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2011


会社での振る舞い方について / C
No.413 2011/12/30(Fri) 22:55:18

一体私が何が言いたかったのかといいますと『「現実世界」への向かい方』の話です。つまり、会社での振る舞い方についての疑問です。

上記の引用文では、自分の本心だとか気分だとか都合といったものと関係なく、組織で求められてる役割をこなしているのであって「本当の本心の自分」あるいは「個人として自分」なんて不必要という事です。
私も会社組織での人間関係を、学校の延長のような感覚でいたため、このへんの振る舞い方にしばしば違和感を覚えているからです。

本当に建設的なこととは何か、例えばそれが私のように会社勤めしている人間が、組織において建設的に振る舞うとはどういうことか。
やはり、自分の好みだとか体調だとか、機嫌だとかは関係なく振る舞うべきなのか。

私自身勤続年数の長さもあり、周囲の私への振る舞いも大げさなお世辞と社交辞令みたいなセリフばかりで、私はそういった事に対しどう振る舞えばいいのか分かりませんでした。相手が何考えているか分からなくて怖かったです。

こういう立場の人にはこういうべきだ、といったテンプレートのようなものが暗黙の了解で決まっているように思え、それに対して無知でいることは、組織の和を乱す空気の読めない存在となっているのではないかと。

組織の中では「心」なんて不要なんだろうか、こんな演技臭い上っ面だけでいいものなのか、そんな所で「心」や「本心」がどうというのが間違っているのか、役割に応じた振る舞いを演じていれば「本当の自分」なんて不要なのか。。
社長は「連携取れずコミュニケーションが取れない奴は駄目だ」とよく言います。

最終的には、組織の中で個人として「愛される」ことを求めている事が、そもそも間違いなのでしょうか。間違っていたとしたらどうすることがいいのか。
といった内容です。長くなりましたが。


 
Re: 会社での振る舞い方について / C
No.414 2011/12/30(Fri) 22:56:24

新規で投稿してしまいましたが、下記の書き込みに関する文章です。


 
Re: 会社での振る舞い方について / しまの
No.415 2011/12/31(Sat) 08:05:37

>こういう立場の人にはこういうべきだ、といったテンプレートのようなものが暗黙の了解で決まっているように思え、それに対して無知でいることは、組織の和を乱す空気の読めない存在となっているのではないかと。

もちろんそれはあると思います。大企業の社長から、マクドナルドの店員まで。暗黙のようなものではなく。それをするのが「仕事」ですね。「宴会」のような2義的な場でも半分それが出てきます。
そうした中で、「本心」から自分「価値」を感じられるもの、さらには楽しめるものを見出せればベスト。そうでなくても、収入のためには「自分にできること」から探していくことになると思います。

仕事個人が愛されるための場ではありません。役割を通して、社会に対して生み出すための場です。本心からそうした役割向かう姿が、愛されるということにはなると思います。

愛されることを求めるのではなく、自分から生み出すことに向かう。その姿が結果として愛されることは「期待」してもいいと思いますが、その順番しっかりと踏まえなければならないということですね。
先日の『詳説・実践のポイント7・いざない5・人生の鬼門4』で、「自尊心」「愛」順番という話をしましたが、人の心が動くにはそのような順番があるという理解が大切だと思います^^。

こうしたことを踏まえ(右ハンドル1)自分の心に向き合い(左ハンドル)、再度仕事への向かい方を考えて(右ハンドル2)いって頂ければ^^。


(No Subject) / C
No.409 2011/12/29(Thu) 12:19:49

http://anond.hatelabo.jp/20100927222049
■自分に必要だったのは変わることじゃなく演じることだった。
<以下抽出>
そのままの自分でいられるほど、この世界は甘くはない。疲れた時に疲れた顔をする、嫌いな人とは話さない、平気で愚痴をこぼすとか。
みんな本当の自分を閉まって「社会の人」を演じてる。

オンになっている時は絶対に本当の自分を出さず、その間は常に笑顔を絶やさないようにしたり、同僚と積極的にコミュニケーション取ろうとしたり、根暗なのに飲み会を盛り上げようとしたり、在るべき社会人の姿になり切ろうとしてる。

それぞれ悩みを抱えていて、利己的な人間が共存する社会で上手く生きていくために、馴染もうとしてるだけなんだと思う。
生きやすいように生きたいから、自分を閉じ込めるって何だか矛盾してるようだけど、きっとそういうものなんだろうな。
--

すごくこういうことを最近実感しますね。
相手の立場・役割・性別などによってテンプレ化された社交辞令が飛び交い、飲み会では「楽しく盛り上げる」事を仕事として、やりたくなくても楽しい自分を演じる。
映画の役者のように「ハイここでこう言われたらこう返し、こう騒ぐ」っていうのが大体決まってるように見えます。

職場においては、素の自分というものはあまり関係ないのでしょうね。
その職場にとって、楽しく皆を盛り上げ騒ぐ事が価値ある事とされ、それによって自分が生きやすくなるならそうすべきなのかもしれません。

私にとって価値があるないとは関係なく、自分の外に自分の気持や好みとは関係なく価値が決まる。
どの組織にも適応することなく、個として生きている人にはなんの関係もない話かもしれませんね。


 
Re: / C
No.411 2011/12/30(Fri) 21:39:13

無視ですか。。


 
Re: / しまの
No.412 2011/12/30(Fri) 22:28:16

ご質問ご相談があれば誠意コメント返しますので、どのポイントについてどんなご質問もしくはご相談か、「質問形」「相談形」の文章で書いて頂ければ^^。
それが「何が問題・課題・望みかの明瞭化」という、実践の第一歩になりますので^^。


価値観の明瞭化の過程 / B子
No.407 2011/12/25(Sun) 10:57:19

自分のストレスの源泉ともいえる価値観に着くと、謙虚で従順でいるべきということと、こんなに謙虚で従順な私に他人は尽くすべきだという傲慢が見えます。

そのため、実際に洗濯物を洗濯かごに入れて欲しいという事さえも感情の葛藤が起こります。
そういうことを要求するのは謙虚なのだろうか?ということと当然すべきだということに

こういった場合、洗濯物の取り扱いについて話してみるのが一番の解決策なのだと思います。ただ、できていません。自分の内面の論点がそれではないからです。
自分の問いは謙虚でないかもしれない事を望んでしまったが、これは一般的にはいいことなのだろうか?ということです。
でも、ここでグルグル空回りするのも無意味だと思いましたので、謙虚でいる事のメリット・デメリットを考えました。

ただ、ここで謙虚と言うことをテーマに考えようとすると思考が進まなくなり、奇妙に問題点がずれて行くのです。
これを何度か繰り返しています。進まなくなるんですね。

今のスタンスとしては謙虚と言うことに意義を感じ納得するのならば、今までの生き方を貫こうと思っています。でも、謙虚であることのメリットを論理的に説明できないし、納得はできていないのです。
それなのに、何の根拠もなくそれは正しいのだという感覚が有るのです。
ただ、意識に霞がかかったような、どこかがぼんやりとしています。
これは納得感が無いからなのだろうと思います。

これをさらに辿ると要はやる気の問題と言うか覚悟の問題ではないのかということにたどり着きます。
謙虚を再確認していくということは自分にとって辛いことなので、自分にさえ隠しているという防衛本能もあるとは思うのですが、最終的には見るのか見ないのか覚悟の問題ではないのかと思えます。

そのため、更に戻ると自分は自分の本質を見据えるのか、それとも放置するのかという選択にさえ戻ります。選択して生きるのか、何も選択しないで誤魔化しながらいきるのか?
そもそも選択しないことが可能なのか?そして前述の傲慢と謙虚という選択肢は選択肢になっていないということ。よく考えるとこれらは他人依存という同じ根っこのもので、選択すべきは他人への依存か自立かということではないだろうかと。この弱い自分のままで知恵を巡らしながら生きる覚悟があるのかことではないのかと思ってくるのです。最初の洗濯物を洗濯かごにという問題はどうでもよくなってくるのです。

と、ここで島野さんにお伺いしたいのはプロセスが間違っていないかということ、取組姿勢の問題もあるのですが、問題が戻りすぎてしまうが故の難しさを感じるのです。そしてこれに難しさと感じるのはまだ、腹を据えていないということなのだろうかとも思うのです。

あと、B子以外のものをHNとしてということですが、バックグラウンドを含めてアドバイス頂けるのではないかと思い、こちらをあえて選択していました。
島野さんのおっしゃられたB子という意識をとっぱらうというメリットが今一歩呑み込めなかったのですが、それは私にとって障害となるものなのでしょうか?
(そのため、今回はこのままB子としています。)

またお時間のある時にご返答を頂ければと思います。


 
まず進め方 / しまの
No.408 2011/12/26(Mon) 12:54:31

具体的実践いい参考例になると思います。具体的に説明していきましょう^^。

まず進め方ですが、

>そもそも選択しないことが可能なのか?そして前述の傲慢と謙虚という選択肢は選択肢になっていないということ。よく考えるとこれらは他人依存という同じ根っこのもので、選択すべきは他人への依存か自立かということではないだろうかと。この弱い自分のままで知恵を巡らしながら生きる覚悟があるのかことではないのかと思ってくるのです。最初の洗濯物を洗濯かごにという問題はどうでもよくなってくるのです。

ここで「他人依存という同じ根っこ」という気づき正解ですね^^。

ただそこでは「選択」まだできないですね。心が他人依存にあれば、「選択」もあくまで、他人依存の心の中で見える「選択らしき」もの、言ってしまえば「選択もどき」(^^;)が見えるという形^^;


まず「学び」から

ここで必要なのは、他人依存でない心では何がどうなるのか「学び」を入れることです。
それをうまく学べれば、もう「弱い自分のまま」ではなくなれる^^)v そんなものを学ぶ。それは今日のブログでも書いたように、「心の外」「自分で考えることの外」にあります。
それは基本的な生き方についてもありますし、洗濯物の処理にもあります。まずそれを学ぶ

それが「進み方流れチャート」の上の方の「学び」部分になります。
自分で考える内容ではありません。ハイブリッド心理学としてこういうもの、というのがあります。

ただそれをまだあまり説明できていないのが実情です。だから始まらない部分がある。えへへ^^ゞ 「学び」箱の中はもうかなり各論詳細が出てくるので、解説上あと回しになってしまっている状況があります。今後の事例集公開などがまず情報源になると思います。


自分の立ち位置をはっきりさせる

そのように、まずハイブリッド心理学推奨思考法行動法価値観、それはつまり心が健康な世界でのそれを学ぶ。依存の中の自分の心なりに考えた内容ではなく。

で次に、それについて自分どう納得できるかを問うことで、心の成長における自分の立ち位置を、もっとはっきりさせることが必要になります。

>そしてこれに難しさと感じるのはまだ、腹を据えていないということなのだろうかとも思うのです。

という漠然とした姿勢ではなく、心の根底の歯車をしっかり見分ける形でです。それが具体的に何か説明出さないとちょっと始まらないわけですが^^; ともかくまずは進め方の話として。

そこに「選択」現れるわけです。それはもう「学び」「当てはめ」をするものではなしにです。


心理メカニズムヘの深い洞察を加える

「当てはめ」ではなしに「自分に問う」ことにおいて、「選択」見えるのですが、「当てはめ」ではなしに「自分に問う」ことにおいて同時に、置き去りにされた自分の内面見えるというのが起きるのが、心理メカニズムヘの深い洞察を加える醍醐味部分です。

そうすると、このB子さん記述から僕が水晶玉に浮かぶように見るのは、「見て見て!」という健康で無邪気な自己顕示欲求を飲み込んだ少女の姿だったりするんですね。

そこまで内面向き合い深まると、心に変化が起きてきます。「選択」問えるのはこの段階になってです。「学び」を一緒につき合わせてです。


以上、進め方の説明です。
では「学び」どんなものになるのかは、次のブログ記事を踏まえると分かりやすいかと思いますので、続きはその後に^^。


 
具体内容 / しまの
No.410 2011/12/29(Thu) 18:07:01

では上記のように「学び」から「立ち位置確認」へという進め方で、具体的にどんな話になりそうか書いてみましよう。

「学び」

まず「学び」そのものの中に、
・問題把握
・それへの対処法
・生き方姿勢の根本的な違いの把握

といったものが含まれてきます。
(参照:11/15『成長の道標への歩み方-4・ハンドル操作の基本2』

『実践ガイド』「U-4.2 実践の基本的な検討手順チャート」で示したような一連のものが、この「学び」に含まれてくる次第です。


問題把握

およそ3つの問題があると思います。

1)洗濯カゴに入れてもらうための行動法
2)その問題の些細さに不釣合いな葛藤ストレスという内面症状
3)「謙虚さ」価値観の混乱


ここで、問題全体つながり把握理解するのが良いでしょう。
それは一言でいって、「怒りでねじ伏せるか折れるかという行動法しかない価値観」という大枠で起きていることだ、ということではないかと。
葛藤ストレス単純に言って必至です。
にはそういう行動法しかなく、その中で「謙虚」「従順」でいるのが高貴な存在だという人間観世界観神のように高貴。だから皆がその高貴な存在に尽くすべきだという論理・・かなと^^;


対処

まず行動法レベルでは、「怒りではなく知恵を使う行動法」です。

相手なぜ洗濯カゴに入れてくれないか、まず相手の行動分析をするのがいいでしょう。洗濯カゴ置き場を変えると、案外あっさり解決してしまうかもしれない。
これが右ハンドル1

左ハンドルとしては、そのように相手に応じた行動受け入れられるか。そこに「屈辱感」などがあるとなると、ちょっと話が深刻(?^^;)になってくるかもしれません。
まず検討できそうなら実行へが右ハンドル2


価値観については、心が健康で心を自立させた世界の、建設的な価値観思考学ぶことが右ハンドル1

ずるとまず言えるのは、健康な心の世界での「謙虚」と、その「謙虚」ちょっと別のものだ、ということになると思います。
健康な心の世界での「謙虚」は、「向上心」一環としてあります。おごることなく、自分をしっかり見つめて向上に励む姿です。その点、健康な心の世界での「謙虚」その人自身の問題であり、あまり人との問題ではない、という話になると思います。

B子さんが書いた「謙虚」は、対照的に、「自己放棄」「自己犠牲」という類になってくるような・・。
もちろん健康な心の世界では、それは求められませんそれぞれが自らの幸福に向かい、楽しみや向上を共有できるところで、行動を共にすればいい。共有できないもの、あるいは対立するものについては、まずどう知恵を働かせるか。ねじ伏せるか折れるかではなく。調整が難しいものは、何かのルールを決めるか、最後行動全体を別にするということになります。

このように対比させる価値観学び(右ハンドル1)、それについてどう感じるか左ハンドル)で、この場合は「価値観」テーマでありそのまま「立ち位置」が見えてきますね。


立ち位置


まずは、上記の「建設的な価値観」の方を聞いてどう感じるかになると思います。

多少とも共感納得感を感じるのであれば、価値観の本格的転換に向けて、関連する感情深堀りと合わせながら、具体的行動法幅広い検討へ。「中期」段階取り組みになります。

ピンと来ない、あるいは奇麗事!的反発を感じるようであれば、それだけ「支配−隷従」の心の世界どっぷりつかっているということで、まずそれについて「そもそも取り組めるか」を、「本心」「自分に対する論理的思考」確認および習得からやってみる、という話になると思います。その上で、再度ここで書いたこの全体再検討一筋縄ではいかないです^^;


いずれにせよ、自分の心の問題について論理的思考ツール深堀りできるようになるのが、とっつきの課題になると思います。多分読者の方の限りなく全員同じ^^;
「自分は“謙虚”というのを、こういうことについて考えた」と。そこで「こういうこと」を、自分の心の歯車の琴線をしっかり捉える言葉思考できるようになると、「選択」が見えるなり、自ず別の感情が湧くなりの、変化の扉届くという感じです。

とにかく論理的思考法できないと何も手につかないので、今後の「自分に対する論理的思考」解説など参考頂くのと(あとちょっとで入れる見込み^^;)、上記の建設的な行動法と価値観への納得感など検討してみて頂ければ^^。


p.s
「次のブログ記事を踏まえる」というのは今回は直接はなしですね^^; まずはここで書いた範囲を検討ということで^^。

なおHNは、実践編登場者として他の読者に見られるという意識が気にならなければ、そのままでいいです。気になる場合「B子を改め××で」と一回書いて頂ければ、僕の方では過去経緯含めアドバイス考えますので^^。


はじめまして / irohasu
No.403 2011/12/14(Wed) 20:30:50

島野さんの本を読ませていただいて大変共感いたしました。
私はどうやら「自分をどうにか良くしたい」という気持ちが強すぎるようです。また自分の思った通りに実現しなければならないという気持ちが強いです。

中学校のときに鼻水をすする音が耳につき、その音がずっと気になったらどうしようと思い、その音でいらいらするようになってしまいました。高校の時には字をきれいに書こうとしすぎてジストニアという脳の病気になりました(手術により治癒)。
また、島野さんの本を読んで人間関係においては極度に周りの目を気にしていたことに気がつきました。私はあまり話すほうではないのですが、「うまく話せなければ職場でやっていけない、うまく話せるようにならなければ」とか、同期と仲良くなるために面白く話さなければ」などと常に思っていました。飲み会などもうまく話せないと思うと憂鬱です。
最近ではストレスで髪が薄くなってきたこともかなり考えてしまいます。
休みの日などに特に心配事がなくてもなんとなく憂鬱な日がよくあります。

そこで、島野さんの本を読んで「あるべき姿」を目指すのはやめて、鼻をすする音が気になっても、周りとうまく話せなくても、ハゲがきになっても、ただじっと耐えていこう(感情を流していこう)と思いました。この考えは間違っていますか?感情と行動を切り離して行動を建設的にするというところで、行動を建設的にするというのがよくわかりません。これらの物事に対して建設的な行動をとるとどうなるのでしょうか?


