しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
  
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2019

八方塞がりのままです / まる
No.1337 2019/12/04(Wed) 23:28:30

島野さん
ご返信ありがとうございます。
あれからなんとか、自分のできそうなことからやっていますがなかなか前進の感覚がありません。

先日職場の人から、私が若く見られるよう作ってると何の脈絡もなく突然言われました。
ミニスカートで上目遣いとかならともかく、普通の格好でそう言われるのは見下され嫌われてると解釈しましたし、かなりショックをうけました。他の人にそんな失礼なことを言ってるのは見たことがない。
夫に愚痴ると、仕事の邪魔をされたと激怒、人生狂ったのは私のせいだと。
何とか前向きにジムにも通い出したり頑張ってるつもりなのに、叩きのめされた感じです。
精神年齢も、社会性も、人間性も、仕事能力も何もかも追いつかないが、自業自得。
前に進むどころか…。人から見たら、相当頭悪い馬鹿なんでしょうね。 
人生って本当に私のような不真面目な馬鹿には向いてないです。
頑張るのが当たり前なのに、手を抜いて楽をしてきたツケなんでしょう。
頑張れない人間に居場所はない、今の現実がとても惨めで死にたいです。
今後かなり優秀な人たちを雇う話も聞いており、勉強ができないとか論外ですのでやはり続けるのは厳しい様に思っています。


 
Re: 八方塞がりのままです / まる
No.1339 2019/12/06(Fri) 13:47:44

しばらく考えて、自分が上記で書いたように、人から嫌われたり若作りと揶揄される理由が分かった気がします。
根底にある依存性と主体性のなさ、他者や組織に属していながら貢献する態度を見せず、自分の意見も持たない受身な態度が、努力の欠如と甘えが見え不快なのだと思います。
いい歳してこいつどうしようもないな、といった感覚でしょう。
少しでも自分がマシになるために、まずは主体性を持つことから始めるしかないと思います。
痛い中年として生きていきますが、ある程度周囲に恩返しでもしたらさっさと死にたいと思います。


 
連投すみません / まる
No.1341 2019/12/08(Sun) 12:33:54

何が問題で悩みなのか書き出してみました。
承認問題
・人間として魅力がなく孤立している
・周囲と比べて能力が低い事による劣等感
・主体性がなく幼稚未熟なせいで周囲から見下されているという屈辱感
・歳を取ると愛されない、邪魔者扱いされるという恐怖感
・人望も能力も子供も趣味も若さも、何もない自分が惨めにおもえる

仕事に対する姿勢
・目の前の事に全力を出せない
・仕事内容に意味を見出せない、目指す先がわからない
・頑張る事が辛い
・他人は楽しそうに生きてるのに自分は休日も仕事のことばかりで虚しい
・責任持って頑張るためには、恐怖感や危機感をもつしかないだろうか
・馬鹿にされないために頑張るというのはごく短期間ならできるが持続は難しそう

上記問題に対し、何ができるか
・仕事の目指すべきゴールや姿が分からないので、本を読んで勉強する
・今まで何をしてたのかなど自分を責める声から逃げるためにとにかく勉強や運動で頭を一杯にする
・今あるものを数える。今のところ健在な親、義両親、狭いが一応持ち家がある、夫、健康、収入など数えること
・今と違う役割を持て自分が引け目を感じずにいられそうなコミュニティに属してみる(発達障害や弱者のための自助会、ボランティアなどをやってみる

自分を責める声、どうしようもないゴミクズといった自意識から逃れるために、何でもやってみるしかないかと思います。


 
「本心から価値を感じられるもの」に向かう^^ / しまの
No.1342 2019/12/17(Tue) 10:27:21

これはまずは、
>何でもやってみるしかないかと思います。
とのことで、何かやってみようと思えるものがあるなら、それは良いことだと思います。
重要なのは、「本心から価値を感じられるもの」あることですね。それを模索し向かうのが当座の進み先になると思います。実は本心では自分にとっての価値を感じてなどいないままの、外見イメージからのポーズのようなものではなく。この違い見極めるよう自分に向き合うのが、当座のステップになるかと思います。
「本心から価値を感じられるもの」向かうことに「前進」があり、いろいろ書いて頂いたような自己不満感情のようなものも、その前進の中で、走る車のタイヤと地面の土煙りのように自然と後ろに消え去っていくものとまずは位置づけられますので、自己不満感情見入るようなものではなく、目線自分の前に向け、「本心から価値を感じられるもの」見定める目向かうという姿勢が、まずはお勧めになります。
ですので
>まずは主体性を持つことから始めるしかないと思います。
まさにその通りですね^^。

もちろんこの観点だけで片付くものではなく、大きな前進方向性としては、ハイブリッド心理学「取り組み実践」ようなものに、どれだけ自ら取り組むかになると思います。これはもうこうした掲示板での限られた文章枠つたない島野のアドバイスどうこうできるものではなく、まず日常的時間見つけて読書からになりますね。
結局『辞典』整理しているような視点全て織り成すことで、問題解決自己の向上と方向転換に向かう、人生を通した歩み向かう結果、書いて頂いたような自己不満最終的どう変化するかという、長い道のりになると思いますので、
実践1-2 「取り組み実践」の進め方
なども参考に読書の習慣日々の実践について検討してみて頂ければと思います。

