概要 ↑ | ||||||||||||||
「ハイブリッド人生心理学」は、 ・「心の問題」を幅広く克服し、 ・「自ら幸福になる能力の増大」である「心の成長」に向かうための実践とはどのようなものか、そして ・その実践を携えた「人生」の歩みとは、どのような変遷をたどるものなのか といった「学び」と「取り組み」について、島野隆によって総合的に体系化している、新しい心理学です。 基盤としている心理学の流れとしては、カレン・ホーナイ精神分析や認知療法、そして「ハーバード流交渉学」などの「行動学」があり、そこに島野隆自身の人生における心の成長体験からの整理を加え、新しい独自の心理学として発信しています。 「ハイブリッド」とは、「異種の複合」を指す言葉です。 この心理学では、心の「内面」と「外面」への取り組み、そして「現実世界」と「魂の世界」への取り組みというように、「2面に同時に取り組む」ということを極めて重視している心理学であることから、「ハイブリッド人生心理学」と名づけています。 なお説明文の中では通常、「ハイブリッド心理学」と短縮形で表記しています。 |
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基本的な考え方 (基本思想) ↑ | ||||||||||||||
「心の問題」の根源 ハイブリッド心理学では、私たち人間の「心の問題」の根源にあるのは、次の2つだと考えています。 ・幼少期に端を発する、「根深い自己否定感情」と「孤独感」。 現代文明の中で、親が自然で健康な「子供への愛」を見失ったことが背景にあり、そこで成された子供への否定的態度に応じて、子供の心に、「ありのままの自分は愛されない」という根深い自己否定感情および孤独感と共に、その後の人生において作用する「怖れ」と「怒り」のストレス源が植えつけられてしまいます。この程度に応じて、「心の病み」「心の障害」も生み出される傾向が強くなります。 ・「心の浅はかさ」。 私たち人間の「心」が、「自意識」の芽生えによって、その大元の「命」からはがれた、薄っぺらいものとして働くという宿命であり、万人に共通の問題です。 一方人間は、「命の重み」を伝えるものとして「魂」を感じ取るという感性も持ちます。こうして人間の心は、「心」と「魂」と「命」という3元的構造としてある、というのがハイブリッド心理学の考えです。 「魂」に接していない日常の「心」は、「命の重み」を見失った、薄っぺらい浅はかな思考で働きがちだということになります。 この2つの根源が重なり、私たち人間の「心の問題」とは、およそ次のようなものになる、というのがハイブリッド心理学の考えです。 それは、「根深い自己否定感情と孤独感」をかき消そうとするストレスの中で、「こうなれなければ」という浅はかな「自己理想」へと駆られ、それを妨げる自分や他人への「怖れ」と「怒り」に駆られる、というものになる、と。 浅はかな「自己理想」とは、それをいくら追い求めても、心が豊かにも幸福にもなれないという点で、浅はかなものです。その結果私たちは、不幸になることだけができるような心の状態になる、というものです。この「自己理想」の内容とは、美貌や才能、財産、「人の目」、友人関係の豊富さなどなど、人それぞれにさまざまなものとして。 私たちの心の悩み動揺のほぼ全てが、実はこの「心の問題」の構造の上にある、ということになります。対人関係や仕事場面での悩み、「生きづらさ」、さらに、さまざまな心の病みと障害、と。 ハイブリッド人生心理学の思想 ハイブリッド心理学は、そうした心の問題の全体を克服し、「自ら幸福になる能力の増大」である「心の成長」に向かう道を見出します。 それは、 ・「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、「望み」に向かって全てを尽くして生きる。 という日々の実践と人生の生き方によって、 ・「現実世界における前進」という心の成長の基本的次元をベースにして、「魂の世界における前進」という心の異次元への成長をも経ていく。 という歩みの先に、 ・「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」の変遷を歩む。 という道です。 この「命の生涯」の変遷の節目として、私たちは「自分から不幸になる」という「心の業」の捨て去り、さらに「自分」という「心の惑い」の根源の捨て去りという、2つの大きな節目を持ち得る、というのがハイブリッド心理学の考えです。それぞれを、「否定価値の放棄」の節目、そして「永遠の命の感性の獲得」の節目と呼んでいます。 つまり、 ・「実践と生き方姿勢」によって「2つの次元における前進」を経て「命の生涯」を生きる歩みは、「否定価値の放棄」そして「永遠の命の感性の獲得」という2つの節目を持ちながら、異次元の心の安定と豊かさへと至る。 これが「ハイブリッド人生心理学の思想」と言えるものです。 |
