読者のフィードバック広場  
過去ログ
2006


私、はじかれました / きむちゃん
No.77 2006/12/14(Thu) 22:12:17

この前ふしぎな感覚があったんです。
昔のことをふと思い出して怒りを感じた時に、苦痛な感じがしなかったんです。なんだか、「これが純粋な感情」っていう感じで、すごく納得感がありました。身体感覚としてもとても自然な感じで、まあ、おなかすいたとか、眠いとかの延長上にあるような。体に負荷がかかり過ぎないというか、神経が逆立つような感じがしないというか、ひきずられないというか、とても楽でさっぱりした感じでした。私にとってはとても新鮮で少しうれしい体験でした。


 
Re: 私、はじかれました / しまの
No.78 2006/12/15(Fri) 11:32:44

どうも失礼しました〜^^;

治癒成長取り組みの結果現れる「未知の感覚」は、何の作為もない形で訪れますね。
それはとりもなおさず、取り組み実践はそうした感情改善そのものを努力するのではなく、感情を変えようとしないまま生き方を変えていくのが本質だということになりますですね。


ちょっと設定修正 / しまの
No.76 2006/12/10(Sun) 09:50:31

スパム防止のための設定を以前のものからちょっと変更しているのですが、ちょっとミスで、書きこみがはじかれてしまった方がいる模様。
一応直しておきましたので。

またスパムが発生するようなら、また以前と同じに戻しますです。


はっとしました。 / クミータ
No.74 2006/11/01(Wed) 06:37:42

今日の「心の表と裏のメカニズム-8」はとても参考になりました。私も自己操縦心性がいつか崩壊しない限り、心は治らないのだろう、だから自分はだめなんだ、と思っていました。それと、気が付くと「なんかいいことないかなあ。。」と思っていたり。 建設的に生きるのみですね。


 
Re: はっとしました。 / しまの
No.75 2006/11/01(Wed) 09:02:43

「どうせ駄目なら建設的に」と意識するのが、案外一番正解だったりするかも知れませんね。

自己操縦心性があるところ、「自分は駄目」という感覚は一種の与件のようにありますので、それを無理に変えようとしても「駄目と思っちゃ駄目!」というパラドックスに陥るのがせいぜいです。
それは結局、「自分の心を良くしよう」と、何かの気分を自分に強制するという、まるで元の繰り返しになります。

僕自身の過去を振り返っても、「どうせ駄目なら」という感覚の中で結構大胆に生きてきた結果、いつの間にやら世界が変わっていたという感じかと。
「心理学的課題と意識努力の表現は全く別」ということで、結構裏技的な意識方法が沢山あったりするかも。


拝読しました。 / クミータ
No.72 2006/10/25(Wed) 06:42:43

実は、読んでからしばらく時間がたってしまいました。メモに55ページと331ページと書いてあるので、そこに感銘を受けた何かがあるはずなのですが、今読み返して何を思ったのか忘れちゃっています。頭悪すぎ。何を思ったのか書いておけば良かったな。


 
Re: 拝読しました。 / しまの
No.73 2006/10/25(Wed) 12:09:01

どうも〜。

P.55「心を解き放つ」という方向変換への最初の変化を書いた部分ですね。
それまでの「自己の成長」や「対人関係の改善」と考えていたことの全体が、自分を監視評価する敵対姿勢の中にあった。成長も改善も、実はその全てをいったん放棄した中に生まれてくる
その具体例として、より感覚的に理解いただく手助けとして書いた部分です。

P.333「人生とは何か」というテーマを一言で表現した言葉を載せた部分ですね。「人生とは、与えられた条件によって決まるのではない。そこからいかに前進するかにあるのだ。」
この本の全体が、その一つの事例だということになりますね。

どっちも、言葉はごく少なく載せてますが、大きなテーマですね〜。


ひとりごと / きむちゃん
No.71 2006/10/02(Mon) 22:40:15

やたらに依存されるので、苛立ちを感じたり、しらけてしまうことの多い私ですが、最近ふっと依存してくる人たちの抱えるせつなさや依存する必然性に思いをはせることがあります。そんなときは、「もちつもたれつの社会の約束」としてやさしく接しなければならないとがんばっている自分自身の気持ちも少しいたわりたいような気分です。


