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過去ログ
2005


クリスマス、楽しかったけど、心の底から楽しんでない。。。。 / クミータ

私はまだまだ自己像の中で生きてるらしい。ともすれば嫌な気持ちになってます。自己操縦心性が分からない。私はいつまでもいい仕事(私から見れば)を手に入れた友人が羨ましいし、スタイルのいい彼女が羨ましい。でもって、ちょっとからかわれたら地底深く落ち込んでます。島野さん、早く本出してください。いつかハイブリッド人生心理学をものにできる日が来るのでしょうか?

No.30 2005/12/27(Tue) 06:52

 
Re: クリスマス、楽しかったけど、心の底から楽しんでない。。。。 / しまの

うん、頑張って書かねばですね〜。
ダイジェスト小説の後は、2冊の心理学本を来年内に刊行が目標です。

自己操縦心性について理解してもらうための解説は、まずは掲示板の「成り立ち」シリーズになります。それで勉強してもらってどんな取り組み方向をつかんでもらえるか。

あと人それぞれの状況がありますので、メール相談も積極的に利用してもらった方がいいかも。その人自身では思いつかないことに意識を向けてもらうようアドバイスするのが大抵ですので。

No.31 2005/12/27(Tue) 11:28

保守ゅ〜 / しまの

この無料掲示板あまり長い間カキコないと消えちゃうので、とりあえずカキコ。
えへへ。

No.29 2005/12/26(Mon) 20:41

またまたおばさんです。 / おばさん

こんばんは、みなさん。

前回の書き込みのあと「自分と他人の間にあるもの」を考えてきました。そして出た答えは「何もない」でした。私はこれまで、人とつながりたいのにつながることができないことに一人で(ひとりよがりに)苦しんできたので、この発見はチョット驚きでした。でも別な見方をすると(←ここがハイブリッド^^)それは当然なことでした。私は、基本的不安、残存愛情欲求、そして自己操縦心性によって、自分と他人が未分化の状態にあるため、何も存在しえない、存在する場所がそもそもないのです。

まずは自分自身ととことん一緒にいてあげる(私の場合、すぐに意識が自分から抜け出してしまうのです)訓練中です。そうして自分という宇宙を持たなければ、他者という宇宙も見えないし、その他者とどのようにつながってゆきたいのかも見えないはず…。(他者に対する敬意は自分に対する敬意なのね)

「ひとりぼっちで漂っている真っ暗で音もない宇宙空間」こそ私の宇宙なのではないか、恐怖するのではなくそこが私の城であり帰る場所であり、基地であり…。というように、先日から考えが変化してきました。

みなさんにお伝えしたくて書きました。よかったら皆さんのことも教えてください。ではでは。

No.22 2005/10/31(Mon) 21:24

 
Re: またまたおばさんです。 / おやじ

こんにちは。
久し振りにこちらに来ました。
チョットおたずねします。

>「自分と他人の間にあるもの」を考えてきました。そして出た答えは「何もない」でした。
>(他者に対する敬意は自分に対する敬意なのね)
>「ひとりぼっちで漂っている真っ暗で音もない宇宙空間」こそ私の宇宙なのではないか

自分を愛してあげると言う感じでしょうか?
他人には何も(例えば愛)求めないですか?

残存愛情欲求を克服されつつあるようですが、
具体的にはどのような心の持ち方をされたのでしょうか?
御教示をお願いします。

No.26 2005/11/11(Fri) 04:49

 
Re: またまたおばさんです。 / おばさん

おやじさん、こんにちは。

「御教示」できることなんてないんですけど、島野ハイブリッドからたくさんのことを学んで、自分なりに試行錯誤しつづけた結果、今のような心境にあるのだと思います。今年の1月頃から意識的に取り組み始めました。まだまだ道半ばという気がしていますが、それでも半年前に比べても格段に自分が変化したとわかります。それはきっと私の周りにいる人にもはっきりと感じられていることだと思います。


> 自分を愛してあげると言う感じでしょうか?

