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2009


ずっと待っていました / コロ
No.241 2009/11/18(Wed) 14:30:50

こんにちは。心理学本の出版おめでとうございます。すぐに購入します。
もしよろしければ第六巻実践編後冊の原稿がいつごろできあがるのか、
ほのめかす程度でいいので教えていただけると嬉しいです。
これからも頑張ってください。


 
Re: ずっと待っていました / しまの
No.242 2009/11/19(Thu) 14:57:57

どうも〜。

今掲示板にも書きましたが、注文可能になりましたので^^。

なお書名『病んだ心から健康な心への道 第1巻』メインタイトル『ハイブリッド人生心理学 入門編(上)−怒りのない人生へ−』サブタイトルという位置づけです。
「上巻」「下巻」と呼ぶようにします。「前冊」「後冊」はやめ。あとで『本』のページの続編タイトルも修正しておきます。

『実践編下巻』の原稿は、今はまだ構想段階で、実際に書いたらまたUpしますので^^。年内にはUpし始めたいなと。来年3月頃までには一通り書き上げたいですね。まこの手の話はえてして大きくずれますが^^;

あくまで、今まで書けていなかったこと、そして決定的な話を書きます^^。それで構想だけで結構時間かけている次第。
基本テーマは「目に見えない力の発動の様子」です。
『実践編上巻』までは、「目に見えるもの」として思考法行動法の改善によって心がよくなっていくという範囲です。
『実践編下巻』に至り、「目に見えないもの」の動きを想定しないと全く理解不能になる、複雑な心の変遷の実像を事例を通して紹介ということになります。

そこに、「感情と行動の分離」に始まるごく合理的思考という指針に始まるハイブリッドの歩みが、「魂によって導かれる歩み」へと根本的に様変わりしていくポイントを、いかに分かりやすく説明するかが目的になります。
何がその様変わりを生み出すかの解説がキモになりますね。

さっきちょっとメモったその流れを健忘録がてら転記しておきましょう。
まず「目に見えるもの」をいい方向へと解決していく
やがて「目に見えない力の発動」へ・・・心性崩壊を含む
心の芯の成長を感じ取る・・・答えが「未知への成長」にあることを感じ取り、歩みを続ける
新しい意識世界へ・・・「他人」の圧迫が消えると共に、「魂」が姿を現す
自分の頭で答えを出すのをやめ、「魂」に委ねることへ


なおこの下巻では、「治癒成長に向かう姿」と同時に、「変化できない姿」についても説明します。
アドバイスがてらその説明をここで一言しておきますと、上記「流れ」の最初の「目に見えるものの解決」をおろそかにしたまま、その後の魂の成長局面的な内面成長ばかりを求めてしまうのが、その原因です。
入門編下巻の締めの言葉としたように、基本の実践の積み重ねこそが全てを押し進めるものになりますので^^。


 
ご返答感謝します / コロ
No.243 2009/11/19(Thu) 19:09:11

実践編下巻は来年三月までに読めるんですね。凄く楽しみです。
上巻までで、心理学本はもう完成しているように思えたので、
下巻には何を書かれるのだろう?と、ずっと気になっていました。
ですが、まだまだハイブリット心理学は奥が深いようですね。
「目に見えないもの」とても興味深いです。
下巻が出るまでに「目に見えるもの」をいい方向にもっていく
努力を積み重ねておきます。ありがとうございました。


心理学本の出版決定 / きくち
No.239 2009/10/28(Wed) 00:15:51

心待ちにしておりました!!!予約します。楽しみです。


 
Re: 心理学本の出版決定 / しまの
No.240 2009/10/28(Wed) 08:40:12

ぜひどうぞ〜。あと一月少しですね\(^^)/


ありがとうございました / saki
No.237 2009/10/19(Mon) 13:41:47

私の今の心理状態が(日常的に激しい自己嫌悪から抜け出せずにおります)手に取るように解説されており、ああ、そういうことだったのかと、凝り固まった気持ちがかなりほぐれました。まだ何ページかしか拝見できておりませんが、この後、じっくり熟読させていただきます。島野さんのおかげで、一歩を踏み出せそうです。ありがとうございました。


 
Re: ありがとうございました / しまの
No.238 2009/10/20(Tue) 14:52:07

カキコどうもです〜。
ぜひゆっくりじっくり読み進んで頂ければ^^。


嫉妬 / 高村 幸男
No.234 2009/09/27(Sun) 22:19:33

たびたびお願いします。
>>引用開始
「嫉妬」と「貪欲」

 「情動の荒廃化」に関連する、比較的身近な人間心理について解説しておきましょう。

 破壊が快を帯びる「荒廃化」に関連する感情として、「嫉妬」が人類の歴史でポピュラーな感情です。嫉妬もやはり、それを引き金に、相手の幸福を破壊しようとする衝動へとつながります。
 これは一見して、人の持つ良いものを羨む気持ちと、競争心が暴走したもののにように見えるかも知れません。しかし実はこれも、「望みの停止」が先に起きています。
 それは必ず、望むものへと自ら積極的に努力する純粋な気持ちを捨てた、「そんなもの別に
」という「自分自身への嘘」のポーズの姿勢が背景にあります。その上で、そのポーズを妨害するような、望みを刺激する他人出会った時、フラストレーションと敗北感が刺激されることで、爆発的な破壊衝動へと化すのです。
 嫉妬は比較的日常の中でも観察される感情であり、動物にも見ることのできる感情でもあります。そしかしそれは単純な欲望の感情ではなく、競争心の中で「そんなもの望まない」と自分につこうとした嘘が失敗して起きる感情という、かなり複雑なメカニズムをすでに備えた感情です。
>>引用ここまで

> それは必ず、望むものへと自ら積極的に努力する純粋な気持ちを捨てた、「そん
>なもの別に

ここがよくわからないんですが、たとえば、
ヒール役の女性が男から注目されたくていつもおしゃれをして振る舞いにも気を使っている。しかし、そこにヒロイン登場、あっという間に男の目が釘付け。ヒール訳がキーッと嫉妬する。
なんてのがテレビドラマによくありますね。現実にもよくあると思います。
この場合ヒール役はもてようと望んでいるんではないでしょうか?この場合も停止しているんでしょうか?


 
「停止」と「派生」 / しまの
No.235 2009/09/29(Tue) 23:43:18

出版本作業が多少増えており、手短に^^。

先のコメントでは話が膨らむかと省略しましたが、望みの「停止」には常に「派生」というもう一つのメカニズムが伴います。
ある段階の「望み」「停止」されると、その結果として、一段階荒廃化つまりすさんだ「望み」が「派生」します

健康な望みは、「能動的」な望みです。自分が「こうしたい」。もちろん建設的方向のものとして。
そこから一段階すさんだものは、それが停止した結果派生する、「受身的」な望みです。「こうされたい」。まず自分が何をするかを持たず。モテたい、ですね^^。
「受身的」な望みが停止すると、「破壊的」な望みが派生します。嫉妬の中でメラメラと湧き出る、他人の望みや幸福をくじいてやりたいという衝動。

まあ人間は不完全なので、どうしても「受身的望み」を抱いてしまうのは仕方ない話で、そこからいかに「能動的望み」へと自分を舵取りするかが大切。愛される(モテる^^;)ためにも、まず自分がそのための行動を楽しめることが重要です。人にどう見られるかよりもまず自分が何を楽しめるかに、積極的に意識を向けましょーという話。

>この場合ヒール役はもてようと望んでいるんではないでしょうか?この場合も停止しているんでしょうか?

