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2012


落ち込んでいます。 / ホワイトホイップ
No.523 2012/11/25(Sun) 15:09:16

こんにちは。

最近、買い物に曜日を決めて行っていましたが、やはりお徳用のチョコや菓子パンが我慢できずに買ってしまいました。
また、仕事から帰ってからはとにかく一品でいいから夕飯を作り旦那と一緒に食べる。
と決めてもご飯を食べてからプリンを食べてそこから気づいたら過食になっていたり・・・。夕飯を作れずに過食になっていることも最近は良くあります。

色々と決めても結局は過食して頭を真っ白にしていたいのか?過食を克服したいのにどうして決めたことが出来ないのか?と嫌になってきます。
8、9月は調子がよく過食も「そういえば今週は一回も過食してないかも?」なんて思っていたのに10月に入ってから連日過食が続き、一体どうしてなのか?どうしたらいいのかわからなくなっています。

もう少し細かく仕事から帰ってきてからの行動計画を立てたほうが良いのでしょうか?
最近は吐くことなくもう寝てしまっているので体重は増加してもうどうしたらいいのか。

20代のころは過食嘔吐して痩身エステに通いながら164センチ、48キロ位を何とか維持してきました。
今、39才ですが、過食しても嘔吐しないときも多く、また嘔吐しても「もういいや」と全て吐ききれていないので先日の健康診断では56キロ去年より3キロ増、さらに一昨日の骨密度検診では前日の過食もあり57.5キロになっていました。

もう鏡の自分を見るのも嫌になっています。このような状態ですが、どんなことから取り組めば良いのでしょうか?

行動計画を立ててもすぐに失敗して過食してしまいます。でも地道にこれを繰り返すことなのでしょうか?

希望はチラチラと見える現実の苦悩(自分の思い通りにいかないイライラ、悲しみ、怒り)があっても過食嘔吐を盾にして現実逃避しないで自分の日常の毎日を今を生きたい。

過去に執着して(両親への怒り等)今を生きることが出来ませんでした。今の自分を見ることも怖く、いつも過去や未来に意識が飛んでどうしようもない怒りや不安に押しつぶされそうになり、そんな私を救ってくれていたのは過食嘔吐だとも思います。


 
Re: 落ち込んでいます。 / ホワイトホイップ
No.524 2012/11/28(Wed) 20:04:03

こんにちは。



相変わらず調子は悪いですが、しまのさんのアドバイスを再度読み返してみました。



>自分自身に対する論理的思考



心の成長が始まるまでの流れを、少し詳しく説明しました。

対比として、「変われない人」の姿勢を確認しておきましょう。こうした心理学なり他の取り組みなり、長く取り組もうとしていても、変われない人の原因は何か。

それは、こうして説明してきた流れの最初に来る「学び」というものを、それが自分の心をすぐ「心が落ち着き気持ちがおさまり前向きに」してくれるものと期待して学ぼうとする姿勢が、典型的なもののように思われます。そのように自分を変えてくれる、人の言葉を期待してです。・・・等



読んでいるつもりでもその場面になると頭の中からはすっかり消えてしまっているんだなぁ。と思いました。



火、木、土の買い物以外に我慢できなくてスーパーによってしまい、会社の帰りに菓子パン、菓子等を食べて「あ〜もう駄目もう過食だ」と思っても、0と100の考えはしなくていい。

 たとえ帰りの車で菓子パン1個、菓子を食べてもその後の夕飯は具だくさんの味噌汁と野菜中心にすれば大丈夫。「あーまたダメだ、もう駄目だ」と思う必要はない。

と言う風にその決まりを守れなかったとしても大丈夫なようなことも考えておこうと思いました。

でもあまり良くないでしょうか?



太っても痩せても私は私であって他人になる事はできないんだな。と思っています。

(当たり前ですが・・・)



最近、過食している最中に「もっと何か食べないと」とキッチンに行っても「なんだかもう食べなくていいし、食べたいものもない」と思う時が結構あります。

そういう思いがあると気付いた時点で過食はやめて日常の当たり前の生活(風呂に入ったり、歯磨きしたり)を出来るようになりたい。と思うのですが、どうしても「これだけたべたのだから嘔吐しないとダメ!嘔吐しやすくするにはもっとたべないと!」と言う思いからさらに食べて、嘔吐しようと思っていてもお腹がいっぱいで身体が重く、子どもを寝かしつけてから嘔吐しようと思っていても結局起きられずに朝を迎えて「あーまたやってしまった・・・もう嫌だ」となっているのが最近です。



食べる事は毎日の事なので食べない事は出来ないし、0と100の様な極端な考えをしてきた私は30とか50とか70があることが嫌でした。ちょっとでも自分の納得いかない物を食べたり、少し食べ過ぎると許せなくて、「もう過食だ!」と自己破滅的で自分の中の枠からはみ出るのが許せなく思っていました。

太っている事は「みじめで愛されない人」と言う思いがあります。



失敗しても失敗しても自分であれこれ考えて体を動かして行動して、体で知っていくしかないのですよね。

嫌だけどこの地道なことしかないのか・・・と思い知らされています。

調子は悪いですが、自分の足で歩き始めたんだと思います。

躓きは多いと思いますが、ぜひまた相談させてください<m(__)m>


 
Re: 落ち込んでいます。 / しまの
No.525 2012/11/28(Wed) 20:29:31

ここ数日ちょっと手が空かずお待ち頂いていますが、また後日アドバイス入れますので^^。


 
「現実ベースの一歩一歩の向上」へ^^ / しまの
No.527 2012/12/02(Sun) 12:26:50

これはアプローチの仕方内容については前回から特に新しい話はなく、アプローチの姿勢の話になってくると思います。

まずは、そもそも問題はそう簡単なものではない、という話になるかと。その覚悟が大切^^。

>過食を克服したいのにどうして決めたことが出来ないのか?

という「決めたこと」が、どれだけ容易なことかそれとも難しいことかを、自分自身の現実としてどれだけの覚悟を持って自覚して進めるか、になるかと思います。
ですからそれはむしろ、「やはりできない」と感じた時からがスタートになるわけですね。これは一体どういうことか、と。そこから、試行錯誤工夫始まり。それが成長というものです^^。

その点、

>「あ〜もう駄目もう過食だ」と思っても、0と100の考えはしなくていい。
>「なんだかもう食べなくていいし、食べたいものもない」と思う時が結構あります。

といったことに気づいたのは前進かと^^。そうした、実に細かい「感覚の差」などに向き合い、時には顕微鏡で拡大してみるような意識集中もしていくことで、自分の行動がどう変えられるかに取り組んでいく。
これはまあ例えとして思い浮んだイメージを言うと、ロッククライミングみたいな感じですね。そう絵に描いた達人のように一気にいけるものではない。自分の手と足であれば次にどこに引っ掛けることができるかから模索するわけです。人それぞれ手足の長さ違うので、人の方法自分でも同じように使えるとは限らない。自分の手足ならどこか、と模索することからです。

これが特に食事など、身体的欲求も絡む問題になると、そもそも心の問題としてだけではどうしようもない面もあるでしょうし、年齢による状況変化もある。そうしたことを適宜検討要因として追加していくのですから、これはもう一生モノの取り組み課題だと考えるのが正解だと思いますね。

ということで、「空想した通りになれる」「頭の中で考えた通りにできる」ことを求めるのではなく、「現実をベースにした一歩一歩の向上」という姿勢の違いの理解とその転換という話になりますね。ハイブリッド心理学根本テーマ一つになります^^。
参考記事として、以下など^^。
2010-01-28『「一歩一歩の向上思考」-1』
2010-01-28『「一歩一歩の向上思考」-2』
2010-01-29『「一歩一歩の向上思考」-3』


 
Re: 落ち込んでいます。 / ホワイトホイップ
No.528 2012/12/08(Sat) 13:42:34

こんにちは。

『「一歩一歩の向上思考」』1〜3まで読ませて頂きました。
特に「肉はこま切れにして食え」の所は、なるほど〜そうなのか!と納得しました。

そして一歩一歩の一歩は自分の歩幅の一歩であって、歩幅さえも他人と比較してきたような気がします。

>具体的な問題場面状況において、心の健康と成長に向かうための行動の仕方はこうこうであるというはっきりとした答えがあります。について今の私はどうだろう?と考えてみると

具体的な問題場面状況=仕事の帰宅途中、帰宅後

心の健康と成長に向かうための行動の答え=日常の生活(夕飯の支度、夕食を食べる、風呂に入る、歯磨きをする等)


問題場面では、今の心のいら立ち、不満の原因はたぶんこれだろうなとわかる時と何が原因なのか分からないけど、心はモヤモヤしてすっきりしない感じです。
そしてその持って行き用の無いいら立ち、モヤモヤすっきりしなくてどうしたらいいのかわからず、それを抱えたままでいる事が出来ず、「この何か嫌な気分は見たくない」と過食に入ってしまいます。最近は「ここなんだよ、ここでこのモヤモヤの感情をありのままに流し、行動は建設的にする・・・」と思っていますが・・・

心の健康と成長に向かうための行動はこうだ。と答えがわかっているけどそれができずに「なんでわかっているのにできないの!!」と一度に全部できないとダメだと思っていたんですね。

過食しても、まだしばらくは仕方ない、自分にできる小さな一歩を考えてみます。

今週も相変わらず過食が続いています、結局お徳用チョコ、菓子パンも我慢できずに買ってしまい食べている事が多いです。
夜の過食は夕食を含めて2000〜2500カロリー取ってしまっています。最近は吐かないで寝ているので、来週は少し方法を変えて「食べたいなら食べたいものを食べていい、だけど大体いつも食べている過食の食べ物(ポテチ一袋、菓子パン1個等)を一つ減らす事をしてみます。そしてせめて2000カロリーに収まるように少しでも工夫をして食べようと思います。


 
「人生全体への取り組み」ヘ / しまの
No.531 2012/12/13(Thu) 15:14:46

まあ、過食克服のための、「摂食行動」のあり方への取り組みについては、かなりの試行錯誤を長く続けるものという姿勢で当たるのが正解になると思います。

あとは、

>問題場面では、今の心のいら立ち、不満の原因はたぶんこれだろうなとわかる時と何が原因なのか分からないけど、心はモヤモヤしてすっきりしない感じです。

については、

>心の健康と成長に向かうための行動の答え=日常の生活(夕飯の支度、夕食を食べる、風呂に入る、歯磨きをする等)

といった「今の生活の中」での行動法のあり方について検討するというより、そもそも自分の人生はこれでいいか(ちょっと言葉が大げさですが^^;)という大きな視点から、いったん視点を大きく構え直して取り組み始めるのがいいかと思います。過食への直接対処とはまたの、精神的原因への長期のアプローチですね。
「心のいら立ち、不満の原因」ということであれば、一体どうなっていればそれがきれいさっぱり解消する状況になると、実は自分は絵に描いたような姿前提に考えていたのかも知れない。しかし現実の人間というのは、そんなきれいに竹を割ったように理想と堕落に分かれるのではなく、その地道に歩む成長があるわけです。

過食をなくせば・・という当座の目標取り組み平行させる感じで、そうした人生全体への取り組みという視点を持つことも始められるとよろしいかと思います^^。
そこに糸口材料が見えてくれば、恐らくそこにこそ「心の健康と成長に向かうための行動法」の学びが出てくると思いますので^^。


 
Re: 落ち込んでいます。 / ホワイトホイップ
No.535 2013/01/02(Wed) 01:17:26

(島野メモ)新規トピック化のため No.537 2013/01/04 に移動しました^^。


 
Re: 落ち込んでいます。 / しまの
No.536 2013/01/02(Wed) 12:11:51

あけましておめでとうございます^^。

レスが増えてきて年越しでもありますので、上記No.535内容新規トピック化してアドバイス入れたいと思いますので、ちょっとお待ち頂ければ。
新規トピック化作業も僕の方でやっておきます。とりあえず『どうしたら前向きに取り組めますか』とかのタイトルで良いかと^^。


お久しぶりです / ゆうすけ
No.529 2012/12/09(Sun) 18:35:11

私は恐れが強くて強くてどうしようもないと思っていましたが。
恐れを変えようとするんじゃなく、恐れを受け入れようと決意した時、私の中の怖れは、「相手を怖れさせたい。」という形に変わりました。もちろんこれを行動化するつもりもありませんが、これは自分が怖いから、相手に自分を怖れてほしいというものだと思います。
もしこれを行動化しない場合は私が怖いだけです。
その恐れを持ちつつ別の形での何かを築いていくという形になるのでしょうか。
なんとなくですが、今まで自分の作ってこなかった、人との本当の関係の築き方を学んでいく事なのかなと思っています。
なにか助言や新しい視野などがあればアドバイスいただきたいです。


 
(No Subject) / ゆうすけ
No.530 2012/12/09(Sun) 23:48:08

やっぱり変わらないという絶望感を経て、また違う視点の方向の見方に変わりました。
自分は問題の本質から逃げてるだけだなぁと。もう一度、自分が本当に望んでた事を見つめ直してみます。恋愛感情の中での挫折感、自己否定感情など、私が本当に望んだ事は恋愛的な感情のこっちだったなと気がつきました。
自分が本当に望んでた事からいつの間にかずいぶん逸れて考えてしまっていたのかと思います。
なんだかさっき書いた質問も、今見てみるとなんか、ちんぷんかんぷんな事を書いてしまっているように感じます^^;


 
「現実場面における行動法の学び」を優先させる^^ / しまの
No.532 2012/12/14(Fri) 10:59:29

これはまず、その「怖れのやり取り」場面についての、具体的な行動法の学びどうなるかをちょっと検討しておくのが良いかと思います^^。

ポイントは、書いて頂いた文脈ではとにかく互いの内面感情がどうかばかりに意識が向いているかも知れませんが(まあ文章表現だけの問題かも知れませんが)、心の健康と成長に向かうための行動法としては、互いの「今」の内面感情はもちろん行動への基本的材料として考慮尊重するのですが、「これから」の未来に向かう行動としては感情をあまり問わず、「現実において生み出す」という、多少とも物質的な創造生産の面が重要になってくるということです。それによって、感情「怖れ」どうこうのなどというのは実につまらないもののように、「喜び」「楽しみ」という領域での問題になってくる。そこに、「愛」生まれ育つ、ということです。

>もう一度、自分が本当に望んでた事を見つめ直してみます。

についても、そのような「現実場面における行動法の学び」を優先させてから、自分に向き合うという順序がいいかも知れません。
今回『取り組み実践とは』解説「学びとのギャップを生きる」という何度も出していますが、「望み」その中で成熟、そして純粋化していくからです。それがないと、「望み」向き合う姿勢どんなに純粋でも「望み」自分の未熟さを偽装しようとするような、偽りのものへと向かいがちです。
さらに「本当の望み」「真の望み」は、行動の前にあらかじめ向き合って見出すものではなく、行動することによって、後から見えてくるものです。しばしば、行動がうまく行かないことによってこそ、「真の望み」が向こうから見えてくるようなものとしてです。もちろんそこで、自分の「本当の望み」着実には見えないまま行動しても道を外れないためのものが、具体的行動法の学びに他なりません。

この辺の話解説の次の更新で取り上げる予定です(「真の望みへの道」とかのタイトルかなと^^)。

>恋愛感情の中での挫折感、自己否定感情など、私が本当に望んだ事は恋愛的な感情のこっちだったなと気がつきました。

恋愛感情の開放は、心の成長の中でも王道的なテーマだというのが僕の考えです。世の人が気難しいのは大抵幼少期段階で恋愛感情を封じ込めたのが原因ではないかと(←かなりの独断的見解^^;)
一方、ただ開放できればいいというものでもない。「存在の身分としての恋愛」とかの「望む資格思考」による「愛の汚染」に、闘わねばならない。この辺の話は『入門編下巻』「9章 愛への道」に詳しいですね^^(P.266あたり)
それと闘うとは、それを否定し消し去ろうとするのではなく、それと玉石混交に交じり合う感情の中の、一片の純粋な要素を見出し、それに向かうということです。そこに、「自意識」凌駕する、「魂」「命」が現れる。しばしば、「心の死」通り道にしてです。

ちょっと話が次第にちんぷんかんぷんになってきたかもですが(^^;)、結局それら全てを支えるのが「現実場面における行動法の学び」になるわけですね。その下支えがあってこそ、自分の内面への向き合いが、自ず上述のようなものへと変貌していくということです^^。


でその「現実場面における行動法の学び」具体的内容は、まさに具体的場面内容に応じたものになりますので、何かあれば具体的な場面それぞれについて大よその状況など書いて質問頂くとよろしいかと思います^^。


 
Re: / ゆうすけ
No.533 2012/12/19(Wed) 13:30:49

> ポイントは、書いて頂いた文脈ではとにかく互いの内面感情がどうかばかりに意識が向いているかも

という島野さんの書かれている言葉の意味がわかりました。私は自分の「優しさ」「気遣い」「振る舞い」などにばかり集中して、実際に必要な、「現実において生み出す」という視点が欠けていました。仕事の場面において特にそう思います。

極端な話、「優しさだけじゃ生きられないんだ」とハッと気がつきました。「優しい心」だけでは、何も生まれないんだ、自分はなんて馬鹿だったんだとガックリきました。

自分と相手の心ばかりで考えているから、「現実場面における行動法の学び」という視点に切り替わらないんだなぁと思います。

でもここにきて、自分が冷酷な人間であるかのような罪悪感が生まれます。人の気持ちを考えない「冷たい人」になってしまうみたいで。

これも前回、と同じ罪悪感の質問をした時と同じように、自分の「心が自立」してないという事なんですね。幼い頃から「思いやりを考える」という思考で生きてきてましたから、その通りだなと。幼い頃からまるで成長してないだろうと思います。


 
「心の成長過程への理解」を持っておく^^ / しまの
No.534 2012/12/22(Sat) 12:04:45

>「優しい心」だけでは、何も生まれないんだ、自分はなんて馬鹿だったんだとガックリきました。

これはとてもいい気づきだと思いますので、ガックリするにはおよばないと思いますヨ^^。

>自分と相手の心ばかりで考えているから、「現実場面における行動法の学び」という視点に切り替わらないんだなぁと思います。

これについては、まずは「切り替える」というよりも、自分の内面感情理解と外面行動法の学びを両方とも並行的に進めるというアプローチお勧めになります。何か一つの姿勢に切り替えるという発想は得てして「枠はめ」になりがち。
そうして外面行動法具体的に見えたならば、現実場面「切り替える」ということも出てくるかと思いますが、かなり瞬間的な話になります。線として取り組むのは2本の平行線です^^。

そんな話として、「現実において生み出す」外面行動法については、かなり具体的材料をあげて検討する。あれば質問どーぞ^^。

内面感情については、「こう感じるように」というのは「枠はめ」の誤り姿勢であり、心の成長変化についての理解を懐に入れながら視野を広げ、外面は建設的に内面はありのままに向き合うという2面で歩んでいくしかないと思います。

「心の依存」から「心の自立」への転換については、歩みのどっかで自分の心が死ぬようなことが起きる、と頭に入れておくのがいいと思います。難解な話ですが、僕の経験も踏まえ、ゆうすけさん立ち位置想定するに、そうした通り道経てしか、心が根本的に変化しない面があるんですね。

>でもここにきて、自分が冷酷な人間であるかのような罪悪感が生まれます。人の気持ちを考えない「冷たい人」になってしまうみたいで。

について「視野を広げる」とは、それについてどんな感じ方が他にあり得るかという、「全く別の感じ方」についての「知識」まず持つことだと言えます。
恐らくそこで自分が「冷酷な人間」「冷たい人」になってしまうと感じる逆にある、「暖かい人」「愛」とは、どうも「病人への愛情」のような過剰なものかも知れない。健康な人からは、言ってしまえばちょっとありがた迷惑のような^^;
「健康としての薄情」というものもある。この辺次の解説アップの中で、ちょっと僕自身の心理変遷を振り返って触れる部分がありますので参考になるかと。

そのように、外面行動法や心の成長変化についての理解視野を広げたとして、「こう感じるようになれれば」というものには、そうはならないわけです。広くしていく視野の中で、その時自分にできる最善の行動をするしかない。そこで、行動によって心が新たな局面に変化していくというのが起きるわけです。場合により、自分の心が死ぬような何かの自覚が起きることとして。

そのように、「具体的場面での行動法の学び」と、「自分が向かうであろう心の成長過程の理解」念頭に、あとは外面行動建設的に、内面感情ありのままに、という2面場面場面に向かうしかない。
これをしばらく続けて、「行動によって心が新たな局面に変化する」(はっきりとした外面行動でなくても、新たな行動法に心が近づくだけでも時にそうした変化がある)というのを実際に体験した時が、成長というものが何となく分かってきて、自分から積極的に向かうようになる、スタートラインに立つ時だという流れになります^^。


自分と向き合いたいです。 / ロバート
No.522 2012/11/25(Sun) 11:07:38

こんにちは。寒くなって来ました。(寒い地域に住んでます)
昔から、自分を知りたい。
と言う思いを。持ってました。
「向き合う」というのも。近い気もします。

知る事に関しては。
表面は少し、知る事は出来たと思うのですが。
深く理解までは。「うーん?」と言う感じです。

「愛」と「真実」の混乱と喪失−1
読みました。
他の記事でもそうなんですが。
心病んでる、状態の説明を見ると。
過去、そして現在に置いての。自分の状態と感じます。

愛情要求症候では。
自分は。消極形から積極形へと変わった様な気がします。
最近は、どっちつかずの様な、気もします。

愛情要求症候の過去を、振り返ってみると。
幼児期  「全く自覚せず」消極形
子供時代 「薄々、得られ無い愛情と、感じ始めてました」消極形
思春期  「少し自覚し始めてました」無理に笑顔を作るなど。プチ積極形
青年時代 「多量の投薬の影響か。ベッドから起き上がれず」プチ積極形のまま。
現在   「投薬は無くなり。人と接していても、欲求願望を自覚。」
でもまだ「プチプチ積極形」かな?。 


 
今これからの具体的材料ベースで進める^^ / しまの
No.526 2012/11/29(Thu) 17:25:49

これは今解説している『「取り組み実践」への理解』参考にして、じっくり進めるのがお勧めですね^^。

まずは「「学び」の流れチャート図」に示しているような、「現実場面における行動法の学び」から入るという流れでです。その下の「基本的な流れ」の節で説明していますが、「取り組み実践」は、
============
必ず「現実場面における行動法の学び」から入ります。具体的な問題場面状況において、心の健康と成長に向かうための行動の仕方はこうこうである、というはっきりとした答えがあります。それを知ることからです。
============

と。

ですから、今およびこれからの日常生活と人生での、どんなことを取り組む材料にするか検討し、そうした具体的材料ベースで、まずハイブリッド心理学からはどんな「学び」を出してくるかを知っていくことからという流れになります。

「自己分析」は、それとの対比進めるのが良いやり方です。今これからの、これこれの具体的行動場面で、ハイブリッド心理学からの、心の健康と成長に向かう行動法とはこうこうである。一方、自分はこう考え、こう感じる、という対比、ギャップを浮き彫りにすることで、心の変化の糸口見えてくるわけです。

まそうした進め方論ちょっと難しい話かもですが、とにもかくにも、今これからの行動場面として具体的な材料をあげて相談頂くことで、僕の方でもさらにアドバイスを加えることができるかと思います^^。


アドバイスありがとう。 / ロバート
No.512 2012/10/31(Wed) 15:51:41

アドバイスありがとうございました。何とか、やっていけそうな気がしてきました。

母と共に「ハイブリッド心理学入門偏」を読んで
とても学ぶ所が多かったです。
最近自分の心が前より、少しだけしっかりしている様な気がします。


 
Re: アドバイスありがとう。 / ロバート
No.516 2012/11/12(Mon) 18:51:26

『悲しみの彼方への旅』届きました。ありがとうございます。
早速読んでいます。半分程読みましたが、自分と似ている心情が。
多い様に感じました。対人感情や。
鏡で自分の容姿を見ての、感情の移り変わり等は。
かなり近い様に思えます。自分はまだそこに、囚われています。

最近夢を見ている時。自分の心の変化を、感じる様に成りました。
この歳に成るまで。自分の夢はほぼ全て、人の目をひたすら気にして。
何とか非難されない様に、死に物狂いで振舞い続ける、と言う物でしたが。

「死に物狂いで」までは行かなく成り、「少し振舞っている」位に、
変わってきました。以前は夢を見ている時はいつも。
何かに胸を縛り付けられている様な、感覚が凄くて。
窒息しそうな感覚を夢で感じて、起きると「ぐったり疲れている」と言う感じでしたが。
かなり、軽くなりました。


 
Re: アドバイスありがとう。 / しまの
No.517 2012/11/13(Tue) 07:47:47

報告ありがとうございます。が無事届いたようで安心しました^^。

>自分と似ている心情が。多い様に感じました。対人感情や。鏡で自分の容姿を見ての、感情の移り変わり等は。かなり近い様に思えます。自分はまだそこに、囚われています。

それらを「治そう」とするのではなく、「望みに向き合う」ことを人生を通して行う中でそれらが自ずと克服されていることなど、まず感じ取って頂ければと思います。今回の解説の通り、「ギャップを生きる」中でですね。


 
Re: アドバイスありがとう。 / ロバート
No.518 2012/11/19(Mon) 15:57:47

*個人的状況内容によりご相談者の依頼により削除^^*

内容:対人行動場面についての相談ご質問。相手の怒りに出会った場合など。


 
「社会生活の向上」ワンポイント^^ / しまの
No.519 2012/11/20(Tue) 09:43:55

これについては、「社会生活の向上」というテーマでの具体的検討材料にはなるかも知れませんね。相手なぜどのように怒ったのか。自分はそれをどのように捉え直すことが可能か。
自分の落ち度でなければ寝込むまでもないですね。一方、自分が聞きたかったことの内容については、正しい知識としてはどうなるのか。ここで質問して頂いても構いません。島野のカバー範囲であればアドバイス致します^^。

*個人的状況へのアドバイス部分一部削除^^*

こうした「言葉の使い方」が、社会行動対人行動結構重要なキーポイントになります^^。相手を怒らせたのも、多分言葉の使い方工夫が足りなかったからかも知れませんね。これも勉強です^^。


 
Re: アドバイスありがとう。 / ロバート
No.520 2012/11/20(Tue) 11:44:42

ありがとうございます。
大変参考に成ります。
*以下個人的状況内容によりご相談者の依頼により削除^^*


 
「行動学」と「愛情要求」への取り組み / しまの
No.521 2012/11/22(Thu) 11:21:16

これは思わずクックック笑える話ですね^^; いや失敬、ともかくそうした「質問の仕方」というのが一番、「社会行動」としては「素朴で無邪気な質問」「侮辱」受け取られてもめごとを起こす、典型的かつ定石的な問題としてありがちです。
それが「何かご存知でないでしょうか」となるともう完全相手への駄目出し言葉になってしまいますね。その一歩手前だったという状況^^;

まあ皆それで苦労するわけです。に言えばそれが「学び」であり、「人と接する時の、極度の緊張に対処するための」答え一つでもあるわけです。緊張がどうのこうのという前に、言葉の使い方学ぶそれで大丈夫となっていき、緊張ただ流しながら行動できるようになった先に、緊張自分でどうこう解消しようと躍起になるのとは別の形で、自然に消えていくようになります。これが答えです。

まあいずれにせよその相手にとってはそれが「弱点」であり、それを見事に一突きしてしまったわけですね。ハハハ^^; そうした、相手によって気にすることがらが何か感じ取り、それに触れない言葉の使い方をするといった、実にチマチマした細かい工夫の積み重ねが、「社会行動」の能力向上大きな一面です。緊張がどうのこうのなんてのはどうでもよろしい^^。(やや極論調^^;)
まともかく「社会行動」の能力向上というのは、そうした細かい話だということで^^。

下のホワイトホイップさんへのアドバイスでも似たような話をしていますが、
(『過食と精神的原因への対処』 しまの No.513 2012/11/03 の中の「カウンセリングの利用法」)
医者なりカウンセラーなり、自分が必要とする「効果」持ち得ないものであれば、とっとと早めに見限るのが賢明ですね^^。