その言葉は今までも何度となく眼にし、考え、そうしようそうしようと思ってきたことでしたが、具体的にどうするかということが全くわかっていませんでした。いろいろ複雑に絡まっているこころの中を整理した上で、通り道をすっきりさせた上で「自分を愛」さないと、さらに複雑怪奇な心境になるだけでした^^。今は、そうですねぇ〜、島野さんも書いてらっしゃいますが、「意識せずに」自分を愛せていると思います。愛するとはどういうことかとか、私は自分を愛しているかなどと、考えなくても、自分は自分を愛していると実感できるという感じです(あまりいい説明ではないかも)。だからきっと「自分を愛そう」と思う方向に答えはないということでしょう。気がついたら自分を愛していた、となるように、そうなるには、取り組むものは別なところにある。ですよね、島野さん?^^



> 他人には何も(例えば愛)求めないですか?

他人との関係で、島野理論から私が学んだ最良のものは、「共通利益のみに着目する」ということでした。その場、その時、一緒にいる人と、ただ楽しみだけを共有しようとする。自分がその人に対してどう考え、その人がどう自分のことを考えているか、過去にあったこと、表面には現れないこころを憶測すること、などには一切関知しないということです。私はそれまで、表面に現れることよりも内面の方が重要だと思ってきました。だから、その人の言動そのものよりも、その言動の基にある「こころ」を推し量り、それを評価して(勝手に)「善悪」のレッテルを貼り、それに従って対人行動を行ってきたように思います。そうではない。こころが大切でないわけではないけれど、人間社会はこころによって回っているのではなく、あくまで表面に現れる「現実」に従って回転してゆく。ある人がどんなに「悪い」人でも、嫌な人でも、その場、その時の「事態」は、その人を含めてその場にいる人間たちによってつくられてゆく。だったら楽しもう。こころは横に置いといて(あとで家に帰ってからの楽しみにして?^^)、一瞬しかないその時を存分に楽しもうと思ったんです。今はその場にいる人と誰でも結構笑いあって時間を過ごせるようになりました。とっても楽しい。その人がいい人か悪い人かなんて、ゼンゼン関係ないんですね。っていうか気にならなくなったんです。

振り返ってみると、よく心理の本に書いてあるように、私はこれまでどんなに「自分」だけに囚われてきたかということが良くわかります。こんなに苦しんでいるのに、本を読めばそれは自分の責任だと書いてある。そのことにさえ腹を立てたりしていたのですが^^、今ではそのことが納得できます。私は甘えていました。怠慢でした。自分に対して、とても怠慢でした。全部周りのせいにして来たんだもん。

「他者に愛を求めないか」というご質問でしたね。
愛は欲しいです。喉から、今にも本当に手でも足でも出てくるぐらい^^欲しいものです。でも、以前のようなやみくもな求め方はもうしません。自分が欲しい愛はどんなものかが少しわかってきたし、それがなくても私は私を愛せるし、だから、いま欲しい「愛」は、前のような、私の内側で何かを埋め合わせるような愛ではなくて、私の外側にあり、私が愛する他人との間にあるものです。それはとりあえずはなくてもいいのです。でも、求めつづけます。「あっ、その愛、僕も欲しいなぁ」といってくれる人が現れるまで^^




> 残存愛情欲求を克服されつつあるようですが、
> 具体的にはどのような心の持ち方をされたのでしょうか?


私の場合、物理的に母との距離を取ることが必要でした。そうして母を相対化して初めて、自分がどれだけ母に「侵蝕」されていたかが分かり、そして自分もそれを「利用」し、そのことに甘え、母が悪い、周りが悪いとだけ吠えてきました。母には確かに問題があります。でも、そのことと「いま」の私には何の関係もないのです(これも島野さんの言葉の受け売りだなぁ〜^^)。母の愛が欲しかった。でも与えられなかった。単純にそれだけなのです。だから、それを踏まえて、さぁどうするか、ってのが、私に与えられた課題です。

こころの持ち方としては、「何で私はこんなに愛を欲しがるのだろう」「何で私はこんなにさみしいのだろう」「何で私はこんなことに怒るのだろう」というように、いちいち考えてきました。何かがおかしい、何かが間違っている、それは一体何で、何が原因で、どうすればよいのか、それをとことんつきつめたと思います。島野さんの仰る「こころの手術」もしました。今でも意識的にしています。こころの膿を取り出すのです。これまで無理やりにこころの奥に押し込めてきた感情という感情をもう一度取り出して悲しみなおす、そして喜びなおす。そういう作業の途中です。生きるって、そういうことすべてを含めて、楽しいな、って思いますよ。一回きりしかないんだもん。楽しまなくっちゃ損ですよね。

