■ 心理学本下巻に向けての考察-171:「未知」への意志と信仰-63 / しまの |
|
No.1425 2007/12/23(Sun) 14:14:03
「人生での覚悟」と、それとの対比となる「人生の委ね幻想」について簡潔に説明し、「人生」という視点で理解したい事柄の要点をまとめます。 まあこれは「心理メカニズムの理解」という、ハイブリッド取り組みの最も基礎的な実践における、「人生」という側面になりますね。それが「魂感性土台の体験」を節目に始める「中期」の段階に相応しいものになると思います。
■「恐れるもののない心」へ
ということで、まだ本格的求職の段階ではないという前提をぼやかしたまま、本格的就職に面する自分の空想が成立するにつれ、平常心とは違う感覚が起きたことに、こりゃちょっと変だと僕としては自覚したわけです。
そこで僕が行ったことは主に2つあります。 一つは、「魂が感じる価値」を「人生」というレベルで明確化することです。 そしてもう一つは、それを支えるための生活設計を考えることです。これは極めて現実的具体的な話になります。
1)魂が感じる「価値」を見定める
まず「魂が人生で感じる価値」の明確化のために、自分に問うわけです。 「自分は人生で何をしようとしている人間なのか」。また「もし自分の命があと1年だとしたら、何を優先させるか」。
ただしそう問いて答えが簡単に出るのは恐らく稀です。 今回の僕の場合言えるのは、とにかく今度の心理学本を出す先にしか、これからの自分の人生は考え得ないということです。それをしないまま、月収何十万円の安定した生活なんて考えても、何の意味もない。 ただしその先は、僕自身分からないのが正直なところです。どこまで書き続けられるかは、生活のための収入という面と、あと社会が僕の心理学をどう必要とするかの状況に依存する。それが大きければさらに書く意欲は増すだろうし、一方僕にはそれとは別にやっぱ家庭を持ち子供をぜひ育てたいという願望も日増しに大きくなるのを感じるこの頃。 だから、まずはとにかく今は、書きたいことを出し惜しみすることなく書き尽くした本を出版することが、今当面の僕の人生課題なわけです。
まあ上記のような問いを出して答えがそう明確に出るのは難しいですが、そう問うことが重要ですね。 特に、「死」というものに向き合う「現実感」「現実性刺激」が重要な役割を果たします。現実に「死」を突きつけられることによって、逆に生きることの価値を感じ取るという人間事例が実に沢山あります。TVで流れる感動ドキュメンタリーは大抵その形になっているとさえ言えそうな気がするほど。 最近で印象に残るのとしては『余命1ヶ月の花嫁』なんてのがありましたね。進行性の乳がんが肺に転移して気づいた時手遅れだった例。自らの姿を、生きる我々へのメッセージとして伝える中で語った言葉とは、「みなさんに明日があるのは奇跡です。 それを知っているだけで日常は幸せなことばかり」と。
まあ実際そうした状況に置かれた心は、生きているだけで奇跡であり喜びであるようなものへの、変化の可能性を持つことになります。で僕としてはそうした心の変化効果を、健康でいる時間において活用しない手はないと思うわけです。
まあこうした「死に向き合う」想定思考は、深刻なケースで希死念慮や自殺願望が旺盛な場合の、取り組みの初期段階では不適です。その段階では「未知への選択」など別の実践がまず必要です。 一方、魂感性土台の先に向う「中期」あたりからは積極的に取り入れるのをお勧めするものになります。
2)魂が感じる「価値」を支えるための生活設計
ということで、とにかく自分が人生で感じる価値について、「人の目」が全く消えるような想定下で考えて見ることが重要です。 それが「魂が感じる価値」であるということです。
あとは、それをどう支えるかの、現実的な生活設計の問題が出てきます。 僕の場合は、とにかく本の原稿を書く間の生活資金と、本の出版にかかる費用とのかね合いで、いつ時点から本格的なITの仕事をする必要があるかと計算するわけです。まあ原稿を一通り書き上げる分には問題ないでせう。あとはそこから出版までを集中専念するか、二足のわらじモードでするかで、若干出版時期に変化は出るだろうが何とか来年中にはという計画だすな。
■「恐れるもののない心」の成り立ち
ということで、「魂が人生で感じる価値」を見定め、それを支えるための生活設計をするというのは、極めてちょー具体的で現実的な作業になってきます。 そして、実際それを定めることができ、それを支える生活が設計できた時、人生がほぼ完全に自分の意志と能力によって自己完結的に自分の掌握下に収められることになります。 これは事実、人生で恐れるものが何もない心の状態を生み出します。
少なくともそこには、「人の目」に由来する脅威の類は微塵もない状態になるわけですね。 「恐れるもののない心」というのは、そのように、「心の持ち方」「心の姿勢」なんて小手先のものではなく、大掛かりで現実的具体的な実践の上に成り立つ、極めて具体的な形を取るものだということをご理解頂ければ。
まあ僕個人について言えば、そうした心の状態のはしくれ段階(^^;)ですね。先はまだ長い。 でもまあ概して「恐れるもの」はないですね。新しい場面や行動に際して不安感緊張感が流れるのはあるでしょう。それは感情の膿がある限りそうなります。 ただしそれが成長への通り道であることにおいて、そうした全体が「恐れるもの」ではなくなるわけです。つまり僕はもう「恐怖を恐怖しない」ということです。
一方、人が恐れ、それにより人生を見失うのは、「恐怖を抱く自分」であったりするでしょう。恐怖を恐怖するわけです。何よりも、恐怖によってコントロールを失う自分を恐れます。そこから逃れようと、現実的なコントロール能力など生まれようもない非論理的観念に頼り、現実から遠ざかり、コントロールを失った現実によって脅威に晒されるわけです。 またTVで報道されている「霊感商法」しかり。「人の目」しかり。 根底にあるのは、自分自身の中に抱えた脅威だということになります。
その正体を解き、根本解決への答えを得る扉を開けるための、最初の「鍵」である「自立」の、最も先の姿をここでは説明しました。 もう一つの「鍵」は、「自立」を妨げる要因についての鍵であり、一言でいえば「幻想」です。 「人生」という側面でのその表れ方を次に。 |
|