キーッと嫉妬する段階とは、「受身的望みの停止」までが起きて「破壊的望み」へと転じる段階ですね。

「停止」がより深刻に進むほど、すさんだ貪欲が派生するという全体の仕組みを理解頂ければ^^。


 
Re: 嫉妬 / 高村 幸男
No.236 2009/09/30(Wed) 08:41:33

あー、なるほど、やっとすっきりしました。


否定価値 / 高村 幸男
No.231 2009/09/18(Fri) 10:35:17

理論編前巻2章
> 私たちは否定価値感覚によって、自らの望みを停止させているからです。
これの具体例を教えてください。


 
Re: 否定価値 / しまの
No.232 2009/09/20(Sun) 10:45:51

これは極めて広範囲のことを言った言葉ですね。その解説の文脈では具体例の表現を避けるほどにです。

およそ「望み」になり得るもの、人間の「欲求」と位置づけられるものの全てが、「否定価値感覚による望みの停止」の対象になり得ます。
その中で人が人生の中でどのような望みを停止させたのが重大な問題となっているのかは、人それぞれです。

物質的な欲求精神的な欲求生理的な欲求対人的な欲求社会的な欲求
さらには、「幸福になる」「自分らしく生きる」「自由に生きる」といった「実存的な」欲求
場合によっては「息をする」といった最低生存レベルの行為への「望み」さえもが否定され得ます。
心の底には、「魂の望み」というものもあります。ここで話は「異なる意識構造」にまたがるものになってきます。つまり人間の深層感情からごく意識表面の刹那的な感情まで、さまざまな感情が織り成す綾にからまるように、「否定価値感覚による望みの停止」が起きているわけです。

それを一つ一つじっくり解きほぐしていくのが、「感情分析」の実践になりますね。

「停止の仕方」には主に2種類があり、1)否定価値思考を働かせることで単純に望みに意識を向ける心の時間が奪われるもの、2)「望む資格思考」によって意識的に望みの破壊が成されるもの、があります。
後者は心の状態を深刻に悪化させます。一方、前者はその範囲の広大さが問題になります。
これらの結果、自分自身の心の大きな部分を切り捨てたように生きているのが現代人だという人間観になります。生涯を通して、それを取り戻していくのが、ハイブリッドの歩む道です。

一つ、最も遠大な影響をおよぼしているのが、「自ら愛することへの望み」です。これが、上述のさまざまな感情の織り成す綾の裏布のような位置づけを成しています。
解きほぐすごとに、これが前面に出て、大きな役割を果たすようになってきます。それが入門編や理論編の下巻(後冊)の全体の流れになります。

そんな感じで、「望みの停止」そこからの回復ハイブリッドの全体そのものの話になりますね^^。


 
Re: 否定価値 / 高村 幸男
No.233 2009/09/21(Mon) 21:54:34

レスありがとうございます。
> 「停止の仕方」には主に2種類があり、1)否定価値思考を働かせることで単純に望みに意識を向ける心の時間が奪われるもの、2)「望む資格思考」によって意識的に望みの破壊が成されるもの、があります。
2はすぐ理解できたのですが、1は案外ピンと来にくいところですね。
質問してからしばらく考えていて、否定価値が意識にあると、望は共存できないなぁ。と実感しました。
逆に望みがあると否定価値は出てこない。
否定価値は自意識の上で動き、望は現実に向かう意識で動くから、土台は一つしかないので、否定価値か望みの片方しか動作しない。って感じかな。


人の目 / 高村 幸男
No.225 2009/09/15(Tue) 22:38:32

こんばんは。質問お願いします。
人の目を気にすることから自意識が起こり、その自意識によって我々は不幸になるわけですが、
自ら幸福を追求するとして、その一方人の目が我々の幸福に影響を与える面もありますね。ご自身の親不知を抜くエピソードでそのへんのことをつづっていたと思います。
自分で幸福を目指すのはもちろんとして、人の目を視野に入れながら自意識のわなにはまらずにすむにはどうしたらいいのか疑問に感じました。
って書きながらふと思いましたが、心の自立、つまり自分で責任を負いながら考えるなり、行動するなりすればいいのかな?


 
Re: 人の目 / 高村 幸男
No.226 2009/09/16(Wed) 10:01:34

他人からの見た目を気にする場合、
それによって自分に存在の価値を与えない。
それを自分の責任で行う
の二つを守れば良さそうな。


 
Re: 人の目 / しまの
No.227 2009/09/16(Wed) 11:05:18

基本的な方向性はそれでokですね^^。「自己の重心」

ただ留意したいのは、「否定形」では前に進めないことです。
人の目を通して自分に価値を与えないことが重要なのではなく、自分自身の目で自分に価値を見出せることが重要です。
そのためには、自分が何を望むかを自覚できることが重要です。

しかしそこで、「自分が何を望むか」自体が、「人の目」にかなり依存する面がある轍があるのも事実です。そして自分が何を望むかが不明確になり、「人の目」が意識の全面をおおうようになった時、自分の心が病んでいることに、我々は気づくわけです。

そして「人の目」を否定しようと考える。その瞬間はそれでいいように感じるのですが、また前に進む、つまり自分の望みを定めようとした時に、同じ轍を繰り返すことになります。

このループを突き破るものが何かを理解することが大切です。
それが心の自然成長力と自然治癒力であり、結局は「命」の力であり、それは結局、頭で考えて作り出すものではないものです。
「こうすれば」とまさに自意識で(^^;)、進み先の枠を作ろうとするのではなく、「破壊から建設への選択」「自己の重心」「性善の人間観」「悪感情への向き合い」といったトータルな成長への姿勢を築きながら、あとは不完全な状態の中で「現実の行動」へと踏み出すことが、最後の答えになります。

これがハイブリッドの「取り組み実践」の全体そのものです。

「自意識」そのものではなく、その使い方の誤りが、我々を苦しめます。結局問題は、自意識ではなく、結局我々の「価値観」なんですね。
「不完全性の受容」「否定価値の放棄」が、そうした成長への力の開放を決定づける節目です。
入門編下巻(後冊)6章でこれらをコンパクトに説明していますので^^。

ただしこれらは、まず全部をしっかり分って進むという形にできるものではなく、進む中で分ってきます。
ですから、決して「全部ちゃんと分ってから」とは考えずに、何かをつかめた段階で、まずそれについて現実場面に試みてみるのがお勧めです。それで、その何かだけでうまく行く部分と、それだけではうまく行かない部分が見えて、他の面を見る視力もついてくるという感じになります。


 
Re: 人の目 / 高村 幸男
No.228 2009/09/16(Wed) 16:34:05

前半部分ありがとうございました。
以前にも書きましたが後半は不要です。
> 「こうすれば」とまさに自意識で(^^;)、進み先の枠を作ろうとするのではなく、
知ってますよ

「破壊から建設への選択」「自己の重心」「性善の人間観」「悪感情への向き合い」といったトータルな成長への姿勢を築きながら、あとは不完全な状態の中で「現実の行動」へと踏み出すことが、最後の答えになります。
知ってます。
>
> これがハイブリッドの「取り組み実践」の全体そのものです。

ただしこれらは、まず全部をしっかり分って進むという形にできるものではなく、進む中で分ってきます。
> ですから、決して「全部ちゃんと分ってから」とは考えずに
そのようには考えていません。
で、まずそれについて現実場面に試みてみるのがお勧めです。それで、その何かだけでうまく行く部分と、それだけではうまく行かない部分が見えて、他の面を見る視力もついてくるという感じになります。
それでしつもんをしたわけです。
改めて書きますが、話を広げて「実践、実践」ってのは不要です。
子供のころ、宿題をやろうと準備しているのに、親がそれを理解せずに「宿題しろ」って言われた時の不快感に似ていますねえ(笑)