あっ、それと「善悪の解体」、これも強烈でした。何が善で何が悪で、それは決まってはいないのだと。自分の中に鉄骨の柱のように2本、ドォ〜〜ンと立っていましたよ。今は崩れてなくなっちゃいました。別なものになりました。

長くてすみません、おやじさん。お役に立てたらうれしいです。

No.27 2005/11/11(Fri) 14:46

 
Re: またまたおばさんです。 / おやじ

御教示ありがとうございました。

私も改善されてはきているのですが、ちょっと躓くと一歩進んで二歩退いた感じになります。
実際は二歩退いているのではないのですが、そう感じて「あ〜駄目だ」となってしまいます。

一回きりの人生ですからね、楽に生きたいですね。
本当に有難うございました。

No.28 2005/11/11(Fri) 17:39

おばさんです。 / おばさん

クミータさん、はじめまして。書き込み、うれしかったです。角田さんの著書はまだ読んでません。明日本屋さんに行ってみます。私もこのサイトに出会えたからこそ、いまのような考え方、感情の持ち方ができているのだと、島野さんには感謝しています。私はいま、自分の中から母の影響を少しずつ取り去って、代わりにいままで隠れていた、自分でも知らなかった自分が、外からの刺激に反応してドンドン出てきて、そしてまた、いままで母が占めていた場所に、自分自身の生活の中から得るさまざまな体験が「学習」すべきこととして蓄積されていくような感覚で生きています。それはとても心地いいのです。周りがどうであれ自分はしっかりそこに立っている、というような自分は生まれて初めて感じています。(これまでは、母が私を侵蝕していたし、私は母を利用していたし)不思議なことに、自分がちゃんと立ってくると、自分自身も、他人も、そして自分と他人の関係もよく見えてきます。自分のペースでいいと思います。いっしょに、新たなものをつかんでいきましょうね。

No.25 2005/11/10(Thu) 21:30

(No Subject) / クミータ

すみません、付け足しです。先日、友人に借りて角田光代さん著の「対岸の彼女」を読みました。この本の中に「友達がいなくても大丈夫な何かを見つけることが大事なんじゃないか」というような一節が出てきて、非常に共感し下記の思いを得た次第です。(勿論、島野さんのハイブリッドをお勉強してきたからこそ掴み得た考えなのですが。)ぜひおばさんに読んでいただきたいです。それとも、もう読まれましたか?

No.24 2005/11/09(Wed) 00:45

私も。 / クミータ

私もおばさん同様、自分と他者との距離感をつかみつつあります。今まではオール・オア・ナッシング的な人間関係しか受け入れられず、その結果いつも孤独感にさいなまされてきました。最近は宇宙の愛なんて存在しない、私を大事にしてあげるのは私なんだ、そして、例え今この瞬間に理解者がいないと感じても、私がいるじゃないか、と思えるようになりました。また、他者に期待することばかりで自分から与えることをしてなかったことにも気付き、人から受けることは期待しないで自分がやりたいやり方で他者に与えることを念頭におくようにしています。私は私のペースで少しずつ成長している、という実感があります。しまのさん、ありがとう。

No.23 2005/11/09(Wed) 00:38

未知の自分に出会いはじめて / おばさん

こんばんは、みなさん。

島野さんの理論に取り組み始めて半年ほど。絡んだ糸が少しずつ解けてゆくにつれて、真ん中にビクビクしながらうずくまっている自分が見えてきて、覆いを一つ一つ取ってやると、今まで全く知らなかった自分が羽を広げるように伸びだしてきました。感じる感情も自分のもの、ながす涙も自分のもの、すること考えること感じることが自分のものとして認められ、この自分は唯一無二なのだと思えるようになりました。怒りからも開放され、残された時間を有意義に使おうという気持ちで一杯です。

ただ、私は根本的に、人との関係の取り方に何か「間違い」があって、どうしても「ひとりぼっちで、真っ暗で音もない宇宙空間に助けも無く漂っている」という、ことばにならないほどのとてつもない恐怖感から自由になれません。母が、私がかなり幼い時に、何かこの原因になることをしたらしいということがわかっています。その母に対する憎しみよりも深い恐怖。他人とはなんだろう。私と他人の間にあるものは一体なんなんだろう。