そうした読書の中で疑問を感じたテーマ日々の生活での問題場面、また書いて頂いた自己不満事項でもいいのですが、何か一つ二つ程度に絞って頂けれれば、個々について多少より詳しく具体的な考えお伝えすることもできるかも知れません。

いろいろ書いて頂いたのに対してはちょっと簡素なアドバイスかと思いますが、まずは全体の方向性としてお伝えできる最初の一歩ということで、そうしたものとして進め方検討頂ければと思います^^。


(No Subject) / unknown
No.1336 2019/11/25(Mon) 14:11:44

島野様

いつも拝見させていただいております。

大元の愛されたい望みを叶えるためにハイブリッド心理学の行動法を行使し、成長のサイクルを経るごとにやがて愛される事を必要としなくなり純粋に価値の生み出しへと向かう、という流れで理解しているのですが、正しいでしょうか。

自分の中に、この人生には愛以外必要ないと感じるほど愛され要求が存在していることに気づいたのです。自分の一挙一動が全人類に愛されるために捻り出してるような感覚を自覚しました。

おおげさで現実に不釣り合いだと自分でも思いますが、あまりにも生々しい感情なのです。
自分自身の愛されたい願いを叶えてあげたいです。受け身の未熟な願いが根源でも建設的に徹することによって前進になり得るのでしょうか。


 
「愛されたい願望」からの成長への3段階ステップ^^ / しまの
No.1340 2019/12/07(Sat) 15:38:20

>受け身の未熟な願いが根源でも建設的に徹することによって前進になり得るのでしょうか。

これはまずは、「建設的に徹する」具体的内容いかんになると思います。それが真に本心から自分にとり価値があるもの思えるもの「生み出し」として建設的なものであれば、それに向かって検討し行動を模索する「体験」一つ一つ「成長」につながる前進になるだろう、と。

一方前進にはつながらないであろうものとして留意したいのは、「建設的」内容が、人に愛されようとして自分の本心を損なった別人を演じるようなものになってしまうものですね。まず言ってこれは、たとえ一時的にはうまく行くように思えても、長続きせず人から見ても、あるいは自分自身にとっても無理のあるものであるのが次第に明るみに出て、心はむしろ窮地に向かうようなものになってしまいます。
でもまあ「こんな自分でこう愛されて」という自意識空想の高揚感によって本心と思い込みながらちょっと違う自分を演じてしまうのが、未熟から歩む人間(さが)と言えるものでもありますので、そうした心の窮地対面して自分の本心を取り戻すという転機が、これまた成長重要な一歩なり得ます。


「愛されたい願望」からの成長への3段階ステップ

上記ご質問では具体的な問題場面状況などはあまり書いておられないので一般論的な話をしますと、
「愛されたいという願望」はどちらかと言うと自分自身では前進できないという心の状況強くなるものですので、それだけではあまり前進力にはならず「愛されるために自分としてこのようにしたい」という具体的内容前進性課題になる、ということになります。
それが例えば、「愛してくれなければこうしてやるぞ」と脅すような破壊的なものでなく、上記のように建設的、そしてそれが自分の本心から価値を感じる内容のものであれば、成長への前進つながる、という

一方この前段として、そもそも「愛されたい願望」があってもそれをありのままには自覚していない状態、というのがありがちですので、まずは「ありのままの内面感情の開放」として自身のそうした願望ありありと感じ取るというのが最初のステップになるというになりますね。
ありのままには自覚していない状態というのが具体的にどういうことかなど書きだす話が膨らみすぎるかと思いますので省略しますが、ともかく書いて頂いた、

>自分の中に、この人生には愛以外必要ないと感じるほど愛され要求が存在していることに気づいたのです。自分の一挙一動が全人類に愛されるために捻り出してるような感覚を自覚しました。

というのがこの最初のステップだとして、踏み出し検討すべき上記であり、それが2つ目のステップになるということでよろしいかと思います^^。
>自分自身の愛されたい願いを叶えてあげたいです。
のために、何をするかですね。

それが建設的であり自分の本心から価値を感じる内容のものであれば成長への前進つながるということですが、ハイブリッド心理学からは、それをそれぞれの人がその人なりのものを考えればいいという話ではなく、あくまでハイブリッド心理学採用する生き方姿勢、価値観や行動法沿ったものであれば、ハイブリッド心理学が考える「成長」への前進つながるであろう、というになります。
この具体的な内容ここではいいかと。『辞典』でまとめている内容ですね^^。
ただそこで一つ重要テーマなるもの指摘しておきますと、
「行動学」
ですね。
そこにおいて「前進」とは、ティーンの頃に抱く、アイドルのようにキャーキャーちやほやされるというイメージでの「誰にでも愛される」というものから、「誰にでも尊敬される」という年齢的成熟応じたもの、そして「愛される」だけではなく「勝てる」「この社会を生きる自信を得る」「強さ」という、「愛されたい願望」とは根源が異なる前進段階対応するものになります。
「前進」というからには、やはりそれは「人生における前進」としてあってこそのものであり、それは結局、ただ受け身に愛されることから、自分で生きる能力を得て、自ら愛する側に立つという心の変遷向かうものとしてあってこそということですね。

