No.507 2012/10/25(Thu) 23:52:07
こんばんは、「感情と行動を別にする」で検索しこちらのHPにたどり着きました。
私は39歳の女性で摂食障害(過食嘔吐)で18年になります。20代の頃心療内科や精神科にもかかりましたが、薬だけで一向に良くならず治療をあきらめていました。
去年からやっぱり自分と向き合う必要があると感じカウンセリングを受けはじめました。 カウンセリングでも気づきはありましたが、今年であったHPに「感情はありのままで、日常の生活を淡々とこなす。どんな嫌な感情もあっていい、その感情をそっと脇において今やるべきことをこなしていく。」と書いてあるのを見て「まさにこれが答えなのか?」 とも思いました。
理想の自分と現実の自分のギャップが埋められず、理想の自分を作り上げ妄想の世界で生きて来ました。それに気づいたのも最近です。 たまに見え隠れする現実が怖くて妄想の世界へ逃げてきましたが、ここにいるできないことだらけの自分が自分なんだと知りました。 心のどこかでいつも誰かが何とかしてくれると思っていたので、どこかにすごい先生がいて魔法の薬を飲んだら治るんじゃないか?とも思っていました。
今は自分しかいないことはわかりました。モヤモヤ、イライラはすぐにリセットしたいし 答えが出なければ全部壊してしまいたい感じで、無意識に毎日過食嘔吐していました。 8、9月とわりと調子がよく、昔よりも大分太っていてスタイルも悪い自分は嫌だけど日々の生活をするべきことをこなすことができる。これなんだろう、これでいいんだよね?といいながらいましたが、10月に入り調子が悪いです。
調子が悪いときほど今どんなことを思っているのか自分を見てみるのですが、原因は多分11月1日にある健康診断かな?と思っています。 また去年より太っていてそれを見るのがすごく怖いです。
昨日仕事から帰ってきて思ったのですが、、「どんな嫌な感情やいまいち原因がわからなくてモヤモヤ、イライラしていても行動は自分が選ぶことが出来る。」このまま夕食の支度をして、食べて子どもの宿題を見て、風呂に入って寝ることもできるし、過食して何も感じないように見ないようにも出来る。どちらを選ぶかは自分なんだ、ここで「えいっ!」って夕食を作ってふんばれ〜!!とも思ったり、 「感情と行動を別にするって結局は感情を我慢すること???」と思い我慢なんて出来ないし続かない!と過食してしまいました。
過食する理由を探していたのだと今は思いますが。
「感情と行動の分離」とはどうしたらできるのか?また初級から一から読めばいいのですが、量も膨大で一体どの編から読んでいいのかわかりません。
アドバイスいただけたら幸いです。 |
|
□ ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」^^ / しまの |
|
No.508 2012/10/27(Sat) 10:40:42
ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」
まず、ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」は、感情を意のままに変えられる自己コントロール術を目指すものでもなければ、思い立った行動であれば何でも必ず実行できるような超人的意志力を目指すものでもありません。 そうではなく、 ・外面の行動法としては心の健康と成長に向かうことができるような行動法を学ぶ ・内面に感情にについては心理メカニズム理論なども学びながら、ありのままに開放して深く理解する という2面の向き合い方をするという実践です^^。
つまり感情と行動を別々に切り離すという話ではなく、感情と行動にそれぞれ別の向き合い方をするというのが、ハイブリッド心理学の「感情と行動の分離」です。
そもそも外面の行動法として「心の健康と成長に向かう行動法」とは、内面感情もしっかりと配慮するものです。そこでどのように配慮していくかに、具体的な学びが出てきます。そうした「学び」が、今までの、ただ感情に流された思考とは全く違うものになってくるという話です^^。
ハイブリッド心理学が目指すもの
それが目指すものは、総合的な心の健康と成長、そして人生の豊かさです。それは上記の2面の取り組みを続けることで、その2面のはざまから、私たちの「命」そのものが本来持っている心の自然治癒力と自然成長力が開放される、という考えのものです。
