校時代の対人恐怖症に始まり、自分自身の心と格闘した前半生を過ごしました。
 今、その格闘は終わり、そこから見出されたことを、新しい心理学として人々に伝えるための活動を始め、今後この活動をこれからのライフワークにすべく、この2005年6月で企業を退職し執筆に専念しています。

 私は自分の心の問題を、「治すべき病気の症状」とは考えませんでした。内面の苦悩は大きい一方、外面生活は何とか支障なく自己制御が可能であり、単なる性格の問題とか薬ですますにはあまりに濃い感情が、常にそこにあったからです。
 自分自身にとって本当に満足できる人生とは何なのか、真の自信とは何なのかを、最後まで求め続けました。

 その歩みが実を結ぶ日が、今から3年前の2002年、41才の時の春に訪れました。自分の中で、ほぼ全ての問題が過去のこととなり、感情の基調がマイナスの世界からプラスの世界に変化するゼロ線の通過ともいえる、明瞭な体験が起きたのです。
 その後私は、もはや戻ることはないと思っていた心理学に再び情熱を感じ始め、自分に起きたことを振りかえり、今までの心理学に足りないものを自ら体系化する作業に着手しました。

 そうして作っているのが、このサイトです。

 やがて、このサイトを見た多くの方から、このサイトの心理学との出会いを運命的なものと感じるとの言葉を頂きました。明らかに、この心理学の中は、多くの人が求めているものがあるのです。
 感謝の言葉もたくさん頂きました。「心が健康で穏やかになった」「家族とも優しく接することができるようになり家族からも話しかけられるようになった」「今までは小さな子供に、こうしなければいけないと怒りの中で押しつけの教育をしていたのをやめました。子供の反応もとても変わりました。今では子供と一緒に心から笑えるようになり幸せを感じています」などなど。

個人の幸福と未来の社会のための新しい心の指針を

 いま、社会は大きな曲がり角に立っていると思います。明らかにそれは心の問題に関係します。
 異常性を増す少年犯罪、虐待の増加、幼児や少女を狙った性的犯罪、集団自殺、人災とも言える悲惨な事故の発生、etc。一方で、「団塊の世代」と言われ、今までの日本を支えてきた世代が、社会の第一線から引退しようとしています。
 今までの日本を支えていた頭越しの秩序道徳は、もはやこれからの日本を支え得ない。その表れが今、起き始めているように感じます。

 それに代わる、新しい「心の指針」が必要だと思います。科学の姿勢と、心の健康に立脚した、新しい心理学です。

 心の問題へのひとつの答えが、ここに示されます。過去の秩序道徳の回復を求めるのではなく、中立的な心理学の姿勢で、心の健康と幸福のための技術を示すことです。それを選択するかどうかは、本人の自由です。
 その選択によって、病んだ心を良識によって押さえつけるのではなく、本来その人が持つ健康な心を開放することです。そしてその結果、開放された心が社会とも調和するものであることを、この心理学では見出しています。

 私はそれを、「ハイブリッド人生心理学」として提供したいと思います。
 自分自身の人生と幸福を模索している方、心理障害の根本的克服に自ら取り組もうとされる方、そして子供を持っておられる方と子供を育てることに従事しておられる方。それら一人でも多くの方に役立つことができればと思います。


個人研究家による独自心理学です −インフォームド・コンセントに基づいて−  

 このような新しい心理学そして心理療法を世に出すにあたっての、島野の公式な肩書きは唯一、大学院心理修士卒業者であることだけです。
 これ以外に心理関係の何の肩書きも資格もありませんし、これからも持つつもりはありません。

 その理由は、私は私自身の心理学の中に、すでに答えを見出しているからです。
 心理学は、心という目に見えないものを対象にした科学であるため、どうしても、同じことを表現するさまざまな言葉や理論が作られてしまわざるを得ません。そんな中で、私自身が最も納得できる言葉と理論をまとめたものが、この心理学です。
 この心理学をさらに分かりやすくすること、そしてこの心理学が自分の心に取り組もうとされる人々、そしてこれからの社会のために役立つことに、私の後半生をライフワークとして捧げようと思っています。