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実践と生き方姿勢 ↑ | ||||||||||||||
実践 心の悩み動揺を克服し、安定して豊かな心へと成長する歩みは、ハイブリッド心理学においては、 ・動揺する感情を克服したいのであれば、まずは感情を鵜呑みにして考え行動してしまわない。 という自明の大原則に立って、 ・内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う。 という「感情と行動の分離」の基本姿勢の上で、日常生活と人生の具体的な問題課題場面に対処していくことを、基本的実践とします。 「実践」は、「学び」と「向き合い」そして「選択」という、おおよそ3段階の意識作業の営みになります。 つまりまず、「学び」として、外面における建設的行動法とはどのようなものか、そして内面感情についてどのように理解すればいいのかについて、読書による理解を進めます。 そして「向き合い」として、まずハイブリッド心理学が「学び」として言っていることについて、自分自身ではどう考えるかという納得理解を確認します。もしここで「納得できない」となるなら、この段階でハイブリッド心理学は自分には合わず実践できない、という話になりますが、実際そうであるならそうはっきり自覚する方が、再び「学び」に向き合った時に「今度は納得できる」という前進に転じることにつながるでしょう。 「学び」の内容に納得理解できるならば、「向き合い」は、外面の建設的行動法に見合う、それとも逆行する感情が自分自身の中にどのようにあるのかという、自分の内面感情の深い理解の段階へと進むことができます。「学び」への納得理解を足場にすることで、自分の内面感情への理解は、「精神分析」に相当する深い自己分析になり得るわけです。 そうして最後に、そうした自己内面感情への理解を踏まえて、外面の行動法の最終的な「選択」を行います。 実践の学び そうした「実践」の中で検討する「学び」のテーマには、大きく次の6つがあります。
つまり、これらの「意識姿勢」「価値観」「行動法」などの「選択」は、車の運転で言えばハンドルさばきであり、私たちの心の成長とは、ハンドルさばきのうまさというよりも、その運転によっていかなる地へと至るかという、その総合的な歩みの距離のことなのだ、ということです。 基本的なハンドルさばきが上達するのはもちろん早いほど良いとして、長い歩みの先の特別な地点でのみ使うことになる、特別なハンドルさばきもあるでしょう。上記「学び」のテーマで最後にあげた「否定価値の放棄」の根本的選択が、まさにそれです。 心の基盤 またそもそも車のハンドルさばきであれば、車を前進させる中でこそ、その真の習熟を問うことができます。場所の状況や速度に応じたハンドルさばきとしてです。 車の前進そのものを駆動する、また制御するという、心の基盤が必要になってきます。ハイブリッド心理学では、そうした「心の基盤」を、次のようなものと考えています。
他の要素についてざっと言うならば、「心の依存から自立への転換」が、「望みに向かう」という自分のエンジンで前に進むための、車輪までの駆動機構全体だと言えるでしょう。「現実を見る目」そして「二面の真摯さ」とは、外界現実と自分自身のあり方を把握するための各種計器とその正確さであり、「自分自身への論理的思考」が車の細かい制御のためのコンピューターとなるでしょう。そして「目的思考」「学びの姿勢」と「成長の望み」が、私たちがどこに向かうべきかを伝えてくる、ナビゲーターと羅針盤になるのです。 生き方姿勢と「取り組み実践」 こうして、ハイブリッド心理学の取り組みは、まずは目の前の動揺場面への対処法から始まるとしても、やがて生きることの全体を支える姿勢へと、幅広く深い、包括的なものに向かいます。 それが上述の「思想」として述べた最初の、 ・「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、「望み」に向かって全てを尽くして生きる。 