すべては私の人生の中の「条件」なのであり、乗り越えてゆくべき時間なのであろうと思う。恐怖に飲み込まれてしまうことはもうないのですが、自分の心理に取り組み始めて、そのメカニズムを知り、対処法を知り、生きることに希望を取り戻しつつある今でも、いえ、これからもずっと、私にとって「たったひとりぼっち」というものすごい臨場感のある感覚は、自分の内側に認めながらしかし外に向けて自らを開いてゆく努力をしつつ一緒に生きてゆくべき感覚なのだろうと思います…。

はぁ、それにしても、私の人生はどうしてこうなっちゃったんだろう。(笑)

No.21 2005/10/25(Tue) 22:04

急に秋らしくなってきた今日この頃 / どらいぶ

他の方の書き込みがないので、なんか自分ばっかりになってしまって心苦しいのですが
また書き込みます。
感情分析のところを今読み始めてるのですが、はじめのほうに書かれてある「基本的不安」というものが実によく納得できる言葉だなぁと思いました。社会は敵!まさにそんな
心理状態でした。そして、その毒のある感情がまわりの人に流れて、本来はまったく関係のない人にまで敵対心を作ってしまっている、そうすることではじめはひとりよがりの
思い込みであったはずのことが、実際に社会(で普通に生活している人)が敵となって自分に向かってくる、ということに気がつきました。自分で自分の首を絞めているんだなぁと。
小説のダイジェストも読みました。好きだという気持ちがあるのに、それを態度にだせないでいるところなどが、自分の過去の記憶と重なり合って泣けました。
もう私も33歳になりますし、彼女いない歴も同じです。10数年という貴重な時間を
ひたすら苦しみの中で生きてきたことに、なんてもったいないことをしたんだろうって
思います。
これからもこのサイトで勉強を続けます。
それと小説の続きが楽しみです。

No.20 2005/10/01(Sat) 22:27

その後 / どらいぶ

はじめはおそるおそる読み始めましたが、読んでいくうちにこれは信じられる理論だと
安心しました。心理障害について書かれてることはほぼ自分に当てはまることで、まるで
しまのさんが自分のために書いてくれたような気までしました。そこから脱却する方法も
実に細かいとこまで行き届いて書かれてあって、改めてしまのさんを尊敬しました。
今私は、工場でアルバイトとして働いています。8月の終わりから新しく決まった仕事
なんですが、障害のために、人間関係が危うくなり、私に作業を教えてくれてる人から
は、信用をまるっきりうしなってしまいました。はっきりいって、これからも続けて
いけるかどうかあやうい状況です。直接「お前は普通の人間じゃない」とまで言われまし
た。来週からまた出勤しますが、このサイトでまなんだ自己建設型の生きかたを実践しよ
うと思います。そして、先輩に植え付けてしまった不信の芽を少しずつでも取り除いて
いけることを願うばかりです。

No.19 2005/09/16(Fri) 22:32

はじめまして / どらいぶ

自分も心の悩みを抱えて生きている男です。高校生くらいから症状が現れてもう
30をすぎましたが、この期間の自分の人生は真っ暗闇でした。精神科にずっと
通っています。先生はたびたび「むかしよりはよくなっている」といいます。よくなる
という意味は社会生活を送れるようになっているぐらいの意味だと思いますが、自分で
はそんなふうにほめられてもちっともうれしくない。人生の楽しさというものをほとん
ど感じることのできない生活がいやでしょうがないんです。人生をもっと有意義に
すごすためにはもっといろんな人の知恵をかりようと思い、ネットで調べに調べた
結果、その中で一番すごかったのがこのサイトでした。精神病とも神経症ともいい
にくい自分の病が心理障害であること。そしてその解決法は、精神科の先生には
ないこと。つい数日前に見つけたばかりでまだ全体を知るとこまでは遠く及ばないですが、これからこのサイトに書かれてあることを熟読して、実践したいと思います。
その結果自分の身になにが起きるかは不安ではありますが・・・・。

No.18 2005/09/01(Thu) 19:35

久しぶりにお便りします(^-^) / うさこ

うさこの人生ときどき激震はしっています。親はいつも元気で健康とは限らない…自分の人生建築するために必死でやってるけど叶わないと思うことも… その度に究極の選択に迫られてます。自分の人生かけた望みが叶わなくてもまた新しい自分の道を選択できるから潰れたりはしない。どうして望みが叶わないのに絶望せず幸せでいられるかというと、曲がりなりにも親が私そのものを望みに思ってエネルギーをつぎ込んでくれたから… どんなに逆境に陥っても究極の選択を自分でしたときに幸せがちゃんと生まれてくる。 自分で現実をみつめて選択するとそれは不幸じゃなくて幸せなのですね…
実感(^−^)

