3.感情分析による心理障害の治癒原理
付.ハイブリッド療法では採用していない「治癒」原理
ここでは、感情分析の過程で治癒効果が得られる原理を簡単に説明します。
1)カタルシス
これと次の2つは、精神分析で一般に言われるもので、感情分析の過程でも起きます。
カタルシスは、怒りや憎悪、悲哀などの大きな感情が放出されることで、緊張が緩和するものです。
感情の膿や自己操縦心性をマグマ溜まりにして、湧き出した感情が火山の噴火のように起きて、マグマ溜まりの圧力が放出され、圧が低下するような感じの現象です。
心理的開放感が起きます。
ただし、問題の根底が変わっていないと、2、3日で元に戻ります。
2)洞察
精神分析の治癒原理として重要視されているものです。
複雑に断裂した感情と感情の間で、何かの関連性に気づくような体験と定義できます。
これは感情や気分が良くなる効果というよりも、感情の理由が分からないという無力感が減少し、内面の力が回復するという効果と考えます。
内面の力の回復が、他の治癒効果の後押しをします。
3)プラス思考
これは認知療法などで強調されるものです。
同じ状況でも思考内容がプラス志向かマイナス志向かで、感情の変化も当然プラス方向かマイナス方向かが違ってきます。
ハイブリッド療法でも、自己建設型の姿勢により、感情の改善効果がある程度あると考えています。
ただし感情の膿や自己操縦心性を根本的に弱化除去する力はないと考えています。
また、無理にプラス思考をして感情を良くしようと自分に強制することは、ストレスを生み逆効果となる場合があります。
4)自己疎外の低減
あまり言われてませんが、精神分析一般の治癒効果の重要なものです。
自己疎外とは、自分の本当の感情から自分が遠ざかる現象をいいます。
自己疎外を生み出す心理には、「気にしない」「どうでもいい」といった消極的な逃避と、「自分は人を好きにならなければ」といった積極的な自己強制、さらに中等度以上の心理障害の中で派生的に生じる、自己乖離という破壊的自己疎外があります。
心理障害において必ず起きるもので、その程度は心理障害の重度に比例します。
つまり自己疎外の重度が心理障害の重度と言えます。
重度に起きると、やがて、現実感の喪失や、離人症状態、感情喪失状態やさまざまな乖離症状を生み出します。
精神分析は、自分の本当の感情を知るという姿勢の中で、自己抑圧が放棄され、押さえられていた感情が開放されていきます。
この進行全体と、自己疎外の低減も同時に進行します。
自己疎外の低減は、大きな精神的開放感の体験によって本人にもしばしば知覚されます。
また内面の力の増大も起き、治癒へ向かう動きが好循環に乗ります。
この効果は永続的です。
治療では、まずこれが最初の目標になります。
5)感情の非現実性の実感
最後の2つは感情分析で明言するものです。
分析が進行すると共に、普段意識されていなかった様々な感情が意識に上がってきます。
それはカタスシス的にどっと感じる体験だったり、洞察のように「そうか!」と気づく体験だったりします。
この時同時に、自覚した感情が自分の現実にとって不合理なものだという実感が伴うと、単なる緊張緩和以上の、根本的な感情弱化が起きます。
感情の膿の弱化除去というのが、このように起きるものです。
ここで知っておかなければならないのは、この「不合理だと感じる」かどうかは、意識の根底レベルの話しであって、意識的に不合理だと考えたところでそうなれるものではないということです。
「回りの人間が皆自分の失敗を期待した目で見ている」という感情がある時ありありと蘇ったとします。
この感情が今後根本的に減少するかどうかは、その時点で、その人がどれだけ内面の力を回復し、実際の生活の中で生きる自信を持ち始めているかに依存します。
内面の成長が起きている場合は、本人が意識することなく、それがもはや無用な感情であることを、人格の根底が感じ取って、その感情を放棄して行くような動きが見られます。
一方、本人が未だに敵意や憎悪や優越衝動の中で生きている場合、その感情はむしろ現実的であり、まだ放棄されることはないでしょう。
このどちらに動くのかは、無意識が決定する、ということです。
どちらの場合も、その時点では、意識の上では、苦い感情を味わう辛い時間があるだけです。
