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過去ログ
2005.10


自動思考とハイブリッド思考-5 / しまの

■基本的自己受容おさらい

その4では、「今まず何を問題にすべきか」が問われること、そして大抵は、「問題だと感じた感情」そのものよりも、その感情を問題だと感じる姿勢の方が問題になる、という話をしました。
要は、自分を改善しようとする姿勢が自己否定ストレスになっているというものです。

この轍を減らすために、まず「基本的自己受容」というのを意識して頂く。
「今の自分を受け入れる」ではなく、「自分独自の速度と内容で成長する意志」です。

具体的場面においてそれは、「良くなった姿」を自分に当てはめて、目に見える問題を一気に解決しようとする焦りの誤りを自覚することであったり、あまりに厳格で高潔な姿勢で自分に向っている場合は、まだ赤ちゃんの状態である自分の心に寄り添うことを意識することであったり、絶望感におおわれている場合は、絶望の断絶の後にこそ未知の自己が再生するという心理学の目を自分に向けることであったりします。

いずれにせよ「こんな自分に」ではないということです。
自分の理想像を持つこと自体を否定はしません。それはいったん脇において、自分の成長を促すものを取り入れ、妨げるものを捨てていくという、心理学の目を持つことです。
あるいは自己理想像の内容が、成長を妨げるものとして焦点にあたるかも知れません。

では自分独自の成長の内容と速度そのものは、どのように知ることができるのか。知ることはできません。
「あらかじめ」知るという目を向けた時、それは見失われます。
このことを受け入れるのが、基本的自己受容です。


■感情は正さない

そうした「自分独自の成長」という基本姿勢の中で、より具体的な取り組みをしていくわけですが、この姿勢は具体的な感情への取り組み姿勢についても、ひとつの基本姿勢を示唆しています。感情への基本姿勢と言えるものです。

それは「感情は正さない」です。感情は変えようとしない。その代わりに、感情を生み出す原因の方に対処します。

これも医学の姿勢とほぼ同じものです。
「怒り」を「頭痛」に例えるならば、頭痛の症状そのものを緩和するために、頭痛薬を飲むことで軽減できます。それが先のカキコでのリラクゼーションに該当します。
しかしそれは頭痛の根本原因について何をするものでもありません。もしそれが何か対処の必要な原因を持つものであるなら、根本治癒のためには、頭痛という症状の対処ではなく、原因への対処が必要です。
その段階にもなって頭痛をなくそうとするということは、例えば頭を氷漬けにして麻痺させるような話になってきてしまいます。

ところが何と世にある「感情改善術」のほとんどが、それをやっているわけです!

ハブリッドがことさら口をすっぱくして(^^;)「感情は正さない」と言っているのは、逆に言うと、人間の心には実際のところ、「感情を正す」という心の機能が多少あるということであり、ハブリッドではその機能の使用を心の健康を害するものであると考えているということです。

これは自己操縦心性の解説でも述べますが、「感情の強制」という形を取ります。
それはまず「こうゆう感情でいることが望ましい」という観念から始まります。そんな感情になっている自分を空想し、実際のところそう感じているのだという、ちょっとしたストレスをかけます。
ありがちなのが「感謝の心」や「許し」など。あとは「やる気」「平静」「素直」「信頼」などなど。

で、そうできてしまうわけです。それに逆らう感情が少ないうちは、です。
逆らう感情が大きくなってくると、より強いストレスをかける必要が出てきます。すると今度はストレスそのものが意識に現れるようになります。無理が出てきて、「こんな感情」でいることがきなくなる。
これは「自分が望ましい状態」ではないという、自己否定感情を生みます。
自己否定感情は、「望ましい感情」になることを、まず間違いなく妨げる感情です。今度はそれが「身内の敵」のように見えてくる。
なぜ自己否定感情が起きるのか。自分を受け入れていないからだ。最初の「こんな感情の自分」という自己理想像が問題だ。

でまた、「こうゆう感情でいることが望ましい」という自分の感情を否定する。そんなこと考えない、というちょっとしたストレスを使ってです。
しかし、やはりこの社会で生きている限り..となる。
どこまで行ってもきりがありません。心理学の知識がないまま、自分の頭で考えようとすると、まずこうなります。

ハイブリッドでは、そうした「感情を正す」という方法を一切使わずに、感情の根本的原因の方に取り組むという方法をとります。

その具体的内容を次に。

いつまでいっても「怒りをなくす」ための思考法が出てきませんねぇ。。
実は最後まで出てこなかったりするかも知れません。今言った通り、怒りそのものではなく、その原因の方に取り組むのですから。
この方法のためには、原因を知るという、専門医学と同じことが求められます。そして見出した原因への対処は、これまた専門的な心理学としての答えがあります

医学の姿勢と全く同じです。

No.759 2005/10/27(Thu) 13:21

有料カウンセリング開店&ダイジェスト近況など / しまの

さきほど「インデックス」を更新のついで(?)に、有料カウンセリングの看板上げときました。
コースと料金設定など、かなり考えた結果ですが、まあリーズナブルで結構良心的お値段設定ではないかと。アハ。
なお今まで相談寄せられた方は、島野の活動助走期のご愛顧への感謝ということで、これまでと同じでよろしくー。

大手ポータルへの登録はまだなんですけどね。諸般の事情(?^^;)より、そろそろ潮時かと。
ヤフーの方は駄目っぽい感じですねー。何せこの手のサイトは全然登録されてない模様で。加藤諦三さんとか夜回り先生とかも載ってないほどですからねー。

ということで他のポータル登録の手はずなど考えたいと思っていますが、ちょっとこの数日ダイジェストなどの出版本向け執筆とメール相談対応の比率というのを考え直す機会となり(あ、あと掲示板解説もある)、「やはり出版本最優先か!」とか考えもしたのですが、結局ひとつの執筆テーマだけでの集中ってあんま続かないんですよねー。
結局、適当に集中が切れたらもう一方の作業に移る、という行き当たりばったりモードが一番いいという結論に達した次第。アハハ。

次はこの出店モードでポータル登録にあたろうと思いますが、明日以降の気分で決めるという感じで、また申請しても登録されない可能性もあり得、しばらく開店休業状態が続くかも。あっはっは。

さて、ということで今はダイジェストの続編にまた気合が入っている感じですが、後日談モードであっさりというつもりだったのが例によりまた長くなりそうな気配。
結局最長になった「現実への帰還」よりは短くて済むとは思うんだけど。。

ちょっと簡単に流れなど紹介しますと、人生の危機を超えたあと、物事がうまく収まっていく..という感じかと思いきや、今までとは全く異質な問題を自分自身の中に見出す主人公の描写という感じがキモになります。
まそれがサイトのIntroductionに書いたような後の前半生を概観する最後の章につながるわけです。まそうであってこそ、この物語の全体が見事なつながりになるのではと、気合ひとしおの今日この頃。

当時の日記を読み返して改めてそんなこともあったのかと感嘆したり、例により自分でウルウルしたりしながら書いたりしてマス。
章を締める言葉が浮かぶ頃、ラストスパートに入るという感じですが、そんな段階に入ったところですね。
今度の締めの言葉は、「自分にこれから何があるのかは分かっている」。そんな感じ。
う〜んニヒル。あっはっは。

No.758 2005/10/26(Wed) 16:03

自動思考とハイブリッド思考-4 / しまの

基本は医学の姿勢と全く同じで、心理学の視点で、何が起きているのかを理解し、心の健康と成長のために、今までとは異なる心の姿勢を学び、選択肢として検討する。
ということですが、実例としておやじさんの質問例を取り上げます。

>>「自動思考」は感情に付随するものとして、そのまま湧き出るにまかせ、
>>自己を深く知るためにはむしろ明瞭化する。
>とありますが、自動思考が次ぎから次ぎに湧いてきて、
>その思考が怒りを含んでいる場合(殆どの自動感情は怒りを含んでいますが・・・。)
>自動思考を涌き出るにまかせていると疲れてしまいます。
>その時は強制的に打ち切っても良いのでしょうか?
>簡単には打ち切れる物でもないのですが、自然に治まるまで待つのでしょうか?

