■ 感情の膿の理解と克服-3 / しまの |
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感情の膿に対する姿勢の誤りパターンとその軌道修正方法について、ちょっと具体例をあげて考えてみましょう。
「対人恐怖」がこの辺の話の実に典型的なものと言えます。 対人恐怖感情は、一部、感情の膿そのものでもあります。
先日あるメンヘルサイトの掲示板で、こんな内容の投稿を見かけました。 最近「対人恐怖」が強くて、極力外出を控えている。それに伴って「怒り」の気持ちが強く出てきて、子供に当たったりしてしまう。
こんな短い表現だけでも、自分の中の悪感情に対する「心の使い方」の誤りによって、見事に自ら問題を悪化させている姿勢というものが見て取れます。
この人にとって、対人恐怖感情は、あるべからざる悪しき症状であり、それが出ないことが良いこと、それが出ることは悪いこと、という感覚の中でいると思われます。
しかし、対人恐怖感情の膿がそこに「ある」なら、思考法や心の持ち方をどのように工夫しようとも、対人恐怖感情は、起きるのです。 その結果この人は、自分の中に対人恐怖が起きたのを見ると、「良い状態」という基準に合格しなかった自分への自己処罰感情を怒りを体験することになります。その苛立ちを他に、それも子供に当てるとなると、間違いなく、「良い母親」というまた別の基準からの、自己軽蔑感情を引き起こさざるを得ないでしょう。
ここまでは、起きた対人恐怖感情の結果、「自分は駄目だ」というネガティブ反応に流れただけの問題です。 重要なのは、こうした態度を取る裏で、心に何が起きるかです。 それは、「対人恐怖に怯える自分」が、自らによって、あるべからざるものとして位置付けられ、疎外され、弾劾されるというあり方が問題だと、ハイブリッドでは考えています。
「対人恐怖に怯える自分」など、病気であり薬で切り離すに越したことはないと、その人やその人の主治医は考えているかもしれません。これは心の病への認識そのものにも、多少絡んでくる話です。
ハイブリッドでは、その「対人恐怖に怯える自分」こそが自分の「魂」であり、感情の源泉であると考えています。その感情の源泉に対するその人自身の姿勢によって、湧き出る感情は変化します。 自己処罰的な姿勢をすれば、毒のある抑うつ的な自己卑下感情が湧き出るでしょうし、自己受容的な姿勢をすれば、和らいだ感情が湧き出るでしょう。
従って、対人恐怖を「あるべからざる悪しき症状」と見なす姿勢そのものが、その人の感情悪化の大きな原因になっている、ということです。
ですから、自分の対人恐怖感情を受け入れ、自分をいたわる姿勢を持つことです。「基本的自己受容」。 それによって、対人恐怖感情が和らいでいく..のではないです。 感情の膿があるかぎり、変わりません。それに輪をかけて自分から問題を悪化させることを止めることまでが、基本的自己受容によってできることです。
本格的に対人恐怖が消えるのは、どんな過程を経てか。 僕自身の例も振り返って、それを次に考えましょう。 |
No.604 2005/05/30(Mon) 22:05
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