No.17 2005/08/22(Mon) 16:51

しまのさん こんにちわ *(^−^)* / うさこ

うさこ先月はダウン状態でしたが、また復活しました。
今日は掲示板の残存愛情要求のところを読んできました。
しまのさんの掲示板の前に来るとうさことても安心できます。

私のこころの障害の中核のような残存愛情要求、いつもこの辺でぐるぐるしてます。
拒絶や裏切りを予期してしまう、そして攻撃・・・

これを繰り返していては幸せになれないと自分でも思っています。
心の中心に深く残存愛情要求が根をおろしているという感じです。

うさこまたこれから掲示板の前に行ってきま−す *(^−^)*

No.16 2005/08/06(Sat) 11:40

うさこまたここへ帰って来ました・・・ / うさこ

しばらく勉強に夢中だったけどまた島野さんの所へ帰ってくることになりました。
きょうは7月5日の「望みの停止」のところを読みました。
希望に向かって挑戦してたけどなかなか思ったようにいかなくて
とうとうダウンしてました。

さっきまで完全に望みの停止状態だったけど、
でも今ちょっと落ち着いてきました。
前のあったかい記憶が戻ってきました。

勉強がハードだったのと人間関係のストレスで完全にアウト状態でした。

人間関係って必ずしも自分の思ったとおりにいかないものです。
望みを100%かけてトライしていたとしても。

内側の望みと外側の望み・・・
わたしは外側の望みが崩壊したかなって感じです。

今は静かに自分の心に向き合っています・・・

No.15 2005/07/10(Sun) 10:43

久しぶりにマジメにお勉強してしまいました。 / きむちゃん

しまのさん、はじめまして。

一月ほど前、特に事件があったわけではないのですが、周囲の人たちが辛そうにしている様子が、なぜか妙に気になっていました。漠然と、そうした時、人は「キャパ」が一杯なのかな?キャパが一杯になると、攻撃的になるみたいだな?でも、キャパってなに?人はどうして、理不尽な攻撃行動をとってしまうの?怒りはどこからくるの?などと考えて、ネット検索しているうちに、偶然こちらのページに出会いました。

すぐに、ぐいぐい引き込まれて、数週間、毎日時間を決めて、じっくり読ませていただきました。もともと、自分の問題として意識してネット検索をしたわけではなかったのですが、自分自身の問題として、心について、色々なことを考えるのに、とてもよい場に出会えて、嬉しくなりました。まるで学生時代のように、ノートをとったりして、まじめにお勉強しました。紹介してくださっていた認知療法の本「いやな気分よさようなら」にもとても、真剣に取り組みました。また、行間に島野さんの心の歩みを感じて、心がジンと熱くなりました。とてもよいサイトだと思います。

このサイトを運営してくださって、ありがとうございます。

\(^o^)/

No.14 2005/07/04(Mon) 21:37

こんにちわ☆ / うさこ

しまのさん お久しぶりです *(^−^)*
また掲示板にカキコしにきました

うさこは今勉強に励んでます!
半年前は集中力がなくて勉強できなかったけど
今はすごく集中できて活動的に毎日過ごしています。

でも人間関係でいろいろ苦しんだりもしてます。
いいこともあるけど…

今まで180度違う世界を行ったり来たりしていましたが
最近だいぶ現実の方が優勢になってきました。
80%くらいは自分の思い込みだったという感じです。

例外もあるけど、そんなに人って悪く考えてないんだなって
最近よく思います。

私が否定的な考えのときはみんな避難するけど
でもまた懲りずに付き合ってくれてます…

半年前の世界と完全に違ってきています。
今の私の目標は自分の世界、
自分の人生取り戻すことです。
今までひどい人生生きてきたから逆転するのは
とてもたいへんだけど…

またあしたからがんばって進みます☆
 (^−^)v

No.13 2005/06/26(Sun) 20:26

はじめまして / T

佐藤さんこんにちは。わたしはハイブリッド歴6ヶ月のTです。
私の場合は、一進一退という感じで、自分が良くなっているのか、悪くなっているのか分からなくなることもしばしばです。
でもこれでいいのかなぁと今のところは納得しています。(納得できるようになってきた?)