アレ,うちも共同購入するだけど / midori
No.68 2006/09/27(Wed) 21:53:59

みなさん始めまして(オジギ。
海外日系BPDofFの事務局長のmidoriです。
ウチのファンドでも会員(世界17カ国に点在)用に注文をとったら,計987部(本日現在)となり、在日の事務局長補佐が共同購入して各国の会員宛に発送する話になっているんですけど、パルートさんはウチの会員じゃあないですよね。
もし違っていたらごめんなさい。


 
Re: アレ,うちも共同購入するだけど / 某出版屋
No.69 2006/10/02(Mon) 11:35:35

老婆心ながら専門家から。
この手の書籍は初版2000〜5000部足らずで、それが流通在庫で全国を流れるから、出版社や版元に1000部単位の在庫が残っていないことが多いですよ。
共同購入割引を出版社や版元に注文するなら在庫確認をしないと、流通在庫の回収や増刷が終わるまで現物がなかなか手元にこないことがあります。
ですから、少なくとも出版社には在庫を確認しておいた方がいいですよ。


 
Re: アレ,うちも共同購入するだけど / しまの
No.70 2006/10/02(Mon) 18:58:03

在庫不足の際は、ぜひ「保留注文」でよろしく〜。


471部注文予定です / パルート
No.66 2006/09/24(Sun) 19:21:44

島野さんはじめして。
島野さんの著書をウチの“BPD協同の会”で全員が購入することが決まり、471部を発注することになりました。
みんなで読んで話し合い、悲しみから旅立ちます。


 
Re: 471部注文予定です / しまの
No.67 2006/09/25(Mon) 01:12:25

どうも〜。大口お買い上げありがとうございます〜。
それぞれの方に、唯一無二の「心の旅」があることを思いつつ..

心理学本の執筆の方も、頑張りますです!


管理メモ:No.62-65は荒しのため削除


一番好きな場面 / しまの
No.61 2006/08/13(Sun) 00:56:52

島野自身が『悲しみの彼方への旅』の一読者として投稿など書いてみようかなーということで、こっちにカキコ。

今回の小説は自分でも呆れるほど、自分自身で何度読んでも目がうるうるするような、これが僕自身にとってのマイ・ベスト・ノベルのように我田引水で(^^;)感じているのですが、自分で好きな場面の話など。

色々と印象的な場面がある中で、ここが一番好きだなーという場面は、「6章 自己の本質への接近」のラストの場面、P.97の「あの子はやはり授業に来ませんでした」からのところですね。
あの子への感情を受け入れ、前に進もうという静かな意思が生まれた時、遥か遠い過去に自分が同じ感情を体験していたことに気づく。そして彼女の面影を求め、教室を出た時、あの子の現実的なイメージが消え去ってしまう。
翌日、眠れなくて酒を飲む主人公に、置き去りにした遠い過去が蘇ってくる。

でその心理情景に重なるものを感じる他の文学作品(とあえて言っておきますが)が、『ポーの一族』の最後の場面だったりします。オービン卿(だったかな)がエドガー達の面影を求めて、夕暮れの空気の中に立ち止まる。ちょっと引用しますと、
「エドガー、アラン、・・・
すべてこの夕暮れの時が作り出した、もののけの影のような、実在しないまぼろしか・・・?
そう思うと・・・わたしもこの世界も・・・いっさいが・・・この手すら
夢に見えてくる。時どきのおりなす夢に・・・
彼はいなかったのかも知れないのだ」
「いいや彼はいた
いたとも・・・私は知っている。私は見る、彼の姿、彼の声。時のはざまをかける影
そうだ・・・わたしは彼の話をかくことさえできる
彼の生まれた朝すら思い浮かぶ
それは、この夕暮れによく似た、銀色の世界
・・・そして私は最初のページを始める。エドガー・・・
エドガーおまえに
わたしのはるかなるおまえに
そして そのポーの一族によせて・・・と」


でその中の「彼の生まれた朝すら思い浮かぶ・・・」という情景と、「8章 蘇った自己」のP.138のこの場面が重なるような。
「だからこそ僕は今、あの淡い日々の続きとして、大人になった自分が、大人になったあの少女と一緒に、穏やかな日々を送っている場面を夢想することができる。」
この辺の追想ものは、結構いろんな文芸作品の中に見出せるかもしれないですね。

