「自己建設型」の生き方へ
5.決め付け思考と中庸思考

(2)中庸の思考


 決め付けられた善悪の中で生きると、人は現実の中で自由欲求のために努力するという主体性を失います。
 内面の自発的な力が減って行くので、自分が良い人間になれば世の中は自分を幸せにするという、他力本願な思考体系を身につけるようになります。
 自分が良い人間になれないと、無力に天罰を受けるだけの存在と落ちてしまいます。

 そのような姿勢の結果生み出される「不合理思考」が、前節で説明したものです。

 このため、何よりも大切なのは、生きる姿勢をまず自由欲求志向の方に根本的に変えることです
 その新しい姿勢の中において、初めてより合理的な思考が実感を持って定着してきます。

 生きる姿勢を自由欲求志向に変えるのに対応して、推奨される新しい思考方法があります。
 前節ではまだ、まずマイナス思考が起きたらプラス思考に変える努力をする、不合理思考が起きたら合理的思考に変える努力をするという内容です。
 つまり後追い、後手の方法です。
 必要なのは、マイナス思考が見つかる前から、常にその思考法で行けば良い、という指針です。
 そのような合理的思考法として推奨するのが、「中庸の思考」です。


 「中庸」を国語辞書で引くと、「偏らず中正であること」と出ます。
 極端に偏らない。心理障害がその対極であることは想像がつくと思います。

 偏らないための具体的思考方法、それは「現実を様々な目で同時に見ること」であると考えています。
 たとえば草食獣の子供が肉食獣に襲われ食べられる時、草食獣の親の目で見るだけでなく、肉食獣の家族の目、そして自然における食物連鎖という目で見ることです。

 現実の出来事には様々な側面があります。
 そして、一度に一つの側面しか見ない目で見ると、それぞれの側面が別の出来事のように見えてしまいます。
 しかし現実の出来事はひとつです。

 従って、中庸の思考とは、事実の様々な側面を単に全て見ることではありません。
 様々な側面を持つ出来事を、ひとつの本質的事実として見ることです。


 人間に平等な自由欲求において生きる姿勢において、この中庸の思考が車の車輪として機能します。
 複雑な現実の中で望む結果を得ることが目的だからです。
 一つの出来事の様々な側面を考慮に入れることで、最も望ましい方法を見出すことができます。

 一方、善悪の中で生きる姿勢は、まさに中庸を否定することが思考方法です。
 様々な側面を持つ事実から、善か悪かの側面を切り出し、決め付けること、そして白黒をつけるという思考です。
 一つの側面しか見ようとしない姿勢が、極端に偏る感情の後押しをしているのです。

 この中庸の見方を自分自身に向けることが、心理障害からの回帰へ向かう決定的な変換点になります。
 自己はある側面から見れば劣り不出来な存在であるかもしれません。一方である面では優れ優越する面もあるでしょう。
 善悪評価という目からは、その中の一面しか見ることができません。見方によって、傲慢な勝利から、人間のクズという感情を行き来します。
 中庸の目で自分を見るとは、傲慢に陥ることなく自分の長所を知り、卑下に陥ることなく自分の短所を見ることです。その人間がひとつの主体として生き、前に進む存在であることを宣言することです。
 自己への中庸の目を持つことが、真の自己への自信への第一歩です。
 バーンズが真の自尊心について述べたように、それは人から与えられるものでもないし、勝ち取るものでもありません。勝ち取れるものでさえもないのです。



2003.5.19
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