■ 魂の治癒成長への実践-41 / しまの |
|
No.1209 2007/04/25(Wed) 13:21:12
■実例描写2:魂の感情へとダイレクトに突入する段階の感情分析例(続き)
4)空想観念が引き起こした感情連鎖は人格亀裂に触れ「アク毒」と「恐怖感情の膿が」放出される
その39で紹介の日記の続き。 そこにあった流れは、ごく空想の中での観念が、幾つかの感情を連鎖的に揺り起こしている過程です。
「相手不特定の恋愛衝動」を感じる中で「魂の女性」を思い浮かべ流れる、苦い感情。これは意識の表面では何かの理屈で取りつくろってはいても、人格の根底では実は相容れず衝突する衝動が作り出す「人格の亀裂」と、「悪しき者とは実は自分」という「アク毒」の感情に、意識が触れ始めている様子を示しています。
この後に起きることは、本人つまり僕自身の意識からは、全く何が起きているのか分かりません。しかし意識の底で揺り動かされた人格の亀裂は活断層として動き出し、意識の底で大きなうねりを始めるのです。 やがて、今まで何とか平衡が保たれていた人格亀裂の間で、衝突融合が起き始めます。実感としては、上述のような「観念による感情連鎖」という「意識内」の出来事というより、脳の中で何かの毒かモルモンのようなものが流れ、やがて意識が変になってくる。まさにそんな感じです。
その変化が描写された部分です。 なおちょっと駆け足モードで原稿書きしているせいもあり、引用した最後の部分のあとにまだ「観念による感情連鎖」の残りがありましたね。そこから。
・・(略)・・ 僕がまず感じたのは、自分は今女性との出会いに関心があるのであって、彼ら男どもの話には興味がない、という軽い優越感を伴った観念だった。そのすぐ後、そうした自分が何か女性から非難と批判の目で見られる存在であるかのような感覚が起きた。例えば△△さんからだ。 そして別のイメージが現れる。自分は同性の男達の、たわいない楽しみに溶け込んだ存在でなければなかなかった。そして自分にはそれはない..という沈んだ気分が流れるのを感じた。
ここでも「沈んだ気分」は、意識下では「同性への攻撃的優越衝動」が「他人全般への親愛要求」を挫いている、という感情連鎖を見ることができます。
そのどっちがより純粋な「魂」の感情かと言えば、甲乙つけられるものではありません。どちらも、「魂の望み」と「魂の荒廃感情」を合成した混合感情です。どっちを取るのがいいかという問いも、役に立つものではありません。 この後起きる人格根底の地震のような変化の後には、そのどちらも消え去る方向にあるからです。
それが起きはじめます。僕は自分の心の底からただならぬものが湧き出てきているのを感じ、たまらずメモに向かってそれを記すことで心を整理します。
今、部の全体会議の最中だが、僕の心の中に現れてきたのは、自分が人格混乱を抱えた人間だという感覚だ。それに対する△△さんとかからの、違和感の視線のイメージ。恐らくこの「人格の混乱した人間」というのも、一番受け入れ難い自己像だろう。それは絶対的に信頼できない人間の象徴なのだ。
自分に流れてきた「アク毒」の感覚を、メモに向かって書くことで何とかやりすごしますが、それはまだ洪水が流れ始める前の呼び水を見た段階に過ぎません。 やがて「アク毒」は「恐怖感情の膿」と共に、洪水のようにどっと流れ始めます。
それは今この感情動揺の引き金となっている出来事での、相手の人物への弁明のような行動から始まります。まるで自分が嘘をついていたのを誤るかのような気分が流れ始めています。 そしてその行動の後、パニックが起きる、という流れです。