そんなものとして、
>自分自身の愛されたい願いを叶えてあげたいです。
のために、何をするかとしてどんなことがあり得るか、など考えることを手始めにして頂ければ^^、というのがまずはアドバイスになるかと思います。

心の成長流れを言いますと、そうして「社会を生きる自信」足場に、自分から愛せるもの向かうのですが、そこで「現実」に出会うという重要なステップ3つ目になります。
自分から愛せるもの向かうとは言っても、我々未熟な人間結局、上に述べた、「こんな自分でこう愛されて」という自意識空想の高揚感によって本心と思い込みながらちょっと違う自分を演じてしまうというのを、かなり最後まで引きずる存在です。
そこからどう抜け出していくのかと、一言でいうと、
「強さ」を得て、自分から愛されるものに向かうために、勇気を持って「現実」にぶつかっていった時、自分がどれだけその相手を本当に愛することができるのかの真偽が、自分自身に明らかになる、と。
これは実は結構「怖れ」を伴う体験にもなるでしょう。それを越えるためにも、「強さ」必要になるわけですね。
しかしそうして本当に自分から真に愛せるもの見出した時、心の豊かさ揺らぎないものになっていきます。その時、もう「愛される必要がある」という意識も、根底から消え去っているでしょう、と。

まあちょっと難解な話含むかと思いますが、「成長の流れ」言うのであれば、そんな話になりますです。
ですので、

>大元の愛されたい望みを叶えるためにハイブリッド心理学の行動法を行使し、成長のサイクルを経るごとにやがて愛される事を必要としなくなり純粋に価値の生み出しへと向かう、という流れで理解しているのですが、正しいでしょうか。
は、
価値の生み出しに向かう学びと模索と体験の積み重ねが成長のサイクルとなり、成長するごとに、「どう愛されるか」という意識から、「どう自分から真に愛せるか」へと意識の重みが移っていく。
という感じにするのがより正確かと思います。

まずは成長への次の一歩どう向かうか具体的前進重要になりますね。その辺「愛されたい願望」どう働いているかの具体的問題場面状況など取り上げて頂ければ、それに応じた具体的アドバイスもできるかと思います^^。


自己否定で潰れそうです / まる
No.1333 2019/10/30(Wed) 20:39:31

目の前の仕事に集中しようと思うのですが、興味のないことに集中できない性質なのもあり、何とか自分を最低限の作業に縛り付けるだけで多大なエネルギーを使い疲れ果てています。
人生価値観も間違っているのは頭でわかるものの、推進力のある希望を人生に見出せません。
結局、仕事内容には全く興味も関心もなく、人の承認や愛情を求めているからだと思います。
そして自分の内面の理屈を紐解くほど、自己中心的で幼稚な考えに打ちのめされてしまい、前に進む推進力になるものが一つも見当たらない。。こんな場合どこから手をつけたら良いのでしょうか。
仕事のスキルを上げるのが第一ですが、市場で求められるレベルに足りなさすぎて圧倒されてしまう。自分がいかに怠けてきたか思い知らされるのに、だから頑張ろうと奮起せず無力感と劣等感で潰れてしまう。
自分の生み出す成果にまるで価値がないように思えます。
日中は動悸がひどく、夜も眠りが浅く、夫とも激しく喧嘩したりで八方塞がりです。
これ以上ストレスを感じたくないのに、身体が勝手に感じるようでそれもまた辛い。
出来ないからこそどんなレベルであれスキルアップしていかねばならないのに、それが出来ないようでは困りますよね。
勉強せずに東大に入りたいと言ってるような矛盾も感じます。
会社にいると常時頭の中が自己否定でワンワン鳴ってる感じで、どう書いたら良いのか分からないのですがヒントをいただけるでしょうか。
自分で考えることを放棄しているつもりはないのですが、パニック気味のため思考の整理を助けていただきたいです。よろしくお願いします。


 
Re: 自己否定で潰れそうです / まる
No.1334 2019/10/30(Wed) 23:57:58

ちなみに、人間性の核として挙げられている誠実さ、真摯さ、向上心のどれも自分は持ち合わせていないように思います。
自分の内面、外面の現実に打ちのめされて、いかなる前向きなエネルギーも湧かないというか…受け止めるだけで精一杯な感じです。
プライドを捨ててやり直すにも、今の年齢をふと思い出すと一気に脱力感に襲われたりもします。
前進感が感じられないからだとは思いますが…原動力が欲しいです


 
確実な答えから足場を固めていく^^ / しまの
No.1335 2019/11/04(Mon) 16:10:52

これはまず書いて頂いたように外面内面共に動揺している場合
1.まず外面現実問題への答えを、切羽詰ったものから出す。外面現実問題への答えというのは、行動学などの知恵からは必ずすぐ答え出る
2.そうして外面を多少とも落ち着かせてから、内面にじっくり取り組む。
というのが定石になります。

