■ 心理療法にはかかわりなく起きる「心の膿」の放出 / しまの |
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朝新聞を見ていたら、面白い記事が2つ。
ひとつはThe Familyという、広告に混じって無料配布されてるやつだけど、 トップ「旬なこの人」として、「自らの虐待体験を絵本に」「願いはひとつ“愛されたい”」という見出しで 絵本作家のMOMOさんという方。
「絵本を書いている時は、ずっと泣いていました。嫌なことに向き合うのは、うみを絞り出すようなものです。 この絵本を出すことは自分をさらけ出すことにもなるし、ある意味で家族も巻き込んでしまう..(中略)..でも私と同じように虐待の体験を大人になっても引きずっている人たちへのメッセージになれば..(中略)..虐待されている子供の気持ちを知ってもらって、虐待が少しでもなくなればという思いで書きました。」
「小さい頃は自分が悪いことをしたから殴られるんだと思っていました。それが高校生になると、鉄の棒で殴られました。その頃には、これは虐待なんだと気づきました。..(略)」
絵本の解説によると、「虐待される子どもの追い詰められた気持ちをぬいぐるみのクマに託して描いている絵本だ。見ていて胸が切なくなってくる。虐待されている子の悲しみ、それでも親を慕う思いもあふれている。それもそもはず。MOMOさんは、この絵本を自分の体験をもとにして書いたからだ。」
作者は、自分の虐待体験を、「嫌なことだからと胸の奥にしまいこんでいました。友人に話す時も笑い話としてしか話せませんでした。だから、ずっと自分に嘘をついているような気がしていました。」
だが、泣きながらこの絵本を書いていく。 「なんでこんなに殴られてきたのに、父を憎めなかったのだろうと、それがずっと疑問でした。でもこの絵本を30回くらい書き直していくうちに、“愛してほしい”という自分の気持ちにたどりつきました。そこで初めて自分が変わっていくのを感じました。」
ハイブリッドでは「感情の膿」を理論上に位置付けていますが、 それは理論と言うまでもない事実なのであり、逆に言えば、その理論上にこれを言及していない心理療法理論があるとすれば、それは大きな本質を失っていることになる、と感じた次第です。 これに言及した理論とは精神分析であり、精神分析は真実であり続けます。 (まあその中に諸説があって紛糾の素なのだけど...)
さて、この絵本にせよMOMOさん自身にせよ、この膿がどのように、またどの程度まで克服されたのかは、この紙面からは分りませんでしたが、ハイブリッドでは、それが完全に克服される姿を見出しています。
詳しくは今後書いていくとして、もったいぶった話にならないよう、要点を書くならば、 それは“愛されたい気持ちに気づく”ことで終わるものではなく、その気持ちが愛によっては満たされない自己の欠乏であるという智彗を知り、自己を確立しながら生きていく過程そのものの中で、人間的な強さを獲得していくことです。その強さを通して自分を虐待した父の弱さをポーズとしてではなく本当に理解した時、過去はその人の中で、初めて文字通りの「過去」の座に安定するようになります。
あっさり書いたつもりではあるが、きわめて深い話だなぁ。。 2つめの話も今日書けるかな。。 |
No.171 2004/04/23(Fri) 10:26
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□ つけ足し / しまの |
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これも重要な話。 「では“愛されたい”という気持ちはどこに行くのか?」いき場のないこの感情が... それはいらなくなるのです。なぜなら「愛せる」からです。これが「未知」の感情の最大のものかと。 メカ論最後の「愛の喪失と回復」はこのことを書く予定。
「自分は愛されない」という感情は、「愛する能力」の低下によって起きる。これを指摘したのはホーナイです。 |
No.172 2004/04/23(Fri) 10:36
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