■ 魂の治癒成長への実践-21 / しまの |
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No.1183 2007/02/28(Wed) 12:23:52
■「破壊型理想」と「建設的理想」
「“高い理想”の嘘」については、まず基本的な話として、「高い精神性理想」を掲げて、「精神性を損なった他人」への怒りの中にいた時、その怒る姿がまさに精神性を損なった、怒る本人が糾弾するものと同じ姿になるという話をしました。 まあ「あいつはこうだああだ」と怒る人の姿を第三者が見た時、えてして、「それってアンタのことなんだけど..^^;」となるわけです。
これは人間の心の基本的な罠ですね。「否定型価値感覚」です。 否定できること、否定できる自分に、価値を感じるわけです。そして、否定できることに価値を感じる姿は、価値が低いのが現実です。そうではなく、「現実において生み出す」の方が価値が高い。
そうして否定するために理想を掲げるという「理想の使い方」が、「破壊型理想」です。ここではさらに、「自分が高い理想の持ち主だ」という自尊心の感覚へと、否定型価値感覚が格上げされてきます。 破壊型理想を持つことにおいて「自分が高い理想の持ち主」であると感じる自尊心は、やはり、「否定できる自分に価値を感じる姿」をさらに一段と進めて、価値のない姿であるように考えることも可能かも知れません。
だがそう言い切れない部分もある。破壊型理想の中にも、一片の真実があるということになるでしょう。「使い方」はどのようなものであれ、「理想」として何らかの内容を描けることは、それなりに価値のあることと言えます。 まあつまり、間違いなく、破壊型理想は諸刃の剣になるものと言えるでしょう。そこには一片の真実があるのだが、それは同時に人を傲慢に、そして文字通り、破壊的にしてしまいます。
これは心理障害メカニズムがまだ絡まなくても言える、人間の心の業と言える話です。 そして心理障害からの治癒成長という話が絡まなくても言えることとして、破壊型理想から建設的理想への脱皮が、人間の心の課題であるわけです。 なぜなら、破壊型理想は主に、「与えられる側」にいる時に、意味があるものだからです。そんなんじゃ駄目だよ。こうしてよ。まだ自意識さえない乳幼児の行動様式は、基本的にこれになります。
自分が「与える側」に立ったことを知る時、人間の心の中で世界観人間観の大きな転換が成されるように感じます。この「世界観人間観の転換」のどこまでが人間の心のDNAに定められたことかは議論の余地があるでしょうが、少なくとも、「あるべき姿」に照らし合わせての「善悪」という二律背反の世界観人間観ではない、「強さと弱さ」そして人間の「不完全性」というテーマが登場してくる。これは確かなことのように感じます。 そして望みに向かって、自分の弱さを克服し、「与える側」としての強さを得たことを感じた時、人は人間の生涯を通しての心の課題である「真の自尊心」を獲得したという満足感を得るのだろうと思います。
■破壊型理想から建設的理想への脱皮成長を阻むもの
心理障害メカニズムという特別品が介入している場合でも、最も表面に見える問題はそれなのだ、というのがハイブリッドの考えです。 つまり、破壊型理想から建設的理想への脱皮成長を阻まれているという問題が、表面に見える最も基本的な問題になります。 そして破壊型理想に立って、他人と世界を憎悪嫉妬し、そんな自分への破壊衝動に苦しむわけです。その破壊衝動の強さが、単なる人間の心の基本的な業としての破壊型理想よりも深刻な問題を内側に秘めていることを示しています。
この表面の底にあるのは何か。それがハイブリッドの心理メカニズム論になるわけです。
それを、最新ハイブリッドの魂論では、3層の「自分についた嘘」の構造を土台に考えるわけです。 第III層「嘘をつき終えたあとの感情層」には、「高い理想」の嘘があります。「理想」をめぐる意識的思考の領域です。 第II層「無自覚の嘘と本心層」(←ちょっと呼び名修正)には、「イメ−ジ」の嘘があります。意識的制御は不可能な形で湧くイメージの領域です。 第I層「魂の荒廃感情層」には、「復讐心」という「魂が魂についた嘘」があります。
度を越えた破壊衝動に裏打ちされた「破壊型理想」が、維持されるメカニズムとは。
■2テーマ×3層=6個の破壊型理想維持要因
これを最新視点では、大きく2つのテーマについての、上記3層構造を積み重ねた要因が起きていると考えています。
1)依存性観念の固執
一つのテーマは「与えられるべき」という依存性観念の固執です。これは破壊型理想から建設的理想への脱皮成長の根底にある、「与えられる側」から「与える側」へという、最も基本的な「成長の摂理」が否定されているという事態が起きているということです。
「魂と心の分離」に際して、魂の成長責任を心が放棄し、外界に押しつけるという動きが起きたであろうことを説明しました。これは経緯の話です。 その結果、「与えられるべき」は3層の心理層に渡って固執が起きているという、結果構造ができています。
「心」の層(III層)においては、意識的思考としての価値観に、それが取り入れられます。正しければ世界が幸せにしてくれるべきだ。全ての人が平等であるべきだ。 自己操縦心性の層(II層)においては、自分の心が自分に感情を与えるための「他人の目」に取り囲まれているという、意識制御不可能な前提イメ−ジが映し出されています。 魂の荒廃感情層(I層)では、未成長のまま置き去りにされた魂が、事実、いまだに乳幼児のような依存的感情を一部持ち続けています。だから「赤ちゃんプレイ」なんて発想が出てくる、とこれは余計な冗談^^; 魂の依存感情の残存は、残念ながら冗談ではありません。