 
Re: 人の目 / しまの
No.229 2009/09/16(Wed) 19:13:10

「ひとこと余計」というやつでしたかな。ハハ^^;

この掲示板では、あくまで読者の方全体へのフィードバックを目的としてハイブリッドの教科書通りの説明だけをしますので、大抵話の最後「実践では・・」で終えることになると思います。それがハイブリッド。
今後ともその辺はご容赦頂ければ^^;


 
Re: 人の目 / 高村 幸男
No.230 2009/09/18(Fri) 10:32:09

> 「ひとこと余計」というやつでしたかな。ハハ^^;
いいえ、一言ではなく公判全部余計です。(笑)


マゾヒズム / 高村 幸男
No.222 2009/09/10(Thu) 08:20:00

おはようございます。

できればここ教えていただけないでしょうか?
>>>引用開始
 怒り破壊衝動が愛そのものを破壊することへの絶望と恐怖を刺激すると、今度はその怒り破壊への抑圧が生じるケースがあります。自らを相手の怒り破壊衝動に鞭打たせる位置へと堕とすことで、相手との緊密の構図を維持しようとする傾向が生まれます。
 かくして「サディズム」という心理としばしばペアをなす、「マゾヒズム」という>心理が生まれるわけです。
>>>引用終わり
サディズムの審理は理解できたと思います。
しかし、マゾヒズムはよくわからない感じです。
リストカッターなどと共通する心理なのかな?という気もします。
もう少し説明いただけるとありがたいのですが。


 
Re: マゾヒズム / しまの
No.223 2009/09/12(Sat) 09:50:17

理論編上巻(後冊)7章 「自尊心」の混乱と喪失−2での解説の話ですね^^。

まあその説明は「心を病んでいく過程」メインの流れを中心に書いているので、確かにちょっとその説明だけでは、「マゾヒズム」という奇妙な心理(^^;)が成立する仕組みが分りにくいかも知れません。
つまり、「マゾヒズム」というのは、一つの心の変化の流れの先に生まれるものというよりも、幾つかの異なる流れの結果が、一種の条件反射(パブロフの犬というやつです)的に結びついて生まれるもののように、僕としては考えています。

「サディズム」一つの流れで生まれます。愛情欲求を感じることが、同時に、それをまっとうな形では得ることができない自分という状況への憎しみを刺激し、憎しみを刺激した相手を破壊し傷つけることが快を帯びる。
この結果、「愛欲=破壊欲」という感情が成り立つのが、「サディズム」です。

「マゾヒズム」の心理そのものを外から眺めた時、それはもちろん、「サディズム」のまさに逆であり、サディズムの心理から生まれるものであることは容易に感じ取れないものになります。

は2つあります。

1つは、「自分を堕とす」衝動です。これは自己嫌悪感情が一面では快楽衝動でもあることを理解することが必要です。「全て忘れたい」といった感情、いわゆる「忘我衝動」に利用されるような形で、鞭打たれたり糞尿にまみれる自分(^^;)といった姿が、快を帯びてしまうわけです。

もう1つは、「マゾヒズム」を帯びた愛の感情は、ホーナイが指摘した言葉を借りれば、「神経症的プライドが吹き飛ばされた」時に生まれることです。
分りやすく言えば、普通に優しい相手では好きになれない、自分をぞんざいに扱うような、精神的に乱暴な形で、自分が誘惑された時に、この手の愛が生まれるということです。
なぜか。普通に優しい人間を前にすると、この人物には破壊軽蔑衝動が起きてしまうんですね。ここに、実は隠れた「サディズム」の存在の兆候があります。

この2つが結びつくわけです。結果、どうしても、サディストに惹かれ、サディストに破壊されるように「愛される」ことへの衝動という「マゾヒズム」が成立します。

この流れは、性的なマゾヒズムに限定しない、結構広範囲な心理として、ホーナイ「病的依存」というくくりで説明しておりました。
まあプライドと愛の攻防が生み出す綾です。攻撃的プライドの持ち主なのですが、孤独への恐怖と愛情要求攻撃的プライドのバランスが崩れた時、攻撃的プライドを持つ異性に従属するような形で、相手を通して攻撃的プライドを満足させるという心理ですね。

ただし、ハイブリッドの取り組み上は一般に、こうした複合的に成立した感情は取り組み対象にはせず、「感情と行動の分離」の原則を守った上で、あとは放置する感じです。
あくまで解体したあとの、個別の心理要素に取り組みます。破壊的プライドとか忘我衝動とか。その不合理を自覚して捨て去ることへと。それが前進するごとに、意識する必要もなくマゾヒズム的衝動も根元から消えているという形になるでしょう(^^)/


 
Re: マゾヒズム / 高村 幸男
No.224 2009/09/13(Sun) 06:21:27


なるほど、よくわかりました。おもしろいですねぇ。
> この流れは、性的なマゾヒズムに限定しない、結構広範囲な心理として、ホーナイは「病的依存」というくくりで説明しておりました。
暴力的な男をなぜか好きになってしまい、離れられない女の人などもマゾヒズム心理で理解できそうですね。
彼女らは普通の男とも付き合えたがつまらない。と言っていたのが印象的でした。これは忘我衝動を普通の男は満たしてくれない。ってことでしょうね。


実践 / 高村 幸男
No.220 2009/09/06(Sun) 18:02:09

参考に名りました。
島野さん、実践に誘導したがりますねえ(笑)
実践もやってますよぉ。

実践だけじゃなくて、自意識がいかに自分自身を苦しめるかということを深く理解して胸に収めておくこともとても大事で前進につながることだと思います。


 
Re: 実践 / しまの
No.221 2009/09/06(Sun) 22:35:51

そうですね^^。
実践についても、基本的な質問はこの掲示板で歓迎ですので^^。


望めなくなる / 高村 幸男
No.214 2009/09/04(Fri) 09:49:52

おはようございます。
心理学本原稿とても参考になります。感謝します。だいたい浅くは理解できたと思うのですが、以下がピンと来ませんでした。
***以下引用***
 なるべき自分になることで、愛されることへの願望・・。
 人が善悪について言う言葉の中に感じた、「嘘」。それへの反発・・。
 かくして、見えない心の歯車のつながりの中で、人間の心に悲劇が生まれます。
 一つは、望めなくなってくるのです。望むことが、恐ろしくなってくるのです。望むとは、自分が忌み嫌った人々のような姿に、まさに自分がなることのような不吉なことのように見えてきます。
***引用終わり****

これはたとえばどんな状況のことでしょうか?
こうしたメカニズムで望めなくなる場面があまり思い浮かびません。


 
Re: 望めなくなる / しまの
No.215 2009/09/04(Fri) 19:12:05

どうも〜。

これは極めて直感的な心理情景描写とでも言える文章で、確かにあまり具体的な内容の説明はしてないですね。

というか、具体的な内容は人によって千差万別なものとしてあまり深追いしないまま、誰にでも共通して来歴の中にあったであろう、「望みの停止」が起き始めた段階の心理状態を思い出して頂くのが意図の文章です。

僕自身の回想で言えば、それはずばり「思春期」の最高潮(?)時期と言える中学生時代です。
具体的には、人前でカッコいい姿を示すような行動を取ることへの空想と、実際それを行動化する現実場面を前にした時の、どんでもない恐怖の感覚です。
なぜそれがそれほど恐ろしかったのか、回想する記憶の中には、それを示すものはありません。