 
Re: はじめまして / しまの
No.404 2011/12/16(Fri) 10:07:23

「感情と行動の分離」について最新手短解説をする良い機会かと思いますので、ブログの方で回答しようかと思いますので、これもちょっとお待ち頂ければ^^。


 
Re: はじめまして / しまの
No.406 2011/12/19(Mon) 14:51:17

ブログの方でと書いておきましたが、とりあえずここで入れておきましょう^^。

No.401のCさんへのアドバイスでも書いていますが、「感情と行動の分離」まず感情に流されないことを意識するとして、次の外面向けの建設的な思考法行動法「学び」がないと、結局暴走or我慢、つまり「自分のごり押し」or「自分の放棄」かの二極論に戻ってしまいますね。

>そこで、島野さんの本を読んで「あるべき姿」を目指すのはやめて、鼻をすする音が気になっても、周りとうまく話せなくても、ハゲがきになっても、ただじっと耐えていこう(感情を流していこう)と思いました。この考えは間違っていますか?感情と行動を切り離して行動を建設的にするというところで、行動を建設的にするというのがよくわかりません。これらの物事に対して建設的な行動をとるとどうなるのでしょうか?

まず、「鼻をすする音が気になること」「周りとうまく話せなく」「ハゲが気になること」に対して建設的な行動を取る、のではありません。
それらは「感情」です。「感情」に対してではなく、外界現実に対して建設的な行動法を取ります。そこに課題望みがあれば。
そのために、まず外界現実を知ることからです。それに向かう知恵とノウハウをです。
・なぜ人は鼻が出るのかの科学的医学的知識
・人とうまく話す技術(話題の取り上げ方や言葉の使い方)
・髪が薄いことへの対処法

など。

「現実」には答えがあります。全てが思い通りになるものでも、全てが思い通りにならないものでもなく。そうした現実心を晒す
ブログの右上(島野写真の下)「便利リンク」に追加しておきましたが、「姿勢」間違いパターン自分の心ばかりに目線が向くと、そもそものありのままの外界現実見えなくなってしまいがちです。

そうした基本姿勢、そしてじっくり「流れチャート」のように進めることを通して、

>「あるべき姿」を目指すのはやめて

という消去法思考よりも、「人の目との間に固定的にある“あるべき姿”」から、「開放によって流れ変わる“望み”」へ、という風に、捉え方変えていくものと理解頂くとよろしいかと思います^^。


バラバラな内面に耐えること / C
No.401 2011/12/13(Tue) 15:30:50

感情と行動の分離について。
感情が落ち込んで無気力で、それに引きずられるように外面も疎かになりがちです。
内面の論理と願望を突き詰めると、出口のない袋小路。
夢にまどろむような一体感を求める気持ちと、絶対的な望む資格思考、などが見えます。
それを抱えたまま、まるで違う人間のように、外面現実をこなします。
日々の仕事、運動、どれも無気力を押してというより無視して行います。
無気力に付き合っていたら何も進まないからです。それはまるで眠剤入りの甘いお菓子で、子供を無力のままでいさせようとする親のようです。
無力で守られたい気持ちと、自分でもできると抵抗する気持が両方ある。
今は何も見えませんが、こういう狭間でもがき続けるしかないんだろうと思います。


 
Re: バラバラな内面に耐えること / しまの
No.402 2011/12/14(Wed) 17:29:38

次のブログでの「いざない」説明を踏まえてアドバイスすると分かりやすいかと思いますので、ちょっとお待ち頂ければ^^。


 
Re: バラバラな内面に耐えること / しまの
No.405 2011/12/18(Sun) 10:27:32

これはまず、取り組みとっつき段階の話はよろしいかと思います^^。
「基本的自己受容」8/10『「基本的自己受容」とは-1』など参照)や、
とにかく感情に流され暴走しないという最初のレベルでの「感情と行動の分離」

で、あとはおとといの『いざない1』で言ったように、悩みそのものではなく、悩んではいない自分の思考法行動法に取り組む段階が必要になると思います。
「夢にまどろむような一体感を求める気持ち」「絶対的な望む資格思考」「無気力」「無力で守られたい気持ち」「自分でもできると抵抗する気持」などが内面感情の世界に見えるとして、
外面現実の世界で、対人関係の基本的なあり方を、「支配−服従」「寵愛−無視」といった「存在の善悪と身分」型のものではなく、心が健康で心を自立させた建設的で豊かな関係のための具体的な行動法を見る視野を、どう持つかいかんになると思います。(キーワード並べ立てており短くもちょー中身の多い話ですが^^;)
それによって、内面感情側無理な「当てはめ」でも「手づな」でもなく、向き合う中で消えていくものになると思います。

そこで、やはり視線「外界現実」ではなく「心が映した現実世界」という内面に向いているのではないかと。
「今までの心が解釈した現実」でない、「直(じか)(ガチ?^^;)の現実」を見る。それについて、「自分への論理的思考」で考える。この辺はこの後のブログ解説がそれに焦点を当てますので引き続き。

その辺は今後じっくりとして、基本的なポイント2つ

まず「感情と行動の分離」での「分離」1度だけです^^。
まず感情に流されない建設的行動法学ぶ段で、いったん「感情」置いとく。ここで「分離」
でもそうして分離した「感情」は、そのあとしっかり向き合い続けますので。それがやがて「統合」に向かうものとして。
分離した感情さらに「分離」で対処するものと考えると、結局爆発するか(^^;)じっと我慢で耐えるかの二極論に戻ってしまいます。これは全て感情の中で思考するパターンです。
「分離」1度だけ。あとは上記外面現実向け取り組みをじっくり行ったあとで、最後に突合せして右ハンドルその2「何を望むか」で、「未知」へ、という流れです。

あと一つは、その先の答え「バラバラな内面」は、「耐える」というより、選ばねばならないですね。自分としてどれを取るのか。それが答えです。
この場合具体的にそれは・・と見たところ、そもそも現実の材料がないですね^^; つまり「自己像」を相手に惑っているような。
これは「心に取り組んでしまう」という以前に、「自己像を相手に生きる」という状況になってしまっている模様。この気づき捨て去りが、まず一歩になるかと。

この「自己像を相手に生きる」という問題などもちょっと念頭に、ブログで説明書いていきましょう^^。


(No Subject) / C
No.399 2011/12/03(Sat) 18:34:23

人の目とは関係のない、自分一人の楽しみを持つというのがどうも想像できないです。今までのものがほぼ、内容への純粋な興味より、人に見せる/見られるためのものだったために、自分一人の楽しみ方が分からないからです。
何かを生み出したいと思いますが、何も思い浮かばずただ時間を空費してしまいます。
見せる人もいないなら、何かを作っても何の意味もないように思えます。
皆ひとりでも何がしか興味を持ててるのに、自分が何も生み出せない人間みたいです。
人の目を意識せずに楽しみを見つける方法なんてあるんでしょうか。


 
「嘘のない楽しみ」 / しまの
No.400 2011/12/04(Sun) 10:16:36

まず、ハイブリッド心理学「自分一人の楽しみを持つ」ことをことさら達成目標には、あるいは通過目標にもしてはいないです^^; していたら「詳細マップ」などにも明記しますので。

そんな話に触れたのは以下になりますね。
2010-03-03『病んだ心から健康な心への道-8・島野を救ったもの』

重要なのは「全く嘘が混じり込まない楽しみと喜び」です。人との関係を築くための基盤としても、です。
島野の場合、「一人遊び」の中で見出した楽しみ喜びが、やがてそれになったという話。

「全く嘘が混じり込まない楽しみと喜び」を見出すために、人の目に関係のない楽しみまず目を向けることが、良い方法になるとは言えますね。

つまり、嘘のない楽しみを持つ方法の一つとして、まず「自分一人の楽しみを持つ」ことから始めてみるというのがある。
目標にしているのは、嘘のない楽しみを持つことであり、それが自分一人に閉じていたとしても、嘘のない楽しみであればそれなりに人生豊かにしますし、人と共有できればさらに良しです^^。

「人の目を意識せずに楽しみを見つける方法」もなにも、ともかく何が本当に楽しいか模索するという話になりますね。

そのためには、「自分一人で楽しめる」以前に「自分一人で考え、感じ取ることができる」というのが向かう道になると思います。
「本心と心の自立」という、「前期」段階取り組み全体になりますね。

原動力
根源としては、「人間性の核」の中の「向上心」重要かと。「楽しみ」というのは結局、「向上」ともにあるのではと思いますので。
「想像」してみるなら、ごく日常些細なものごとで、ストレスのない向上心というのはどうなるかというものですね。「一歩一歩の向上思考」が結局それですね^^。

「前期」段階取り組みポイントはこの後ブログで解説しますので、引き続きご参考頂ければ^^。


「感情と行動の分離」に関して / white
No.392 2011/11/15(Tue) 15:47:19

 「感情と行動の分離」ができることは非常に望ましいことだと思います。

 ただ、具体的場面において、感情と行動を分離すべきだとは思いつつ、どうしても感情と行動の分離が具体的行動としてできない、するのが苦しい、することなど怖くて考えられないと「感じる」場合、無理に為すべき「行動」をやろうとすると非常なるストレスがかかる気がして、為すべき行動に移れないことが多々あります。


 
 たとえば、家で仕事(自由業みたいなものです)をしようと思っても、仕事をすることのストレスを考え、「今自分が仕事をすることなど(仕事のストレスが怖くて)考えられない。今仕事をすると自分は精神がどうかしてしまうように思う。精神がどうかしてしまうよりは仕事をやらない方がよい。だから今日はやめておこう」等と考えてしまいます。


 家で仕事をする気が起きないから職場で仕事をしようと思っても、職場に行ってむりやり仕事をすることの苦痛・ストレスを考え、やはり職場に行くことが考えられなくなることがあります。

 
 それでも何とかやっていけるのですが、せめて中程度まで(できればもっと)成績を上げようと思えば努力をすべきであり、努力をしたいと思っているのですが、いかんせん仕事が怖くてできない。どうしても楽な方に流れてしまう。


 甘えなのか、しかし無理をしてうつ病になるのも恐ろしい、だったら今の自分の楽をするという選択の方がよい。そう思う部分もあります。

 ただ一方で上昇志向も強く、今の自分には満足できません。


 感情を分離して行動することなどできない、そんな場面はありうるのではないのでしょうか。感情を分離して行動すると、非常に気分が悪いまま亡霊のように仕事をする、それによるミスも怖い、また、精神悪化も怖い、そんな場合、無理やり為すべき行動をするのは逆効果なのではないのでしょうか?

 自分でつくった妄想におびえているのも自覚してはいるのですが、しかし、「どうしてもできない、今ここで行動するという選択をしたら精神が壊れる気がする」と感じる場合、その感情を乗り越えることができないのです。何かアドバイスをいただければ幸いです。


 
Re: 「感情と行動の分離」に関して / しまの
No.394 2011/11/15(Tue) 16:39:26

これも「歩み方ガイド詳細」を踏まえてレス書きたいと思いますので、ちょっとお待ちあれ^^。


 
Re: 「感情と行動の分離」に関して / しまの
No.398 2011/11/22(Tue) 13:02:57

今の心のまま、ただ「感情と行動の分離」聞いて考えるとそうなると思います。感情に流されまい気力で頑張るのと、そのストレスから逃げたくなるのと。

昨日のブログ進み方チャートを示したように、まず新しい視点学ぶことから始めるのがハイブリッド心理学での「感情と行動の分離」になります。「分離」はその新しい視点に現れ、あとの「内面向き合い」ではもちろん感情無視せずありのままに受け入れ最後「行動結論」「分離」ではなく「統合」に向かう、未知への姿勢で臨みます。

この話の場合、まず仕事「やる気」によって進めようとする姿勢が、抜け出す課題になると思います。

まずはごく数字的な話として、職場と自宅での仕事配分安定したリズムを心がけるのが良いと思います。誤差程度の感情のブレ無視する程度で坦々と仕事に向かう姿が、まずは順当なものになると思います。仕事というのはそうしたものだと思います。

問題は、

>無理をしてうつ病になるのも恐ろしい

といった心配があるような、背景的な心のストレスの方です。
これはもう上述のような数字の問題で考える問題ではありません。いったい何がどうなってそのようなストレスで仕事に向かうことに至ったのか、来歴から振り返るのが本格的な取り組みになると思います。

この辺は『実践編』「D男さん」事例参考になると思います。

7章 人生をかけた取り組み−3 −痛みをただ流す・感情への知性の目−
冒頭まとめにも
===============
「やる気」に頼らない行動習慣 ・・・ 「やる気」の勢いではなく、することの意義を客観的に判断して行動する姿勢の習慣をつける。
===============


といったものがありますが、D男さん話全体にわたって、取り組みの全体など参考にして頂ければと思います^^。


「怒りの放棄」について / hide
No.389 2011/11/04(Fri) 20:12:40

最初の道標をまだ通っていない者です。
10月26日投稿分のレスありがとうございます。
理論編からほぼそのまま抜粋しただけでしたが、文脈構成を変えただけで、理解の浅さが浮き彫りになったようですね。

さて今、11月1日ブログのうち、怒りを実際に捨てる1)〜5)のステップ近辺を見ています。
自分の身に起きた、誰にでも起こりうるような以下の事例について具体的に解説いただきたく、投稿します。
【事例】スーパーマーケットで、レジの列に並んでいたときのことです。
レジは3台で、並ぶ場所はフォーク並びで簡易仕切りが置かれています。並ぶ方向とレジの位置はT字型にはなっておらず、先頭に並んでいる私の位置からレジは2台しか見えず、残りの1台は後ろを振り向くような位置にありました。
このような状態で私から見えないレジが空き、私の後ろに並んでいた人が進んでいって、レジ係の店員も何も言わずに会計をし始めました。
なので私は、その客に「並んでいるんですが」と言ったのですが、私の顔を見るだけで無反応、レジ係の店員には「次にやりますから」と言われました。予想外の2人の反応に私は、二の句が告げず言葉を失いました。
結局買って帰りましたが、腹が立って仕方がありませんでした。

私がこの後考えたことは次のとおりでした。
@どう考えても私は間違っていない。割り込んだ客と店員に落ち度がある。
A私は買い物カゴを持たずに並んでおり、タイミングやその場の状況的に考えると、割り込んだ客は、もしかしたら私が列に並んでいると認識できていなかったかもしれない。だから何が起きたのかわからなかったのかも知れないし、その反対に確信犯かも知れない。
Bレジ係の店員の「次にやりますから」の発言はあまりにもひどい。普通は、「では先にやります」とか、最低でも「申し訳ありません」くらい言うべきだ。
Cこれまでにもこのスーパーで、数回不愉快な思いをしたことがあった(一度は正式に苦情を申し入れたことがあった)ので、店当局としての販売姿勢に問題がある。
Dこんな理不尽な目に会うのは、私の過去の行為に意識無意識に関わらず「悪」があったからであり、因果応報の法則(仏教)によるものだから仕方がない。
Eこのように存在を無視・軽視されることがこれまでの人生で何度もあり、この世の人間社会で生きていくことさえ、ますます嫌になった。
Fこれからは、このスーパーで買い物をする物は、こちらから頭を下げて売ってもらいたいものだけにしよう。それならぞんざいな扱いを受けても怒らないだろう。
Gその場で冷静にとくとくとレジ係の店員に対して苦情を言い続ける方法もあったし、買わない方法もあったが、そのときは思いつかず、疲れていたことと、余分な時間を使うだけなので、大人しく買って帰った今回は、これでやむを得ない対応だった。
Hこんな小さなことでこんなにも腹が立つのは、自我の執着が強いということで、悟りの境地たる無我には程遠いな、と思った。

このことを、ステップ1)〜5)と対比させてみると、1)〜4)までは、自分なりにできていると思います。

>4)それら「怒る理由」と「怒る行動」というものに対抗し得る、「怒りに頼らない行動法」を具体的に持つこと

このとき4)に対応する具体例が私の場合Fだったわけですが、こんな思考で、怒りを持たない成長した人間への過程になるのでしょうか?
これだと、このスーパーという極めて限定された場面でしか役に立たないような気がします。よろしくお願いします。


 
Re: 「怒りの放棄」について / hide
No.391 2011/11/15(Tue) 15:32:31

その後のブログでは「怒り」に関する抽象的な記述がありましたが、この具体例については、お答えいただけないか、遅れているようですね。
なので一人語りにて完結いたします。
これは「ただ運が悪かっただけ」の話です。
そしてそれに伴う怒りは、自然の感情であり仕方のないことです。
昔祖母に言われた「怒った自分が損するだけ」という認識だけ持っていれば、それでいいと思います。
【事例2】通勤途中に上からカラスの糞が落ちてきて頭と肩に浴びてしまった。
先の事例もこの事例2も同じく運が悪かっただけの話です。
しかし、先の事例が人為現象なので怒りを伴うのに対し、事例2は自然現象のため、悲しい気持ちにはなりますが、怒りは伴いません。怒りの矛先は人間にしか向かないからです。
人為現象も自然現象のひとつとしてただ単に運が悪かったと考えることができれば、怒りは収めることができるのでしょうが…。
人生の中で日常の中で、運が悪くて、悲しいあるいは憤りの思いをすることは、たくさんありますから、仕方のないことです。
しかし、ここであえてハイブリッド心理学は「怒り」をとりあげて語っているわけです。

例えば文学など芸術では、感性が重要であって、論理は重要ではありません。
既存宗教では、論理矛盾は権威によって沈黙させます。
反対に哲学では、論理によって真理を解明するものなので、論理矛盾・破綻が広く指摘されると、その哲学者の価値は、ぐんと下がってしまいます。
この点当該心理学では、理論・論理・理屈を重要視しています。
しょうもない事例であることは最初からわかっております。
一般的にはまともに問題視すること自体が幼稚なことです。
が、当該心理学では、どう論理的に答えてくれるのか、聞いてみたかったわけです。
当該サイトでは様々なところに論理破綻が見られます。しかしブログ等は正式な書籍にする前の試行錯誤の推敲の場だと考えておられるようなので、このサイト内でどんどん間違えて、推敲を進めていって、論理の一貫したハイブリッド心理学を作り上げていただければよいのかと思います。
全然成長に繋がる思考ができていないと言われるだろうな、しかも納得のできる論理的な回答がいただけることは難しいだろうなと思っておりました。