というわけで、島野自身が一番好きな場面の紹介でした。他にも色々とあるんですけどね。
読者の方はどの辺に感じ入ってもらえたかな〜と思う今日この頃。なにかあればぜひカキコして頂ければ。


うーむ。。。 / クミータ
No.57 2006/07/27(Thu) 07:04:18

島野さん、みなさんこんにちは。実は個人的に自分を見つめなおす機会がありましたので、自分の疑問点も浮かび上がりフィードバックにカキコしております。
「自分が変われば何とかなるのでは」という楽観的な「望む自分」に酔っていました。でも、「れば」は価値を持たないのですね?常に「この状況下でどうするか」だけに焦点を置くのが幸福への道なのですね。人間、平等なんかじゃないですから。ね?


 
自己イメージの3段階 / しまの
No.58 2006/07/27(Thu) 12:11:31

こんにちはー。

「こうなれれば」「こんな自分」という自己イメージについては、3段階のものを理解頂くといいと思います。
治癒成長の大きな道のりにおいて、自己イメージの意味役割は大体その3段階を経るということで。

1)自分を見下すための理想イメージ

これは取り組みの前半段階で特に問題になる自己イメージです。
それに向っての現実的な向上心に全くつながることなく、自分や他人を見下し軽蔑するだけのためのような「理想」がまずあります。そこから見下すための、唾棄された自己イメージ
否定型価値感覚破壊型理想といった心理の中で抱かれるものです。

これは全く心の健康や幸福に役立つものではなく、そこから抜け出す取り組みになります。具体的には感情分析で、「否定できる自分に価値を感じる」否定型価値感覚と、それが現実にもたらす結果を十分に感じ取ることが重要です。
その先に、否定型価値感覚の根本的な放棄である「不完全性の受容」という大きな心の状態の転換が、治癒成長道のり上の最大の道標のひとつになります。

2)「空想を生きる生」の自己イメージ

否定的自己イメージばかりの段階を脱すると、多少は前向きの意欲などにもつながる自己イメージが取り組み対象になります。
これは「空想を生きる生」から「現実を生きる生」へという、治癒成長の大きな軸で考えるといいですね。

「空想を生きる生」の中で抱いた自己イメージは、それに陶酔し高揚感を感じさせたり、逆に現実に出会い幻滅や落胆感を感じさせたりするものですが、深い自己理解と共にこうした感情の揺れ動きを体験する中で、自己操縦心性が徐々に崩壊していくという治癒になります。
「現実を生きる生」が強くなってくる。この「現実を生きる生」では、「自己イメージ」そのものがあまりない感じになってきます。ただ現実に向って生きる感覚です。
クミータさんが書いてくれた
>常に「この状況下でどうするか」だけに焦点を置くのが幸福への道なのですね
もそのことだと思います。

ただ大きな目で見ると、この治癒成長に向って、「そこに一片の建設的要素があるのであれば」、空想的な自己イメージであっても、それに向って積極的な現実的行動努力をすることが望ましいです。うまく行けば何かが得られるかも知れない。多くの場合、空想とは違う現実に出会う失敗になる可能性も持ちます。それが自己操縦心性崩壊の辛い体験になることもあります。しかしこれが「成長の痛み」なわけです。

3)魂の自己イメージ

上記のような高揚と幻滅の動揺過程を何度か体験しているうちに、自分の成長が感じられてくるようになります。「目に見える感情は変わらないまま足元がしっかりしてくる」と表現しています。

この先に、さらに「人間性の根本的変化」の道のりが開けてきます。これは取り組み後半の段階です。
この段階になると、上述のような揺れ動く自己イメージとは異なる、もっと深い「自分の人間性の核」のようなものが感じ取れるようになります。
大きな波線のずっと下にある、緩やかに上昇する一つの線をイメージするといいと思います。目に見える自分の感情や思考といった自己イメージが揺れ動く過程の中で、確実に成長している自分の魂という感じですね。

これを「魂の自己イメージ」とでも呼べると思います。
これの大きな特徴は、「人の目に見られる」という感覚が全くないことですね。その上で、それが自分を生かしているという感覚。

これが「自分の人間性への自信」なんていう尊大な(^^;)テーマになってくるようです。と汗マークつきで言うのも、この「魂の自己イメージ」を自己操縦心性が逆手に取って「空想を生きる生の自己イメージ」の材料にしてしまうことも起きる次第です。
でまた高揚と幻滅を繰り返す中で、「魂の自己イメージ」がさらに強くなっていく。