一方で、そうした時期の回想に必ず現れるであろうのが、
>人が善悪について言う言葉の中に感じた、「嘘」。それへの反発・・。
であるわけです。

ここまではおそらく誰もが自分自身の体験として分るのではないかと。

で、今回の原稿のキモは、この2つ、つまり「望むのが恐ろしい」ことと「人が言う善悪への反発感」というものが、本人の意識体験では全くつながりがないのですが、実はまさにそれこそが人間の心の問題の根幹である一つの根から、土の上に現れた別々の茎なのだ、ということです。

これを、土の下に潜って根幹の根を探り、それが解消されるのは、『入門編下巻(後冊)』の後半のような、日常意識とは少し別の世界への潜入の先にあるのだというのが、ハイブリッド心理学の結論です。

ま話の後ろ半分は難解として、まず具体的な話としては上記僕自身の回想などご参考頂ければ^^。


 
Re: 望めなくなる / 高村 幸男
No.216 2009/09/04(Fri) 20:06:19

レスありがとうございます。
> 具体的には、人前でカッコいい姿を示すような行動を取ることへの空想と、実際それを行動化する現実場面を前にした時の、どんでもない恐怖の感覚です。
これは、かっこいい姿は見せかけのもので嘘だということを自分自身が知っており、
その一方他人の言葉の中にある嘘を責める心があり、この嘘を責める心がかっこつける自分自身を無自覚に糾弾してしまっている。というような意味でしょうか?

一般化するなら、
閉じられた世界にいると、
自分自身の望みに嘘が交じってしまう。
そのことを自分の心は知っているので、「望み」を持つ自分自身を、「うそつき」として攻撃してしまい、
「望み」を持ちにくくなる。
それに対して、開かれた世界の望みは矛盾が存在しないため、
自分自身を攻撃することがなく、
望み続けることができる。

っていう感じで良いですか?
自己嫌悪の多くはこのへんから出てきていそうですね。


 
Re: 望めなくなる / しまの
No.217 2009/09/05(Sat) 10:36:34

難解な部分の方の話になりますね^^。

まずぜひご理解しておいて頂きたいのは、心の問題の根本解決というのは、「分って向う」という形には本当はできないのだ、ということです。
つまり、根本解決まで、「こうなれればokだ」と「今の心」で考えた通りに行けるという流れは、結局「今の心」の中に収まっているという話だからです。

もちろん、まず「今の心」の中で解決向上できることがあります。そこに無論向います。
しかし、それがさらに突破されて「未知の心」に向うような形で、根本的な解決がもたらされます。
この2段構造をまず覚えておいて頂ければ。

上記で書いて頂いたことについて言えば、一言でいえば、それはまだ土の上で考えている話になると言えるでしょう。
土の上で、2つの茎がバッティングを起こしている。なるべき自分になろうとすることに嘘が混じる「閉ざされた世界」と、見せかけか真かを問わずに生み出すことが評価される「開かれた世界」と。

だから「開かれた世界」に向えば全てが解決するのだと考えたとしても、そうはできないのだ、というのが「5章 3つの心の世界」の締め部分で言った言葉です。
そこに、「魂の世界」という第3の世界が現れるわけです。

難解でしょう〜^^; 比喩的に言っておきますと、土の上だけで考えていると、バッティングしている茎を切り落とせばいいように見えるのですが、それでは解決にならないということです。また生えてきてバッティングすることの永遠の繰り返しです。
バッティングしている茎を切り落とそうとせず、バッティングしないよう、はっきり別の方向に向うように添え木をあててやればいいのです。むしろ両方とも大切に守るわけです。
それが「感情と行動の分離」です。

そして根本的解決のためには、土の下に潜入する必要があります。そして、なぜ自分自分の中にバッティングを起こす素があるのかを、探求していくわけです。

その先に、「今の意識」そのものがはじけ飛んで、新しい心がリロードされる時が訪れます。『マトリックス・レボリューションズ』のラストのようにです。
そこで出てくる重要な要素が「原罪」です。これはもう嘘と見せかけへの自己嫌悪というよりも、自己の意識そのものへの嫌悪とでも言えるものであり、まさに『マトリックス』でネオが自分の命をかけてマトリックスの心臓部に向ったように、「愛」「命」に向った時、全てがはじけ飛んでまっさらになるという形で、根本解決がもたらされる。

これがハイブリッド心理学の示す構図です。
ではどうすればいいのか。単純です。それは根本解決をどう分るかの実践ではなく、「自己の重心」「破壊から建設への選択」という基本をどう地道に積み重ねるかの実践だということです。それを除いて考え始めると、何が何だか全然分らなくなってしまいますので。
その地道な実践を歩むことにおいて、どう根本解決するのかといったことをもう考える必要さえない、というのが、「終章」になりますね^^。

お答えになったか^^;


 
Re: 望めなくなる / 高村 幸男
No.218 2009/09/05(Sat) 20:44:44

解決に至るには単純ではないということ、わかりました。


> 具体的には、人前でカッコいい姿を示すような行動を取ることへの空想と、実際それを行動化する現実場面を前にした時の、どんでもない恐怖の感覚です。
これは、かっこいい姿は見せかけのもので嘘だということを自分自身が知っており、
その一方他人の言葉の中にある嘘を責める心があり、この嘘を責める心がかっこつける自分自身を無自覚に糾弾してしまっている。というような意味でしょうか?

ここの部分も違っているのでしょうか?


 
Re: 望めなくなる / しまの
No.219 2009/09/06(Sun) 00:13:41

それも答えるのが結構難しいご質問ですね^^;
う〜んまあ「はい間違っています^^」と言うのが正しいかも知れません。

どういうことかというと、僕が書いたような恐怖とは、「見せかけのもので嘘」「それを自分自身が知る」「他人の言葉の中にある嘘を責める」「自分自身を無自覚に糾弾する」といったそれぞれの命題が形を取る前に起きているものだからです。
そういった命題は、後から生まれます。
そしてそれは、当てはまる場合もあるし、当てはまらない場合もあるでしょう。

そして当てはまる場合については、それへの姿勢の転換に取り組むことができ、やがて解消克服が成される可能性があります。
「否定価値の放棄」はその最大のものです。それによって、「自分自身への無意識の糾弾」さえもが消え去ります。
それでも消えない問題を、そこでは実は言っています。それが「原罪」だということになり、最後は「あらゆる論理性を失った恐怖」がその根核にはあります。入門編下巻はそうした流れですね。

ですから上に書いて頂いたような、「これがこうしてこうなってしまっている」という「論理」を当てはめてしまうことは、合っている部分もあるだろうけど、根本的なところで違うものを見えなくさせてしまう危険があります。

これは分って取り組みに向うものではなく、取り組みの中で分ってくるものです。
まあとにかく、ある程度の青写真イメージを懐にしたら、実践の歩みに行かないと分らないのがハイブリッドです。この辺で「取り組み実践」の歩みの方に視点を移すのがお勧めですね^^。(←ちょっと言い逃れ返答^^;)


自分の気持ちを受けとめる / 高村 幸男
No.211 2009/08/26(Wed) 10:32:51

自分の気持ちを自分で受け止める。というのがよくわからないんですがこういうことでしょうか?