 
Re: 「怒りの放棄」について / しまの
No.393 2011/11/15(Tue) 16:38:05

レス遅れておりすいませんです^^;
ブログで解説し始めた「歩み方ガイド詳細」を踏まえて説明すると分かりやすいと思いますので、あと2、3程度の記事を書いたら書けるかと思いますのでちょっとお待ちあれ^^。
整備途上心理学ゆえ多々ご不便をおかけしている面ご容赦頂ければ。申し訳ないです^^ゞ

ちなみにあと9/10Ryotaさんさらに7/1(^^;)B子さん質問へのアドバイスも保留中で、「歩み方ガイド詳細」を踏まえてあとで簡潔にポイント書きますです^^。


 
Re: 「怒りの放棄」について / しまの
No.397 2011/11/22(Tue) 11:45:00

これはまずは島野の考えをお伝えしてみましょう。そのような場面でどう考えるか。

まず、レジ順序の厳密度は、その場合はやや低いと思います。
そもそもフォーク並びの設定はお店に任されている便宜性ですので、どこまで厳密なものかお店によると思います。しかもお聞きする配置ですと、hideさん前方のを待っていたようなので、後ろの人空いた別の方に行ったという構図も成り立ち得るかと。
これが徹夜で並んだチケットの購入後ろの人に抜け駆けされたとなると、話が全然違ってくる。大いにクレームすべき事態^^;

これはまずは、外面行動「原理原則」をどう考えるかという、「原理原則行動法」テーマになります。ここでは、「厳密度」といった視点を入れているのが、hideさんが考えたことに対する新しい視点と言えるかと。

それを1つ目の視点として、2つ目の視点は、自分の能力の問題として捉えるということになると思います。後ろのレジにも抜け目なく空いたらすぐ行くぞという姿勢を、どう見せられるか^^;

つごうまずは2つの視点ですね。原理原則行動法視点、そして全てを自分の能力の問題として捉え、常に学ぶ姿勢
そうした視点に、理解納得できるか。道徳的な思考とは対極のものになると思います。

その上で、本心から怒り捨てることを望むかですね、。

怒り本当に捨てるのは「否定価値の放棄」によるものであり、それは全ての視点においてハイブリッド心理学が取るものと一致することによって至るものと考えています。視点沢山あり、一つでも違うものを取るならば、心底から怒りを捨てることにもならないと思いますので、幅広い材料で取り組んでみて頂ければと思います。

今回は「自分がどう扱われたか」という受け身の出来事材料となっていますが、仕事家庭生活など人生課題において、自分から何にどう向かうかが、取り組みの材料として特に重要です^^。


「変れそうで戻ってしまう人」 / Ryota
No.353 2011/09/10(Sat) 11:15:14

初めて投稿します。現在29歳男、理系研究員です。
HPを拝見させていただき、自分の現段階が「変れそうで戻ってしまう人」で
あるという認識を得ました。
「心の依存状態」が強く「心の自立」に向かいたいという
気持ちがある一方で、困難に出会うと「誰か何とかしてくれ」と
「心の依存状態」に強く後ろ髪を引かれてしまいます。
過去、一週間ほどの引きこもり状態を3度ほど経験しております。
両親の保護を強く受けすぎたためか、現実的思考に欠如しているという
感じがします。そのため、上司からは「夢ばかり見るな、自分のことばかり考えるな」と常に叱責を受ける状況で、いろいろと失敗をしております。
そういわれているにもかかわらず、自分の感情を見入ってしまい、
自分の状態がどうであるのか自己分析ばかりしてしまいます。
この感情に見入ってしまうことに、自分では何らかの価値を見出している
感覚があり、その感覚が強すぎるために、現実問題を解決するための
時間や労力を削ってしまいます。

こういう状況で、しまのさんのHPを拝見させていただくこともまた
現実問題から目を背け、「心の自立」から離れていることになって
いるのではと少し感じています。

HPを拝見していて、しまのさんは「心理的部分に強い関心を有する」
という私に近い傾向を持ちつつも、
「心の自立」を果たし現実世界で生きていらっしゃるように
映ります。そうしたしまのさんから見て
現在の私の状況が心の成長プロセスのどの段階にあり、
また、どのようなことを意識することが心の成長につながると
考えられるのか、お聞きしたいです。


 
Re: 「変れそうで戻ってしまう人」 / しまの
No.396 2011/11/22(Tue) 10:57:55

これもちょー遅くなりましたはが、昨日のブログ記事の進み方チャートを参考に、取り組み実践を検討頂ければと思います^^。

>現在の私の状況が心の成長プロセスのどの段階にあり、また、どのようなことを意識することが心の成長につながると考えられるのか、お聞きしたいです。

これもまずは、どんな外面問題に対して、どのように建設的な行動ができているかに示されます。
まずそれを手がかりに、進み方チャートのように検討してみて頂ければ。そこで何か分からない点など出たら、何でも質問して頂ければ^^。


ちょうど / B子
No.316 2011/07/01(Fri) 13:05:43

こんにちは。

自分のハイブリッドにおける取り組みが、ちょうど島野さんがブログで解説されている所にジャストだったので、ほかの方の参考になればと思って書き込みしました。


今の状態としては、自分の嘘が毎日剝れていくような感じです。
特徴的なのは毎朝目が覚めると何処かしらの嘘に気付いています。
自分は傲慢なのだという強烈な自覚とともに目が覚めたこともありました。
しばしば脳内の奥で何かが動き始めたような感覚を知覚することもあります。

崩壊を経験したこともありますが、それに比べると弱い衝撃です。

以上のような身体的な感覚に伴い意識下で起こっていることは、
現実的な問題に沿って自分の感情がどのように動いているかを何もせずにトレースしています。

例を挙げればきりがないですが、分かりやすいものでは下記のようなものがありました。

長年付き合った恋人との結婚が破談になった人友人が居ました。
そのことを以って彼女を見下げようとする自分の心の動きを感じました。

近年の時代背景もあり、私は結婚自体が重要であるとは考えていません。
それにも関らず私はそれをもって彼女を見下そうとしていました。
理由は彼女のほうが私より魅力的でありそれに嫉妬していたからです。

嫉妬しているのは自覚していたのですが、彼女を軽蔑しようとしていることは知りませんでした。
自分が気に入らなければ、相手の不幸を望むという身勝手な考えを自分が持っていたこと。自分の傲慢さに気がついた瞬間でした。

私自身彼女に好意を持っているのですが、それも嘘であったというよりも、それを隠れ蓑にしていたと思います。
彼女を蹴落とそうとする気持ちと彼女への好意とどちらも本物でした。

再び、身体的感覚の話に戻します。
今まで、もやっとしていてよく判らなかった感覚を明確にしています。
あとは自分の思考を無理やりに変えたい、ほかのことを考えたいとあがく時。
最初はどう感じているかだけに重点を置いています。
私の場合は其処に嘘が大抵あります。
嘘をついていると身体感覚まで鈍くなってきます。

あと、道徳的にこんなことは考えてはいけないという無意識の思考こそ私の障害になっていたと感じています。

私のように嘘をついている方も大勢いるのではないかと感じています。
それなりに腹をくくらなければ見えてこない所も出てくると思います。
自分の心の中でさえ、意識をそらそうとしているものを見ようとするときなど
それなりの覚悟も必要な時がありました。

私自身、まだ途中段階なのでこの程度しかないのですが取り組まれている方は参考にしていただければと思います。

それと、島野さんに質問なのですが、
この動きをもっと加速できないかなと思案しているのですが、
何か手があったら教えていただけると幸いです☆


 
ちょっとお待ちあれ^^ / しまの
No.317 2011/07/03(Sun) 20:10:47

ちょっと時間食っていますが、次のブログ記事を踏まえてコメントしますので、ちょっとお待ちあれ^^。


 
Re: ちょうど / しまの
No.395 2011/11/22(Tue) 10:50:29

長らく保留にしていましたが、昨日のブログ記事まであたりを参考にアドバイスできるかと思います。

まずは「本心」獲得過程にある感じですね^^。

一方「身体感覚が鈍く」あたりの話は、かなり強固な心の力み傾向慢性的に働いていることが考えられます。
これを解除するかどうかは、外面問題についての対処の考え方、そして何よりも価値観に依存すると思いますので、外面問題への自分の考え方、価値観をまず明瞭化することが通り道になると思います。

そこでB子さんの場合は、これまでのメール相談で聞いた範囲では、外面向け価値観は、反発する家族の価値観ご自分の価値観も結局は同じ道徳的なものであったと思います。それをどう転換するかテーマになるのではないかと。

その点、

>この動きをもっと加速できないかなと思案しているのですが、

これは自分ではまだ動いていないんですね。その後の話はお聞きしていない範囲になりますが・・。

そもそもの、ハイブリッド心理学なんで取り組もうとしたのか動機にまで立ち返って、外面の問題と課題言葉にして把握し、それについての自分の考えを把握することから、昨日のブログ記事のような手順で検討してみて頂ければと思います。

なおハンドル名についてはNo.365 2011/10/03 C子さんへのス(No.366 2011/10/03)で指摘したのと同じで、別のものにするのがお勧めですね^^。
要は自分が実践編のB子だなんて意識はとっぱらって進めましょうー\(^^)/ということで^^。


(No Subject) / C子
No.390 2011/11/05(Sat) 07:59:56

最近「自分から前に進む」とか「自尊心」について、ようやく実感できるようになって来ました。転換期というものが訪れたのだと思います。
私の場合は仕事がきっかけでした。その他にも色々と要因はありますけども。
自分を理想から極端に卑下するのも、理想に慣れてるつもりで天狗になるのも、どちらも自分自身がみえていないと今は思えますね。


真の望みとは / hide
No.383 2011/10/26(Wed) 17:11:41

理論編下巻2章より抜粋すると、
・私たち人間は、「絶望を経て真の望みに近づいていく」存在
・「心の自立」の中で、人は「真の望み」へ近づくことができる
・「自立」とは、自らが「生み出す側」「与える側」に回ること
・「心の自立」に向かう最後のベクトルは、それが完全に「未知」として進むものになる
・「未知」とは、「今の自分」が一度崩壊し、今の意識が破滅する闇の谷間を通るということ
・自己の真実に向かい、真の望みを探り続けることを意識努力によって実践する
・真の望みが見えないケースでは、未知への歩みの道のりの最後に現れる「人間の心の真実」を知ること

望み→絶望→未知→心の自立→真の望み
真の望みはそう簡単には見つからない。
真の望みを発見するためには、意識努力してそれを探し続けるということ。
こんなところでしょうか。


 
Re: 真の望みとは / しまの
No.388 2011/11/02(Wed) 17:32:49

今日のブログで参照できる話が結構出てきましたので、コメント書いておきましょう^^。

ただしこれは言葉説明して理解するのは、極めて難しい話になります。歩み「体験」によって、身をもって知るしかないものになるでしょう。


まず「真の望み」「命による望み」であり、それに向かうことは、今「歩み方ガイド」として説明している、「命」に近づいていく道のり全体の話になってきます。

意識面で言えば、結局我々は「心」「自意識」によって望みます。そして「心」「命」とは別に機能している限り、我々は「真の望み」直接意識でタッチすることはできないという話になります。
それに近づくということは、「命」近づくということとほぼイコールであり、それは「歩み方ガイド」で言う「道標」の話になってきます。つまり「実践」ではないということです。

取り組みとしては、「感情と行動の分離」に始まる「実践」車輪の回転にして、「望み」に向っていく「体験」の中で、望みふるいにかけられていきます。
ただしふるいにかけられたからと言って、消えた望み偽りのものであったと言うことは、「意識」ではできません。先日のブログ10/30『「悟り」と「未知」-6・乗り越えるべきもの』僕自身の体験を紹介したように。


全体としてはそんな話として(ちんぷんかんぷん?^^;)、ご質問それぞれにコメントしますと、


>私たち人間は、「絶望を経て真の望みに近づいていく」存在

黙示書第2テーマ「原動力」全てによってです。「絶望」「喪失」の部分ですね。まずはその前に「望む力」「現実に向う力」が、意識取り組むものになります。
10/5『歩み方ガイドへの黙示書-2』


>「心の自立」の中で、人は「真の望み」へ近づくことができる

これはYesです。「依存」においても「命」がある限り「真の望み」はあるのですが、自分からは向かえないのが「依存」ですね。向おうとすると「嘘」が混じるものになってしまう。それを抜け出すのが「自立」です。
そこで「依存」の中に置き去りにされた「真の望み」は、まずは「看取る」ことが方向性と知っておくのが良いでしょう。入門編下巻P.310からなど参照。


>「自立」とは、自らが「生み出す側」「与える側」に回ること

これはYesです。特に説明は不要かと^^。


>「心の自立」に向かう最後のベクトルは、それが完全に「未知」として進むものになる

これはNoです。依存自立違い「既知」として学べるものであり、それを学んで自立形の行動選択していくのが実践になります。
最後のベクトルは、自立依存区別越えたもの(真実)向かうという形で、完全に「未知」に向うものになります。入門編下巻P.314最後の文章など参照。


>「未知」とは、「今の自分」が一度崩壊し、今の意識が破滅する闇の谷間を通るということ

それに限定する必要はありません。「順調な前進」10/7『歩み方ガイドへの黙示書-4』での「成長の形」参照)でも、成長体験すると「未知」が感じ取れます^^。


>自己の真実に向かい、真の望みを探り続けることを意識努力によって実践する
>真の望みが見えないケースでは、未知への歩みの道のりの最後に現れる「人間の心の真実」を知ること
>真の望みを発見するためには、意識努力してそれを探し続けるということ。

これらは今日のブログで書いた、「道標」「実践」勘違いする、ごくプラクティカルな方の誤解をされていると思います。
意識努力、つまり「実践」するのは、目の前の生活問題、人生課題にどう「感情と行動の分離」以降の実践項目活用できるかになります。

そうした具体的材料ベースで、実際どのような思考法行動法を日々使ってるかをじっくり検討することで、「道標」のどの辺が自分の今の課題かと、見えてくると思いますので^^。

そのポイントは引き続きこのあとブログで解説していきますので、ご参考にして頂ければ^^。


遅れ馳せながら、解説します / Jet
No.384 2011/10/27(Thu) 01:06:12

島野さん、今晩は。いつも大変お世話になってます。hideさんのスレがありますが、失礼して一つ下のスレの解説をします。hideさん申し訳ありません。

人がいつ自ら命を絶つかわかった気がした。それはまだ途中の人生に、ありがとうを言う時だ。
私はこれまでの人生を総括しようとした。
まあこのまま生きていくのだろう。今では理由も見つけた。望みは総てかなったようだ。もう死んでもいいぐらいだ。後始末をしよう。
すると実際死んでいく感じがした。どんな気がしたか、これは大失敗だった。痺れる冷たさ、ちりちりとした恐怖、だめだ、この感情だけは置いておけない。私には悪魔のほうがどれだけましであることか。いつものように愚かで、間抜けに生きていればよろしい。これからやる事を考えていればよろしい、どんなに馬鹿げているとしても。
この数ヶ月、Kさんに会う前の自分に頼って、助けを乞うてきた。何もしないでただ側にいて欲しかった。それから今の感情を頼りにし、今度は小さい頃の自分を引っ張りだそうとしている。この子はただ連れていきたい。Kさんに会わせるために。
私は自意識と相討ちするのかもしれない。果して幸福に向かっているのか建設的なのかも判らない。愚かであればKさんに近付けると思う。今はそれでよい。
という事でございますです・・


 
Re: 遅れ馳せながら、解説します / しまの
No.385 2011/10/27(Thu) 08:39:02

「現実世界」におけるは、「喜びと楽しみの共有」として行動化し得るもの。
そうできない「愛」「魂の世界」のものとして、自分の心の中で受けとめる。

まずはこの2面の姿勢を携えて向うのが良いかと^^。


 
Re: 遅れ馳せながら、解説します / Jet
No.387 2011/10/28(Fri) 00:54:55

はい、承知しております。大丈夫です。


(No Subject) / Jet
No.386 2011/10/28(Fri) 00:44:33

島野さん、今晩は。
昨日の今日で気が引けますが、いい事があった記念に書き込ませて下さい。

安心しているな、と思う。安心すると余裕が出て解放できる。島野さんの言う通りだ。ドーナツを歩き食いしながら私は何を考えていてもいい。何を望んでもいいのだ。これが欲しかったのかもしれない、と思う。何を望んでもいい自由。私は幸せになった。
何も得られないとしても。望むと失わない。何を?それを得ようとすることをかな。

自分の事ばかり考えていていいのだ。(いけないとばかり思っていたな。)世界の始まりは自分。
私は自分を通して世の中を見られる事が幸せだと思う。(←何者?)

島野さんはやっぱりすごいな・・


ということは。 / Jet
No.382 2011/10/24(Mon) 23:39:45

望むということは。

絶対に嫌だ。Kさんがいなくてもいままでどうりに生きていくなんてことは。そんなことする自分がいらない。いらないいらないいらない。
戻ってる?構わない。一からやり直しだ。何度でもやり直してやる。Kさん無しの人生で得たもの全部注ぎ込んでやる。仕事なんか辞めちゃおう。仕事は仕事のためにやるもんだ。誰がやってもいいんだ。私がやってもいいけどやらなくてもいい。辞められる、良かった。男に惚れるほうが大事だ。
両立なんか出来ない、どこで骨になってるか判らないのに、拾いに行かなきゃ、会社で社長と喧嘩してる暇は無い。ちびっ子、出番だ!!

