■ 自己操縦心性崩壊の道のり概観-2 / しまの |
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■取り組み前半はまず「開放」
12/18「自己操縦心性崩壊の道のり概観-1」で、自己操縦心性の崩壊という最大の根本治癒メカを理解するための、まず体験上のおまかな流れなどまとめ始めてみました。
まず取り組みの初期から中盤までは、とにかく「開放」だという話をしました。 長い目での自分の心の成長を信じて、より自分の本心と言える感情を探っていくことです。それはもう「こうなりたい自分」どころの騒ぎじゃーなくなるのが前半だと。
内面の開放は、「知りたくなかった自分」を知ることにもなるでしょうが、確実に「内面の力の増大」につながります。 受動的に与えられるのではなく、自分から動いて望みに向かおうという能動的な願望が芽生えてくる。
■典型変化:恋愛願望の消失
その辺から取り組み後半となり、ちょっと様相が変わってきます。 その後の典型的な心理変化の中で、自己操縦心性の崩壊が進行するのですが、そのメカニズムは極めて難解であり、それを体験した僕自身が一体何が起きたのかと思案するほど。
その詳しいメカニズムを理解してもらうことで、より多くの方にそこを通りやすくすることが課題なのですが、体験上意識に見える典型的な流れをここで書いとこうと思います。 これを表に見えるパズルとして、その内側を考察していきます。
それは恋愛願望の変化というテ−マとして浮き彫りにするのが最も端的です。 こんな流れ。
「こうなりたい自分」があります。まあ一言で言えば、自分を好きな自分。人を好きになれる自分。 僕は自分が今ほぼその通りになったという、ゴール感のようなものさえ感じています。誰に対しても、ほんわかと好意感情が体の中から湧いてくるので、自分が人からも好かれるという感覚があります。
で、そうなれれば自分は素敵な女性を相手にできる、きっとモテる、とかいう期待もあったわけです。実際、そうなれれば..という感覚の中で結構お相手探ししていました。 ところがどっこい、実際にそんな「なりたかった自分」になった今現在、そうゆうかつての期待が実現しているかというと、てんでそんなことはないんですね。 というか、その期待が崩壊しているわけです。
その期待の崩壊の仕方が実に特徴的です。これが自己操縦心性について何かの本質を示すものになるでしょう。 「やっぱモテないヨ。現実はキビシー」(アハハ)とかいうものとは、全く異質なんですね。
先日買い物の際、店の女の子に微笑むような気分の自分を感じた時、それを感じました。今の僕にとって、相手に微笑む気分というのは、相手が子供だろうと老人だろうと男だろうと女だろうと美人だろうと不美人だろうと、ほぼ全く同じ感情です。 でその時感じたことは、かつての自分にとっては、「相手を好きになる自分が相手からも好かれる。そんな気持ちの交換が“愛”」という感覚があった。そんな愛の究極のものを実現するものが、恋愛としての相手なのだという感覚。
ところが今現在、実際に相手にほんわかとした好意感情を感じ、それを微笑みに表現できる自分を感じた時、かつてとは全く異質な感覚の中にいる自分を感じたわけです。 自分のこんな混じり気ない微笑みを相手も感じ取って、僕への好感を持つに違いない。安心感のようなものの中でそれを感じられる。 ここまでは、「こうなりたい自分」の「期待通り」です。でもそのあとが決定的に違います。 「でも別にこれは“愛”じゃない」と。これが実にはっきりと確実な感覚として、ありました。
かつての「愛のイメージ」は、こんなだった。 相手が自分を本当に愛し、その本当さを認めことで自分の高貴性を相手に委ねる。そんなイメージ。 それに足る相手を見つけようという、恋愛願望があり、そのためには、「こんな自分であれば..」というイメージ。
それが特有の心理変化パターンの中で、自己操縦心性が崩壊します。 この描写をまとめるのもまた一苦労で、ここではごく輪郭を書くと、多少とも「そんな自分」に近づいた気分で、勇気を出して自分を後押しして、能動的に望みにつまり恋愛対象として望む相手に近づく。 そこで、人それぞれパターンがあると思いますが、相手に対する肯定的感情とはとんでもない別の自分があらわになるような事態が起きます。 完全に自分が自分に騙されていたのを自覚する羽目になります。しばらく沈んだ気分で過ごす。 しばらくすると、「こうなれれば」という自己イメージを伴わない、「そうなっている」良好な心理状態が芽生えてきます。「こうなれれば」というイメージを伴った恋愛願望そのものも同時に消失している感じになります。
かつて「こうなれれば」と想定したのとは全く別世界の、さっぱりとした気分の状態。
■ニセのアイデンティティと恋愛感情
上の描写を書くのに結構苦労してます。断片的に絡んでくる様々な感情や感覚を追っていると、あまりにも多方向に意識が拡散してしまう。 内面メカニズムを整理するのはかなり難敵な感じで、今後除々にとして、内面メカを考える上でひとつの材料としている面白い現象を書いときます。
上述のような恋愛願望が僕の中でぶっつりと消えた境目があります。 それは僕が会社を辞める決意をした少し前のことで、それまで僕はその会社に勤める人間としての生活をする自分の姿を、まだ自分の「主アイデンティティ」としていました。本を片手間に書いて、もし成功したら島野としての活動に切り替えようと。
しかしどうもあやふやな気分を感じ、何とかこの2足のわらじ状態で自分を満足させようというような意識の中感情分析を始めた中で、逆に、もう全て投げ打ってでもという考えに至る。僕の中で「島野隆」が僕の「主アイデンティティ」に切り替わった、明瞭な瞬間がありました。
その時を境に、ぷっつりと恋愛願望が僕の中で消えたのです。
この2つの感情の変化は、意識上では全くつながりがありません。 しかし多分意識下でつながりがあるんですね。
簡潔にいうと、「これこれの会社に勤務して年収いくらで」という自己アイデンティの一環で、そんな僕を愛して一緒に家庭作る女性を得たい。そうゆう僕自身のアイデンティティ・イメージを一緒に見る女性の目の感覚があったわけです。そんな僕を愛する女性。 ところが僕自身がその自分のアイデンティティ・イメージを、実は心底からは愛していなかったんですね。その不足を、僕のアイデンティティ・イメージを愛する女性という感覚で補おうとしてた部分があったような気がします。
それが島野隆自己アイデンティティに切り替えた時、僕は自己欺瞞を全く含まない、全く揺らぐことのない自己アイデンティティを獲得したわけです。 自己アイデンティティの維持に、他者の目が必要なくなったということです。
ニセの自己アイデンティティを維持する衝動が恋愛感情に化ける。 その真偽を、より精緻な自己操縦心性メカの考察の中で、検討してイキヤス。 このメカニズムは間違いなく、恋愛衝動だけではなく、人からの評価を求める感情一般に働くものでしょう。評価願望、地位、勝ち組み負け組み意識、セレブ願望などなど。 |
No.842 2005/12/29(Thu) 17:53
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