昼休みを早めに切り上げて、△△さんにメールを出す。11/3に会う件の調整として。2つのメールに分け、最初の方で、土日のメールについて“のぼせ上がっていました”と弁明をつける。その後に、△△さんが自分の理想に近い。今は△△さんが自分の夢、といった言葉を添える。その前あたりに僕に流れていたのは、緊張とも不安とも高揚ともつかないような動悸だった。 メールを出したあと、軽い恐慌感のようなものを感じる。メールBOXの“新規メールがあります”のメッセージを見て、△△さんから怒りに満ちた嫌悪が返ってくるイメ−ジが漠然と浮かぶ。「理想の女性像」などという軽々しい言葉への怒り。相手をおだてるという不純さへの怒り。
これをメモした時、僕に流れたのは、対象を全く持たないかのような恐怖感だった。恐怖の味だけが流れているのだ。まさに体が震えるような恐怖感だ、と感じた。 その後に続くのは、こうした恐怖感の中にいる自分は弱々しくて、彼女から見て全く魅力のない男なのだ、こんな自分は駄目なんだ、そんな感情。
ここで僕がこの恐怖感を「対象を全く持たない」「恐怖の味だけ」と認識したのは、2つの要因からです。 一つは、知性としては自分がそれほど粗野で失礼な行動をしたのではないという、原理原則的な思考がしっかりとされていること。 もう一つは、僕自身が「自己操縦心性の崩壊」「感情の膿の放出」という考えをとうに確立しており、今自分に起きていることが治癒現象であることを十分に分かっていること。この2つによります。 ですから、頭では恐怖に値することはない、とかなり確実感の中で考えているわけです。しかし、体には見まごうことのない強烈な恐怖感が流れています。
ハイブリッドを作った僕にして、そう分かっていてさえ、「感情の膿の放出」というのは、今までの「イメージを受け流す」なんて言えていたような平静さでは、もう済まされなくなります。なぜなら、恐怖に値するものはないと分かっても、恐怖によってまともな精神状態が維持できないという新たな問題が、現実に起きるからです。
「感情の膿の放出」は、それを乗り越える心の基盤の獲得によって、本性が自然に導くと書きました(その38)。 これは、そうした問題への対処ができるということも、含んでいるのです。そしてそれを可能にする価値観と生きる姿勢です。 一言でいえばここでは、恐怖を感じる自分を許すことと、「姿」ではなく「生み出すもの」に価値を置く価値観が、決定的なものになるでしょう。
そうしたものに支えられながらも、僕は自分の中に起きた変化によってやや打ちのめされる感の中に向かいます。 そしてそれが静まり、新しい意識土台の中で考え始めます。
こうした感情を味わうことは感情の膿を出すことであって、方向が正しいことは分かっている。だがこれは症状としてはパニック不安であって、人から見ればパニック発作を起こしたように見えるもののように思えた。パニック不安という病気を持つ男、という目。 会社からの帰り、流れてくるのは、自分が根本的に女性に近づけない男だという観念だった。そして泣けてくる悲しみ。 帰る時、席を立ったのはNさん(女)の方が先だったが、エレベーターで一緒になった。僕の中には、駅まで一緒に帰る場面の空想と、それへの警戒感のような躊躇感があった。彼女の方は、エレベーターに乗った時から控えめな他人モードを取ったのが分かった。この場面が、“自分から離れていく女性”というイメージを浮かばせる。そして僕は悲しみを感じる。 自己紹介という遊離した情報を見た女性がokを出した。それに基づいた勝手な自己イメージの中で、自分が誇大的に疾走していたのを感じた。それは現実の自分、少なくとも今のこの感情を全く知らなかったから、成立していたものだった。
一応この翌日の日記の冒頭まで出しておきましょう。
2003.10.28(火) 今日は△△さんへのメールはなし。感情も特にない。日中少し引っかかったように自覚したのは、自分が彼女に示した好意が、何か自分から遊離して、彼女との間で誇張されたものとなった、というようなイメージだった。 ・・(略)・・
なお、それ以上の後日談は省略しますが、この後△△さんには大分落ち着いた心の状態で会った次第です。
こうした「治癒現象」によって起きる「脳の構造レベルの根本変化」の道のりを説明し、さらに先の例へと進めます。 |
|