望みの準備出来ました。


10/13hideさん質問へのコメント-続き / しまの
No.381 2011/10/21(Fri) 17:25:54

ブログの方にて^^。
よろしくですー。

p.s
記事へのリンク載せときましょう^^。
2011-10-21 『「悟り」と「未知」-1』


プライドと自信 / C子
No.378 2011/10/19(Wed) 10:25:46

名前考え付かないので当面C子でいきます。

年下で私がやるような仕事をさらっと軽くできてしまう後輩がいます。
地頭が違うという感じです。正直、会社にいる年数以外に私がすぐれてるものが殆どないです。

結局仕事も、楽しいと感じるにしろ、それの中身ではなく、それを作れる自分かっこいいというものでしかないようにも思えます。
でも相手に嫉妬するだけで、無能だという事を受け入れる謙虚さもないです。

こういう見栄だけで中身に興味を持てないことが、実質的な人との関係や能力を伸ばすことを邪魔するように思えます。
何をしようとしても、それをしている自分という枠から逃れることができません。
中身に興味を持とうと思っても持てない。

以前島野さんが[プライドを自信と勘違いするのが元凶]という内容のコラムも書いておられました。「自己を評価して生きる」姿勢がこびりついていると。

飢えた動物のようにそうしたプライドを追い求める気持ちがあるわけで。
そこより一歩先に進みたいのですけど、常に結果を求められる日常の中で、他人からの評価、一応プロとして雇われてしまってるが故のプライド、深夜までの残業など余裕がなく、どう考えるべきかわからないです。


 
Re: プライドと自信 / しまの
No.379 2011/10/20(Thu) 16:04:17

>以前島野さんが[プライドを自信と勘違いするのが元凶]という内容のコラムも書いておられました。。「自己を評価して生きる」姿勢がこびりついていると。

『理論編上巻』の以下の章での話のことだと思います。
7章 「自尊心」の混乱と喪失−2  −なぜ自信が定着しないのか−

「元凶」というような表現はしてないですね^^;
心理メカニズムの中で「元凶」と呼ぶにふさわしいのは「否定価値感覚」ですね。

「プライド」「高い自己評価」だとして、「真の自信」それではない、という話ですね。
まさに昨日のブログの巨大な燃料ロケットの話です。通過点としては必要であろうが、やがてそれさえもが捨て去られるのが、「命」への道だということになります。

中身関心持つことが、スキル向上にまずは高い自己評価を持てるようになる王道だと思いますので、関心持てる面自分から積極的に探す姿勢がお勧めになります^^。


 
Re: プライドと自信 / C子
No.380 2011/10/20(Thu) 16:51:22

> 中身に関心持つことが、スキル向上にまずは高い自己評価を持てるようになる王道だと思いますので、関心持てる面を自分から積極的に探す姿勢がお勧めになります^^。

そうなんですが。
中身そのものに関心を持てないから困っているわけですが…


10/13hideさん質問へのコメント-2 / しまの
No.377 2011/10/18(Tue) 16:35:19

次に、哲学宗教など、心の探求さまざまな領域をざっと見渡して。


探求のスタンスの違い

>心理学は哲学からほんの1.2百年前に分かれた学問ということなので、共通点も多々あるのではないかと思いますし、心理学専攻の方は哲学も多少は触れられているのではないかと存じます。

哲学宗教などとの共通性相違性については、
1)表現の体系
2)追求するもの


という2面で、探求のスタンス違いがあると考えると、理解しやすいと思います。


表現の体系

まずは使う言葉。そしてそれによって表現される思考体系というものの違い。

宗教科学思考そっちのけ(^^;)哲学は・・う〜んまあ人間意識観念の整理という思考体系になるのかな。

一方心理学、ともかくハイブリッド心理学は、極めて科学的思考物理科学的思考、そして生物学的思考との連続性意識しています。

「メカニズム」という視点一番根底にあります。というのはこういう仕組みで、こうなるらしい。ならこうするといい。
ということは、それはの仕組みであるわけです。実際、解剖学生理学から見るとどういうことか、という話にもつなげることが可能。
この辺がちょっと哲学探求スタンスが変わってくるかもですね。

最も近いのは医学ですね。というか探求のスタンスはもう医学そのものと自分では感じています。


追求するもの

次に、哲学宗教そして心理学のどれについても言えることとして、何を追及するか姿勢として違うものが出てくると思います。

「知の追求」として取り組むのと、「実体験の追求」として取り組むのとです。まあ授業科目で言えば「理論」「実技」の違いですね。
哲学宗教そして心理学のどれについて、それを「知の追求」として取り組もうとする人と、「実体験の追求」として取り組もうとする人がいる。

ここで探究領域スポーツであれば、理論つまり「知の追求」として取り組むものと、実技つまり「実体験の追求」として取り組むものとで、かなり違いが出てきますね。
しかしモノ心と人生となると、そのように明瞭ではなくなるとは言えるかも知れません。


「真理」

ここで、「真理」というのは「知の追求」求められるものとして出てくるもの、と僕としては考えています。

というか、「知の追求で求められる究極の答え」というのを、「真理」という言葉の、僕としての定義ととりあえずしたい。

「知の追求」として「真理」目指すならば、誰が何を言っているかあまねく把握し、その共通性相違性討議していく、ということも重要な作業になってくるというものとして。
自分の考えと異なる考えについても検討し、「あまねく万人に知らしめ得る知」を、「これが真理だ」提示する、ということになるのではないかと。

一方、「実体験の追求」では、追求するのは、まずは「真理」より「結果」ですね。その探究領域における、最高の結果

まずは結果全てだとも言えます。次に、結果を出せた方法を、その人自身の言葉で語るのが順番としては来るでしょう。結果を出せた本人にもそれが良く分からないということも時に出てくる。
それをさらに、結果を出せた別の人の言葉とも突き合わせていく作業までするなら、「知の追求」移行してきますね。その先に、「これが真理だ」というのも出てくるかも知れない。


ハイブリッド心理学のスタンス

上述のような定義において、僕としてはハイブリッド心理学を、完全に「実体験の追求」として取り組んでいます。

今は自分に見えた自分の経験材料に、自分の言葉で説明することで手一杯であり、他に言われていることとの突合せ作業は、今は手が回りませんし、多分一生回せないと思います。
それをしようとするなら、他の心理学や哲学や宗教で言うそれぞれの言葉が、どんな体験の文脈において、どんな意識体験として自覚されるものを言っているのかを、かなりじっくり見なければならない。その著者の個人的体験も含めてです。

ですから、そんなものとして、僕自身は「真理」という言葉使いません

実際ブログサイトを検索しても、「真理」という言葉が出るのはごく特例的に、出所ハイブリッド心理学ではないものについて触れた、ほんの僅かですね。


「真実」

それでもまあ、他の哲学なり宗教なりとかの話も多少は耳に(^^;)入ってくるので、多分こういうことなのだろうという見当はつきますね。
そこに見えるものに、「真実」という言葉を当てはめているわけです。
そして「真実」は一つだと。
それに向うための心得の話も出てくる。

それについて、もう一個新規トピック立てて書いておきましょう。


10/13hideさん質問へのコメント-1 / しまの
No.375 2011/10/17(Mon) 09:50:14

ということで、10/13hideさん投稿(No.373)へのコメントを。
まずはその前半


ブログの位置づけ

>ブログというのは、公開された個人の日記というコンセプトとしてこういうものなのでしょうが、島野さんのブログは過去のものも最近のものも等しく価値のある内容が書かれており、ブログのことはよくわからないのですが、ブログ形式は最善ではないように思われます。

その通り、ブログ自体は日記の公開というコンセプトでしょうね^^。
一方島野のブログ日記の公開ではなく、本の準備原稿の公開でやっています。

島野の執筆「本」正式版です。他は全て、本にするのがまだ困難なものを媒体としてネット公開しているという位置づけ。
ミュージシャンCD製作途上をそのまま公開しているようなものであり、製作物の公開のあり方として本来のものではないとも言えるでしょうが、島野の活動スタイルとして、短時間で感銘させてナンボの面談ウンセリング営業講演活動考えていないため、他に情報発信の手段がない事情があります。
その結果、こうでもしないと活動そのものあまりにも盛り下がってしまう(^^;)、また読者に島野の考えを伝えるのがあまりにも遅くなる、結果、ハイブリッド心理学そのものの修練進化がてんで進まないということになってしまうからです。

ということで、本の準備原稿であれなんであれ、ネットひたすら検索したあげくに偶然たどりつく以外に、「ランキング」などの紹介システムが普及していきている「ブログ」を、媒体として選んだという次第です。


克服途上で克服の考えは書かない

話がちょっと膨らみますが、日記の公開ではないという位置づけには、上述のようにとにかく活動媒体として利用しているという面と、現在進行形の島野個人の問題は書かない、人に伝えない、というスタンスがあります。
特に内面問題についてではです。

これには2つの面があります。

一つは、心の問題への考え方については、克服し終わった範囲を書いているというスタンスでやっています。
もちろん、内容の確かさのためにです^^。

メンタル系の情報発信では、克服途上にある方が、「こうすれば克服できると今は思う」という考えを書くのが多いと思います。
しかしちょっと意地悪な表現をしてしまえば、まだ克服できてない人が、それでは克服できない考えを発信するという形になってしまう可能性があるかも知れません^^;
まあこれがカウンセリング業界(^^;)全体に、構造的に言える話かも知れません。カウンセラー目指す人は、やはり大抵が心の悩み持ったがゆえにその道に興味を持つのだと思いますが、根本的な克服は、一度心の話題を業とする場を離れ、自ら社会でさまざまな経験を持って、成長を身を持って体験してこそというのが僕の考えです。しかしこれすると、もうカウンセラーという職業自体から遠ざかるという事情があると思います。
僕個人としては、もう宿命のようにその全部を通ったので書き続けるしかないと感じている次第です。


魂との対話のために

もう一つ、個人日記の公開ではないというのには、現在進行形の問題特に内面問題については、僕自身の魂との対話をするために、人に見せることはしない、そもそも人に見せる問題ではないという姿勢を、もうかなり以前から取るようになっています。
「今こうした問題を抱えており、こう思うんだけど・・」といった「公開」を始めた時、上述のようにそれで本当に正しいのかという不確実情報を発信していはいないかという懸念に加え、それをすると魂が引っ込んでしまうんですね。

ですから、ごく生活の知恵の情報をやりとりするようなものは話が別ですが、僕自身の選択を決するような問題については、人に見せることはなく、僕自身の内面においてのみ取り組みます。

その結果、が姿を現す中で、僕自身が目を見張るような結果が生まれる。今回収入度外視執筆継続を決めた経緯はその際たるものがあります。
一方それが完全に「もう終わった」問題となった時、それは僕自身が別人を見る思いで、人間の心の不思議自分で感銘を受けるような、人間情緒の輝きを持った文章が書かれているのを、自身の日記に読むことができます。

でこれは人に読んでもらわねば損(^^;)だ、と『過去日記ブログ』新設しようと考えるし、やがてにもしたいと思う。それで売れればばんばんざいなんだけど・・^^; という次第です。


サイト側の充実

なお、

>例えばこれらをホームページ形式で項目(テーマ)ごとにまとめて項目クリックで一連の内容が見られるようにしていただけると見やすくなると思います。一度ご検討していただけるとありがたいです。

これはその通りですね。ブログ側であと「自分への論理的思考」解説など一通り書けたら、サイト側手直し充実作業をシフトしたいと思っています。
項目からあちこちクリックして詳細に飛べるのは『実践ガイド』あたりで。あと『最初の一歩(メール相談)の事例集』を載せていきたいと思っています。


以上、ブログと今後の話関連でした。
次は取り組みスタンスなど。


 
いちおうつけたし / しまの
No.376 2011/10/17(Mon) 11:16:37

上記の「現在進行形の問題は書かない」が、
・克服法について不確実な情報を発信する危険
・魂が引っ込んでしまう


という問題は、情報を求める相談者という立場でネットで発信したり投稿したりする分には全く該当しませんのでご安心を^^。
人に情報を提供するという局面に転じた時に、その問題が登場してくるという話になります。


素人の哲学的考察雑感その他 / hide
No.373 2011/10/13(Thu) 21:13:11

半年以上ぶりに投稿させていただきます。
1.たまに訪問させていただいております。
たまに訪問する者の立場からブログを見ると、一気に見るには見にくい構成になっています。ブログというのは、公開された個人の日記というコンセプトとしてこういうものなのでしょうが、島野さんのブログは過去のものも最近のものも等しく価値のある内容が書かれており、ブログのことはよくわからないのですが、ブログ形式は最善ではないように思われます。
ブログを始められて2年弱になるかと存じますが、膨大な内容になっております。
例えばこれらをホームページ形式で項目(テーマ)ごとにまとめて項目クリックで一連の内容が見られるようにしていただけると見やすくなると思います。一度ご検討していただけるとありがたいです。

2.けろっぴさんが8月の投稿で、書籍の著者にウェブサイトから質問してそれに回答いただけることは稀有でありがたいサイトだとありましたが、私も同感です。
哲学、宗教、スピリチュアリズムの領域で、特に哲学の領域で貴サイトと同じようなサイトを探してみたのですが、これといったサイトは見つかりませんでした。

3. 最近、哲学にハマッています。初めて哲学というものに触れたのですが、目から鱗の感動もときどき感じられます。心理学は哲学からほんの1.2百年前に分かれた学問ということなので、共通点も多々あるのではないかと思いますし、心理学専攻の方は哲学も多少は触れられているのではないかと存じます。
以前に当該ハイブリッド心理学で言う「未知」は宗教で言う「真理(悟り)」とだいたい同じような意味だと回答いただきましたが、哲学が追究するものも「真理」で、これもまた同じようなものなのだと思いました。更に言えば真の芸術も真理を表現したものだという哲学者がいたのですが、これもなるほどと思いました。

4.ステーブ・ジョブズ氏の言葉が10月13日のブログに掲載されており、目に留まりました。
「死を意識しながら生きることは大切なことだ」という内容です。
なぜ目に留まったかというと、私もこの1年特にこの半年は、実生活上の問題から、死の心構えを予めしておいたほうがいいという状況に陥っていたからです。
以前に発行された「実践ガイド」の中で「臨死体験」という言葉が述べられています。この意味は実際の臨死体験以外に、心が死んだような状態になる場合も含まれているのだと思われます。
哲学で言うと、ヤスパースという哲学者が「限界状況」という言葉で表しているものが、島野さんの言う「臨死体験」とかなり近いように思っています。

5.最後ですが、島野さんのハイブリッド心理学では、心(顕在意識としての)から魂や命が開かれる方法・過程は理屈ではない、ということで結局ここがたいていの人間には乗り越えられないところですね。
悟りが開かれるときは一瞬だと仏教関係のある方は申しております。
ちなみに私が以前に受講した心の学校でも、「真我は一瞬にして開かれる」といううたい文句でした。(私には開かれませんでしたが)
有名な哲学者の半分以上は、仏教の悟りみたいなものを経験しておられるようです。
最も独善色の強い多くの宗教では、私が信仰する宗教だけが真理だと豪語しますが、真の宗教も、真の哲学も、真の芸術も、そして当ハイブリッド心理学も、同じ真理なのではないかと考えています。そして、乗り越えるべき難所も同じような心の状態を指しているように思います。
理屈では乗り越えられない壁を乗り越える方法は、心の持ち方、ものの見方、世界の感じ方を集中して純粋にすること、と理解しているところです。
今の私は、真理(未知)の追究を生きる目的に定めて努力することは、たとえ真理に到達できなくても、後悔しない生き方なのではないかと考えております。
何か、アドバイス、コメントがありましたら、よろしくお願いします。


 
Re: 素人の哲学的考察雑感その他 / しまの
No.374 2011/10/17(Mon) 09:16:18

ご質問どうもですー。

それぞれ興味深いテーマで、長くなりそうなので幾つかに分けて新規トピックで書いておきます^^。


悩みについて / ほんたか
No.371 2011/10/07(Fri) 23:10:25

こんばんは、はじめて投稿いたします。
今悩みを抱えています。
妻との関係についてです。
私(49歳),妻(38歳),長女(8歳)の家族構成です。
2年ほど前、妻が突然離婚をしたいと言い出しました。
理由を聞くと、細かいことの積み重ねだと言います。
娘が熱を出したときにに自分(妻)のせいにされた。
妻が熱を出したときに面倒を見なかったとか。
こちらは、そのようにした記憶がないのですが、延々と取り乱しながら言うのです。
私は、子供と、妻と3人で仲良く暮らしていきたいと思っているのですが、それから
妻に話しかけるのが怖くなり、なかなか、会話にならない状態が続いていました。
なにかにつけて、娘が小学校を卒業したら出て行くとほのめかすので、なかなか妻への思いやることもできにくく月日が流れていました。
できることは、こちらから挨拶するくらいで、これを続けていました。
今夜、離婚をしたい旨また、切り出されました。(取り乱した感じで)
私に対して、生理的に受け付けない。一緒にすんでいるのが嫌
何を言っても、変わらないので、無駄。
と言っています。
妻は、父親のトラウマを持っていて、私と、父親がかぶっていると言ったことがありますが、自らそれに向き合うことができないようすで、私に言いたいことがっといえずに、ため込んで、一気に爆発するかんじです。
また、友達づきあいもなく、一人で考えを煮詰めてしまうようです。
私も、憂鬱な気持ちに沈んでしまいますが、これからどのような行動をとったらよいか
アドバイスいただけますでしょうか?
よろしくお願いします。


 
Re: 悩みについて / しまの
No.372 2011/10/08(Sat) 18:26:30

まあまずは、
「改善して欲しいことがあれば言って欲しい。改善できない場合は離婚に応じる」
という感じで、相手の意向に沿う姿勢を見せながらの誠実な姿勢で対処するのがお勧めですね。

あとはほんたかさんがご自身の課題をどのように捉え、取り組む意志があるかいかんだと思います。より具体的なアドバイスができるかどうかも、それいかんです^^。
ハイブリッド心理学では、「まず変わるのは自分」というアプローチになりますので^^。