>人の怒りにぶつけられると。問答無用で心の大ダメージを感じるので。出来るだけ。怒りに会わない様な、行動を心がけたいです。
>自分自身も、怒りを覚える事は結構有りまして。

については、以下2方向アプローチになると思います。

1)怒りを用いない行動法
怒りを用いない行動法習熟することが、まずは人の怒りにも出会わなくなる王道です。
これは「行動学」という、ハイブリッド心理学外面行動向け学び一大領域になります。

まずは今回の解説で、
「学び」とのギャップを生きる
の中の
「おさらいをしながら、流れを見ていきましょう。」以降に書いた、
着実な「目的思考」を対人行動と社会行動の基本的な「素材」にするという基礎となり、

さらに、詳細情報へのインデックス整備するのがまだこれからになるのですが、
『実践ガイド』 - V.実践の概要説明 - 3A 行動法
まとめたような学びがあるという話になってきます。これを20代30代を通して、実体験の中で習得していく。
まずこれに取り組むのがです。緊張をなしくたいというのはその後。というか、その頃には緊張なんてなくなっているかと^^。

2)自分の「愛情要求」への取り組み
人の怒りに出会うのが大ダメージになるのは、まず言って法外な愛情要求現実離れ(?^^;)した愛情要求があるせいです。この点については、「人の怒りに出会わないようにする」というより、「自分の法外な愛情要求に向き合う」答えです。
これについては、まずは
理論編上巻 4章 「愛」と「真実」の混乱と喪失−1
での「愛情要求症候群」についての解説まど参考頂くと良いかと。まずは自分がいかに法外で現実離れした「愛情要求」を持っているか自己分析確認が、克服への入り口になると思います^^。

これもロバートさんの場合取り組み方向性全体観が出てきた感じですので、また質問などあれば新規トピック立てて何でもお寄せ頂ければ^^。


感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ
No.507 2012/10/25(Thu) 23:52:07

こんばんは、「感情と行動を別にする」で検索しこちらのHPにたどり着きました。

私は39歳の女性で摂食障害(過食嘔吐)で18年になります。20代の頃心療内科や精神科にもかかりましたが、薬だけで一向に良くならず治療をあきらめていました。

去年からやっぱり自分と向き合う必要があると感じカウンセリングを受けはじめました。
カウンセリングでも気づきはありましたが、今年であったHPに「感情はありのままで、日常の生活を淡々とこなす。どんな嫌な感情もあっていい、その感情をそっと脇において今やるべきことをこなしていく。」と書いてあるのを見て「まさにこれが答えなのか?」
とも思いました。

理想の自分と現実の自分のギャップが埋められず、理想の自分を作り上げ妄想の世界で生きて来ました。それに気づいたのも最近です。
たまに見え隠れする現実が怖くて妄想の世界へ逃げてきましたが、ここにいるできないことだらけの自分が自分なんだと知りました。
心のどこかでいつも誰かが何とかしてくれると思っていたので、どこかにすごい先生がいて魔法の薬を飲んだら治るんじゃないか?とも思っていました。

今は自分しかいないことはわかりました。モヤモヤ、イライラはすぐにリセットしたいし
答えが出なければ全部壊してしまいたい感じで、無意識に毎日過食嘔吐していました。
8、9月とわりと調子がよく、昔よりも大分太っていてスタイルも悪い自分は嫌だけど日々の生活をするべきことをこなすことができる。これなんだろう、これでいいんだよね?といいながらいましたが、10月に入り調子が悪いです。

調子が悪いときほど今どんなことを思っているのか自分を見てみるのですが、原因は多分11月1日にある健康診断かな?と思っています。
また去年より太っていてそれを見るのがすごく怖いです。

昨日仕事から帰ってきて思ったのですが、、「どんな嫌な感情やいまいち原因がわからなくてモヤモヤ、イライラしていても行動は自分が選ぶことが出来る。」このまま夕食の支度をして、食べて子どもの宿題を見て、風呂に入って寝ることもできるし、過食して何も感じないように見ないようにも出来る。どちらを選ぶかは自分なんだ、ここで「えいっ!」って夕食を作ってふんばれ〜!!とも思ったり、
「感情と行動を別にするって結局は感情を我慢すること???」と思い我慢なんて出来ないし続かない!と過食してしまいました。

過食する理由を探していたのだと今は思いますが。

「感情と行動の分離」とはどうしたらできるのか?また初級から一から読めばいいのですが、量も膨大で一体どの編から読んでいいのかわかりません。

アドバイスいただけたら幸いです。


 
ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」^^ / しまの
No.508 2012/10/27(Sat) 10:40:42

ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」

まず、ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」は、感情を意のままに変えられる自己コントロール術を目指すものでもなければ、思い立った行動であれば何でも必ず実行できるような超人的意志力を目指すものでもありません。
そうではなく、
外面の行動法としては心の健康と成長に向かうことができるような行動法を学ぶ
内面に感情にについては心理メカニズム理論なども学びながら、ありのままに開放して深く理解する
という2面の向き合い方をするという実践です^^。

つまり感情と行動を別々に切り離すという話ではなく感情と行動にそれぞれ別の向き合い方をするというのが、ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」です。

そもそも外面の行動法として「心の健康と成長に向かう行動法」とは、内面感情もしっかりと配慮するものです。そこでどのように配慮していくかに、具体的学びが出てきます。そうした「学び」が、今までの、ただ感情に流された思考とは全く違うものになってくるという話です^^。


ハイブリッド心理学が目指すもの

それが目指すものは、総合的な心の健康と成長、そして人生の豊かさです。それは上記の2面の取り組みを続けることで、その2面のはざまから、私たちの「命」そのものが本来持っている心の自然治癒力と自然成長力開放される、という考えのものです。

その先に至るのは、「心」「魂」「命」というものを別々に感じ取ることができるようになる、「心と魂と命の開放」というものになる、という主旨心理学です。
それも瞑想トレーニングのような修行(^^;)の先に「悟り」として開くようなものとしてではなく、日々の日常生活と人生での具体的な思考法行動法や感情地道に取り組んでいくものです。


摂食障害へのアプローチ・読書法

ですので、摂食障害についてはあまり専門ではないのですが、やはり日常生活と人生の全般の面で、充実感が得られておらず、ストレスをうまく解消できるものがない場合に、「身を削るような空虚感」「食べること」に向かってしまうことが考えられますので、摂食障害そのものの治療以外に、日常生活と人生の全般で「生き方の向上」に取り組むことが、外堀を埋める形で根本治癒に向かうために役に立つと思います。

そんなものとしてご興味があれば、何から読めばということですが、「メール相談事例集」家族関係・恋愛関係・仕事関連・心の障害関連といった基本的悩みパターン分類した掲載今後予定しており、それを読んで頂くのが一番手早いと思いますがまだ作業が追いついておらず、まずはこの読者広場過去トピックなど眺めて頂くと多少参考になるものがあるかも知れません^^。
それらを参考に、何か具体的行動場面などでのご相談を書けそうであれば何でもお寄せ頂ければ^^。

じっくり学ぶ場合は、『入門編』やサイトの『ハイブリッド人生心理学とは』あたりをざっと一度読んでから、あとは1日に2、3ページ(製本での相当量で)を日々読んでいくといった、人生を通しての学びモードで読んでいくのがお勧めの読書法になります^^。


 
Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ
No.509 2012/10/27(Sat) 21:42:34

早々の返信ありがとうございます。

過去トピックを見たり、『入門編』『ハイブリッド人生心理学とは』も呼ん少しづつでみようと思います。

しかしいつも子どもが寝てから本を読もうとかHP(カウンセリング関係)をじっくり見てみようと思いつつも過食になって結局出来なかった。となる日が多いです。

「出来ないのは過食のせいだ」と何か出来ないのはいつも過食のせいにして自分を守って来ました。過食を盾にしてその後ろに隠れてきた自分、過食に隠れた本当の苦しみや悩みを過食で隠して何も感じないようにして来たこともわかりました。

今まではどうして過食になるのかなんて理由もわからず、わかりたくない自分がいて回復の道のりを歩くことを自分で選んでいませんでした。

見たくない自分、醜く情けない自分を見るのが嫌で、自分の思い通りにならないことがあるとイライラ、モヤモヤを抱えていることができずに今は過食しているのだと思います。

前までは無意識になにも考えずに夜は過食嘔吐になっていました、今は過食するにしてもキッチンで「このイライラ、モヤモヤがあっても行動は自分で選べるよ、ここのふんばりなんだよ、ここなんだよ、ここで感情と行動の境界線を引くんだよ。」とワンクッション考えるひと時があります。

頭では色々とわかってきたこともあるので、あとは実践というか身体でわかるしかないのだろうと思うのですが。

また質問させてください。

@ そのワンクッションおいて考えるときにどのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?もう一押しのような気もするのですが・・・。

A それともう一つはカウンセリングでは「過食になる原因が必ずある」と言われます。  私自身今は過食が最初ではなく何かがあるからその次に過食があるとも思うのですが、その原因を考えてみてもた「多分これかな?」と心当たりがあるときと、考えても良くわからないけど何だか切なくて心がモヤモヤで重たい時も多いです。そんなときもとことん原因はこれ!と言う物を追求した方がいいのでしょうか?


是非アドバイスをお願いします。


 
摂食障害への具体的アプローチ^^ / しまの
No.510 2012/10/29(Mon) 10:25:34

では具体的アプローチなどさらにじっくり練ると、こんな感じになりますね。

>@どのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?

これについては、「自分に言い聞かせる」というより「知恵」を考えるのがお勧めですね。
「言い聞かせる」というのはどうしても「命令」「強制」というがあり、うまく行っても一時的なものになりがちのように感じます。ちょっと気分が緩む元に戻ってしまうものとして。「励まし」「慰め」も、やはり一時的なものになりがち。
まあこれらが全て無意味なわけではなく、気持ちとしてそれを求めている時には時に必要にもなるでしょう。それを時折混ぜるとしても、一貫した前進「知恵」によってがお勧めです。

過食であれば、実際のところどの程度食べても大丈夫か、どの程度以上食べるとマズイかを、しっかりと「数字」などで把握することが始めになると思います。時刻など。
またどうしても口に何か入れておきたくなってしまう場合に入れて良いもの工夫するという手もあると思います。先日TV『世界仰天ニュース』で、巨漢なかなか痩せられない女性が、偶然友人にもらった「よっちゃんイカ」にハマり、いつも何か口に入れているという行動はそのまま、口に入れるものがイカになった結果、噛む量に比べ胃に入る量も少なくカロリーも低いということで何十キロか痩せられたなんて話を見ました。

あとは、「食べること以外で気持ちが充実するもの」どう見つけるかですね。大きいのはこっちの方になると思います。
ちなみに島野の生活というのは、そういつも文章がすぐ浮んでキーボードを打つことができるわけではなく、文章練るために表面上は何も手につかない時間も結構あるので、そこでついビールを飲み始める(^^;)なんて生活パターンあり得るでしょうが、島野の場合はボロ家や庭の手入れやら洋服の寸法直しやら全部自分でやったり山登りトレーニングやらで結構ひっきりなしに動いている感じです^^。
無理に決めてやるのではなく、普段から「こうしたらいいな」というのをいろいろ考えていて、「これやりたい!」なったらやる気分乗らなければやらない、という結構暢気なやり方でです。結果、口に物を入れる時間あまりないという感じです。検討できそうか、ご参考まで^^。

>A原因はこれ!と言う物を追求した方がいいのでしょうか

上述の通り摂食障害専門ではなく、ハイブリッド心理学としての総合的な立場から、また僕自身の個人的知識からという話になりますが、まずは「話は別」考えていいと思います。つまり、「原因はこれ!」分かることで過食解消するようなものは多分ない^^;
特に原因がなくても、いつも食べてて太っている人もいるし、精神的原因があって過食になる場合も、過食克服その精神的原因克服ちょっと別の話になってくると思います。それが見つかったとして(まず考えられるのは前コメントのような「身を削る空虚感」)、まず考えられるのは、過食については上述のように単独に対処克服する一方、精神的原因についてはより長期の取り組みになるというものです。これについては、前コメントのように「総合的な心の健康」取り組む以外に王道はないと思います。

まずはこんなアプローチ全体感でどうかと^^。


 
Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ
No.511 2012/10/30(Tue) 23:37:00

アドバイスありがとうございます。

>@どのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?

頭の中ではいつも夕飯はワンプレートのお皿におかずを乗せてそれを食べてもっと食べたいときは野菜サラダを食べようとおもいつつ・・・今日も途中から過食になってしまいました。それでもキッチンで色々と考えたり、メールをしたりしてましたが・・・
途中から過食モードになってきてお皿になくなっても次々と食べ始め結局「もう駄目だ、もう過食してしまえ」みたいな。
でも毎日が実践だと思うので明日からもやってみます。

「食べること以外で気持ちが充実するもの」これもずっと探してきました。何か夢中になる事をし始めれば・・・と思い娘が生まれる前はちょっと興味があった「Webクリエイター講座」に毎週土曜一日通いましたが、課題も多く平日過食しながら夜遅くまで課題に取り組みましたが充実感はなく、本当に好きではなく「○○しなくてはいけない、何かしなくてはいけない」と思っていたのだと思います。

これからの人生でも見つけたら断然いいと思いますが、まだ見つかりません。見つからないことにもあせりを感じます。「やりたいこと、興味があることがないのか??」と。
でも焦っても駄目ですね(^_^;)



去年の7月から毎月1回カウンセリングをスカイプで受けていました。先回から2ヶ月に1回受けています。
そのカウンセラーにあるHPに「感情はありのままで、日常の生活を淡々とこなす。どんな嫌な感情もあっていい、その感情をそっと脇において今やるべきことをこなしていく。」と書いてあるのを見て「これが答えかもしれないと思った。感情と行動を別にするにはどうしたら良いでしょうか?」とメールした所、「私の理論とは違うからわからない。治りたくて色々なHPや本を見るのはわかるが情報に振り回されて本末転倒なのではないですか?」と帰って来ました。
カウンセラーの先生の言うことは「あまり情報は取り入れなくていい」と言うのですが、私はそのHPに書いてある言葉にはっとして「きっと克服への道のりはこれなんだろう」と思ったのです。

今まで本やHP読んだりしましたが、右耳から入って左耳から抜けていく感じで「これだ!」というものがありませんでした。去年からのカウンセリングもいまいち、このまま受けていて良いほうへ行くのだろうか??とも思っていましたが、そのHPの言葉に出会い、そこには「頭は妄想、身体は現実、身体でつかむもの」これなんだろう。と「納得というかこれしかないんじゃないか」と初めて思ったのです。

正直、カウンセリングもただ1時間特別な話と言うわけでもなく、13,000円も取られるので金銭的にも負担に思っています。3ヶ月に1回のカウンセリングは間が開きすぎといわれてこの間から2ヶ月に1回にしてもらいましたが、少し不信感も持ってしまっています。

色々なHPを見てきて情報に振り回されたことも確かですが、その中から自分が「これかもしれない!?」と思ったことを行動しようとするのは今カウンセリングを受けている身では良くないことでしょうか?

何となくカウンセリングの先生以外の事をすると悪いような気がしているのです。
HPにはこういう事が書かれていましたが・・・と言うと「じゃやってみればいいじゃん!」とか「今までカウンセリングしていて府に落ちるような感じはないの??」と言われ「・・・」だったり。

たびたびの質問ですみませんが、よろしくお願いします。


 
過食と精神的原因への対処 / しまの
No.513 2012/11/03(Sat) 12:43:18

では引き続き前回指摘した、過食そのものとその精神的原因克服という2段階があるという前提で、アドバイスを加えましょう^^。


過食そのものの克服

・「食べてしまう」ことの防止策

>食べたいときは野菜サラダを食べようとおもいつつ・・・今日も途中から過食に

これについて最も即効的対処策一つは、過食になって困るような食材を家に持たないことです。まあこれは過食する食品の種類によって対処策できるものできないものがあります。
一番分かりやすいのは島野自身の例で、ポテチやおせんべいなどのスナックをつまみにビール飲むのが大好きなのですが、そうしたおつまみがあると必ずビール飲み始めてしまう(^^;)ので、スナック類の買い置きは基本しないようにしています^^; 「今日はビール飲むぞ!」決めた段階買う

これが適用可能なものか。とにかく、過食になって困る食材を手にするハードルを、物理的に高くするということです。「自分に言い聞かせる」という内面向けワンクッションを置くことに加え、外面でもワンクッション設けることですね。
ちなみに島野は今日は日本シリーズでも観戦しながら、数日振りビールを飲む予定です^^)/ (←ちょーどーでもいい話^^;;)


精神的原因の克服
まずは「ストレスや空虚感」過食してしまう感情的要因であろうとして、その克服です。

・「純粋な楽しみ」という感情からのスタート

>「食べること以外で気持ちが充実するもの」これもずっと探してきました。何か夢中になる事をし始めれば・・(略)・・「Webクリエーター講座」に毎週土曜一日通いましたが・・(略)・・充実感はなく、本当に好きではなく・・(略)・・「やりたいこと、興味があることがないのか??」と。でも焦っても駄目ですね(^_^;)

それは「趣味」というより「職業」ですね^^; 「Webクリエーター講座」となると。まずストレスの素になるものです。職業というものは。良く悪くも。
今回のアドバイスのような「気持ちが充実するもの」として重要なのは、「純粋な楽しみ」という感情から動き始めることです。
それはもちろん「やりたいことがないの!?」と詰問されて慌てて見つけるようなもの(^^;)ではなく、生きていることで自然と出会うものです。
それをふさいでしまっているものがあるかも知れません。「自分一人で楽しむ」ことを罪悪感に感じるというものなど。
でもそうした「自分一人で感じることのできる純粋な楽しみを感じ取る心」が、心の健康と成長に向かう道を選ぶ、最後の根本的な足場になるんですね。幼い頃に感じた、何気ない風景感動を感じた気持ちや、庭の片隅の葉っぱで遊ぶことに夢中になった気持ちを、忘れていませんか。といった歌の文句のような話になりますが、まずそうした気持ちに耳をすませることからです。

・「自分を持つ」「自分の考えを持っていく」

>色々なHPを見てきて情報に振り回されたことも確かですが、その中から自分が「これかもしれない!?」と思ったことを行動しようとするのは今カウンセリングを受けている身では良くないことでしょうか?  何となくカウンセリングの先生以外の事をすると悪いような気がしているのです。

「空虚感」というのが過食の引き金になる典型的な感情要因なのですが、その遠因中の遠因が、この辺にあるかも知れませんね。
つまり「自分がない」という心の状態にあるかも知れません。というか、そうなる傾向が、その言葉に示されているように感じます。
今カウンセリングを受けいている身であれば、重要なのは、その先生の言うことにとにかく従うこと、ではなく、まずその先生の用いるアプローチ本当に自分の問題を解決するものであるのかどうかを、まず検討し判断することです。
この検討判断は、その先生の側で行うものではなく、受ける側で行うものです。もちろん先生は先生で判断している。それが本当に信頼できるものかについて、自分なりの判断下さねばならないということです。
これは病気になって治療を受ける時の必須の姿勢です。出あたりばったりに医者に任せるのではなく。医者を選ぶ必要がある。だから島野群馬で住んでいる今でも、歯医者だけは会社時代からの東京の医者に通っています。

こうした、日常生活でのさまざまな話題の節々に現れる、「自分がない」状態が、「心の空洞化」というものを生み出しており、「空虚感」生み出し「過食」つながる、という流れになっている可能性もあると思います。
過食そのものに対しては遠因中の遠因ですが、人生の生き方としては基本的重要テーマになりますね。まず日常生活「自分の考えを持つ」ことに地道取り組んでいく。
今回の解説原稿の中の「自分自身に対する論理的思考」などをまず参考下されば。

それによって、

>カウンセラーの先生の言うことは「あまり情報は取り入れなくていい」と言うのですが、私はそのHPに書いてある言葉にはっとして「きっと克服への道のりはこれなんだろう」と思ったのです。

も、自ず答え出てくる、というか出していかなければならない問題ですね。問題は何で、克服法は何。後戻りのないよう、しっかり「本当に確かだと思うこと」確認しながら積み上げていく思考法です。
そもそも「情報は取り入れなくていい」では思考するための文章として不完全です^^; 「どんな情報」と、もう少し5W1Hを加えないと。情報は「取捨選択するもの」です。


カウンセリングの利用法

>正直、カウンセリングもただ1時間特別な話と言うわけでもなく、13,000円も取られるので金銭的にも負担に思っています。3ヶ月に1回のカウンセリングは間が開きすぎといわれてこの間から2ヶ月に1回にしてもらいましたが、少し不信感も持ってしまっています。

これについてどう考えるかも、「自分の考えを持つ」という日常テーマ一つになってきますね。
島野の考えを言うならば、医療にせよカウンセリングにせよ、「効果」に対して妥当な支払いを考えるのがまずは順当だと思います。歯医者に行けば、虫歯が治るからお金を払います。マッサージを受けるならば、30分なり1時間なり時間かけてもらっただけの効果が、その都度あるから、その都度お金を払います。そうしたものが、そのカウンセリングにはあるかという話にはなりますね。
1時間13,000円と聞いて思わず「げー!」と口に出しましたが^^。

ちなみに島野は、心の成長の効果生み出すのは本人の「命」だという考えに立ち、相談対応無償主義にしております^^。


 
Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ
No.514 2012/11/07(Wed) 23:30:02

お返事ありがとうございます。

・「食べてしまう」ことの防止策
過食する食材は通常の夕飯以外には大体菓子パン、チョコ、スナック、アイス等があり菓子パンやチョコ食べると「あーもう駄目だー」という気分になるのでなるべく菓子パンとお徳用のチョコは買わないようにと思っているのですが仕事帰りにスーパーに寄って安売りをしているとついつい買ってしまいます。
特に食材が不足していなくても、いつも何かお買い得がなるかな?とか何かを欲しているかのように過食にならない日でもスーパーへ行って特売の野菜等を買ったりします。特に野菜を買う必要もないけど。いつも「もっともっとほしい」と不安なのかもしれません。
娘のおやつとは別としてスーパーに行く曜日や菓子パン、お徳用チョコはなるべく控えてみようと思います。

・「純粋な楽しみ」という感情からのスタート

小学2、3年生頃は絵や漫画を書くのが好きで家でも良く書いていました。

無意識ですが楽しむことに罪悪感を感じているのかもしれません。

私の望むような愛情の形をくれなかった母を恨み、憎んで来ました。また親に感謝できない自分は価値のない駄目な人間だと思って来ました。

どうしたら愛してくれるのか、母に今どう移っているのか?まわりの人たちにどう移っているのかが一番大事でした。自分がどうしたいのか?なんて考えたこともなかったです。
身体はあっても自分はいませんでした。

いつの間にか自分が感じることもわからなくなり、自分がどうしたいのか?さえ人に聞かないと不安でした。自分がどう思っているのか、どうしたいのかわからないし自分の決めたことに自信がなく怖いのです。これでいいのか?周りから見たら何か言われるのじゃないか?と
小さい頃、母が兄に「朝御飯なにがいい?」と聞き兄が「ご飯」と言うと私にも同じものを出すことが不満で「私はパンがいい!!」と言うと「わがままばかり言っているな!!」といつも私が言うことは「わがまま」と怒られました。いつからか自分がこうしたいと言うことは悪いことだと思ってきました。
自分が心から楽しいと思うこと・・・自分をよく見て耳を済ませたら昔のように聞こえてくるでしょうか?

自分で摂食障害を治すしかない、自分でしか治せない、誰もなんともしてくれない。自分の足で一歩づつ歩くしかない。と思うようになりましたが本心はそんな事わかりたくなかったし過食に逃げている方が楽なんだろうと思います。

まとまりのない長文お許しください。

NPO法人心ざわざわと言うHPに出会い「感情はありのまま、行動はあるべきよう」と書いてあり、どうしたら感情と行動の境界線をひけるのか?とネットサーフィンして島野さんのHPにたどり着きました。このように返信頂ける事、感謝しております。

「自分自身に対する論理的思考」を参考にまた是非質問させてください。


 
取り組み課題と歩み方全体 / しまの
No.515 2012/11/09(Fri) 16:51:11

取り組み課題おおかた出てきたようですので、考え方と歩み方の全体などざっと^^。

・論理的思考

>「自分自身に対する論理的思考」を参考にまた是非質問させてください。
それに取り組むことに関心を持つのは前進ですね^^。
「自分自身に対する論理的思考」は、「感情を無視して理屈で行動する」なんてものではなく感情を整理し、行動の前進につなげられる感情と、そうはできず自分の中だけで吸収消化すべき感情見分けていくといった、「自分を導く」ためのものであるのがハイブリッド心理学の取り組み実践です。

そのためには、「それは何がどういうことか」というのを、「自分にとって本当に確かなことの積み上げ」として考えていくことが大切です。「そんな気がしただけの間違い」は、はっきりと捨てていく。
例えば、
>特に食材が不足していなくても、いつも何かお買い得があるかな?
「過剰」につながるようであれば「得」ではないですね。まあ確かに「お買い得」ではあっても「無駄」になる。
>過食に逃げている方が楽なんだろうと思います。
過食に逃げても楽じゃないから相談しているという話^^; こうした思考からはっきり「本当に確かなこと」の積み上げ思考へ^^。

>娘のおやつとは別としてスーパーに行く曜日や菓子パン、お徳用チョコはなるべく控えてみようと思います。
それがいいですね。まあ「なるべく控える」ではなく、はっきり「買わない」の方がいいと思います。今日は何時にこれ食べる♪と決めた以外は。
あとは時にどうしても食べたくなりコンビニに走ってしまうのも良しとするので、まずはいいと思います。とにかくクッションを多くして、「食べる?やめる?」と考える敷居増やしていくことですね。そして今食べると決めた量だけ買う。それを長く続ける中で、大きな敷居境目自分の中できてくるかと。


・「愛」「自尊心(自分への自信)」「人生の生き方」

そのような「自分自身に対する論理的思考」によって、まずはそうした「日常生活と社会生活の向上」に取り組み、それを足場「愛」「自尊心(自分への自信)」「人生の生き方」といった大きなテーマについての、自分の考えを問いながら学んでいき、その先に、心の根底で働いている、「自分を不幸にする」大きな歯車取り去るというのが、
「学び」の流れチャート図
表現しているハイブリッド心理学取り組み実践の道のりになります。

一言でいえば、
>どうしたら愛してくれるのか、母に今どう映っているのか?まわりの人たちにどう映っているのかが一番大事でした。
といった、「愛され認められて自信を持つ」という受け身依存ベースのものから、「結果において生み出すという自尊心」「純粋な楽しみと喜びとしての愛」、そして「何がたしいか」ではなく「何がたしいか」による生き方という、人それぞれ別個の存在であることを受け入れる、心の自立ベースのものへ。
ただし「そう感じるようにしましょう」ではなく「ギャップを生きる」というものになるのが正解であるのは、今更新中の解説何度も言っている通りです。

>私の望むような愛情の形をくれなかった母を恨み、憎んで来ました。また親に感謝できない自分は価値のない駄目な人間だと思って来ました。
やはりこうした「精神的原因」掘り当たりますね^^。
「愛されなかった思い」は、『理論編下巻』最後「Y子さん」言葉のような「魂の感情」に、答えというか収まりどころがあるものになるかも知れません。そんなものもある知っておくといいでしょう。
終章 人生の答え−3 の最後の方「魂に魂が宿る」です。