その先に至るのは、「心」と「魂」と「命」というものを別々に感じ取ることができるようになる、「心と魂と命の開放」というものになる、という主旨の心理学です。 それも瞑想トレーニングのような修行(^^;)の先に「悟り」として開くようなものとしてではなく、日々の日常生活と人生での具体的な思考法行動法や感情に地道に取り組んでいくものです。
摂食障害へのアプローチ・読書法
ですので、摂食障害についてはあまり専門ではないのですが、やはり日常生活と人生の全般の面で、充実感が得られておらず、ストレスをうまく解消できるものがない場合に、「身を削るような空虚感」が「食べること」に向かってしまうことが考えられますので、摂食障害そのものの治療以外に、日常生活と人生の全般で「生き方の向上」に取り組むことが、外堀を埋める形で根本治癒に向かうために役に立つと思います。
そんなものとしてご興味があれば、何から読めばということですが、「メール相談事例集」で家族関係・恋愛関係・仕事関連・心の障害関連といった基本的悩みパターンに分類した掲載を今後予定しており、それを読んで頂くのが一番手早いと思いますがまだ作業が追いついておらず、まずはこの読者広場の過去トピックなど眺めて頂くと多少参考になるものがあるかも知れません^^。 それらを参考に、何か具体的行動場面などでのご相談を書けそうであれば何でもお寄せ頂ければ^^。
じっくり学ぶ場合は、『入門編』やサイトの『ハイブリッド人生心理学とは』あたりをざっと一度読んでから、あとは1日に2、3ページ(製本での相当量で)を日々読んでいくといった、人生を通しての学びモードで読んでいくのがお勧めの読書法になります^^。 |
|
|
□ Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ |
|
No.509 2012/10/27(Sat) 21:42:34
早々の返信ありがとうございます。
過去トピックを見たり、『入門編』『ハイブリッド人生心理学とは』も呼ん少しづつでみようと思います。
しかしいつも子どもが寝てから本を読もうとかHP(カウンセリング関係)をじっくり見てみようと思いつつも過食になって結局出来なかった。となる日が多いです。
「出来ないのは過食のせいだ」と何か出来ないのはいつも過食のせいにして自分を守って来ました。過食を盾にしてその後ろに隠れてきた自分、過食に隠れた本当の苦しみや悩みを過食で隠して何も感じないようにして来たこともわかりました。
今まではどうして過食になるのかなんて理由もわからず、わかりたくない自分がいて回復の道のりを歩くことを自分で選んでいませんでした。
見たくない自分、醜く情けない自分を見るのが嫌で、自分の思い通りにならないことがあるとイライラ、モヤモヤを抱えていることができずに今は過食しているのだと思います。
前までは無意識になにも考えずに夜は過食嘔吐になっていました、今は過食するにしてもキッチンで「このイライラ、モヤモヤがあっても行動は自分で選べるよ、ここのふんばりなんだよ、ここなんだよ、ここで感情と行動の境界線を引くんだよ。」とワンクッション考えるひと時があります。
頭では色々とわかってきたこともあるので、あとは実践というか身体でわかるしかないのだろうと思うのですが。
また質問させてください。
@ そのワンクッションおいて考えるときにどのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?もう一押しのような気もするのですが・・・。
A それともう一つはカウンセリングでは「過食になる原因が必ずある」と言われます。 私自身今は過食が最初ではなく何かがあるからその次に過食があるとも思うのですが、その原因を考えてみてもた「多分これかな?」と心当たりがあるときと、考えても良くわからないけど何だか切なくて心がモヤモヤで重たい時も多いです。そんなときもとことん原因はこれ!と言う物を追求した方がいいのでしょうか?
是非アドバイスをお願いします。 |
|
|
□ 摂食障害への具体的アプローチ^^ / しまの |
|
No.510 2012/10/29(Mon) 10:25:34
では具体的アプローチなどさらにじっくり練ると、こんな感じになりますね。
>@どのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?