↓すみません、まだ下書きだったのです / 千香
No.369 2011/10/05(Wed) 01:15:21

ああ、今度はきっちり書こうと思ってたのに!!偶然なんですよ今!・・・・・失礼しました。ええと。気を取り直していただいて。こんな気持ちが出てきました。仕事中、眠気に襲われる午後二時。猛然と湧き起こる反抗心。猛り狂うちびっ子が地団駄をふんでいるような。自分はこれを見て、なんだ、どうした?脈絡がない。よしよし、どうしたの?とさっぱり解らなかった。夢まではみてなかったんですが、さすがに。その夜帰り道、電車の中でいつもその日あった事を書くのですが、それをしていてむかーし高校生くらいか、もちょっと後か、の時友達と話し合った事を思い出した。何故子供を生むのか、という事です。何故かね、子供のためではないみたい。今居る人達のためかな。その時はそのぐらいしか思いつけなかった。それでは自分は何故生むのか。生む理由は何か。自分には生む理由は無いと思った。自分が生む理由は無い。授かりたくない。欲しくない。いらない。そこまで思い出して急に気分が悪くなった。吐きそうだ、涙が出る。誰にも黙って、本気でそう思っていた自分に慄然とする。子供がいらないということは、自分もいらない。愛にも命にも背を向けて、一体どうするというのか。しかし、電車を降り、家に帰って一時間くらいで、気分の悪さはぱったりと治まりました。次の次の日くらいに、こんどは動物にまつわる記憶を思い出しました。公園で、私はうさぎの死を悲しんでおり、カラスが歩いてきて私の顔を覗き込むので首を振ってやった。カラスは視界から消えた。通りかかった人がこっちを指差し、「あ、あ、頭にカラスが!」と言う。その時被っていた帽子に小さな反動が伝わった。カラスはとっても軽かった。ここまで思い出して、ごめんなさい、という言葉がでる。声に出して言って泣く。ごめんなさい、ごめんなさい・・なぜ謝るんだろう。何に謝っているんだろう。うさぎではない。カラス君が軽かったからかもしれない、このことはまだよく解りません。みっつの記憶はつながっていると思うんですが、うーんまとめられなくなってしまいました。最近これらのような理解しづらい感情に会うのです。ていうかいつもそればっかりですか。現実と結びついているのかいないのか。(やはり投稿の失敗が響いている・・)


 
Re: ↓すみません、まだ下書きだったのです / しまの
No.370 2011/10/07(Fri) 14:24:00

カラス「産む命」の象徴かも知れないですね。「欲しくない。いらない」と考えたことへの自責として現れたという解釈などできるかと。
夢に出るものというのは、そうした緩いつながりで、たまたま記憶にあるものが使われたりするという感じかと思います。

ちなみに僕の経験からしても、夢分析の作業をしたところで歩みは前進しませんが、歩みが前進すると印象的な夢をしばしば見るという傾向は言えます。後からなぞると結構文芸的な面白さが出てきますので(『悲しみの彼方への旅』もそんなものとして幾つか夢を出している次第)、記録を取っておくのは興に乗せられる作業かと^^。


(No Subject) / 千香
No.367 2011/10/04(Tue) 21:59:43

島野さん、こんばんは。感情と行動の分離が最近面白いです。私は真摯さが無いため好奇心でやっているのだと思います。真摯さがあればここまで自分を放置しなかただろう


 
Re: / しまの
No.368 2011/10/04(Tue) 22:43:45

「好奇心」こそが「真摯さ」主な源泉の一つだと思いますね。経緯はさておき、その姿勢でいいと思いますヨ^^。

僕の経験としても、「こう考えるとどう感じるか、試してやれ」という好奇心の冒険のようなものを携えての「思考実験」を重ねたという感じです。
それが「思考が主、感情が従」「感情を導ける思考」につながる、「感情と行動の分離」実践形に大いになります。


気持ちを枠に当てはめることなく / C子
No.365 2011/10/03(Mon) 16:45:09

思い通りの気持ちにならないからといって「なぜそう考えられないのか、感じられないのか」と枠をはめることなく、「自分はとにかくいまそうとしか考えられない」と一旦受け入れることも大事ですよね?
引きこもりに、周囲がどんなに「今のあなたでも大丈夫問題ない」といって無理に外に出しても無意味なように。
そうとしか考えられない自分で良いわけです。それが現実ですし。
それが自己受容ってことなんでしょう。
「あなたはこう考えるべきだ」と無理強いするのは、相手を受け入れてないってことですね。


 
Re: 気持ちを枠に当てはめることなく / しまの
No.366 2011/10/03(Mon) 18:59:54

もちろんそうですね・・というか、誰にどう言われたかはさておいて、「とにかくこれが自分の考え」というのを持つようにするのが、「本心を持つ」ということであり、「終わりなき成長の道」歩むためのスタート要件だという話になります。

それが大切だというか、それをするなら歩み始まりしないなら始まらない、という話ですね^^。

「自分の考え」としてどう自分や他人を受け入れるかというのは、場面と内容ベースの具体的個別問になってくると思いますです。
何でも受け入れればいいってもんじゃない、という話にはなるかと。


p.s
「C子」さん(A、B、C・・)というのはあくまで『実践編』での仮名ということで、投稿とかの場合はもっと気の利いた自分でお気に入りのハンドルネームを使って頂くのがベターかもですね。
将来また事例集とかまとめる際、多分そこでの登場順にまたAさんBさんCさん・・とすると思います^^;

と言いますのも、島野からの事例紹介報告は、あくまで短い断片的期間(つまり「最初の一歩」」)だけしかできない予定のため。「終りなき道」事例紹介は、まず島野自身のものがこれからです。
ハイブリッド心理学を学んだ方「終りなき道」報告は、それぞれの方から、まずはまあ20年後くらいからかなと^^。

「島野から見た事例」という「枠はめ」にとらわれないためにも、自分でお気に入りのハンドルネームを使って頂くのがお勧めです^^。


つづき / C子
No.362 2011/09/28(Wed) 13:26:05

既知の愛がないってことは、
相手は自分を利用して操作しようとしているのかもしれないとか、実は嫌味を言われているのかとか、この態度の真意はなんだろうとか、心を許して本音を話すことができないことを意味します。
ぽろっと本音を漏らしたら、相手が周囲にいつのまにか言いふらすとか、そういった事があるかもしれない。
人との接し方がわからないです。


 
Re: つづき / しまの
No.363 2011/09/28(Wed) 15:26:08

すでに何度もアドバイスしているように、ハイブリッド心理学では「建設的対人行動法」がお勧めの「人への接し方」です。あとは「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」

まだあまり詳細は入れていませんが『実践ガイド』「行動法」で示すものに、いかに日常行動の全て徹底するかどうかを、本心から問うのが取り組みになります。
具体的場面を書いて頂ければ、具体的な行動法のアドバイス可能です^^。

参考まで、比較的最近のメール相談から関連するアドバイスを抜粋しておきましょう^^。
=========================================
対人行動法というのは、結局のところ2通りになります。あくまで本人の意識として「良い関係」を目指す上で。

a)共生的対人行動法・・互いの間柄や親しさを枠はめし、分かり合い認め合いを重視する行動法。「こうでいようね」と。
(この「共生的対人行動法」というのは今つけた呼び名^^)

b)建設的対人行動法・・共通目標共通利益のみに着目して行動する行動法。家族や恋人友人における場合は、共通目標共通利益とは「喜びと楽しみ」です。それが共有できる行動は自分を後押しし、それがなければ、「何もしない」です。それが欠けたことについて、相手を非難したりしない。共にするものが一定限度より少なくなるならば、それぞれが別個の人間であるという、それぞれの生活をするだけです。

前者は、心が未熟で幼い場合は、必要になるものでもあります。心が成長するにつれて、後者に移行していくのが健康な姿と知っておくのが良いでしょう。

それが、大人になっていく中での心の躓きがある程度に比例して、前者にしがみつく傾向が生まれると同時に、「こうでいようね」と「約束」した親しさや分かり合い認め合いが欠けることが怒りに転じるという傾向が現われてきます。心の躓きがある程度に比例して、破壊性を増幅させた姿です。
これがもう心のメカニズムです。

そうした心の罠に足を取られず、建設的対人行動法の知恵を学び実践していく。

それが自然と、芽がある愛は育て、内面の闇と躓きは自然と内部解消されていく、心の治癒成長への答えの道です。
=========================================


 
Re: つづき / C子
No.364 2011/09/28(Wed) 18:47:08

「共生的対人行動法」ですか。
「トイレに行くのも、帰るのも、お昼を食べるのも一緒」みたいな女性的な馴れ合いを感じさせます。

「思いやり行動法」の誤りとして、「人の気持ち」「相手の気持ち」を基準に行動を考えてはいけないとあります。
でもやはり人の気持ちを無視した理屈のみの行動法は、反感を買いやすいように思います。正論が必ずしも通らないのと一緒で。

社長の機嫌の悪い時と良い時では、要望の通り方が違うみたいなことが普通にあります。
また、社長自身が「誰かが夜遅くまで頑張って仕事してるなら、他の社員も手伝うべきだ」「自分の仕事が終わったからって定時で帰るな」といった発言をします。

これは、「思いやり道徳」を逆手にとって社員を都合よく働かせるための発言にすぎないとは思いますが、嫌なものです。
定時で帰る人はやる気がないと見られ、「相手を思いやって」仕事があろうがなかろうが、社長が帰るまで(0時過ぎしばしば)会社に残っている人が重宝されます。

話がそれましたが、思いやり道徳というのは、そうやって人を使う手段になりますね。


(No Subject) / C子
No.361 2011/09/28(Wed) 13:12:18

人間関係において、誰とでもまんべんなく渡り合うのでなく、誰か一人と深く密着する事を求めてしまう訳ですが、そうした「既知の愛」がない場所にいると自分か無価値に思えます。

楽しみや価値の生み出しでつながる関係では薄くて満足できないからです。
ですがそうした「既知の愛」というものが、すでに存在しないことが薄々わかりつつあります。周囲の人間も自分と同じにすぎず、自分の面倒をみるために存在してるわけじゃないからです。
そうした一体化の愛は大人になる時点で、すでに永遠に失っているものなのかもしれないと思います。

「自分を受け入れてくれる高貴な精神性の善人」「粗野で腹黒い部分をもった他人」の二種類で人をより分けていましたが、境が曖昧になってきました。

人が心の底で考えてることなんて分かりようもない、わかろうとする必要もない。
ただ表面的に楽しいものがあれば共有するだけ、お互い利用する価値があれば一緒にいるだけ、それが現実における人間関係なんだと最近は思います。

心の底の深い何かを共有するだとか、本当の一体感だとかいうのは、それこそ幻想だったのかもしれないと。それは他人ではない夫との関係においてさえ、そうだと感じます。

今までは何もしなくても、若さとかがあったかもしれないが、それがなくなって、自分にはなんの価値もないように思えます。

自分がまるで「名無し」の存在に思えます。会社は、仕事ができないならいらない、人間関係も、何もメリットがないなら必要ない人です。
メリットを提示できず、自分がただ自分だというだけでは、そこにいる価値も意味もないのかもしれない。


      管理メモ:No.360は削除テスト分?
↓削除しっぱい / 千香
No.357 2011/09/22(Thu) 02:33:01

記事を編集削除できる機能に気が付いたのでやってみたら失敗しました。こういう入力した字が黒い点で表示される時、認識されないことがあります。かなカナ半角全角CapsLockといろいろ試してもエラーになってしまうんですが・・


 
Re: ↓削除しっぱい / しまの
No.359 2011/09/22(Thu) 09:52:29

自宅のWindowsマシンでは正常に見えますね。とりあえず下のはそのままで良いかと^^。


言葉 / 千香
No.356 2011/09/22(Thu) 02:10:52

島野さん、こんばんは。台風すごかったですね。ええと、言葉について。常々不思議なのですが、人はいつ言葉の意味を知るんでしょうか?最初は言葉を聞いて、その言葉が表されている状態を検証して、それでこの言葉はこういう事だ、となるのでしょうか。またその逆のルートもあります。いろいろな言葉は知っていて、それをある状態にあてはめていく。これが難しい、私には。昔から難しかった。いきおい、無口になります。ただ文章には書けるのです。時間をかけられるからか、会話でないからか、(黙ってできることだからか)


 
Re: 言葉 / しまの
No.358 2011/09/22(Thu) 09:51:00

>最初は言葉を聞いて、その言葉が表されている状態を検証して、それでこの言葉はこういう事だ、となるのでしょうか。またその逆のルートもあります。いろいろな言葉は知っていて

その両方を、何度でも人生を通して繰り返していくことによってですね^^。

重要なのは、「知っている」と感じていることが大抵は実はそうではないということです。
「言葉を知っている」本当の「知っている」には入らないですね。本当に「知っている」とは、それを「体験」しているということです。

そうして本当に知ったことから人生を考えることができるようになると、「知らない」と言える自信ができてきます^^。


(No Subject) / C子
No.354 2011/09/15(Thu) 11:39:41

記事削除していただいてありがとうございました。
私の記事には一切答えることはしないという(または匙を投げたともいう)のが島野さんにとって私への「答え」なんでしょう。
相手を拒絶して見捨てるということも時には必要ですよね。
完全に価値観の合う人などいないように、しょせん他人とは利害関係の一致でしかないように。
現実において、私の思うような愛というのは到底実現しないし、他人というのは自分と同じ人間ではないことにおいて、痛みを共有することもできないのだと思います。
一体化への願望、それは願うだけ無駄なんだろうなと。
ただの他人相手に、そういう純粋な一体感、楽しみや愛を求める自分が、お門違いなのだと思います。求めればいつかは裏切られるからです。


 
Re: / しまの
No.355 2011/09/15(Thu) 12:00:54

「質問」「相談」であれば誠意アドバイス返していきます所存ですp(^^)q
こんな場面での行動法はどうすればいいか。
こうした感情にどう向き合えばいいか。

という風に、何を相談したいか、質問したいかポイントを明瞭にして頂くと、アドバイス返しやすいです。


それを考えるのが、ひたすら感情吐き出し(取り扱い対象外ご容赦^^;)ではなく「自らによる成長」に向うことの第一歩としての「自分で考える」ということになると思いますので、ぜひ検討してみて頂ければ^^。
よろしくお願い致します。


不思議な話4  / 千香
No.350 2011/09/05(Mon) 17:48:32

それは現実において成り立たない愛だと島野さんは言っています。生きている自分が、成り立ったと思っているとすれば、それは相手が幻だからです。いやそうじゃなくて成り立っていないから破綻したんだった。それともその時Kさんの魂を私の魂が看取ったんでしょうか。                         どうしたいかというと生だとしても死だとしても、現実のなかにKさんをおいておきたい。まだ捜したいと思います。今度会ったら四回目ですよ。                                          別に不思議な話じゃなかったかな?そうだ、Kさんとどうして別れたか。時間切れです。Kさんは遠くへ行かねばならなくなったのです。            そろそろ夕飯の時間ですねー。終わります。    


 
Re: 不思議な話4  / しまの
No.351 2011/09/05(Mon) 18:39:48

愛への願いをまずは思いっきり心の中で開放する。いいと思いますヨ^^。
そこで、心の中で受けとめられた願いは、「魂の愛への願い」です。それは魂の世界の愛として成り立っています。成り立っていることを疑う必要はありません。
一方で、現実の世界でどんな愛の形が成り立つかは、現実の世界の話です。これからの話ということかも知れませんね。

この2つの世界は、一方がどうだから他方がどうということは、何も言えません。
この2つの世界の愛に、それぞれをそれぞれに、向うのが「ハイブリッドの道」です^^。


 
Re: 不思議な話4  / 千香
No.352 2011/09/05(Mon) 21:10:24

レス有り難うございます。不思議なのは自分自身でしたね、はい。


不思議な話3 / 千香
No.348 2011/09/05(Mon) 14:46:07

私だけ入力フォームが狭いみたいなんですが。環境のせいですね、すみません。 そしてまだ失いたくないと思い、この後Kさんを捜しだすんですが。既に向かっていってたわけなんですが。まだハイブリッド心理学知らない頃なので、右往左往していたのです。今もしてますが。何故失いたくないと思ったのか。父が死んだ時と似ていたからです。26年間癌を患い死にましたが、最後は穏やかで良かった。焼いている時、よく晴れた冬の空の高いところに筋状の雲が出ており、あの辺にいると思いました。千の風が世に出る前のことです。それから父が降りてきたような気がし、父につつまれているような、父がどこにでもいるような幸福感を感じたものです。そういうものを、Kさんを思い出した時感じていました。父は楽になれたと思ってますが、・・・続きます・・・                           


 
Re: 不思議な話3 / しまの
No.349 2011/09/05(Mon) 14:53:11

入力フォームは画面上は10行程度ですが、続けてどんどん入力できますので^^。
10行越えると右側にスライドボタンが出てきます。


不思議な話2 / 千香
No.347 2011/09/05(Mon) 13:53:54

そしてまたこのKさんは、何かがきらきらして見えました。おそらく嘘をついていなかったのだろうと思います。私はこの時もう大嘘つきだし。今でこそ言えますが。この後Kさんの存在感だけを感じながら、全く思い出さない時を過ごしました。                                   それから時を経て今年五月頃、破綻が訪れた時のことです。勤務中に私は匂いをかぎました。なんていうか大人の匂いです。それはKさんの匂いでした。あ、と思う間も無く匂いの人の後ろからKさんが現れました。もちろん幻です。よう、と言ったかどうか、笑っています。私は嬉しくなり、笑顔になってしまった。ああ、愛してる。と思ってしまった。とても嬉しい。こんな近くにいたなんて。いつからいたんだろう?ずっといてくれたんだろうか。などと。続きます・・・


不思議な話 / 千香
No.346 2011/09/05(Mon) 12:59:21

こんにちわー。建設的な行動として今日は有給休暇を選択しました。とらないと捨てるばっかりですから、もったいない。今年はこれで二日めです。まあ一人になりたかっただけですが。                             じゃなくて今日はちょっと不思議なことについて。離反型傾向が優勢と思われる自分が、さらに崩れたと思われる出来事の相手の人、自分が今向かっている人、を仮にKさんとします。25年前のことです。(今え?と思いましたね)当時私は子供の終わりでKさんは年上の大人でありました。(冷や汗)Kさんとは三年間で三回しか会ったことがありませんが、私は初対面でもKさんのほうはそうでなかったようです。最初から結婚の話をし、どこの誰ともわからぬこのKさんから私は逃げ回ったものです。そして崩れたと思います。この時不思議だったのは、言葉をかわす時「自分のほうが間違っている」と思っていたことです。そんなことはない、この人の言う事は理解できない。突然現れて自分のことなど何も知らないくせに。(Kさんは私の事を調べて何か知っていたようですが)とにかくそう思い込もうとしてしまいました。あ〜あ。続きます・・・                  


      管理メモ:No.342-345は削除
ハイブリット心理学 1巻から5巻までを注文したいのですが / 竹内 良雄
No.340 2011/08/29(Mon) 16:04:17