この3層が一致協力して、「自分こそが与えられるべきだ!」という依存性観念を、深く固執維持させてしまいます。
2)復讐心
もう一つのテーマが、「復讐心」です。つまり自分にむごい仕打ちをした他人と世界への怒り憎悪の表現手段として、高い理想から、軽蔑嫌悪し、叩き落とすという衝動によって、破壊型理想が掲げられ、その破壊性が裏打ちされています。 これは上述の通り、人間の心の罠の中での自尊心を得ることにもつながりますが、「復讐心に裏打ちされた自尊心」という特別品であることが、色濃くなります。
この「復讐心」がまた3層に渡る構造になります。これは上記「与えられるべき観念」よりもさらに厄介な構造になります。おそらくそれが心理障害メカニズムの厄介さの、いわば骨格になるものでしょう。 なぜなら、「復讐心」は「与えられるべき観念」よりも当然破壊的で、荒廃性の度合いが高い感情だからです。そしてその結果、醜い感情でもあります。誰よりも本人自身にとってです! この結果が、今度は3層が一致協力してではなく、互いに騙し合いながら、復讐心を膨張させるという事態になります。それはまさに、3層が互いに阻害し合い、自分で自分を傷つける結果を招きながら、互いに嘘をつき、酷いことをしたのは他人と世界だと言い合うといような様相になります。
これは深層から表層へと概観するのが分かりやすいです。 魂の荒廃感情層(I層)には、挫折した魂の復讐感情があります。そして同時に残る残存愛情要求との間で葛藤が起きています。 実はここですでに自己循環膨張が起きています。復讐心を土台とした自尊心は残存愛情要求の「幼児性」を軽蔑しくじきます。残存愛情要求の側から見れば、自らの復讐心への嫌悪罪悪感が他者の視線に外化され、自分が怒り嫌悪の目で見られるという感覚が起きます。この結果、「自分は愛されない」という挫折感が強化され、復讐感情はさらに破壊性を増し、自暴自棄の領域にまですぐ膨張するベクトルを強力に持っているのが、この魂の荒廃感情層の特徴です。 またこうした荒廃感情に、感情の膿が結びついています。
自己操縦心性の層(II層)では、こうした魂のオリジナル(?^^;)感情の全体が否定され、別の自分のイメージが描かれます。それは「魂の挫折などなかった自分」の姿です。出生の現実における自分の姿を、自意識が受け入れることができないからです。 これは児童期を通じて、すさんだ感情を飲み込み否定し、空想の世界で生きることで、感情の膿と一緒に魂の感情を切り離し否定し、「そんなものはなかった自分」という感情を作り出すという、自己操縦心性の機能として成されます。
ここで、魂と心の間に、全くの断絶関係が生まれることになります。「心」は魂の感情を、まるで自分の中の裏切りのように封印しようとし、魂はそんな「心」に不信感と軽蔑感を抱きます。これがこの後この人物が常に心理背景として漠然と感じる自己軽蔑になるわけです。
そうした「魂と心の断絶」は、本人の意識には全く捉えられない中で行なわれ、結果、意識表面は、「嘘をつき終えたあとの感情」として動くという形になります。 かくして「心」の層(III層)には強烈に、「自分がどう見えるか見られるか」という意識土台が生まれます。実はそこに、損なわれた魂の「命」の感情への渇望が、注がれるのです。つまり「人にどう見られるか」が、この人物にとっての「命」になります。 最終的に生まれるのは、自分の中の感情的不具合を「人が自分を悪く見たせい」だと考える傾向です。 これがオリジナルの魂の荒廃感情とはまた別メカニズムの、復讐感情を生み出すのです。
かくして、復讐感情、おしなべて「怒り」というものが、実は2重の構造をもっているのが、厄介なところです。 その根本克服のために、2テーマ×3層=6個の破壊型理想維持要因に取り組む必要があるわけですが、これは心理メカ論おたく(^^;)としていたずらに話を複雑化させているわけではなく、素人療法ではない本格的医学知識が複雑であるのと、まったく同じ話です。 そんな難しいの無理だと考えるならば、まさにそうでしょーというのが心理障害の根本克服の難しい実情でしょうし、逆にいえば、そこまで精緻な自己分析ができると、かなり明瞭に「自己治療」が実現するようになってくる、ということです。
実際のところ、2か所を骨折していた時、骨折が1か所だけだったかのように手当てしても、それでは治療にはならないんですね。
この2テーマ×3層の構造の要点にてついてさらに説明を続けますが、こうした構造の全体を貫いて本人の意識においてなされる、「理想を描いた道筋」もしくは「シナリオ」について次に説明します。 これは本人が意識する中で行なわれるものであり、十分に把握が可能です。まずこの「理想のシナリオ」を理解することが、この第2段階の具体的実践の最初(ということになるかな?あとで整理しましょ)になると思います。
上述の心理構造を映し出すかのように、それは嘘に満ちたものになり、「建設的理想」には根本的になり得ない、不実な内容になるという話になります。 午後また出かけますので、カキコは明日以降かと。 |
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