まあそこで「1.外面現実問題への答えを出す」というにおいても、細分化すると
@対処法の考え方をまず情報(理屈)として得る。
A自分としてそれに納得する。
B自分の行動能力としてどこまでできるか見極める。
というステップになるわけで、そうした外面対処法答えに、最低限自分の心が向けるかという内面確認含まれてきます。

>前に進む推進力になるものが一つも見当たらない。。こんな場合どこから手をつけたら良いのでしょうか。
>自分の内面、外面の現実に打ちのめされて、

とのことですが、まずはそれが答えだということになりますね。大きな外面問題から答えを出していく。内面向き合うとして、外面問題への答えに向かって何か自分を背中から押してくれる力というより、まずはしがみつく力持つかどうかという感じになると思います。
そして重要なのは、大きく確実な問題への答えから、一つ一つ覚悟を決めて足場にしていくという、自分の考え方、行動の仕方、そして生き方の積み立てですね。

例えば、
>目の前の仕事に集中しようと思うのですが、興味のないことに集中できない性質なのもあり、何とか自分を最低限の作業に縛り付けるだけで多大なエネルギーを使い疲れ果てて
であれば、「仕事の選び方進め方」への自分の考えどう持つかという問題であり、その状況僕から言うなら、
・まず既に引き受けた仕事は、興味のあるなしに関係なく全力を注いで片付ける。
・これから次に引き受ける仕事については、興味のあるなしや自分の能力に応じてじっくり検討する。
というのが進み方だというになるわけで、実際そうした考え方仕事さばいてこられた次第です。

>日中は動悸がひどく、夜も眠りが浅く、夫とも激しく喧嘩したりで八方塞がりです。
も、一つ一つ着実な答え出していく。これも僕の考え方ならこう行くというのを、ごく基本手短に言うなら、
・人とは「現実において生み出す」ため以外の無駄な会話はしない
・睡眠の質を過度に気にせずに、まずは規則的な就寝時間の習慣立て
・「日中の動悸」については、そうして外面問題を片付けていくことでどう収まっていくかの様子見
といったもの。

ということで、
>人生価値観も間違っているのは頭でわかるものの、推進力のある希望を人生に見出せません。結局、仕事内容には全く興味も関心もなく、人の承認や愛情を求めているからだと
といった言葉を見るに、内面の大きな転換のようなものもイメージするかも知れませんが、まずはどっちかと言うと細かい外面現実問題への答え考え方から幅広く着実に出していく、その過程自ず価値観のような内面取り組み可能になる、というのがまずアドバイスになりますね。
僕の考え方なら上に書いたこともう少し細かくとか、一つ一つについてまたご質問頂くのも良いかと思います^^。


re「自己肯定感」と「自尊心」 / サカグチ
No.1332 2019/08/19(Mon) 11:46:38

島野様
よくわかりました。ありがとうございます!


(No Subject) / サカグチ
No.1330 2019/08/13(Tue) 09:32:17

島野様

心理学を学ぶと、自分を自分で好きになることが大切、自己肯定感などのワードがよく出てきます。
ハイブリッド心理学がこれらの言葉を定義し直すならば、どういう説明になるでしょうか?

幼少期に愛を感じれば、自己肯定感を自然に持てるようになり、人とも自然に楽しく関われるようになる。
幼少期にはぐくまれた、自己肯定感は大人になった時、無条件の自己肯定感として生きることを支えてくれます。一方生み出し自尊心によって価値を生み出して感じる自己肯定感は、自分はこれだけ価値を生み出しているという、自己の主観的な基準のもと、相対的に自分に価値を感じるという自己肯定感ではないでしょうか。でも、それは、もっと価値を生み出さなければ、というプレッシャーによって自分の心に強いストレスをかけてしまう、オーバーワークにつながる、それが完璧主義など高すぎるプライドなどと表現される状況だと思うのです。そうなると果たしてこれは幸福に繋がっているのか?疲れ果ててしまうだけでは?と感じてしまいます。その辺が僕の中で認識が整理できていません。

解説の方よろしくお願いいたします。


 
「自己肯定感」と「自尊心」^^ / しまの
No.1331 2019/08/19(Mon) 11:01:35

これはまず、

>心理学を学ぶと、自分を自分で好きになることが大切、自己肯定感などのワードがよく出てきます。
ハイブリッド心理学がこれらの言葉を定義し直すならば、どういう説明になるでしょうか?

についての結論として、ハイブリッド心理学「自己肯定感」という言葉呼び指せるものとしてどんな心理要素がありどんな構成になると考えるか、要点図示的書いてみますとこのようになります。
==============
「幸福感」・・・自身の状態について幸福を感じる感情
 |- 「喜び」「楽しみ」「充実感」などの幸福感への基本的感情
 |- 「自己肯定感」・・・「自分」意識され、自分のあり方として「自分はこれでいい」という肯定を感じる感情
     |- 「自尊心」・・・「自己肯定感」で、「自分への高い評価」という性質のもの。「自分を尊敬信頼できる」という心の安定基盤。人生の歩み出し、そして「社会に出る」という青年期から壮年期にかけての重要心の課題になる一方で、多くの人が、「真の自尊心」をなかなか築けずに
「愛され自尊心」「認められ自尊心」「優越自尊心」「打ち負かし自尊心」「否定できる自尊心」といった、いくら追っても真の自尊心に近づけない、方向違いの「プライド感情」駆られてしまう。
        |- 「社会を生きる自信」・・・「行動学」「仕事の普遍的スキル」などの実際習得を通して獲得される、「自分はこの社会でうまく生きていくことができる」という堅固自信感壮年期中盤での獲得がまずは目標になる。