これについては、「自分に言い聞かせる」というより「知恵」を考えるのがお勧めですね。 「言い聞かせる」というのはどうしても「命令」「強制」という面があり、うまく行っても一時的なものになりがちのように感じます。ちょっと気分が緩むと元に戻ってしまうものとして。「励まし」「慰め」の類も、やはり一時的なものになりがち。 まあこれらが全て無意味なわけではなく、気持ちとしてそれを求めている時には時に必要にもなるでしょう。それを時折混ぜるとしても、一貫した前進は「知恵」によってがお勧めです。
過食であれば、実際のところどの程度食べても大丈夫か、どの程度以上食べるとマズイかを、しっかりと「数字」などで把握することが始めになると思います。時刻や量など。 またどうしても口に何か入れておきたくなってしまう場合に入れて良いものを工夫するという手もあると思います。先日TVの『世界仰天ニュース』で、巨漢でなかなか痩せられない女性が、偶然友人にもらった「よっちゃんイカ」にハマり、いつも何か口に入れているという行動はそのまま、口に入れるものがイカになった結果、噛む量に比べ胃に入る量も少なくカロリーも低いということで何十キロか痩せられたなんて話を見ました。
あとは、「食べること以外で気持ちが充実するもの」をどう見つけるかですね。大きいのはこっちの方になると思います。 ちなみに島野の生活というのは、そういつも文章がすぐ浮んでキーボードを打つことができるわけではなく、文章練るために表面上は何も手につかない時間も結構あるので、そこでついビールを飲み始める(^^;)なんて生活パターンもあり得るでしょうが、島野の場合はボロ家や庭の手入れやら洋服の寸法直しやら全部自分でやったり山登りトレーニングやらで結構ひっきりなしに動いている感じです^^。 無理に決めてやるのではなく、普段から「こうしたらいいな」というのをいろいろ考えていて、「これやりたい!」となったらやる。気分乗らなければやらない、という結構暢気なやり方でです。結果、口に物を入れる時間はあまりないという感じです。検討できそうか、ご参考まで^^。
>A原因はこれ!と言う物を追求した方がいいのでしょうか
上述の通り摂食障害が専門ではなく、ハイブリッド心理学としての総合的な立場から、また僕自身の個人的知識からという話になりますが、まずは「話は別」と考えていいと思います。つまり、「原因はこれ!」と分かることで過食が解消するようなものは多分ない^^; 特に原因がなくても、いつも食べてて太っている人もいるし、精神的原因があって過食になる場合も、過食の克服とその精神的原因の克服はちょっと別の話になってくると思います。それが見つかったとして(まず考えられるのは前コメントのような「身を削る空虚感」の類)、まず考えられるのは、過食については上述のように単独に対処克服する一方、精神的原因についてはより長期の取り組みになるというものです。これについては、前コメントのように「総合的な心の健康」に取り組む以外に王道はないと思います。
まずはこんなアプローチの全体感でどうかと^^。 |
|
|
□ Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ |
|
No.511 2012/10/30(Tue) 23:37:00
アドバイスありがとうございます。
>@どのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?
頭の中ではいつも夕飯はワンプレートのお皿におかずを乗せてそれを食べてもっと食べたいときは野菜サラダを食べようとおもいつつ・・・今日も途中から過食になってしまいました。それでもキッチンで色々と考えたり、メールをしたりしてましたが・・・ 途中から過食モードになってきてお皿になくなっても次々と食べ始め結局「もう駄目だ、もう過食してしまえ」みたいな。 でも毎日が実践だと思うので明日からもやってみます。
「食べること以外で気持ちが充実するもの」これもずっと探してきました。何か夢中になる事をし始めれば・・・と思い娘が生まれる前はちょっと興味があった「Webクリエイター講座」に毎週土曜一日通いましたが、課題も多く平日過食しながら夜遅くまで課題に取り組みましたが充実感はなく、本当に好きではなく「○○しなくてはいけない、何かしなくてはいけない」と思っていたのだと思います。