他人に自分の気持ちを受け止めてもらっている例としては、
悲しみや苦しみを感じているときにそれを誰かに聞いてもらうことによって少しでも楽になりたいと思う。
のようなものでしょうか?
もしそうだとすると、これに対して自分で自分の気持ちを受け止めるとどうなるのか?わかるようなわからないような感じです。
他人に自分の気持ちを受け止めてもらっている状況と自分で自分の気持ちを受け止めている状況の例があれば教えてもらえませんか?


 
Re: 自分の気持ちを受けとめる / しまの
No.212 2009/08/29(Sat) 11:40:26

どうも〜。多くの人に参考になりそうな、基本的質問大歓迎です^^。
「心の自立」とはどんなことかについての話ですね。ちょー手短に最新解説などこの場を借りて書いておきましょう。


■心の自立・自分の気持ちを自分で受けとめる

最も話をシンプル化した例を言いますと、お腹がすいた時「お腹すいたよー」と言うのが、「自分の気持ちを相手に受けとめてもらう」です。感情つまり気持ちを人に見せる。そしてそれを受けとめてくれた相手が、どうしてあげるのがいいかを考えてくれるわけです。
これが「心の依存」です。

一方、「メシ作って頂戴」と言うのが、「自分の気持ちを自分で受けとめる」です。自分の感情を受けて、どうするのがいいかを自分で考える。そして解決への結果を生む行動を自ら取るわけです。あるいは、自分で食事を作ってもいいし、コンビニに行って弁当を買ってもいい。
これが「心の自立」です。

ここで、別に自炊できることが「心の自立」ではないことが、一つのキモです。外面行動としては依存行動も、心の自立でありえるわけです。

心の自立は、前に進むための選択肢を広げ、それを自ら選んでいくことの積み重ねとして、成長を生みます。

心の依存は、進む先が狭められるという閉塞感を生み、人に頼ろうとする一方で、その相手への不信感の中に陥らされるように思われます。相手に支配されるという感覚によって。
これらの全体が、自分が前に進めず人との信頼関係も築けない、いじけた人間だという感覚を生み出してしまいます。


■感情の深まりと豊かさの増大

「心の自立」姿勢によって、「感情」は深みと豊かさを増します
それは、「自分自身との関係」と「外界(人)との関係」という、2つの関係性が生まれてくることによります。

ただし、説明すると長くなりますが、自分自身との関係においては「真実の感情に向かう」外界との関係においては「建設的であること」、という2面の姿勢を選択した場合の話になります。それがないと、ただ感情を閉ざし孤立的行動に流れる人間になってしまいます。

内面においては真実の感情へ、そして外面においては建設的行動へ。
これは「感情と行動の分離」に他なりません。そこから、外面においては「現実において生み出す」強さへと、そしてその強さを支えとして、内面においては「心と魂の対話」という、入門編下巻で解説するような世界が、開けていくわけです。
これが「病んだ心から健康な心への道」です。

これをちょっとにしてみました。

「心の依存」
-------------
   他人
自己 ↑
   感情・・
見せかけ・破壊的
-------------

「心の依存」では、感情に支配され流されるのですが、その感情がどんどんすさんでしまう強力なベクトルがあります。
気持ちを人に受けとめてもらうという大枠からして、それはものごとの悪い面ばかりを強調し、それを我がままな見せかけのように表現するという姿への、自己嫌悪や人からの怒り嫌悪イメージが生まれるからです。そしてそれが、「こんな駄目だんだー」というその感情に加わるという、悪循環の膨張を生み出してしまいます。

ですからあとは留意点として、決して「気持ちを分かり合える」ことに自尊心やプライドを抱いてしまわないことです。人に受けとめてもらえる関係などについてもです。
それは結構ありがちな人生観ですが、ものごとの都合がちょっと外れただけで、坂を転げるように人生を失敗してしまう人生観です^^;

「心の自立」
-------------
 
他人
  ↑
 自己
「心」・・建設的
  ↑
 感情
「魂」・・真実への導き
-------------


■苦しみや悲しみを人に聞いてもらって楽になる・・

ということで、

>悲しみや苦しみを感じているときにそれを誰かに聞いてもらうことによって少しでも楽になりたいと思う。のようなものでしょうか?もしそうだとすると、これに対して自分で自分の気持ちを受け止めるとどうなるのか?わかるようなわからないような感じです。

これはまず、「苦しみや悲しみを人に聞いてもらうことで楽になれる」と感じることにおいて、それはすでに「気持ちを人に受けとめてもらう」の方に行ったという話なので、それを「気持ちを自分で受けとめる」とどうなるかという設問になると、ちょっと変ですね^^;

ただそうした複雑な話になるのが、実情です。

簡潔に言いますと、まず人に聞いてもらって楽になるような苦しみや悲しみって一体・・?という自己懐疑の目を持つことが、「気持ちを自分で受けとめる」の一歩になると思います。
実際、それで楽になれるような苦しみや悲しみで済んでいられれば、幸せな人だと思います。決して人に聞いてもらったところで楽にも解決にもならない苦しみや悲しみがある。

それに向き合い、その中にある真実と嘘を見つめていく先に、人に聞いてもらうことでは解決できない苦しみや悲しみにおいて、まさに人との真の共感が生まれるのではないかと、僕としては感じる次第です。
『悲しみの彼方への旅』などはまさにそれを描写したものですので、まだならぜひ買って〜^^;


まあ本が一冊書けてしまう話題ですね。とりあえずキーポイントはそんなところということで^^。


 
Re: 自分の気持ちを受けとめる / 高村 幸男
No.213 2009/08/29(Sat) 21:27:58

レスありがとうございます。
心の自立=自分の問題は自己責任で対処する。
という意味ですね。
俗に言う、「自分のケツは自分で拭け」のような。
その結果として他人の力を借りることもありうる、と。
>
> 一方、「メシ作って頂戴」と言うのが、「自分の気持ちを自分で受けとめる」です。

これですけど、「心の自立」の例としてはわかりますが、「自分の気持ちを自分で受け止める」のとは違うと思います。
お腹がすいた。のは生理現象で、心理現象(感情)ではないですね。
僭越ながら、島野さんの意図するところは、
「自分の感情を自分で受け止める」というより、
「自分の問題(課題)を自分で受け止める」ではないかと思いました。
そのように読み替えると、私的には心理学本原稿も理解できます。

>
> >悲しみや苦しみを感じているときにそれを誰かに聞いてもらうことによって少しでも楽になりたいと思う。のようなものでしょうか?もしそうだとすると、これに対して自分で自分の気持ちを受け止めるとどうなるのか?わかるようなわからないような感じです。
>
> これはまず、「苦しみや悲しみを人に聞いてもらうことで楽になれる」と感じることにおいて、それはすでに「気持ちを人に受けとめてもらう」の方に行ったという話なので、それを「気持ちを自分で受けとめる」とどうなるかという設問になると、ちょっと変ですね^^;

「こういう状況で自分の感情を自分で受け止めることができる人ならばどうするだろうか?」という意味でした。

>
> 簡潔に言いますと、まず人に聞いてもらって楽になるような苦しみや悲しみって一体・・?という自己懐疑の目を持つことが、「気持ちを自分で受けとめる」の一歩になると思います。
> 実際、それで楽になれるような苦しみや悲しみで済んでいられれば、幸せな人だと思います。決して人に聞いてもらったところで楽にも解決にもならない苦しみや悲しみがある。

ここ、参考になりました。
このような質問は歓迎とのことでしたのでもうひとつ「望み」について質問させてください。
ちょっとまとめるのに時間かかりそうですが(苦笑)