「真の自尊心」とは
「真の自尊心とは、自分が自らによって幸福に向い得る生き方を持つ存在であり、自分の人生の羅針盤としてその自らの生き方を尊重し尊敬できるという感覚」(理論編上巻P.92)
うまり「真の自尊心」とは、自分人生生き方方向性とその能力への自信であり、基本的構成要素を考えるならば以下の3つなどが指摘できる。
 1)自尊心への価値観として「生み出し自尊心」・・・「現実において生み出す」ことを自尊心基盤と考え向かう姿勢。
 2)「社会を生きる自信」・・・実際この社会うまく生きることができるという能力獲得実績への自信
 3)「望み続ける誇り」「命をかけて向かうものを得る」・・・「望み続ける」ことが自ら成熟させ豊かにすることを体得し、人生生き方方向性確固としたものにする(入門編下巻P.219)。その「命をかけて向かうもの」を得た時、「自尊心」という心の課題完全達成されると共に、「自分を」どう感じるかという自尊心命題そのものがから消滅する(入門編下巻P.253)。
==============


まあこれも「愛への取り組み」話同様ここでとても全体説明ができるものでない沢山の話になりますので、執筆作業として、今更新中の「「愛」への理解と価値観と取り組み」の「「自尊心」への理解と価値観と取り組み」というページ設け完成させるようにしますのでp(^^)q


ということで全体説明そちらに回しご質問への主なポイントなどコメントしますと、

>幼少期にはぐくまれた、自己肯定感は大人になった時、無条件の自己肯定感として生きることを支えてくれます。

「無条件の自己肯定感」というのはちょっと過大視かも知れませんね。実際のところ今生きる現実場面での行動がうまくいかずトラブルになるばかりだと、自己肯定感なんて言っていられる状況ではなくなるというのが現実かと思います。
「基本的な自己肯定感」として、心の底流での感情としての自己肯定感というのにはなるかもしれませんね。
それがあったとして、心の表面での、今生きる現実場面での問題対処はやはりうまくできてこその、堅固な自己肯定感築かれるということになると思います。

一方そうした「基本的な自己肯定感」得られず育った場合・・これはつまり「根源的自己否定感情」という問題心に起きるということになりますが、この場合もやはり、今生きることにおいて、まず心の表面での問題対処うまくできるようになることによる自尊心築くことが、その克服への足場になる、というになります。
つまり、根源的自己否定感情心の底にあったとしても、まず心の表面というか心の中核において、「真の自尊心」築くというのが道のりになります。それを足場にした、人生後半「成熟」への歩みに、根源的自己否定感情最終的克服訪れる、というのがハイブリッド心理学の見出す心の歩みです。

ということでここでは「自尊心」テーマ絞り

>一方生み出し自尊心によって価値を生み出して感じる自己肯定感は、自分はこれだけ価値を生み出しているという、自己の主観的な基準のもと、相対的に自分に価値を感じるという自己肯定感ではないでしょうか。でも、それは、もっと価値を生み出さなければ、というプレッシャーによって自分の心に強いストレスをかけてしまう、オーバーワークにつながる、それが完璧主義など高すぎるプライドなどと表現される状況だと思うのです。そうなると果たしてこれは幸福に繋がっているのか?疲れ果ててしまうだけでは?と感じてしまいます。

ですが、この「相対的に自分に価値を感じる」というのは「自分に絶対的価値を感じない」というになるともうそれは自尊心を感じられないという話のような気もしますが・・^^;
というのは言葉の問題として、「生み出し自尊心」というのは、何を生み出すかとして「幸福」「解決」「最善の結果」といった類のものであってこそそう言いますね。もちろん「現実において」です。
一方、「特定の基準で生み出す」ことでプレッシャー、ストレス・・となると、最終的に何を生み出しているのかと言うとやはり「プレッシャーやストレスそして不幸を生み出している」のであり、とてもここで言う「価値の生み出し」には当たらないというになると思います。
結局そこで「特定の基準で生み出すことで自尊心」得ようという姿勢とは、「優越自尊心」「打ち負かし自尊心」該当するのではと。ま仕事では当然オーバーワークへと暴走しがち姿勢ですね。
「生み出し自尊心」姿勢だと、そこで「行動学」「仕事の普遍的スキル」などを駆使して、余裕のある仕事の仕方をして、かつ評価もされるといったベストの結果生み出してこそ、自分としても満足できるという姿勢になると思います。