良くなったと感じる点は(私は対人緊張なのですが)細かい点であまりこだわらなくなった気がします。
例えば、緊張する場面に出くわしたとき、以前なら頭の中が真っ白になって、恐怖の螺旋に飲み込まれていましたが、今は対人場面によっては、まぁたいしたことじゃないじゃんという軽い気持ちが湧き、楽になります。
(ただし強い緊張場面を想像しては、ひとりで勝手に怖がったり悪夢にうなされています)

あまりご参考になれるようなことは書けませんでしたが、自分の今の状態を言葉にしてみて、色々と考えることが出来ました。
ありがとうございました。

No.11 2005/06/13(Mon) 18:59

 
ありがとうございます / 佐藤

私はまだ、仕事以外の対人関係では頭が真っ白になります。その上、そういう場合自分が嫌なのか鳥肌まで立ちます。・・どちらかというと悪化してる感じのような。。でも、仕事上の対人関係の立ち回りは以前より良くなってきています。時折、手痛い失敗はありますが。仕事以外でも、私もTさんのように少しは楽になれるといいな。お返事ありがとうでした。

No.12 2005/06/19(Sun) 22:31

こんにちは / 佐藤

掲示板に書き込むのは初めてなので少し緊張しています。

今現在の私の取り組み状況です。
ハイブリッドを知る前は理由のわからなかった恥ずかしさや怒りで自分を消し去ってしまいたい衝動がよく起こっていました。いまでは、自分や他人の理想像と比較したそれらの評価をどの様に感じているのかで、怒ったり、焦ったり、恥ずかしかったりしていると理解できるようになってきています。

恥ずかしい=自己理想像+そうなれなかった自分への否定感
みたいな等式を考えていくと、怒り、焦り、恥ずかしさなどの感情は軽減することができました。感情を少しだけ細分化することにより、一つ一つの感情成分には、今の私でも対処が可能でした。でも、人への恐怖感は全く無くなりません。これはしばらくなくならないだろうなと感じています。自分について考えていくにつれて、心がむきだしになっていくようです。今までは何ともないと思っていた些細なことに過敏に反応することもよくあります。麻痺していた感覚が自分に戻ってくるようです。今のところ、取り組みが前進しているという感じはしますが、いつも漠然とした悲しみが漂っています。

だらだらと書いてしまいましたが、これがハイブリッドに取り組み始めて7ヶ月目の私の状況です。これからハイブリッドに取り組む方のご参考になればと思い、書き込みをさせていただきました。ほかの方がどのように取り組みが進んで行っているか是非知りたいので、差し支えなければ教えていただけると嬉しいです。

No.10 2005/06/03(Fri) 15:25

こんにちは / T

気楽そうな掲示板を見つけたので、早速カキコしてみました。
私がしまのさんのHPにお世話になっているのは今年になってからなので、5ヶ月くらいになります。

初めの頃は必死になって毎日読んでいましたが、最近はわけがわからなくなると訪れて、しまのさんの言葉を読んで、「あーそうだったそうだった」と思い出してます。
そんな感じなので、全てを見に付けるのはまだまだ先になりそうですが、これからも宜しくお願いします。

個人的にはしまのさんの写真、特にガラスを撮ったものが好きです。ガラス写真の中でも、窓の外に丸いガラスたちが生き物みたいに並んでいるのが特に好きです。
それからガラスの魚も好きです。

時々見たくなって開こうとするのですが、毎回どこにあるのか分からなくて探してしまいます。

No.9 2005/05/23(Mon) 16:19

はじめまして / たけぼ

パソコンを使い始めたのがつい最近でこうやってメールするのも初めてです。私は今自分が自分の足で歩いているという感覚を知ることができました。こうやって悩んでいるのは自分だけだと思っていました。しまのさんのサイトに出会えてよかったです。この悩みは一般の心が健康な人にはどんなに説明してもわからないはずです。ちなみにうちの旦那も育てた私の両親も私のこの悩みの深い意味はさっぱり理解できないようです。それがとても辛かったのですが今はなぜかどうでもよく思えます。今は自分の本当の声を聞きながらいっぽいっぽ進んでます。