HPのリニューアルお疲れ様です / コロ
No.209 2009/07/04(Sat) 02:30:10

島野先生こんにちは。
少し前に、島野先生のHPを読み進めている途中、なぜか
読み進めることが困難になってしまうと書き込んだ者です。
最近ですが、なぜ先生のHPを読めないのか、原因がわかりました。

心理障害を完璧に治療するという理想を自分に押し付けていたために、
私は島野先生のHPを読むことができなくなっていたんだと思います。
私は随分前から病気を治して普通の人になろうともがいていました。
悩みを全て解消した理想の自分を現実化しようと必死になっていました。

この考えこそ、まさしく自己操縦心性ですよね。
間違いに気付いてからは、完璧に治った自分を目指さないようにしました。
また、病気を完璧に治す治療法探しもやめました。
病気を治さなくても、今の自分でできる建設的な生き方探しを始めてみました。
考え方を変えて数日後に、島野先生のHPに目を通したのですが、
今度は何の問題もなくスラスラと読み進めることができるようになりました。
やっていることは全く同じなのに、考え方が違うだけでこうも変わるのかと
驚き、感動しました。

こうした実体験を味わうと、ハイブリッド心理学の素晴らしさが
より理解できますね。これからもお世話になります。ありがとうございました。


 
Re: HPのリニューアルお疲れ様です / しまの
No.210 2009/07/06(Mon) 13:42:56

どうも〜。

>病気を治さなくても、今の自分でできる建設的な生き方
>やっていることは全く同じなのに、考え方が違うだけでこうも変わる

この2点がまさにハイブリッドのキモですね^^。
また気づきなどあったらいつでもカキコど〜ぞ〜。


(No Subject) / 絶望中
No.207 2009/07/03(Fri) 06:43:58

極度の自己愛性人格障害の可能性が高い人間と一年つき合いましたが、
「考えることを全力で拒否」する様子を見ているのが、
耐えられなくなってきました

最初は、「治したい」と言っていたのに
最近では、キレることが多くなり会話にならず
私のイライラがMAXになってしまいました。

このままでは、自分の胃に穴が空きそうなので
治療を第三者に任せたいと考えているのですが
どういう場所へ連れて行くのがベストでしょうか?


 
Re: / しまの
No.208 2009/07/03(Fri) 13:53:11

どうも〜。

ハイブリッドは「自らによる心の成長」のための心理学ということで、相手を変える方法ではなく自分を変える方法を探究しております。
ということで、その質問は直接はちょっと守備範囲外になってしまうかと。ご了承あれ〜。

まずはどう自分を変えることができるかという観点で、質問などあれば言って頂ければ。一般的アドバイスこの掲示板で、個別ケースの詳しいアドバイスメール相談で扱っていますです。

まあまず最初の一歩は、自分がどうしたいのかを考えることですね。「自己の重心」です。その人と今後どうつき合って行きたいか。
そうやって「自己の重心」で思考すると、自ずと、相手を変えることも道が開けてきます^^。


メールカウンセリング / みき
No.204 2009/06/24(Wed) 08:17:55

しまの様

はじめまして。
書き込みは初めてとなりますが、ハイブリッド心理学には
本当に長い間お世話になっています。
幼少より自分で自分が、現実がよくわからない状態で過ごし、
いくつもの心理系のサイトを廻りましたが、
このサイトほど頻繁にかつ読み込んだサイトはありません。
他のサイトに多いと感じた諭し、励まし、慰め、まして否定・説教では無く、
客観的に論理的に心の病む、そして回復してゆくメカニズムを
情熱的ながらも淡々と分析する知的な文面に今も助けられております。

さて、現在しまの様のメールカウンセリングを受けようかと思案しております。
既に週2回の個人カウンセリング(面会式)を受けており、
その上にメールカウンセリングというのは少しやり過ぎかと悩んでいるのと、
少し躁の時期の入っていると思われるので、
メールカウンセリング開始に関し、勢いでは無く、
冷静に判断したいという思いもあり書き込みさせていただきました。

カウンセリング暦は既に5年目に突入しておりますが、
出口が見えているのか見えていないのかよくわかりません。
多少の変化はありました。少なくとも昼夜逆転した引き込もり生活は脱出し、
何とか(パートですが)働いております。
自分の状態(上記しましたように、少々躁気味である等)も少し
把握できるようになりました(把握するだけですが;;;)。
それでも日々の落ち込み・現実感の無さ・孤立感(対人恐怖?)・
摂食障害・疲労/倦怠感等の身体への影響が消えません。
将来への不安・絶望感・無気力感もひどいです。
自分で何なのかよくわからないのです。
しまの様がご自身の本の考察の冒頭で述べられているよう
私自身が抱えている「心の問題」がわかりません。
そもそも心の問題なのでしょうか?
「引きこもっているからやりたいことがわからない」
といわれ(どこかで読み?)外に出てはみますが、
わからないのです。何のために自分がそこにいるのか。そもそも
自分が本当にそこにいるのか、周りにいる人・物は実在するのかわからない、
時々頭の中がグルグルして倒れそうになるかと思うときもありました。
努力が足りないのかも知れない。確かに足りないと思います。
怖いから逃げているのだと思う。でも、体が心が脳みそがついてこない。
カウンセリングでもこういったことを相談していくべきなのでしょうか、
人が前で萎縮してしまうのか、セッションの大半を
無言で過ごすことも多々あります。
メールカウンセリングでしたら、自室という1人の空間で安心して
自分について分析できるメリットがあるかとも思っている次第です。

長々と取り留めの無い、しかも自分のことばかりの
書き込みになり申し訳ありません。

最後にしまの様のサイト、及び本には本当に助けられており、
お礼のしようもありません。ありがとうございます。
また、こうしていつも私のほうから摂取するばかりで、
本当に申し訳ありません。
大変微力ではありますが、これからも応援しております。

PS1. サイトリニューアルおめでとうございます。
まだ違和感がぬぐえませんが、これから親しんでいきたいと思います。
PS2. 新刊は今年の暮れを予定とのこと、首を長くして待っております。


 
Re: メールカウンセリング / しまの
No.205 2009/06/25(Thu) 12:38:08

カキコどうもです〜。

>既に週2回の個人カウンセリング(面会式)を受けており、

まそれよりは大分お金もかからないかと思いますので、気が向いたらいつでもど〜ぞ〜。

>私自身が抱えている「心の問題」がわかりません。

そんな難解なこと(^^;)考えず、まず「現実問題は何か」から考えてみるのがお勧めですね。
現実問題には、必ず答えがあります。まずそのための知恵とノウハウを学ぶことです。「心の問題」は、その過程で自ずと分ってきます。そこから、深層感情など深い問題にも取り組んでいけばいい。

ハイブリッドの進め方は、大体そんな感じです^^。


 
Re: メールカウンセリング / みき
No.206 2009/06/29(Mon) 05:25:36

しまの様

お返事ありがとうございます。

>>私自身が抱えている「心の問題」がわかりません。
>そんな難解なこと(^^;)考えず、まず「現実問題は何か」から考えてみるのがお勧めですね

確かに非生産的な思考に長い時間を費やしていますね;;;
しまの様の文章で「現実問題」向き合いが大切と書いてあるのを読んだいるのを記憶しているのにも関わらず、それを実行できていないのだとはっとしました。