その辺じっくり確認検討から始めてみて頂ければ^^。


re「愛への取り組み」 序説 / サカグチ
No.1329 2019/08/10(Sat) 06:32:47

島野さん

とてもわかりやすく、腑に落ちる回答ありがとうございます。
前に進んでいきます。


(No Subject) / 白花
No.1327 2019/07/22(Mon) 12:31:48

反社会的な行いや、タブーを犯す人々が物語ではしばしば描かれます。
古くはアダムとイブの禁断の果実、それから現代に至るまで、物語において禁忌は欠かせないものとなっているように思います。
犯罪・不倫・異常性愛・裏切り・残虐表現etc...
禁じられるほど欲求を掻き立てられる心理ですね。
私自身、そういったテーマを持つ作品を好み、創作もしています。
念の為おことわりしておくと、現実場面において反社会的・タブーな行動への欲求は現状感じません。

■ 望みのメカニズム
http://tshimano.jp/bbslog/200506.html

この一連の記事を拝読してから、皮相化した欲求=反社会的・タブーに基づいた創作に触れたり生み出すことに疑問を抱いています。
不健全なこととして見据え、脱却を目指すか。欲求のまま行動するか(もちろん他人に迷惑をかけないコミュニティ内で)。
感情・外面を判断材料に自分にとっての最善の行動を探っていこうと思います。

しまのさんは反社会的・タブーを取り扱った作品群に対してどういった視点をお持ちでしょうか?
健康な人の視点に関心があり、コメント投稿させていただいた次第です。


 
「反社会性やタブー破りの魅力」への取り組み^^ / しまの
No.1328 2019/07/24(Wed) 11:10:20

望みのメカニズム
http://tshimano.jp/bbslog/200506.html

>この一連の記事を拝読してから
かなり以前原稿になりますね^^。指摘頂き読み返したところ結構今後のまとめ使える部分がありそう。ありがとうございます^^。
で、

>しまのさんは反社会的・タブーを取り扱った作品群に対してどういった視点をお持ちでしょうか?
についてはごくシンプルに、創作作品については心理学考察材料、および個人的読書趣味としても対象外になりますです。

まずもう最近は、小説・ドラマ・演劇・映画といった全く見なくなってきました。もう還暦も近い歳にもなり(あと1年半くらいですが)「世の中にはこんなこともある」という知識欲おおかたお腹いっぱいという感じで、『世界仰天ニュース』『アンビリバボー』のようなまとめ再現Vなどは楽しく見るのですが、途中の細かい描写などはもう見てもあまり興味湧かない感じで・・^^;
さらに反社会・タブー行為そのものになると、ニュースで見ればもういいや、という感じかなと^^; というか基本見たくないものと感じるのですが・・^^;

ということで、物語創作そのものについては、もちろん興味持つ人若い年齢層中心沢山いると思いますので、実際反社会的行動などするのでもない限りは、自分自身でも十分楽しめるものであれば趣味さらには収入目論んだ活動とするので一向に良いと思います^^。
ただしそれが、どうも自分自身で心底から楽しめるものではない部分があるとすれば、ちょっと一考の余地はあるかも知れませんね。

なお
>不健全なこととして見据え、脱却を目指すか。
についてちょっとコメントしますと、「異常性愛」「残虐表現」については上記掲示板原稿でも触れていますが「望みの停止による情動の皮相化・荒廃化」という特別なメカニズム絡んでいるとして、より一般的な反社会性やタブー破り惹かれる心理というのは、
社会本道成り得るような望み目標について、来歴での何か自信の喪失断念
檻の中「良い子」でいることを期待するかのような文化環境。ま日本の学校というのは大抵そうですけどね。
という2つの要因背景にあって、ちょっと社会や世間の目への反発感情というのが心の底流流れている、というのが心理メカニズムとしては考えられると思います。

脱却への取り組みとしては、善悪観念根底からとっぱらったサバイバル世界観立った上で、自尊心への価値観転換大きな足場にして、「行動学」や「仕事の普遍的スキル」などの獲得による自信構築向かうことで、反社会性タブー破りといったもの自体魅力減少するであろう、といったもの。
これも結局はやはり特定の心理分析解きほぐしアプローチというより、『辞典』整理しているような取り組み実践全体になりますね。
ご返答になりましたかどうか^^。


(No Subject) / サカグチ
No.1325 2019/07/07(Sun) 16:47:46

島野様
返信ありがとうございます。
理解できました。サイト内
「愛」への理解と価値観と取り組み
の中の愛への取り組みという内容がまだ記入されていません。追記よろしくお願いします。