これからの人生でも見つけたら断然いいと思いますが、まだ見つかりません。見つからないことにもあせりを感じます。「やりたいこと、興味があることがないのか??」と。 でも焦っても駄目ですね(^_^;)
去年の7月から毎月1回カウンセリングをスカイプで受けていました。先回から2ヶ月に1回受けています。 そのカウンセラーにあるHPに「感情はありのままで、日常の生活を淡々とこなす。どんな嫌な感情もあっていい、その感情をそっと脇において今やるべきことをこなしていく。」と書いてあるのを見て「これが答えかもしれないと思った。感情と行動を別にするにはどうしたら良いでしょうか?」とメールした所、「私の理論とは違うからわからない。治りたくて色々なHPや本を見るのはわかるが情報に振り回されて本末転倒なのではないですか?」と帰って来ました。 カウンセラーの先生の言うことは「あまり情報は取り入れなくていい」と言うのですが、私はそのHPに書いてある言葉にはっとして「きっと克服への道のりはこれなんだろう」と思ったのです。
今まで本やHP読んだりしましたが、右耳から入って左耳から抜けていく感じで「これだ!」というものがありませんでした。去年からのカウンセリングもいまいち、このまま受けていて良いほうへ行くのだろうか??とも思っていましたが、そのHPの言葉に出会い、そこには「頭は妄想、身体は現実、身体でつかむもの」これなんだろう。と「納得というかこれしかないんじゃないか」と初めて思ったのです。
正直、カウンセリングもただ1時間特別な話と言うわけでもなく、13,000円も取られるので金銭的にも負担に思っています。3ヶ月に1回のカウンセリングは間が開きすぎといわれてこの間から2ヶ月に1回にしてもらいましたが、少し不信感も持ってしまっています。
色々なHPを見てきて情報に振り回されたことも確かですが、その中から自分が「これかもしれない!?」と思ったことを行動しようとするのは今カウンセリングを受けている身では良くないことでしょうか?
何となくカウンセリングの先生以外の事をすると悪いような気がしているのです。 HPにはこういう事が書かれていましたが・・・と言うと「じゃやってみればいいじゃん!」とか「今までカウンセリングしていて府に落ちるような感じはないの??」と言われ「・・・」だったり。
たびたびの質問ですみませんが、よろしくお願いします。 |
|
|
□ 過食と精神的原因への対処 / しまの |
|
No.513 2012/11/03(Sat) 12:43:18
では引き続き前回指摘した、過食そのものとその精神的原因の克服という2段階があるという前提で、アドバイスを加えましょう^^。
過食そのものの克服
・「食べてしまう」ことの防止策
>食べたいときは野菜サラダを食べようとおもいつつ・・・今日も途中から過食に
これについて最も即効的な対処策の一つは、過食になって困るような食材を家に持たないことです。まあこれは過食する食品の種類によって対処策にできるものとできないものがあります。 一番分かりやすいのは島野自身の例で、ポテチやおせんべいなどのスナックをつまみにビール飲むのが大好きなのですが、そうしたおつまみがあると必ずビール飲み始めてしまう(^^;)ので、スナック類の買い置きは基本しないようにしています^^; 「今日はビール飲むぞ!」と決めた段階で買う。
これが適用可能なものか。とにかく、過食になって困る食材を手にするハードルを、物理的に高くするということです。「自分に言い聞かせる」という内面向けのワンクッションを置くことに加え、外面でもワンクッションを設けることですね。 ちなみに島野は今日は日本シリーズでも観戦しながら、数日振りにビールを飲む予定です^^)/ (←ちょーどーでもいい話^^;;)
精神的原因の克服 まずは「ストレスや空虚感」が過食してしまう感情的要因であろうとして、その克服です。
・「純粋な楽しみ」という感情からのスタート
>「食べること以外で気持ちが充実するもの」これもずっと探してきました。何か夢中になる事をし始めれば・・(略)・・「Webクリエーター講座」に毎週土曜一日通いましたが・・(略)・・充実感はなく、本当に好きではなく・・(略)・・「やりたいこと、興味があることがないのか??」と。でも焦っても駄目ですね(^_^;)