そんな感じで、一筋縄にはいかない複雑なのが、人間の心ですね。だから「多面を同時に見る」ハイブリッドです。
「魂の自己イメージ」を成り立たせる「人間性の成長」などについては、引き続き「魂の成長の成り立ち」で解説しま〜す。


 
Re: うーむ。。。 / クミータ
No.59 2006/07/28(Fri) 07:13:39

しまのさん、レス、ありがとうございます。

>ただ大きな目で見ると、この治癒成長に向って、「そこに一片の建設的要素があるのであれば」、空想的な自己イメージであっても、それに向って積極的な現実的行動努力をすることが望ましいです。うまく行けば何かが得られるかも知れない。多くの場合、空想とは違う現実に出会う失敗になる可能性も持ちます。それが自己操縦心性崩壊の辛い体験になることもあります。しかしこれが「成長の痛み」なわけです。

「うまくいけば」ですよね。私は失敗したみたいです。でも、いいや。やりたいことの募集に、少なくとも手を挙げたんだし、それだけでも、逃げなかった自分に拍手を送りたいし。だって、私は英語の試験で1000点取れないし、頂点にはいません。そういった人が集まった中で、採用されるかされないか、というのは微妙ですよね。私は、少なくとも、今までの私の来歴を否定したくない。

色々あっての私ですもの。負け犬の遠吠え、という人もいるでしょうね。。。。

でも、そういう人の持ってない物を持ってるから、いいんです。私の人生はオリジナルだもん。今までお世話になった友達や恋人、夫や子供、そして島野さんあっての私の人生なので、客観的な成功なんか、なんか、なんか。。。。。 あーん、やっぱり、私、くやしいみたいです。。。。。


 
「誘因分析」 / しまの
No.60 2006/07/28(Fri) 15:33:11

その場合、その「悔しさ」の感情分析をするのがいいですね。感情分析の中でも「誘因分析」という部類のものになってきます。
自分がどうしても得なければならなかったと感じる対象。そう感じる価値とは何だったのか。他のものではその価値は得られないのか。なぜその対象でなければ得られないと感じるのか。

その「価値」とは大抵、「絶対性」とか「誉れ」といった感覚を帯びた何かだったりします。そしてその価値が自分のどんな欲求によって欲するものになったのかの分析をします。
それが自分の本性的欲求であるのであれば、向うのみです。それとも他人に見せつける勲章のようなものとして、それを欲したのか。見せつける衝動の元に、何かが奪われたという感情があるか。

こうした「誘因分析」を行う感情分析は、ハイブリッドの実践の中では「欲求の浄化」に位置付けられる実践です。
tspsycho.k-server.org/books/book_next.html

「望みに向う」ことの治癒成長上の意義は、1)それが心の成長の基礎であること、2)上のレスで書いた失敗による「成長の痛み」体験、あとはこの3)惹かれる自分の感情の分析効果、という主に3つの側面になると言えるかと。

失敗と、感情分析とともにある、「望みに向う」人生の活動。これがまさにハイブリッドの「人生における実践」そのものですね。


質問です / そら
No.51 2006/07/06(Thu) 16:39:51

はじめまして。境界例を自覚して四年になる主婦です。

私はここんとこ、とにかく「笑えれば幸せ〜」という思いが増してて、
あるお笑い芸人にはまっていました。「この芸人を見れれば幸せ〜」状態です。
でも、はまり方がすごかったので、うーーーーん何かあるのでは・・・と思ってしまい(私の中に、「私がはまるものは何かある」という法則ができてたので)

その芸人さんについて調べてみると、その奥さんやお母さんが宗教(S学会)の熱烈な信者さんだという事がわかり、そういう一面を知っただけで、やや幻滅してしまい、
ぽっかりなってしまった状態です。
宗教は自由なのですが・・・

本人達は信者じゃないけど、この私が見捨てられ感を消す為しがみついていた宗教だったので、(当時ば知らなかった)彼等も健全じゃないんだーみたいにどうしてもなってしまって落ち込んでしまっています。