という日々の実践と人生の生き方姿勢への取り組みであり、こうした全体を「取り組み実践」と呼んでいます。 それが、「根深い自己否定感情と孤独感」をかき消そうとするストレスの中で、「こうなれなければ」という浅はかな「自己理想」へと駆られ、それを妨げる自分や他人への「怖れ」と「怒り」に駆られるという、私たち人間の心の問題の構造の克服への、ハイブリッド心理学が示す最初の方向づけだ、と言うことができます。 鍵になるのは、まずはその「不幸にだけなれる心の状態」から感情に流されることなく抜け出し、目の前の動揺場面への対処と克服をすると同時に、自身の「望み」に真摯に向き合い続けることです。 つまり「感情と行動の分離」の両軸を携え、「感情に流されることなく望みに向き合い続ける」というその生き方姿勢が、まさに「自己理想」などの「望み」の感情の浅はかさを打ち破り、私たちを「真の望み」へと近づけていくのです。そこに、全ての答えへの、最大の鍵があります。 最終的な答えは、その歩みの先に、私たち人間の心の神秘として示されます。 |
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歩みの道のり ↑ | ||||||||||||||
「現実世界における前進」と「魂の世界における前進」 引き続き車の運転で言うならば、私たちの心の成長変化は、目の前の問題場面を切り抜けていくという、その一歩一歩の変化が目に見えやすいものと、それらの積み重ねの先に、やがて自分が以前とは全く違う遠い場所に来ていることに気づくという変化の、2種類があると考えると分かりやすいでしょう。 そこでさらに、「目に見える一歩」として成される変化の内容について詳しく見るならば、そこにはまず、 ・目の前の問題場面への対処がよりうまくできるようになるという前進。「意識姿勢」「価値観」「行動法」といった、内面および外面の実践、そしてそれが生み出す、問題解決や成功。 といった種類のものがもちろんあるとして、さらにもう一種類、全く異なるものが「目に見える一歩」として心の変化の内容になることを、ハイブリッド心理学では見出しています。 それは、 ・それまでの「浅はかな心」が打ち破られ、あるいは「崩壊」し、「真実の自己」への向き合いが成されるという前進。ここにおいて「魂の感情」への向き合いが成される。 というものに他なりません。 それまでの心が「崩壊」するとは、「心の死と再生」が起きるということです。その時私たちの「意識」は、「自分はもう駄目だ」という「絶望」しか感じ取ることができなくなり、「意識」が尽き果て「無」になる、「心の死」へと向かいます。「魂の感情」を湧き上がらせながら。実際人が「死」に面することで、「お金」や「体面」といった煩いの無駄を悟り、自分にとって本当に大切なものが何であったのかを、ありありと自覚するのと同じように。 その本当に大切なものとは、間違いなく、「愛」に関係するものです。 実際に身体に「死」が訪れた場合、「再生」というのは不可能でしょうが、「心の死」の場合、そこに「再生」が起きます。まさに新たに芽生えた命のように、今までの煩いが消え去り、全てがリセットされたかのようにまっさらな、新たな「意識」が動きを始めます。より軽快で力強い歩みとして。 この2種類の前進が、上の「思想」として述べた2番目、 ・「現実世界における前進」という心の成長の基本的次元をベースにして、「魂の世界における前進」という心の異次元への成長をも経ていく。 というものです。 あくまで、「外面行動は建設的行動法なもののみ、内面感情はただ流し理科することのみ行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践で、「望み」に向かって全てを尽くして生きるという歩みが、この2つの次元の前進の双方の、基本的原動力です。 それによってまず「現実世界」での前進と満足が得られればそれに越したことはなし。一方そこで何らかの壁に出会い、そこでさらに「望み」に真摯に向き合った時、それは「魂の望み」へと変化するのです。そしてそれを自分自身で受けとめ尽くした時、心に異次元の変化が起きます。その時私たちは、壁に出会った困苦が、実は人生の賜物であったことを知るのです。 人生の歩み こうして、成長の歩みの基本的原動力と、その歩みの中にある「現実世界」と「魂の世界」での前進を生涯にわたり持ち続けた時、私たちはそこに、「人生の歩み」というものが、ある特定の流れの下に成されるものであることへの視野を持つことができます。 ハイブリッド心理学では次の4つの、人生の歩みの段階があると考えています。 ています。