■何を問題として取り上げるか

このような実際場面に臨んでみると、実は上述の「基本」の中では説明していない事柄がさらに一つ、しかも最初に出てきます。しかもこれが結構根本的に重用です。
それは「そもそも何を問題と感じ、取り上げるか」ということです。

本人は「自分の中のこの感情が問題だ」と感じる。
しかし、心理学の目から見るならば、その感情が問題なのではなく、その感情を問題だと感じるその人の思考の方が問題だということが、得てしてあります。
本人はそれに気付かず、「この感情」を何とか霧散させようと躍起になる。カウンセラーはむしろ、その躍起になっている焦りの方を解除する方向に、その人を導くことが必要になる。こんなことが良くある、というかそれが普通です。

独力で取り組む場合も、同じ状況が自分に当てはまらないかを、適宜考えて頂くのが極めて有益です。
この感情を何とかしたい。どうすればいいのだろう。ハイブリッド心理学はどうせよと言っているのだろう。
そうして幾ら考えても袋小路に行き当たるような感じになる場合は、間違いなくそれです。それが問題なのではなく、それを問題だと感じる自分の思考の方に何かがあるのではないか。
視点を変えて考えて見るのがいいですね。


■一つづつ対処していく

実際の場面ではさらに、何を問題と考えるにせよ、複数の問題が同時に起きているのが大抵です。
それに対して、今何に対して、自分は対処の姿勢を向けるべきか。その「選択」がまず重要になります。

心理障害でせっぱ詰まった状態の人は、「良くなった状態」を思い描き、自分をその姿に当てはめるような思考に捉われていることが良くあり、自分の中に見えるあの問題この問題も全て一気に解決しなければというような焦りの中にいがちです。
で実際そんなことは不可能なのですが、一気に解決できない自分に「こんな自分なんて」という自己処罰感情を向ける姿が見られます。

まず最初に対処すべきは、その、一気に「良くなった状態」になろうとする焦りだ、ということになります。

ハイブリッドでは最初の入り口として、全ての方にこれを提示しています。「基本的自己受容」です。
ハイブリッドの「基本的自己受容」とは、良く言われがちな「現在の自分を受け入れる」などではなく、「唯一無二の存在としての自分に固有の内容と速度で成長する意志」のことを言います。現状維持ではなく、変化への意志が前提です。

ひとつづつ解きほぐして行きます。
その分確実に、解きほぐして行く。


■実例説明:問題の候補

相変わらず前説が続きましたが(^^;)、今回の例で言うと、何を問題とするかには、2つが候補になると思います。
ひとつは、怒りを含んだ思考を続けて起きしまった「疲労」です。
もうひとつは、その「怒り」そのものです。怒りは不快な感情なので、なくしたい。

これも医学と同じ話ですが、急を要する、せっぱ詰まった問題から対処するのでいいと思います。

疲労が激しいなら、まずその解消を図ることは、良いことだと思います。
あれこれ考えても何の解決にもならないのを感じたら、ラリックスできる活動や休息で、その思考を多少強制的に排除するのでも別に構わないと思います。

中断できない。何の解決にもならない怒りがどんどん込み上げてくる。怒りを収められないことに、余計にイライラしてくる。


■怒りへの2面の対処

怒りは体に悪影響を及ぼす感情なので、それに対する対処には、身体的リラクゼーションというものがほぼ常に有益だと思います。
自分では制御できない怒りの発作症状のような深刻なものに対しては、強制的なリラクゼーション法で停止させるという方法が考えられます。
自分では制御できないのなら、それしかないかと。
最近知ったのですが、ツボを叩く「TFT療法」というのが、結構有効な感じがします。

自分で制御できるようであれば、怒りそのものについては心理学的アプローチをするということになる。

つまり質問で「強制的に打ち切っても良いのでしょうか」とありましたが、それについては以下の答え。

強制的に打ち切ることが必要なほど心身疲労を感じる部分には、リラクゼーションによる打ち切りをするのがいいと思います。
それ程ではない、冷静に思考できる部分については、ハイブリッドなどの心理的取り組みをするといいと思います。

自分の怒り症状に、その2つをうまく組み合わせるというのがいいと思いますね。

その場その場でどっちがいいかは、その感情を直接知る本人のみが決めることができる。まあこれが最初の「自分で決める選択」ということになるかも知れませんね。

冷静に思考することにした場合の、ハイブリッドでの進め方を次に。

No.755 2005/10/24(Mon) 00:35

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-4 / おやじ

お邪魔します。
解説ありがとうございます。

>その感情が問題なのではなく、その感情を問題だと感じるその人の思考の方が
>問題だということが、得てしてあります。

一つの感情に対するもう一つの感情。やっと判りました。
メイル相談で指摘されていましたが判りませんでした。

>自分の中に見えるあの問題この問題も全て一気に解決しなければ
>というような焦りの中にいがちです。

心理障害の成せる技ですね?^^;

>で実際そんなことは不可能なのですが、一気に解決できない自分に
>「こんな自分なんて」という自己処罰感情を向ける姿が見られます。

これが感情に対する感情と言うやつですね?
これの所為で最初の問題が不鮮明になり、迷路に入って行き焦ってしまう。
そして疲れる原因でもあるのですね?

>ハイブリッドでは最初の入り口として、全ての方にこれを提示しています。
>「基本的自己受容」です。
>ハイブリッドの「基本的自己受容」とは、良く言われがちな
>「現在の自分を受け入れる」などではなく、「唯一無二の存在としての
>自分に固有の内容と速度で成長する意志」のことを言います。

成長する程度に応じて自分を受け入れられるようになると思っていました。
自己受容が出来ていたら心理障害はならなかった、自己受容出来なかったから
心理障害になった・・・・・・?。

>「唯一無二の存在としての自分に固有の内容と速度で成長する意志」
>のことを言います現状維持ではなく、変化への意志が前提です。

「自分に固有の内容と速度で成長する意志」は判りますが難しいですね。
時々他人と、特に同年代の人と自分を比較してしまいますね。
「俺は俺、彼は彼!」とは思うのですが・・・・^^;

自動思考とハイブリッド思考-4で、また前進しました。有難う御座いました。

No.756 2005/10/24(Mon) 09:33

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-4 / しまの

どうも〜。

>>で実際そんなことは不可能なのですが、一気に解決できない自分に
>>「こんな自分なんて」という自己処罰感情を向ける姿が見られます。
>これが感情に対する感情と言うやつですね?
>これの所為で最初の問題が不鮮明になり、迷路に入って行き焦ってしまう。
>そして疲れる原因でもあるのですね?

そうですね。自己操縦心性というのは、そういった「感情への感情」からできている塊のようなもので、それが自分では意識できないほど深いところで働いているという感じです。
至るところにある。『マトリックス』です。アハハ。

それを理解しておくと、心もとない自分の心の動きが多少分かってきて、「感情への感情」も次第に解かれていきます。
それで「最初の問題」に直接取り組めるようになってくるという次第。

No.757 2005/10/25(Tue) 00:44

驚き!シーズン初スキー・オープン / しまの

静岡県裾野市須山の「スノータウン・イエティ」とのこと。
まだ残暑の記憶も残っている今とは、驚き。

ちなみに去年はと、掲示板につれづれカキコしたので確認したところやはり同じゲレンデで、10月22日オープンだった。
去年より1日早い。いいんじゃないですかァー。

出版収入を見込むのは難しい今シーズン、果たしてどれだけ行けるか..^^;

No.754 2005/10/21(Fri) 13:05

自動思考とハイブリッド思考-3 / しまの

■基本は医学と同じ

自動感情・自動思考に対して、ハイブリッド思考というものを立てていくわけですが、基本的な考え方は身体の医学の姿勢と全く同じです。
何が起きているのかを知り、より良い状態にするための、医学的な知識に基づいた姿勢を取る。

ここには主に2つの事柄が出ています。
ひとつは、医学的知識をまず知らなければ始まらない、ということです。
もうひとつは、今までとは違ったことをする、ということです。

ハイブリッド心理学も、全く同じです。
心に何が起きているのか、どうすればより良い心の状態になるのか。その心理学知識がまず必要になります。
つぎに、それに基づいて、今までとは違う心の姿勢を取る。

まず最初に、そもそもそうした医学的姿勢が取れるか、という問題があります。

「医者が嫌い」だという人がいます。
深刻な病気が疑われた時、病院に行くのを嫌がって、そのままにして、病状を進行させてしまう人がいます。
西洋医学に不信の目を向けて、怪しい神秘療法にのめり込む人もいます。

「歯医者が嫌い」というのと、こうした心への取り組みに不向きというのが、ほぼ一致しているような気がします。
歯科で行う治療はまず快いものであることはないので、一時的不快や苦痛と、長期的な快適を比較し、後者を選択するという自己客観視自制力が必要です。