ほんとに大好きで(人間性が)そのお笑いを見るのが最近の私の原動力になっていました。
いつもの、「少しダメなら全部ダメ」的思考が抜けずにいます。
すっかり「私はこうしたい」がなくなってしまい、パニック、無気力になってうろうろしてたら、こちらにたどり着きました。
こんな状態の私です。

質問なのですが、
「怒りのない人生へ」というのがよく理解できなくて・・・すみません。
「怒りを感じてはいけない」という事ですか?
私はやっと最近、怒りを飲み込まず、捉えて表現できるようになってきてたので
混乱しています。
それと、自分に「こうあらねば」と圧力を加えないと、犯罪者になってしまうような感じがするのですが・・・

厳しくアドバイスして頂いて構いませんのでよろしくお願いします。


 
Re: 質問です / しまの
No.52 2006/07/06(Thu) 18:54:20

怒りは基本的に自ら生理不調を起こす不快な感情なので、ないに越したことないですね。
「怒りを感じてはいけない」の「いけない」も、また「怒り」です。

怒りは「それでは駄目だ」という「破壊」という行動様式の中で生まれ、「こうすればいい」という「自衛と建設」という行動様式の中では、不要です。
「インデックス」を参照して頂いて、行動法に関する勉強などして頂くといいですね。自分に圧力をかけることもなく、犯罪者になることもない思考法行動法と、その先に心が浄化される成長というものがあるものです。それを選択するかどうかですね。

より具体的なアドバイス等についてはメールカウンセリングなどをご利用下さい。(←営業^^;)
ここ数年怒ったことがなく、怒りの感情も忘れつつある、人畜無害な(^^;)島野でした。


 
Re: 質問です / そら
No.53 2006/07/07(Fri) 10:35:39

すごいですね〜。
数年怒ったことがないなんて・・・
怒らないなんて、それこそ自分をなくしてしまいそうな感じに思えますが。

>「怒りを感じてはいけない」の「いけない」も、また「怒り」なのです。
あら、ほんどだ・・・って思いました。

まだ、ぽわんとしか島野さんの世界を掴めてないので、もっと気合を入れて勉強した方がいいですね。
ありがとうございま〜す。


 
「感情と行動の分離」という基本 / しまの
No.56 2006/07/16(Sun) 13:53:59

ひとつ、良くある質問への答えとしてコメント加えときましょう。

>それと、自分に「こうあらねば」と圧力を加えないと、犯罪者になってしまうような感じがするのですが・・・

心に圧力は加えず、行動はコントロールします。そして行動も「こうあらねば」というより、自分の幸福にとって最も利(理)にかなった行動を行ないます。
これが「感情と行動の分離」という、ハイブリッドの基本です。

犯罪者になると臭い飯(古い言葉..^^;)を食らうことになりますので、犯罪は犯さない方が得ですね。

そうして感情と行動を分離し、いままで無理に辻褄を合わせていたようなものを、あえてバラバラにするような感じですね。
その先に変化が始まり、やがてかつては犯罪者になりかねなかったような心きれいになっていく取り組みになります。これは「欲求の浄化」という話です。

メイン掲示板でやってる難解解説モノ(^^;)が終わったら、そうしたハイブリッドの要点をさらに分かりやすくまとめたものをサイト側にUpして行きますので、こうご期待です〜。


ご紹介に預かりました? / B
No.54 2006/07/10(Mon) 23:09:34

島野さんにご紹介に預かりました、一応ぎりぎり20代のBです(^^
最初の自己操縦心性の崩壊以後、よたよたとですが充実した毎日を送っています。
まったく悩みが無くなった訳ではありませんが、日々心の中で何かが変っていっています。そして人生の喜びが増しています。ただ、それに伴い何度かの絶望も繰り返しています。絶望の谷を通るのは一回きりではないんですね(^^
最初に崩壊体験を感じた時が、一番混乱していました。ハイブリッドに取り組んできたことが、無意味に思えて意識が遠のく中で絶望を感じました。その際、習慣となっている川辺でのウォーキングにでかけ、土手沿いをふらふらと歩きました(どう見ても自殺志願者ですね、あやしー)。自己が潰れていくような感覚の中、私の心とは対照的に川面に反射した夕日や、風に揺れる猫じゃらしがとてもきれいだったのを憶えています。ここなら死んでもいいとさえ思えました。その後は島野さんが紹介してくださったような経緯をたどりました(^^
ここで、今回書き込みをさせていただいたのは崩壊体験とかほんとにあるの?と思っていらっしゃる方がおられるに違いないと思ったので。私自身もそうだったんですね(^^
そこで、テレフォンショッピングのさくらのおばちゃんみたいな書き込みをさせていただいたという訳です(^^
とはいえ私自身もまだまだ不安定な状況です。つい昨日も絶望感をまた経験しました。さすがに以前よりは安定した土台の上でそれを受け止められるようにはなってきています。私も少しは学習しているようです(^^