一方、「愛がこうあるべき」という観念は、「自分を不幸にする」大きな歯車の1つです。これを捨てるのがになるかも知れない。「こうあるべき愛がなかった」ことが不幸の原因ではなく、「こうあるべき愛」という基準から現実を切り捨てることが不幸の原因なんですね。
『入門編下巻』「9章 愛への道」ではこんなこと書いています。(愛が向う道 「現実世界」 P.279)
=========================
 「愛がこうあるべき」という想念に駆られた中で、自分をその通りに愛せなかった他人は、「悪」に見えたでしょう。そして他人をその通りに愛せない自分が、「悪」に見えたでしょう。
 しかし「愛」をめぐる全ての「べき」から開放された時、この人の前に、全く別の視界が開けます。
 それは「悪」だったのではなく、「弱かった」のです。弱く、追い詰められ、自分のことで精一杯だったので、「愛がこうあるべき」と絵に描いた通りには、他人を愛せなかった。それだけです。
 それは自分のスタートラインでもあるのです。それらの過去の人々の姿とは、今の自分の姿でもあるのです。
 この全てを、受け入れるのです。
=========================


>自分が心から楽しいと思うこと・・・自分をよく見て耳を済ませたら昔のように聞こえてくるでしょうか?
こっちから耳をすませるのと、向こうからやってくるのとの、「出会い」です。耳をすませることですぐ聞こえてくるとは限らない。しかし常日頃耳をすませるようにもしないと、聞こえるべきもの聞こえてこないでしょう。


・道のり全体の歩み方

いずれにせよ、全て「自分自身に対する論理的思考」による「日常生活と社会生活の向上」の中で具体的に学び、自分に問う中で「気づき」さらに「出会い」もあるという歩み方になります。
ですので読書については「これとこれを全部読んで理解すれば分かる」なんて話ではなしに、料理のレシピ本と実際の実践という感じで、ざっと把握するのと日々の生活の中での実践という感じで、最初のアドバイスに書いたような人生を通しての学びモード歩み進めていって頂ければと思います。

レスが増えてきましたので、新規トピック立てて何でも相談頂ければと^^。


執着について / パーニャ
No.498 2012/10/06(Sat) 21:23:32

はじめまして、3ヶ月程前に偶然こちらのホームページにたどり着き、ハイブリット心理学について一通り読ませていただきました。ブログも興味あるテーマ毎に読みました。情報量がすごくて、ちょっと難しい部分もあり、読んでいても目が滑ってしまって頭に入らないことも多いのですが…


執着についてお聞きしたいのです。

私は30代後半の女性です。
20代の頃、創作する仕事を目指していました。
けれどプロを目指す程の情熱も根気もなく、結局日々に流されて普通の会社員になりました。

同時期に趣味で活動していた人が、今では売れっ子プロとなり、様々なメディアによく名前や作品が取り上げられています。
そのたびに心臓を掴まれたような感覚に襲われ、どうしようもない無力感、焦燥感のようなものに支配されてしまいます。
もうすでに同じ土俵にすら立っていないのに、いつまでも執着してしまう自分が情けなくつらくてたまりません。

私が欲しかった以上のものをすべて手に入れている。
その人はそれこそ血の滲むような努力をして、それを手に入れたのだと思います。

やり尽くしていなかったから、自分の中で納得できずにいるのだろうか?とも思います。
けれど、たとえば10年前に戻れたとしても、やっぱり同じことで、夢に向かって死ぬ程の努力はしなかったと思うのです。
私はそうすることもできなかった。だから現状がある。
あの頃はそれなりに楽しかった。できなかったとしてもそれはそれでいいじゃないか、と認めて受け入れて、気持ちを切り替えて生きていきたいのです。

それなのに執着を止めることができません。
いつも人と比べて、成功している人が妬ましく、趣味で楽しくやればいいじゃない、と割り切ることもできず。
「感情をただ流し、行動は建設的に」と意識しても、そしてその通りに日々の生活をこなしていても、そのつらい感情は心の底に残っていて、ふとした弾みに表面に出てきます。

まとまりがなくてすみません。
このような心の状態で、ハイブリッド心理学のどの項目を優先して学べばよいでしょうか。
読んでいるとどの項目も繋がっていて重要に思えるのですが、とにかく量が多過ぎて途方に暮れてしまいます。

アドバイスいただければ幸いです。


 
「情熱」と「成功」 / しまの
No.499 2012/10/06(Sat) 22:37:49

ちょうど手があいてましたので即答しましょう^^。即答向けのご相談でもあり。

ハイブリッド心理学を知って3か月とのことで、まずはどの項目について学ぶかというよりも、今の悩みについての「答え」がまずはどんなものになるのかを知るのが良いと思います。「最初の一歩」がどんなものになるのかからですね。

まず出てくる「答え」とは、「創作における成功」といったものであり、これはハイブリッド心理学ならでは話というより、「仕事での成功」についての一般的な学びの一つになりますね。

それで言えるのは、「社会的成功によって判断するものはそもそも創作ではない」といった話になると思います。

>いつも人と比べて、成功している人が妬ましく、趣味で楽しくやればいいじゃない、と割り切ることもできず。

これは今回の解説の中の「まずは「問題の捉え方」から」で取り上げた相談例で、「思考が、意味のないものになってしまっている」という言葉を書いていますが、これもそのように見えますね。
成功している人が妬ましいとは、趣味だけではとてもじゃないが楽しくやれないということではないかと^^; 本当に趣味で楽しくやれているものは、成功している人をあまり妬ましく感じない

ですからまず問わなければならないのは、その創作の内容そのものに情熱と好奇心を持っているというより、その創作で社会で成功しているという結果イメージに、とにかく自分が惹かれているのではないか、と自分に向き合うことだと思います。

でもしそうであるのならば、そんな自分叱責したところで何にもならない。とにかく、自分がその創作の内容そのものに情熱と好奇心を持っているのか、それともそれはそこそことして、とにかく成功した人間になりたいということなのか、自分の気持ちをしっかりと見据えることですね。
その結果いかんです。それによってまた進む先検討のための切り込む角度違ってきますので^^。

ま言えるのは、「情熱よりも成功」という気持ちで成功する人は、実際はいないのではということですね。それが見えるのであれば、出直しの方向性も見えてくると思います。それこそ本当に趣味でも続けるか、本心から価値と情熱を感じることができる、別のものを探すことに向かうか。

今回書いて頂いた内容については、こうした話だけになりますが、さらに幅広く、対人行動仕事の進め方などで具体的な学びを得ていく中で、「心の成長」「心の豊かさ」といったテーマ目標に感じるようになった時が、ハイブリッド心理学のアプローチどう学ぶかを検討する時になると思います。
具体的な学びについてはまだ掲載が追いついてないので、質問あれば何でもお寄せ頂ければ^^。


 
ありがとうございます / パーニャ
No.500 2012/10/07(Sun) 07:38:10

レスありがとうございます。
即答いただけると思っていなかったので感謝です。


>趣味だけではとてもじゃないが楽しくやれないということではないかと

そうなんですね…。だからいくら自分にそう言い聞かせてもだめなんですね。

>その創作で社会で成功しているという結果イメージに、とにかく自分が惹かれているのではないか、と自分に向き合うことだと思います。

その通りです。
創作を始めたばかりの頃は、確かに純粋に喜びを感じていました。
それがいつの間にか
・人から評価、賞賛されたい
・お金を稼げなければ意味がない
等々、そっちにばかり意識がいくようになっていました。

島野さんが仰っているように、「とにかく成功した人間になりたい」という思いが強いのだと感じます。
私が執着している人は、わかりやすい成功イメージの象徴なのかもしれません。

そして、創作そのものに情熱と好奇心を持っているのか…NOです。
確かに好きなことなのですが、しなければしないでどうにでもなってしまうし、たまにちょろっとやってみて満足、今はそんな程度なのです。

それが現実なのに、なぜ苦しいのか。
今はこの執着に捉われていて、他のものに気持ちが向かない状態です。
他のものに意識を向けようとしても、自分をごまかしている、嘘をついているような気持ちになってしまうのです。
書いていて恥ずかしいです。

「私は成功した人間になりたいのだ」と認識することが最初の一歩でいいのでしょうか。


 
追記 / しまの
No.501 2012/10/07(Sun) 10:24:30

>そして、創作そのものに情熱と好奇心を持っているのか…NOです。

じゃー駄目だ^^、というかなり単純あっさりした話になりますね^^; まずは内容そのものにどれだけの情熱と好奇心があるかが、がその活動どれだけ本当に前進させられるか基本になりますね。
まあそれがどのように成功につながるかへの期待という「下心」(?^^;)については、誰でもブレがあるもので、仕方ないものです。「現実」荒波にもまれて、そうした邪念叩き落されるしかない。痛い目も経て。
それがあまりに順調に成功していると、結構人間ろくなことがないです。沢山の落ちぶれた芸能人の例が示す通り。

と無駄な話も添えましたが、社会にはそうした「成功法則」というのがありますので、知っていくのがいいですね。これはハイブリッド心理学専門ではありませんが、間違いのないキモの部分僕自身社会人経験も踏まえて押さえているつもりですので、必要に応じアドバイス可能です。

だからと言って、気持ちをそれに合わそうとするのは誤りです。

>「私は成功した人間になりたいのだ」と認識することが最初の一歩でいいのでしょうか。

Yesです。さらに思いっきり、自分でも呆れるほどに、成功できた先の「幸福」を妄想してみるといいでしょう。どっかで「これは違う」というものに気づく頭でではなく体でというような形でです。
これも結局は、「成功法則を知る」なりの「現実を見る目」を持った上で、内面を開放することによって起きる「気づき」の成長変化ですね。

「気持ちをおさめる」というのは誤りです。外面の知恵を知り、内面感情は手綱を切って、なるようにならせることです。
これが「感情と行動の分離」であり、「学びとのギャップを生きる」ということです。
そこに「命」が働いて、「心」変化が起きます。結果、自分がどこに向かうのかは、その変化の行き先まず委ねるしかない。

そうした外面と内面を両方合わせ持った視線で向かうことができるようになると、なお良しですね。
これは『入門編下巻』から関連するところなど引用(ベタのテキスト)しておきます^^。
いまさらながら、「目次」にこうしたパラグラフ・タイトルのレベルでの詳細を載せておけば良かった・・と今思いついた感じ^^; まずサイトで提供するようにしようっと♪

なお、こんな感じでいろいろ話は出るでしょうが、まずは「日常生活と社会生活の向上」最初取り組みの柱になりますね。これは誰の場合も同じです。

===================
「魂の感情」を軸にした人生の設計(P.211)

・・(略)・・

 「価値とは何か」について思考し、話すための、一大探究領域が、私たちの社会にはあります。「価値言葉」を使って、ものごとを思考し、人と会話をする練習をしてみて下さい。
 あの人はどうだ、この人はどうだ、という言葉の使い方をするのではなく、ここで生み出される価値とはこれこれです、これこれの価値を生み出すためにはこうすると良い、といった言葉の使い方をします。

 仕事、趣味、家庭と日常生活、その全ての場面にそれがあります。
 仕事であれば、「品質」や「効率」の向上、「お客様の満足」の向上、そのためのさまざまな工夫。「コンプライアンス(法遵守)」なんていう言葉がCMでも流れる時代です。覚えると良い言葉が沢山あります。
 自分で手足を動かして行う趣味を持つのが、やはりお勧めになります。楽しく過ごせる時間が人生でグンと増えてくるからです。そこには「向上」のための「知識」と「技術」が沢山あります。人との交流の機会も増えます。
 10代の頃に夢見たことを、ぜひ一度思い出して下さい。自分には手が届かないとその頃に思った世界が、行動できる範囲の近くにあることに気づくかも知れません。それを趣味に、さらに趣味を超えた充実した人生の活動に、できるかも知れません。私にとって社会人になって本格的に始めたスキーが、例えばそうしたものとしてありました。
 日常生活でも同様です。「生み出す価値」を追求することが、自分自身の、そして人への接し方の、豊かさを増していきます。掃除や片付け、インテリヤのアレンジ、健康と、大きな病気への予防と対処、などなど。

 そのような「現実において生み出す価値」を探究し続けることを、まずは「人生」と位置づけることです。そのための思考法と行動法への習熟を、生涯続けることです。
 事実、社会で成功した人、豊かな人生を獲得した人とは、それを行った人達です。

 この姿勢が、人物の区別をあまり問わない「魂」の、広い意味での「愛」の感情によく馴染むのです。
 これは特に、来歴において自らの「存在の善悪と身分」に傷を負ったような挫折感情がある場合に、その克服のために決定的に重要になります。
 この姿勢は必ず、人からの信頼を得ることができます。それがやがて、心の傷を凌駕するのです。
===================


 
Re: / パーニャ
No.504 2012/10/07(Sun) 20:59:18

>じゃー駄目だ^^、というかなり単純あっさりした話になりますね^^;

そうですよね…。
情熱と好奇心からの発露という出発点ですらないのに、何を(成功した)結果ばかりを欲しがっているのでしょうか。
ただ、そのことがわかっているのにそれでも執着してしまうのが愚かしく苦しくて、相談させていただいたのです。
今のままの心で何度も考えてしまうのがいけないのでしょうか。


>さらに思いっきり、自分でも呆れるほどに、成功できた先の「幸福」を妄想してみるといいでしょう。

成功できた先の「幸福」をイメージしてみてもうまく繋がりません。どこか違和感があります。
どこかで「自分はそれに値しない人間だ、だって努力してないんだから」という風に思っているみたいです。
かといって、じゃあ何が妄想できるかというと、今は色々な方面での「幸福」が浮かびません。

執着し、それに心を捉われ続けて、日常生活も社会生活もおろそかになっていた気がします。
「私はとにかく成功した人間になりたかったのだ」と認識したうえで、現実の生活を向上させていくこと、
まずはそこからのスタートでいいのでしょうか。というか、今はそれしかない気がします。

ありがとうございます。


 
追記2:感情と行動の分離 / しまの
No.506 2012/10/12(Fri) 11:30:11

>執着し、それに心を捉われ続けて、日常生活も社会生活もおろそかになっていた気がします。「私はとにかく成功した人間になりたかったのだ」と認識したうえで、現実の生活を向上させていくこと、まずはそこからのスタートでいいのでしょうか。というか、今はそれしかない気がします。

そうですね。現実日常生活と社会生活の成功には答えがありますので、自分がどんな成功に執着しているかには関わりなく、その答えまず学んでいくのがいい。それもなるべく鋭い答えをです。精神論の類ではなく。具体的質問あればなんでも^^。
そうした「鋭い答え」より豊富懐に持つごとに、「現実世界」での「成功」どうあり得るかについての認識感覚、そして自分がどんな成功に執着しているかといった内面衝動、それらの全体変化していきます。
それ抜きに、あまり自分の内面を反省(?^^;)してもちょっと無駄です。この辺など。

>今のままの心で何度も考えてしまうのがいけないのでしょうか。

外面の行動法についての「学び」の一方で、内面感情無理に押さえたり変になだめて収めるのではなく、最後まで、ありのままに、思いっきり開放しながら、それがどう自分の本性において収まり得るのかを追求する。自分自身心理メカニズム学び補助にして。

そうした、外面内面それぞれ別の取り組みをするのが、ハイブリッド心理学「感情と思考の分離」の姿勢に立った取り組み実践になります^^。


(No Subject) / ゆうすけ
No.502 2012/10/07(Sun) 15:43:12

「成長を望む自分」と「親への罪悪感」とどう向き合えばいいでしょうか?


 
というより / ゆうすけ
No.503 2012/10/07(Sun) 16:25:03

日々の生活がままならない事の方が問題でした。


 
「罪悪感」へのアプローチ / しまの
No.505 2012/10/12(Fri) 10:16:13

いま「学びの一覧表」「4.悪感情の克服」の中に、「罪悪感」項目加筆しましたので参照あれ^^。

問題一つ一つバラバラに分けて取り組むのが基本になりますね^^。
「日常生活の向上」については、問題課題かなり具体的になってくると思いますので、精神論ではない知恵とノウハウからのずばりの答え求めていって頂ければ。

具体的質問あれば何でもどーぞ^^。


一方的な暴力について / ゆうすけ
No.492 2012/09/28(Fri) 08:12:55

避けられる争いは極力避けるという考えですが、もしも相手からの暴力に出くわした時の対処方が知りたいです。

私は小さい頃から「人を殴ってはいけない」と教えられて来たし、人を殴ったりした事は一度もありません。しかし、一方的な暴力を振るわれた時に「暴力だけはダメだと心に思って」一方的にやられた事があります。

その後、自分はなんて無力で、暴力に対する抵抗が全く出来なかった事にすごく、落ち込んだし、ただ怖れる事しかできない自分に無力感を感じました。

これは、万が一いざとなったら、自分を守るめに「相手を殴る事」も自分に許すのか、それとも、全く別の考え方の問題があるんでしょうか?


 
5W1Hで「人生を生きる論理的思考」を^^ / しまの
No.493 2012/09/29(Sat) 06:51:37

これはまずは、なぜそんな状況に陥ったのか、また今後陥ると想像しているのか自体の方が、取り組み課題になるように見えますね。
「学びの一覧表」ですと、「3.日常生活と社会生活の向上」という柱テーマの中に入ると思いますが、「建設」のための沢山学びではなく、「破壊」のための行動法を取り上げている状況。まそれについて「学び」あるでしょう。

いずれにせよ、

>私は小さい頃から「人を殴ってはいけない」と教えられて来たし、

これは『入門編上巻』「5W1Hを欠いた情緒道徳思考」として解説しているものになると思います(P.105)「目的思考を欠いた善悪思考」『思考の素地 「目的思考」』)でもある。
しっかりと5W1Hで詳しく状況場面を把握し、そこにおいて何を目的にするかを明確に意識する「目的思考」が、「人生を生きるための論理的思考」『自分自身に対する論理的思考』)になります。

ま察するに、

>しかし、一方的な暴力を振るわれた時に「暴力だけはダメだと心に思って」一方的にやられた事があります。

これは学生の頃(今もかな?)での、未熟な年頃に起きたことではないかと。
社会での心の健康な人間集団は、まず学生社会とはとりあえず別の心の世界になります。一言でいって、そう滅多一方的な暴力というのはない^^; というか起きた時かなり異常事態として、警察なり何か相談窓口なり、また特別な対処法も出てくるものになります。
いかにそうした、学生時代的心の世界から意識を切り換える視野を持てるかという課題もあるかも知れません。

いずれにせよ5W1Hもっと詳細にすることで、大抵のことは「暴力」への対処なんて話よりも、「行動学」の学びになると思います。
5W1Hを詳細にしないまま「人を殴ってはいけない」なんて思考は、意味ありません

「行動学」もう使えず、「一方的な暴力」に対処しなければならない場面とは、まずは暴漢に襲われたり、山でクマに出会った(^^;)ような時ですね。その時は、をかけて戦うしかないと思います^^。


 
(No Subject) / ゆうすけ
No.494 2012/09/29(Sat) 10:22:33

学生時代の事です。相手は父親で、元々いつも怒ってる人なんですが、私が言葉で反抗した事が気に障ったみたいです。寝ていたのですが、殴りかかってきて、しばらく頭を蹴りつけられる感じに。(弁当箱を台所へ出すか出さないかの争いです)

それから7,8年経ちますが、今もできるだけ接触を避けています。自分をかなり押し殺してるし日々ストレスを感じます。
私の望みとしては、別々に暮らすのがいいと考えるのですが、怖れが強くてそこに到る自信がありません。。
社会においても、他人から怒りを向けられる事が怖くてビクビクします。
怒りの後に、最終的に起こり得るであろう、暴力に対する抵抗のなさが、そうさせているのかと思ったんですが。

全身がチクチクするような恐怖に耐えられないです。


 
書き足し / ゆうすけ
No.495 2012/09/29(Sat) 10:45:47

基本的に他人の事は好きだし、人に対する愛も感じる事もあります。
悩みという悩みももうほとんどなくなりました。ただ、怒りを向けられると、頭の中が凄く激しく反応する感じで、これだけが唯一の悩みかもしれません。


 
また書き足し^^; / ゆうすけ
No.496 2012/09/29(Sat) 14:08:19

【母に小さい頃から「暴力はどんな事があっても絶対にダメだ」と教えられてきた。
しかし、私が父に反抗した時には、父が私を殴った。
それに対して母は、「あんたが余計な事を言うからよ」と言った。
私は、暴力はダメだと思い、堪えたのに、その私に対して、あなたが悪いと・・
確かに、私は私にも責任があったのかと思っている。父を刺激したかなと。
父は、「あんな性格だから」と、父が私を殴った事は正当化されてしまった。
母は、私に対して、「あなたがもう少し大人になればいいのよ」と、言う。
私の中で、父親の暴力は正当化されたまま、私は「耐えるしかない」「父を刺激しないようにするしかない」と思った。】

日常的に、父は暴言や暴力、暴れるといった事をしていたので、それを異常だという人もいないし、それが普通だと思っていた事が問題だったのかもしれません。

世間をそういう色眼鏡で見ているという事なんでしょうか。

これを異常な事だと考えれば世界が開けてくるような気もしなくもないような。


 
最終的に / ゆうすけ
No.497 2012/09/30(Sun) 21:10:19

身の危険に際して、「暴力による自衛」を自分に許した時(心の底から選択)に、暴力的でない自衛の手段も初めて考えられました。そして、建設的ならばと考える事もできました。
その結果、父と一緒に住む事はやはり望ましくないと決意しました。避けるのではなく、適度な距離というものが必要だと思いました。

怖れはもう諦めて、自分で自分の人生を切り開く事に力を注ぎたいと思います。

そこで新たな怖れが、それはすべての他人からの愛を失って完全な孤独になり、一人で生きるという事への怖れです。

無意識のうちに、過去の体験(いじめや、家庭の関係などなど)を心の中でめぐり、最終的に心が答えを出した事は、父が私を愛する事は一度もなかったし、これからもないだろうという事。

なんだかわかりませんがこれを感じたとたん、ものすごくスッキリしたし、私の中で「愛」が深まった気がします。

長々と質問やなんや書いてしてしまって申し訳なかったです(;_;)
なんとかなりそうです。


悩ませるもの / けん
No.490 2012/09/21(Fri) 21:20:34

何度も質問すいません。

島野さんとの関わりの中で思うんですが、
基本的には、気持ちは自由でいいんですよね?

普段の生活で、島野さんを思い出す瞬間があまりなかったとしても、
成長の道を進んでることになっている場合はあるでしょうか?

ここらへんは、本当に自分を悩ませるものではあります。


 
Re: 悩ませるもの / しまの
No.491 2012/09/24(Mon) 18:12:48

>普段の生活で、島野さんを思い出す瞬間があまりなかったとしても、成長の道を進んでることになっている場合はあるでしょうか?

現実の行動場面で、「目的思考」によって行動法取り組む時間が、成長歩む時間です。「目的」「課題」「望み」明瞭にし、それを目的として、よりうまく対処できる行動法学び検討する。心の健康と成長向かうことができるような行動法としてです。
『「学び」への理解』として説明展開している通りです。

ですから上記質問ちょっと逆かも知れませんね^^; というか「島野さんを思い出して」いただくほどの個人的情報出していないと思います^^; 自伝小説日記引用は別として。
ですからこの掲示板なども、「島野さんとの関わり」なんてものではなく、あくまで自ら「取り組み実践」をして頂く上での助言ですね^^。

内面感情については、行動法「学び」を得る一方で、ありのままに感じ取って自分で受けとめるものです。「「学び」と「開放」と「自己分析」」などを参照のこと^^。
もちろん島野「これでいいですよね?」伺いを立てる必要もありません^^。

まずは日々生活人生での、実際の行動場面に向かって取り組んで頂ければ^^。


(No Subject) / ゆんす
No.484 2012/09/16(Sun) 21:51:59

先日は、お返事いただき、ありがとうございました。
また一つ、相談させてください。
会社での周りの様子や言動で、自分がいろいろと考えてしまい疲れています。

私の支店は、とてもフレンドリーで、学校のようにみんな喋りながら働いています。ただ、私はあまり雑談が得意ではなく、会話に入れず黙々と仕事をしています。周りは残業で遅くまで残っているなか、私はみんなよりいつも少し早く帰っています。そのことに、とても罪悪感を感じ、みんな私のことを悪く言ってるのでは、と思ってしまいます。
また、自分がすごく忙しいなか、雑務の担当を私に任されると、私が嫌われているから、押し付けられたんたんだな、と思ってしまいます。私は静かだし、目立たないし、そういう雑務をきっと押し付けやすいのだと思います。また、支店は年配が多い中、私は一番下っ端なので、しょうがないとも思い、自分にできることを一生懸命しようと思っていました。
ただ、私の少し上の先輩で、いつも明るい支店のアイドルみたいな人が、仕事が忙しいと、みんなから大変だねぇ、とか頑張るんだよ、と声をかけてもらっている中、私は何も言ってもらえないと、先輩に嫉妬してしまいます。自分にも仕事で限界があり、できないときは、周りにイライラした態度をとってしまうこともあり、すごく反省しています。
そんな中、先日ある上司Bさん(他の課の年配の方で、部内全体をよく把握していて、少し意地悪で人をからかったりしているが、実際は優しい方)から、
ゆんすさん(私)は真面目だねぇ、忙しいんだ?こんな遅くまで何してるの?  とすごく何か意味ありげな、意地悪そうな感じで言われました。
何を言わんとしているのかはわからないのですが、とりあえず私をいじめているような言い方でした。

私の課に、すごく嫌われている男性(ここではAさんとします)がいて、いつも忙しいと働いているのですが、実際はすごく暇だと影で言われている人がいます。

私は、Bさんにその意地悪なことを言われたとき、無意識に私も周りからAさんのように、思われているのではないか、、Bさんはそれを私に教えてくれているのではないか、とすごく不安になりました。
そんなことを思っていると、心がすごく苦しくなり、会社に行くのが億劫です。
先日ご相談させていただいたときや、HPを参考にして、会社は働く場なのだから、自分がその仕事の目的を理解して、業務を全うすればそれでいい、と頭では分かっているのですが、周りのことが不安になってしまいます。
何かアドバイスを頂けたり、島野さんの見解を教えて頂けたら、と思い相談しました。
よろしくお願いします。


 
「目的思考語」で問題の優先度整理から^^ / しまの
No.489 2012/09/20(Thu) 11:01:03

>会社での周りの様子や言動で、自分がいろいろと考えてしまい疲れています。

これは「問題」から「答え」までを整理して解きほぐすための思考まだできていないからですね。問題をつなげてこんがらせる思考になっている^^;

要点昨日アップの、
『2.「取り組み実践」への理解  (4)「学び」への理解』 基本的な妨げへの取り組み
で書いた通りです。同じような相談例として想定の上書いていますので参考にして頂けるかと^^。

まず「気持ちの表現語」での思考を、「目的思考語」での思考に、まあ「翻訳」というか整理していく必要がありますね。

重要なのはそこで、「客観的現実問題としての優先度」判断することです。優先度の高い問題から片付けていきます。これが「いろいろ考えて疲れる」のとは逆の、「いろいろ考えてストレスを減らしていく」思考法になるわけです。

それで言うと、大きな目で見ていくと、そこで書いた判断例と同じく、「まずは今の職場で頑張ることにして、コミュニケーションについてはどこでも同じく必要になるものとして学ぶ」というのがまずは第一候補になると思います。
それでゆんすさんとしても覚悟ができるかどうかですね。

「目的思考語」捉え直すどうなるか具体的に書いてみますと、

・早く帰ってしまう罪悪感と(逆に)押しつけられる感覚
は、「仕事の役割分担・仕事量の適切さ」として、「仕事の進め方」の問題として検討できますね。問題があるとなれば、上司などに掛け合うことも検討できる。
一方、

・アイドルみたいな同僚への嫉妬、「いじめられている感覚」
については、ちょっとそのままでは、仕事場の問題としては検討しにくいですね。もう少し具体的内容を詰める必要がある。まあ優先度低いものとして後回しでもいいかも知れませんね。

・「仕事に限界」
というのははっきり客観的現実問題として大きいので、優先度高そう

いずれにせよ全部一度に「こう考えれば」なんてまとめられる話ではなく、一つ一つじっくり解きほぐしていく問題になりますので、まずは、今の仕事の内容として「会社にいくのが億劫」という気持ちを何とか振り払って、しばらくそこで仕事をする中で、じっくり一つ一つに取り組むという腹を決められるかどうかを、判断するのが最初だと思います。