重要なのは、こうした人生の歩みの段階というのは、そうした順序を通らないと次に行くことはできない、ということです。いやそのような消極的な表現よりも、それぞれの段階を明瞭に通るほど、次の段階への成長もより鮮明になる、という積極的な表現の方が良いでしょう。 自分の足で立って歩くという人生の節目を得て、まずは社会を生きるスキルを学ぶことです。そしてごまかしのない自信を足場に、「人生の望み」を大きく開放させ、それに向かって全てを尽くして生きるのです。そうして人生の歳月が流れた時、心はもはや多くを躍起に求めることなく、自分自身によって満たされています。 一方で、その歩みの最初の「旅立ち」は、「人目の中でこうあれる自分」という、幼いもの心がついた時から抱いていた「自己理想」通りにはなれないという「完全なる絶望」と共に始まるかも知れません。その人間の成長の歩みにおける、最初で最大の「崩壊」にもなり得るものとして。 「依存から自立へ」という、「命」に定められた宿命の通過点としてです。 私の場合がそうでした。それが「成長」への通過点であることを知らなかった私は、完全に「崩壊」に巻き込まれ、死を決意するも偶然の重なりに助けられてとどまり、「命」が私に新たな心を再生させたのです。そこから、地に足をつけた人生の歩みが、始まりました。私の自伝小説『悲しみの彼方への旅』が、この流れを中心に描写したものです。 こうした「旅立ち」においても、「現実世界における前進」への姿勢がベースになるというのは、変わりません。建設的な行動法で前に進み得る自分を心底から望むことが、その始まりになるということです。しかし心の未熟によりそうはできない自分という壁に出会い、心が崩壊し、やがて自らにストレスをかける必要もなく前に進み得る心が自分の中に芽生えていることに気づく、という流れになるのです。 |
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最終的な答え ↑ | ||||||||||||||
「人生の答え」と「望みの成熟変化」 その先の歩みにおいても、実は同じものが「人間の成長」の底流になる、というのがハイブリッド心理学の見出した道です。 つまり「心の死と再生」が、「人間の成長」の原型になるのだ、ということです。人間において「依存から自立への転換」に完成はなく、「崩壊」の規模を徐々に小さく、穏やかなものにしながら、今までの心が死に、新たな心が再生されるという仕組みの中で、私たちは自分が以前とは違う人間へと変化しているという、「成長」の体験を持つのです。 「現実世界における前進」へとしっかり向かうことがベースになるとして、それがうまく行く体験ばかりが続くよりも、むしろ壁に出会い、自己の「崩壊」により「心の死と再生」を多く積み重ねた方が、上述の、やがて自分が以前とは全く違う遠い場所に来ていることに気づくという変化が、大きくなるようなのです。 なぜそのようなものになるのか。ハイブリッド心理学からは、「3つの答え」として示すことができます。「人生の答え」「人間の真実」そして「最終的な答え」として。
「思想」として述べた3つ目の、 ・「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」の変遷を歩む。 という流れとしてです。 人に愛され良くされることばかりを求めるという、未熟な心で抱く「望み」は、私たちをフラストレーションへと駆るばかりで、決して「心の豊かさ」へと導いてはくれず、「望み」が安易に叶うことよりも、むしろ壁に出会い、それでもなお真摯に「望み」に向き合い続けることが、私たちを「心の豊かさ」へと導く、というものになるのです。 それにより起きる、「望みの成熟変化」によってです。「望み」そのものが、自ら生み出し、自ら愛する「望み」へと、やがては何も躍起に求めることなく、ただ生きて自分の生活に向かうだけで「幸福感」に心が満たされるというものへと、質的に変化していくというものです。 「人間の真実」と2つの大きな道標 なぜそのようになるのか。「人間の真実」が関係してきます。 ハイブリッド心理学では、「人間の真実」という言葉を、私たち人間の心が「心」と「魂」と「命」という3元構造としてあるということ、そしてその成り立ちにおいて起きた問題と、その最終的な解決のあり方などを指すものとして使っています。 基本的な仕組みはこのようなものです。