 また、心の研究には本来、何の肩書きも権威も資格も必要はないと考えています。もしこれが脳の研究であるのなら、しかるべき施設における研究活動が必要であり、その資格を示す肩書きと、その信頼性を示す権威が必要でしょう。
 しかし、心は研究室の中にはなく、私たちの人生の場面そのものにあります。どんな権威があろうと、研究室の中にも、学会組織の中にも、この研究対象である「心」も「人生」もありません。

 従って、この心理学を学ばれる方におかれましても、この心理学の内容の妥当性と有効性を、その内容そのものにおいて判断して頂きたいと思います。それが役立つものと思えれば役立てればいいし、そうは思わなければ無視してもらえばいい。ひとりひとりの心と人生そのものが、「検証」の場です。
 私は心理学というのは、そのように伝えられ発展するものであって良いと考えています。


ハイブリッド人生心理学は、「心の成長」による心の問題の根本的な克服を目指します  

心の成長

 ハイブリッド人生心理学の根本コンセプトは、「心の成長」です。

 「成長」であるとは、単に「癒し」「心が楽になる」ことを求めているのではないということです。本当の自信本当の愛に近づくということであり、本当の自分自身の人生を生きるということです。それによってより多くの可能性と、より多くの価値と幸福に近づくということであり、後戻りのない向上だということです。
 ハイブリッド人生心理学では、「心の成長」「自らによって幸福になる能力の増大」と定義しています。

心の自然成長力と自然治癒力

 心の成長への大元の原動力は、心の自然成長力自然治癒力にあると考えています。これは身体の成長や治癒と、全く同じ考え方です。
 自然成長力と自然治癒力が生来的にあり、それは人工的に作るものではありません。人為的に行うのは、それを開放し活かすことです。心がこうあらねばと自分に押しつけることでは、心は成長しないということです。
 心の成長を妨げるものを捨て、心の成長を促すものを取り入れることです。

怒りの有害性

 人間の喜怒哀楽の感情の中で、「怒り」が唯一、自らの心の成長を閉ざす感情として存在します。怒りの感情の中で、心は決して成長することはありません。
 なぜなら怒りは本来、敵と戦い身体に損傷を受けたことを前提にして、それでも生き延びるために心身を低機能化するための、脳内の毒であり麻酔だからです。人はしばしば、怒りを「強さ」と勘違いします。それは「捨て身」の強さであり、生み出し、成長する強さではありません。破壊する強さでしかなく、建設する強さではありません。

 私たちはこの社会で、「善は悪を怒る」「正しければ怒って当然」という根本的な勘違いによって、「自分は正しく、そして不幸だ」と感じやすい、ものの見方考え方を学びました。
 人の生き方に「あるべき姿」を掲げ、人生にレールを敷くことは、自分自身への怒りによって心を縛ることです。
 私たちが「正しい」こととして教えられてきたのは、「不幸になるための生き方」だったのです。

心理学的幸福主義

 ハイブリッド人生心理学ではそれに代わり、「心理学的幸福主義」と名づける、新しい人生への姿勢を呈示します。
 それは幸福を、定められた善の姿になることによって「与えられるもの」と考えるのではなく、自分自身の努力によって獲得するものだと考える姿勢です。この姿勢を支えるために、定められた姿を善と考える今までの善悪観念を完全に解体し、現実科学と心理学の姿勢によって、心の健康と幸福を追求することです。

人生再建への心理学と行動学

 問題は、自分自身への怒りの中で生きることで、私たち自身の中に、固定化され容易には取り去れないストレスの塊歪んだ感情がすでに生まれてしまっていることです。
 これはあたかも、幼少期から不自然な姿勢の中で生き続けた結果、骨が曲がってしまったような状態と例えられます。何もなくても痛みが起き続けるようになってしまっています。