それが本当に無理そうなほど精神疲労でしたら、上記原稿でも書いたように、「自分がどれだけ弱い人間であるかをしっかり認める」中で、一時退却するのも選択肢になると思います。
その場合、やはりまず日常生活領域の中で、しっかりとした「目的思考」を「自分自身に対する論理的思考」ですること学ぶことからになると思います。それを足場仕事場での行動法もしっかりと見出していく、本当の自分のための新しい人生を始めるという姿勢でです^^。

      管理メモ:No.486-No.488は投稿者により削除

愛に背を向けることと向かうこと / けん
No.479 2012/09/12(Wed) 16:20:40

先日はお返事ありがとうございました。
ここ数ヵ月の、離人感がどんどん酷くなっている感覚があります。
僕自身は、良くなるはずのことをやっていると思ってきたので、
相当、僕は自分のことがわかっていなかったんだなと思っています。
で、何がいけなかったんだろうなんて、島野さんの著作やネット上の文章を
いろいろ見ていました。(ほんとは自分の胸に聞いてやらなきゃいけないんでしょうね)
すると愛に関する記述がありました。「写真と言葉」での「心が成長するための、最も確実な方法をお伝えしましょう。それは愛に全力を尽くすことです。」という文などです。この、無味乾燥+窮屈みたいな感覚は
愛に向かえていないせいかと思いました。
そこで、歪んでいたりしても、とにかく愛に向かってみようと思いました。


今は無職で、実家にいます。愛に向かうというイメージの方向のイメージは
母親と父親、ペットへ、があるんですが、やはり外の世界にもそうしたイメージを持てる場所を作っていった方がいいでしょうか?働くということの意義がまだ
あまり見いだせません、、、建設的ということも。
アドバイスいただきたいです。お願いします。


 
「方法論に沿った進め方」を^^ / しまの
No.480 2012/09/14(Fri) 09:58:58

>ここ数ヵ月の、離人感がどんどん酷くなっている感覚があります。僕自身は、良くなるはずのことをやっていると思ってきたので、相当、僕は自分のことがわかっていなかったんだなと思っています。

「良くなるはずのこと」とはどんなことだったですかな。
基本的に、心を自分で良くしようとする行為は、逆に心を悪くします。これについては、少し前に書いた『詳説・実践のポイント』を読んで頂くと良いかと。「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という間違った姿勢について詳しく書いています。

ではどうすれば本当に心を良いものにしていけるか。これはあまり断片的な感銘で考えず、大上段からアプローチ学ぶのが良い姿勢です。自分が感じている問題どう解決するのか、すぐにつながらないとしても、心の健康と成長のための、順序を踏まえた実践に向かうことがお勧めです。
それはまずは、「日常生活の向上」という、まずは心の問題には直結しないところで、自分の考えというものを持てるようになることからだというのが、
「取り組み実践」への理解(4) 基本的な流れ
でも説明しているところです。

「離人感がどんどん酷くなっている」のを治したいという「問題」について、いちばん単刀直入アドバイスするならば、諦めることです。それはもうすぐには治らないものと諦め自分の心にじっと見入るのはやめ、まず自分の日常生活自分でよりうまくこなせるよう、まずは「雑用」に向かうという、ちょっと森田療法的な姿勢が、一番いい入り口になると思います。

>「心が成長するための、最も確実な方法をお伝えしましょう。それは愛に全力を尽くすことです。」という文などです。

これについて言うならば、続きを言えます。

「ただし、「既知の愛」ではなく、「未知の愛」に向かってです」と。

そのためには、まず「愛」に向かうのではなく、「強さ」に向かうことです。

まここで詳しい説明を始めようとすると、結局またハイブリッド心理学の話の全部説明し始めることになってしまいますので割愛し(^^;)、まずはirohasuさんへのアドバイスと同じ、
・「これこれの克服とは・・」というテーマを文章として考える練習
などからですね。それを、
「学びの一覧表」ではどう書かれているかを見るといった、断片的感銘によってではなく、方法論に沿って考えてみるというやり方に、ちょっと転換してみることから始めてみて頂ければ^^。

「学びの一覧表」直接書かれていないこと・・つまりは内面感情の向上全体がそれになるわけですが・・について、自分で直接良くしようとして何かをすることは、逆に遠ざかることだと心得て頂ければ。結局、総合的な心の成長に向かうしかないわけです。そして総合的な成長とは、上述の通り、まずは心の問題には直結しないところから始まります。

「離人感」そのものについては、モモンガさんへのアドバイス大体そのまま当てはまると思いますので参照下さい^^。


 
Re: 愛に背を向けることと向かうこと / けん
No.481 2012/09/14(Fri) 16:48:21

ありがとうございます。

ここ数ヵ月でやったことというのは、「ひたすら考えること」だったかもしれないです。
ひたすら考えて人生観を変えようとしました。「論理的とはどういうことかつかもう」「論理的に生きよう」というイメージで。
ギター教室に通おうと体験を何度かしたり、ギターを買ったり、
バイトの登録に行ったり、いろんな本を買ったり、、、というのが行動としては
あるんですが、何かほとんど思い出せず、記号的に思い出せるものを書いています。


ひとつ、

お返事の中の

「ただし、「既知の愛」ではなく「既知の愛」に向かって」

の部分は、


「ただし、「既知の愛」ではなく「未知の愛」に向かって」

となりますでしょうか?


 
Re: 愛に背を向けることと向かうこと / しまの
No.482 2012/09/14(Fri) 18:07:56

その通り^^; 修正しておきました^^。


 
アスペルガー / けん
No.483 2012/09/16(Sun) 21:31:46

アドバイス頂く上で一応お知らせしておきたいと思ったのですが、
一度、カウンセラーに、「アスペルガー気味の個性を持っている」と言われたことがあります。
僕自身、物事に集中しやすい、空気を読みにくいなど、納得できることはあるんですが、
あまりその認定に意味は感じていません。
ですが、一応お知らせしておきたいと思ったので書いておきます。


 
Re: 愛に背を向けることと向かうこと / しまの
No.485 2012/09/17(Mon) 10:00:50

その通り、意味のない言葉だと思います。
「診断」すればカウンセリングになると思っている、というかそれを商売にすることしかできない「カウンセラー」の言葉かと^^;
まずは本当の自分の個性を見出す前提となる、建設的行動法の学びに向かうのがお勧めですね^^。


働く恐怖に関して / けん
No.475 2012/09/06(Thu) 17:12:15

こんにちは。何度かコメントさせてもらっています。
何かアドバイス頂けたら有難いです。

働く、ということに対する恐怖心があります。

小さいころからずっと恐れてきました。今25歳です。今まで何度かアルバイトをしたことがあります。それでも、嫌なものとして頭に残っています。
小・中でプールの授業があったのですが、泳げない僕は、嫌で嫌で(唯一できないスポーツで、自分の地位が落ちるのを恐れたのかも)
それと同じような感覚で、仕事が嫌です。怖いです。
ずっと逃げて空想の世界にいたし、今もいるかもしれません。

なぜ周りは簡単に働いたりできるのだろう、と思ってきました。
ほとんど気持ちに変わりがなく、小さいころのままです。だけど、怖いのです。

今では鬱的な症状も出ています。

具体的に書いてみますと
・仕事をする、ということのしきたりがわからない。そのせいで怒られたりするのが怖い。
・仕事ができなくて怒られそうで怖い。 仕事を任されても、その仕事の目的や意義がわからなかったりして、オロオロしてしまい、できないと怒られるのが怖い。 例えば工場であの器材をこっちに移動しとけと言われたとして、あの器材は何に使うものなのか、とかなぜ移動させるのか、などがわからずしんどさを感じてしまう。人に聞くのも怖い。

などです。

よろしくお願いします。


 
「仕事」は「正しい知識の備え」から^^ / しまの
No.478 2012/09/10(Mon) 10:47:48

これはごく実践的ノウハウになりますね^^。

まず、「仕事」というものほど、それに備える姿勢のあり方について、誤った知識が植えつけられてしまうものはないと感じます。
このご相談も、

>小さいころからずっと恐れてきました。

なんてことにもなる。
私たちが小さい頃から、小学校中学校そして高校と、社会に出てから課せられる(^^;)「仕事」とうものは、何を置いても、

「気持ちが大切」

だと教えられると思います。それが、全く間違いなんです。
で、まだ何も分からぬ「仕事」を前にして、当然の話ながら気持ちが持ち上がることなどなく、不安で一杯になり、こんな弱い気持ちでは駄目だ、とさらに自分を責め、そして自分を責める人の目が浮び、怖くなってくる。体もよく動かないようにさえなってくる。実際それで失敗もしてしまう。怖れていた通りに、怒られる。ますます嫌になる。そんな自分をさらに責める。
・・・とまあまあ想像すると容易に一気に「うつ病」にまで坂を転げ落ちる心理のメカニズムが浮ぶわけです。で、実際そうした大量の20代30代(さらにはそれ以上・・^^;)が作り出されている昨今です。

まそんな内面描写はさておき、「仕事」というのは「正しい知識」の備えからです。飛行機操縦したければ、まずフライトシミュレータ訓練するんです。それをしてないまま、実際飛行機操縦しようとしても怖いのは当然です。

まず大きく2つ訓示など。「今まで教わった間違い」「正解」言葉にしましょう。

仕事は「気持ち」ではなく、「概念」「理念」「原理原則」で行います。
仕事においては
「モノではなく人を見よ」と教わったかも知れませんが、逆です。「人を見るのではなくモノを見よ」

社会の仕事は、大きく「モノ」を動かすためにあります。それを作ることから始まり、それを運んで、最終的に消費者届ける。そこで人と人が接する時に、いかに気持ちよく、という話も出てくる。

>仕事を任されても、その仕事の目的や意義がわからなかったりして、オロオロしてしまい、できないと怒られるのが怖い。 例えば工場であの器材をこっちに移動しとけと言われたとして、あの器材は何に使うものなのか、とかなぜ移動させるのか、などがわからずしんどさを感じてしまう。人に聞くのも怖い。

「人を見て学べ」とか言われた姿勢でそうなっていると想像しますが、まず必要な事前知識とは、そうした「器材」何のためのものとしてあるのかを、その会社のみならず、その会社通過点とした、モノできるとこから消費者届けられるところまで、まず大よその理解を得ることです。その中で、その仕事とは、何をするものなのか。はっきり言って、これが分からないとしたら、その仕事するべきではありません。
逆に、それが分かれば、そこにいる「人」などおおよそ目の端っこにでも入れておけば、自然仕事ができるようになります。
まあ「人を見て学べ」というのも正解であるのは、「その人がどのようにモノに向かっているかを見て学べ」ということなんですね。

まずは「働く恐怖」については、そうした「知識の備え」から、ということで。
そのに、その仕事うまく進める上での「概念」「理念」「原理原則」とは何か、といった本格的仕事のスキルの内実知識も出てきます。これが分かる頃には、怖くなくなるのを通り越して、信頼され自信が持てるようにもなるでしょう。
まずはこの基本的向き合い姿勢から検討してみて頂ければ。

なおあと、

>自分の地位が落ちるのを恐れたのかも

なんて言葉が出てきていますが、実はここ心の病みの根源のご本尊みたいなものがあります。
「自分の地位」なんてものは、幻想です。その幻想をめぐって、熱狂と悪感情におおわれていくのが、人間の心の病みです。
まあまずは、仕事の場面などを通して、「今を原点として成長する」ということを知った先に、その病みの根源向き合うという課題がある、と心に入れておくのが良いでしょう。まそれがハイブリッド心理学「習得達成目標」である「否定価値の放棄」「不完全性の受容」なんですけどね^^。


はじめまして / モモンガ
No.472 2012/07/01(Sun) 02:14:54

はじめまして。一年ぐらい前にこちらのサイトに辿り着き、記事などを読んでいました。
その時は実践はそこそこしつつ、「本当にこんな感じで合ってるのか?ちゃんと理解できているのか?」と思い始めてやめてしまったのですが、
最近になってまたもう一度記事を読んだりしていて、ご相談してみたいと思いました。

私は高校を中退してから引きこもっていて、もう20代半ばです。
恥ずかしい話なのですが、自分の人生に無責任で、どうやって生きていくかということをほとんど考えず、将来の心配すらあまりしないで好きなことばかりしていました。
3年前に離人症になって、感情があまりなくなり、気力もなくなり、身体が重くて一日の半分近く寝ている日が多いのですが、病院には「具合の悪い人がいると自分も具合が悪くなる」という、上手く説明出来ないのですが人ごみに酔うみたいな体質があって、行けません。(一度だけ何とか行きましたが、治療法が確立されていなくてうちでは見れないと言われました)
何をするにも「こうしようかな」と一瞬思うけど、5分もすると「そんなことを考えたような、考えなかったような…」というあやふやなものになってしまって、防音の壁に音が吸い込まれていくみたいに意思がなくなってしまうのですが、
ハイブリッド人生心理学を読んで、何か少しでも正常化できないかと思いました。

現実の問題に対処する、という風に考えると、
まずは健康を回復した方がいいとは思うのですが、
この3年健康回復に効果がある事を見つけられなかったので、とりあえず今の健康状態で出来ることをしようと思っています。
今の健康状態でも出来る仕事を探すか、世の中のことが分からなさすぎるのでまずは何か勉強してみるか、家事が苦手で生活力が無いので練習するか、そういう方向で動いてみようかと思っているのですが、何かアドバイスがありましたら、お願いしたいです。
どうぞ宜しくお願いします。


 
「ごく単純で確実な答えを考える習慣」から / しまの
No.477 2012/09/10(Mon) 09:57:27

これもちょっと総合的なアプローチ必要になりそうなので、解説ページの方をに進め、お待ち頂いていた次第です^^ゞ

「離人症」については、『入門編上巻』でも以下で触れていますね(P.224)「自己の重心の喪失」によるものだと。
==================
 さらに程度が強くなると、「現実感」が薄れてくるという現象が起きます。
 現実と空想の違いがぼやけてくるような現象です。
 自分や他人が人間であるという実感が薄れる。まるで人形やロボットを見ているような気がする。現実世界が、まるでもやがかかったもののように、ぼんやりとして感じられる。
 このような感覚を「離人感」と呼びます。
==================


こうした症状、さらには「心の障害」というもの全般が、ハイブリッド心理学として考えている原因はもうかなり単純です。
「感情の監視操縦」(詳しくは『実践編上巻』8章「「感情の監視操縦」への視点のまとめ 」参照^^)過度になり、破綻したものです。
つまり自分自分の感情「こう感じれば」無理に押しつける姿勢の中で、あっちに行ったりこっちに来たりを繰り返す中で、もうどうにもこうにもならなくなり心が壊れてしまうというものです。
今回の解説ページ「学びの一覧」一番下に書いている通り。「感情の抑圧と力づく練り上げ演技が原因」と。それをやめるのが克服解消になります。

いずれにせよ今回のご相談に対しては、「心の健康と成長への総合的なアプローチ」になると思います^^。
まずお勧めできる課題設定としては、「ごく単純で確実な答えを考える習慣」にまず取り組む
「目的思考」および「自分自身に対する論理的思考」によってですね。
まずはごく日常生活の中でそれに取り組み、ある程度前進が感じられたら、人や社会への行動などのメインテーマ領域に進めると思います。

たとえば、

>この3年健康回復に効果がある事を見つけられなかったので、

とのことですが、健康に良いこととは何か答え自体は、かなりはっきりしていると思います。まずは食事と睡眠と運動のバランスです。そのそれぞれについて何かやってみましたかな。
「効果がある事を見つけられなかった」とは、そうした答えそのもの分からなかったということか。それともそうした答え理解していても実行できなかったということか。ならば何が妨げだったのか。そのようにしっかり着実に問題を整理して取り組んでいきます^^。

恐らく、ちょっとした躓きがあるとすぐに自分「何もできない」とかのマイナスイメージ当てはめるがあるのではと思います。まずはごく普通自分で自分の身の回りを世話できるための学び領域から、焦らず一つ一つに取り組んでいくとよろしいかと。

それをまずごく日常生活で取り組み、「自分の考え」を整理して持てるようになったら、それによって自分の内面感情も整理することに手がつけられるようになります。あとはそこで整理してみた内面感情の問題内容に応じて、そこからまた次の取り組み局面へ、という流れになると思います^^。


いつもありがとうございます。 / irohasu
No.471 2012/06/28(Thu) 19:09:43

また質問させてください。

音の件については、知らない間に気にならなくなってました。
ありがとうございます。


島野さんに以前アドバイスいただいたとおり、仕事のスキルをつけていけば人への苦手意識が少なくなるというのは本当だと思います。
しかし、やはり私は人が苦手です。あと心が繊細で弱いです。
仕事で違う部署の人との会議があるだけでも憂鬱です。交友関係を広げていく自信もないです。
今のままの自分でも強い心を持っていれば仕事していくうえで問題ないとは思うのですが、些細なことで傷ついてしまう弱い心、これから先交友関係を広げていけるかといういらない心配をしている弱い心を持っている自分が、これから先仕事をしていけるか心配です(今もかなり無理して職場にいっています。いつでも休職したいです)

今のこころの状態で仕事を続け、管理職など到底なれそうもありません。(悩みすぎて病気になると思います)

やはり、人には向き不向きもありますよね?
今は広く色々な人と仕事をしていく仕事をしています。
職人さんのような、自分の技術を極めていく仕事をしようかと思っています。


 
「自らによる成長への模索」へ^^ / しまの
No.476 2012/09/09(Sun) 18:40:02

長らくお待たせしましたが(^^ゞ)、昨日のブログでもお知らせの通り、サイト取り組み実践解説ページ以下の場にて大よそのアプローチなど書いていますので参考頂ければ^^。
「取り組み実践」への理解(4) まずは「問題の捉え方」から

要点3つくらいになるかと。

irohasuさんの場合明らかに「最初の一歩」段階終わったところで、これからは「自らによる成長への模索」進む必要がある。
多少変化を感じたものの「自分はまだ・・」という悩み内容をざっと書いて頂いた形になると思います。それを、「これが悩みです。どうすればいいでしょうか」質問をする形ではもう進めず「この悩みの克服方法について自分が考えるところでは・・」というで、島野ヒントを求めるにしていく必要がある、ということです。
その先「自分では全く分からず」となっても構いませんので、「これこれの克服とは・・」というテーマ文章として考える練習などして下されば。言葉道具ですので。

「自分の心の印象」にじっと見入ってばかりいずに、「具体的成長材料」もっと目を向ける。
これがまた大きく2種類で、
 1)「気持ち」ではないノウハウ・・・上記実践解説ページ内参照^^
 2)内面動揺の自己分析および克服理解・・・「些細なことで傷ついてしまう」具体的内容で取り組む

ざっとそんなところですね。材料あればまたご質問頂ければ^^。


自分の対応力を向上させたい / ゆんす
No.473 2012/09/04(Tue) 19:42:56

以前、投稿させていただいた、ゆんすです。

以前ご相談したときに、具体的な例があった方がとのことでしたので、具体例と合わせて相談致します。

私は、何かとっさの対応がすごく苦手です。

例えば小さなことですが、今日会社で、上司宛に大きな荷物がきました。たまたまその上司が外出中だったため、私が受け取ったのですが、配送の方がフロアの中まで荷物を持ってきてくれたのに、どこに置いていいかとっさに分からず、とりあえずフロアの端においてもらいました。

そのあと、周りの人に聞いたところ、あそこにおいた方がいいよとアドバイスをもらえ、結局その聞いた方が荷物を移動させてくれました。
配送の方が来たときに、周りの人に聞いておけば、あとあと移動する手間も省けたのに、と周りに迷惑もかけたし、落ち込みました。

こんなような、あのときもっと上手く対応しておけば、ということが多々あります。

また、仕事をしていても、どこまで自分がやって、どこから相手がやるべきか、その境界線がわからないことがあり、背負いすぎてしまうことが多く、会社では三年目になるのに、分からずあとで苦しんだり、悩んだりすることがおおくあります。

また過去の過ちが心から離れない。
例えば、これは2年ほど前の話なのですが、上司が休暇明けにお土産を買ってきたと私にくれました。箱ごとくれたお土産で、⭕さん(私)には迷惑をかけたからという言葉から、丁度休暇中、その上司の担当業務を代行してたこともあり、私にくれたものだと思い、もって帰ってしまった・・
ただあとあとの経験から、それは私に渡されたものではなく、みんなに配ってと渡されたものだと知りました。恥ずかしいが、もう過ぎたことだからしょうがないと思いつつ、自分の対応力のなさに唖然とします。
一気にいろいろな相談をしてしまってすみません。何とか変えていく方法はあるものでしょうか・・・。


 
「価値目的思考」の先にある「対応力」 / しまの
No.474 2012/09/05(Wed) 10:27:28

下にお待ち頂いているご質問の方は、先日アップの、
『「取り組み実践」への理解』 「学び」への入り方
で言う「自らによる成長への模索」段階になると思いますのであと少し解説を書いてからコメント入れたいと思いますが、これはごく日常の向上テーマ知恵とノウハウヒントということで先に入れておきましょう^^。

一言で言うとこんな感じです。
“「対応力」などという言葉を使って考えているうちは、対応力はつかない。
「価値言葉」を使って「目的思考」で思考せよ”

と。

現状は、「対応力のある人」という印象イメージ自分に当てはめようとするばかりで、実際に対応力をつける方法という中身への思考がない状況と見受けられます。
これなんかまさにその印象を感じさせる言葉ですね。

>自分の対応力のなさに唖然とします。

対応力をつけるとはどういうことか、そのためにはどうすればいいか、そして自分現在対応力実力度はどうか、といった内実思考ないまま、「対応力のある人間に・・」漠然と思考しているだけだから、現実場面に出くわすと「唖然とする」なんてことにもなる^^;
上述の“「価値言葉」を使って「目的思考」で思考”できるようになると、その全て先に見えてきます。対応力をつけるとはどういうことか。そして自分の今の実力は、と。

「価値言葉」を使って「目的思考」で思考するとは、どんな価値を生み出すために、どんな方法どんな行動を取ればいいか、と考えることです。
上司宛て荷物の受け取りであれば、生み出すべき価値は何か。その優先順位は。
人の邪魔にならないこと。オフィスの美観を損ねないこと。
ではありませんね。まず何よりも、上司がそれを間違いなく受け取れることです。
ならばまずは、上司の机の上にど〜んと置くことから、僕なら考えるんですけど・・。ま机の横でも良し。関係ない人「あそこに置けば」と言われたのに従うのだと、ちょっと行方不明になる可能性あるような・・^^; 上司に届く荷物の配置ルートというのがあれば話は別です。
そういうこことを、まず考えていくということです。

「対応力」というのは、そうした「価値目的思考」常日常において積み重ねていく先に、30代40代頃にまずはなんとか、というものになると思いますので。

それがこうした些細な行動から、より本格的な仕事の能力、さらには会社の経営なんて話にまで、一貫するわけです。この作業はどんな価値を生み出すためのものなのか。どうすればそれがより向上するか。そうした思考仕事進められるようになると、次第に人からも信頼されるようになります。その先に、自社の価値とは何か、強みとは何か、という思考ができるようになった時、上の方でも働けるようになるわけです。

>過去の過ちが心から離れない。

失敗から学べてないからです。失敗を糧として学ぶ姿勢、そしてそのための内実の思考を持ち、その失敗から学んだことが、その失敗を越える成長を自分に与えた糧なのだと感じることができた時、その後悔感が心の根底から消え去ります^^。それまでは「心から離れない」のがむしろ正解だ、と覚悟するのがお勧めです^^。

あと、

>配送の方が来たときに、周りの人に聞いておけば、あとあと移動する手間も省けたのに、と周りに迷惑もかけたし、落ち込みました。

というのを見ると、「周りに合わせる」のが正しいことだと感じている面があるかも知れませんね。これはちょっと捨ててしまった方がまず無難というか正解です。結構勘違いしている人が沢山いますので。「周りの人」に聞いて出た答えというのは、まずは間違いだというのが僕の長い社会人生活からも言えることです。
正しい答えは「しっかりした概念言葉」から出るものです。「周りの人の言う事」どれが正しいかも、それがどうしっかしりているかで、おおよそ判断できます。

>また、仕事をしていても、どこまで自分がやって、どこから相手がやるべきか、その境界線がわからないことがあり、背負いすぎてしまうことが多く、会社では三年目になるのに、分からずあとで苦しんだり、悩んだりすることがおおくあります。

であれば、「役割分担」「役割配分」です。これは事前に決めておく必要があります。人によって作業量にあまりにも差が出てくる場合は、上司チーム会議に提案して、「役割配分」修正してもらうという大上段からのアプローチが必要です。また作業入る前には必ず完了予定見通しを立て、無理が出そうであれば作業に入る前に調整する必要がありますね。

参考まで、『入門編下巻』該当する説明など添付しておきましょう^^。
====================
 「価値とは何か」について思考し、話すための、一大探究領域が、私たちの社会にはあります。「価値言葉」を使って、ものごとを思考し、人と会話をする練習をしてみて下さい。
 あの人はどうだ、この人はどうだ、という言葉の使い方をするのではなく、ここで生み出される価値とはこれこれです、これこれの価値を生み出すためにはこうすると良い、といった言葉の使い方をします。

 仕事、趣味、家庭と日常生活、その全ての場面にそれがあります。
 仕事であれば、「品質」や「効率」の向上、「お客様の満足」の向上、そのためのさまざまな工夫。「コンプライアンス(法遵守)」なんていう言葉がCMでも流れる時代です。覚えると良い言葉が沢山あります。
 自分で手足を動かして行う趣味を持つのが、やはりお勧めになります。楽しく過ごせる時間が人生でグンと増えてくるからです。そこには「向上」のための「知識」と「技術」が沢山あります。人との交流の機会も増えます。
(P.212-213)
====================


あとこんな言葉も、そのあとに出てきますね^^。
====================
 これは特に、来歴において自らの「存在の善悪と身分」に傷を負ったような挫折感情がある場合に、その克服のために決定的に重要になります。
 この姿勢は必ず、人からの信頼を得ることができます。それがやがて、心の傷を凌駕するのです。
(P.214)
====================


周りが反応? / しっぽ
No.469 2012/05/29(Tue) 22:39:32

先日はお返事ありがとうございました。
他の方も咳が気になる、という内容で相談なさっていましたが、
自分は、周りの人に咳、ストレス?を起こさせてしまっている様な気がします。
例えば、すれ違いざまに明らかに自分だけ痰が絡まったような咳をされたり、
自分の近くにいる人がかなりの頻度で鼻をすすり始める事が多いです。
気のせいと言えたらいいですが、それにしてはあまりに酷いです。
自分で書いていて、馬鹿らしいと思うのですが、周りからそういう反応をされると悲しいし、申し訳ないし、イライラもします。特に母親は常に咳をしています。それが一番嫌です。
自分でもなんとなく理由は分かっています。自分は視線恐怖症で、周りに人がいると常に緊張する状態なので、自分の緊張が人にも伝わり、周りの人が咳や、鼻をすするのかなと思います。また、苦手な人、意識する人から咳などをされる事が多く、愛されたいという気持ちも背景にはあると思います。
視線恐怖症など、症状が自分だけに収まるのなら、自分で処理もできますが、周りの反応が気になり出すとどうしても止められません。毎日この状態で、ああ、どうせこの人も自分に咳をするんだろうなと思うようになってしました。
どうにかこの状態を止める方法はないでしょうか。


 
「関係念慮」へのアプローチ^^ / しまの
No.470 2012/05/30(Wed) 10:35:58

これは即答しましょう^^。

ハイブリッド心理学取り組み実践としては、まずはとにかく感情を鵜呑みにしない、客観的思考築くことに取り組みます。

人が咳をするのは、まずはその人の喉の調子が悪いのが基本的な原因になります。それは風邪であったり、もっと重い病気のこともあるし、ごく日常での喉のいがらっぽさだったりします。年中咳をする人ゴマンといます。僕も今意識してみますと、今朝起きてから5分に一度(それ以上?^^;)は咳をしている^^;