>>個人カウンセリング
>気が向いたらいつでもど〜ぞ〜
ありがとうございます。もう少し良く考えて、決めます。


いつもお世話になってます。 / コロ
No.201 2009/06/07(Sun) 16:56:13

島野先生こんにちは。私は二ヶ月ほど前に自分が自己愛性人格障害という
病を患っているのでは?と疑い、ネットで情報を集めはじめました。
そして偶然島野先生のサイトに辿りついたのですが、ハイブリッド心理学を知り
驚嘆しました。まさに自分のことを書かれているとしか思えなかったからです。

島野先生のサイトに訪れてすぐに、サイトに記されている情報をもとに
自分をよりよき方向に導いていこうと努力をはじめました。
しかし問題が起きました。サイトを半分ほど読み終わった頃、突然
読み進めることが困難になったのです。

自分の中では一刻も早くサイトに書いてある内容を理解し、治療に役立てたいと
考えているのに、PCを立ち上げてサイトを開いた状態から先へ進めないんです。
どんなに努力しても読むことができずに一ヶ月が過ぎました。
最近では、ハイブリッド心理学を学ぶことを無意識が拒否しているのでは?と
考えるようになりました。しかし今の自分ではどういう心理が働いて
拒否反応が起きているのか理解できません。もしよろしければアドバイスを
頂けるとうれしいです。


 
Re: いつもお世話になってます。 / しまの
No.202 2009/06/08(Mon) 14:25:10

カキコどうもです〜。

「一刻も早く」とお感じとのことですが、心の治癒と成長の道のりは、人生を通して歩むものです。

その道のりの大まかなイメージを持つことは良いことですが、それを全て今理解しようとすることは無理ですし誤りです。
大まかなイメージを感じ取ることまでできたら、あとはもう思考法や行動法の地道な実践になります。そこではもう読書よりも、目の前の生活の中にある課題に、実際に向うことがとても大切です。

読み進めなくなったのも、実際、読むことについてはお腹一杯になったということですね。それでもまだ読もうとするのは、人生で食べるもの全部を、今食べ尽くそうとする話になってしまいます。
「PCを立ち上げてサイトを開いた状態から先へ進めない」のが、むしろ健全な心の反応ですね。

もうすぐサイトの全面リニューアルを行うのですが、原稿も整理して、とにかく出版本メインにしていきます。
最新原稿を以下で参照可能です。

「本」
http://tspsycho.k-server.org/03book.html


まず読んで頂きたいのは、『入門編』2冊です。キモは全てそこに書いていますので、サイトの原稿全てなど読む必要は全くなくまずそこに書いていることだけをじっくり理解を進めて頂ければと思います。

それもの足りなくなったら、その後の本を読むという風にすれば、お腹一杯拒絶反応もなく進められるのではと^^。


 
Re: いつもお世話になってます。 / コロ
No.203 2009/06/09(Tue) 02:21:59

ご返答いただき感激です。
先生の言うとおり、ハイブリッド心理学はすぐに理解できるものではなく、
人生を通して理解していくものですね。早く普通になりたいがために、
急ぎすぎていたようです。その証拠に、一通りサイトを見て回ったと
思っていたのに今回先生が貼られたリンク先を知りませんでした。

新刊の発売を楽しみにしていたので原稿を読めるのが嬉しいです。
早速入門編を読ませていただきます。今度は一度に全てを読もうとしないで
ゆっくりじっくりやってみます。ありがとうございました。
サイトのリニューアル頑張ってください。楽しみにしています。


自分がわからない / I want to be calm
No.199 2009/05/02(Sat) 02:11:48

自律神経失調症というのはどういうものだと考えますか?
自我の確立ができなくてもがいています。


 
Re: 自分がわからない / しまの
No.200 2009/05/02(Sat) 16:59:06

どうもです〜。

「自律神経失調症」とは、ネットで調べると以下のようにありますね。
様々な自律神経系の不定愁訴(ふていしゅうそ:めまい、ふらつき、動悸、倦怠感など)を訴えますが、器質的な疾患や顕著な精神障害が認められないものをいいます。
僕も経験あります。『悲しみの彼方への旅』で、次の一行で描写したものです。高校に入り「心の変調」を起した時。
また原因不明の頭痛や胸痛を持つようになり、幾つもの医者に見てもらって、深刻な病気を疑われたこともありました。(P.29)

まあこれは一言でいえば、心の底の見えない淀んだ感情を前に、手に負えない自分から逃避したい気持ちの表れ、といったもののように感じます。
ただ、身体症状そのものについては、原因が何であろうとハイブリッドの扱える範囲ではない点ご了承あれ。

心への取り組みについては、今回の「入門編2部」(入門編・後冊として出版の予定)でかなり丁寧に道順を説明していますので、それに基づいて検討を進めてみて頂ければと思います。
そこで「18章」としたもの(後冊6章となる予定)がその全体を手短に整理したものになります。

ありがちな轍は、問題や課題を理解し、ハイブリッドの考え方に賛同し納得を感じた段階で、自分の心が改善向上していく期待を抱いてしまうことです。「こうなれた自分」という枠を自分にはめるという、今までと全く同じことの焼き直しになりがちです。

それも含めた克服への取り組みとして、実践とても具体的な思考内容の検討になります。それを説明したのが上記章などである次第です。
いずれにせよ、独力ではなかなか難しい作業なので、メール相談なども活用を検討頂ければと思います^^。


がんばってください  / I want to be calm
No.197 2009/04/26(Sun) 04:26:26

以前お世話になりました〜しまのさんはうちの家族に似てとても理性的かつ人間的であり、もっとこれがわかる人がいればなあと思います。
そんな私は「しまの語」がなんとなくしかわかりません。(人間的に未熟)
きっととても穏やかなんだろうと思います。
ふっつーに育ち大した苦労もしていないので実践はその場になってみて考えていますが、いつも北極星のようにいたい(人に対して純粋でいたい)という思いは、以前でしたらかなえられるところにいましたが、今集団という中に入りどっちだと言われているとつらいです。そんななかでも海に浮くブイになりたいです。普通の典型的な会社員には考えもつかないと思います。人ってムズカシイですね。


 
Re: がんばってください  / しまの
No.198 2009/04/27(Mon) 11:01:59

カキコどうもです〜。

>そんな私は「しまの語」がなんとなくしかわかりません。

ま基本的に「今の心では分からないこと」を書いていますので^^。
とにかく自分の成長「こんな自分」という枠づけをせずに、未知に向うという前提で、方向性を知りそれを歩むことが大切ですね。

難解文章(^^;)などは質問歓迎ですので^^。


(No Subject) / ササオカヤスミツ
No.195 2009/04/06(Mon) 03:57:18

「意識には、無意識ではバラバラな感情の合成結果のみが現れる。」
そうか、音楽なんですね。楽器それぞれとオーケストラの音色の関係に似ていますね。
人間の中で、具体的に楽器に対応するものは?と言うと、
動いて、水なり空気なりを震わせるものだと思います。
口から腸管、泌尿器、それから呼吸器と体表の筋肉など。「身体の中で動くものすべて」!
筋肉や内蔵の動き(緊張と弛緩の変化)が感情なんじゃないか?としたら、植物や脳のないミミズにも、ある意味心があるのかと。
…話が飛びましたm(__)m


 
Re: / しまの
No.196 2009/04/08(Wed) 09:46:29

どうも〜^^。

>としたら、植物や脳のないミミズにも、ある意味心があるのかと。

男性ならではの科学的関心ですね^^。(←この別世界視線が結構重要です。多くの女性に課題^^)

