■ 心理学本下巻に向けての考察-51 / しまの |
|
No.1301 2007/09/29(Sat) 16:06:24
■「2種類の人間像への行動学」から「魂の望みへの歩み」まで
またちょっと全体俯瞰。 「2種類の人間像への行動学」の基本を以下で説明しますが、ハイブリッドにおけるその位置づけは何か。
それはまずは「治癒」の節目であり、「心の自立」への「成長」の実践ということになります。これは「魂感性土台」に立っての、外向きの方向性と言えるでしょう。
「人の目感性土台」は切り捨てられるのではなく、まずは内面だけに区別されます。そして感情分析があり、最後に、「人の目感性土台」へと姿を変えた大元の魂の感情へと戻るという取り組みが成されます。それが「愛と自尊心の分離」になります。これは「魂感性土台」に立っての、内向きの方向性と言えるでしょう。
その先に「魂の望みへの歩み」が現れます。「魂感性土台」に立った、外向きの方向性と内向きの方向性。これは全くの別世界であることが、取り組むごとに明瞭になってくる。 全くの別世界であるからこそ、進めるということになるのかも知れません。結論はやはり深遠です。2つの全くの別世界を歩み続ける。そこに深遠な統合がある。それが「ハイブリッドの世界」なのだ、と。
下巻もやはりかなりスピリッチュアルな最後で終わりそう..^^; まとにかく「否定価値の放棄」への細かい道のりも視野に入れながら、説明を続けます。
■「2種類の人間像への行動学」の基本
「2種類の人間像への行動学」の基本を説明しましょう。相手に応じた細かい心理の考え方を、それに合わせて説明します。
もし「健康な心の世界」で生き、「健康な心の人」と共に生き、自らも「健康な心の人」になりたいと考えるのであれば、行動法の指針は実に単純明快です。
それは、「健康な心の世界」と「健康な心の人」を相手前提とした行動法に徹する、ということです。 要点は3つになるでしょう。 1)他人の人物善悪評価や好悪評価はしない (非行動化) 2)自分に向けられた人物善悪評価や好悪評価には反応しない 3)「現実において生み出す」ものの共通目標共通利益に着目し、積極的に行動を共にする
これを推奨するのは、まずはごく現実的な問題としては、今の自由主義現代社会はなんやかんやと言っても基本的には「健康な心の世界」であり、「健康な心の人」を中心に動いており、「健康な心の人」の活動によって豊かさが生まれていると考えるからです。
まずこの認識を受け入れられるかどうかによって、この行動学を選択できるかどうかがかなり違ってくるでしょうね。
現代社会は「病んだ心の世界」であり、社会の中心にいるのは本音を隠した腹黒い烏合の衆であり、心の清らかな人間は逆に虐げられる世界である。(^^;) そう考えるのであれば、この行動学の選択はまず無理です。なぜそうした社会観になるかの「感性土台の違い」については説明していますので、該当する場合は「感性土台の違い」の理解から始めて頂ければと。 少なくとも「魂感性土台の体験」をして、「感情が人に向けるものではない」世界がおぼろげに分かり、社会についても「あるいはそうだったのか」程度には上述の社会認識を持てれば、この行動学は実行に移せるでしょう。
■「愛されれば安全」から「自らを守る」という自立転換のために
そのように「感性土台の違い」が実感として分かるようになってくることと、あともう一つこの転換実践で重要な心理状況変化があります。 それは「愛されれば安全」から「自らを守る」へという基本的な意識変化です。
これは「心の自立」という最大命題に関したことであり、「自己の積極的保護」という兆しを自分の中に感じ始めた人であれば、この命題を自分に問うのがいいでしょう。
「自己の積極的保護」とは、「とにかく自分で自分を守らなければならない」という強い衝動を感じる体験だと言えます。「まず理想ありき」ではない、「まずこの自分ありき」という、やはり意識土台そのものが異なるものが自分の中にあるのを視界に捉えるものです。 これはやはり「魂の感情」という、ハイブリッドがその上に人生を考えるものにより近いものであり、「イメージに支配される心」という、抜け出したい「病」とは違う側にあるものと考えることができます。ですから、「魂感性土台の体験」をした先には、そう遠くないところでこれを見出すことができるでしょう。
「愛されれば安全」とは、まだ親が用意した巣の中にいる若鳥の思考です。思考はどうしても、「どうすればどう思ってもらえるか」という、「人の目」「人の感情」を終着にするものになります。「自分に向けられる目」「自分に向けられる感情」についてばかり思考する存在になります。
現実の世界で生み出し豊かさに向かう人々は、そのようには動いていません。感情を人相手に向けるのではなく、現実というもの全体について思考し意志を持つことの中で、動いています。 そして感情を互いに向け合うものと思考する人の様子はそれとなく分かるものであり、そうした人はまだあまりプレーヤーにはなれない「お客さん」として穏やかに脇に置くような対応をします。
ですから、「感情を人には向けないし、自分に向けられたものとしても扱わない」という行動学は、今の一応は(^^;)健康な自由主義現代社会でうまく生きるための行動学でもあり、それがひいては自分を守る行動学にもなるわけです。 同時にそれは別の面でも自分を守るための行動学になります。それは自分を「感情」から守るということです。それは他人から向けられた感情からということでもあり、自分自身の感情からということでもあります。
ということで、幾つか細かく具体的な考慮点など説明していきます。 |
|