書いて頂いたものは、典型的「関係念慮症状」という感じになりますので、一般的なカウンセリングでは、どうしてもやはり「気にしすぎです」「気にしなければ何も問題ありませんヨ」言われて終わりになってしまうと思います。精神科に行くと下手すると薬飲まされるか^^;

ハイブリッド心理学からも、そうした「関係念慮」すぐなくせるような手軽なアプローチはありません。言えるのは、その場面よりも他の日常一般において、いかに感情でものごとを考えない、科学的客観的な思考を築くかが、取り組み課題になるということです。
日常思考として客観的思考定着した時、他人の咳についての感じ方・・否、感じ方は変わらなくても考え方変わると思います。そこから、なぜそのような関係念慮感情が起きているのか、「愛」「自信」といったテーマから自己分析できるようになる。そして自分の感じ方深層に潜む不合理自覚すると、関係念慮感情消える、といった流れが考えられます。

とりあえずざっとアプローチを書いてみました。もし実践なさるならば、まずはその場面よりも他の日常一般において、いかに感情でものごとを考えない科学的客観的な思考できているか確認からになりますね^^。


本を探しに久々に外出^^ / ゆうすけ
No.466 2012/05/23(Wed) 13:56:42

私は今になってようやく、前を向けた気がします。自分は3年近くの間自己分析など続けて、心の落ち着きを得て、だいぶ成長してきたと思い込んでただけでした。本当は一歩も進んでなかったという実感が沸いてきました。
私の、「ひきこもり」という状態から何も成長していないし、正しく成長に向う道ではなかったというのが現実でした。
島野さんの心理学の成長の道をわかっているつもりでしたが、やはり自分に当てはめてしまってる状態でした。
私に必要なのは、「行動法」(賢さ)なのかと今は思います。
人と上手くいかない理由を、永遠と自分の中に探し続けていたような気がします。
なんだか振り出しに戻ったような感じですが、次は「ハーバード流交渉術」など、「賢い行動法」など学んでみようと思います。


 
Re: / ゆうすけ
No.467 2012/05/25(Fri) 12:05:26

追加でごめんなさい。

私は前進してないようで前進していたのかもしれません。スタートラインに立てない状態から、立てる状態へと前進していたのかなと思います。

私に残された障害は「望みに向う怖れ」だけなのかもしれません。
(前進してない気がしたのは、心の良さによって望みが満たされるという幻想を持ってたからみたいです。w)
心理学によって確実に前進してる事を知ってもらいたくて、何度か投稿させてもらってますが、具体的に何が役に立ったかというのを伝えるのは非常に難しいです。
その時その時にあった、考え方や価値観を心理学から取り入れるようにしてきました。
YAHOOで検索するときに、「(その時のテーマ)スペース島野隆」と検索して、ブログをみると非常に便利でわかりやすいかも。


 
Re: 本を探しに久々に外出^^ / しまの
No.468 2012/05/26(Sat) 23:16:20

自身の取り組み状況把握については、今日更新アップしたサイト「ハイブリッド人生心理学とは」「歩みの道のり」パラグラフ「横の軸」「縦の軸」という説明など参考頂ければ^^。
「縦の軸」については10年20年といったスパン振り返れればいいかと思いますので^^。

「ハーバード流」については、この掲示板で最近何度か触れた、
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)

「ハイブリッド心理学が指定する必読書」位置づけたいものになりますので、まずはこれなど入手検討すると良いかと^^。


(No Subject) / ゆうすけ
No.463 2012/05/21(Mon) 06:44:12

島野さんのブログのどこを見たのか、いろいろなところで見ますが。
成長は、「望みに向う中で得られる」という言葉を知って、私は自分の「望み」について、紙に1,2、3と番号を振って書き出してみます。
一見すると、良く分からない「人に多くを与えられる人になりたい」という望みもありました。
この望みは具体的になんなのか、分析、分解してみて、そうなる事で自分はどう感じるのか?を本心を突き止めていきます。
具体的には
【【私にとって、人に与えられる事は喜びでした。「喜び、楽しみ、自由、気持ちよさ、癒し、温もり、エネルギーなどなど、魂のプラスの感情すべてに向かい出し尽くす事、それらを人と共有する事が一番の幸せなんだ」と感じました。魂のプラスの望みとは何か考えていると、「生き物としての生きるというテーマ」にとってプラスになる物なんだと感じました。そして、「命を命のままで居させようとする自分の内のエネルギー」にとって、仲間は共通の目的を持ったこの「命の望み」にとって必要な仲間であるという事を自覚しました。】】
自分の望みの真意を知ろうと、深く深く掘り進めると、そこには、「命のエネルギー」があるように感じました。
自分が本当に何を望んでるのかひたすら紙に書いて、「これは!!」という感覚によく至ります。w
それでも、その感覚は一時的なものですね^^;


 
Re: / ゆうすけ
No.464 2012/05/21(Mon) 06:47:01

「仲間」は共通の目的を持った⇒「他人」は共通の目的をもった
誤字でした><


 
「命の感性」への向かい方^^ / しまの
No.465 2012/05/22(Tue) 11:11:35

ブログ5/20『「命の感性」を感じ取る^^』で、どんなきっかけ「命の感性」を感じたのか書いてとお願いしたのに対して投稿頂いたものになりますね。

これはまずは望みに向かう姿勢と望みの自己分析(感情分析)引き金になったものと言えそうですね。「準備されていた」ものが引き出されたというタイプのものになるかと思います。

まあゆうすけさんの場合、以前にも「真摯さ、誠実さ、向上心」の3つは大体持っていたと自分で感じると書いておられた(No.315 2011/06/27ですね^^)こともあり、最初から「人に多くを与えられる人になりたい」という望み人に与えられる事は喜びと感じるものがあり、その根底にあるものじっくり吟味すると、そこに「命のエネルギー」が感じ取れた、ということになるかと^^。
「生き物としての生きるというテーマ」から考えるなどはとてもハイブリッド心理学方向性なじむものですね^^。

そうした「命の感覚」より永続的になるのは、すがすがしさ軽快さを増した心で引き続き、「現実世界」において今の自分を超える、より価値の大きい愛に向かう姿勢を続ける先にあるという話を、今日アップしたサイト説明「1.ハイブリッド人生心理学とは」でも書いていますので、ご参考頂ければ^^。


人間関係について / ゆんす
No.457 2012/04/23(Mon) 08:07:45



はじめまして。
サイトをみて、ぜひアドバイスをいただきたいと思い、投稿しました。
人間関係についての相談です。
自分の理想の通りうまく言っているときはいいけど、一人になったり孤独を感じると、すごく怖いです。
小学生のころ、学校でも家でも孤独や、周りに愛されず、放置されている悲しみや不安を感じていて、自分なんていてもいなくても誰も悲しまないし、気づかないと感じていました。
それが、大人になるに連れて、友達も少しずつ増えて、家族との関係もよくなりました。
だけど、心のどこかでいつも不安。そして、人より劣っていることや、孤独な面を感じると、不安で仕方なくなります。みんなきっと私とは仲良くなりたくないんだろうな、とか思ってしまいます。
こういう考えが、幼稚なことはわかっていても、自分の中に染み込んでしまっていて、表面をかえようとして、明るくしても、すぐに戻ってしまいます。

また、コミュニケーション能力や臨機応変に対応する力にかけていて、空気を読むだとかそういうことができません。一対一や、心を許している人の感情はわかるけど、うまく切り替えしたり、組織のなかでうまく行動することができず。何かいい案が生まれても、人に、了解をとらないと行動できません。その親しい人でも、自分以外の人とのコミュニティで楽しんでいるとすごく不安になります。
また、大学時代にバイト、サークルの人間関係がうまくいかず、仕事ができない、とかいわれたこともあって、またそれがすごく恥ずかしくて情けなくて、今は会社でそう言われないようにがんばっています。
理想の自分は、仕事や人間関係がうまくできて、会話もうまくて、周りにたくさん人が集まってくるような、そんな人なのに、いつも孤独で、集団の中にいても浮いているような気になってしまう。
興味をまわりにもたれないこと、少しでも冷たくされると、嫌われてるのでは、とかやっぱり私なんて…という気持ちになってしまう。
もっと愛される、華のある人になりたいです。
そして、不安を感じない人生を送りたいと思い、相談しました。
長くなってしまい、すみませんが
ハイブリッド心理学では、どういう順序で私は健康な心へと、変われるのかアドバイスをいただければと思います。よろしくお願いします。


 
「華のある人に」ではなく「自分の花を」^^ / しまの
No.459 2012/05/02(Wed) 11:56:54

サイトの方での入門レベルからのまとめ直し作業とのかねあいを考え、ちょっと遅くなりましたが、多少言葉が浮かんだものがありますので書いてみましょう。

浮かんだ言葉とは、格言としていつでも思い出せるようにしたもので、このご相談に対してこんな言葉が浮かびます。

「人は華のある人になろうとして華のある人になるのではない。
自分の花を咲かせるかどうかなのだ。
その時、自分が華のある人なのかどうかは、もはや問題ではなくなる」

と。

外から眺めた人物印象望み抱くのはいいのですが、そこには前進力はありません。書いて頂いたように、人にどう扱われるかどう見られるか意識が次第に吸い取られ、心が活力を失っていくだけです。そしてまさに、誰にも関心も持たれない、一緒にいてもつまらないと思われるとしか感じられなくなっていきます。

外から眺めた人物印象望み抱くのは、それはそれで置いといて、自分から何に興味を持つのか、そして目の前の生活課題や対人行動方の課題への対処法などを、ひとつひとつ答えを学んでいくことが、やがて自分の花を咲かせることにつながる歩みになります。

そうした一つ一つの問題に、答えがあります。どうすれば良いコミュニケーションができるか。どうすれば仕事うまくできるようになるか。どうすれば不安恐れ消し去れるのか。
それは「こんな人になれれば」という外から眺めた人物印象あれこれ考えるのではなく、そこにある具体的問題一つ一つ明確にして、一つ一つ答えを学んでいくことからです。

それを島野手を取り足を取ってあげて連れていってあげるようなカウンセリングは、この心理学行うものではありません。「自らによる成長」ということで、まず何から学びたいか、まあまずは一番気になる場面などからでいいと思いますが自分で決めて、一つ一つについて相談質問して頂くと良いかと^^。

悩みの内容人それぞれですが、心の成長道筋とそのための実践は、の場合も同じです。
これについて知りたい情報がどこにあるかのインデックスや、参考になるメール相談事例集などこれからまとめていきますので、まだいろいろ不便かと思いますが、最近のものとしては2011/12/14最初の投稿となっておられるirohasuさんとのやりとりが、従来のメール相談だとこんな感じというものをほぼ同様この掲示板で行っているものになっていますので、そんな感じでこの掲示板を使って頂くのもよろしいかと思います^^。


 
Re: 人間関係について / ゆんす
No.461 2012/05/09(Wed) 08:29:31

しまのさん、お返事をいただき、ありがとうございました。
教えていただいた格言は、何だかとても私の中で大きく心を動かされました。
今まではただ周りを気にしてばかりでしたが、自分の足で進んでいかなければだめですね。
教えていただいた方の相談も見てみようと思います。

日々の生活の中での具体的な悩みについて、一つ相談させてください。

私はよく、人から天然、だとか、適当、だとか、言われます。
また、人の自分に対する発言がバカにしているな、とか私のことすごく下にみているな、と思うことが多々あります。そして、そう感じるたびにひどく落ち込みます。
きっと、その自分の発言自体を見直せばいいのだと思うのですが、どこが間違えているのか、恥ずかしながら自分ではわかりません。
そもそも、人によく見られたいという意識が高すぎるのかもしれないのですが、そのような場合どのような心もちで人と接していけばいいのでしょうか。
やはり自分の発言について一つ一つ見直していくのが一番なのでしょうか。


 
Re: 人間関係について / しまの
No.462 2012/05/11(Fri) 15:57:29

これはやはり、

>やはり自分の発言について一つ一つ見直していくのが一番なのでしょうか。

の方が正解ですね^^。

>そもそも、人によく見られたいという意識が高すぎるのかもしれないのですが、そのような場合どのような心もちで人と接していけばいいのでしょうか。

人に良く見られたいという意識が高すぎても良しとして、問題は実際に人に良く見られるようなものの見方考え方を、どうこれから一つ一つ身につけていくかだと、そのための学びの場があるという心持ちで接するといいと思います^^。

「実際に人に良く見られるようなものの見方考え方」というのは、結局のところ占い師の言うような言動の世界ではなく(^^;)、生きる上で重要なことがらについてごく初歩的な科学的知識からしっかり思考を積み立てていけることだと思いますね。
これはブログでも最近の『特説・「心が良くなる」とは』シリーズでも詳しく解説していますので^^。

自分の思考一つ一つ見直すというのは、最初から自分でというのは結構難しいと思いますので、何か具体的材料あげて質問頂くとよろしかと思います。新規トピックでがよろしいかと。
それを幾つか踏まえて、思考のアンテナ根元のズレ気づいて直せれば、以降自分でも手早く自分の思考のヘンなところ(^^;)気づけるようになる、という道筋になると思います^^。

いずにせよ内容のしっかりした思考というのは、昨日ブログ『写真と言葉』で載せた『一つのものごとを考えるのに、常に人よりも2時間多く時間をかけることを惜しむな』というのが王道になります。
その点、人に接する時ではなく、人に接する前のその姿勢が、重要になります^^。

      管理メモ:No.456およびNo.460は投稿者により削除

進展 / しっぽ
No.455 2012/04/18(Wed) 20:32:18

こんにちは。
このサイトを見させていただいてから4ヶ月程経ちます。
自分は、中学校三年の時、自分の大人しさと色々な巡り合わせもあり、ほぼ孤立の状態になりました。この一年を耐えれば、という事を頼りにし、一人の休み時間などの苦痛も乗り切りました。しかし、問題がそれだけで済むほずもなく、人との距離の取り方が分からなくなり、自分に自信も失い、視線恐怖症にもなりました。
一人の自分に何かできるものをと思い、勉強は頑張り、高校は進学校に進むことができました。高校一年の時は、対人恐怖症でおどおどしている自分がなぜか好感を持たれ、みんなからいじられキャラとして注目されました。
自分はそれまでそういう立場に立ったことがなかったのですが、一人になるのは嫌なので、いじられても笑って受け流し続けました。これは自分の神経を徐々に擦り減らしました。
人に相手にされるというだけで正直嬉しかったのですが、本当の自分じゃないので虚しさも積もりました。二年生になるとなかなか人を信頼出来ない自分は、交友関係を広げられず、、休み時間は殆ど一人で過ごすという時期が続いた事もありました。その頃から徐々に辛さに耐えられなくなり、抑鬱な気持ちが続いたり、死ぬ事ばかり考えていました。
そんな時にこのサイトに出会いました。
参考になる事が非常に多く、読むだけで心が軽くなり、人生にも希望が湧いて来ました。しかし、どうしても良くなった、と思ったら次の日にはまた元に戻るを繰り返してしまいます。特に現在視線恐怖症は辛い状態で、電車では顔もあげられない、授業中は隣の人を見てはいけないと思い、黒板を写すのも一苦労です。
もう三年になったため、受験もあるのにこんな状態ではだめだと思います。
また、授業に集中できないのに悩んでばかりで家でも中々勉強に手がつきません。
まさに惰性で生きている感じです。
このままじゃただただしんどい人生を歩む気がします。
少しずつでもいいので、着実に進歩できる方法はありませんか?

長文で非常に読みにくいと思います。申し訳ないです。


 
無駄な悩み(^^;)から抜け出す / しまの
No.458 2012/04/23(Mon) 11:11:34

通常想定している読者層より大分り若い高校生の方ということで、どんなアドバイスがいいかと考えるのに時間がかかりましたが、まずこんな話というのがとりあえず浮かびましたので書いてみましょう^^。

まず一言で言って、全く無駄な悩み方をしておられます。
解決などありようもない無駄な悩みを解決できないことで、さらに無駄に(^^;)自分を激しく責め、それによって輪をかけて無駄に、無駄な悩みが深くなる^^;
という感じ^^;

なぜ無駄かと言うと、成長によって、との関係社会での生き方人生で大切なことなどについて、感じ方自然と変化するものです。経験積み重ねの上に、より揺らぎないものへと。

無駄な悩みとは、そのような「成長」へ向くことなく、過去の「未熟」においては重要だったことがうまく行かなかったことにこだわり、それをどう取り戻せるかに躍起になるものと言えます。
まあ本人過去の「未熟」においては重要だったことが、これからの自分の人生でも一番重要なものだと思い込んでいるわけです。
それで、

>このままじゃただただしんどい人生を歩む気がします。

なんて気がしてくる。

今回のご相談の場合、気にしていることがらとは、
1)人に愛されるためには、こんな気持ちでこんな視線や仕草ができれば・・といった受け身意識で抱いた自己理想像あり
2)その通りにできない自分は駄目だ、という自己嫌悪感情起きる

というのが上述無駄の輪として(^^;)起きているわけですが、社会に出て重要になってくるのは、そんなことよりも、
・日常生活や健康さらには趣味などの知恵
・仕事のスキル
・対人行動法

といった知恵とノウハウ学び経験の中で習得し、それを人と共有することに親愛培われるというものになっていきます。
「気持ち」「視線」「仕草」は、あまり重要でなくなってきます。というか、そうした「中身」ないと、ただのはりぼてでしかないのが自他共によく感じ取れるようになってきます。

ですから問題とは上記2)ではなく、そもそもの意識前提1)の方の「歪み」なんですね。

ですからまあ視線とかを気にするのは、僕自身そうだったので気持ちは分かるのですが(^^;)、それこそ視線を上述のようなこれからの成長と人生向けることです。
そしてまずは受験勉強の中にそうした「知恵とノウハウ」入り口があるとまずは考え、適度な勉強時間などの生活リズム安定させるのをまず考えるのがよろしいでしょう。

そこで視線恐怖的な感情気になるのは、無理に「気にしない」というのではなく、下の『音について』 irohasuさんへのアドバイス『「王道の次に流す技術がある」』 No.454 2012/02/25で述べたように、「気にしながら目の前の作業ができるか試してみる」「気になるのを込みにして目の前の作業ができるのを探求する」という意識法正解です^^。

一方そうした視線恐怖感などの根底には、「愛」への願望というものがあり、これはどんな心の問題でも同じです。それについては、ただ受け身に求めているだけでは答えありません。まず目の前の課題向かうという体験の中で「成長」をする中で、自分自身の変化していく感じ取る中で考えて初めて、何か答えのようなものが見えてきます。
ただしこれも今すぐ分かるような話ではなく、大学へ、そして社会へと出る中で除々にと考えるのが正解です。

年齢的に言って、まず受け身に人にどう愛されるかではなく、いったんそれに別れを告げ、自分から何に興味を持てるか主題切り変える段階ですね。
あまり一つの心の状態じっと見入らず視野を広げる中でまた考えればいい、という姿勢で当たるのが基本的お勧めです^^。


音について / irohasu
No.453 2012/02/22(Wed) 20:50:12

こんばんわ。また質問させてください。

自分なりに色々なことを学び、日々の生活のなかで自分の心を直そうと取り組むことをやめ、本当の意味で一歩一歩自分の成長のために努力していく、ということがどういうことかわかってきました。

しかし、以前も質問させていただきましたが、音が相当過敏に気になります。気になり始める流れはこうです。

日々の生活のなかで、なんとなくある音が気になる
          ↓
その音がこれからずっと気になったらどうしようと考える
          ↓
それから毎日その音が気になる、気になってほかのことに集中できない、イライラする

今気になっているのは鼻水をすする音と、パソコンをタイピングする音です。
普通にしていればなんてことはない音なのですが、気にしだすともう駄目です。
これも心のからくりのようなものだと思うのですが、自分では解決できませんでした。アドバイスをお願いします。

自分としてはその音が聞こえてきても、その音に注目せず、それこそただ流して目の前の作業に集中するのが良いのではないかと思うのですがなかなか難しいです。


 
「王道の次に流す技術がある」 / しまの
No.454 2012/02/25(Sat) 18:18:24

irohasuさんには前回「王道を学べ」というアドバイスをしましたが(No.437 2012/02/03)、それを踏まえてさらに憶えておけるような格言で言うと、

「王道の次に流す技術がある」
となりますね^^。

「王道」心が健康で自立した世界における思考法行動法の知恵です。それを基準に、検討するのが良い重要なことから検討する。

「何かが気になって仕方がない」という問題であれば、まずは
1)心の健康という観点から、その気に仕方何か不合理な部分がないか。「音」であれば過度に自分への当てつけだと解釈するなど「関係妄想念慮」がないか、検討する必要があります。
2)それを差し引いても、気になるのが仕方ないもの、例えば「音」であれば各種の「騒音」が実際しばしば生活問題になりますね。これについては、多少とも大胆な発想を含めて、物理的回避方策への知恵を検討する。

といったものが、まずは「王道」検討項目です。
それでも残るものについて、「流す」という意識法の技術のようなものが出てきます。

今回の、

>今気になっているのは鼻水をすする音と、パソコンをタイピングする音です。

これはとりえあず関係念慮的な気になり方ではなく、大胆に物理的回避を検討するに値するものでもなく、「意識法」そのものの話になるかも知れませんね。


まず「外界現実への向かい方」重視の姿勢

そこでまず言えるのは、これは意識法触れる前にいちおう心にとめておくこととして、基本的感情でものごとを考える(その結果、感情の良し悪しに踊らされる思考になる)姿勢だと、当然ながら自分の快不快の感情が過度に気になります。「快」であれば自分が良くなっていると過剰解釈し、「不快」であればそれを取り除くことが人生の一大事と感じるように。

それが「外界現実への向かい方」重視姿勢になるごとに、自分の感情というのはあまり大げさに受け取らず、大きく構えることができるようになってきます。それが再び、起きるマイナス感情基本的に軽くすると共に、ちょっとしたことには動じなくなるという心の安定を生むという、好循環があります。

ですから、外界現実への向かい方重視姿勢でいることによって、今回のそうした音の気になり方そもそもなくなると言えるかも知れませんが、まこれは今後の話ですね。
今気になってしまったものは仕方ない。上述の通り、「王道の次に流す技術」という話になります。


「流す意識法」

そこで「流す意識法」。一般論として、あくまで必要な現実対処済ませた場合の話としてです。

今回のirohasuさんの、

>その音がこれからずっと気になったらどうしようと考える

がまさに意識法のミスで、「ずっと気になったらどうしようと考えることで、ずっと気になる」ということが起きている状況^^;

これは正解は、「それを込みにして働かせられる意識を探求する」というのが正解です。

>自分としてはその音が聞こえてきても、その音に注目せず、それこそただ流して目の前の作業に集中するのが良いのではないかと思うのですがなかなか難しいです。

気にせずに目の前の作業に集中する」のが良いと考えたでしょうが、それは間違いです。現に気になっているものを、ただ無下に気にならなくなるのを求めるのが、一番気になってくる意識の流れ^^;

気にしながら目の前の作業ができるか試してみる」「気になるのを込みにして目の前の作業ができるのを探求する正解です。
気になることは大いに覚悟し、はっきりもう気にしながらでも、意識がどう働かせられるものか試す、まあそれを調べてみる感覚で、目の前のことをやってみる。

「駄目だ、はやり気になる!」と来たら、まさにその気になり方において、それをします。

まずはお試しあれ^^。

「流す」というのはそのように、「気にしない」ではなく、「気にしても良し」というのが一般に「流す」という姿勢になります。
その先に、実際気にならなくなる・・こともあるかも(^^;)知れない。気にならなくなるのが良いと言う固定観念もまた誤りです。客観的大きさとして実際問題があるケースもあるでしょう。馬鹿力でキーボードを叩いているとか?^^;
まず対処ができることはやり、あとは流す。それで気にならなくなるかどうかは、まさに意識で気にすることではなく、「命」に任せるという形です。気にならなくなるとは、「命」気にしなくていいという判断を下したという形として。

まあ2、3週間ほどこれを試して、それでも気になるようなら、が実際何か異常な面があるかどうかから含めて、ここで書いた検討手順頭から再度やってみることになります。多少別のものが見えてくる。以降同じです。


血糖値と精神状態 / C子
No.451 2012/02/20(Mon) 11:13:05

ハイブリッド心理学とは直接はつながりませんが、間接的な影響の大きなものとして、「血糖値の状態に精神が左右される」という話をします。
血糖値や栄養のコントロール+ハイブリッド心理学の取組が、私にはベストのようです。

20年近く悩んできた体の湿疹が、糖質制限をしてかなり減ってきました。
空腹になると冷や汗や動機、精神的な緊張、パニック感、食後は異常な眠気、常に理由なく鬱っぽい感じ。
5時間糖負荷検査に行ったところ、低血糖症との診断でした。

低血糖症とは、砂糖や精製された炭水化物による血糖値の急上昇に、すい臓がインスリンを分泌しすぎて血糖値が必要以上に下がる症状です。
血糖値を上げるため、アドレナリンなどのホルモンが分泌され、怒りやすくキレるようになります。
グーグルで検索すればたくさん出てきますが、こちらなど参考に。
http://www.health.ne.jp/library/5000/w5000365.html

主食を白米ではなく玄米かライ麦パンにし、 炭水化物を減らし、砂糖を避ける生活を続けていますが、上記のような状態にいまだ陥っていません。
考え方だけでなく食生活も、精神状態に相当の影響を受けるという事を痛感しました。

また、クリニックの診断で、体内の貯蔵鉄分である「フェリチン」がほとんどありませんでした。
こちらも不足するとうつ状態を誘発しやすいようです。

食事が変わると脳が変わる、それをハイブリッドを実践する読者の方々にも知らせたくて書きました。
食事療法 +ハイブリッド心理学の実践で、精神状態の改善が加速する人もいると思います。


 
訂正 / C子
No.452 2012/02/20(Mon) 11:16:43

×考え方だけでなく食生活も、精神状態に相当の影響を受ける
○考え方だけでなく食生活も、精神状態に相当の影響を与える
ですね。

      管理メモ:No:450は投稿者により削除

価値観の見直しについて / C子
No.448 2012/02/18(Sat) 22:42:22

「他人から白い目で見られる」という感覚が、実は自分の自己中心性を投影したものだという事が、最近自覚できるようになってきました。
自身の攻撃性や、他人への容赦ない「存在の善悪観」もまた、洗い出されてきたと思います。紛れもなく自分が、積極的に抱いてる価値観だという自覚です。

それはちょっとしたショックではありました。どこかで自分は「善」だと信じていたからです。
自分が断罪される側になって、その残忍さに絶えられなくなり、違う価値観を検討する段階になった。
今までなら自滅を選択していたのでしょうが、そこは進歩を感じます。

他人との関わりにおいて、以前ほどの強い「2者関係」を求めなくなってきました。
もう少しさっぱりしたものに変化しているのを感じます。
美男美女でも特別な能力がなくても、そこまでの愛がなくても生きていていいし生きていけるのだと。
自分だけに対する特別な濃い愛情でなくとも、他者との関わりでそれなりに満たされる事にも気づいたからです。
これも私には衝撃でした。濃い愛が与えられなければ生きていかれないと思っていたからです。

以前の、強力な美貌や能力で振り向かせ、努力や考えることなしに得して生きていかれる筈だといった発想は、20代だからあったのかなとも今は思えます。
今もその願望はありますが、それが全てというほど、現実世界は単純ではないとさすがに思います。本当に、自分が空想の世界で生きていたという言葉がよくわかる。

他人に対し「こいつはどうせこういうバカな奴に違いない」と思い込む。
でもそれは、自分自身が相手をそのようにしか想像できないアタマしか持ってないという事だと。
逆に自分自身がそういうバカな部分を持っているような気もする。

そのように、色々と洗い出されてきています。
とはいえまだまだ残る「存在の善悪観」にどう向き合ったらいいものか、自分が「存在の悪」側になってしまったので、自分を否定し卑下することがつとめだという発想が湧いてくることもある。
その辺が今後の課題ですね。


 
Re: 価値観の見直しについて / しまの
No.449 2012/02/19(Sun) 11:28:40

>とはいえまだまだ残る「存在の善悪観」にどう向き合ったらいいものか、自分が「存在の悪」側になってしまったので、自分を否定し卑下することがつとめだという発想が湧いてくることもある。その辺が今後の課題ですね。

「価値観の見直し」作業というのは、感情の見直し作業としてだけで進めるのはかなり難しい面があるかも知れませんね。
まずは「別の価値観での全く違う行動」だとどんなものになるか、といった検討を、自分から行動する場面課題で考えるのがいいかも知れません。
そうして外面での「別の価値観での全く違う行動」基準になることで、感情の見直しとしての価値観の見直しができるようになる。これは言える着実な形です。

これはちょっと前に、
『立ち位置について』 B子さん No.419 2012/01/05
へのレス
『 「自分に対する論理的思考」の基本』 No.424 2012/01/14
で書いた
==================
右ハンドルの建設的思考法行動法が実際どう役立つのかを考え、それに対して自分の内面感情はどんな立ち位置にあるのか検討するといった実践を、具体的材料ベースで進めていく
==================

というのと全く同じ話になります^^。


はじめまして / あおの
No.446 2012/02/17(Fri) 21:18:21

先日より、島野様のサイトを検索で見つけまして、読ませていただいています。

論理的な考え方について、教えてください。

人に確かめるつもりで聞いたことが(「今日は2時間の約束」など)
要望されていると思われ、文句があるなら、やめようか、といわれることがあります。

そういった場合、どうしていったらよいのでしょうか?