 これに対する取り組みも、そのまま例えられるでしょう。3つの段階があることになります。
 まずは、自分から不幸になっていくような、間違った姿勢をやめ、それ以上骨が曲がるのを拡大しないことです。次に、すでに曲がった骨の痛みを和らげ緩和することが必要です。最後に、曲がった骨を根本的にもとの自然な状態にすることです。

 これが「心」において可能なのでしょうか。可能です。
 少なくとも私自身がそれを体験し、それを元にこの心理学を作りました。他にも根本的解決方法はあるかも知れません。それについては私は語る立場にはありません。私は私の知るひとつの答えをお伝えします。
 心の自然成長力と自然治癒力を閉ざす結果となった、間違った姿勢をやめ、すでに曲がってしまった心から生み出される感情や思考の特徴を詳しく知り、それに対する具体的な対処を学ぶための、沢山の知識を整理しました。

 「愛」「自信」、そして「心の自由」といったテーマが、重要なものとして扱われます。
 心の成長は、心を解き放ってこの現実を生きる中で生まれます。定められた姿を自分に押し付けることでは生まれません。
 「愛がなければ」と求めた時、愛は得ることができなくなります。本当の自信は、自己評価とプライドによっては得ることはできません。「こんな自分なんて」と悪感情を嘆く姿勢がまさに、悪感情を生み出す「自己否定」の姿勢です。
 心の中の感情の善悪を問うことを一切やめる一方で、建設的な思考法行動法を学ぶことで、私たちは感情には揺らぐことのない生きる姿勢を持つことができます。感情には揺ぎない思考や行動の中で生きる過程が、心の底の安心感を促し、良い感情を芽生えさせるのです。
 感情を直接「正そう」とするのは、誤りです。

ハイブリッド人生心理学

 すべてがつながっています。その中で「どうすればいいのか」と、一面だけを見た時、他の面がおろそかになり、まさに「どうすればいいのか」と目の前にした問題を生み出します。全てを同時に見て、そこにひとつの本質を見ることです。
 二面を同時に見るという「心の使い方」が、心を成長させるのです。
 だから私は、この心理学に「ハイブリッド」という名をつけました。

 7つの知識領域にまとめています。
 (1)心の健康学、(2)人生の思想、(3)心の姿勢、(4)人生再建の心理学、(5)感情改善の基本技術、(6)感情分析技法、(7)心の手術です。


ハイブリッド心理療法は、心理障害と人格障害の根本的治癒を目指します  

 ハイブリッド人生心理学を、自らの心理障害への取り組みに活用する限りにおいて、これを「心理療法」とも位置付けることができます。「ハイブリッド心理療法」です。

医療行為ではなく心の成長への取り組み

 「自らの」であるとは、人が人に治療を「施す」のではないということです。
 「施す」という場合は、「施される」「患者」が、「施す」「治療者」の言う通りにする、という形を取ります。心身の問題にこれを行うのであれば、これは「医療行為」として、しかるべき資格が必要です。
 ハイブリッド心理療法は、医療行為にはなり得ません。なぜならその本質は、自らによる心の成長への取り組みだからです。

 心理障害は、病気ではなく、心のメカニズムの表れにすぎないという考えを採っています。
 病気ではないので、その解決は「治療」ではなく、人間としての成長なのだという考え方です。

 これは必ずしも現在の精神医療の権威から支持される考えではないかも知れません。
 心理障害は脳の病気であり、薬を飲むのが一番だと精神科医が言うとしたら、私はそれについて何かを言う立場にはありません。
 しかし、薬は、生き方や、本当の愛と自信について、何も教えてくれません。心理障害の中で、愛や自信が損なわれるとき、それをどう回復するかという取り組みについは、ハイブリッドのような心理学を役立てたい。
 そうお考えになる方において、あくまでこれを医療行為ではなく、心の成長への取り組みとして学んで頂きたいと思います。

(注意)心理障害症状の全てがハイブリッド心理学で扱えるわけではありません
 ハイブリッド心理学は、あくまで「純粋に心理的要因」による心理障害症状について扱うものです。脳の器質的障害や疾病の症状として現れる心理障害症状については扱うことはできません。扱えるものと想定している範囲について詳しくは ここ を参照下さい。
 心理的要因を超えた疾病が疑われる心理障害症状については、しかるべき医師の診断を受けて下さい。