■自分への強制はしない

それでも身体の医学とは異なる点があり、それは「今までとは違う姿勢」を、自分に強制はしないということです。
これは、心の問題の根底が「自己へのストレス」なので、今までと思考内容を変えても、それを自分に強制したのでは、同じことの繰り返しだからです。


これが心理障害の治癒の、根本的に難しいところのひとつです。
そもそも心理障害とは、自己へのストレスがもう自分の意識では解けないほどがんじがらめになった状態です。その中で何をどう考えようと、やはり自分へのストレスの形になります。

ここでは、過度の自制心が問題になります。


■「選択」

このため、ハイブリッド心理学の伝え方そのものでもありますが、「選択肢を伝え、選択を委ねる」という形を取ります。

心にはどんな選択肢があり、それぞれ選択するとどんなメリット・デメリットがあるのかを理解する。
それを自分自身の人生の幸福という観点から、なるべく客観的に比較評価し、選択を委ねる。
自分自身においても、「委ねる」ということに、多分になると思います。
何に委ねるかというと、自分自身の心に、です。

しかしまあその心に問題が起きているわけで、やはりそう簡単に片付かない状況があります。


■「今何を変えることができるのか」

心の問題は、複雑なメカニズムの中で複雑に絡み合い連鎖していますので、今目の前でどうにかしたいものについて、別の「選択肢」を知ったところで、そう容易には「望ましい方を選択」できるものではありません。
別の問題がその問題を供給しているのであれば、先にそっちに取り組む必要があります。そっちに取り組む時、やはりそっちの問題について、「選択肢」を知り、選択を検討する。

これもやはり身体の医学と同じです。

変えたいことを今変えられるとは限らない。今何を変えることができるのかを知ることがまず必要です。


■感情の種類と問題状況に応じた答えがある

そしてこれも身体の医学と同じように、問題の部位と症状、他の問題の有無、その影響度合い、さらにその人の体力度合いなど、さまざまな要因が関連し合い、ひとつひとつの心の問題で「今何がどんな順序で変えられるか」は実にバラエティに富んでいます。

しかしそれは「ケースバイケースで答えが違ってくる」のではなく、答えは決まっています。どれが今答えになるのかが、さまざまな要因が絡むため容易には判断できないということです。

まったく医学と同じで、より正確な専門知識と経験をつむことが重要です。
ハイブリッド心理学は必要な知識を全て網羅することを目指しています。だからこんなに膨大に書きつづけている。

「それを一般人にもしろと言うのか?」と質問が出ると思います。そうです。

なぜなら人の心を他人が直接見ることはできないので、自分自身で医者の役割をするしかないと思います。

新しく理論を作るのは膨大な作業な必要ですが、できている理論を学ぶのは、遥かに少ない労力で可能です。
ですから、ハブリッド心理学を学んで頂き、実際に役立てて頂くことは、十分に可能だと思っています。
またそれを全て独力でというもの大変ですから、カウンセリングも役に立つと思います。

とりあえず、これが回答です。

後は問題とする感情や思考の内容と症状に応じた各論になります。
大まかには、その2で書いた3種類の方向性があるということ。

総論解説はとりあえずこんなところにしておいて、次のカキコでおやじさんの質問例を取り上げて具体例を解説します。

No.753 2005/10/20(Thu) 14:07

自動思考とハイブリッド思考-2 / しまの

■ハイブリッド思考

「自動思考」は感情に付随するものとして、そのまま湧き出るにまかせ、自己を深く知るためにはむしろ明瞭化する。

それに対して、自動感情にできるだけ流されない思考も作っていく。
なおここで「自動感情」という言葉も使っていますが、単に「感情」という場合と大差はありません。感情というのは基本的に自動的に湧き出るものです。ただし「強制された感情」という別種の感情もあります。
これは自己操縦心性が演出するもので、詳しくは自己操縦心性の解説で説明します。この場合も意識上は自動感情として体験されますので、今回の話にはこの違いは影響しません。

新しく作っていく、感情に流されない思考の方を、「ハイブリッド思考」と呼んでおこうと思います。

これ考えていて、一度「純粋知性思考」とか「客観思考」とかにしようかと浮かんだのですが、使わないでおきます。
その理由は、ハイブリッド心理学では、基本的に感情から完全に独立した知性思考や客観思考を大して重要視していないからです。

ハイブリッド心理学はあくまで「人生の心理学」であり、人生の幸福を追求するために最も合理的な心のあり方を定義しようとするものです。
その基本的な理念として、人間は感情によって生きる、と考えています。
感情がなければ、無味乾燥した人生があるだけです。そんなものは求めてません。
そして感情の中でも「望み」つまり「欲求」に比重を置いています。自ら抱く望みにより、生き生きと生きる動きが生まれるのであり、その充足による快感や、力を尽くすこと自体がもたらす満足感、そして現実の壁にぶつかる困苦や喪失の悲しみなどの全てが、人間の心を豊かにし、人生を満足にするのだという基本的考えに立っています。

「感情に流されない」という時、ありがちな「欲望vs理性」という構図でいう「理性」のことを言っているのでもありません。それは道徳用語です。
心理学からすれば、それは一つの欲求と、それを押さえようとする別の欲求があるに過ぎません。

ですからつまり、ハイブリッドとして「自動感情」に流れない思考を作っていくという時、漠然と「感情に流されない知性や理性」のことを言っているのではなく、ハイブリッド心理学として定めた特定の具体的思考のことを指します。

それを「サマリー」に示したような「7つの領域」に整理しているのですが、自動感情に流されない思考という点では、大きく3つの方向性に立つ思考です。

1)現実志向の思考..「感情による決め付けの解除」に代表される。空想によって現実が覆われる心理障害の病理思考に積極的に抵抗する
これは「それ以上心が曲がる姿勢をやめる」段階でまず焦点になります。「7つの領域」の中では「5 感情改善の基礎」が最も関係します。

2)自己方向付けの思考..自動感情(自動思考)が示すのではない方向として、人間の心にどんな選択肢があるのかを学び、その選択を検討する。価値観の根本変革の検討。
これは「曲がってしまった心の症状を減らす」段階で焦点になります。「7つの領域」の中では「3 自己を成長させる心の姿勢」「4 人生再建への心理学と行動学」が最も関係します。

3)再生の思考..建設的絶望の後に未知の感情が生まれるという、心の治癒成長の姿を知り、実際その峠を乗り越えるための思考です。これは自己操縦心性の崩壊の時に、「実存を維持する」ために必要になります。
これは「心をまっすぐに戻す」段階で焦点になります。「7つの領域」の中では「7 心の手術」が最も関係します。

このように、ハイブリッド心理学で「感情に流されない思考」という時、それは抽象的な知性論などを言っているのではなく、その具体的内容と道筋までを示したものなのです。

自動感情・自動思考に対してこれをどのように位置付けていくかを、具体的例など出しながら次に説明します。

No.747 2005/10/18(Tue) 11:46

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-2 / ハリー

それは量子力学で言うとどういうことですか?

No.748 2005/10/18(Tue) 14:00

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-2 / しまの

この話と量子力学は無関係です。
なお量子力学は、ハイブリッド心理学そのものではなく、島野の「意識論」で扱っています。
関心があれば以下ご参考下さい。
http://tspsycho.k-server.org/theory/0a/0a3.html

No.749 2005/10/18(Tue) 14:33

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-2 / おやじ

おたずねします。

>「自動思考」は感情に付随するものとして、そのまま湧き出るにまかせ、
>自己を深く知るためにはむしろ明瞭化する。

とありますが、自動思考が次ぎから次ぎに湧いてきて、
その思考が怒りを含んでいる場合(殆どの自動感情は怒りを含んでいますが・・・。)
自動思考を涌き出るにまかせていると疲れてしまいます。
その時は強制的に打ち切っても良いのでしょうか?
簡単には打ち切れる物でもないのですが、自然に治まるまで待つのでしょうか?