私たち人間の心の問題とその最終的な解決は、この3元構造において、多少とも難解な、それでも人類の歴史を通して哲学や文学で語られてきたものと符号するテーマへと、ハイブリッド心理学においても行き着くものになります。 まず心の問題として起きたのは、実は次の2つであるということになります。
「心と魂の分離」は、「意識構造」のレベル、つまり「意識」を超えた次元で、中核にある分厚い壁であり、「否定価値」は、そうした意識構造ができた後に、「心」が自らの「意識」によって、「魂の望み」の開放を断じるという決定打を打ったものだと言えます ハイブリッド心理学の取り組みとは、この2つの問題を再び逆転させ、「心」を「命」の成長へと回帰させるという営みに他なりません。 「思想」の最後にこう述べたように、2つの大きな道標を経るものとしてです。 ・「実践と生き方姿勢」によって「2つの次元における前進」を経て「命の生涯」を生きる歩みは、「否定価値の放棄」そして「永遠の命の感性の獲得」という2つの節目を持ちながら、異次元の心の安定と豊かさへと至る。 「否定価値の放棄」の道標 「否定価値の放棄」は、文字通り、「否定価値」という感覚と衝動を、私たちの心の深層意識レベルで、捨て去るものです。
「感情と行動の分離」の両輪を携え、「望み」に向かって全てを尽くして生きるという実践と生き方姿勢が、ここで完成します。同時にそれは心のプラスエネルギーと「望み」を大きく開放するものとなり、引き続き習得済みの建設的な行動法でそれに向かうのです。 外面における積極的な行動力が、ここで開花すると言えるでしょう。それは人生の開花そのものです。 「人生の歩み」で記した4つの段階において、「学び」の段階が終わり、「変化」の段階へと移行するものになります。 「原罪の克服」と「永遠の命の感性の獲得」の道標 そこからの人生がもしほぼ全て順調であれば、もう何も言うことはありません。 それでもやはり、何らかの壁に出会い、自らの「魂」に向き合うことが、この人をさらなる心の境地へと導くことになります。 それが「永遠の命の感性の獲得」です。
「否定価値の放棄」までが「実践の学び」であり、それが習得達成の大きな道標に位置づけられ、「永遠の命の感性の獲得」は、その歩みのさらなる先に目にするであろう、はるかなる地の光景として、心の成長の歩みの最終局面を示す道標に位置づけられるものになります。 ではそれはどのように見えてくるのか。人間の歴史を通してさまざまな人が語るものでもあるこの「永遠の命の感性」というものを感じ取るための通り道には、かなり毛色の違うものもあるかも知れません。例えば「前世思想」とか。 ハイブリッド心理学が考える、そして私自身が歩んだその通り道は、「幼少期に始まる根深い自己否定感情」という心の問題の根源の最終解決に真正面に向き合うのはこれだ、と考えるものに他なりません。 それは、「否定価値の放棄」を経て、大きく開放された「望み」と、築かれた行動力がまさに手を結び、人生で果たされないまま置き去りにされた「最も大切な愛」へと再び向かうという道です。 それはまさに、「心と魂の分離」で起きた、「心」による「魂」の見捨てを、逆に戻すものになるのです。そこで起きることを、「原罪(魂の怖れ)の克服」と呼んでいます。
「否定価値の放棄」による心の変化は、心のプラスエネルギーと「望み」の大きな開放であり、「成長」への前進力の飛躍的な増大が特徴になります。 一方「永遠の命の感性の獲得」は、「成長」の歩みがゴールの領域に至ってきたことを示す、心の豊かさの感情が特徴になります。「孤独」「寂しさ」が心の底から消失し、「無条件の愛」を感じることができることを基盤に、人を前にしての自己肯定感が揺るぎないものになります。特に何を意識することもなく、生きていることに豊かさを感じる、「豊かな無」の感情が次第に増大してきます。 ここに至り、「人生の歩み」の段階としては、はっきりと「円熟」の段階へと移行してきます。 最終的な答え なぜそのようなことが起きるのか。その最終的な答えを、ハイブリッド心理学は「望みの燃焼の法則」として見出します。「命の燃焼の法則」と呼んでも良いでしょう。 そこにあるのは、極めて単純な法則です。そしてそれは同時に、「自発的幸福の増大」を伴うものとしてあります。まさにそれが「最終的な答え」であるゆえんです。