絶望体験は何とも言いようの無い苦しい体験です。ただ、それを経た後の心の安定感と喜びは私が今まで失っていたものに違いありません。苦しいのを知っているから、みなさんにもがんばってくださいとは言いにくいです。どちらを選ぶかは皆さん次第に思えます。
それでは中途半端な応援になりましたが、この辺で失礼します。
最後にみなさまのご多幸をお祈り申し上げます。


 
「魂の選択」へ / しまの
No.55 2006/07/11(Tue) 10:22:02

どうも〜。

>一応ぎりぎり20代のBです(^^

失礼しました〜^^;

>苦しいのを知っているから、みなさんにもがんばってくださいとは言いにくいです。どちらを選ぶかは皆さん次第に思えます。

確かに表現がしにくい問題ですね。


まず心性崩壊体験へは、努力して自ら向うものではなく、あくまで来るものに備えることとして知るべきものですね。

努力すべきはあくまで思考法行動法の転換であり、自己理解(感情分析)です。
しかしそれだけで根本治癒成長は起きず、「生きる喜び」の根本的開放は心性崩壊体験に依存します。しかしこれを目当てに「絶望すればいい」なんて感覚を持つとなると、完全に方向を誤ることになります。

だから心性崩壊なんて話をそもそも言わない方がいいのか?と僕も時に浮かべたりすることがありましたが、すると事実としておき得る心性崩壊への備えができず、全く無力に絶望に巻き込まれてしまう。

事実、心性崩壊は、ひとつの「失敗の認識」という形を取るとも言えます。今まで自分にごまかし続けていた、人生の生き方の失敗を心底から、否、「心底」よりも深い意識土台が認識する時だと言えるでしょう。ですからBさんが上に書いてくれたように、「意識」があまり効かないような精神状態になってしまいます。
でもそうだからこそ、その先に「新しい意識土台の再生」がある、そんな心理現象である。ハイブリッドが言えるのはそこまでです。それは「療法の実践」として個人が努力するレベルの話ではなく、人間の心の、一つの事実として示している。

そして、それが「失敗の認識」だというアナロジーを考えるならば、否アナロジーではなくそのものなのですが、そうした日常の言葉レベルで表現できる、心性崩壊とはこう理解すべきだという心得を言えると思います。

つまり「失敗を通して初めて可能になる学び」だということですね。人生にはそんなものが、心性崩壊体験いがいにも沢山あります。
だからと言って、我々ははじめから「失敗しよう」という意識でそれに向うのではありません。あくまで成功を目指して全ての可能性を尽くす中で得る「失敗」の中で、我々は初めて「努力してできるものを超えた」深い学びを得ることができます。
それと同じですね。
ハイブリッドの取り組みで行なうことは、「人生の望みに向う」ことです。これは誰にでもお勧めすることです。

「失敗からの学び」を認めない心の中で、「ハイブリッドを完璧に」なんて感じになると、話が変になるし、人間の心の事実として起きる心性崩壊にあっさり足もとをすくわれることになりかねません。
やはり、心性崩壊ありきではなく、価値観や思考法行動法の変換ありきです。

問題は、どうしても「絶望すれば良くなる」という期待にすがりつくしかないほどの難しい状況が最初からあった場合です。心性崩壊の中で向き合う「現実」に、もう耐えることはできないと感じるかも知れません。まあこれを読んでおられる読者の方はあまり心配する必要はないでしょう。レアケースです。

だけど、そうした人間としての極限の中に見出される「選択」を、僕としては探求し続けるつもりですし、僕自身がそれを見たつもりです。
その上で、言い続けたいと思うわけです。「生きていける」のだと。

そうした極限が問われる世界での「魂の選択」を、「魂の成長の成り立ち」で書いていきます。それが「最大の道標」と言っている「不完全性の受容」そして「善悪の完全なる崩壊」を成り立たせる根底でもあります。