ネットでは3巻までしか注文ができませんので、直接送ってもうことはできますか?
もちろん送金後で。
ご返事をお持ちしています。


 
Re: ハイブリット心理学 1巻から5巻までを注文したいのですが / しまの
No.341 2011/08/29(Mon) 16:19:25

出版本になっているのは以下3冊だけです。
・ハイブリッド人生心理学 第1巻、2巻
・悲しみの彼方への旅


・ハイブリッド人生心理学 第3〜5巻サイト上原稿閲覧可能。6巻はまだ未執筆

購入および閲覧『本』のページで全てご案内しています^^。


離反型・・ / 千香
No.338 2011/08/29(Mon) 01:51:52

ええとですね、島野さんの理論、自伝、カレン・ホーナイ全集第5巻第5章、等です。
でも、慰めてもらえて満足しました。島野さんありがとう・・・
今自分は魔法円の上に建ててあったスーパー堤防、の残骸を見ながら膝を抱えて座っているようです。震災とは違う、これは人災です。どうやって生きてきたのかもうわからなくなっています。
離反型が緊密な人間関係を強いられると崩れてしまうと第5章にあり、自分は以前そういうことが起きました。離人感というものが確かにあり、人にも指摘されました。今は無くなったと思います。
自分はどこへいくのか・・
新しい離反のやり方を考えても新しい人災が起きるでしょう。新たな絶望とともに退いてしまうことを怖れている。
自分がひとや自分にしてきた罪がある。行方がわからないある人を捜し出してどうしても言いたくなる。本当はその人が笑っている時自分も一緒に笑いたかったと。
その人に向かうことは退路である。
無理矢理考えて頭が追いつかなくなってしまいます。
言葉はイメージを強力にしてしまうようです。選びかたが大事です。
離反型に向かうのは○○○断というのでどうでしょう。


 
Re: 離反型・・ / しまの
No.339 2011/08/29(Mon) 15:43:36

性格型の視点・・

>島野さんの理論、自伝、カレン・ホーナイ全集第5巻第5章、等です。

なるほど^^。ちなみにサイト掲載の感情メカニズム理論ですとこんな説明ですね。
心理障害の感情メカニズム 1 一次心理過程 1.2 強迫的な3種類の態度 (5)離反型態度

読むと我ながら本質をついた文章が書けてる感じですね^^。まあ2003年の記述と、まだ僕自身心理障害感情余韻がある時期に書いたものでもあり。
はもう多くの悪感情そのものを普段思い出せなくなっており、障害感情の細かいひだというのはもう書けないかもとも感じています。その分過去日記が良い倉庫になるだろうと。

まそんなよもやま話はどーでもいいとして、そうした性格型的な視点もやはり有用かと再考しましたが、答えはどっちかと言うとNOなんですね。

まず経験則的に言って、そうした視点治癒克服あまりつながっていないです。
それはなぜかと考えるに、それはやはり内面動揺に動かされた結果の表面態度でしかないんですね。それを鋭く分析し、そこにある不合理な側面を感じ取れれば減少治癒に向うというアプローチは確かに間違いではないのですが、根底から変えるほどの力にはならないです。

治癒克服に向うためには、そうした結果表面を生み出す内面動揺の大元に立ち帰って、そこで思考法行動法および内面向き合い姿勢を根本的に変えることに取り組むのが正解です。

その具体的内容はというと、結局「感情と行動の分離」2面姿勢であり、これはもうどんな表面の問題に関わらず、克服への歩み方として同じものになるんですね。


問題課題は「愛」への向かい方

まそんなアプローチ論などはどーでもいいとして、問題課題はもちろん「離反のやり方」なんて話ではなく、「愛」への向かい方になると思います。

「愛」何を求め、何を怖れるのか。その結果「離反」が生まれるものとして。
これをじっくり解きほぐすのが内面向き合いですね。

一方これからどんな行動法によって、それに向うことを考えるか。これは外面行動法の問題です。

もちろんこの内面外面を整理したところで折り合いそう簡単につくものではなく、折り合いがつかない袋小路を前に、むしろ内面においては心の死に向かうことが通り道になることが多々あります。

ごく大雑把に言って、「愛」に求めるものがこのようなものとしてあるとします。
a)趣味などを楽しむ時間の共有(目的明示型)
b)こんな人だと思われたい(自己塗り替えの成功を求める)
c)笑顔を向け合う至福の時間


それが自分の衝動としてどうあるのかに向き合う
そして現実世界で成り立つ「愛」とは、まずa)であり、b)自分への嘘があることにおいて、c)はまさに「現実の愛」の不完全性において、心は破綻し死に向かうことにむしろがあることを知る・・ま本当にそれを「知る」のは通った後になりますが、そんなものとしてまず「愛への道」をイメージ把握できるとよろしいかと。

『入門編下巻』「9章 愛への道」が文字通り、それを説明したものになりますので^^。


離反型について / 千香
No.336 2011/08/27(Sat) 15:12:24

島野さんこんにちはー。いつも表現できないくらいお世話になってます。悪感情についてですが、毒に気が付きました。全身にまわっています。自分が毒そのものです。悪魔と言ってもいい。なんか笑えます。どうりで、不本意な感情、なんて言われても意味が判らなかったわけです。説明を求めてきた人には本をすすめておきました。どっちかというと、良感情(?)への耐性を持つほうが(??)困難なのかもしれません。幸福というものは、ひとりでは感じられるものだろうか。ところで私は自分を離反型だと思うのですが、離反に向かいやすい人ってどういう人なんでしょうか。情動が激しいとか。ナルシストとか。平和主義とか。性質だということであればそれまでなんでしょうが。


 
Re: 離反型について / しまの
No.337 2011/08/27(Sat) 16:18:51

どうもー^^。

>悪感情についてですが、毒に気が付きました。全身にまわっています。自分が毒そのものです。

早くもですか^^。まあと感じるのは健康な根の部分ですので、まずはそれが治癒への通り道と心得るのがよろしいかと思います。
まあ慰めですが(?^^;)、千香さん変化への素質があるという印象ですので。

ちょっと事前確認ですが、「離反型」という言葉はどこで覚えましたか。過去原稿のメカニズム理論とか?
の原稿ではこうした性格型の説明はちょっと省いちゃっている感ですが、多少は知識あるのがいいかもですね・・。


感情を心理メカニズムとして客観視 / しまの
No.334 2011/08/23(Tue) 18:45:25

先のけろっぴさん追加質問(No.333 )へのレスですが、レスが増えると読みにくくなるので新規トピックで書いておきます。
ぜひ追加質問などは新規トピック化にて^^。

>島野さんの心理学が自分に合うか合わないかそれは島野さんに質問をしてもしょうがないよなぁ〜

自分に問うのが第一歩ですね^^。

>内面の破壊感情は心理メカニズム現象であるため、受け流してゆく

これは主に『理論編上巻』で使っている表現ですね。結構重要なポイントですので抜粋しておきましょう。

3章 心が病むメカニズム−2 −「思春期」における発動−
==========================
 もう一つは、「人に向けられる目」における破滅の感覚です。これはまさに「切り離された恐怖の色彩」が再現されたものです。全く相互理解不能な、人間の皮をかむった得体の知れないけだものを見るような、不信の目を向けられてしまったという感覚。
 これは「現実を示すものではなく心理メカニズム現象」だとして、やり過ごす以外には良い手はありません。そうせずに「それを何とかしなければ」という衝動に突き動かされ、さらに相手に接近して「何とかする」行動が、まさに破滅的事態を招いてしまうことが多いのです。
 その典型的な例が、1章でも紹介した、「キモいと言われた言葉が消えない」と小学6年女子を殺害した塾講師のケースです。

・・(略)・・

 その「収束」とは、残忍で粗暴で利己的な他人が、自分を何か理解不能で駄目な人間だというような目を向けてきて、自分が破滅に向かわされている、という構図のイメージです。 そして幼少期から蓄積した恐怖のストレスをバネにした、追いつめられた獣のような直情的な怒りが発作のように噴出します。
 まずはこれが、「現実に対応した感情」などではなく、「心理メカニズム現象」なのだという、自分の感情を客観的に見る目が大切です。ここから、病んだ心の根本的な克服への道が始まります。
==========================


6章 「自尊心」の混乱と喪失−1  −自尊心の発達と阻害の過程−
==========================
 外面出来事については科学的思考に徹し、内面の破滅感情は心理メカニズム現象だという理性を心底から保った時、その感情は膿が流れた分だけ減るように、根底から消滅に向っていきます。

 もちろん実際場面においてそれは、「自分が否定されるというこの恐怖は科学的でない」などというその場しのぎの思考法ではなく、自己否定感情が刺激される場面においてもうまく行動できる思考法行動方を確立できたときに、そのように克服解消に向うということです。
==========================


>自分を客観ししている(イコール自己分裂)という考え方にはなりませんか

「自分を客観視=自己分裂」だなんて、どっかの勘違い心理学から仕入れてしまった情報ではと^^;

自分の感情客観視できることが、動揺する感情克服への足場になります。
先日のブログ8/19『「自己受容」は歩みの全てのテーマへ-3』でもずばり書いた通り。

「自己分裂」とはまあ、一人の相手に、従順な下僕の感情と、殺害衝動両方を感じるといったものです。同じチーム内メンバーがケンカする状態です。

「感情を客観視」することで、一体何が起きているのかを冷静に見て、解決克服が始まるわけです。メンバーがケンカしてばかりのチームに、しっかりしたリーダーを立てることです。

自分の感情客観視できることが、自分が自らの心のリーダーになる第一歩です。

すると「自己分裂」ケースでは、人との関係強圧的な主従関係の枠でとらえる姿勢が、2つの両極端な感情を生み出していたことが見えてくる。同じコインの両面でしかないわけです。
分裂した感情は、そうした心理メカニズム現象に過ぎない。課題は、人との関係強圧的な主従関係と感じる価値観を、根本的に見直すことです。

このように、自分の感情心理メカニズム現象として客観視することで、克服へと向うことができるわけです。

克服への実践さまざまな面は、まもなくブログ「ハイブリッドの道の歩き方」として整理しますので、それをぜひ学んでいって下さい^^。


 
Re: 感情を心理メカニズムとして客観視 / けろっぴ
No.335 2011/08/24(Wed) 12:55:16

アドバイスありがとうございます。

今まで様々な書籍を読んできましたが、
読みながらにして、
個人の質問を投げかけて回答をして頂けるなんて、
過去にないケース(ほとんどありえないかともいますが)なので、
俗に言うただの、「本」達の中の一つではなく、
自分の心の状況と一体とすることができて、本当にありがたいです。
改めて。。ありがとうございます ぺこり。

「客観視」と「自己分裂」のそれぞれの意味合いを理解することが
できました。
「自己分裂」については、確かに強烈な記憶があります。
「私だけに与えられている特別な声」の様な存在で、
その「指示」は絶対です。
それは小学校の低学年に体験をしました。
すごく苦しかったです。
今は恐らく「声」は聞こえないまでも、
それが「私」と一体化しているのかもしれません。

また、
引き続き書籍を読ませていただいておりますので、
質問が出てきたときには、
よろしくお願いいたします。

島野さんの活動応援しています。
島野さんの運用している株もうまくいくといいですね!


質問です / けろっぴ
No.329 2011/08/19(Fri) 12:56:08

島野さんの書籍の中に
「真の自尊心とは、自分が自らによって幸福に向い得る生き方を持つ存在であり、自分の人生の羅針盤としてその自らの生き方を尊重し尊敬できるという感覚であると。」
とあります。もちろんそんな環境に自分が向かえればいいのでしょうが、
物理的に無理な事情もあります。
例えば、自分のしたい仕事がある・・・でも(ローンや子育てもあるし)収入的にやってゆけない

そんな時は、
どうすればいいのでしょうか。


 
「自尊心」と「仕事」 / しまの
No.330 2011/08/20(Sat) 11:22:36

ご質問どうもですー^^。

理論編上巻6章の文章ですね。再度抜粋引用しますと、
つまり自尊心とは、自分の「幸福への能力」そして「人生への能力」という総合的なものについて感じるものです。
 真の自尊心とは、自分が自らによって幸福に向い得る生き方を持つ存在であり、自分の人生の羅針盤としてその自らの生き方を尊重し尊敬できるという感覚だと言うことができるでしょう。


>例えば、自分のしたい仕事がある・・・でも(ローンや子育てもあるし)収入的にやってゆけない

これは自尊心問題である前に具体的現実問題ですね^^;
とりあえずそれぞれについての考え方をざっと^^。


自尊心

まず基本的理解として、「自尊心」極めて総合的なものです。

これはその6章に書いた通りです。主な視点もそこで書いています。
ここで一言でいうならば、「自らによって幸福に向い得る生き方」とは結局、「自分から価値を生み出していく生き方」だと言えると思います。
「自分から愛せる」ということですね。自尊心は結局、「自分から愛せる能力」増大によるのではないかと感じます。ここでの「愛」はとても広い意味のものとして。相手だけでなく、仕事や、世界の事象全てへの「愛」

自分のしたい仕事をできることが、自尊心どうつながるかは何とも言えません。直接的なものではないと思います。世の中には、幸運にも自分のしたい仕事に就いても自信を持てない人が沢山いると思います。

ですから、自尊心については、まずは仕事だけの話ではなく、外面思考法行動法内面向き合いなどの全ての取り組みと考えるのがよろしいかと思います。


やりたい仕事への向い方

自分のやりたい仕事見つかってすぐそれができるなんてことは、めったにないことだと思います。まずはそれまでの流れ得た仕事において、自分の仕事の仕方のスキル収入最大化することを目指し、そこで培ったものを足場に、より自分のやりたいと思える仕事に向う。
これがまずは向かい方になると思います。
『入門編下巻』 P.116およびP.245など参照^^)

仕事の仕方のスキルかなり普遍的ですので、まず「普遍的な仕事のスキル」習得することを目標にするのがお勧めです。
具体的内容実践ガイド「3-A.行動法」「3A−3 仕事などのスキル向上」の項目にキーワードだけ出しています(詳細は今後収録予定^^)。今のところこれだけ(^^;)ということでそのまま引用しますと、
=========
仕事は「やる気」「協調性」などの精神論で考えるとスキル向上ができません。「役割」「工程」「価値」といった概念で捉え、「一歩一歩の向上思考」で向かうのが王道です。
=========


そうしたキーワードでの理解を、仕事術などさまざまな情報を得ながらチェックしていくとよろしいかと思います。

普遍的な仕事のスキルを得ることが、自分のやりたい仕事に向うための最大の近道だと言えると思います^^。


 
Re: 質問です / けろっぴ
No.331 2011/08/22(Mon) 12:54:06

アドバイスありがとうございます。

仕事は生きていく中でのいくつかのツールの一つと考えて、
それ以外の自分に「価値」のあるものを見出してゆく

ということでしょうか。

仕事が人生の全てではありませんものね、
とはいえ一日の大半を職場で過ごし、その中でストレスをため、
行きつく暇もなくまた新しい週が始まる
という「やもうえない」環境。

社内では、相手がどう出るかというのも気にしなければいけませんし、
必ずしも自分のベースで動けることはできません、
そこで、必要となるのは、多少なりとも「無理に」という精神状況が
求めれるとおもいます。

その環境の中、
心を「解き放つ」余裕はありません。
また、その心の思考がある意味自然では難しく
「無理に」という言葉が加わってもおかしくないかもしれません。

こんな社会の中(サラリーマン生活の中で)で、
見出すことは可能なのでしょうか。


 
Re: 質問です / しまの
No.332 2011/08/22(Mon) 16:44:47

まずはじっくり検討してみて頂ければ^^。
年単位の取り組みです^^。


 
Re: 質問です / けろっぴ
No.333 2011/08/22(Mon) 17:02:11

そうですね。
私も実は、「Submit」してから、
島野さんの心理学が自分に合うか合わないかそれは島野さんに質問をしても
しょうがないよなぁ〜 なんて思ってちょっと後悔していました。失礼いたしました。

でも、
実際に島野さんの書籍を手に取り少しづつ呑み込んでいるからこそ生まれた疑問なのです(分かってくれるでしょうか)

すみません、
次に質問です。

「湧き出てくるさまざまな感情は、内面の破壊感情は心理メカニズム現象であるため、受け流してゆく」(すみません、どこの文面かは定かではないですが、こんな様な感じだったかと・・・)という考えは、自分を客観ししている(イコール自己分裂)という考え方にはなりませんか。


「泣き寝入りしないための・・・」とか / 夕希
No.326 2011/08/13(Sat) 00:09:03

日々、いろいろと参考にさせていただいていますが
唯一、腑に落ちないところがあるので、一つの意見としてお聞きいただければ、
と思います

これは認知療法の書籍などを見てても感じることでしたので
たとえば、相手にする人がほぼ全て「話の通じる人」であれば、実践するには取っ付きやすいものだと思います
が、サイトのケーススタディのように「話の通じる人」か「話が通じなくても物別れになっても困らない状況」ばかりだとは限りませんよね
接客業などでよくある、モンスタークレーマーなどへの接し方とか、そういう上級的(?)なものになると、手も足も出ない場合の方が多い
譲歩するふりをして相手を慌てさせる(モンスターペアレントへの対処法でそういう話があった記憶があります)というのを例示してましたが、そんなことを接客業でやれば、大抵の顧客はそれを真に受けるし、上司からは独断での言葉で叱責を食らう

もし、そういう場面を切り抜けるための応用的な実践本…などというものが、しまのさんの著書で出てくれば、見てみたい気がします
「話の通じない、もしくは、都合の悪いことは聞こうとしないクレーマーに対するハイブリッド行動学」とかw

まあ、難しいかもしれませんが、今の世の中、いろんな人がいるので、そういうものがあれば参考になるかな、と、クレーマー率の高い接客の矢面に立ってる中で考えた次第ですw


 
Re: 「泣き寝入りしないための・・・」とか / 夕希
No.327 2011/08/13(Sat) 00:31:52

補足として
クレーマーを例に挙げましたが

自分が建設的な思考を目指していたとしても、顧客や上司が破壊型思考、ということは世の中結構よくあることだと思うんですね
かと言って、仕事をするには、そういう相手を避けて通るわけにはいかない

その場合、いかにその場を切り抜ける、最低でもやり過ごすか、という具体的な何かがあれば、それに興味を持つ人はたくさん出てくるんじゃないかな、という気はします
いかに自身が建設型の思考を目指しても、周囲が破壊型だった、ということは、今の世の中、不可避だと思うので・・・^^;