それは「趣味」というより「職業」ですね^^; 「Webクリエーター講座」となると。まずストレスの素になるものです。職業というものは。良くも悪くも。 今回のアドバイスのような「気持ちが充実するもの」として重要なのは、「純粋な楽しみ」という感情から動き始めることです。 それはもちろん「やりたいことがないの!?」と詰問されて慌てて見つけるようなもの(^^;)ではなく、生きていることで自然と出会うものです。 それをふさいでしまっているものがあるかも知れません。「自分一人で楽しむ」ことを罪悪感に感じるというものなど。 でもそうした「自分一人で感じることのできる純粋な楽しみを感じ取る心」が、心の健康と成長に向かう道を選ぶ、最後の根本的な足場になるんですね。幼い頃に感じた、何気ない風景に感動を感じた気持ちや、庭の片隅の葉っぱで遊ぶことに夢中になった気持ちを、忘れていませんか。といった歌の文句のような話になりますが、まずそうした気持ちに耳をすませることからです。
・「自分を持つ」「自分の考えを持っていく」
>色々なHPを見てきて情報に振り回されたことも確かですが、その中から自分が「これかもしれない!?」と思ったことを行動しようとするのは今カウンセリングを受けている身では良くないことでしょうか? 何となくカウンセリングの先生以外の事をすると悪いような気がしているのです。
「空虚感」というのが過食の引き金になる典型的な感情要因なのですが、その遠因中の遠因が、この辺にあるかも知れませんね。 つまり「自分がない」という心の状態にあるかも知れません。というか、そうなる傾向が、その言葉に示されているように感じます。 今カウンセリングを受けいている身であれば、重要なのは、その先生の言うことにとにかく従うこと、ではなく、まずその先生の用いるアプローチが本当に自分の問題を解決するものであるのかどうかを、まず検討し判断することです。 この検討判断は、その先生の側で行うものではなく、受ける側で行うものです。もちろん先生は先生で判断している。それが本当に信頼できるものかについて、自分なりの判断を下さねばならないということです。 これは病気になって治療を受ける時の必須の姿勢です。出あたりばったりに医者に任せるのではなく。医者を選ぶ必要がある。だから島野は群馬で住んでいる今でも、歯医者だけは会社時代からの東京の医者に通っています。
こうした、日常生活でのさまざまな話題の節々に現れる、「自分がない」状態が、「心の空洞化」というものを生み出しており、「空虚感」を生み出し、「過食」につながる、という流れになっている可能性もあると思います。 過食そのものに対しては遠因中の遠因ですが、人生の生き方としては基本的重要テーマになりますね。まず日常生活で「自分の考えを持つ」ことに地道に取り組んでいく。 今回の解説原稿の中の「自分自身に対する論理的思考」などをまず参考下されば。
それによって、
>カウンセラーの先生の言うことは「あまり情報は取り入れなくていい」と言うのですが、私はそのHPに書いてある言葉にはっとして「きっと克服への道のりはこれなんだろう」と思ったのです。
も、自ずと答えが出てくる、というか出していかなければならない問題ですね。問題は何で、克服法は何。後戻りのないよう、しっかり「本当に確かだと思うこと」を確認しながら積み上げていく思考法です。 そもそも「情報は取り入れなくていい」では思考するための文章として不完全です^^; 「どんな情報」と、もう少し5W1Hを加えないと。情報は「取捨選択するもの」です。
カウンセリングの利用法
>正直、カウンセリングもただ1時間特別な話と言うわけでもなく、13,000円も取られるので金銭的にも負担に思っています。3ヶ月に1回のカウンセリングは間が開きすぎといわれてこの間から2ヶ月に1回にしてもらいましたが、少し不信感も持ってしまっています。
これについてどう考えるかも、「自分の考えを持つ」という日常テーマの一つになってきますね。 島野の考えを言うならば、医療にせよカウンセリングにせよ、「効果」に対して妥当な支払いを考えるのがまずは順当だと思います。歯医者に行けば、虫歯が治るからお金を払います。マッサージを受けるならば、30分なり1時間なり時間かけてもらっただけの効果が、その都度あるから、その都度お金を払います。そうしたものが、そのカウンセリングにはあるかという話にはなりますね。 1時間13,000円と聞いて思わず「げー!」と口に出しましたが^^。
ちなみに島野は、心の成長の効果を生み出すのは本人の「命」だという考えに立ち、相談対応は無償主義にしております^^。 |
|
|
□ Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ |
|
No.514 2012/11/07(Wed) 23:30:02
お返事ありがとうございます。
・「食べてしまう」ことの防止策 過食する食材は通常の夕飯以外には大体菓子パン、チョコ、スナック、アイス等があり菓子パンやチョコ食べると「あーもう駄目だー」という気分になるのでなるべく菓子パンとお徳用のチョコは買わないようにと思っているのですが仕事帰りにスーパーに寄って安売りをしているとついつい買ってしまいます。 特に食材が不足していなくても、いつも何かお買い得がなるかな?とか何かを欲しているかのように過食にならない日でもスーパーへ行って特売の野菜等を買ったりします。特に野菜を買う必要もないけど。いつも「もっともっとほしい」と不安なのかもしれません。 娘のおやつとは別としてスーパーに行く曜日や菓子パン、お徳用チョコはなるべく控えてみようと思います。
・「純粋な楽しみ」という感情からのスタート
小学2、3年生頃は絵や漫画を書くのが好きで家でも良く書いていました。
無意識ですが楽しむことに罪悪感を感じているのかもしれません。
私の望むような愛情の形をくれなかった母を恨み、憎んで来ました。また親に感謝できない自分は価値のない駄目な人間だと思って来ました。
どうしたら愛してくれるのか、母に今どう移っているのか?まわりの人たちにどう移っているのかが一番大事でした。自分がどうしたいのか?なんて考えたこともなかったです。 身体はあっても自分はいませんでした。
いつの間にか自分が感じることもわからなくなり、自分がどうしたいのか?さえ人に聞かないと不安でした。自分がどう思っているのか、どうしたいのかわからないし自分の決めたことに自信がなく怖いのです。これでいいのか?周りから見たら何か言われるのじゃないか?と 小さい頃、母が兄に「朝御飯なにがいい?」と聞き兄が「ご飯」と言うと私にも同じものを出すことが不満で「私はパンがいい!!」と言うと「わがままばかり言っているな!!」といつも私が言うことは「わがまま」と怒られました。いつからか自分がこうしたいと言うことは悪いことだと思ってきました。 自分が心から楽しいと思うこと・・・自分をよく見て耳を済ませたら昔のように聞こえてくるでしょうか?
自分で摂食障害を治すしかない、自分でしか治せない、誰もなんともしてくれない。自分の足で一歩づつ歩くしかない。と思うようになりましたが本心はそんな事わかりたくなかったし過食に逃げている方が楽なんだろうと思います。
まとまりのない長文お許しください。
NPO法人心ざわざわと言うHPに出会い「感情はありのまま、行動はあるべきよう」と書いてあり、どうしたら感情と行動の境界線をひけるのか?とネットサーフィンして島野さんのHPにたどり着きました。このように返信頂ける事、感謝しております。
「自分自身に対する論理的思考」を参考にまた是非質問させてください。 |
|
|
□ 取り組み課題と歩み方全体 / しまの |
|
No.515 2012/11/09(Fri) 16:51:11
取り組み課題がおおかた出てきたようですので、考え方と歩み方の全体などざっと^^。
・論理的思考
>「自分自身に対する論理的思考」を参考にまた是非質問させてください。 それに取り組むことに関心を持つのは前進ですね^^。 「自分自身に対する論理的思考」は、「感情を無視して理屈で行動する」なんてものではなく、感情を整理し、行動の前進につなげられる感情と、そうはできず自分の中だけで吸収消化すべき感情を見分けていくといった、「自分を導く」ためのものであるのがハイブリッド心理学の取り組み実践です。
そのためには、「それは何がどういうことか」というのを、「自分にとって本当に確かなことの積み上げ」として考えていくことが大切です。「そんな気がしただけの間違い」は、はっきりと捨てていく。 例えば、 >特に食材が不足していなくても、いつも何かお買い得があるかな? 「過剰」につながるようであれば「得」ではないですね。まあ確かに「お買い得」ではあっても「無駄」になる。 >過食に逃げている方が楽なんだろうと思います。 過食に逃げても楽じゃないから相談しているという話^^; こうした思考からはっきり「本当に確かなこと」の積み上げ思考へ^^。