心理障害と人格障害の根本的克服を目指して

 そして心が成長した時、心理障害が完全に克服されている。これが私の体験であり、その道筋を体系化したのがハイブリッド人生心理学です。
 この可能性は計り知れないものがあります。特に昨今、治癒困難な人格障害の増加が伝えられています。

 しかし、私自身が前半生で抱えた心の問題とは、まさに人格障害の問題だったと考えています。それが今は、脳の構造が変化したと感じられるほどの、健康な自分の心と、この人生を生きることへの喜びを感じています。
 そのような根本的人格変化の過程で、大きな役割を果たしたのは、やはり精神分析です。この、著名な精神医学者や社会学者が半世紀の間熱中した学問領域が、今社会の注目の目を失っているのは、とても残念なことだと思います。
 無理もありません。それは実に難しいものです。ハイブリッド人生心理学では、精神分析によってもたらされる効果の本質を追求し、そのエッセンスだけを抽出発展させ、あたらに「感情分析」と呼ぶ取り組み方法を体系化しています。

 容易に取り去ることのできない心理障害症状の根源は、やはり、幼少期の来歴の中で蓄積されたストレスによるものと考えています。
 これに対する最終的取り組みは、ハイブリッド人生心理学で「心の手術」と呼ぶ、心の奥に取り残された悪感情への直面対処の局面に至ります。これまでの段階が主に「楽になる」ことに導かれたのに対して、この局面では、まさに手術に例えられる、今まで直面を避けていた病巣への対決の形になります。
 これはもはや自ら求めて行うものではありません。これまでの取り組みを通して、心が自然にそこに導かれます。それが心の自然治癒力なのです。

 こうした過程を経て健康な心へと変化した状態は、もはや以前の自分からは想像のできない、未知の状態になります。
 これは当然です。今の心の中で想像できる「変化した自分の心」は、所詮今の自分の心で想像できるものに過ぎません。健康な心に変化した自分を、今の自分が知ることはあり得ないのです。
 今の自分の感情でものごとを決め付けず、こうした心理学の目で自分を見ていく「未知への選択」が、この取り組みの第一歩になります。


島野自身の心の歩みの小説化をしています  

 ハイブリッド人生心理学が呈示する心理学理論は、極めて先進的独創的なものであり、数多くの批判を受けることになるでしょう。
 実際のところ、空理空論以外の何ものも、これほど壮大な理論体系を、しかも何の資格ももたない一介の社会人が作ることなどあり得ないと、頭越しに感じる方もおられるでしょう。それが一人でも少ないことを願うばかりです。

 私はそれについて議論をしたくはありません。その代わりに、私自身の前半生での、病んだ心の治癒体験をそのまま示したいと思います。特に、精神分析によって人の心に何が起きるのかは、もはや机上の理論では実際のところ理解することは不可能だと思います。それを克明に描写します。
 自ら心理障害を体験し、心理学研究者の目で直接その内面と取り組み続けた前半生の描写が、ハイブリッド心理学理論が空論ではないことを、私自身の代わりに人々に伝えてくれると思っています。ハイブリッド心理学理論を作ったのは、私の宿命であったと感じています。

 私はそれを、小説の形で世に出したいと思っています。最初の一連の出版本に、そのダイジェストと言えるものを含める予定です。
 心理学書物という位置付けにとらわれず、純粋に読み物としても楽しんで頂けるものになることを願っています。
 ひたすら内面を描写する、異色の小説になるでしょう。人間の心の不思議の世界へのご招待です。
 ひとつの新しい文芸の形を作るものになれれば、と期待しています。

 実際のところ、これは人生の心理学です。
 全ての人の一生に一度だけある「人生」。
 この心理学がそれにどんな意味を持つのかは、これを学ぶ人それぞれの人生に、委ねたいと思っています。
2005.10.7
過去の案内文
 ハイブリッド人生心理学とは 2005.4.3
 挨拶文 2003.5

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