No.750 2005/10/20(Thu) 04:08

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-2 / しまの

どうも〜。
次のカキコで説明しまーす。

No.751 2005/10/20(Thu) 11:49

 
Re: 自動思考とハイブリッド思考-2 / しまの

その3はもう一つ一般解説を書き、その4にてということで。

No.752 2005/10/20(Thu) 14:06

自動思考とハイブリッド思考-1 / しまの

おやじさんからの質問、10/15「思考」のレスの続きとして解説したいと思います。
>解説に「自動思考」という言葉があります。これは初登場ではないでしょうか?
>私の場合、感情と思考の境目が曖昧です。
>ある感情が湧くと、それに対する思考は、いつも同じ様な感じでワンパターンです。
>これが「自動思考」なのですね?
>自動感情と自動思考がワンセットになっている感じです。
>行動の方は自動感情に流されないようにはなってきましたが、思考の方はまだ自動感情に流されています。
>そして自動感情の「打ち消し」や「許し」といった間違った思考をしていました。
>「自動思考」について具体的な解説をお願い致します。


■自動思考

確かに「自動思考」という言葉を使ったのは初めてかも知れませんね。

自動思考とは異なる思考を確立することが極めて重要になるのですが、その進め方は僕自身はあまり意識しないままやっていたので、理論として明確に表現しないままになっていたものです。
このように基本の基本として重要なことが結構説明されないままになっていることが得てしてありますので、疑問を感じたことはどしどし質問ください。

で改めて「自動思考」とは、書いて頂いた通り、感情に流されて動く思考です。もしくは感情をそのまま表現した思考です。

ハイブリッドでは、自動思考は感情と同じものとして扱います。変えようとはせず、ありのままに、深く知る。
さらに言うならば、感情を深く知るために、自動思考を明瞭化するということをします。感情の微妙な違いを、言葉にして明瞭にするわけです。
同じ「愛している」でも、「あの人がいないと自分は空虚で寂しい」というのと、「あの人を自分のものにしたい」という感情は、異なる感情です。

実際自動思考として言葉にしないと、微妙な感情の違いというのは把握できないと思います。
そもそも感情メカニズム理論とは、人間の中にそうして動く自動思考を整理体系化したものだと言うこともできます。

これに対してどうするのかを次に。

No.746 2005/10/18(Tue) 09:44

思考 / おやじ

おやじです 御邪魔します。

思考についてお尋ねします。
例えば、私が嫌いなAさんと偶然会いました。少し言葉を交わします。Aさんと別れた後、私はAさんの短所、欠点をあげつらいます。

(自動感情)−−−Aさんと会った時点で起こっています。嫌悪感があります。

巻き込まれないようにする。知ることだけにとどめる。

(行動)−−−嫌っている事を出さずに「にこやかに」挨拶をして会話をする。
↑感情と分離 建設的な行動

問題の思考ですが・・・・・。
(思考)−−−Aさんに対する感情の事を考えるのでしょうか?
       Aさんにも良い面はあるとか、嫌悪感は外化ではないかとか。

下記はメイル相談からの抜粋です。もう少し説明をお願いします。

自分が何を考え、何故そう考えるのかを、自ら理解納得し、より確かなものにしていく真剣さです。ここでは「論理性」が結構問われてきます。

感情−−思考−−行動(なんとなく判るのですが)において具体的な解説をお願い出来ないでしょうか?

以上 宜しくお願いします。

No.741 2005/10/15(Sat) 04:27

 
返答その1:抽象編 / しまの

ど〜も〜。
2つに分けて返答を書きましょう。最初のは抽象編^^;

>感情−−思考−−行動(なんとなく判るのですが)において

う〜んこれは「ある感情が起きる。それに対してハイブリッド的思考をする。それに基づいた行動をする」というようなイメージでしょうかねぇ。
ハブリッドの取り組みは、そうゆう感じではないです。
あくまで、「感情と行動の分離」です。
  +--思考と行動
  +--感情
という感じ。

思考について何を行うか。ハイブリッドでは「心の治癒成長への道」に示したように、その行き着く先は、「価値観の根本変革」を目指しています。

>Aさんに対する感情の事を考えるのでしょうか?
>Aさんにも良い面はあるとか、嫌悪感は外化ではないかとか。

これはAさんへの感情を良い方に変えたいという気持の中での発想だと思います。
「感情と行動の分離」では、そうではなく、感情の善悪は一切不問とし、行うのは深く知ることだけ。
これが感情面への姿勢です。

思考と行動面では、前にお送りしたメールから引用頂いた通り、

>自分が何を考え、何故そう考えるのかを、自ら理解納得し、より確かなものにしていく真剣さです。
>ここでは「論理性」が結構問われてきます。

今回の例で言うと、

>私はAさんの短所、欠点をあげつらいます。

この「短所・欠点」という観念の背景にある、自分の価値観善悪観を明確に把握することです。
そしてその価値観善悪観の意義、自分の人生においてそれを抱き続けることが妥当なことであるのかを、真剣に検討する。
2005/09/23「ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-1」
2005/09/26「ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-2」

で述べたように、まずは自分の価値感を明確にすることです。次にそれを善悪・優劣・自己欲求という軸のどれかに分類する。
ここで「感情分析」という作業へのつながりが出てきます。

抽象的な説明だけしていますので、難解だと思います・。
まず理解して頂きたいのは、ハイブリッドの基本理念です。それは「感情は意識的に変えようとしない。変えるのは思考法行動法である。」ということです。

感情はどこで改善されるのか。
思考法行動法を変革する過程で、自分の感情を理解して行く「感情分析」の過程、やがてそれは「心の手術」という局面を経て、根本的に変化します。
これは心の自然治癒力と自然成長力によるものであり、一切の人工的改善策の結果ではありません。それに委ねる姿勢が必要になります。

この「二枚岩の姿勢」の確立が、ハイブリッド心理学実践の核となるものです。

これは多くの方が、今までの人生で「感情と思考」について取ってきた態度を、180度入れ替えるような感じだと考えています。
多くの方が、「感情を良くする」ことに意識を向け、思考は何でもありのような。
ハイブリッドの「感情と行動の分離」でクロスするような形で、「思考を突き詰め、感情は意識制御をやめる」にします。


これは命綱を切って闇に出るような感じかも知れません。それに踏み出すかどうかは本人の選択ですね。

No.742 2005/10/16(Sun) 14:55

 
返答その2:具体編 / しまの

では次に本人の意識面から、どんな風にするか。

なお上に書いた「感情は変えようとせず変えるとすれば思考」という「二枚岩姿勢」は、頭で理解してすぐそう切り替えられるものではありません。

何より、自己操縦心性というのが、自分の感情を操縦しようとする心性であり、それが意識より深いところで働いているわけです。
ハイブリッドの「感情と行動の分離」の実践そのものが、何とかして感情を良いものにしようという焦りの中で行われることに、多分になります。
それ込みで進めることになります。それでいいんです、というか、それしか不可能です。

1)行動
感情面と思考行動面という2面に別々に取り組むわけですが、最初は行動面ですね。なぜなら「どう行動するか」は即座に答えを出すことが求められるからです。

これについては、とにかく破壊衝動は行動化しないことですね。「ちょっとAさん、実は俺はあんたが大嫌いなんだ。なぜならあんたは..」と率直に言ったりはしないことです。アハハ。何故ならそうしたところで得るものはないからです。

>嫌っている事を出さずに「にこやかに」挨拶をして会話をする。
>感情と分離 建設的な行動

これはそれでいいと思います。
ただ、「にこやかに」振舞うことは、別に建設的ではないですね。ただ無難な行動であるだけです。
これはメール相談される方でも結構誤解されている方が多いと思います。「建設的」であるとは、対人関係については、自分自身の望みをはっきり持った上で、他者との関係において共通目標共通利益を見出していく行動法のことを言います。

「良好な間柄」という共通利益ではないか。そう考える方もおられるでしょう。
ニイサンそれは本心ですかな、となる。そこから感情分析へのつながりが出てきます。ここでは深追いはやめときましょう。
無難な行動しとけば、それでいいと思います。

2)感情
次。表面ではにこやかに別れた後、相手の悪口を頭の中でさんざん言っている自分に気づく。同時にそんな自分も嫌になってくる。
でどうするか。

■「打ち消し」と「自己理解」

ここで取りえる姿勢にまず2方向があると思います。

ひとつは書いて頂いた、「Aさんにも良い面はあると考える」という類のもの。これがお勧めでない方です。
これは要は「打ち消し」という方法です。自分の考えの結果、感情があまり良いものでなくなった。だからその考えを打ち消して別の考えにしてみる。
これやっていると、自分が何考えているのか、しまいに分からなくなってきます。
同じ発想でよく使われる観念が「許し」です。自分は正しく相手が間違っているという怒りの結果、怒りにおおわれている自分が嫌になります。そこで「許しが大切」とか考えたりする。許す自分が偉く感じるので、感情を多少改善することができます。
こうして「良い感情」を目当てに思考をあれこれ切り替えていると、自己の確立というものができなくなると思います。