こうご期待を〜?^^;


p.s
この場を借りて。現在スパム投稿防止のためURL入力を禁止しています。
ご自分のHPを紹介されたい方は、本分中に「..ttp://」以降を記入しぜひご紹介を〜。


理論に大変共感しました。 / たき
No.50 2006/06/24(Sat) 16:33:21

初めて書き込ませていただきます。5日程前に、「心の成長」でグーグル検索してこのサイトを見つけました。「このキーワードではどうせ奇麗事の道徳論や、ひとのために尽くせというお説教サイトばかりだろうけど・・・」などと考えていたため、このハイブリッド心理学の存在に驚きました。私は今大学4年で、これから社会に出るにあたって生きてゆく心構えの必要性を感じ、人生哲学や自己啓発系の本など読んだのですが、自分自身で決めるはずの「善」を強要される
感じを受け、「反発を感じてしまう私は悪い人間で、消えた方がいいのかなあ。」と悩み、無気力な状態が続いていました。私も以前から「人生はゲーム、そして一人一人の命は唯一のもの。だからこそそれぞれの命は対等で尊い。」という人生観を持っていたのです。これはやはり健康的で現実的な考え方だと思っています。これから、書店にて書籍を注文させていただこうかと思っております。ハイブリッド心理学の拡大、発展に期待しています。


拝読するのを楽しみにしてます。 / クミータ
No.48 2006/06/20(Tue) 07:49:13

島野さん、ご出版、おめでとうございます。私は海外在住なので、サインはあきらめてアマゾンで購入しようと思っています。これからの益々のご活躍を期待しています。


 
Re: 拝読するのを楽しみにしてます。 / しまの
No.49 2006/06/21(Wed) 12:05:00

どうも〜。
感想などあったらぜひカキコ下さいませ〜。


(No Subject) / M 引用

こちらには初めて書き込みますが、島野さんのハイブリッド心理学には、2年ほど前からお世話になってます。

今思い返せば、2年前の自分が、いかに自暴自棄な状態であったかが分かります。

物を壊し暴れ叫び、荒んでいながら外面では穏やかな別人を装っていた当初に比べ、今は変わったと思います。周囲からも、「昔は本当にひどかったけど、ずいぶん丸くなった」とはっきり変化を認められています。

ハイブリッド心理学は、今まで出会ってきたどの心理学とも違い、現実に根ざしており、具体的です。
根拠のない楽観的な気休め、慰めや変な同情、気合根性論、あるいは薬、そのようなものとは全く違います。

現在、荒んだ感情の嵐を越え、比較的安定した感情を日常的に保てるようになっています。

「魂」に委ねるという通り、理性では意識できない、生命力のようなものがあるのだという実感を、最近ようやく感じられるようになってきました。
まだまだ途上ではありますが、これからもっと期待できると思います。

そして書籍発売、遅まきながらおめでとうございます。
今週の土曜日が楽しみです。(明後日!)

No.45 2006/06/08(Thu) 23:35:48

 
Re: (No Subject) / M 引用

> まだまだ途上ではありますが、これからもっと期待できると思います。

なんだか自分のことではないような書き方をしてしまいましたが、
無論私自身についての事です(^^;)

No.46 2006/06/08(Thu) 23:45:23

 
真の自尊心 / しまの 引用

どうも〜。

>「魂」に委ねるという通り、理性では意識できない、生命力のようなものがあるのだという実感を、最近ようやく感じられるようになってきました。

それに関連してひとつワンポイントですが(←重複^^;)真の自尊心の基盤はそれにあるんですね。

「真の自尊心」についてハイブリッドで今まで指摘したこととしては、今回の初版本でも書いていますが、最初の基盤は「意志」にあると考えています。「主体的存在としての自己の可能性に向かって生きていく意志として、自ら選択するものなのです」。

そしてその生きる過程で「現実的自尊心」として「価値の獲得」というのがある。(2006/01/14「自己操縦心性の成り立ち-24:背景その3優越による自尊心課題-4」)
しかしこれは表面の話であって、その根底にあるのは「生命」の力だということになります。それが「価値」を生み出し、それを所有することは優越価値にもなる。