自分の思った意思とあいての捉え方、解釈に隔たりがあり
それを埋めようとすると、どんどん、お互いの受け皿で受け取れないという
形に発展し、最後は「もうやめよう」と縁が切れることが多いです。

とてもつらく、そのたびに「生きる価値」を問い直してしまいたくなります。
感情的になり、「私なんかが生きていていいのか」と。

明日、その方とお話しをしなくてはいけなくて
毎回、こうして解釈の違いが生じるため、すごくつらいです。

どうやって、正しい解釈を見つけていけばよいのでしょう?
世の中を見て(いるつもりで見れていないのかもしれません)考えても
表現の仕方、思いの伝え方が分かりません。。

そして、実践篇の中で「論理的に考える」パズルの話しがありましたが
何度読んでも、答えがみつけることができませんでした。
どうやって、正しい論理的な答えを見つけていけば、いいでしょうか?


 
Re: はじめまして / しまの
No.447 2012/02/18(Sat) 15:07:07

お急ぎのようなので手短に^^。

まず「論理的な考え方」「論理的思考」というのは、感情に流されずに考え行動しましょうという基本的な話で、あとは問題の内容に応じて、心の健康と成長に向かうための考え方を学ぶという形になります。

人との接し方であれば「対人行動法」ですね。
ハイブリッド心理学でお勧めしているのは「建設的対人行動法」です。これについてはブログの以下など参照頂ければ。
2010-05-18『3つの「行動学」』

2.「建設的対人行動法」


そこで書いているように、「まず自分の目標、自分の利益をしっかりと考える」のが大切ですね。
まず自分は何を望んでいるかから、考えてみます。

ただそこで、

>とてもつらく、そのたびに「生きる価値」を問い直してしまいたくなります。感情的になり、「私なんかが生きていていいのか」と。

と感じてしまう状況とは、あまりにも受け身になってしまっているのが原因だと思います。あまりにも受け身に相手からの愛情を求めている、ということかも知れません。

今その相手への行動としては、あまり性急に考えず、ゆとりを持って多少間延びも良しとして、互いの意向がうまく一致する部分で一緒に行動できれば良しとして構えるのが良いかと思います。

その一方、日ごろの生活での思考などにじっくり取り組んでみるのがお勧めですね。まずは「一歩一歩の向上思考」などから。生き方を学ばずして生きる意味を問うなかれと^^。
まだかなり整理途上の心理学ゆえ、どこに何が書いてあるか探すのが大変かと思いますが、まずはブログの最初の方から(『月別全記事』で参照可能^^)のんびり読んで頂くというのが一番手ごろかと思います^^。

「一歩一歩の向上思考」については最初の方の記事一覧を見ると探せると思いますので^^。
記事一覧・「最初の一歩」まで


自分なりにまとめてみました / ゆうすけ
No.442 2012/02/15(Wed) 17:55:11

中学生の時に始まったと思います。人前でしぐさがきになるようになったり、上手く笑えないと感じるようになった事です。
高校になってそれがエスカレートしたように、人前で冷や汗をかくようになったり、人にどう接していいかなど、わからなくなり学校へ通えなくなりました。
その流れで、外出自体が困難になりました。
家にいるばかりの生活で、焦りや不安などでもうどうしようもなくなって、自殺も何度も考える中で、自分を見つめるきっかけをその時読んでた本から見つけました。

島野さんの心理学に出会って、まず初めに読んでいたのが、「心理感情メカニズム」http://tspsycho.k-server.org/mech/mech_frame.html
このページで知った事は、自分が心理障害にある方と、同じ流れの中にいるという事でした。このページは、すべて、隅から隅まで自分を理解するために役に立ちました。

ではどうすればこの障害を克服できるかと探していた時、どこかで見た図なんですが(泥水をかき混ぜて、その泥が少しずつ減っていくような)感情の膿が消える様子を書いてた図なんですが。
それは、心の中の感情の塊を理解する上ですごく分かり易かったです。
「感情分析」http://tspsycho.k-server.org/ana/ana_frame.html

自分の不安や怖れ、怒りなどを吐き出そうとノートにびっしりと感情を思ったままに書き続けました。

ふとした時に、すごく気持ちが楽になってるのを見つけられた。

感情が出尽くして、どこへ進めばいいかわからないとき(何を感じて、何を見つめればいいか分からなくなった時)
ブログ1
http://tshimano.blog110.fc2.com/blog-date-201003.html
ぶろぐ2
http://tshimano.blog110.fc2.com/blog-date-201005-5.html
ぶろぐ3
http://tshimano.blog110.fc2.com/blog-date-201007.html
を参考に自分に当てはめながら、進んでいきました。

自分の中の思い込みに気付く時はとても感動した記憶があります。
自己建設型の生き方
http://tspsycho.k-server.org/base/base_frame.html
ここの「10種類のマイナス思考」という項目では、思い込みという物の大きさに驚かされてとても感動しました。

後は、感情とのぶつかりを何度も味わって、受け止め続けるという姿勢でした。
基本的にずっとこの姿勢でした。

そして、最近の書き込みに至る感じです。
こういう説明で良かったかわかりませんが、役に立てれば嬉しいです。


 
Re: 自分なりにまとめてみました / しまの
No.443 2012/02/16(Thu) 18:49:28

さっそくのレポートどうもですー。とても参考になります^^。

>ではどうすればこの障害を克服できるかと探していた時、どこかで見た図なんですが(泥水をかき混ぜて、その泥が少しずつ減っていくような)感情の膿が消える様子を書いてた図なんですが。

『過去原稿』『ハイブリッド心理療法とは』の以下に収録のですね^^。
ハイブリッド心理療法とは 3.進め方の概要

あと僕のサイトおよび出版本展開参考にしたくインタビューしたいのですが、以下どんな感じでしょう。

1.
>自分を見つめるきっかけをその時読んでた本から見つけました。
これはどんな本でしたか。

2.
>島野さんの心理学に出会って、
いつ頃(あげて頂いた原稿からすると2009年頃?)、何で知りましたか。

とりあえずその2点
あげて頂いた旧原稿の分かりやすい部分は『実践編下巻』に収録するなり『実践ガイド』からリンクするなり、今後また整理したいと思います^^。


「愛に命をかける」・・

それだけかなり本格的に学んだ様子からすると、「最初の一歩」としてかなり歩幅の大きなものだったかも知れませんね^^。
それでもそれが「最初の一歩」であろうものとして、これからの「生涯終わりなき成長」異なってくるのは、「最初の一歩」がまずは今まで抱えた心の問題大きく克服へと向かう、未知の心への脱皮が成されたものとして、後者は、人生の駒そのものを未知の世界に動かすことと共に歩むものになることです。
まあ心への取り組みというより、人生そのものの歩みですね。だから今までを「最初の一歩」として、これからまさに未知の人生に向かうというをぜひ持って頂ければと。

改めて、嘘偽りなく純粋に人を愛せる気持ち出会うことほどの、人生での輝きの瞬間そう他にあるものでもない感動ですね。
ちなみに僕の場合のそのとびきりの体験が、
『理論編下巻』 終章 人生の答え−3
2007.7.1の日記として出てたりします。

先のトピック追加レスでは

>まだこれからたくさんの壁があるように感じます。

ということですが、その壁を通過するために現れるテーマとは、次は「愛に命をかける」というものになるのではないかと、なんとなく見える感じです。それは一体どういうことかと、その作り物と、作り物ではない真実錯綜にも向き合うこととして。
まあそんな体験自身で持つというのはなかなか至難の技(?^^;)昨今ですが、そうしたさまざまな人間の人生の事例というものを広く見る目が、先の「外面行動力向上へ」合わせてお勧めできます^^。
行動力の向上が、愛に向かう力になるというリンクが、当然そこにはありますので。

いずれにせよ、

>この愛の感情が表れたときに自分は目標に達成したんだいう、満たされた気持ちもありました。

その「達成」で自分は何が実際できるようになったのか、と問い向き合うことが、得た足場今だ見えない課題への視力をつける、良い次への足がかりになると思います^^。


 
1.本 2.ハイブリット心理学との出会い / ゆうすけ
No.444 2012/02/17(Fri) 01:27:57

1.私がその時に出会った本は「思考は現実化する」著者ナポレオン・ヒル
という本で、ハイブリット心理学とも重なるような、愛のエネルギーや性のエネルギーなど、ハイブリット心理学でいう魂の力と思えるような部分もあったり、私は今でも尊敬している本です!

2.島野さんの心理学に出会ったのは、インターネットで心理学を学ぼうと思って、「感情のメカニズム」という検索キーワードで検索した事がきっかけで、「心理感情メカニズム」のページにたどり着いた事がきっかけでした。
時期としては2009年の6月だったと記憶してます。
流れとしては、大学を中退して、実家に帰って来てから、本気で自分をどうにかしようと考えてからでした。

島野さんの愛の体験、非常に参考になります。今の自分にその時の島野さんと同じ事が起こっているのを感じてます。
自分の心の世界感、「愛を表現した事で、相手から返って来ると感じる嫌悪感」など、今の自分にとってとてもためになります。ありがとうございます!!

愛を形にする事がまだ上手くできなくて、「愛が自分のためなのか」「愛が相手のためなのか」非常に困惑して、悩んでますが、なんとか自分を見つめていきたいと思います^^
愛に生きるという感情はものすごく感じられています。

すこしでも多くの人の参考になれば、私もすごく嬉しいです


 
「愛と能力課題における人間形」など^^ / しまの
No.445 2012/02/17(Fri) 11:02:57

>私がその時に出会った本は「思考は現実化する」著者ナポレオン・ヒル

思わず「おお〜っ」本格重鎮ものですね^^。詳しくは読んでませんが、金字塔とも言えるホンモノだと思います。
一方それを物真似した(^^;)ニセモノがこれまた一大潮流になっているかもというもので、その「思考の実現化」というテーマ心の成長においてはかなり諸刃の剣になるものだと思います。これはブログ「いざない説明」でまさにこれから取り上げる予定。

それを読むほどであれば、ますます「ハーバード流交渉術」お勧めです。これを習得すれば、はっきり言って人生が変わります。僕自身外面向け方向性原動力ずばりこれだと、改めて感じている今日この頃。

>愛を形にする事がまだ上手くできなくて、「愛が自分のためなのか」「愛が相手のためなのか」非常に困惑して、悩んでますが、なんとか自分を見つめていきたいと思います^^

このためにもですね。
まだ若い年齢のようですので、社会で何ができるかというのがまさにこれからだと思います。
そして若い「愛」気持ちだけで考えがちですが、やがて気持ちだけでは向かえなくなるのが命の生涯の摂理だとも言えます。人間世界においては、自分が社会で何をできる者であるかが、大きく「愛」を支配するとも言える。そのために、いったん「愛」からテーマ別れして社会で自分が何をできるかの「自尊心」の確立に目を向ける局面を持つことが、極めて重要になります。


「愛と能力課題における人間形」

これについてはブログの以下など参照^^;
2010-03-18『「愛」と「能力」の人生課題-8・命の本来形』

なおこのシリーズを読み返すと、話の先がちょっとまた各種テーマ待ちの尻切れ的ですね^^;

「命の本来形」が、「愛される愛→自己能力追求→自ら愛する愛」というシンプルな連続形だとして、「人間形」とは何か。
2012年の今ようやく言葉にまとまる自分の脳みそを感じる島野(^^;)だったりします。
ここで書いておきますとそれは、
「空想の全知全能幻想の下に、愛されるための“理想化された自己像”にしがみつき、そこから“現実”を破壊し始めるという心の業が生まれる。それを“自分”を超えて生み出す自尊心を支えにして捨て去り、愛されることと自ら愛することの区別を超えた愛に向かった時、心の業の根源となる闇がはじけ散るように消え去り、無条件の愛に満たされた豊かな無が現れる」。
これが「人間形」であり、明らかに動物一般「命の本来形」とは異なったものになるのだと。特にそのゴールにおいてですね。愛が全てに向かう無に至る。う〜ん高尚な話^^;

ちょっと話がすっ飛んでいるかもですが、ま話の折ということで^^。


社会で生きる能力・・

ま再度出しますがこれについてごく即物的(?^^;)にアドバイスするならば、

>愛を形にする事がまだ上手くできなくて、「愛が自分のためなのか」「愛が相手のためなのか」非常に困惑して、悩んでますが、なんとか自分を見つめていきたいと思います^^

今形にすることが見えない愛について、自分を見つめたところで埒はあかないかも知れず、大きな人生の目どっしり構えるのがいいかもですね。自分を見つめるより社会に向かうというなど。
詳しい体験などいずれ書きたいですが、僕みたいに20年を経て初恋女性に再び向かっていったような例もある。その間に得た社会で生きる自信手土産に(?^^;)です。

まずは仕事のスキルですね。上記ハーバード流や、『入門編下巻』P.212で書いた、「価値言葉」を使って考え話す姿勢などによって、着実仕事の能力向上します。
を形にするとは、愛だけでは済まない面も形にすることでもあります。せちがらい面ということではなく、互いが生きるためにです。それが「現実世界における愛の形」であり、社会で生きる能力向上共に、それがとても良く見えるようになってきます。

気持ちだけで成し得る愛の交歓というのも結構ですが、それは心の成長と豊かさ長い目からは、不思議とあってもなくても影響のないものです。『入門編下巻』P.284むしろその逆があるという話なども書いていますのでご参照^^。
一方その望み心の中で思いっきり開放するのは極めて大切です。魂の営みとして。しかしそれが現実世界で形にし得ない時、きっぱり自分をより大きくすることに、現実世界においては向かう

この魂の世界現実の世界2つしっかり持つことが見えてくると、人生異次元の未知へと変化していく、生涯終わりなき成長への本道に乗る感じになります^^。


半年以上前に書き込みした者です / ゆうすけ
No.438 2012/02/11(Sat) 17:13:28

最近、すごく人を好きになりました。
以前とは違う感覚でした。以前の自分での「相手が好きだから」どうこうしようというものではないし、恋愛対象などには成りえないと思っている人へです。

自分はその人に出会えただけでとてもとても幸せで、その人が今、この時に存在してくれた事にものすごく感謝が溢れてきて、「ありがとう」という気持ちがあふれてきます。

人を初めて愛したような気がします。

自分が今存在する事への感謝。自分への感謝。愛する人への感謝。

今自分がこうして、感謝の気持ちでいっぱいでとても満たされるのは、この心理学がきっかけで、この心理学への感謝、島野さんへの感謝でいっぱいです。

「本当に本当にありがとう」という気持ちでいっぱいです。

これからも、活動を応援してます。

島野さんの活動を尊敬してます、本当に素敵な事だと思ってます。

ありがとうございます。


 
追加なんですが / ゆうすけ
No.439 2012/02/13(Mon) 01:44:46

なんか、「心の中が爆発するような感覚」ってなんなんでしょうか?

やりばのない、エネルギーみたいな、やり場のない気持ちみたいな。

決して悪い感情ではないんです。


 
「自分から愛せる心」への変化 / しまの
No.440 2012/02/13(Mon) 11:45:34

変化体験報告どうもですー^^。


「自分から愛せる心」への変化

まず一個目について言えば、まさにそれがハイブリッド心理学の目指しているものですね。
自分は人が好きだ、自分は人を愛せる、と感じられるようになってくる、「自分から愛せる心」への変化だと言えます。

>最近、すごく人を好きになりました。
>人を初めて愛したような気がします。
と。

ただこれは目指したところで得られるものではない、さらにそれを最初から目指すとまさに訪れなくなる、魂がもたらした変化だと言えます。
そんなものとして、ハイブリッド心理学が目指しているもの、というかハイブリッド心理学が求めているものですね。

ちょっと解説しますと、それは実際に訪れてみると、以前「人を愛せるようになれば」と想像していたもののとは全く違う。それは、その想像「自分から先に愛情表現豊かに人に接していける」「自分から誰にでも親しい態度で接していける」といった、実は「それによって人に愛されるための自己イメージ」だという、実は根元は自分からは人を愛せない意識で空想したものだという状況があります。

それが「魂の愛への望み」の感情開放することで起きる「自分から愛せる心への変化」(*)は、まずはそのように、「自分は人が好きだ、自分は人を愛せる!」という強い感動を伴う感情としてまずは体験されるのですが、それは言わば実際どう人を愛せるのか形を取らないものだと言えます。
(*)これについてはブログ2/2『「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-9・内面の転換(後)』「「和の愛」への魂の望みの感情」あたりの話が具体的で分かりやすいかと^^

それは感情や思考の内容が実際どう「愛」に近づくということ以前に、自分という存在そのものが「愛」に近づいていくということです。
これは『入門編下巻』「9章 愛への道」P.274-276「「心の自立」における「愛」」で書いたことです。まあそこでは「愛をめぐるあらゆる“べき”から開放される」という視点で書いており、ゆうすけさんがその側面がどう意識したかはさておき。


外面行動力向上へ

存在が「愛」に近づくとは、ブログで展開の「歩み方ガイド」で言えば、川の上流向かうということであり、より大きな「愛」に向かうことができるようになる、ということです。

ただしそこに流れる「感情」という川の水の方は流れ変化するものであり、不変一定ではありません。いつまでも感動や感謝の気持ちに満たされているわけでもない。この辺でちょっと困惑を感じたのが2個目のカキコになるのではと^^。

>なんか、「心の中が爆発するような感覚」ってなんなんでしょうか?やりばのない、エネルギーみたいな、やり場のない気持ちみたいな。決して悪い感情ではないんです。
と。

川の上流に行けば、川の上流なりに、そこで出会う現実場面への行動法さらに行動の能力が、試されることになります。より純化しパワーを持ち始めた「望みの感情」という川の水どう役立てるかのためにです。
そこでは感情が爆発するかのような泉の湧き出し口出会うこともむろんあるでしょう。

ということで、今回の変化は、ゆうすけさんの中にそこそこ準備されていた命の力が、ゆうすけさんの場合ハイブリッド心理学にうまくはまって(^^;)引き出された、氷山の一角にまずは相当すると考えるのが正解だと思います。確かハイブリッド心理学を知ってから2年弱くらいの期間ですかな。これがまずは「最初の一歩」ですね^^。

これからは、特に外面向けの思考法行動法グレードアップ取り組むのがよろしいかと言える局面になると思います。それを通して、氷山の全体浮上させる人生の歩みが、これから始まるわけですね^^。

そのために、『入門編下巻』『理論編下巻』のような道のり解説を、すぐどうこう当てはめるためではなく、人生で出会う転換局面への備えとして、心の懐の引き出しを豊かにしておくために適宜読むことと、日常で出会う行動場面では『実践ガイド』「3-A.行動法」いかに100%までそれで思考が構成されるものへと近づけられるか取り組みへと向かうのがお勧めになります。
また人生の大きな流れを前に、自分の「価値観」がどんなものなのかを「3-B.価値観」「3-C.信仰」照らし合わせて見つめてみるといったこともですね。

あくまで「読んで分かればok」「読んで感銘すればok」という進め方ではなく、日常人生での具体的な事柄に応じて、さてどんな思考法行動法が良いか、といった検討の中で役立てるものとしてです。それを人生長く続けることです。

ついでというかirohasuさんへのレス『 「王道を学べ」』No.437 2012/02/03で紹介した
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)
ホントお勧めです。
これは「交渉」のための思考法名打ってはいますが、それを遥かに超える、普遍的で応用範囲の広い思考法行動法の教科書と言えます。僕の感覚では、人相手のみならず人生そのものを相手に、この本で書いていることを思考しているのが日常思考の内容だとさえ言える感じです。

ということで、多分振り返るよりこれからの前進興味が増大と想像しますが、実際どんな悩みでどんな風にハイブリッド心理学に出会い、どんな部分が役立ったかなど、ゆうすけさんの場合あまり触れず結果報告メインだったと思いますので、良ければ暇の折にでも書いて頂くと他の人にもとても参考になると思いますので検討頂ければ^^。この掲示板でも、別途メールで頂いてもokですので^^。


 
Re: 半年以上前に書き込みした者です / ゆうすけ
No.441 2012/02/15(Wed) 16:43:35

この愛の感情が表れたときに自分は目標に達成したんだいう、満たされた気持ちもありました。でも、島野さんが「最初の一歩」とズバっとおっしゃったので、なんだか笑えました。

でも本当に、まだこれからたくさんの壁があるように感じます。
自分はこれから1つ1つできる事を増やしていこうと、すごく前向きな気持ちになれました。

ハイブリット心理学で自分が役に立ったことを、まとめてみようと思います。
また、出来ましたら書き込みさせてもらいます。

ありがとうございます

      管理メモ:No.436は依頼により削除

話せる人になりたい / irohasu
No.435 2012/01/26(Thu) 18:45:01

早速の返信ありがとうございます。

 だんだんと道筋が見えてきたような気がします。
 今日の仕事では、自分の担当している仕事を周りに教えられるくらいになろうと考え、マイナス思考が頭をもたげても流し、少しですが仕事に集中することができました。

 また新たな質問をさせてください。
 ずばり今の悩みは、以前話した通り、仕事に限らず周りとうまく話せないことです。仕事に限ったことでは、以前島野さんから教えていただいたとおり、仕事に関する知識を学んでいけばなんとかなるような気がします。
 しかし、飲み会などでの世間話などができず、一人だけ浮いてしまったりするのがとても苦痛なのです。面白い話ができなければ交友も広がらず、仕事にも影響してしまうのではないかと考えてしまいます。大勢の中にいると、自分が輪に入れていないことばかり気になり、余計話にはいるタイミングがつかめなくなってしまいます。
 と、コメントを書いていてもかなり考え方が偏っているなあと思います。しかし、それが大きな悩みなのです。
 
 この場合、話がうまくできるような方法を学べばいいのでしょうか?たとえば色々な会話についていけるように様々なことに興味を持ったり、ネットで話がうまくなるような方法を調べたりなどです。
 
 また、この方法で学んでいる途中でも、やはり話せなかったら・・・とか考えてしまうと思うのですが、そこは流していくという方法でよろしいでしょうか?


 
「王道を学べ」 / しまの
No.437 2012/02/03(Fri) 11:33:43

状況所見^^

まず状況としては、

>今日の仕事では、自分の担当している仕事を周りに教えられるくらいになろうと考え、マイナス思考が頭をもたげても流し、少しですが仕事に集中することができました。

この辺は、正解を知れば多少とも実行はできる。つまり成長への素地はあるということだと思います^^。
一方、自分で正解を考えつけられるかというと、

>しかし、飲み会などでの世間話などができず、一人だけ浮いてしまったりするのがとても苦痛なのです。面白い話ができなければ交友も広がらず、仕事にも影響してしまうのではないかと考えてしまいます。大勢の中にいると、自分が輪に入れていないことばかり気になり、余計話にはいるタイミングがつかめなくなってしまいます。と、コメントを書いていてもかなり考え方が偏っているなあと思います。しかし、それが大きな悩みなのです。

これは全く以前の思考パターンのままだと思います^^;
目先の感情の良し悪し思考しているパターンですね。目先のマイナス感情に踊らされた上に、マイナス感情を消そうとする生病法思考をするというダブルパンチの方向違いです^^;

考え方が偏っているのが問題というより、正しい知識や知恵を知らないでいるのが問題ですね。
人生の生き方についての正しい知識。まあこれが実際そう簡単な話ではなく、世の中勘違いだらけですので無理もない話ですが。

まず正しい知識を持つことからですね。まあそれを外部から得ようにも世の中勘違いだらけということで、まずは今回の取り組みなど足場に、本物の知識嗅ぎ分けるアンテナをまずどう培うかだと思います。


「王道を学べ」

そのためのアドバイスを、しっかりいつも思い浮かべられるような座右の銘で言えば、「王道を学べ」です。
仕事の能力交友の築き方それぞれに王道があります。それぞれの目標に応じて、それぞれに最高の学びがあります。まずそれを学び、ストレートにそれを目指すことです。

そうした「王道」知ることなく素人思考の生病法思いつくものを大抵、「邪道」と言います。
irohasuさんの場合、王道を学ばずして邪道にそれこそ「夢中になる」という傾向大^^; 『入門編上巻』対人恐怖症の人が克服しようと街頭でいきなり大声で歌を歌う訓練をしようとした話に絶句したと触れていますが(P.162)、それと似た感じ^^;

仕事ができるようになりたければ、まず自分の仕事専門知識専門スキルを探求することと、人との接し方や話し方については、宴会で面白い話ができるなんてことより、まずは以下のような本読んで学ぶことです。

ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)
寝る前の寝つき薬がてら読書に選んだ一冊ですが、さすがの内容で、目から鱗の言葉の連続です。仕事のみならず、あらゆる人間関係応用可能

専門スキルとそうした人との接し方ができれば、宴会で面白い話ができることなど、仕事ができるために毛の先ほどにも必要ありません

真の交友築きたければブログ『「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで』シリーズ解説しているのと基本全く同じで、まず自分自身の「楽しみ」と「向上」に向かうことです。その上に、その共有として人との交友がある。

「面白い話ができなければ交友も広がらない」といった発想をしている時点で、はっきり言ってすでに乗る電車を間違えている状態です。その中で、どの席が良いかと迷っている状態。その電車の行き先、中身のない人間だと内心見下げられながら暇つぶしの相手にされるだけ「交友」です。
乗る電車を間違えた時すべきことは、正しい電車に乗り換えることです。それはまず、自分の「本心」に戻ることです。自分は何を望み、何を目指しているのか。そしてその王道を学び、実践していくことです。

「一人だけ浮いてしまったりするのがとても苦痛」というのは、僕も大いに経験していますので良く分かる話なのですが、仕事ができるできないをそれとつなげて思考している限り、抜け出しようがないと思います。

まず全く別の話として、まず仕事をしっかりできるようになることです。僕の予想では、それによって「宴会で面白い話ができること」など一切取り組まなくても、問題のかなりの部分が軽減します。
まあ新宿のホスト職業として目指すようなら話は別です。違いますよネ念のため^^; ちなみにその場合は、まさにそうした職業向けの探求がやはりあるでしょう。

それでも残る動揺部分については、『「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで』シリーズ解説通りの、問題消滅までの道のりがあると理解して頂くとよろしいかと思います・・いやまあそれはあくまで本当に心惹かれる人の和を前にした歩みの話で、「職場」なんてそこまでおよばないと思いますが・・^^。


アドバイスありがとうございます。 / irohasu
No.429 2012/01/19(Thu) 22:11:38

「夢中になれるもの」の考え方など、とても参考になりました。

重ねて質問させてください。
現実世界をよりよく生きようと努力しています。
そのためには今の仕事をもっとできるようになろうということがあります。
しかし、仕事に集中しようとすると、どうしても心のほうに意識がいってしまい、心配事が気になったり、落ち込んでいる「気持ち」が気になって集中できません。
そしてそういう気分になるといくら仕事を頑張ろうとしてもなかなか頑張れません。

それでも行動だけでも、建設的なことをしていこうということなのでしょうか?
意識は考えれば考えるほど、とんでもないマイナス思考になってしまいます。

難しいですね・・・


 
Re: アドバイスありがとうございます。 / しまの
No.430 2012/01/20(Fri) 15:27:34

「感情と行動の分離」という基本部分の話になると思います^^。感情に流されない思考法という基本

『実践ガイド』「0.感情と行動の分離」関連「感情と行動の分離」幾つかの側面を上げていますが、
0−2 問題の切り分け
の部分。
======================
本来「話が別」であるさまざな問題をつなげて考えてしまうと、解決が困難になります。一つ一つの問題をバラバラに切り分けることで、解決への答えが見えやすくなります。まずは「内面感情の問題」と「外面行動の問題」に切り分けるのが基本です。
======================


>仕事に集中しようとすると、どうしても心のほうに意識がいってしまい、心配事が気になったり、落ち込んでいる「気持ち」が気になって集中できません。

まずは、
・「心配事」は何か。それへの答えは出しておく。答えの出てない心配事はいつまでも意識を邪魔します。
・「落ち込んでいる気持ち」については、多少じっくり自己分析なりの取り組み法があります。この作業をする時間を、仕事に支障ないよう見つけて取り組む、日ごろの実践が重要になります。


これによって仕事への集中もしやすくなると思います。

>そしてそういう気分になるといくら仕事を頑張ろうとしてもなかなか頑張れません。それでも行動だけでも、建設的なことをしていこうということなのでしょうか?