ハイブリッドでの「感情と行動の分離」では、感情は変えようとせず、ただ深く知る。
深く知るとは、自分を知るということです。このような感情になったとは、自分はどのようなものの見方考え方をしているということなのか。自分は何を求めているのか。その「現状」を知る。

これがハイブリッドの「感情と行動の分離」での、感情面への姿勢です。
感情は変えようとせず、ただ深く知る。
変えるとすれば思考である。これは、上記の「現状」として捉えられたものの見方考え方を変えることが可能かどうかの検討を行うなります。

表現を変えると、感情を深く知るとは、感情そのものと、それに加えて感情と一緒に動く「自動思考」を把握することです。
「感情と行動の分離」においては、自動思考は感情の一種として、「知る」対象として扱います。
感情から自動思考を分離するようなイメージを持った方もおられると思いますが、それは「打ち消し」というお勧めでない方法ですので誤解なきよう。

■評価軸の内容と種類

自分を知るという姿勢において、具体的に何を知るか

頭の中でAさんの短所欠点をあげつらっている自分に気づく。2つのことを知るのがいいでしょう。
まずはその「短所欠点」という時の、自分の中にある評価軸の内容です。それは容貌外見の話なのか。話しぶりのことか。それとも思いやりとか自己中心性とかいうことか。
もうひとつは、相手の短所欠点をあげつらうという(頭の中での)行為は、何を目的にしたものか。ここで前の「善悪・優劣・自己欲求」という軸の種類が出てきます。

相手の欠点を責めるのは、まず、自分の正しさの主張という「善悪」軸のものか、それとも自分の方が優れていることを確認するという「優劣」軸かのどっちかでしょう。

こうすることで、「自分はこれこれのことで優れることに価値があると感じているのだ。そしてそれを人間の善悪(もしくは優劣)として求めているのだ。」と自己理解できます。

ここまでが感情について行うことです。

3)価値観の検討

具体的場面に際しては、そこまでです。
ここに、感情の改善要素は、ありません
あるとしたら、深く自分を知る過程で、自己欺瞞や抑圧が解除されることです。これはある時突然、大きな開放感として体験されるかも知れません。

具体的場面を超えた継続的実践として、そうして把握していく自分の価値観を見直すということが出てくるわけです。
ハイブリッドの「感情と行動の分離」以降の、さまざまな心理学の理解や、より深い感情分析の実践になります。この先はここでは省略しましょう。

ということで、「感情と行動の分離」という最初のステップの具体的説明をしました。

心の治癒成長への道」に示した通り、ここまでは「それ以上心を曲げる姿勢をやめる」という段階です。
実質的な治癒成長は次の、「曲がってしまった心の症状を減らす」という段階からですが、「二枚岩姿勢」の確立が自然にそこへと導いていくでしょう。

この「二枚岩姿勢」については、先にお送りした返答メールに解説した部分がありますので、後で掲載しておきましょう。

No.743 2005/10/16(Sun) 23:48

 
Re: 思考 / おやじ

おやじです。解説ありがとうございます。

>表現を変えると、感情を深く知るとは、感情そのものと、
>それに加えて感情と一緒に動く「自動思考」を把握することです。
>「感情と行動の分離」においては、自動思考は感情の一種として、
>「知る」対象として扱います。
>感情から自動思考を分離するようなイメージを持った方もおられると思いますが、
>それは「打ち消し」というお勧めでない方法ですので誤解なきよう。

↑の解説に「自動思考」という言葉があります。これは初登場ではないでしょうか?
私の場合、感情と思考の境目が曖昧です。
ある感情が湧くと、それに対する思考は、いつも同じ様な感じでワンパターンです。
これが「自動思考」なのですね?
自動感情と自動思考がワンセットになっている感じです。

行動の方は自動感情に流されないようにはなってきましたが、思考の方はまだ自動感情に流されています。そして自動感情の「打ち消し」や「許し」といった間違った思考をしていました。
「自動思考」について具体的な解説をお願い致します。

No.744 2005/10/17(Mon) 03:26

 
Re: 思考 / しまの

ど〜も〜。

「自動思考と知性思考」として新規カキコで解説しましょう。
レスが金魚のフンみたいにあまり長くなるの好きでないので。アハハ低俗な例え。

No.745 2005/10/17(Mon) 14:09

掲示板の交通整理^^; / しまの

「大手ポータル」に晴れて登録された暁に追加する制限事項ですが、
この掲示板は一般の書き込みは不可とし、島野からの一方向の掲示板としようと思います。
来訪者が増え掲示板利用も増えることが予想されるというか期待して(^^;)、交通整理ということで。

それ以降の質問等は読者広場の方に書いて頂き、目ぼしいものがあればこの掲示板で返答を書くようにします。

ということで、まいつでもいいことですが、今のうちに聞いておきたいような話があれば、それまでこの掲示板の方で質問等歓迎しますので何でもどーぞ。

とりあえずヤフーの「メンタルヘルス - 自己啓発」にまず申請出そうかと思っている次第。

No.736 2005/10/13(Thu) 00:14

 
Re: 掲示板の交通整理^^; / 名無し

登録されるのですねー。
きっととってもこのサイトは繁盛すると思います!
私は、島野さんに何度か質問メールを送っているのですが、
一つ心配です。
来場者が急激に増えても、まだ相談にのってくださいねー。
多分ものすごい盛況になるんじゃないかと思って
それが心配です。
まぁ結局自分の力次第だとは思いますが・・。
ついこんな事を書いてしまいました。
頑張って下さい〜。

No.739 2005/10/13(Thu) 18:07

 
Re: 掲示板の交通整理^^; / しまの

ど〜も〜。

>多分ものすごい盛況になるんじゃないかと思って
だといいんですけどね。一応これで飯食っていこうと思うので。アハハ。

ヤフーに載せてもらえれば有難いですが、それが出来なかった場合他も当たってみようと思います。
相談の方はまた何でもどーぞ^^。

No.740 2005/10/14(Fri) 00:23

喫煙 / おやじ

おやじです お邪魔します。

私は禁煙を実行中です。煙草を吸いたくなり少々辛い時が有ります。
昔の話ですが、私は短期間ですが神経科の病院に通院していた事があります。
その病院の喫煙室で煙草を吸っていると、そこの入院患者も煙草を吸っていました。
喫煙中の入院患者の中にはチエーンスモークをしている人も居ます。
そして煙草の吸い方が全員同じ感じでした。思いきり煙を吸いこんでいました。
私の担当医は、酒を飲み過ぎるなとは言いましたが、煙草に関しては何も言いませんでした。
禁煙によるストレスが治療に悪影響する為でしょうか・・・・・?。

喫煙によるデメリットを考えれば喫煙のメリットは無いに等しいです。
禁煙中の初期に起こる禁断症状のようなものは、ニコチンだけの所為では無いように感じます。
習慣性も有るでしょう。喫煙によるメリットで、気分が落ち付くとか言われますが本当に落ち付くかは疑問です。
喫煙する事によって血圧は上がりますから落ち付かないと私は思います。
何もメリットが無いのに喫煙する、メリットが有るのに禁煙出来ない・・・何故でしょう? 禁煙中の禁断症状は心理的にストレスになり、悪影響になるのでしょうか?
先生の心理教室の主旨からは、はずれているかも知れませんが、
心理学的に説明して頂ければ幸いです。

No.737 2005/10/13(Thu) 04:26

 
Re: 喫煙 / しまの

こんにちはー(珍しく早起き^^;)

>禁煙中の禁断症状は心理的にストレスになり、悪影響になるのでしょうか?

