■ 自動思考とハイブリッド思考-5 / しまの |
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■基本的自己受容おさらい
その4では、「今まず何を問題にすべきか」が問われること、そして大抵は、「問題だと感じた感情」そのものよりも、その感情を問題だと感じる姿勢の方が問題になる、という話をしました。 要は、自分を改善しようとする姿勢が自己否定ストレスになっているというものです。
この轍を減らすために、まず「基本的自己受容」というのを意識して頂く。 「今の自分を受け入れる」ではなく、「自分独自の速度と内容で成長する意志」です。
具体的場面においてそれは、「良くなった姿」を自分に当てはめて、目に見える問題を一気に解決しようとする焦りの誤りを自覚することであったり、あまりに厳格で高潔な姿勢で自分に向っている場合は、まだ赤ちゃんの状態である自分の心に寄り添うことを意識することであったり、絶望感におおわれている場合は、絶望の断絶の後にこそ未知の自己が再生するという心理学の目を自分に向けることであったりします。
いずれにせよ「こんな自分に」ではないということです。 自分の理想像を持つこと自体を否定はしません。それはいったん脇において、自分の成長を促すものを取り入れ、妨げるものを捨てていくという、心理学の目を持つことです。 あるいは自己理想像の内容が、成長を妨げるものとして焦点にあたるかも知れません。
では自分独自の成長の内容と速度そのものは、どのように知ることができるのか。知ることはできません。 「あらかじめ」知るという目を向けた時、それは見失われます。 このことを受け入れるのが、基本的自己受容です。
■感情は正さない
そうした「自分独自の成長」という基本姿勢の中で、より具体的な取り組みをしていくわけですが、この姿勢は具体的な感情への取り組み姿勢についても、ひとつの基本姿勢を示唆しています。感情への基本姿勢と言えるものです。
それは「感情は正さない」です。感情は変えようとしない。その代わりに、感情を生み出す原因の方に対処します。
これも医学の姿勢とほぼ同じものです。 「怒り」を「頭痛」に例えるならば、頭痛の症状そのものを緩和するために、頭痛薬を飲むことで軽減できます。それが先のカキコでのリラクゼーションに該当します。 しかしそれは頭痛の根本原因について何をするものでもありません。もしそれが何か対処の必要な原因を持つものであるなら、根本治癒のためには、頭痛という症状の対処ではなく、原因への対処が必要です。 その段階にもなって頭痛をなくそうとするということは、例えば頭を氷漬けにして麻痺させるような話になってきてしまいます。
ところが何と世にある「感情改善術」のほとんどが、それをやっているわけです!
ハブリッドがことさら口をすっぱくして(^^;)「感情は正さない」と言っているのは、逆に言うと、人間の心には実際のところ、「感情を正す」という心の機能が多少あるということであり、ハブリッドではその機能の使用を心の健康を害するものであると考えているということです。
これは自己操縦心性の解説でも述べますが、「感情の強制」という形を取ります。 それはまず「こうゆう感情でいることが望ましい」という観念から始まります。そんな感情になっている自分を空想し、実際のところそう感じているのだという、ちょっとしたストレスをかけます。 ありがちなのが「感謝の心」や「許し」など。あとは「やる気」「平静」「素直」「信頼」などなど。
で、そうできてしまうわけです。それに逆らう感情が少ないうちは、です。 逆らう感情が大きくなってくると、より強いストレスをかける必要が出てきます。すると今度はストレスそのものが意識に現れるようになります。無理が出てきて、「こんな感情」でいることがきなくなる。 これは「自分が望ましい状態」ではないという、自己否定感情を生みます。 自己否定感情は、「望ましい感情」になることを、まず間違いなく妨げる感情です。今度はそれが「身内の敵」のように見えてくる。 なぜ自己否定感情が起きるのか。自分を受け入れていないからだ。最初の「こんな感情の自分」という自己理想像が問題だ。
でまた、「こうゆう感情でいることが望ましい」という自分の感情を否定する。そんなこと考えない、というちょっとしたストレスを使ってです。 しかし、やはりこの社会で生きている限り..となる。 どこまで行ってもきりがありません。心理学の知識がないまま、自分の頭で考えようとすると、まずこうなります。
ハイブリッドでは、そうした「感情を正す」という方法を一切使わずに、感情の根本的原因の方に取り組むという方法をとります。
その具体的内容を次に。
いつまでいっても「怒りをなくす」ための思考法が出てきませんねぇ。。 実は最後まで出てこなかったりするかも知れません。今言った通り、怒りそのものではなく、その原因の方に取り組むのですから。 この方法のためには、原因を知るという、専門医学と同じことが求められます。そして見出した原因への対処は、これまた専門的な心理学としての答えがあります
医学の姿勢と全く同じです。 |
No.759 2005/10/27(Thu) 13:21
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