私たち人間は、この「望みの燃焼の法則」という最終的な答えから、大きく引き離されて生まれ出る存在だと言えます。「自意識」の芽生えによって起きる、「心と魂の分離」という宿命によって。 その結果起きるのは、「未熟と自発的不幸へのしがみつき」とも言える現象です。「今の心」だけを基準にした思考に固執し、自分は不幸だ、人が自分にもっと良くしてくれるべきだという観念の中で、まさに「望みの燃焼の法則」とは真逆に、「命」からはがれた薄っぺらい「心」で「望み」を抱くごとに、自己は空虚になり、心は満たされることのないまま、より刺激の強い満足へと駆られてしまうのです。そうして短絡的な満足に駆られた行動に流されると、自己はさらに空虚になり、さらに刺激の強い満足へと駆られる、という悪循環の檻の中で生きる・・。そこに、現代人の姿があるように感じます。 ハイブリッド人生心理学の取り組みは、そこからスタートして、「望みの燃焼の法則」「命の燃焼の法則」という、最終的な答えへと回帰する取り組みです。 「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、「望み」に向かって全てを尽くして生きる。 まずはこの実践と生き方姿勢によって、自ら心の健康と成長、そして幸福に向かうような思考法行動法を学び実践すると共に、それを妨げていた内面の要因を解きほぐし、解除していくのです。そしてそれを車の両輪として、「望み」に向き合い、それに向かって生きることを続けるのです。 そこで外面において「望み」に近づければ、もちろんそれは私たちを「幸福」に近づけるでしょうし、もしそこに何らかの壁があるのであれば・・それがない人生などないでしょう、逃げることなく向き合い、自分が本当に望んだのは何であったのかに向き合うのです。するとそこに「魂の望み」の感情が現われるでしょう。 その瞬間、私たちの中で止まっていた「命の燃焼の法則」が、回るのです。 一度のその体験で心が変化する量は、微量でしょう。しかしそれを続けるごとに、私たちは自分の心に変化が起きていることに、気づくことになります。そして再び、同じ歩みを、続けるのです。するといつか、はっきりと、自分の内部の何かの扉を開くべき時が、訪れるのです。 いつそれが訪れるのかは、私たちの「意識」からは、全く見えません。なぜならそれは、私たちの「心」の外部の根底にある、「命」が支配しているからです。だからこそ、私たちが最後に開く扉は、「自分」というものは仮りのものに過ぎない、という自覚になるのだとも言えるでしょう。 これを踏まえ、次のような理解を加えておくと良いでしょう。 ・心の悩み動揺の最終的な解消克服は、問題場面への対処能力が向上することによる側面もさることながら、悩み動揺の根源となった未熟な「望み」(例えば「人に良く見られたい」)が満たされずとも「済んで」消えていくことによる側面が大きなものとなる。 ・2つの大きな道標、「否定価値の放棄」と「永遠の命の感性の獲得」による心の境地の大きな変化の節目は、そうした意識的な「悟り」が成功することによるものと考えるのは誤りであり、壁を越えて「望み」に向き合う体験の積み重ねが生み出す、「命の燃焼の法則」による心の変化が、「命の生涯」における「自立の自尊心」そして「成熟の愛」へと至ってくるというのが先であり、それがもともと、「否定価値」という偽りの自尊心を、そして「自分」という囚われを脱する方向性にあり、それを足場に、そうした意識的な「悟り」も成り立つのだのだ、ということです。 それによって私たちは、「心」と「魂」と「命」という、人間の真実にまつわる開放の扉を、開けることができるのだ、と。 ですから、こう言えるのです。 この取り組みは、できるだけ短期に習得できればできるほど良い「気分の改善法」のようなものとは全く異なる、取り組みの時間を長く要すれば要するほど得るものも大きい、「人生の歩み」そのものになるのだ、と。 その全てが、「動揺する感情を克服したければ、まずは感情を鵜呑みにして考えない」、そして「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践によって、「望み」に向かって全てを尽くして生きるという、その地道で着実な実践の積み重ねとしてのみ、進めることができるのです。 |
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始め方 ↑ | ||||||||||||||