それは文字通り、本人がストレス感を感じるということですね。
「治療上の悪影響」とは、何を治療と考えるかによりますが、とにかく本人のストレス感が経れば「治癒」だと表面的に見るのであれば、「悪影響」とは言えるかも知れません。

察するに、酒を飲めば明らかに、外見上は「精神安定の姿」から遠ざかりますが、喫煙しても外見上はむしろ「精神安定の姿」に近づくのであれば、精神科医からすれば前者を嫌うというのは何となく想像できるところです。

ちなみにハイブリッドが考える心の治癒成長には、あまり関係ないですね。
禁断症状とは、喫煙しないときの空虚感への嫌悪感情と言えると思います。喫煙に逃げるのでなく、心への取り組みが望ましい。

タバコはやはり体に悪いので、やめるにこしたことはないですナ。

No.738 2005/10/13(Thu) 07:23

「先回りの自己嫌悪について」 / おやじ

シリーズ書きこみに割り込んですみません。

No.358 2004/11/24(Wed)に「先回りの自己嫌悪」の書き込みがありました。
詳しい説明をお願い致します。

No.730 2005/10/08(Sat) 13:52

 
Re: 「先回りの自己嫌悪について」 / しまの

おやじさん、メールどうもでしたー。
「先回りの自己嫌悪」ですが、「詳しい解説は別の機会」と言ったまま、詳しい解説まだしてなかったんですねー。

まずこれに触れた、2004/11/24「感情分析実践指南-5:実体のない自己理想化像2」から説明を抜粋しましょう。
あるメンヘルサイトから、自己嫌悪を表明しておられる言葉を引用した部分です。
-----------------------------------------------------
なんで強く生きていけないのか、なんで前向きに生きていけないのか、腹が立つんです。
逆です^^; 腹立ててるから前向きにはならないんです。

詳しい解説は別の機会にしますが、障害感情がこんがらがるところでは、大抵「先回りの自己嫌悪」というメカニズムが働いています。
まだ起きていない(意識化されていない)自分の感情に対して、先回りするように自己嫌悪感情が起きるという現象です。これが起きると、訳もわからず抑うつ気分になったり、敵意に転化される怒りが起きたりします。
何が起きているのかを後からじっくり分析(これは感情分析というより研究の話になってくる)すると、何か時間が逆転するような感じで、先回りした自己嫌悪への反応が起きて、あとからそもそもの自分の感情が見えてくるといった流れが見えます。
これ発見した時は驚きましたね。

で良く「こんな自分なんてナントカダだ」という自己嫌悪の表現が起きますが、感情の流れを逆転させたような思考が起きているのが多いんですね。
「ナントカだ」というものの見方をすることが「こんな自分」を作り出していると。
こんなメカニズムが基本的なところで働くので、思考も感情もぐるぐる状態になりがちです。
-----------------------------------------------------

上の説明では、実は2つの心理現象について言っています。「先回りの自己嫌悪」と「事象と認知の流れの逆転」。

どっちも難解ですが、「事象と認知の流れの逆転」の方がどっちかというと分かりやすいですね。
「前向きになれない自分に、腹が立つ」。腹立ててるから、前向きにならないんです。
「子どもがなつかないので叩いた」。叩くからなつかないんです。
「人に悪く見られるという怒り」も典型的ですね。本人は、人が自分を悪くみることに怒りを抱いているのだと感じますが、回りはその怒りを悪く見るわけです。

まあこれは喧嘩の際に「どっちが先」だと言い争いになるのと同じようなとこがあります。
障害感情においては「外化」によって、外部には何もない所で否定的なやり取りが始まります。その結果、本人は「ああ見られたからこうやり返した」と知覚しているのが、事実は完全に「こう行動した結果人々がああ見る」という逆である場合がしばしばです。

「先回りの自己嫌悪」は、後に起きるであろう自分の感情が自己嫌悪対象になる場合に、その感情を感じる以前に、自己嫌悪感もしくはその感情を外化した攻撃感情が起きるという現象です。

かなり難解な話ですが、実は原因不明の抑うつ感情の主な原因の一つだと考えています。
人とに対してある行動を取る。そのあと意味の分からない抑うつ感に襲われる。そして後になって、自分が相手に対して怒りを抱いて、敵対行動をしようという衝動と、それによって友人関係が破棄されてしまうという悲嘆を体験したりします。

この現象は、自己操縦心性が「感情を監視する感情」であるというのと密接に関連します。
感情がこうあればいい、こうなってはまずい。それが意識よりも深い、感情が湧き出る根元のところで働くわけです。自分にこんな感情が起きそうだという兆候を見るや否や、その「感情への感情」が、感情が意識に届くまえに、起きるであろう感情への評価をした結果である別の感情を生み出し、この感情をさらに予知するかのように「感情への感情」が動く。
そしてある程度の連鎖が瞬間的に動く中の、一種の膠着状態のようなものが、最後に意識で体験されます。

この動きの理解は、自己操縦心性を理解し脱却を図るうえで極めて重要です。このもう少し分かりやすい説明を、「自己操縦心性の成り立ち」の中でする予定。

なお、上に引用した解説で「これ発見した時は驚きましたね」と言っていますが、それがどんな体験だったのか、僕自身の日記をちょっと載せておきます。
後に自分が体験するであろう感情を先に見越して、それへの攻撃感情を起こしていたかのような現象。その心理解釈が果たして正しいものかは何とも難解ですが、とにかく僕自身が感情の流れを振り返った時、時間が逆転しているかのような実に奇妙な印象を強烈に感じたのが特徴でした。

まるで『マトリックス』の中でネオが「預言者」に会ったとき、ネオが花瓶を倒して割ってしまうのを、預言者が先に「気にしないでいいわ」と言った場面のような。ネオが「えっ何をですか?」と言いながら振り返るはずみで花瓶を倒す。「それのことよ」と預言者。そんな奇妙さ。

もっとも難解な解説カキコのひとつだったかと^^;
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2004.7.16(金)
 ここ数日だが、とにかく軟らかくてほのぼのとした気分で何でもやっているのを感じている。いつもニコニコしている自分を感じるようになった。あと最近の傾向として、声の出し方を意識しており、..(中略)..
 今あったちょっとした心理変化、というか感情の観察は、同僚のT氏と喋っていた時のことだ。口から先に生まれたような喋り好きの人間。
 彼が話し掛けてくるのは今日オフィスでやった座席の引越しのことだが、「これはこうするのか。いやこうか。えっじゃそれはどうなるんだ。」という感じで、
“故意に問題を紛糾させて”楽しんでいるような様子に、ちょっとうっとおしいものを感じる。“そんなこと僕に聞かずに秘書のUさんに聞け”と内心で言いながら、一応笑顔で応じる。
 そんな中で、僕には考えようもないことを聞いてくるのを、あっさりと
「う〜ん分からない」と切り捨てるように言った後だ。T氏が黙ったのを見て、僕の中にかすかに、彼が“閉じちゃった”というような感覚が流れるのを見る。かつて良く感じたことのある、“友愛を壊してしまった”という感覚の、もう中身を伴わない残り香のようにそれが僕の中に映った。
 そしてその後、これもやはりもう活力を持たない感覚として僕の中に起きたのは、“壊した友愛”を挽回しようとするかのように、
意味のないことで彼に話し掛け、閉じてしまった馴れ合いの感情を元に戻そうとするかのような衝動の残り香のようなものだった。そうして焦って意味なく話し掛けようとする僕の姿は、“自己満足的な愛情を焦って求める人間”という不快な姿だ。

 これは僕自身の動揺を記すためというより、感情メカニズムを記すためだ。
 鍵は最初の、彼が無駄に話をしようとしているという軽い苛つきにある。その後の感情の流れにはつながりがあるが、最初の苛つきとその時の状況には、どうもつながりがなかった。僕が
T氏の中に見て取って苛ついたのは、苛つきによって壊した馴れ合いを回復しようとする僕の焦りだった。後に起きる自分の感情を先回りして相手の中に映して、それを嫌悪攻撃したというわけだ。
-----------------------------------------------------

No.731 2005/10/09(Sun) 22:05

 
Re: 「先回りの自己嫌悪について」 / おやじ

御丁寧な説明ありがとうございます。

感情がループしている。外化である。と言われると自分でどこまで理解しているか判りませんがなるほどと思います。

なるほどと思いつつ「感情を看視する感情」の辺りは、正直に言って難しいです。
じっくりと頭の中を整理しながら勉強させていただきます。

取りあえずお礼を申し上げます。ありがとうございました。

No.732 2005/10/10(Mon) 09:48

 
Re: 「先回りの自己嫌悪について」 / おやじ

おやじです お邪魔します。
先回りの自己嫌悪について、自分に当てはめてチョット考えてみました。

>「前向きになれない自分に、腹が立つ」。腹立ててるから、前向きにならないんです。
↑この人は本当は前向きになりたくないのじゃないですか?
or
前向きな自分をイメージしているだけなのじゃないですか?
でも現実の自分は違うので腹が立つ。

>「子どもがなつかないので叩いた」。叩くからなつかないんです。
↑この人は本当は子供が嫌いなのじゃないですか?懐いて欲しくないのじゃないですか?
or
子供に好かれる自分をイメージしている。でも現実の自分は違うので、腹が立つ、怒りを子供に向ける。

>「人に悪く見られるという怒り」も典型的ですね。本人は、人が自分を悪くみることに
>怒りを抱いているのだと感じますが、回りはその怒りを悪く見るわけです。
↑この人は人に悪く見られたいのじゃないですか?
「どうせ俺は人から悪く見られるよ」と思っているのじゃないですか?
or
人から良く見られる自分をイメージしている。でも現実の自分は違うので怒る、その怒りを他人に向ける。そして人から嫌われる。

orの部分は自己否定から来てますよね?本当の自分を嫌って理想の自分をイメージしてますよね。理想の自分になりたい、でもなれなかったので怒る。怒りの感情が湧くと益々理想の自分から離れた自分になっていく。・・・・と言う事じゃないでしょうか?