これはやはり「やる気に頼る」姿勢の影響かと思います。まずは前回アドバイスと同じで、
実践編上巻
7章 人生をかけた取り組み−3
「やる気」にあまり頼らない行動姿勢
再読頂ければ^^。


 
Re: アドバイスありがとうございます。 / irohasu
No.431 2012/01/21(Sat) 17:57:26

なるほど!ありがとうございます。
やる気に左右されないで行動ですね・・・やってみます。

『「落ち込んでいる気持ち」については、多少じっくり自己分析なりの取り組み法があります。』とは具体的にどのようなことでしょうか?

何度もすみません。


 
Re: アドバイスありがとうございます。 / しまの
No.432 2012/01/23(Mon) 21:47:54

着実な取り組み前進^^

引き続き「感情に流されない思考」ということで、前回の一連の話(No.423 2012/01/09)ベースにして頂くのがよろしいかと^^。

おさらいしますと、
・身体の健康の場合と全く同じで、気分で考えるのではない正解がある。まずそれを学ぶ。
・あまり一時的な心の状態良し悪しで考えないようにする。

ということの先に、具体的な話として「夢中になれるもの」ではなく「人生全体の計画」という視点から、今行うべきことを考えていく。
といった話になった次第です。

付け足しますと、「一時的な心の状態良し悪し」で考えない代わりに、「1年単位でもう別人と感じれるような変化」を、まず目指したいものです。
これができると、2、3年さらには5、6年と経るうちに、それこそ未知の異次元の世界への変化がある、というのが実感として分かってきます。
そうした長いスパンでの取り組みだということです。

話が膨らみますが、そうして1年単位で別人に感じれるような変化がある内は、1年1年結構長く感じられますね。『悲しみの彼方への旅』13章の終わりで、10代20代・・と1年の長さが前の半分、さらにそれより短く感じたという父の言葉など触れていますが(P.303)僕の場合そうはなってないです。20代30代短く41歳の「人生見出し体験」からぐんと1年1年が長く感じられています。いろんな変化があった、とっても長い40代だったなあと。

着実な取り組みの先にそれがあるということですね。それがないと、人生あっという間に過ぎてしまいます。


「落ち込んでいる気分」への対処

そんな感じで、まず「気分で考えるのではない正解」学びからです。
今までの生病法思考をいったんすべてチャラにして、全て全取っかえで築き直すというつもりで当たって頂いてまず間違いないと思います^^;

「落ち込んでいる気持ち」については、重要なのは、「落ち込んでいる気持ち」に対処するのではなく、「落ち込んでいる気持ちの原因」対処する、ということです。

「原因」対処しないまま、表面の気持ちどうこう「治そう」とするのは、それ自体がさらに心の煩いさらにはストレス単なる追加になりがちですのでご用心です^^。

実際のところは、まずは以下2つのパターンで考えるのがよろしいかと思います。

a)気持ちが落ち込んだ具体的な出来事がある
この場合は、この出来事への具体的な対処見直し検討をします。具体的には出来事内容いかんです。

b)気持ちが落ち込んだ具体的な出来事がない
この場合は、「人生の生き方がうまくいっていないことへの総合的な心の反応だと解釈して、まず間違いでないと思います。
この場合はもうこの落ち込み気分自体を材料に取り組むことはできないということです。これからの日常の中で、取り組み材料一つ一つしっかりと取り組んでいくのみです。
そう心得、あとは「ただ流す」ようにすることです。それが流れたまま、動かせる残りの意識で、目の前の作業を淡々とする姿勢体得することです。この姿勢が、単に受け流すだけではなく、心の根底自分を受け入れる姿勢として、長い目自分を変えていく、最も根底の基盤になると心得て頂ければ^^。

取り組み積み重ねに、心の治癒成長総合的な結果として、理由もなく落ち込む気分軽減します。あるいは、原因が見えてきます。たとえば「愛に向かうことができていない」のが原因であるのが、漠然と実感として見えてくる。すると自分が向かうべき方向性も見えてくる、といった流れになります。

まずは、具体的に見える材料の方で、思考法全とっかえに取り組む時かと^^。


 
Re: アドバイスありがとうございます。 / irohasu
No.433 2012/01/24(Tue) 18:42:31

毎回の返信、本当にありがとうございます。

この際なので、自分の分析をがっつり行ってみました。
今思えば私は小さい頃から、他人の目を気にして生きていました。今思えば人に好かれることで自分の居場所を確認していたと思います。人の目を気にしすぎるあまり、自分の意見をあまり言わなくなっていました。
そして今、仕事に就き、友達とばかり話しているわけにもいかなくなりました。かなりの口下手であり人見知りなので、当然周りとうまく話せず、これから仕事をやっていけるのかという不安がかなりあります。学生時代はそれなりにあった自尊心もズタボロで、生きているのがつらいです。
これまでの価値観では通用しなくなり、生き方を変えなければならないと思います。

また、物事の悪いほうにばかり目が行き、それを解決しないとほかのことに集中できません。しかも寝たら忘れるとかではなくずっと気になります。
今日は「周りとうまく話せないから仕事をやっていけない」という考えが浮かび、それを流そうとこころみてもまた浮かび、次第に気分が落ち込み仕事に集中できないところまで行ってしまいました。
「自分より話せない人でも仕事をしていける」と頭ではわかっているのですが、こころは違う風に反応してしまいます。

思考法全とっかえ、是非やりたいです。しかしやり方がイマイチわかりません。がんばろうとしても跳ね返されてしまいます。跳ね返される原因は心の内面ばかりに関心がいってしまうところにあると思うのですが、その対処法がわかりません。悪感情を流す、コツみたいなものはありますか?

というか、根本的に悪いことばかりに目が行ってしまう人はどのように良くなるのでしょうか?
本にも書いてありますが、表現が難しくて自分にあてはめようとしてもできませんでした。できればそれも合わせて教えていただけないでしょうか?
いつもすみません。


 
基本姿勢から具体的実践へ / しまの
No.434 2012/01/25(Wed) 17:20:17

3つほどご質問になりますね。それぞれお答えしましょう。話はつながってます^^。

その前にまずirohasuさん状況として、今は躍起になって心に取り組むことに虜の状態と思われます。そのせいで、気分の落ち込み「流す」の方かと解釈された模様。

心に取り組むのではなく、外界現実に取り組みます。気分の落ち込みについても、原因への対処の具体的見直しが必要な方になりますね^^。

とりあえず基本姿勢から具体的実践への順序で書いてみましょう。

>根本的に悪いことばかりに目が行ってしまう人はどのように良くなるのでしょうか?

今を原点として成長する意志を持つことをスタートとして、まずは「現実世界の答え」を学ぶことからになると思います。
外界現実には答えがあります。良いも悪いもなく、一つの答えがです。それを学ぶ問題解決役立つことであれば、まあ「良いこと」になりますね。

そうして「現実世界の答え」学ぶ先に、「成長」があります。すると、短視眼的にはすぐ問題解決にならない「悪いこと」も、自分の成長にかなり役立つことが見えてきます。
そうなると、もう「悪いこと」というもの自体が存在しないと見る目を持つという「選択」が見えてきます。その「選択」心底から成せば、あとはもう本当にものごとをマイナスに捉えることがなくなってきます。
まずはこんな流れです^^。言うと短いですが、実際は10年20年といった歩みによってです。

「悪いことばかりに目が行ってしまう人」というのは、「外界現実」見ていない人です。心の中のイメ−ジばかりを相手に思考している人。
そうすると「良いこと」と想像する内容現実的ではなく無理があるので、結局無理のない(?^^;)、ものごとの悪い面を見ることに流れるという心理かと。

>思考法全とっかえ、是非やりたいです。しかしやり方がイマイチわかりません。がんばろうとしても跳ね返されてしまいます。跳ね返される原因は心の内面ばかりに関心がいってしまうところにあると思うのですが、その対処法がわかりません。悪感情を流す、コツみたいなものはありますか?

そうして心の中に浮かぶことばかりを相手に思考するのではなく、「外界現実」の中にある「答え」目を向けることからです。
もちろん頭を持ち上げて外を見ただけ「答え」見えはしませんので、まず「答え」につながる「情報」自分から探す必要があります。
どういうことか、この話で。

>今日は「周りとうまく話せないから仕事をやっていけない」という考えが浮かび、それを流そうとこころみてもまた浮かび、次第に気分が落ち込み仕事に集中できないところまで行ってしまいました。今日は「周りとうまく話せないから仕事をやっていけない」という考えが浮かび、それを流そうとこころみてもまた浮かび、次第に気分が落ち込み仕事に集中できないところまで行ってしまいました。「自分より話せない人でも仕事をしていける」と頭ではわかっているのですが、こころは違う風に反応してしまいます。

これは僕が「b)気持ちが落ち込んだ具体的な出来事がない」と書いた方かと思われたようですが、「a)気持ちが落ち込んだ具体的な出来事がある」の方に該当しますね。
「出来事」とだけ書いたので分かりにくかったかもですが、「具体的な理由」「具体的な問題」といった話でもあります。
「仕事をやっていけない」れっきとした「具体的問題」ですね^^。

そこで悪感情を直接かき消そうと躍起になって心に取り組むのをやめ、悪感情の原因を解決するような、外界現実の情報を探すことからはじめます。

「周りとうまく話せないから仕事をやっていけない」というのは心の中のイメージ的な話で、外界現実においては「何の話を」できるか重要です。
仕事の「役割」の話か、「作業工程」の話か、「製品の仕様」の話か、「トラブル処理」の話か。
これらは専門的な知識の話ですので、まず良いも悪いもなく、情報を得て憶えていく必要があります。
そうした「情報」に触れれば、誰とどんな時にどんな話をするべきかも、自ずと見えてくるでしょう。

「周りとうまく話せないから」「自分より話せない人でも」といった漠然とした話ではなく。何も趣味や好きな食べ物、出身地について自己紹介するわけでもないですね。

そのように、そもそも「心の問題ではないこと」も全て「心の問題」かと捉える姿勢でおられるのが、問題の根源だと察します。

まずは「心の問題ではないこと」についての、解決のための「情報」を得るという作業を、日常で大幅に行うのがお勧めです。これが「全とっかえ」最初ですね。正真正銘の「心の問題」の内面的な話は、上に書いたように、良いも悪いもない外界現実での成長足場にすることで、自然と見えてくると思います。

このためには、下の『社会を生きる上でのスキルとは。。』 Cさん No.425 2012/01/17へのアドバイスで書いたように、「内容の細分化」基本的な入り口です。
情報の入手方法についても、そこで書いたように、教えてくれる先輩が得られにくい時代かと思いますので、まずはネットの活用などを検討ということで。

「言葉」道具です。上で書いた「役割」「作業工程」「製品の仕様」「トラブル処理」といった、仕事のキ−ワードの言葉を、沢山自分の引き出しに仕入れることから始めてみて頂ければ^^。

追加ご質問などあれば新規トピックで入れて頂くと良いかと^^。


社会を生きる上でのスキルとは。。 / C
No.425 2012/01/17(Tue) 21:22:17

人とコミュニケーションをうまくとりつつ、相手と仕事の連携をスムーズに進めるとか、社会的に一般的に通用する振る舞いとか、資料の作り方とか、仕事そのものの能力とか。わたしにはどれも著しく不足しています。
まず仕事のやり方を教えてもらえる環境がなかったということもあります。
最初から素人なのにプロとして雇われ、できるでしょという感じで、何一つ教えようという感じがなく、ただ成果だけだしてくれればという感じでした。
私も、お茶の出し方ひとつ、電話対応もわからないとは言い出せず。

赤の他人でも家族でもない、同僚との距離の取り方がわからないです。
あと、人と人との関係性や、相手が表面に見せるのとは違う意図みたいなものを推し量ることができません。
相手が何をしたいのかが汲み取れないのです。

周囲のように、夜遅くまで愚痴ひとつ言わず明るく頑張ることも、手抜きしたいような私とは違うものを感じます。なぜそんなに真面目なんだろうと。

社会を生きる上で普遍的なスキルをつけたいですが、何からしたらいいかわからないです。
あと人との関係性や意図を読み取れないという点は、どうすればいいですか。


 
Re: 社会を生きる上でのスキルとは。。 / C
No.426 2012/01/17(Tue) 21:44:19

仕事のやり方を教わろうとしてこなかった自分に問題があるのであって、人が何か自分にしてくれるのを待つのが間違ってる、と言われると思います。
でも私は受け身にしか考えられないのです。
能動性やあけすけな明るさは「図々しい」といったイメージを払拭できないのです。
そして謙虚さもないです。

同時に、生きてるだけで恥さらしに思えます。


 
Re: 社会を生きる上でのスキルとは。。 / C
No.427 2012/01/18(Wed) 16:23:11

何度も申し訳ないですが、
私は「社会で生きる上で普遍的に通用する社会的振舞い・能力」と、「相手へ愛情を求める気持ち」とがごっちゃになっていますね。
結局は『「人の目」という「愛」を自分の能力評価と取り違えて錯覚』してる、あるいは能力評価を愛と勘違いするということなんだろうなと。

しかし夫に「甘えているお前が悪い」といわれることへはどうしても攻撃心が湧いてきます。俺は正しいことを言ってるんだから、怒る方が悪いというのも納得いきません。


 
Re: 社会を生きる上でのスキルとは。。 / しまの
No.428 2012/01/18(Wed) 21:56:38

>人とコミュニケーションをうまくとりつつ、相手と仕事の連携をスムーズに進めるとか、社会的に一般的に通用する振る舞いとか、資料の作り方とか、仕事そのものの能力とか。

これはもっと内容を細分化して取り組むのがノウハウです。
どんな種類コニュニケーションか。お客様の訪問、チームの定例会議、設計から製作への連携、などなど。このように「作業内容」「工程」を言葉でしっかり言えることが、まずはどんな仕事のスキルにも共通する、スキルの基礎となるスキルです。
ドキュメンテーション電話応対も同じく。

そのように、内容種類を細かく捉えれば、あとはかなりの情報ネットで入手できると思います。昨今は一時代前までの、スキルある先輩に丁稚奉公的に一から学ぶという環境があまりない時代になってしまっていますが、その代替ネットで情報を得られることだと思います。

まずはそうしたアプローチを検討頂ければ^^。


立ち位置について / B子
No.419 2012/01/05(Thu) 11:32:49

アドバイスありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

まず、立ち位置を明確にするための価値観の検討に関してです。

>健康な心の世界での「謙虚」は、「向上心」の一環としてあります。おごることなく、自分をしっかり見つめて向上に励む姿です。

との事に反発心はなく、まさにその通りだと思います。
正確にはそういった側面も有ると感じます。
もう一方の側面は、自己犠牲や自己放棄と言うものです。
これは自分の視点が健康で自立した世界に根ざしていないということを示すのだろうと思います。

同様に、最初の右ハンドル1で示して頂いたような、まず自分で工夫するという視点が薄いと感じます。
それに、そうすることに屈辱感も伴うからです。どうして自分が・・といったものです。これは自分が謙虚で高貴な存在という価値観によるものだと思います。
ここで一点疑問があって前述のまるで自分が神のようなという価値観は自覚していたのですが、実際的に夫よりも自分が立場的に上だと考えているために屈辱感が生まれていることに気がつかなかったのです。
感覚的に鈍くなっており、経験的にここに嘘が在ると感じています。

今回の問題然りですが、このように自分の生活を向上させていくためとはいえ、相手をねじ伏せるのではなく、謙虚で高貴な自分から(相手が自分に合わせることが当然)工夫していくことに屈辱感を持つというのが私の本心であるといえます。

健康な世界の価値観に反発心は無いものの、まるで自分は別の枠で動いているような気がします。混ざり合わない世界が存在してるような感じです。
やっぱり現地点は「支配−隷従」の心の世界で遠くに健康な世界が見えると言った感じですね。

右ハンドル1を考える際の視点の確認ができたのは良かったのですが、ここで自分で考えていることが正解かという判断はやはり困難ですよね。

今回はまず、右ハンドル1から左ハンドルで見えたものとして右ハンドル1を行うことに屈辱感があったこと、健康的な価値観には非常に納得感があったということです。

まず検討すべきは上述の差だとは思いますが、ここで検討の目的が重要で
どちらの背景にある価値観が自分の人生にとってより幸福なものとなるかといった視点で見るというのが手順でしょうか?

いろいろと一度に書くと長くなるのでこの辺でいったん区切ります。

また、B子というHNに関してですが、とりあえずこのシリーズ?はこのままにします。以降、ちょっと恥ずかしいと感じるものは事前に島野さんに使うHNにご連絡させて頂きますね。

世間の道徳観と外れることをかなり書いているので読まれている方がご不快に思われないか、確かにちょっと気になってきました。
取り組みの参考にして頂けるのではないかと思うのでご容赦頂ければと思います。


 
「立ち位置」から「追加検討」と「フォローアップ」へ / しまの
No.420 2012/01/06(Fri) 14:36:52

>今回はまず、右ハンドル1から左ハンドルで見えたものとして右ハンドル1を行うことに屈辱感があったこと、健康的な価値観には非常に納得感があったということです。

これは「流れチャート」で言うと、「検討吟味」からbとcあたりへ、というものになると思います。

>同様に、最初の右ハンドル1で示して頂いたような、まず自分で工夫するという視点が薄いと感じます。
>健康な世界の価値観に反発心は無いものの、まるで自分は別の枠で動いているような気がします。混ざり合わない世界が存在してるような感じです。

この辺も含めると、「詳細マップ」での課題段階としては、やはり「前期」過程のものが考えられます。論理的思考あまりできず「本心」自分しっかりとつかめない

これについて、「立ち位置状況理解」「追加検討およびフォローアップ」という2段階次を考えると良いと思います。


立ち位置状況理解

マップとチャートのレベルでの基本的な立ち位置状況は上述のようなものとして、

>まず検討すべきは上述の差だとは思いますが、ここで検討の目的が重要で どちらの背景にある価値観が自分の人生にとってより幸福なものとなるかといった視点で見るというのが手順でしょうか?

これは単刀直入に言って、そうした言葉で問うレベルでは浅くて、心の根底の選択肢届かないです。まだ上の空で心の表面を良くしようとしているレベル^^; まその言葉表現ではですが。

どんな視点必要で、それについてどんな立ち位置か、そしてに目指す立ち位置はどんな感じか、まず理解頂くと良いと思います。
下に文字でにしてみました。


ここに出てくる言葉それぞれについて、心の情景として個々に把握していくことが必要になります。
これが今はどうであり、次に目指す立ち位置とは、どこが変わるのか。そこから、まず今何が検討できるか。

【現状】は、建設的な価値観への納得があるが、あまり思考できず、つながっていない状態。

これが【目指したい立ち位置】になると、病んで未熟な価値観の存在が、他はそれに流されないまま際立ってくる感じになります。そこに、心の選択肢見えてくる。価値観さらに根底にある根核歯車的な価値観ですね。


【現状】
=========================================
内面で解釈した“現実”   “直(じか)の現実”
                     
                   見えない   (↑工夫の目)
マイナス           思考できない  建設的
 感情    ←流される  実行できない→  行動
                
  ↑(強)    ←【思考力の弱さ】→   ↑つながらない
                
未熟・病んだ                   健康・建設的な
 価値観   ←これもある 納得できる→  価値観
             見えない
                  
          心の根底の選択
=========================================

【目指したい立ち位置】
=========================================
内面で解釈した“現実”   “直(じか)の現実”
                     
                   見える   (↑工夫の目)
マイナス           思考できる  建設的
 感情    ←流されない  実行できる→  行動
                
  ↑(弱)   ←【論理的思考力】→   ↑つながる
                
未熟・病んだ                   健康・建設的な
 価値観  ←これがある! 納得できる→  価値観

             見える!
                  
          心の根底の選択
               
            【基本学習】
=========================================


追加検討

上のような流れ重要なのは、そうした心の選択肢は、具体的な建設的行動を考えることとつなげないと、思考できない、見えない、ということです。

ですから、建設的行動あまり考えられないという状況まで確認したら、この検討のサイクルこれで終わりにして、いったんリセットして再び現実場面に向かう必要があります。
ここでいくら「どの価値観が自分の人生にとって・・」といった抽象的な思考を回しても、何も変わりません考え疲れたら、いったん思考をやめ、頭を空っぽにして機械的にでも淡々と日常をこなす方がベターです。

そうしてまた考えてみたくなったら、同じ検討サイクルをやってみます。すぐやってみてもいいですが^^;

1)まず、とにかく感情は別のことにして、行動法の工夫を思考できるか。そもそもそこには感情とは全く別の、物理的外界についての側面もある。
ただし、「内面で解釈した外界現実」しか見ていない可能性があります。この修正取り組みは次のフォローアップの方になります。

2)内面的に取り組めるのは、「屈辱」とは何であり、どんな場面で起きるとしても健康な心の反応と言えるか。それに対して自分の反応どう把握できるか。
そうした、感情の流れについての論理的思考による検討です。


フォローアップ-1

具体的場面での取り組みに限定しないフォローアップ2つ考えられます。中に【】で示したもの。

まず、上記1)2)進めようにも、単刀直入に言って論理的思考弱いのが現状だと思います^^; 健康病み治癒成長理解しながら、それと突き合わせ自分の感情流れ把握する。それをいったん外し外界現実について考えてみる。それによる建設的行動法検討する。といった思考作業です。

そのための基本的な基盤となる、自分自身に対する客観的論理思考が、現状ではできていないと察します。
これができていないと、実際何も取り組めないのが実情だと思います。そしてこれについてこっちもまだ説明できていない^^; とにかくもう少ししたら「自分に対する論理的思考」解説を始めますので、とにかくそれに地道に取り組んで頂ければと思っている次第。


「自分に対する論理的思考」

ここで手短に事前解説をしておきますと、「自分に対する論理的思考」とは、
「外界現実」「自己の本性」というものを、
「自分自身として誰にどう言われようとも揺らぎなくそれで生きることに満足できる事実」だけによって、
全てがつながり矛盾のないものとして捉え持つ。
そんな思考の体系を、自分の人生のために持つことです。

たとえば、『バカデミービデオ大賞』というTV番組がありますが、「そんなの見るのは低俗で恥ずべきこと」といったがあったとして、
・それを面白いと感じるのは自分の本性であり、それを楽しむ生活を満足できるものと感じる
・低俗であり恥ずべきとは自分にとってどんなことであり、これはそれに該当しない

だから「自分は大いに楽しんでそれを見る!それで良し!」となれば、この「自分に対する論理的思考」ゴールになるわけです。こうしてじっくり検討して答えを出したことがらは、もう思考する必要もなくなる。島野が実際これ見てますが^^;

これが家族「そんなの見るの?」と言われて揺らぐということは、自分の心どんな状況か。ここから、今回のコメントで言っている検討のサイクルが始まるわけです。

このように、何でも堅苦しく考えるような話とは全く別次元取り組みとして、「自分に対する論理的思考」日々取り組んでいく。


フォローアップ-2

次に、「心の根底の選択」というのが見えるようになるためには、悩み場面「どう考えれば」「どう感じるようにすれば」というつけ焼刃的、あるいは一度試してみる的な取り組みでは全く足りず基礎教養科目として幅広く地道な、人生の生き方についての学びが必要になると思います。

ハイブリッド心理学の本適宜眺めてみて、まだ自分に十分に納得できていなそうな部分があれば、再度じっくり読んで、自分に問い直してみる。あるいは、自分この部分から先はほとんどピンと来れていないのが現状だと自覚しておく。
『入門編下巻』などは、1行でもピンと来ない、納得できない部分があれば、その先はまだ閉ざされているというような、大きな道のりを解説しているものです。一度読んだ感銘でどうこう、といった読み方とはちょっと異質な、言ってしまえば宗教の経典のような読み方姿勢で読んで頂くのが良いと思います。

ハンディを克服した人を取り上げたTV番組などを積極的に見る怪我や病気で身体にハンディを負った人は、人生の生き方根本的に変えると思います。ハイブリッド心理学の取り組みは、それと全く同じ姿勢のものです。この言葉飾りではありません^^。


「自分に対する論理的思考」解説待ちの部分もあるかと思いますが、まずはざっとこんなことがらを検討頂ければと^^。


 
論理的思考の強化について / B子
No.422 2012/01/08(Sun) 08:37:39

ありがとうございました。
追加検討1)、2)を行うためには現状では論理的思考力が不足していること
今後は論理的思考力を養うための基礎トレーニングに重点を置くことと(フォローアップ1)理解いたしました。

実際に読んでいて追加検討1)、2)の理解がイマイチだったので、論理的思考力の底上げが必要なのだろうなと感じました。

ここで論理的思考力の強化に関する質問なのですが、

>たとえば、『バカデミービデオ大賞』というTV番組がありますが、「そんなの見>るのは低俗で恥ずべきこと」といった声があったとして、
>・それを面白いと感じるのは自分の本性であり、それを楽しむ生活を満足できるものと感じる
>・低俗であり恥ずべきとは自分にとってどんなことであり、これはそれに該当しない
>だから「自分は大いに楽しんでそれを見る!それで良し!」となれば、この「自分に対する論理的思考」はゴールになるわけです。こうしてじっくり検討して答えを>出したことがらは、もう思考する必要もなくなる。島野が実際これ見てますが^^;


ということで
私の日常で体験した事で論理的な思考に躓きがあったので、教えて頂きたいと思っています。

私は毎日お風呂を出た後に湿気取りとカビ防止のために使用した足ふきマットでお風呂の壁や床を拭いて水滴をとっています。日課になっているので、ほぼ毎日行っています。
それを、夫が見て、毎日そんなことをするのは無駄なんじゃないの?とよく言ってきます。壁とか頻繁に掃除しなくてもいいよというのです。
私としては、たまにしか掃除しない時のカビとりや洗剤を使って磨きあげる方が大変だと思うのです。
毎日拭くだけのほうがよっぽど楽だし、いつもきれいな状態なので私としては満足でこれで良いと思っています。
でも、夫にそう言われると何だかそうなのかな?という方向に思考が流れてくるのを感じました。
お風呂の最適な掃除の方法の是非という問題ではないと思うんですね。
そして、自分のしている事に満足感を持ちながらも夫の意見に左右されそうになっている自分が嫌で怒りが湧いてきました。
その時は自分への怒りと言うよりも、掃除くらい好きにさせてよと思い、怒りの矛先は夫へと向いていましたが。
あとで考えると論理的な思考は出来ているように思う一方で、島野さんのようにこれでいいのだという強い感覚が薄い様に思いました。その時は他人依存に傾いていることが原因だとは思いました。
ただ現状で、判断がつかない事がありました。そもそも上記の論理的思考法に何かミスがあるのだろうか?と言うことです。でも、他人依存に傾いている現状としては、このままこれを繰り返すことが論理的思考力の強化につながるのかなとも思ったりします。
この辺は自分で考えても埒が明かないので、島野さんにご判断いただきたく質問させて頂きました。