愛されたいという思いが全ての行動の原動力になっていることは、以前から気づいていました。
その閉ざされた世界での愛、分かりあい、認め合い、親密感を感じる愛を求めてきました。
しかし、その姿勢によって、恋愛がうまくいかなかったり、終わったりしていく、ということ。確かに今までもそうだったと思います。しかし閉ざされた愛に別れを告げて、楽しみと喜びの共有に愛を目指す、というのは、なんと受け入れがたい考えでしょうか。著書読ませていただきました。理解はできました。しかし、わかりあい認め合う愛を求め合う中にも、関係性の中で多くの人が、一時見いだすことのできるうっとりした感覚。僕らはつながっている、同じ思いだ、という恍惚とした感覚。失う悲しみにのたうち回りながらも、あの時の幸せが欲しい、そんな人に出会いたい、と皆思う。なぜならそれが既知の感覚の中で最も幸せな感覚ではないしでしょうか、それを捨て去るとしたなら、人生で求めるものを僕はまだ知りません。ハイブリッド心理学によって辿り付こうとしているもの。その感覚がどんなものか、未だかつて経験したことがない、そこに向かっていく。孤独と空虚と寂しさ、惨めさ、を抱えながら!それも長い道のりになる。
著書の全体を理解しなければ、とても受け入れがたい価値観です。喜びと楽しみの共有というならば、まず自分なりに楽しめることを見つけなければならない。仕事の原理原則を理解し、可能な限り価値を生み出し、仕事を楽しみ、そして趣味を見つけて、それを共有できる仲間を見つけていく、ああ、愛への道のりは遠い、といった心情です。


 
「愛への取り組み」 序説^^ / しまの
No.1326 2019/07/21(Sun) 11:35:50

「愛」への理解と価値観と取り組み
>の中の愛への取り組みという内容がまだ記入されていません。追記よろしくお願いします。
これは了解です^^)/ 『実践編下巻』着手し始めていますが、まずこのページ完成取り組みましょうp(^^)q
「「愛」への理解」「「愛」への取り組み」2つになりますね。
ただその基本説明でも
================
言えるのは、「愛」に取り組むとは、「人生」取り組むのとほぼイコールだということです。
================
と述べた通り、きわめて幅広く深い話であり結構な量になりますので、ここでは幾つかポイントコメントし、ページ埋める作業この後進めたいと思います。1、2か月はかかるかなーと。進展ブログでもお知らせしますので^^。


でまずこれですが、

>僕らはつながっている、同じ思いだ、という恍惚とした感覚。失う悲しみにのたうち回りながらも、あの時の幸せが欲しい、そんな人に出会いたい、と皆思う。なぜならそれが既知の感覚の中で最も幸せな感覚ではないしでしょうか、それを捨て去るとしたなら、人生で求めるものを僕はまだ知りません。

いえ、「捨て去り」しませんですね^^;
それを目標、望むタ−ゲットするのでもいいわけです。「一つになれた恍惚」というやつですね。アーチェリー競技70m離れた的中心点としては。
問題は、意識作業として実際何を狙えばそれを射止めやすいかですね。には重さとそれに働く重力、さらにその時々向き強さ違いがある、風の作用がある。
ならば、ただ目で見て矢の向きと的が一致したというその方向ストレートに矢を放っても、的にあたらないのはもう分かった話ですね。
ならば、最終的に矢が的に一番向かいやすいような、別のもの指標に、矢を放つ必要がある。それだけです。

それだけ、というのは一体どんだけーと思わず言葉が浮かびますが(^^;)、大きく2つの話になると思います。

1)実践的有効性
一つは、「一つになれた恍惚」直接意識的目標にして行動するという姿勢が、逆にそこから遠ざかる、それを壊す結果へと、自分を向かわせることになるという心の罠があるということ。
ここにまた2つのものがあり、一つ「愛を求めて怒る」そしてその怒りによって「愛を求めて相手を破壊する」という心の経路あるというもの。「一つになれた恍惚」直接意識的目標にするという姿勢でいた時、それがうまく得られない(相手がそれに応じない)ことが怒り生み出し、その怒りが、相手との関係破壊向かわせる。もちろん、うまく行っている間はいいのですが・・という話ではあります。
そしてもう一つが、我々本来、常に変化し続ける存在だということ。戯れるように一緒川面を流れる2枚の木の葉が、ほんの数秒後にさえも引き続き一緒にいるかどうかは分からないようにです。
つまりこれは、「あなたは私と前と同じように一つになれるはずだ」とは言えない、言ってはいけない、ということです。もしそう言った時、その言葉に含まれるストレスがまさに相手との関係を破壊することになるからです。

まず、こうした心の罠はまらないものとして、最終的には「一つになれた恍惚」最も得やすい行動法取る良いでしょう、というです。
それがつまり、「楽しみ喜びの共有」として「愛」に向かう、という価値観行動法だということです。
これはごく実践的として、そういうことだと言えます。
またこうした「共有重視」行動法習熟すると、のような関係、つまりこちらは望んでいないのに一緒にいることを無理強いされるような関係になったに、できるだけ波風立てずに相手と距離を置くような対処も、自然とうまくできるようになります。

2)「依存から自立へ」の心の変遷と「愛」
そしてもう一つ大きな話としてあるのが、我々本来常に変化し続ける存在というのをさら展開する話になりますが、「依存から自立へ」という人生の道がある、その先にこそ「愛への道」がある、というです。
まさしく『入門編下巻』主題になりますね。
その特別な話関連しそうな言葉書いておられるのが、
>その閉ざされた世界での愛、分かりあい、認め合い、親密感を感じる愛を求めてきました。
との、「閉ざされた世界での愛」