「先回りの自己嫌悪」ですが、例えばAという自動感情が湧いた時。

>自分にこんな感情が起きそうだという兆候を見るや否や、その「感情への感情」が、感
>情が意識に届くまえに、起きるであろう感情への評価をした結果である別の感情を生み
>出し、この感情をさらに予知するかのように「感情への感情」が動く。

↑これはセットされているのではないでしょうか?
Aの自動感情、Bの自動感情、Cの自動感情と其々の感情が湧いた時にはそれ用の回路がありそこを通って意識に現れるのじゃないですか?
操縦心性がそれをコントロールしている。
私の場合は自動感情が湧いた時に採る思考、行動がワンパターンなので、なんとなく
そう感じました。
ある自動感情を持った人が居る、その感情の元には自己否定、自己嫌悪がある、と言うことですよね?

まぁ素人考えですが・・・・・。

No.733 2005/10/11(Tue) 03:06

 
Re: 「先回りの自己嫌悪について」 / しまの

どうもですー。

大体おやじさんの書いた通りですが、それをどう深層心理分析できるかですね。

より本質的には、思考上で何かのパラドックスが起きているということを、この話では問題として取り上げています。
そのパラドックスのため、典型的なケースでは現象と本人の思考が全く逆転しているような姿になることがある。

一種の思考のミスが起きているわけです。ループが時計回りになったり逆回りになったりするような思考の混乱が起きるでしょう。

でそのパラドックス思考を、少し分解したのが、orの後に書いて頂いたような感じになります。理想の自分になれなかったから怒り、さらに理想から遠い自分になる。
これをどう考えるか。

orの前に書いて頂いたような単純な思考で終わらせようとすれば、それはそれで終わりです。「結局自分はその理想の姿にはなりたくないんだ」。ちゃんちゃん、でお終い。
それで終わらせないのが感情分析。その先まで行きたいかどうかですね。


■パラドックス自己理想像

でここでは、自己理想像がパラドックスになっているわけです。
自己理想像は、本来、自分をそれに近づける目標という前向きの役割を果たすのが健全です。ところが、そうではないパラドックス的自己理想像になっているんですね。

ちょっと考えたのですが、今のところ僕にしっくり来る表現は、「自分が理想通りになれないのを、さらに高い理想像を掲げて叩きのめすことを免罪符にしようとしている」かのような自己理想像という感じがします。

かなり複雑な心理メカニズムが潜んでいると思います。
これに似たある心理があります。
「私を好きになるような人を、私は好きになれない」。
「私を入会させてくれるようなレベルの低いサークルには私は入りたくない」。


これは一体何なのか。自己操縦心性は、パラドックスの塊です。
今のところ僕に説明できるのはここまでです。

このパラドックスの微細構造を今後検討し、「自己操縦心性の成り立ち」シリーズにて解説の予定です。
一つだけ言っておけば、このパラドックスを解くには、「現実と空想の逆転」「現実覚醒レベルの低下」という病理現象を考慮する必要があるということです。現実と空想という2次元をまたがって考えないと、解けない。
あともうひとつは、「自分からは望めない」という癌細胞がこの基盤にあります。それを「自分から望んでいるかように」自分を騙すパラドックスです。
とりあえず今はここまで。


■自動感情は後から起きたものが先に体験される

さらにこんがらがってくるかも知れませんが(^^;)、「自動感情は後から起きたものが先に体験される」というのが多分仕組みです。

>Aの自動感情、Bの自動感情、Cの自動感情と其々の感情が湧いた時

これで言うと、Cの自動感情だけが体験され、AとBは膿のように蓄積される形で無意識状態です。

>その感情の元には自己否定、自己嫌悪がある

これはBまでのことを言っている感じですね。その底にさらにAがあるという感じです。
自己否定や自己嫌悪のさらに深層にあるものを意識化していくのが、感情分析です。

こうした仕組みは、感情分析の中で、来歴を通して後に抱かれた感情ほど早期に、来歴の初期の感情ほど後に意識化されるという流れになります。これは僕のダイジェストでも、次第に遡っていくという流れが感じられるのでないかと思います。

No.734 2005/10/11(Tue) 18:34

 
Re: 「先回りの自己嫌悪について」 / おやじ

解説して頂きありがとうございました。

No.735 2005/10/12(Wed) 02:38

自己操縦心性の成り立ち-1:背景その1否定型・受動型の価値感-1 / しまの

心理障害構造の核である「自己操縦心性」について、最新の島野理論の解説をしたいと思います。多分途中に別の話なども交えながら、結構長期になるかと。
その構造を理解すると同時に、そこからの脱却の要件とは何なのかを強く意識しながらまとめたい次第。


■心理障害の構造3要素

まずおさらいですが、今の島野理論ですと、心理障害の構造は3つから成るというシンプルなものに綺麗に落ち着いています。
残存愛情要求感情の膿、そして自己操縦心性です。

残存愛情要求の中で、全ての情動の変形が起きます。これは残存愛情要求を、様々に変形した感情の中の単なる一つのように捉えていたサイト掲載の感情メカ理論から大きく様変わりしたところです。
残存愛情要求という一つの構造と、あとは人間の生来の感情メカの絡み合いで、感情の変形は全て同時発生的に起きます。
まお「残存愛情要求とは何か」シリーズでは、その感情変形の前半までを説明しました。後半はこのシリーズの中で説明します。

感情の膿は、ストレス源です。変形した情動の強迫性を生み出します。
そして自己操縦心性は、それらの情動が塊化した、意識的制御不可能な「別の人格体」です。

一言でいえば、自己操縦心性とはであり、残存愛情要求は中身であり、感情の膿はこの心理構造を動かす燃料です。


■否定型の価値感

自己操縦心性については、すでに「自己操縦心性のついたウソ」シリーズなどで、それが生み出す複雑な心理現象について説明しました。
この「成り立ち」シリーズでは、さらに遡って、何でこんな「心性」なるものが生まれるのかという、その基本的成り立ちについて説明していきます。これを理解することで、脱却のために何が必要かということが、より明瞭になってくるでしょう。

まずはこの心性が発動する以前の、この心性を形づくることになる、人間の心の基本的仕組みについて説明します。

その最初は、「否定型の価値感」です。
これは人間が物事に価値を感じる時の、2つの様態のことを言います。生み出し見出すという肯定型の価値と、破壊するという否定型の価値。

ここではとりあえず価値「感」としておきます。何に価値を感じるかの直接的な感覚ということで。
価値「観」という場合は、自分が何に価値を感じるかについて、理性思考でどう考えているかを指します。人生観や世界観などの、ちょっと抽象的な思考内容。
ここではそうした難解な話は置いといて、とにかく何に価値を感じるかの直接的な感覚ということで「価値感」について話します。

これは動物が生きるという過程に必ずある、「価値の2つの様態」です。
肯定型価値とは、命を生み、育て、食べ、愛し、遊び、楽しむという、「生きること」における積極的側面の価値です。これは「何もないところから」、「命の発生」によって生じるのが特徴です。
否定型価値とは、そうして生きる上で障害になるものを破壊し、取り除く能力という価値です。これは「何もないところで」生まれるのではなく、破壊すべき問題が起きて生まれます。
この2面の価値は、動物が生きる上で必要不可欠なものです。

人間の場合は、言葉や知性などによって、「何に価値を感じるか」が、そうした単純な事柄だけでなく、ライフスタイルや趣味、人間関係やものの考え方など、様々にものに関連してきます。

人間として生まれ育つ中で、何に価値を感じながら生きていくか。心理障害が起きる環境では、これが極めて否定型の価値に偏っています。

これは心理障害になる本人が、自分の心の問題の由来として考える幼少期に受けた否定的扱いが、むろん「価値」などと言う以前に、否定的破壊的な出来事です。
しかしそれを遥かに超えて、心理障害が生まれる環境では、「否定する」ことに価値を置くような思考と感情が広範囲に蔓延しています。
これを本人が問題として意識せず、あまりに自然なことと感じていることに、心理障害が生まれ維持される背景があります。