>娘のおやつとは別としてスーパーに行く曜日や菓子パン、お徳用チョコはなるべく控えてみようと思います。 それがいいですね。まあ「なるべく控える」ではなく、はっきり「買わない」の方がいいと思います。今日は何時にこれ食べる♪と決めた以外は。 あとは時にどうしても食べたくなりコンビニに走ってしまうのも良しとするので、まずはいいと思います。とにかくクッションを多くして、「食べる?やめる?」と考える敷居を増やしていくことですね。そして今食べると決めた量だけ買う。それを長く続ける中で、大きな敷居境目が自分の中にできてくるかと。
・「愛」「自尊心(自分への自信)」「人生の生き方」
そのような「自分自身に対する論理的思考」によって、まずはそうした「日常生活と社会生活の向上」に取り組み、それを足場に「愛」「自尊心(自分への自信)」「人生の生き方」といった大きなテーマについての、自分の考えを問いながら学んでいき、その先に、心の根底で働いている、「自分を不幸にする」大きな歯車を取り去るというのが、 「学び」の流れチャート図 で表現しているハイブリッド心理学の取り組み実践の道のりになります。
一言でいえば、 >どうしたら愛してくれるのか、母に今どう映っているのか?まわりの人たちにどう映っているのかが一番大事でした。 といった、「愛され認められて自信を持つ」という受け身依存ベースのものから、「結果において生み出すという自尊心」「純粋な楽しみと喜びとしての愛」、そして「何がただしいか」ではなく「何がたのしいか」による生き方という、人それぞれが別個の存在であることを受け入れる、心の自立ベースのものへ。 ただし「そう感じるようにしましょう」ではなく、「ギャップを生きる」というものになるのが正解であるのは、今更新中の解説で何度も言っている通りです。
>私の望むような愛情の形をくれなかった母を恨み、憎んで来ました。また親に感謝できない自分は価値のない駄目な人間だと思って来ました。 やはりこうした「精神的原因」に掘り当たりますね^^。 「愛されなかった思い」は、『理論編下巻』の最後の「Y子さん」の言葉のような「魂の感情」に、答えというか収まりどころがあるものになるかも知れません。そんなものもあると知っておくといいでしょう。 終章 人生の答え−3 の最後の方の「魂に魂が宿る」の節です。
一方、「愛がこうあるべき」という観念は、「自分を不幸にする」大きな歯車の1つです。これを捨てるのが先になるかも知れない。「こうあるべき愛がなかった」ことが不幸の原因ではなく、「こうあるべき愛」という基準から現実を切り捨てることが不幸の原因なんですね。 『入門編下巻』の「9章 愛への道」ではこんなこと書いています。(愛が向う道 「現実世界」 P.279) ========================= 「愛がこうあるべき」という想念に駆られた中で、自分をその通りに愛せなかった他人は、「悪」に見えたでしょう。そして他人をその通りに愛せない自分が、「悪」に見えたでしょう。 しかし「愛」をめぐる全ての「べき」から開放された時、この人の前に、全く別の視界が開けます。 それは「悪」だったのではなく、「弱かった」のです。弱く、追い詰められ、自分のことで精一杯だったので、「愛がこうあるべき」と絵に描いた通りには、他人を愛せなかった。それだけです。 それは自分のスタートラインでもあるのです。それらの過去の人々の姿とは、今の自分の姿でもあるのです。 この全てを、受け入れるのです。 =========================
>自分が心から楽しいと思うこと・・・自分をよく見て耳を済ませたら昔のように聞こえてくるでしょうか? こっちから耳をすませるのと、向こうからやってくるのとの、「出会い」です。耳をすませることですぐ聞こえてくるとは限らない。しかし常日頃耳をすませるようにもしないと、聞こえるべきものも聞こえてこないでしょう。
・道のり全体の歩み方
いずれにせよ、全てが「自分自身に対する論理的思考」による「日常生活と社会生活の向上」の中で具体的に学び、自分に問う中で「気づき」さらに「出会い」もあるという歩み方になります。 ですので読書については「これとこれを全部読んで理解すれば分かる」なんて話ではなしに、料理のレシピ本と実際の実践という感じで、ざっと把握するのと日々の生活の中での実践という感じで、最初のアドバイスに書いたような人生を通しての学びモードで歩みを進めていって頂ければと思います。
レスが増えてきましたので、次は新規トピック立てて何でも相談頂ければと^^。 |
|
|