No.8 2005/05/20(Fri) 12:03

あたらしい掲示板みつけた! / うさこ

しまのさん こんにちわ お久しぶりです *(^^)*
新しい掲示板みつけたので早速カキコしちゃいます。
私はあんまり賢くないので高尚な掲示板は遠慮しがちでしたが
この新しい掲示板できてなんでも書けそうで超うれしいです。

私は今ハイブリッド心理療法の実践を実生活で体験中です。
それはもう、時には危機的状況もありますが、
毎日前進して実践の旅を続けています。

私が最近よく気が付くようになったことは
180度違う世界があるということです。
その全く正反対の世界を行ったり来たりしています。

人からは「こわい」とか「起伏が激しい」とか言われてます。
でも私がまともなときは周りの人もわかってくれてます。
人間関係を絶対に壊したくないと思って必死でやってます。

とにかく毎日180度違う世界を日々行ったり来たりうおさおやってます。

ここにたどり着いた最初の頃、私の心の状態は悲惨でしたが
5ヶ月たった今、希望がある毎日を送れるようになりました。
ときどきは喪失感や絶望を感じるけど。
でも今はとっても幸せです。

うさこはしまのさんのテレビ出演見たかったな ・・・

No.7 2005/05/15(Sun) 13:22

こんなことがありました。 / ペーター

もうずいぶん前のことですが、こんなことがありました。

仕事とプライベートでたくさんの人たちと言葉を交わした1日の終わり、
その反動だったのか、一人になって猛烈な孤独感に苛まれ、
時間の経過とともにそれは収まるどころか、ますます激烈になる中で、
僕は声を上げて泣きたくなり、ベッドでのたうちながら実際にそうしました。

そして、ひとしきり涙を流し落ち着きを取り戻しつつあった心に、
差し込まれるように去来したのが、「僕は寂しいのがイヤなんだ」、
「僕は孤独という状況を求めてはいない」という意外な事実でした。

というのも、それまでの僕は孤独を恐れる人々、一人になることを恐れ、
何をするにせよ徒党を組みたがるタイプの人間を心底軽蔑していたからです。
そんな僕にとっての理想的な人間像は「独りでも満ち足りている孤高な人」で
そうあることを僕は自分に強いていた。
けれど、最終的にそうはできなかった。僕はそういう人間ではなかった。

それを実感させられたときの、
理想的とみなしていた人物像と自分自身が
決して折り合わない、かけ離れた存在であることを教えられたときの
なんともいえない解放感、爽快感。
ああ、そうじゃなかったんだ。なーんだ、そうだったのか。
ずっと背負ってきた荷物を初めて降ろすことができたような安堵感。

思えば、僕がそれまで軽蔑してきた、自分が「寂しがり屋」であることを
周囲に表明して憚らない人たちには、その表明によって
寂しさを感じる状況を回避する「したたかさ」があった。
自分が求める「寂しさを感じなくてもいい状況」を手に入れていた。
自らの望みを徹底的に追求し、それを叶えていた。

はじめの孤独感による落ち込みと、その後に訪れた解放感の大きなギャップに、
僕は「もしかしたらこれが、自己操縦心性の崩壊? 建設的絶望体験?」
と思ったほど。もちろん、そうじゃないことはすぐにわかりましたが、
この経験を通して「ハイブリッド」の本質の一端に触れたような気がしました。

で、このところとてもいい感じなんです。
こんな自分に「自己操縦心性の崩壊」「建設的絶望体験」といった
壮絶な劇的体験が訪れることを、ちょっと想像できない点に
最近ちょっと不安?を覚えたりしてます。

No.6 2005/05/14(Sat) 01:06

ちょっと気分修正^^; / しまの

メイン掲示板にも書きましたが、「なるべく具体的に」とか「読者と一緒に発展させていく」とかはちょっと気合が入り過ぎていたので(^^;)、とにかくハイブリッドがどんなものかという感触を、訪れた人にも伝わることを目的にして、お気楽なものにしたいということで、冒頭文もちょっと修正しました。

ちょー簡単なカキコから何でも大歓迎しますので、ハイブリッドを盛り立てるためぜひぜひ積極的にカキコ下さいませ。
まあ自分がどう変化したかと考える余裕ができた折にでも、煩わしくない範囲で、よろしく〜〜!

