■ 究極の行動学:原理原則立脚型行動法-5 / しまの |
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時事ネタから思い至った話。
■原理原則立脚型行動・サバイバル世界観・先見能力・野望的意欲 vs 情緒立脚型行動・道徳的世界観・人間性勝負・怒り苦悩
相変わらず巷を騒がせている耐震強度偽造問題。
ヒューザー社の「買い取り提案」が二転三転しているとかで、「もし自分がその住民の立場だったら..」と考えたのですが、マジにその場合の自分の行動を想像していると、報道されている「怒り苦悩する住民達」という感じとはもう全く別世界を見る視野の中に自分は行くのではないかと浮かび、ちょっとこの解説に入れた次第。
もし僕だったらどう行動するか。 まずTVでは、ヒューザー社の小嶋社長の説明会に出て、怒りをぶつけ問い詰める住民の方々が映されていましたが、それはもう全部やめですね。小嶋社長は一切無視。この人の言うことは全く当てにならず、相手にするだけ時間の無駄だと思います。
「買い取り提案」については、「もしヒューザーが倒産したら」住民側に債務だけが残るというのを問題視する話題が出ており、これについては、「もしヒューザーが倒産したら」ではなく、倒産するんです。ま一応ここだけの発言ということで^^;
で僕ならこの状況で、自分がいかに有利な補償を獲得するかのゲームと捉えますね。 被害者に優先的に提供される住宅の情報をくまなく押さえ、早い者勝ちになる可能性高いから、これといったものがあれば即行動あるのみです。 へたすると、より有利な物件が、債務をかなりチャラにする形で手に入るなんてこともあるかも知れない。虎視眈々とそれを狙いますね。
でこの話をネタに解説したかったのは、原理原則立脚型行動法というのは、人間の心理課題の重要なものについて、幾つかをセットとして方向づけるような形で、我々に一つの出来事を全く別の世界として展開させるとも言えるものだということです。
上の話では、その重要な心理課題とは、従来から良く触れている「世界観」の問題であり、ひとつは最近注目している「優越課題」です。
「こんなことがあってはならない。許せない」が道徳的世界観。 ハイブリッドが推奨するサバイバル世界観では、何でもアリです。「こんなことがあってはならない」ではなく、あるんです。
で上の僕の想像行動は、ヒュザーに対する一切の情緒を拝した、原理原則立脚型行動です。誰が悪いかなんてこと考えず、置かれた状況を支配する原理原則を見る。契約と法律です。
その結果、この行動法のひとつの特徴が、この例で明瞭に出てきます。自分の先見能力を試す姿勢です。 「先見能力」が原理原則立脚型行動法とセットになるような形で出てくるのが、この話のミソですね。 原理原則は普遍的なので、そうしたものに実に役立つわけです。 で僕自身は、自分の人間としての自信の大きな部分を、はっきりとこれによって得ています。 「原理原則を知り、それを利用した先見によって行動する能力」です。
一方、「こんなことがあってはならない。許せない」という道徳的世界観の中での情緒立脚型行動法では、「先見能力」など得るべくもないですね。 情緒型行動法では、「優越課題」は、相手との勝負になる。しばしばそれは「人間性勝負」という、それを行うこと自体が既に人間性を損なうという、パラドックス的事態になります。
「あいつのせいで」という怒り苦悩なども、「自分の先見能力を試す」という一種の野望的姿勢においては、皆無になります。 まさに別世界の感。
まこれはあくまで心理障害とは全く別の話として書きましたが、実際、僕が心理障害を根本的に脱したのは、そうゆう別世界的視野を持ったことに依存するというのが、理屈抜きの実感です。
あくまで心理障害は、そうした思考法行動法や世界観が原因で起きるのではなく、心理障害のメカニズムとして起きます。 治癒も同様に、思考法行動法や世界観によって治癒するのではなく、特有の治癒メカニズムの中で治癒する。
原理原則立脚型行動法や、それとセットで出てくるさまざまなものは、まあその治癒メカニズムが起きるための、「感情を内面にとどめる」という基本姿勢のためのクイのような役割をするんだろうなぁと。 そして「治癒」だけでは足りない「成長」の内容そのものが、やはりそこにあると感じますね。
さらに加えれば、そうした原理原則立脚型行動法で「情緒を排す」とき、何か内面の繊細を切り捨てるような感覚を覚える方もおられるかと思います。 しかしそれは事実ではなく、「情緒を排す」のはあくまで外面行動の話であり、情緒に揺れない行動という基盤を持つことで逆に、守るべき内面が守られるというのが僕の感覚です。
それが「悲しみや憎しみを看取る」という治癒にまさにつながってきます。 「憎しみを看取る」についてはまたそのうちに。 |
No.812 2005/11/29(Tue) 12:17
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