これは我々現代社会の基本的特徴でもあります。
子どもを育てるためには「躾」が必要だと考え、日常生活の中で「それはいけません」「何やってるの駄目でしょう」と言った言葉が実に頻繁に使われます。そうして子どもは「良いことと悪いことの区別」をするようになり、日常生活の様々な場面で、「それは良くない」「こうでなければ」と、「否定できることに価値を見出す」という心の使い方にあまりにも慣れてしまいます。


■怒りを基盤にする価値感

否定できることに価値を感じる心の使い方とは、怒りの感情を土台にした心の使い方です。
そして我々現代人は、否定型価値にあまりにも慣れきってしまっているため、自分が怒りを基盤にした感じ方考え方をしているはもう感じないまま、全般的に怒りを土台にした心の使い方をして生活しています。

怒りとは、つまるところ、自らの心身への麻酔毒です。もはや自分の心身が大きく損傷を受けることを覚悟の上、それでも生き延びるために心身全体を低機能化させ、攻撃態勢の中に自分を起きます。
追い詰められていると感じているからです。

現代人はそのように、「自分は追い詰められている」という感覚を基盤にして生きていると思います。


■楽しみ喜ぶ能力の低下

それがもたらす心の健康上の問題は、物事を純粋に楽しみ、喜ぶという心の動きの、全般的な低下であり停止です。
実際のところ、物事の否定的側面を捉え、それを否定するという心の動きを使っている時間は、純粋に物事を楽しみ喜ぶという心の動きは使えません。否定型価値によって心を動かす時間が多ければ多いほど、純粋に喜び楽しむ時間は減ります。

しかしあまりにも「否定できる価値」が蔓延すると、「否定することがうまく行った」場合のかすかな喜び感が、この人間にとっての「喜び」ということになります。
幼少期からそうした思考法の環境にあるので、人間の喜怒哀楽というのはそんなものだという感覚になってしまいます。
もちろん、生きることは概して、あまり楽しくないことになります。でも本人はそれがあまりに当たり前のことに感じており、人間とはそうゆうものなのだと考えます。

心理障害とは「幸福を感じる能力」の障害だという考えをすれば、その最初の大元は、この「否定型価値」への偏りにあるということを、ぜひ認識頂きたいと思います。


■肯定型と否定型のどちらの心の動きを使っているか

自分が肯定型と否定型のどちらの心の動きを使っているかは、2つの問いをすることで分かると思います。

まず、自分の思考が、「それはいけない」「それでは駄目だ」で終わるのか、それとも「こうするといい」「こうしてみよう」で終わるか。
前者が否定型であり、後者は肯定型です。

さらに、そうした否定型および肯定型思考が起きる前提として、何か目の前に問題があることを捉えたことにおいて、それは否定型の心の使い方です。

実際のところ、我々の日々の思考はほとんど否定型の上に成り立っていると思います。実際のところ、否定型の思考ができなければ生きていけないとも言えるでしょう。

問題は配分量にあると思います。
肯定型思考と否定型思考は、フィフティ・フィフティくらいで生きていけるかも知れません。ところが現代人の場合は9割9分までが否定型思考の上で生活しているような感じだと思います。
そうなると、我々は潜在的に可能な「幸福感」の2%しか実際には得ることなく生きていることになります。実は50倍の「幸福感」を、我々はこの全く同じ生活の中で味わう可能性を本来持っているのだと、僕は考えています。

例えば僕自身の最近の感覚を言いますと、ここ1年以上、「怒り」の感情を体験していません。「怒り」の感情そのものを忘れつつあるような気さえします。生活は概して喜びや楽しみや感動の中にあります。
それでも、半分以上の、あるいはそれどころではない「喜びの芽」が自分の中で閉ざされているだろうと感じています。

同じ人間の心に、同じことに対して、それだけ違う感じ方をする機能がある。
それは一度体験して初めて分かることだと思います。


■自己操縦心性の脱却

心理障害における「意識制御不可能な別の人格体」である自己操縦心性は、基本的に、この否定型価値という心の機能の中で発達します。
それはいわば、否定型価値という心の動きを粘土にして作った人形のようなものです。

その脱却とは、肯定型価値という心の動きの開放です。実際それができれば、世界は楽しみや喜びに溢れるものになります。

問題は、自己操縦心性の「否定型の心の動き」を意識的に取り除いて、肯定型価値の心の動きを「開放しようと」したところで、できないことです。
そうしようとする取り組み自体が、自己操縦心性の中で動きますので、「否定型の心の動き」になります。「これじゃ駄目だ」という形にならざるを得ない。

自己操縦心性を脱却しようとして頑張っても、結局自己否定の繰り返しに過ぎないという轍があります。
それでも自己操縦心性の最終的な脱却は、自己操縦心性自身による自己否定という形になります。自己崩壊です。これは深い自己理解を進めることで起きます。
ここでは詳細は略しますが、そんなものだということを頭に入れておいて下さい。


ここではまず、肯定型価値感と否定型価値感という、あまりにも大きな心の働きの違いがあるという知識を、頭に入れておいて頂きたいと思います。
次に、否定型価値感の使用が蔓延した結果起きる、「望みの停止」の蔓延「受動型価値感」の発生、そしてそこから必然的に起きる「嫉妬傾向」について説明します。

自己操縦心性がまだ登場しない段階で、我々が自分の心に悩むようになる、基本的なメカニズムがあることを説明します。

No.729 2005/10/08(Sat) 01:58

「無料メール相談」新規受付終了のお知らせ / しまの

さきほど「参考図書」を更新しましたが、「無料メール相談」の看板を外してあります。
そろそろ有償活動にしないと、いつまでも貯金で生活続けるわけには行かないということで。えっへっへ。

有料化は大手のポータルに登録された時点で行います。それまでは新規での無料メール相談を受け付けますので、何かあれば今のうちにどうぞ。これが最後の告知かと。
一度無料メール相談をされた方については、今後も料金は気にせず相談メールを寄せて頂いて結構です。ファーストユーザー優遇というやつですね。


基本的には出版本の売上を生計手段とする考えであり、有償化の場合の料金もごくリーゾナブルになると思います。まとにかく本の方は時間がかかるので(なにしろ3冊同時発売を目論んでいるので)、それまでのつなぎと、その後の多少の足しと、僕自身の勉強という感じですね。

あと、ダイジェストの方も大手のポータルに登録された時点で無料開示はやめるかも知れません。これも出版本を正式提供形態とするつもりですが、事前に読みたい人にうん百円程度でPDF配布する形で、多少の足しにしようかと。
手元に置いときたい人は、今の内にプリントなどどーぞ。
出版の暁には本で買って欲しいんだけどネ。えへへ。

No.726 2005/10/06(Thu) 15:43

 
Re: 「無料メール相談」新規受付終了のお知らせ / いちふぁん

>あと、ダイジェストの方も大手のポータルに登録された時点で無料開示はやめるかも知れません・・とは・・その後はこちらのサイトをアクセスすると料金が発生すると
いうことですか??
時間のあるときですがたまにうかがって
拝見させて頂いてたものでして(^^;
ごめんなさい;大手のポータルのしくみがわからなくてm(__)m

No.727 2005/10/07(Fri) 16:17

 
Re: 「無料メール相談」新規受付終了のお知らせ / しまの

こんちはー。

いえ、サイトアクセスそのものの有料化はずっとしません。
「大手ポータル」というのはヤフーとかのことです。それらに載ったら来訪者もぐっと増えると思うんで、今の何でも無料公開というのはやめようと思っています。

今はかなり熱心に探した結果たどり着いた方だけしか来ない状況なので、何でも無料公開サービス中という次第。

大手ポータルに載った時点で、ダイジェスト原稿は削除して、お金振り込んでくれた人にメールでPDF化した原稿を送るという方法を考えています。
まだダイジェストの続きがこれから残っていますが、ダイジェスト新規原稿は一度は必ず期間限定のうえ掲載しますので、今載っている分は今のうちにプリントしといてもらえれば、全体通して無料でお手元において頂けるかと。

いつ大手ポータルに乗るかは未定ですが、登録申請は来週早々にも出そうかなーと考えている次第。

No.728 2005/10/07(Fri) 16:51

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