「感情分析」技法による人格改善治療

4.無意識を知るとは

 前節で説明した感情分析の治癒効果のほとんどは、無意識のメカニズムの中で起きます。
 つまり、治癒の観点からは、その時点で何が起きているのかは本人にも分からない、ということです。

 もちろん全てが無意識なのではなく、1)カタルシス、2)洞察、3)プラス思考までは意識の上でそれと分かります。
 しかしそのどれも、心理障害の根本的治癒までの変化量の中では、かなり小さいのです。
 無意識を理解するのは難しい話です。全くの架空の論理だと言う人も少なくありません。
 それが根本治癒の大部分であるのですから、心理障害の根本治癒の大きな領域が理解されていないのも無理はありません。

 そこで、無意識とはどうゆうことなのかを、ここで簡単に説明したいと思います。

 まず下に、感情分析過程で最も典型的かつ重要な、無意識のパターンを示します。
 心理障害を背景にして、人は破壊的な自己嫌悪感情や、プライドが傷つけられた反応としての怒りや憎悪の中で動揺します。
 有頂天になる時と、うつのどん底に落ちる時と、感情は両極端であり、お互いに断絶した無関係の感情のように見えます。
 このため、それが一般に「病気」と見られるのです。



 感情分析の過程では、このような感情が、どのようなタイミングで、どのような強度で起きるかを、本人自身が良く考えながら、その感情の意味を吟味する過程を進行させます。
 それによって次第に、それぞれの感情に何かひも付けられたかのように、関連する感情が意識にのぼってきます。
 こんな時にこんな感情が起きる、それはこうゆう意味があるからだ、と本人に分かってくるのです。

 やがて、今まで自覚しなかった感情が見えてきます。
 治癒ポイント前後で典型的に現れるのが、「自己の偽りの自覚」です。
 自分はこんな感情の中で、こんな人間になりたいと思った、でもそれは本当の自分ではなかった、という自覚です。

 感情分析過程がうまく進行していると、これが自己理想化衝動の放棄につながります。
 意識の上では、巨大な絶望感につつまれ、悲嘆に暮れる数日を過ごします。
 数週間が経ったとき、自分が変化をしているのに気づきます。
 もう自己嫌悪もないし、人に優越してプライドを守ろうというような焦りも心の中から消え去っています。

 およそ、このような変化の過程です。
 この過程で体験された3種類の感情の間には、意識の上では全くつながりがありません。
 しかし、このような感情変化過程を通して見ると、この図のように、一つの核を中心にして別の感情が生み出されていた、というメカニズムが存在していたと仮定できます。
 仮定というか、感情にメカニズムがあるという論理思考で行くと、そう考えるより他はありません。

 無意識とはこのように、意識の上では直接には感じ取れない因果関係があって、どれかを自覚して弱化放棄が起きると、全く別の感情と思われていたものが同時に消滅する、というのが典型的現象です。
 このような変化が望ましい形で起きるように、今まで自覚していなかった感情を自覚するようになるのが、無意識を知るということです。

 なお、上の図はエッセンス部分を極めて単純化して、かつ抜き出して書いたものであって、実際はこんな単純なものではありません。
 感情分析の過程で、「自覚する必要がある」感情は多種類あり、それを心理障害の感情メカニズムで説明します。
 ちなみに精神分析の理論というのは、このような論理類推で成り立っていますので、「どんな感情」を自覚すればいいのかという話も、またそれに付ける名称も、様々な意見が出されます。
 かつ、これだけ複雑な心理現象ともなると、理論を作る人間自身がどんな内面世界を持っているかによって、言葉も理論も様々なものが出ざるを得ないでしょう。
 科学的客観性をどう考えるかという議論もありますが、ここでは省略します。
 また、このような内面変化体験を持たず、その共感理解もできない人が、分析理論を架空の論理と思うのも無理はありません。
 そのような前提を踏まえずに分析理論の是非を議論するのは、あまり有益ではないでしょう。

 無意識領域を知るのが難しいもうひとつのメカニズムとして、意識には、無意識領域では別々の感情の合成結果しか現れないという原則があります。

 たとえば、過度の卑下傾向や「何でもないことを謝る」傾向は、無意識の攻撃衝動により起きることがあります。
 これがそうと分かるのは、分析過程で、まず善良そうな振る舞いを自分の仮面と自覚し、それを放棄したあとに、とんでもない攻撃衝動が前面に現れ、それが消えた後、今までのような卑下的態度がすっかり消えている、といった変化を通して初めて言えることです。
 けっして知的な観察などでそんなことが言えるのではないということです。
 このような変化の後になって初めて、最初の卑下感情は、無意識の攻撃衝動を反映して合成された結果だと言えるのです。
 変化が起きる前は、その卑下感情がその人の本来のものか、そうでないかは見分けられないということです。

 恋愛感情は、このような合成によって最も複雑化する感情です。
 自己操縦心性を背景にして、さまざまな愛の要素感情が生まれますが、自分を強者側に置くものと弱者側に置く感情は全く相容れず対立します。
 (参考:「自己建設型」の生き方へ8.真の愛と偽の愛
 また自分が「理想的な恋人」でなければという「べき」の圧力が、しばしば無意識では拘束への抵抗を生み、意識の上では全くの冷淡感情を生み出します。

 自己操縦心性を背景にすると、このような相容れない感情が同時に無意識領域で生まれ、それが同じ相手の人物へ投映されるとき、意識に現れるのは全ての合成結果のひとつでしかありません。
 内面のバランスによって極めて不安定な揺れ動きをするようになります。
 無意識領域は、どれかの感情が純粋に取り出され、それが消えたあとの変化を見ないと分からないので、その時点では、その愛がどれだけ本当のものかとか言うことができないのです。
 本当の愛の部分だけを人為的に取り出してそれを伸ばすなどということもできません。

 このような無意識を知ることの難しさ全体を通して言えるのは、それを知ろうとして焦ったところで分かるものではないということです。
 私たちにできるのは、ただ、自分の本当の感情は何なのかを知ろうとする姿勢と、内面の感情を開放することです。

 映画「マトリックス」で出た言葉でいえば、心を解き放つことです。そして未知の自分に出会うことです。この映画はまさに人間の本質を表現しているように、私には思えます。

 感情分析の過程に慣れてくると、感情の連鎖を追い、重要な無意識領域に到達することがある程度早くできるようになってきます。
 そのような段階にできるだけスムーズに行けるよう、特に6.感情分析の進行過程で、感情分析を開始してから自分のどのような感情に着目して行くのがいいのか、できるだけ詳しいナビゲーションを提供できればと考えています。


2003.6.7

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