 
Re: 「泣き寝入りしないための・・・」とか / しまの
No.328 2011/08/13(Sat) 12:28:59

それは認知療法手に負える課題ではなく、ハーバード流交渉術とかの世界になると思います^^。
『実践ガイド』ですと「3A.行動法」の中の「3A-1-3 ウインウイン行動法」に該当する部分です。

「相手を肯定し、相手からこちらの望み通りに行動するよう導く」という行動法です。まさに上級編(^^;)になりますね。

重要なのは、
・姿勢論精神論ではなく、実際にこちらか話す内容の「見識の高さ」、場合により専門的知識の確実さと、言葉の駆使能力が重要になってきます。
「相手を肯定する」というのがポースではなく、幅広い人間愛に支えられることが大切です。これを培うのは心の治癒成長成熟全てを通してです。


相手攻撃的である場合は、表面的には相手に屈しているようになるのですが、実は相手を打ちのめす(^^;)という「名を捨てて実を取る」という戦略がまず考えられます。

たとえば学校生徒の親モンスターペアレント「〜代を支払え」とかの場合は、
「分かりました。今回は本当にご苦労をされたと思います。ぜひ対応を検討します」とかまず言う。ここでこっち側の非を認めるような言葉は絶対に出してはならないのが鉄則です。そして続けて、まあ例えば
「その件をこれこれの形でPTA総会にかけるのが良いかと思います」とか。実はこれが相手の恥さらし^^;

人間愛に基づき、相手を肯定しながら、容赦なく相手の非をつく。これが奥義かと^^。

ただ普通の日常では、まずは仕事などの「役割」「目的」といった視点をしっかり押さえ、「共通目標共通利益」に着目して行動すれば、そんなバトルチックな話には(^^;)ならないで済むと思いますヨ^^。

まあまずは「ハーバード流」などで手ごろな本を探して読んでみるのをお勧めします^^。


・・・・・ / 千香
No.324 2011/08/05(Fri) 21:18:41

自分の本当に思っていることを言っても、誰も困らない。何も裏切らない。言わないで困るのは、裏切るのは自分にだけだった。後は、自分の気持ちを知るだけだ・・・それがわかんなくて。


 
「自分の気持ちを知る」ための姿勢 / しまの
No.325 2011/08/07(Sun) 13:04:21

そうした状況(ま直感的な話として^^;)で「自分の気持ちを知る」ために重要になる姿勢とは、

「自分の気持ちを知る」とは、まずは宝の泉を見つけるものになるのではなく自分の中にある毒に出会うものになるのだという認識を持っておくことかと思います。それが治癒になるのだということとして。

それを支えるために大切な姿勢とは、

外面向けにおいては、「気持ちを分かり合う」から、「共有できるものについて共に行動する」という、健全な距離を置いた対人姿勢への転換意識すること。「気持ちを分かり合う」ことをとする姿勢が、「心に土足で踏み込む」「踏み込まれる」という、病んだ心の世界の罪悪怒りを引き起こすものであること、それを相手との現実問題として捉えずに、内面だけの幻想として流す姿勢が重要になります。

内面向けにおいては、まず「感情強制」姿勢脱し流れ移るものとして感情を感じ取れる姿勢を見出すこと、そして悪感情への耐性というものを心がけること。

『実践ガイド』など眺めて頂くと、それに関連した具体的な項目がいろいろと出てくると思います。結局は「感情と行動の分離」外面向け内面向け姿勢そのものになりますね^^。


心理障害の程度 / 千香
No.320 2011/07/23(Sat) 18:12:27

(またやってしまいました、すみません)しまのさん、私をどう思われますか。しまのさんにはどう見えるか教えていただけませんか。自分ではこのままでいられないと思っています。もうやばい、と思います。


 
Re: 心理障害の程度 / しまの
No.321 2011/07/24(Sun) 00:25:13

投稿どうもですー。
あと直接販売ご注文を頂いていますが、返信すると「ユーザー該当なし」でドコモからエラーが返ってくるようです。また明日以降確認しながら進めましょう^^。取り急ぎご連絡まで。


 
まず業務連絡(^^;) / しまの
No.322 2011/07/24(Sun) 15:10:20

千香さん、こんにちは。
携帯メールから直接販売申し込みを頂いている件も含め、以下の通りよろしくお願い致します^^。


メール相談について

今回「生計のための就職」を考え新規受付休止としましたが、実際ちょっと就活する中で心境も変化しており、全てにおいて執筆を優先することに腹を決めつつある今日頃です。
そのためメール相談再開あり得る状況ではありますが、「自分で論理的に考える」という実践についてブログで解説するのを踏まえ、自己取り組み重視するべくこのまま休止で様子をみたいと思っています。

その代わり、この読者広場よりご自由に相談を受ける形にすることを考えています(新しい取り組みと言えるかと^^)。皮切りアドバイスなど書きますので参考下さい。

ということで他の読者の方にも、今後ここでの相談投稿歓迎致しますので^^)/


直接販売お申し込みの件

携帯メールから複数冊の申し込みを頂いていますが、返信すると「ユーザー該当なし」エラーとなり、連絡が取れない状況です。PC側も含め、メール回復して頂いてから再度ご連絡頂ければと思います^^。

もしくはこのままメールを使わずにご購入希望の場合は、以下
アマゾンの島野出品
「2冊」をご注文頂ければ「サービスでサインあり2冊」を発送という形であれば対応可能です。
1冊もしくは3冊以上の場合、通常注文との公平性・アマゾンでの送料がかさみ割高になるので、その形だけ特別対応可能としたいと思います^^)


以上業務連絡でした。アドバイスを次に
入れますので^^。


 
アドバイス^^ / しまの
No.323 2011/07/25(Mon) 11:48:29

ではアドバイスの方を^^。

これについて。

>私をどう思われますか。しまのさんにはどう見えるか教えていただけませんか。


克服への意志

ハイブリッド心理学では、心の障害治癒するかどうかを、障害の程度問題ではなく、本人克服への意志と、生きる姿勢克服への方向性を向くかどうかの問題だと思っています。
ですから、かなり深刻な心の障害状態でも、克服意志があり克服方向性を向けば、根本的治癒に向かい得ます。逆に、軽い心の障害状態でも、克服意志がなく方向性も向いていなければ、見事にそのままです^^;

ですから、ご自身の心の障害状態治癒し得るかについて、確認するのがいいのは、まずは島野の見解ではなく、自分自身の克服意志だという話になるでしょう^^。

まあ単純に言って、自ら克服したいと思えるのであれば、まずは克服向かい得ると思います。
自ら克服したいというより人に治してもらいたい。さらに自分は治らないから人や社会に特別扱いしてもらいたいという感じになるにつれて、治らない^^; まあ当然だすね。


克服への方向性

問題克服への方向性、それを向く姿勢とはどんなものかですが、一言でいえば、
心の動揺という症状は結果にすぎない。全ての大元にある自分の生き方に取り組む。
という姿勢だと言えるでしょう。

そこにおいて、
症状(たとえばパニックや視線恐怖)はただ流し、そこにある生き方課題に具体的に取り組んでいく。
というのが方向性になります。


まず絶望から脱出する

具体的な取り組みについては、ブログ出だし部分、『記事一覧・「最初の一歩」まで』のものを頭からざっと眺めると、最初のとっかかりの雰囲気がつかめると思います。
そんな感じで、「症状はただ流し、そこにある生き方課題に具体的に取り組んでいく」ことを行っていく。

千香さんもそう見受けられますが、本人の心境としてかなりの深刻危機状態にある場合は、

・まず何よりも「自己の受容」をする。今の自分の全てを受け入れる。ここから、「唯一無二の成長」に向うのだと。
そこにおいて
自らを苦しみと絶望の淵から救い上げることが大切になるでしょう。

・次に、今さしせまった現実問題があるのであれば、それを落ち着かせる。


この2ステップで、まずは落ち着いた生活のリズム回復させ、以降、生涯にわたる心の治癒成長成熟への本格的な歩みをスタートさせる。


「自己の受容」については、未刊行ですが『実践編上巻』の以下など読んで頂くと良いかと思います。
3章 自己の受容・未知への選択  −憎しみと絶望からの脱出−

執筆活動展開し始めた頃はこのように島野が個別「憎しみと絶望からの脱出」への手助けの手をかすことをしたのですが、かなり執筆展開をした今は、さらに「自らによる脱出」のための方法論に力を注ぐべく、もうこうした個別相談は減らす方針です。

皆同じです。抜け出す意志を持った時、すでに抜け出し始めているのです。

そこからの具体的問題把握克服取り組みが重要になってきますね。
具体的な問題が見えてきたら、またここで相談投稿頂ければ具体的アドバイス返しますので^^。


(No Subject) / 千香
No.319 2011/07/23(Sat) 18:00:48

(すみません、切れてしまいました。続きます)しながら父にしがみついている。もうひとつは母への怒りと憎しみを抑えきれず買ってもらったお菓子を手で握りつぶしている。またガラスのコップを流しに叩きつけて割っている。父に怒られたのは、悪ガキに万引きの共犯に仕立てられたからです。私だけ訳がわからずつかまってしまいました。母とは何があったのか思いだせません。高校生の頃、友達と思い出について話している時に自分はなんなんだろう?と思いました。人には50cmくらい上から自分を見ているみたいだね、とか独りでも楽しめていい、とか言われます。自分の表現は間接的で、ひとごとのように自分を語ります。人をきる癖があります。心に入ってきそうに思うとあわてて切ってしまいます。そっとしておいてくれる人、あるいは逆に鷲つかみにする人(約一人)としか付き合えません。少人数です。時々人を前にすると頭の中が真っ白になりなんにも言葉が出てこない時があります。体を捨てているとよくおもいます。それは自分では気持ち、感情を捨てている感覚です。自分の気持ちを知ろうと思うとき、体を拾ってこようなどと普通に思います。好きな人のことを、体を拾ってきてくれた人、などと思います。理性が強いと思います。自分に鞭打つ時があります。社会生活は出来ていると思います。有給休暇は毎年ほとんど残ります。体は健康だと思います。というか激痛がないと病院にはいきません。自分にやらせるとか自分で出来なきゃ終わりだと考えています。つい最近、ずっと前に結婚を断った人のことを突然思い出し、今の自分に、(それがそうなのか解らないですが)絶望した気がします


心理障害の程度 / 千香
No.318 2011/07/23(Sat) 17:05:35

しまのさん、はじめまして。しまのさんの本を参考にして、自分の事を考えている者です。メール相談が出来ないのがとても残念です。しまのさんの事はネットで検索しているうちに知りました。まず論文みたいなのを見つけ、読むとこれは、まさしく自分の事ではないか!と驚きました。読みながら、おいおい泣きました。それで本をアマゾンで買いました。読みながら、また泣きました。いろいろ考えているとすぐ泣けてしまいます。今も泣けます。一人になるとすぐ泣けてきます。会社のトイレとか。トイレが長くなってしまいました。泣くと少し頭痛がしますが、少し嬉しいような気がします。私の幼少期の記憶は断片的で主にふたつなのですが、ひとつは父に激しく怒られている場面、夜に家の外に出されそうになって号泣


魂の開放? / ゆうすけ
No.313 2011/06/26(Sun) 22:45:27

前回の書き込みの者です!^^

昨日からなんですが世界が変わるような瞬間を感じました。
「神になるのをやめる」を経て、「怖れの克服」などについて考えている時でした。
ぼーっとしていたんですが、ふと気が付くと自分の中からほとばしる物を感じました。
それは、今まで自分が忘れていた幼い頃の感覚を思い出して心がその頃に戻ったという感じでした。
外見は大人で、内面が子どもというように自分の心が子どものようにウキウキしてきたんです。
ものすごく懐かしい感覚で、本当に本当に感動しました!
昔はこんな風に、屈託のない心で世界を感じて生きていたんだなーとしみじみ。
その時の文章で、「空の青さ、葉の色、綺麗で驚いた。胸の中が軽い、すーっと浮いていってしまいそうな。空がめちゃめちゃ綺麗でおどろた。何か楽しい事が起こる予感」と書いてました。
いつも、当たり前に見ている空が、こんなに青かった!?wというほど、とにかく「青い!青い!w青ぉ〜!」って感動しました。

その夜、感じたのは、自分の中に何かが存在するという感覚です。
これは、「生きる、生きたい」というエネルギーが、自分のコントロールできない場所で、まさに「磁石によって吸い寄せられる」という感覚で、生きるという事に逆らう事ができない、まるで自分自身が磁石のようなエネルギーを持っているんだ!と神秘的な気持ちになりました。
そして、信じられないくらい心が穏やかで、自分も宇宙の一部なんだとしみじみ本気で感じてました。宇宙の流れと同じように自分の心にもエネルギーの流れが存在すると感じて、自分の中の宇宙か?みたいに思って寝ました。w

島野さんのブログの方でコメントを頂いた、
「・というのはそうした状態はかなり短期間でまた変わるからです。いつまでもそうすがずがしい状態にはとどまらない。」
とおっしゃるように、1日経った今は消えてはいないものの、取り組むべき課題「なりきりのストレス?」が現れて、その心のストレートな気持ちに覆いかぶさってきているという感覚です。

これからも取り組みを続けていきます!^^


 
Re: 魂の開放? / しまの
No.314 2011/06/27(Mon) 11:37:18

引き続きのフィードバックどうもです〜^^)/

これもとても参考になると思います。
「開放」起き方ですね。さらに、それによる心の治癒成長成熟様子

まず、そこで起きた心の力強さと軽快化は、それまでの思い悩みがうまく整理され収まったというという話ではなく一段階バージョンアップしたかと思えるような、新状態出現であること。

それは書いて頂いた言葉で表現されているように、「自分の中に生きる力があり、それが現実世界に直接つながっていく」という感覚であること。
もちろん、僕自身何度も体験したものと、同一のものです。


パラレル・スパイラル前進

ちょっと解説を入れておきますと、次のような流れになります。そうだったと思います。

1)【心】思い悩み・・・「どう見られる・どう見せる」という自意識の惑い思案
   ↓
2)【魂】深い悲しみ出口のない思い・・・「どう見られる・どう見せる」という悪あがきがはがれた、根源的感情
   ↓
3)意識の断絶・・・思考が停止し、何も考えない状態
   ↓
4)【命】まっさらな命の力の感覚の出現


ここで4)段階になると1)段階思い惑い消えており、解決したかのようにも感じてしまいますが、「心」「魂」「命」があくまで別世界として平行して続いているという把握がよろしいかと思います。

それがこのサイクルごとに、内容的にも一段階前進していく。
つまり1)段階悩みについては答えが出ないまま、悩みそのものが消えており、その代わりに、一段階心が成長したなりの、新ステージでの悩み移行している、まあワープしているとでも言えるような感じで、またそれなりの悩み問題が出てくるということになります。

そこからの取り組みは、それまでと同じです。やがてまたどこかで、局面が来るという繰り返し。
この流れを「パラレル・スパイラル前進」などと呼んでいるんですけどね(本の原稿ではまだ書いてなかった模様^^;)。


まず「開放のための思考」への取り組み

取り組み実践をする方に留意頂きたい重要なポイントは、こうした「開放」の流れは、まず「開放のための思考」ができたになるということです。
まずは「開放のための思考」が、実践課題になります。

まず「開放する」ことをした後に、次に「開放される」ものが出てくる、ということです。
「開放する」「心」役割です。それにより、「魂」「命」開放されて現われる。
実践上は、「開放する」「開放される」別段階になります。

まず心の泉重い蓋開けるということです。すると、開放された源泉から命の水が湧き出てくる。
思考に取り組むのは蓋を開けることであり、水を引き出そうとすることではないことに注意する必要があります。すぐ後者をしようとするのは「開放」ではなく「当てはめ」「閉ざし」という逆のものになってしまいます。

この「開放のための思考」については、今ブログで解説中ですので参考あれ^^。


ゆうすけさんのケースは、「開放のための思考」最初から基本的なものはできているケースになると思います。あとは、

>「神になるのをやめる」を経て、「怖れの克服」などについて考えている時でした。

こうしたテーマを、現実の具体的問題に照らし合わせて考え、「価値観選択」深さ確実さ増すことで、「開放」起き方もより大きなものになる。そんな点などに留意して向き合っていって頂ければと思います^^。


 
Re: 魂の開放? / ゆうすけ
No.315 2011/06/27(Mon) 18:45:59

6/3のブログ「開放力」としての「思考力」-2 で
「魂」「命」の開放が起きない、変形した望みを追い続けているケース
> これは現代人の姿のマジョリティそのものと言えるでしょう。それを脱するのは、命が問われるような事態が起きてからということになりがちです。「依存」がその温床になるという構図。
を読んで、まさに自分の事だと思いました。
自分は4年ほど前の当時、自殺を何度も考えている中、心の支えにする人を見つけました。
その人がいる間は、自殺も考えず、精神的に安定しているかのように思っていました。しかし、いざその人がいなくなると、不安にかられてパニックに陥いり、自殺を考えてしまうという繰り返しで。自殺未遂も何度かしました。
しかし、本当に別れざるを得なくなった時に、自分は「命」を問われたと思います。生きるか死ぬか、運命の分かれ道に立ったと。人生で一番一番辛かった時かと思います。ありとあらゆる恐怖や不安や逃げ場のないパニックなど。1人でいると危険だと思い、どうしようもなくなって実家に逃げるように帰ったと思います。w
自分の心の状態があまりにも酷くて、心の病気?と真剣に思うようになってからが、心の治癒へのスタートラインに立った時だったんだと今になって振り返れます。



ところで、自分は心と魂と命の解釈を間違えていたみたいです^^;心の開放は取り組みから、1ヶ月くらいだったかも?この心の部分は、「家に一人でいると色々、悪い事ばかり考えてしまうから」と良く聞く耳にする言葉の、部分を開放した時だったかなと。この部分はものすごく攻撃的で残酷な感情なども沸いてきていた時だったと思い出しました。それを自分に許せた時開放したと思います。
魂の開放は、その攻撃的な感情や不安などが、取り組みによって消えたときに起きて、身の回りを清潔で居たいとか、悲しみ、切なさ、愛おしさのような感情を感じるようになった時だったんだと思いました。
> 、「心」と「魂」と「命」があくまで別世界として平行して続いているという把握がよろしいかと思います。
島野さんが良く「目に見えるものは変わらないまま、足元がしっかりしてくる」という言葉でおっしゃる本当の意味が良く分かったという気がします。
今までの自分に、命の力強さが加わったという感覚です。