違いを指摘するならば、感情放棄が起きている場合は、フラストレーション感がないと言えるかも知れません。
この結果は、数日後から数十日後といった比較的長い過程で、精神的開放感の増大、および同じ感情はもう自分は持たないという実感の強さの増大として感じられます。
これは自分への自信、つまり自己への信頼感の源として永続的な効果を持ちます。
このような感情弱化は、意識的に「悪い感情を正す」という形では起きません。
感情はありのままに受け入れ、無理な制御はしない、その上で、感情は感情といして、行動については感情に流されず、現実を全て総合して判断する、という建設的な姿勢の中で初めて起きるものです。
6)自己操縦衝動の放棄
自己操縦心性の弱化除去の動きです。
感情の膿は、来歴から蓄積されたものが湧き出る、という、どちらかと言えば静的なものです。
自己操縦心性が、それに対し動的な生きる力として、他を見下し勝利を得るような衝動の塊として存在します。
これこそが心理障害の核といえます。
この衝動が弱化除去される原理は、人間の欲求一般の原理と同じです。
つまり、欲求とは一般に、十分満たされるか、もしくは自己の全力を尽くしても達成はできないという限界を味わうことで、後に残らず消滅するという性質を持っています。
これに対して、他に制止された欲求は、フラストレーションや怒りを生みます。
心理障害は、自分自身の内部で矛盾する感情や葛藤によって制止が起きる、継続的フラストレーション状態です。
感情分析の過程では、今までに述べた治癒効果全体を通して、この自己操縦心性の生み出す衝動が純粋に自覚できるようになって行きます。
つまり、自分の中の矛盾により阻止されることも減った状態で、その衝動が自覚されるようにやがてなります。
道理をわきまえて無欲になるどころか、それこそが自分が本当に求めていたものとして荒々しく全力を向けようと頭を持ち上げるようになると考えています。
その後の、その衝動の行き先の原理は、欲求の基本原理の通りです。
完全にそれが達成できないものだという自覚が起きると、それを「諦め」、放棄する動きが起きます。
自己操縦心性は、根本的に、自己を偽ることからスタートした衝動であり、満たされることは根本的にありません。
このことを自覚することは、何の阻止も受けずに、その限界を知ることになります。
従って、フラストレーションを残すことなくこの衝動が放棄されるという動きになります。
問題は、この衝動放棄が、一般の欲求のように意識上で起きるのでなく、人格の根底で起きることです。
自己操縦心性とは、意識ではなく、その土台がこのような型を持っているという特別な現象であり、そうだからこそ心理障害という特有な状態が起きるものです。
このため、意識の上では、何か自分が生きてきた土台が崩壊するような、絶望感やパニックの形を取ります。
これを成長の痛みとして、受け入れ、やりすごすことが大切です。
感情の膿の弱化除去と同じように、自己操縦心性の放棄体験は、意識の上ではただ辛い時間が続き、よりゆっくりとした速度で、2、3日かけて沈静します。
効果が感じられるのも、数日後から数十日後で、より遅くなってからと言えそうです。
最大の特徴は、感情の自発性の増大と、感情基調の上昇です。
つまり、何の前提もなく、生き生きと生きる感情が湧き出し、楽しいとか嬉しいといった感情が基調になるような変化です。
これは文字通り人格そのものの、健康なものへの入れ替わり現象であり、まるで別の人間のような感じで生き始めるという感覚が得られることもあります。
自己操縦心性の弱化除去で、治癒効果のあらゆる兆候が本格的に実現します。
「人格の統合」とは「自己操縦心性の除去」とイコールです。
自己操縦心性は、その中で必ず人格が分離分裂していく方向性を持っています。
自己操縦心性が除去された量に応じて、真の自己が人格全体の中で占める量を回復します。
真の自己においては、アイデンティティは一つに統合され、感情にも矛盾の全くない、ひとつの生きる主体が確立されます。
なお参考まで、現在の精神医療の現場で上記以外にしばしば治癒原理として扱われるものを下に載せておきます。
付.ハイブリッド療法では採用していない「治癒」原理
2003.6.7