ほんとはあと何個か質問もあるのですが、長くなりそうなので、ここで一旦ご返答頂ければと思います。
お手数ですが、よろしくお願いいたします。


 
「自分に対する論理的思考」の基本 / しまの
No.424 2012/01/14(Sat) 12:12:00

ブログでは「人の和アンビバレント消滅」について解説していますが、そうしたもののための足場にもなるという位置づけもかねてアドバイス入れましょう。

こうした「自分に対する論理的思考」が、「自分の舵取り」「本当の自尊心」という、最初の歩み課題のための、「本心のエンジン」になります。
人の和への、そして「愛」への向かい方は、それが得られてから向かい直すのが、正しい道順になるということで^^。


「自分に対する論理的思考」の基本

「自分に対する論理的思考」基本は、まず

・「自分の考え」言葉で論理的に明確にすること、はさることながら
・「それはなぜか」「理由」と、さらに
・「それはどのように確かめられるのか」という「検証」自分で行う。「自分で確かめる」
までを、言葉論理的につなげることができる。

というものです。


「自分の考え」と「その理由」

今回の話ですと、こんな感じかと。

「自分の考え」は、「お風呂の床と壁を毎日拭いた方が、そうしないよりもカビが生えず掃除が楽」
「理由」はまあよろしいかと。その方が湿気がなくなりカビが生えないという予測。


「検証」「自分で確かめる」

今回のB子さんの思考ではこの「検証」「自分で確かめる」ない感じですね。
これは僕からはちょっと面白い(?^^;)状況です。自分の考えそれなりに論理的に思考できているのに、「それを確かめる」段になると人任せ他人依存信仰論理的思考を片肺状態にしている、というような。なんか学生時代の学業にもちょっと影響を及ぼしていたのでは・・と浮かんだりしたのですが。

「検証」方法1つ目は、自分で実際に確かめてみることです。実験してみるわけですね。
このケースでは、2通り掃除方法実際に試してみればいい。毎日拭くのをやめると、どのくらいの時間カビが生えてくるか。毎日拭いていればそれは無しで済んでいるか。拭いても拭かなくても結果は全く同じ@_@; ということはないか。
それで、どっちがいいか、好きな方を取ればいいわけです。話は単純ですね。
このように実際に事実で確かめることは、たいてい「数字」答えが出ます。どくらいの時間でどのくらいのと。

こうして「理由」から「検証」までつながったら、まず多少人に何言われても揺らがないです。自分の中では。まあ何か人から新しい情報があれば別として。

この例はごく物質現象ですが、人の心社会の動きについても、同じように「自分の目で見る」ことが重要になります。ここでいかに自分の心のフィルターかぶせずに外界現実を見れるかが、重要になるわけです。
これについては「いざない説明」3つのテーマ最後である「扉」つまり「現実世界への目」で説明しようと思います。

もちろん、「自分の生き方を決めるのに重要な情報」全てを、直接自分の目で、さらには実験して確かめるというのは不可能ですので、「実際に確かめる」に、「確かな情報を選別する」というのが出てきます。これが「検証」方法2つ目になりますね。
「自分はこうだと考える」という内容について確かめる方法として、「もしそうであればこれがこうなるはずだ」「これがこうなる」が、自分が確かなだと認めた情報において、確認する。

ですからこれは逆に「そうは考えない」になりますが、僕は心霊写真の類全く信用しませんが、それが本当のものだと流しているTV番組てんで信用してないので、「これを見ろ!」と人に言われたところでぜんぜん屁にも思わないわけです^^。


歩みの全体へ

そのように、まずは衣食住の生活の仕方について、さらには社会の「常識」や「マナー」についてまで、「自分の考え」を持ち、「それはなぜか」「理由」から、「それはどのように確かなことか」「検証」まで、論理的に思考する習慣をまずは実践してみるのがよろしいかと思います。

まずは自分の中でです。自分の中思考がつながることです。まず目標は。人に対して議論をふっかけるのは、この実践とはまったく別ものです。

これで、「自分で考える」というのが、自分の舵取りにつながるものとして、自分の作業として、完結できるようになりますね。人の車に牽引されるのではなく。
これが「詳細マップ」真中左ハンドル課題として列挙している列の、一番下2つになります。

そこから、右ハンドル建設的思考法行動法が実際どう役立つのかを考え、それに対して自分の内面感情はどんな立ち位置にあるのか検討するといった実践を、具体的材料ベースで進めていく、と意識して頂ければと思います。


展望

今回取り上げた感情動揺については、一言でいって「相手に認められる」ことで「自尊心」「愛」両方一緒に得ようとしている姿勢があって起きたものと思われます。さらに自分が何かしっかりした心であることへの理想像があるかと。

これが一挙全部崩れるわけです^^; 認められることで自尊心と愛を一緒に得ようとすることで、その両方とも失う自己イメージ損ないも伴って。
まあなんでこんなことになるかと言えば、相手に認められることで・・、とした時点嘘があるからと言えるでせう。

ただ実践としてこの段階では、そうした価値観の検討なり心理分析なりはちょっと無用と感じます。まずは、生活など多くの場面で、「自分で考える」ことを最後までしっかりできるようにしていくことが課題かと。そもそもそれができれば「認められることで・・」という姿勢のあまりに見合わない脆弱さが見え、自然そんな姿勢しなくなるのではと。

あとは行動学として、今回の話ではその場で白黒つける必要のあるようなものではなく、その場では「そうかなあ」程度お茶を濁して(^^;)おき、「やっぱりこうだったのでこうするヨ」とか言うようにするとかが、知恵ある行動法です。
詳しくは長くなりますので行動学に関する今後の説明の機会に譲りますが、「相手の意見について」感じたことを言うのではなく、そうした自分が持つ「理由」と「検証」について言うのが、「原理原則行動法」です。それによって表面は相手の意向を立てて実は自分が取るような行動法いくらでもできるようになります。

そうして外面問題については「自分に対する論理的思考」片付けるようにした上で、なお起きる感情動揺悪感情について、自分が何をどう感じているということかと、問題はっきり自分に対して白状するように明確化するのが次の段だと察します。
そもそもなんでハイブリッド心理学に取り組もうとしているのかの、問題はっきりさせるということでもありますね。メール相談の際にも指摘しましたが、どっかそこから目をそらしてから(そらすために?)取り組みを考えようとする傾向があるというのが、B子さんのケースカルテです。

「自分に対する論理的思考」が身につくことで、心の治癒成長照らし合わせてそれをどう考えるかも、ストレート出てくるようになると思いますので^^。

ということで、具体的材料ごとのヒントなどどしどしアドバイス可能ですので、あればまた新規トピック立てて質問頂ければ^^。

      管理メモ:No.418は依頼により削除

あけましておめでとうございます。 / irohasu
No.421 2012/01/07(Sat) 10:26:22

先日はご回答していただきありがとうございました。

これまでの自分の経歴をもう少し詳しく書きたいと思います。
・小学校6年生の時に不安障害?発症
 ささいなことが不安になる(特に人間関係)、常に心が不安で焦燥感がある。常に心が不安であることを悩んでまた不安になる、という悪循環。

・中学校2年生くらい
 野球に夢中になり、除々に症状緩和
・高校
 朝早く登校して夜10時に帰るという生活で、悩んでいたことを忘れる。(でも普通の人よりは人間関係などに敏感)ジストニアにかかる。

・大学3年
 ジストニアのことで悩みすぎ、再び小学校6年の状態に。以来現在(社会人1年目)まで症状継続。

 
理解不足で申し訳ありませんがまたいくつか質問させてください。

 自分が本当にやりたいことに夢中になることにはすごい力があると思います。
自分も中学校から高校にかけて野球に夢中になり、ほぼ全快しました。
 しかし今はあれほど夢中になれるものがありません。
 幸せな家庭を築きたいというささやかな願いはありますが。
 何かに夢中になりたいという気持ちはあるのですが、今のところみつかっていません。自分で探し出すべきものなのでしょうか?

また、「自分の心に取り組まないこと」と「建設的な思考をする」の違いがわかりません。
日常生活のなかで多々、マイナス思考で物事を考えてしまいます。しかも極度です。また、仕事をしているときに全然関係ない問題を考えてしまって、集中できず、気持ちも落ち込んでしまいます。それを建設的な思考に変えるとすることは、「自分の心に取り組むこと」にならないでしょうか?

自分でも明らかにこの思考法は間違っている、考えすぎだということがたくさんあります。でもそれを排除しようとしたり、考えを変えようとすると、気持ちが落ちていきます。(これは島野さんが書かれているとおりです)
全く出口が見えません。

この矛盾、どのように解決すれば良いでしょうか?

今のままの状態では苦しいです。申し訳ないですが、初心者にもわかりやすいように説明していただけないでしょうか?


 
Re: あけましておめでとうございます。 / しまの
No.423 2012/01/09(Mon) 18:42:05

基本からの着実な理解

>初心者にもわかりやすいように

基本から詳細へと、着実に理解を進めて頂ければと思います^^。

まず、取り組み姿勢は、身体の健康と成長の場合と全く同じです。

まずそれは、人それぞれが自分なりに考えて、自分なりの方法で目指せば、誰もが身体の健康と成長に向かうことができる・・・では、ないということです。
正しい答えがあります。それを学ばずに、自分で「これが良さそうだ」と気分で考える健康法を、素人考え素人の生病法と言いますね^^。
そうではなく、まず正解を学んで頂くのが、ここ最近説明している取り組みの進め方(参照:流れチャートなど)の最初「学び」です。


心の健康と成長への基本

健康と成長のための基本を、健康と成長のための基本と照らし合わせて理解頂くとよろしいかと思います。

健康と成長のための基本は、「食事と睡眠と運動」といった話になると思います。それを、「安定した生活のリズム」として確立する。
それが基本で、食事内容などに沢山の詳細が出てきます。

それに匹敵する健康と成長のための基本についてのハイブリッド心理学の考えを、今日のブログ記事『成長の道標への歩み方-14・基本姿勢の3段』で書いています。

・・・感情に流されないこと
・・・建設的であること
目線・・「心」ではなく「外界現実への向かい方」に向ける
総合し、「望みに向かい現実に向かう」


と。


一時的な心の状態良し悪しで考えない

これだとまだかなり話が抽象的かと思いますが、要は、
「心の状態が良くなりそうだと自分で感じたことで考えた生き方方法」で行くのはやめましょーということです。
というのは、「心の状態が良くなりそうだと自分で感じたこと」というのは、まず言って一時的でしかないということです。2年3年程度は続く場合があってもです。

そのように「心の状態が良くなりそう」という話ではなくこの現実世界をどう生きるかということ全体について、正解を学ぶ
それが「自分の心に取り組まない」という話。
基本視線「目線」の部分です。何に目を向けるか。

まず目線を基本的に「心の状態」ではなく「この現実世界をどう生きるかの全体」に向ける。
その先に、この現実世界をどう生きるかとして、「建設的に生きる」という方向性「破壊的に生きる」ではなく。これは基本視線「腰」の部分。
そして「建設的な生き方」具体的内容は、自分なりに気分で考えるのではなく、正解がありますという話。だから気分で考えるのはやめて、それを学んで検討しましょうという話。これが基本姿勢「足」の部分です。


「出鱈目思考」をやめる

ここまでは漠然とした話かと思いますが、要は、irohasuさん現状の思考は、「自分の心の状態について自分で感じること」によって気分で考えているものになっている、ということです。

>自分が本当にやりたいことに夢中になることにはすごい力があると思います。

と。そしてそれを元に、

>何かに夢中になりたいという気持ちはあるのですが、今のところみつかっていません。自分で探し出すべきものなのでしょうか?

という質問になることも。
下にその説明を書きますが、それは間違いです。「夢中になる」ことは、必ずしも心の健康と成長につながらないからです。害がある面もあるからです。

一方で、

>自分でも明らかにこの思考法は間違っている、考えすぎだということがたくさんあります。でもそれを排除しようとしたり、考えを変えようとすると、気持ちが落ちていきます。(

これも現状ではまだ自分の気分で判断して考えておられる。

このように気分で考える思考を、表現悪くご容赦ですが、「でたらめ(出鱈目)思考」と僕は呼んでいます。「出鱈目」とは、「さいころを振って、出たその目のままにする」です。そうした思考だということです。たまたま思いついた思考
辞書の続きを読むと面白い文章が出てきますね。「根拠がないこと。首尾一貫しないこと」と^^;

つまり、

>この矛盾、どのように解決すれば良いでしょうか?

とのことですが、それらはもともとでたらめ思考なので、矛盾ですらないのが事実かと。雑で乱暴な言葉ご容赦^^;


「夢中になれるもの」ではなく「人生全体の計画」を

今回の話での正解を書きましょう。

ものごとに熱心に打ち込む様子を表現する言葉が何種類かあります。
「夢中」「熱心」「全身全霊を込める」など。

その中で、「夢中」というのは、他のことがおろそかになるという、害もある様子の場合にも使いますね。ハイティーンの男の子エロ本に「夢中になる」など(例が悪い^^;)
これがあくまで一過性のものであれば、まあそんなことも仕方ない、となるわけですが、これがエロ本に「熱心(全身全霊)になる」となると、話がおかしくなってくる。まあ「夢中」「すぐ醒めるもの」というのを暗示しているわけですね。
「うちの社長が銀座のクラブの女の子に夢中になっちゃってさあ」笑い話で済むが、「うちの社長が銀座のクラブの女の子に熱心になっちゃってさあ」だと、会社が傾くんじゃ・・汗タラっという世界。引き続き例が・・^^;

要は、

>自分が本当にやりたいことに夢中になることにはすごい力があると思います。

というのは、野球であれば基本的には健康な対象ですが、他の悩みから単に目がそらされた、根本解決ではないものを、「すごい力」と感じておられるのだと思います。言ってしまえば他の悩みを麻痺させただけなわけです。

結論は、「夢中」というのは、「他のことがおろそかになる」「心を奪われる」という状態に心がなるものであり、感情としてはとりあえずはプラス方向なのですが、必ずしも健康なものではありません。
あまり気分の盛り上がり度依存することなく、ということは夢中などど感じない冷静な姿勢においても継続的に打ち込むことのできる、人生全体の舵取りのための作業を考えていくのがお勧めです。
もう親元で生きる身ではない今であればなおさらです。「夢中」すごい力と言っていられたのはそんな時だったからでもあると思います。

これについて関連した説明として以下などありますので、ご参考頂けるかと。
実践編上巻
7章 人生をかけた取り組み−3

「やる気」にあまり頼らない行動姿勢
の節

そのようなものとして、「家庭を築く」という目標はもちろん大いに結構ですね。それはもちろん「夢中」になれればいいようなものではなく、そのための行動法具体的に学んでいくのが良いものになります。それについては、また具体的場面材料などあれば何でもご質問相談頂ければ^^。

目を向ければそこにある悩みについても、夢中になるものによって目をふさぐ方法ではない、正しい克服法があります。これも具体的内容ベースでご質問相談頂ければ^^。

p.s
今日の『写真と言葉』『「未知への成長」という命綱』も、このアドバイスを考えている最中に浮んだ言葉です^^。
気分で考えるのではない建設的思考法行動法に、これがあるということですね。


価値観の明瞭化の過程 / B子
No.407 2011/12/25(Sun) 10:57:19

自分のストレスの源泉ともいえる価値観に着くと、謙虚で従順でいるべきということと、こんなに謙虚で従順な私に他人は尽くすべきだという傲慢が見えます。

そのため、実際に洗濯物を洗濯かごに入れて欲しいという事さえも感情の葛藤が起こります。
そういうことを要求するのは謙虚なのだろうか?ということと当然すべきだということに

こういった場合、洗濯物の取り扱いについて話してみるのが一番の解決策なのだと思います。ただ、できていません。自分の内面の論点がそれではないからです。
自分の問いは謙虚でないかもしれない事を望んでしまったが、これは一般的にはいいことなのだろうか?ということです。
でも、ここでグルグル空回りするのも無意味だと思いましたので、謙虚でいる事のメリット・デメリットを考えました。

ただ、ここで謙虚と言うことをテーマに考えようとすると思考が進まなくなり、奇妙に問題点がずれて行くのです。
これを何度か繰り返しています。進まなくなるんですね。

今のスタンスとしては謙虚と言うことに意義を感じ納得するのならば、今までの生き方を貫こうと思っています。でも、謙虚であることのメリットを論理的に説明できないし、納得はできていないのです。
それなのに、何の根拠もなくそれは正しいのだという感覚が有るのです。
ただ、意識に霞がかかったような、どこかがぼんやりとしています。
これは納得感が無いからなのだろうと思います。

これをさらに辿ると要はやる気の問題と言うか覚悟の問題ではないのかということにたどり着きます。
謙虚を再確認していくということは自分にとって辛いことなので、自分にさえ隠しているという防衛本能もあるとは思うのですが、最終的には見るのか見ないのか覚悟の問題ではないのかと思えます。

そのため、更に戻ると自分は自分の本質を見据えるのか、それとも放置するのかという選択にさえ戻ります。選択して生きるのか、何も選択しないで誤魔化しながらいきるのか?
そもそも選択しないことが可能なのか?そして前述の傲慢と謙虚という選択肢は選択肢になっていないということ。よく考えるとこれらは他人依存という同じ根っこのもので、選択すべきは他人への依存か自立かということではないだろうかと。この弱い自分のままで知恵を巡らしながら生きる覚悟があるのかことではないのかと思ってくるのです。最初の洗濯物を洗濯かごにという問題はどうでもよくなってくるのです。

と、ここで島野さんにお伺いしたいのはプロセスが間違っていないかということ、取組姿勢の問題もあるのですが、問題が戻りすぎてしまうが故の難しさを感じるのです。そしてこれに難しさと感じるのはまだ、腹を据えていないということなのだろうかとも思うのです。

あと、B子以外のものをHNとしてということですが、バックグラウンドを含めてアドバイス頂けるのではないかと思い、こちらをあえて選択していました。
島野さんのおっしゃられたB子という意識をとっぱらうというメリットが今一歩呑み込めなかったのですが、それは私にとって障害となるものなのでしょうか?
(そのため、今回はこのままB子としています。)

またお時間のある時にご返答を頂ければと思います。


 
まず進め方 / しまの
No.408 2011/12/26(Mon) 12:54:31

具体的実践いい参考例になると思います。具体的に説明していきましょう^^。

まず進め方ですが、

>そもそも選択しないことが可能なのか?そして前述の傲慢と謙虚という選択肢は選択肢になっていないということ。よく考えるとこれらは他人依存という同じ根っこのもので、選択すべきは他人への依存か自立かということではないだろうかと。この弱い自分のままで知恵を巡らしながら生きる覚悟があるのかことではないのかと思ってくるのです。最初の洗濯物を洗濯かごにという問題はどうでもよくなってくるのです。

ここで「他人依存という同じ根っこ」という気づき正解ですね^^。

ただそこでは「選択」まだできないですね。心が他人依存にあれば、「選択」もあくまで、他人依存の心の中で見える「選択らしき」もの、言ってしまえば「選択もどき」(^^;)が見えるという形^^;


まず「学び」から

ここで必要なのは、他人依存でない心では何がどうなるのか「学び」を入れることです。
それをうまく学べれば、もう「弱い自分のまま」ではなくなれる^^)v そんなものを学ぶ。それは今日のブログでも書いたように、「心の外」「自分で考えることの外」にあります。
それは基本的な生き方についてもありますし、洗濯物の処理にもあります。まずそれを学ぶ

それが「進み方流れチャート」の上の方の「学び」部分になります。
自分で考える内容ではありません。ハイブリッド心理学としてこういうもの、というのがあります。

ただそれをまだあまり説明できていないのが実情です。だから始まらない部分がある。えへへ^^ゞ 「学び」箱の中はもうかなり各論詳細が出てくるので、解説上あと回しになってしまっている状況があります。今後の事例集公開などがまず情報源になると思います。


自分の立ち位置をはっきりさせる

そのように、まずハイブリッド心理学推奨思考法行動法価値観、それはつまり心が健康な世界でのそれを学ぶ。依存の中の自分の心なりに考えた内容ではなく。

で次に、それについて自分どう納得できるかを問うことで、心の成長における自分の立ち位置を、もっとはっきりさせることが必要になります。

>そしてこれに難しさと感じるのはまだ、腹を据えていないということなのだろうかとも思うのです。

という漠然とした姿勢ではなく、心の根底の歯車をしっかり見分ける形でです。それが具体的に何か説明出さないとちょっと始まらないわけですが^^; ともかくまずは進め方の話として。

そこに「選択」現れるわけです。それはもう「学び」「当てはめ」をするものではなしにです。


心理メカニズムヘの深い洞察を加える

「当てはめ」ではなしに「自分に問う」ことにおいて、「選択」見えるのですが、「当てはめ」ではなしに「自分に問う」ことにおいて同時に、置き去りにされた自分の内面見えるというのが起きるのが、心理メカニズムヘの深い洞察を加える醍醐味部分です。

そうすると、このB子さん記述から僕が水晶玉に浮かぶように見るのは、「見て見て!」という健康で無邪気な自己顕示欲求を飲み込んだ少女の姿だったりするんですね。

そこまで内面向き合い深まると、心に変化が起きてきます。「選択」問えるのはこの段階になってです。「学び」を一緒につき合わせてです。


以上、進め方の説明です。
では「学び」どんなものになるのかは、次のブログ記事を踏まえると分かりやすいかと思いますので、続きはその後に^^。


 
具体内容 / しまの
No.410 2011/12/29(Thu) 18:07:01

では上記のように「学び」から「立ち位置確認」へという進め方で、具体的にどんな話になりそうか書いてみましよう。

「学び」

まず「学び」そのものの中に、
・問題把握
・それへの対処法
・生き方姿勢の根本的な違いの把握

といったものが含まれてきます。
(参照:11/15『成長の道標への歩み方-4・ハンドル操作の基本2』

『実践ガイド』「U-4.2 実践の基本的な検討手順チャート」で示したような一連のものが、この「学び」に含まれてくる次第です。


問題把握

およそ3つの問題があると思います。

1)洗濯カゴに入れてもらうための行動法
2)その問題の些細さに不釣合いな葛藤ストレスという内面症状
3)「謙虚さ」価値観の混乱


ここで、問題全体つながり把握理解するのが良いでしょう。
それは一言でいって、「怒りでねじ伏せるか折れるかという行動法しかない価値観」という大枠で起きていることだ、ということではないかと。
葛藤ストレス単純に言って必至です。
にはそういう行動法しかなく、その中で「謙虚」「従順」でいるのが高貴な存在だという人間観世界観神のように高貴。だから皆がその高貴な存在に尽くすべきだという論理・・かなと^^;


対処

まず行動法レベルでは、「怒りではなく知恵を使う行動法」です。

相手なぜ洗濯カゴに入れてくれないか、まず相手の行動分析をするのがいいでしょう。洗濯カゴ置き場を変えると、案外あっさり解決してしまうかもしれない。
これが右ハンドル1

左ハンドルとしては、そのように相手に応じた行動受け入れられるか。そこに「屈辱感」などがあるとなると、ちょっと話が深刻(?^^;)になってくるかもしれません。
まず検討できそうなら実行へが右ハンドル2


価値観については、心が健康で心を自立させた世界の、建設的な価値観思考学ぶことが右ハンドル1

ずるとまず言えるのは、健康な心の世界での「謙虚」と、その「謙虚」ちょっと別のものだ、ということになると思います。
健康な心の世界での「謙虚」は、「向上心」一環としてあります。おごることなく、自分をしっかり見つめて向上に励む姿です。その点、健康な心の世界での「謙虚」その人自身の問題であり、あまり人との問題ではない、という話になると思います。

B子さんが書いた「謙虚」は、対照的に、「自己放棄」「自己犠牲」という類になってくるような・・。
もちろん健康な心の世界では、それは求められませんそれぞれが自らの幸福に向かい、楽しみや向上を共有できるところで、行動を共にすればいい。共有できないもの、あるいは対立するものについては、まずどう知恵を働かせるか。ねじ伏せるか折れるかではなく。調整が難しいものは、何かのルールを決めるか、最後行動全体を別にするということになります。

このように対比させる価値観学び(右ハンドル1)、それについてどう感じるか左ハンドル)で、この場合は「価値観」テーマでありそのまま「立ち位置」が見えてきますね。


立ち位置


まずは、上記の「建設的な価値観」の方を聞いてどう感じるかになると思います。

多少とも共感納得感を感じるのであれば、価値観の本格的転換に向けて、関連する感情深堀りと合わせながら、具体的行動法幅広い検討へ。「中期」段階取り組みになります。

ピンと来ない、あるいは奇麗事!的反発を感じるようであれば、それだけ「支配−隷従」の心の世界どっぷりつかっているということで、まずそれについて「そもそも取り組めるか」を、「本心」「自分に対する論理的思考」確認および習得からやってみる、という話になると思います。その上で、再度ここで書いたこの全体再検討一筋縄ではいかないです^^;


いずれにせよ、自分の心の問題について論理的思考ツール深堀りできるようになるのが、とっつきの課題になると思います。多分読者の方の限りなく全員同じ^^;
「自分は“謙虚”というのを、こういうことについて考えた」と。そこで「こういうこと」を、自分の心の歯車の琴線をしっかり捉える言葉思考できるようになると、「選択」が見えるなり、自ず別の感情が湧くなりの、変化の扉届くという感じです。

とにかく論理的思考法できないと何も手につかないので、今後の「自分に対する論理的思考」解説など参考頂くのと(あとちょっとで入れる見込み^^;)、上記の建設的な行動法と価値観への納得感など検討してみて頂ければ^^。


p.s
「次のブログ記事を踏まえる」というのは今回は直接はなしですね^^; まずはここで書いた範囲を検討ということで^^。

なおHNは、実践編登場者として他の読者に見られるという意識が気にならなければ、そのままでいいです。気になる場合「B子を改め××で」と一回書いて頂ければ、僕の方では過去経緯含めアドバイス考えますので^^。


いじりといじめの違いが分からない。 / C
No.416 2012/01/04(Wed) 13:33:30

本年もよろしくお願いします。
さっそくですが、社長が当本人がいない場所で、嫌いな社員のことを、あいつは手足の長いブタだとか、みんなあいつのこと嫌いでしょ?などと言うんです。
あいつ友達いないんだぜ、とか他の社員には、お前ならあいつの事バカにしながら上辺だけ褒めるよな!とかそんなことばかり何時間も話し続けます。
社長としては面白おかしく話してるんですけど、言ってる内容は徹底的な侮蔑なんですよね。皆が共謀してあいつをいじめようというのが、ネタなのかなんなのか知りませんが、私は不快になります。
いじりとか言われて芸人なんかがよくやってますけど、聞いてる方は笑う人もいれば不快に思う人もいますね。
心が健康になれば、そういうのを笑いとして消化するもんなんでしょうか?
人望を集めるのに人格なんて不要なのかなーと感じたのですけど、私の人物への見方がおそらく人よりも浅いのでよくわかりません。


 
Re: いじりといじめの違いが分からない。 / しまの
No.417 2012/01/04(Wed) 15:09:46

まず言葉の定義としては、それらは「悪口」として、それを直接本人に言う、あるいは本人の耳に入るか目に触れることを意図して言うのが、「いじめ」になると思います。
まあ酒の場での陰口のたぐいはまずは「いじめ」にはならないかも知れませんが、健康と病みの問題というより、基本的行動法して「破壊」という問題ですね。当然、全く誉められた話ではないと思います^^;



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