> ゆうすけさんのケースは、「開放のための思考」が最初から基本的なものはできているケースになると思います。

自分でいうのもおかしいですが、ブログの(「開放力」としての「思考力」)で解説されているように「真摯さ、誠実さ、向上心」の3つは大体持っていたと思います。
それから、自分の場合は数学を考えるような論理的思考。数学の公式も当てはめるだけではなくて、その公式がなぜ正しいのか?と考えるような論理的な思考を持っていたと思います。w

自分は、島野さんのブログやサイトに出会えた事が本当に幸運だったと思います。
それまで、色々な考え方やサイトを見てきましたが、島野さんの存在に本当に本当に感謝しています。ありがとうございます!^^*今すごい幸せな気分です。


はじめまして / ゆうすけ
No.310 2011/06/15(Wed) 03:34:37

ハイブリット心理学、ブログなど丁度読み始めてから1年間が経ちます。

自分は、島野さんがいう、魂の感情の開放をする?一歩手前?の他人依存信仰&自分の受身の価値観との向き合いをして、とても長い、深い、悲しみを乗り越えたかなーと感じているところです。

私は、高校中退、大学中退を経て、ヒキコモリがちな生活を送り、視線恐怖や女性恐怖などで外に出る事が辛くて、全く生きる気力も無くしていました。

外に出ると、自分の仕草が気になって動作が不自然だと感じたり、時々ビクッと緊張してしまう事が多々あり、それをコントロールしようとしてものすごい汗がでてきたり・・・

自殺未遂とまでは行かないまでも、なんども首を吊ろうとしては途中でやめ、なぜかそれで安心感を得ようとしていたと思います。いつでも死ねるんだ!と。

何もかも、上手くいかないことは他人のせいにしていました。
学校をやめたのは、みんなが真面目すぎて、自分に合わないから。
バイトをやめたのは、店長が嫌な人間だから。
大学をやめたのは、大学の勉強が無意味だから。
失敗や挫折をすべて他人や他のもののせいにしてきていた。

自分の内面に向き合うきっかけになったのは、「思考は現実化する」という本を読んでからかなと、今になって思います。

自分の内面との向き合いが始めの鍵だったと思います。

それがきっかけで、失敗続き、挫折続きの人生?自分の内面に何か問題があるのかな?っと思いました。

けれど、答えも見つからないまま、2年間も過ごし、心療内科にも1年間通いました。
心療内科の薬を1年間飲み続けました。1年経っても、自分の求めているものは、手に入らないし、理想と違う。と思って薬をやめました。
その後、バイトをしてみても、やはり上手くいかない・・・

他に何か、自分を治す方法はないかと精神分析方法など、インターネットで探す日々が続きました。

ある時に、心理感情メカニズムを知ろうと思って、検索した事がきっかけで島野さんのハイブリット心理学の存在を知りました。


2010年の春だったと思います。
私の場合は、外に出るのが怖かったので、ひたすら引きこもりながらの実践という形でした。
感情と行動の分離というのは始めは難しく、当たり前のように感情のまま行動してしまい、後で、なんであんなに怒ってしまったんだろう?と、自分に疑問を投げかけていました。
私は主に、ノートに自分の感情をありのままに書いていくという方法を続けていきました。今では、自分の悪感情を冷静に見る事がある程度できるようになりましたが、当時は頭に血がのぼって?、感情のままに行動していたと思います。

ノートに自分の感情を書く事で、客観的に自分を見る訓練というか、自分を知れるようになりました。
今では、自分の悪感情が出てくるのが少し嬉しい?とも思えるほどに。
それは、その感情を乗り越えた自分が、どう変化しているか楽しみ。というような感覚だと思います。

悪感情がでたら、ノートにそのまま、汚くても残酷でも書いて、自分に説明をしてあげることで、感情を乗り越えられたと思います。

自分の中の大きな変化は、今年の2月になってからでした。
身の回りをすごくきれいに片付けたり、掃除をしたくなった事で分かりました。今までは、周りはゴミだらけ、ほこりだらけ、それでも全く気にもならずに生活していました。むしろ安心してました。
島野さんのいう、心の開放?という所かなと思います。
もう自分の中の悪感情が沸いてこない!って感じた時だったと思います。
自分の中の湧き出る苦しい感情が出尽くした。っという感覚でした。
そこでも、まだ、なにか上手くいかないし、物足りないと感じました。

その時点で自分は治ったと思っていました。
しかし、外に出る機会があったとき、女性の横を通ると今までと何も変わらず、
緊張して、ビクビク震えてる自分がいて、とても幻滅したのを覚えています。

それからは、愛に関係した感情がテーマになる事が多かったと思います。
それまであまり感じまいとしていた、悲しみもよく感じるようになりました。

島野さんのブログのまとめの一覧を一つ一つ、見ていきました。ほとんどすべてが、自分の中のテーマと順番も一緒だったと思います。どこに進めばいいか分からなくなったときも、まとめの順番を参考にしました。

本当に最近ですが、外に出る機会があり、外に出たのですがもう他人の視線を極端に気にしている自分がいなくなっている事に本当に感動しました。
他人の視線を気にするのは、他人からの愛を求めていたんだと気が付いた事がきっかけだったと思います。

女性恐怖が酷くて、女性と接すると極度の緊張をしていました。嫌われるんじゃないかなど、極端に恐れていました。

これは、他人依存信仰の中でも、私は特に女性依存信仰?とでもいうような、女性を神々しい存在のように感じていた部分がありましたし、加えて心の底で、女性をものすごく嫌っていました。この二つが重なってかどうかわかりませんが、女性恐怖になったんだと自覚しました。幼い頃、何かあると母や姉に助けを求めていたのを思い出したりもしました^^;女性嫌いも姉がわがままで、女は皆わがままで嫌いだとか、愛を取っていく存在で嫌いだと思っていました。

今では、女性も自分も同じ人間なんだ、と、当たり前のことですが、しみじみ感じています。

今はまだ、どこへ進めば良いのか、定まらず、親の元で生活させてもらっていますが、確実に大きな成長ができたと思っています。

このハイブリット心理学を、知ってもらおうと、昔の自分と同じような人に紹介したいんですが、皆、変わりたいと思ってないと思えるような反応で、あまり上手く紹介できないなーと感じる事が多かったです。
変わりたいと思ってない人を、変えようとする事はできないんだなと痛感しました。島野さんがおっしゃるように、始めは皆、論理的思考ができないんだと思います。感情が当たり前のものだと感じているところが難しいところだと思いました。

私は、現実で上手くいかない出来事や人間関係の原因が、他人ではなく、自分の感情にあると気づく、感じる事がきっかけでしたので、読者の方などにも、感情を見つめ直すきっかけがあれば良いなと感じています。

これからも、日々ブログなど参考にさせてもらいたいと思っています。
島野さんのハイブリット心理学がとても深くて、世の中の人々に知れ渡る事を望んでます。


 
Re: はじめまして / しまの
No.311 2011/06/15(Wed) 14:56:14

詳しいフィードバック書き込み、ありがとうございます^o^)/

実際の心の変化歩みハイブリッド心理学取り組みを携えてのそれの実例として、他の方にもとても参考になると思います^^。
僕の方から特にピックアップしたいポイントは以下になりますね。

>私は主に、ノートに自分の感情をありのままに書いていくという方法を続けていきました。

自己理解、自己分析実践方法としては、まずはそれが最適だと思います^^。

>本当に最近ですが、外に出る機会があり、外に出たのですがもう他人の視線を極端に気にしている自分がいなくなっている事に本当に感動しました。他人の視線を気にするのは、他人からの愛を求めていたんだと気が付いた事がきっかけだったと思います。

こうした結果としての「治った」というのがとかく人の話題の前面に出て、どうすればそうなれるかという短絡的、短視眼的な興味を引きがちですが、それをもたらした「他人からの愛を求めていたんだ・・」という自覚は、もちろん治すためにそう自覚しようとして自覚したものなどではなく、そうした自らの心の事実がただ強く心に響き流れるという、それだけの時間を持ったあと、それとの関係は分からないまま視線過剰意識消えていた、というものだったと思います。

これは僕の『悲しみの彼方への旅』P.168あたりにもそんな場面がありますね。
===============
 こうした前進への気分の中で、私は自分の心の治癒が本格的段階に至ったのを自覚しました。
 以前の私には明らかに、人の視線への病的過敏さがありました。しかし今は、街の女子高生や若い女の子の視野に自分が入っていくことに、全く不安や躊躇のような感覚を感じません。女の子に見られたと感じた時相手を見返そうとする、今思い返すと陰険な衝動もない。
 今はもうはっきりと、街の人々がただそれだけのものとして見える。男も女も。若者も年寄りも。
===============


これは上記の「ノートにありのままに」といった取り組みの中で、「魂の開放」断片的ながらも起き始めているんですね。
「開放」が起きるつど、未知の状態へと変化します。それが一つの見方からは、「治る」というような変化側面もある。

いずれにせよ、「治った」と感じられたことで終わりではなく、むしろ逆に、これが本当の「始まり」なのだと言えると思います。
生涯をかけて未知へと変化していく。
そのための重要な通過ポイントとして、『実践ガイド』にまとめたような「価値観」の変革V-2.3B)がありますので、その辺を今後特に良くチェックしてみて頂ければと思います。

>変わりたいと思ってない人を、変えようとする事はできないんだなと痛感しました。

これはその通りですね。
自分はこう変化できた、その助けになったものとしてこれがあった、程度の紹介を適宜して頂けると有難いです^^。
人が変わるかどうかは、もうその人自身に任せればいということで^^。


 
  / ゆうすけ
No.312 2011/06/15(Wed) 16:52:24

> 「他人からの愛を求めていたんだ・・」という自覚は、もちろん治すためにそう自覚しようとして自覚したものなどではなく、そうした自らの心の事実がただ強く心に響き流れるという、それだけの時間を持ったあと、それとの関係は分からないまま視線過剰意識が消えていた、というものだったと思います。

おっしゃる通りで、意識して変化したわけではなく、一年間の実践を経て、至るべくして、その心の現実を見る事ができる状態(段階)になったという感覚です。
まだ心を病んでいた時の自分は、魔法のように病が一瞬で消える方法を探していました。それを求めてなんだかんだで、1年間経ったという状況ですが、振り返ると、少しずつ成長していたんだなーと感じられます。


> いずれにせよ、「治った」と感じられたことで終わりではなく、むしろ逆に、これが本当の「始まり」なのだと言えると思います。

確かに、治ったというのは視線恐怖という一面的な事であり、現実的な幸せとはほど遠いなーと感じています。最初は、視線恐怖、対人恐怖などの治癒をすればなんでも上手くいくと思っていました。当時の目的からすれば、それは果たせたし治ったといえば治ったと言えます。
しかし、もっと別の新しい自分への成長の道があると感じている今は、「治る」ではなく、「一つ一つの成長」であるなーと感じられます。


> そのための重要な通過ポイントとして、『実践ガイド』にまとめたような「価値観」の変革(V-2.3B)がありますので、その辺を今後特に良くチェックしてみて頂ければと思います。

ありがとうございます^^自分の中に、理想を掲げて現実を否定している自分といものを自覚した所で、今後、自分がどんな変化をするか楽しみです(笑)


これからの執筆の姿勢と内容について^^ / しまの
No.308 2011/04/04(Mon) 17:35:09

これからの執筆姿勢内容について、この場にて予定などお伝えしようかと^^。

これからの執筆姿勢については、昨日のブログで書いていますので一読頂ければと思います^^。
4/3『島野が至った「命の無の世界」-5』


内容

内容的には、

「感情を鵜呑みにしない思考」についてキモの部分を詳しく説明することを中心に、今まで説明できていなかったと感じることについて一通り

・それが書けたら、理屈の解説より事例の紹介大きく舵取りシフトしたいと思っています。
大きく次の2つのジャンルにて。


島野日記の詳細版

僕自身の日記をまた振り返り、特に大学院から社会人時代までの、まだハイブリッドの道が僕自身に見えていなかった心の闇の中で、どんな思考と姿勢が、見えないまま僕をそこに導いたのかを、見直してみたいです。

またそこに、そうした思考と姿勢が心を変化に導くための、心の基盤の根底となるものは何か、というのが見えてくるのではと思っています。


メール相談事例紹介

また、メール相談の中で変化した方の事例からの具体的紹介を、これからじっくり始めようと思っています。

下のhideさんの指摘にコメントするならば、それが、一般的な人がどんな思考でおり、それがハイブリッド心理学でどう変化していくのかの、つまびらかな説明と紹介になると思っています。

またメール相談は、1人の方への1回の返信に、数日をまたがって3、4時間程度以上はかけて、アドバイスをじっくり練って書く作業となっておりますので、今後生きるために新たな仕事を始めることを考えるとしばらくは物理的に不可能だと思っています。
(かつて社会人のまま始めた時は、ようは仕事の方をかなり手抜きにして成したワザです^^;
新しく始める仕事については、まず仕事にじっくり集中専念する必要があると思っています。)


今までの具体的事例の紹介に筆をさくためにも、いったん新たな相談は休止したいと思っている次第です。ご理解頂ければ幸いです。


ということで、本当にこまかい具体的な部分を書いていくのは、まさにこれからだと思っています^^。
これからの一生をかけて書いていく所存ですので、息切れしないようのんびりとになるかと思いますが、ご興味あれば今後ともよろしくご閲読頂ければと思います。
えへ♪^^ゞ

なお上記がまとまった本の原稿の形になるかどうかはちょっと未定ですが、『実践編下巻』は早めに原稿掲載にもっていきたいと思っています^^。


p.s トーンダウンの真相^^;
hideさんご指摘の、「かつての熱い意欲が感じられない」について、ここで^^。

実はそれは事実です^^;
これは、最近ブログでも書いていますが、
世の人は論理的に思考しないという実態が去年後半あたりで鮮明に見え、今までの執筆内容で世の人に役に立つという期待が、大きく覆されてしまった状況があります。
そのミゾを埋めるための執筆がまさにこれからという位置づけです。ただし生活資金さえ底をついた今、今までの猪突猛進意欲モードではただの討ち死にです。しばらくは、とにかく「生きていくこと」を最大目標とし、ハイブリッド心理学が実際広く役立ててもらえる状況になるかどうか、様子見しながら焦らず書いていきたいと思っておりますm(_ _)m。


 
Re: これからの執筆の姿勢と内容について^^ / hide
No.309 2011/04/14(Thu) 21:57:02

島野さんの意識変化・執筆姿勢の変化について、私なり納得的に理解いたしました。
これからも期待いたします。


最近の反響に思う(辛口) / hide
No.305 2011/03/28(Mon) 22:36:16

島野さん。最近のハイブリッド心理学の反響はどうなのでしょうか?
サイトを眺めている感じでは、残念ながらだんだん尻すぼみになってしまっているように見受けられます。
もしそれが事実であるならば、島野さんは当該心理学を広めることが自分の使命と考えておられるなら、ご自分の現在の方針や考えは改めるべきだと思います。
私は当サイトのファンであり、激励のつもりで書いておりますので、失礼はなにとぞお許しください。
話を続けます。
反響がどんどん少なくなり続けているのにもかかわらず、昨年の12月には島野さんご本人は更なる次の未知に進むことができたそうですね。
私が思うに、自分の心がますます成長していくことと、世の中にハイブリッド心理学を広めて他人を救っていくこととはまったく違うということです。
一流のスポーツ選手が必ずしも一流の指導者になれるわけではないということと同じ話です。
世の中や他人に広めるということは、一般的な俗人がどのような考えを持って生きているのかをもっともっと知らなければなりません。様々な他人を理解し、その人の位置・次元まで自分から降りていくことをせず、上からものを見て上からものを言うだけでは、どんなに立派で価値の高い話をしようが、相手には話が通じず、その行為は何の意味もなくなってしまいます。
残念ながらこれまでの島野さんにはそのような態度が見えません。如何でしょうか。
最後に、俗人たる私が、覚者とも呼べるような方に対してする忠言は愚かの極みであろうかも知れないと思いながら書いておりますので、そのときは冷静にスルーしていただきたく存じます。
最後の最後にハイブリッド心理学が今後、より幅広さをもって世の人々の心を救う道具として周知されることを心から望みます。


 
Re: 最近の反響に思う(辛口) / しまの
No.306 2011/03/29(Tue) 13:15:24

カキコどうもですー^^。

まあ活動資金が尽きてしまった面もありますので、その辺はご勘案頂ければ^^ゞ
具体的に何をどうすればいいかご提案頂ければ、ぜひ前向きに検討致しますので^^。

p.s
この点は誤読されないよう。
>世の中にハイブリッド心理学を広めて他人を救っていくこととは
救うのは自分自身だという主旨で、ハイブリッド心理学を書いていますので^^。


 
Re: 最近の反響に思う(辛口) / hide
No.307 2011/04/04(Mon) 16:15:55

(1)ハイブリッド心理学の本丸と位置されてきた「メール相談」をなぜ今回辞めてしまうのでしょうか? 今回就職を目指すということですが、以前会社勤めをされていたときから続けてきたものだけに理由がまったくわかりません。島野さんの言動には意外なことが多く、たくさんの疑問があるのですが、これだけは聞いておきたいです。

(2)掲示板過去ログのどこかで「草の根を食っても生きてやる」みたいな意欲に満ちた言葉が書かれているのを読んだ記憶があります。しかし最近ではかつての熱いエネルギー・意欲が感じられないのです。「資金が尽きたから」あるいは「より深い未知へと進化したため感情がより見えにくくなった」などの理由があるにしてもです。

(3)他人には決してわからない事情や思いもありますでしょうし、他人が踏み込んではいけない領域まで触れそうでもあり、意欲が感じられないこともあり、また冷静にスルーされたこともあり、提案はまたの機会にしたいと存じます。


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