No.5 2005/05/10(Tue) 15:28

道のりは長いのですね。。。 / クミータ

島野さんのサイトを拝見するようになって、そろそろ2年位になると思います。個人的に島野さんにメールで相談したのが2回、その他はひたすらサイトを目を皿にして読んできました。そこで私に理解できたのは、
@怒りは有害な感情
A自己の重心が自分には欠けていた
B感情はそのままに、行動は建設的に
ということです。まだまだ怒ったり、自分の重心を確固と守れなかったり感情に流された行動をとったりもしますが、今は以前とは違いそんな自分を客観視できる目を持つことができました。
しかしながら、自己操縦心性というのが良く分かりません。嫉妬感情が起こった時に、その相手に対して意地悪くするのもこの心性の仕業なのでしょうか。。。感情と行動は分離しようというアタマはあっても、この心性に邪魔される、と考えると分かるのですが。。。早くこの心性の素性を理解し、追っ払いたいものです。

No.4 2005/05/07(Sat) 23:00

「読者のフィードバック広場」開始! / しまの

例によって長いですが(^^;)、新しい掲示板開設についてメイン掲示板にカキコしたものをここにも掲載します。
あまりの閑古鳥だったり逆に収集つかないような事態の場合、やめちゃう可能性も含みは残しておいて、まあ試しにこんなこともやってみませう。
よろしくです!
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新しい掲示板として「読者のフィードバック広場」を開設しました。

主旨等については掲示板冒頭に掲載しましたが、僕としては要は、ハイブリッド心理学を島野一人が細々と公開する心理学ではなく、社会で広く認知してもらうための一つのステップとしたい所存でありまする。

先日もヤフーのメンタルヘルス・トピック見ていたら、米国で「人格障害の増加」が報じられており、成人の10人に1人は人格障害を持つとのこと。
多分日本でも同じような状況でしょう。

これだけ大きな問題でありながら、それに対する解決のアプローチが社会に十分に提供されているとは言えない状況であるのを感じます。
きのうも、帰省先で、家にきたお手伝いさんから、身近に接している、うつ病で何件精神科の医者に見てもらってもなおらない人や、10代の登校拒否の子の話とか聞き、時間があったらアドバイスしましょうとかいう話をした次第。
3歩あるけば心の病にぶつかる時代という感。

それに対して、現在認知されているアプローチは、精神科のお医者に任せ、診断して、とにかく薬を飲むことだ、というもの。もしくは、「傾聴」だけを繰り返す、方向性のあまりないカウンセリングが中心ではないかと思います。
それに対して、ハイブリッドでは、明確にある取り組み方法を定義するものです。なによりも、自分の人格を人に診断してもらうという姿勢とは対極にある、「自己の重心の選択」によって始まる取り組みです。

こうした考え方が支持されるかどうかは、結局具体例に依存すると思います。
僕自身の話は置いといて、実際のところ、ハイブリッド心理学がどう人の役に立っているのか。掲示板にカキコ頂いたり、メールで感謝の言葉を頂いたりという、はっきりしたもの以外でも、プライペートの中で自分の著作活動を紹介すると、ほぼ皆が強い興味を示してくれます。

掲示板に主旨を書いた中でも触れましたが、僕自身は、ハイブリッドがどう役立っているかを、個々の人に聞くことはありません。なぜなら、これは自己自身による、自己を成長されるための取り組みであり、それを人に導かれる形で行うことはバイアスを生じさせることだからです。

今日「ハイブリッド心理療法」というロゴをトップページに載せました。
最近、「療法とはもう言わなくなっている」と書いたことがありましたが、「自分自身の心理障害の克服として実践する限りにおいて心理療法と言い得る」と、定義しています。

ということで、ハイブリッド心理学がどう役立っているかは、僕個人への報告ではなく、社会へのひとつの主張して行って欲しいように感じているのです。

僕自身の目に見えることについて上述したことに続けると、ハイブリッドは僕に分かる以上に、かなり役に立っているという実績が、そろそろできてきている感触があります。
今はまだまだ準備段階ですが、こうした実績を土台にして、今後社会で大きく島野としての活動を展開したいという意志があります。

そんな発展と飛躍に向けての、ぜひはなむけ(?)代わりにでも、ご自由に報告下さいマセ。

No.3 2005/05/06(Fri) 12:20

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