■ 学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / 蓮 |
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No.1003 2014/12/02(Tue) 01:33:02
こんにちは。
物理的変化として、混沌としていた自室があらかた片付きました。 参考にしたのは、TVにも結構出演されていた近藤真理恵さんの著書などですが、よく言われている「物を大切にする」という言葉の意味合いを考え直すのにもずいぶん役に立ちました。少なくとも、自分の役には立たないような物を嫌々ながら収納に押し込んで持ち続けてる状態は、決して物を大切にはしていないのではないか、と。自分に必要な物や持ってて嬉しくなるような物など、残す物を厳選してそれを大切にするほうがよほど精神衛生上良くなることに気づきました。 他には、余所のサイトで勧められていた精神世界系の著書を読んでみました。感情と行動の分離を理解する手助けになるとともに、先生の説明の中で「他の取り組みも本質は同じ」ということを仰られてましたが、それを実感するような記述もありました。その著書の内容に沿って考えると、私の場合は、思考や感情を自分そのものだと思い込んでそれを前提にあれこれ考えていたことも感情と行動の分離が捗らない理由の一つに挙げられるように思えました。
最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。それに沿っていくと、何かの行動を起こす場合に他の人との関わりを増やす必要がある、という感覚はだいぶなくなってきており、その方が自分にとってしっくりきている実感があります。これまでの行動も考えてみれば一人での行動が起点になっていましたし、今は一人で楽しめるものを増やす、あるいは一人で行動できる範囲を広める時期なのかもしれない。と感じてます。たまに一人で遊びに行ったとき「この面白さを共有できる人がいれば尚良いかもしれない」と思うことはありますが、同じことに興味関心を持ってる人が周囲にいるならともかく、残念ながら今はそういう人が居なくなってるので、それなら無理をする必要もないか、という感じでいます。勿論、自分も周囲も興味関心が移り変わる可能性はあるので、その時はその時でまた考えるとして。
大きな流れで考えている間に、大学以降自分の人生の進み方に芯が無くなったのを自覚しました。その原因を考えてみると、ここ数年は人間関係に懲りまくっているものの、在学中や社会に出て間もない頃は人との関わりを増やすことを考えすぎており、特に在学中は、人の輪に入る度に上手くやっていけないことを大学の勉強も将来の進路もそっちのけで悩み続けていた、というのを最近思い出しました。親類や学外の知人などから「勉強だけではダメだ」と言われたのをバカ正直に受け止めすぎたのもあり、だんだん勉強は悪いものなのだという感覚を持つようになっていったことも記憶しています。道徳思考の中でお金は汚いものだと言ってる人が巷には少なくないため、この辺は「学歴」や「勉強」を「お金」に置き換えると非常に考えが纏まりやすかったのですが、そういう周囲の道徳思考に流されて自分の進路について自分の頭で考えることを怖がっているところもあったかもしれません。「このまま勉強で進路を決めていったら周囲が敵だらけになる!」と思いつめていました。大学受験の直前に叔父や叔母から呼び出されて「受験したくないならしなくていいんよ?」と言われたり、在学中には「普通に生きなさい」と言われたりしたのをよく覚えているのも、そういう話の象徴だったように思えます。冷静に考えれて学内に目を向ければ、公務員だの国家資格だのを目指そうと真剣に目標を立てている人もかなり多かったし、敵しかいなくなるとは限らなかったにもかかわらず。 そういうものを思い出しているうちに、自分には無いと思い込んでいた学歴に関するプライドは、ただ抑圧されていただけだということに気付きました。最初にご相談させて頂いた内容の通り、特に仕事中は気が短いことが多いですが、抑圧されていたプライドによって「何故この俺がこんなことで糊口を凌がなきゃならないんだ!?」という感覚も水面下に存在したことに気付きました。これに対する答えは上記のように既にハッキリ出ており、強烈に凹んだ感情を流すことになりました。その後、「確かに在学中は他人に流されすぎて、大学に行ったことが無駄になってしまった。ならば、もし自分が真剣に勉強したらどれだけのことができたんだろうか?」という疑問が湧いてきて、「それならば今試してみようか」という結論に至りました。 参考書を調べてみると評判の良さそうなものがあったので、ためしに1冊買って読んでみると、意外にスラスラ読み進めることができました。あるいは、断片的な記憶はあったので、たまに懐かしさを感じたりしました。少し前までそういう行為や願望こそが偽物だと決めてかかってたのが嘘のようです。資格試験を目指すかどうかはさて置き、学生の頃に全然身につかなかったものを取り戻したい、少なくとも母校を出たのに見合う程度のことは吸収したいと感じています。まさに、十ウン年前の忘れ物を取りに行くような感じだな、と。
とりあえず、勉強への推進力が付きそうなものが見つかったのは大きな前進のように思えます。反面、当分の間は仕事中に流す感情が増えそうですが。 最近までの進み具合として、ご報告させていただきます。 |
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□ Re: 学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / しまの |
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No.1006 2014/12/06(Sat) 16:48:28
具体的問題での前進があるようで、なによりです^^。
具体的問題での前進の積み重ねの中で、心の基盤も強くなり、それによって、「価値観」や「人生の前進」といった大きく長いテーマについての考え方にも変化が起きてくる、ということになるかと。 そうした前進と向き合いが生涯続く、という見通しでまずは向かうとよろしいかと^^。
>最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。
これはどんな問題があって「何かを変えないと」と感じたのかをより明瞭化することで、ハイブリッド心理学からのアプローチも出てくるかも知れませんね^^。
長いテーマへの取り組みについては、進み具合について僕からコメントなどおよばないものになると思いますが、問題の状況に応じた歩みの道のりと中長期的な視野などについては多少アドバイスできることもあるかと思いますので、質問などあればまた何でもお寄せ頂ければ^^。 |
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