これについての僕の考えなどは、
島野の心理構造理論
付 感情の科学論
(4)意識はどこにあるのか−島野の仮説−


あたりで解説していますので、関心あれば一読頂ければ^^。


(No Subject) / ササオカヤスミツ
No.193 2009/04/02(Thu) 03:15:46

防備録といった感じで、キーワードがズバズバ書かれてあるのが良かったです。
自分で出力して、試せないと意味ないですもんね。
入力→出力までの時間が短い方が、実践するにはいいと思うのです。


 
Re: / しまの
No.194 2009/04/02(Thu) 12:02:41

どうもですー。
なかなか難しい表現での感想ですね^^;

また感想や質問などあれば何でもカキコ頂ければ^^。


(No Subject) / 市井の人
No.191 2009/02/23(Mon) 20:14:07

しまのたかし先生の文章僕には、まだまだ難しいようです。
僕自身、幼い時のトラウマを引きずっていて、先生のHPに出会ったのも偶然ではなかったと思っています。先生のお考えに接してから、自分のトラウマを解決する糸口を見つけるこてができたような気がして、とても良かったと思っています。今、入門編を悪戦苦闘しながら読んでいます。
しかし、先生の文章は僕にはまだまだむずかしいです。


 
Re: / しまの
No.192 2009/02/24(Tue) 10:10:29

どうもですー。

分らない文章などあればこの掲示板で何でも質問して頂ければ^^。

あとは基本的に、今の心で分ろうとする、あるいは今感情がハイブリッドの言うように変化できることを期待すると、全然ハイブリッドの世界に入っていけなくなってしまうかも。

思考法行動法を変えて「現実」を生きるのがで、感情の変化はそのと心得て頂ければ^^。
..とこの言葉が何よりも難しいかも知れないんですけどね。えへへ。


「存在の規律」に関して / 夕希
No.187 2009/01/31(Sat) 23:28:52

ちょっと気になったので、質問というか、ご意見を伺いたいと思います。
これは近隣の某国だけでなく、日本国内の殆どの団体にも該当することなのではないかと感じてます。
自分が今まで所属していた学校や企業も、いじめっ子や専制君主的な上司のイエスマンになるしか安全な道はありませんでしたし、マスメディアの報道を見ると、主観的な正義を盾にゴネて利得を得ようとする人々や団体が大量に存在するように思えてなりません。
また、主観的な正義を盾に潰し合いをし、派閥争いや権力争いをしている人々も大量に居る。また、マスメディアに踊らされ、一般の人々も、よくわからないものを基準にランク付けをし合い、気に入らない人間や異端者をレッテル貼りで封じ込めようとする。また、陰湿なイジメによって、相手を自殺に追い込むような輩も大量に存在する。

こう考えると、「存在の規律」に縛られずに生きられるのは、自分の能力だけで、一人でも生きていけるような、ごく僅かな恵まれた人々だという気がしてなりません。
批判めいた書き込みですみませんが、何の能力も無い人間が、「存在の規律」に縛られずに生きられる世界に出ることは、私にとっては不可能に近いものだと考えられるのです。平凡な人間が生きていくには、どこかの集団に所属する必要があり、その集団の大半も、ハイブリッドの考え方とは正反対の人々が支配する集団であることが多いわけで。結局、自営業でもやれるようになるしか手段はないのではないかな、と。そうなるには、売りに出来るものも経営資金も無い。
結局、平凡な人間は、存在の規律の中で生きるしかないのか…と思わざるを得ない。

何の取り柄も無い凡庸で暗愚な自分のような人間が、本当にそのような解き放たれた世界に出ることが可能なのか、忌憚の無いご意見を伺いたく、書き込みました。
もしよろしければ、ご意見をお聞かせください。


 
Re: 「存在の規律」に関して / しまの
No.188 2009/02/01(Sun) 00:15:00

カキコどうもですー。

久しぶりの本格質問(←最近閑古鳥のハイブリッド道場アハハ^^;)と拝見してすぐ、まさにキモの部分になりますね。

>こう考えると、「存在の規律」に縛られずに生きられるのは、自分の能力だけで、一人でも生きていけるような、ごく僅かな恵まれた人々だという気がしてなりません。

これについては、ハイブリッドとしての結論を今回の原稿で書いています。
ごく僅かな恵まれた人々の話ではなく、全ての人間として、「私たちにそれができるでしょうか。できないのです!」と。
だから、ごく僅かな恵まれた人々でさえ、自殺するようなことが起きるわけです。

でどうなるのかの結論を、次の最終章で書く予定になりますので、こうご期待を〜♪

..ではちょっと不親切なので(^^;)、ごく簡潔に言いますと、結局は「自分」という自意識を根本的に抜け出るという、恐らくは心理学の普遍的命題になります。

「自分」という意識は、根本的に縛られる宿命を持っています。一方で、縛られれることなく解き放たれる、「自分」とは別のものがあります。それを知った時、「自分」が解き放たれるのです。

それが結局は「命」というものだという表現になるのですが、表現そのものはもう陳腐かもしれませんね。
全ての宗教や哲学や心理学が行き着くのはそれです。結局、何一つ新しいことは、僕は言っているつもりはないです。

ハイブリッドの場合、それに向かう意識の手順をまあ多少は具体的に言う感じになりますので、次の原稿など読んで頂ければ^^。


 
(No Subject) / 夕希
No.189 2009/02/14(Sat) 14:14:40

批判めいた書き込みへの、ご丁寧なレスをありがとうございます。

全体を通じて、読み物としては「なるほど」と思える面も多いのですが、実際自分の生活に当てはめてみようとしてもなかなか上手くいかないので、向き不向きのようなものがあるんだろうという感覚の中で、上記の疑問が生じたところでした。(文面を読み返してみると、悪い面の拡大解釈ってやつでしょうか。考えてみれば昔から、こういう話を実生活に当てはめることが大の苦手でした;)

独力ではどうにもならない、という感覚が強まったら、メールカウンセリングも検討してみようと思います。


 
Re: 「存在の規律」に関して / しまの
No.190 2009/02/18(Wed) 17:18:58

どうもですー。

入門編の原稿で、ご質問への基本的な考え方も盛り込もうと思っていたのですが、分量的にあまり直接触れるようなことは書けなかった感じですね^^;

結局、ハイブリッド心理学自分自身への取り組みなので、現実的に横暴な他人や集団(^^;)にどう対処するかについては、ケースバイケースで役に立てる場合もあるかも、程度にしか言えない感じですー。

検討順序としては、
1)まず自分自身の生き方思考として、「存在の規律」信奉を脱する。
2)それによって、実際に横暴な他人と、そうでなくイメージが誤っていただけのものが、見分けられるようになります。
3)その結果を踏まえて、実際問題への行動法を検討する。


という感じになります。実際問題としては「見分け」が大きな話になるかと。1)がなしだと、全ての他人と集団が横暴に見えてしまうかも^^;
一般論として「今の社会は・・」という話は、「社会学」などにお任せということで^^; (←軟弱回答^^;)

そんな感じで取り組みを検討頂き、メール相談の活用なども考えてみて頂ければ^^。


おたずねします / risa
No.185 2009/01/21(Wed) 10:57:24

メールカウンセリングをお願いしたくて、メールを送っているのですが、
何故か、届きません。どうしたらいいでしょうか?


 
Re: おたずねします / しまの
No.186 2009/01/21(Wed) 18:18:34

あっすいません^^; 昨年11月下旬に引越ししてメルアドが tshimano@amail.plala.or.jp に変わったのですが、メール相談ページなど直してなかったですね^^;

今直しましたので。
メール相談ページ「ここをクリック..」で今度は送れると思いますので^^。
よろしくですー。



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