意志によって歩み、その中で生命力を感じ取ることが、真の自尊心の基盤だということになります。
これは「最大の価値とは価値を感じることである」と言ったのと同じことです。ホーナイとバーンズとハーバード流以外で、僕が人の著書から何かを学んだ唯一が、デイブ・ペルザー「他の人が省みないことにも僕は自分が価値を感じることができると信じている」という言葉から学んだそのことでした。
(2005/06/12「望みの停止問題-11:望みの開放が生み出す「価値を認める心」-2」)

そしてこうした話のさらに根底に、「魂の成長への摂理」というものがある。続きは「魂の成長の成り立ち」でー。

No.47 2006/06/09(Fri) 09:56:07

書籍情報!うれしいな。 / きむちゃん 引用

ちょっと忙しくて、しばらくこれなかったのですが、発見しました!書籍情報。
うれしいなあ。とっても楽しみです。

管理メモ:No.37-43はスパムのため削除
No.44 2006/06/08(Thu) 22:44:43

またやっちゃった。 / クミ-タ 引用

また怒りを爆発させてしまいました。最近、原理原則に則って建設的な行動を心掛けてたのに。。。 でも、振り出しに戻ったんじゃない、3コマ戻った程度のものなんだ、と思えます。今までは既に取ってしまった行動の理由に着目していましたが、これからはこれから取る行動そのものに着目して失敗しないようにしたいものです。はあ(*タメイキ*)

No.32 2006/01/24(Tue) 00:21:47

 
Re: またやっちゃった。 / しまの 引用

ワンポイント・アドバイスしときますと、怒りが爆発する時、その直前「自分が破滅に向かわせられる」という感情が伴っているのを感情分析するといいですね。
これはステップドリルに書かなかったですが、「怒りの理由」それぞれに共通するもので、感情の膿による感覚です。

怒りの後には「破滅」感覚が消えており、怒った自分への自己嫌悪が前面に出るというメカニズムに、大体なっとります。

感情の膿を抱えた我々にはこんな心理メカニズムがあるということを受け入れるのが、自己受容の一歩ですね。

No.33 2006/01/25(Wed) 13:10:49

 
Re: またやっちゃった。 / クミ-タ 引用

> ワンポイント・アドバイスしときますと、怒りが爆発する時、その直前に「自分が破滅に向かわせられる」という感情が伴っているのを感情分析するといいですね。

怒りが爆発する時には、感情分析どころじゃなくなってます。。。 が、次回そのような状況になった場合には、「自分は破滅に向かわせられてるのかな?」と自問してみます。

> 怒りの後には「破滅」感覚が消えており、怒った自分への自己嫌悪が前面に出るというメカニズムに、大体なっとります。

そう!本当にその通りです。自己嫌悪の海にどっぷり浸かっています。その自己弁護のための書き込みですね。。

> 感情の膿を抱えた我々にはこんな心理メカニズムがあるということを受け入れるのが、自己受容の一歩ですね。

分かりました。アドバイス、ありがとうございました。

No.34 2006/01/25(Wed) 18:31:21

 
Re: またやっちゃった。 / クミータ 引用

> ワンポイント・アドバイスしときますと、怒りが爆発する時、その直前に「自分が破滅に向かわせられる」という感情が伴っているのを感情分析するといいですね。
「破滅に向かわせられる」かな?と自問すると確かに一呼吸置けていいですね。で、そうこうしているうちに、自分がなぜ怒りを爆発させたいのかについて考えてみたのです。そしてその答えは、相手に対して「私はこんなに嫌な思いをしてるんだから何とかそっちが解決しろ」と赤ちゃんのように甘えたいからだったんだ、ということに気が付きました。それからは、怒りを行動に移す前に「よし、相手になんとかしてもらうのではなく、私がなんとかしましょう」と冷静に次の行動を考えられるようになりました。ちょっと進歩したかな?

No.36 2006/03/23(Thu) 06:08:23

衝撃的なアドバイス / ゆか 引用

島野さんからいただいた私にとって衝撃・かつ感動的なアドバイス

◆愛情を求め悲しむ自分の感情に対して↓

「その感情を優しい気持ちで受け入れ、自分の中で、看取ってあげることです。」

私に取っては衝撃的で感動的なアドバイスでした☆

かつ成長を視野にいれて・・・。

No.35 2006/03/10(Fri) 00:54:59


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