自己独力・自己取り組みの心理学 ハイブリッド心理学の取り組みをどのように始めたら良いのか、お勧めの姿勢とそうでない姿勢という形で説明したいと思います。 まずお勧めでない姿勢から先に記しますと、それは、 ・「この心理学の言うとおりにすれば自分の心が良くなるのではないか」と期待し、「一刻も早く全部を習得しなければ」という焦りの中で進めようとする。 というものです。 それに対し、お勧めの姿勢は、 ・「心の健康とは?」「こうした場面での行動法はどのようなものが良いか?」といった一つ一つのテーマについて、「自分の考えを持つ」「自分の考えを明確にする」という取り組みとして、そのための材料としてハイブリッド心理学を学ぶ。 というものです。 そうしてもし「自分としてはハイブリッド心理学と同じ考えだ」と本当に思えるのであれば、自然と、日々の目の前の生活と人生の問題での対処は、ハイブリッド心理学の方向性に沿ったものになるでしょうし、その積み重ねによる人生の歩みも、やはりハイブリッド心理学が考えるものと軸を同じくするものへと、向かうでしょう。 「こうすればいい」と言われた通りにやってみる、もしくは人の言葉に感銘を受けて心が成長できるのは、ほんの僅かな範囲であり、実はそれは潜在的に準備されていた成長が引き出されたものだ、とハイブリッド心理学では考えます。それは人の車に牽引してもらうことで、短い距離であれば自分の車も多少は前進できるという範囲だ、と。 ハイブリッド心理学が目指すのは、それをはるかに超えて、私たちが生涯にわたって歩み得る、はるかなる心の成長の地へと旅することです。そのためには、自分で自分の車を運転するとはどういうことか、その根本から、自分の考えを築き、自分のエンジンで前に進むことを積み重ねることが何よりも大切です。 そこでもしハイブリッド心理学が言っていることについて、「これは違うと思う」というのがあれば、それはハイブリッド心理学が考える人生の道とは別のものを選ぶという、それだけのことです。その場合は、この心理学をもう用なしとするも良し、あるいは多少人生の歳月を経てからもう一度読み返してみた時、「今はこの通りだと思える」という理解納得が得られるかも知れません。そのためにも、まずは「今は自分としてはこう思う」という「自分の考え」を、自らに問い、確認していくことが重要なのです。 そうしたものとして、ハイブリッド心理学は基本的に「自己独力による自己取り組みの心理学」と位置づけています。 そのため、現在は料金を頂いてのカウンセリングルームやセミナーのようなものは一切行わず、もっぱら自己取り組みのために有用となる「読み物」を、全て無償にて提供する整理作業を行っています。 「生涯の学び」として ということで、始め方としては、関心のあるテーマのものから読書を進め、書かれている内容について、 ・自分としてはその通りだと考えるか ・自分の生活と人生における問題課題への対処として、どう活用できるか といったことを考えてみる、という実践として、始めて頂ければと思います。 ハイブリッド心理学の内容は、内面感情の深遠なメカニズムの理解から、ごく実践的な外面行動法、そして人生の始まりから円熟のゴールまでの歩みについてと、極めて幅広く、かつ奥行きの長いものと言えますので、短期集中的に学ぶというよりも、生涯に渡り、時間の折の読書と、実際の問題課題場面での検討を続けるという、「生涯の学び」として取り組んで頂ければと思います。 もちろんそうは言っても、自己取り組みを進める余裕がなく、切羽詰った状況についてどうすればいいのかのアドバイスがすぐ欲しい、という方もおられると思います。 その場合は、現在整理を進めている『メール相談事例集』から参照頂くと良いでしょう。私の執筆活動の初期段階と位置づけられる2011年頃まで、私自身の勉強とも位置づけて行った「メール相談」の中から、分かりやすそうな事例を掲載しているものであり、問題場面に応じて、こんな視点が出てくるといった参考になるかと思います。 また、キーワードから内容を手早く知ることができるよう、「ハイブリッド心理学辞書」とも言えるような『詳細インデックス集』を、今後整理していきたいと思っています。 とは言え、そうした具体的な情報の整理が、今ようやく手につき始めたところです。より多くの方に役立てられるよう、当面は個別のメールカウンセリングは行わず、それら具体的な情報の整理に専念する計画です。 その代わりに、ご質問やご相談に対して簡潔なアドバイスを返すよう、無料の公開開示版『読者広場』を用意していますので、手早くヒントが欲しい場合にお手軽にご利用頂ければと思います。 2015.8.11 |