■ ハイブリッドの基本から「心のリロード」へ-7 / しまの |
|
No.1096 2006/09/29(Fri) 14:36:21
別カキコで幾つかの補足など。
まず補足以前の話ですが、「ハイブリッドのサバイバル世界観では子供が殺された時も怒りを捨てることさえ視野に入れたもの」という言葉について。
それに対して「そんな場合さえ怒らないなどまでして根本変化が欲しいとは思わない」というご意見があり得ると浮かんだのですが、それについて言えること。 その通り。まさにそれが「否定型価値感覚」ですね。その場合は、それがその人の現在の立つ位置だということをしっかりと把握するのがいいでしょう。ハイブリッドで言う「否定型価値感覚の放棄」とかの価値観変革は、「根本変化を目当てに」してそう考えてみようという付け焼刃では意味ないです。心底からそうした価値観世界観を持つかどうかの「選択」だということになります。
まあ心理メカニズム的には、その「選択」は、そうやって「怒り続ける」ことを選ぶか、それとも「怒りを捨てて生み出していく」ことを選ぶかの選択であり、もともと生み出すものを持たない者はどうしても怒りを選択する傾向に流れるとは言えます。 この辺はちょっと淡々とした表現になりますが、「選択」は本人の「選択」でしかなく、それができないときに「どうすれば生み出すことを選択できるのか」と問われても、もう何も言えることがない終着点に近づいてきます。 ただまあ、自分が生み出せるものは何なのかを、最後まで探し続けることだとは言えるでしょう。
いずれにせよ、ハイブリッドで「怒りを捨てるためのサバイバル世界観」とは、それだけラディカルなものだということです。
またこれも補足以前の話ですが、「怒り」を捨てるとは、「相手を許す」なんて話とは全く別のことです。罰を与えるのが良いと判断するのなら、与えるがいいでしょう。 「罰」は「怒り」ではありません。「罰」は行動であり、「怒り」は感情です。これは入門編で言った話。 感情としての「怒り」は完全に捨て、罰が必要であれば、これからの世界のために行う前進の一つとして行うがいいでしょう。これは「怒り」ではありません。
でなぜそうまでして怒りを捨てないと、損失は癒えないのか。これが理論的補足として言いたかったこと。 それは実に単純な理由であり、怒りの中では、「現実を生きていない」からです。「こんなことは起きるべきではない」と怒る時、それは空想に立つ心の動きであり、ありのままの現実を生きる時間にならないんですね。 だから心は変化しない。実に単純です。 これは一連の掲示板解説の大完結で言った話です。否定型価値感覚とは、空想を生きることなのだと。 (2006/09/11 大完結:自己操縦心性の崩壊とは何か)
もう一つの補足。「損失は悲しみの中で癒える」ですが、これにもやはり条件があり、前を向く姿勢の中でというのが条件になります。 逆に言うならば、自己否定自己破壊の姿勢の中で損失をいくら悲しんでも、それは癒えないということですね。これは「望む資格」という思考法を完全に脱することが条件になるということです。
事実、「望む資格思考」というのは、「そんな人間に望む資格はない」という一種の攻撃的軽蔑衝動ですが、相手の損失を喜ぶことになります。相手が自分であってもそう。 望む資格思考や怒りを捨てた、前を向く姿勢の中で、実は人は初めて「損失を悲しむ」ことができるのかも知れません。
「望む資格思考」を脱する方法は? これは書いてきませんでしたが、まずは皮相化荒廃化欲求への対処一般論になります。感情を正そうとしても無駄です。 治癒成長取り組み全体を通して、それとは別の浄化された欲求が芽生え、皮相化荒廃化した欲求を打ち消すという、長い道のりを歩む必要があります。 「望む資格思考を脱する」ことが、損失が癒えるための条件であり、一方でそれは治癒の結果でもある。いたちごっごがここにもあります。
短絡的に目の前の問題を解決しようとするのではなく、「生き方」と「障害」がクロスするこの取り組みの全体を理解し、地道に歩むことが何よりも重要な基礎になります。 |
|
□ もいっこ付け足し^^; / しまの |
|
No.1097 2006/09/29(Fri) 15:14:32
「悲しみの中で損失が癒える」ための条件として、「前を向く姿勢の中で」に加えて、あと一つあった。 「内面の損失が外面の損失に化けている時は、いくら悲しんでも癒えない」という制約があります。
これは自己肯定の損失の根本から目をそむけたまま外面を追い求めるような心理状況の話となります。この場合、外面についての損失をいくら悲しんでも、何も変わらないと思います。 これを解く感情分析が必要になります。「否定型」と「受動的」の心理メカニズムをしっかりと把握する。それにより「自己の重心」が失われた中で、本当に失われたものは何だったかの探求の歩みです。 否定型価値感覚、破壊型理想、受動的価値感覚、受動的自尊心、受動的自己アイデンティティ。ま否定型自己アイデンティティというのもあるでしょうね。
こうしたものは皆、「生き方」と「障害」のクロスの産物です。 成せる選択は成す。選択がなせないものは感情分析する。これが「地道な歩み」の基本になります。 |
|
|