手短に書きますと、「閉ざされた世界」とは、私たちのそこから生まれ出る世界であり、「自分だけに注がれる特別な目」ある一方で、「存在の規律」圧迫がある世界。です。
対し「開かれた世界」は、「存在の自由」原則となる一方で、「自分だけに注がれる特別な目」ない。だからこの世界だけで生きようとすることは、「存在の規律」圧迫からは解放され代わりに、「空虚」という代償を伴うのだ、と。
ハイブリッド心理学が示す「愛への道」は、「閉ざされた世界」に別れを告げ、「開かれた世界」における「自尊心」の獲得を足場に、「第3の心の世界」に向かう、というものとしてある、というものになります。それは「魂の世界」だ、と。
ただしその前に、「否定価値の放棄」成す必要がある。自らにおいて、「魂」開放できるためにです。

・「愛への道」
わけの分からない話(?^^;)になるわけですが、は、我々には外面的にも内面的にも大きな変遷変化用意されているということです。
・外面的変遷・・・社会に出て、いっぱし社会人としての自己確立し、それを足場自分家庭築き今度自分子供育てる側へと回る。
・内面的変遷・・・「愛される」という受身依存の愛情要求の中で、自己の内実を見失い動揺に苦しむという姿から、「自ら愛する」という自己確立を足場にした「愛」持つことのできる姿へ。
この外面的そして内面的変遷両方で、我々は事実「愛」への向かい方として特筆できる、ある道筋があると言えます。
それは、「一度愛に別れを告げ、そして再び愛に向かう」という道筋です。その時「成長」一歩刻まれる、と言えるものとして。
これを何度も繰り返すのが人生だとも言えますね。
そこで「一度愛に別れを告げる」という局面では、確かに、「過去の幸せ」への未練一度「捨て去る」とは言えるかも知れない。

・「愛」への取り組み・序説
ということで、まずキーワードレベルポイント列挙しましたが、ぶっちゃけた表現をするなら、まず言って、
既知の感覚において最も幸せと感じたものをまた得るなどという、甘くて楽で安直なものなどない。
ということかと^^;
ごく実践的に言って、上記「社会人としての自己の確立」という人生の宿題に、自分なりにどんな答えを出すかという取り組みがあり、その中成長変化していきます。そうして交友での話題も、変化していく。「愛」というものの感じ方見方も、中高生の頃のものとは別世界のものも見えてくる。
そうした広い視野を持って人生に向かうことそのものが、「愛」への取り組みだということになりますね。

ということで辞典ページの方に取り掛かろうかと^^。
なお辞典の方は理屈整理中心具体的場面での考え方などあまり出ない感じかと。
内容としては以下のようなものを考えています。
・「愛」への理解・・・「愛」の定義、変化バリエーションとして「愛」における「真と偽」「未熟と成熟」「健康と病み」など。
・「愛」への取り組み・・・理解と価値観を踏まえ人生に取り組むのとイコールという一般的な話を簡潔に触れた上で、思春期・青年期・壮年期・老年期という人生の局面とそこで体験し得る「自己操縦心性の崩壊」「否定価値の放棄」「永遠の命の感性の獲得」「超越的幸福」といった節目における「愛」への向かい方出来事の考察など。

具体的場面での考え方などについては、
『実践編』『メール相談事例集』などご参考頂ければ。
あとこの掲示板でのアドバイスとして以下なども参考になるかと思います。
「愛を育てるための心のルール」^^ / しまの No.1228 2016/10/20


(No Subject) / サカグチ
No.1323 2019/06/30(Sun) 17:28:05

島野さんこんにちは、
島野さんの著書、サイトいつも参考にさせていただいています

料理のやり方がわからなくて、人にばかにされて劣等感を感じることが、ありました。
サイト、悪感情の種類別の克服対処の指針のところに劣等感がありませんでしたので質問させていただきます。

持ちもん劣等感に関しては、劣等感を感じる分野に関して、能力を高めていくということになるでしょうが、
全ての能力を高めることは、実質不可能というか、高める必要がない、つまり人にばかにされないようにしようとする動機のみで能力を高めることに疑問を感じました。やる気にもならないし、全てをやっている時間もない

僕として、ばかにしてくる人がいたとしても、気にしないような内面になりたいというか、何かをできないことに劣等感を感じる内面そのものと解きほぐしを行いたいです。

料理に関しては、居酒屋で働いていた時にたくさん怒られた経験が、精神に起因していると感じますが、
ではそれをどう癒すというか解放していけばいいでしょうか?

よろしくお願いします


 
「劣等感」の克服対処とは「成長」の全体^^ / しまの
No.1324 2019/07/03(Wed) 17:01:05

>悪感情の種類別の克服対処の指針のところに劣等感がありませんでしたので質問させていただきます。

これはあれっ書いた気がするのだけど、っと確認したところ、後で書こう枠だけ作っておいて中身は空欄でしたね^^ゞ
さっそくおととい入れておきましたので。一応以下の通り。
実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 / 劣等感・優越感
========
「劣等感」「優越感」は、人生全体「徒労」つまり「無駄な努力と苦しみ」塗る最大の絵の具だと言えます。つまり他人に優越することで「自尊心」さらには「愛」得ようとする姿勢によってその感情振り回されることになるのですが、それは「自らを尊敬できる」という真の自尊心得るものでも、そして「喜び楽しみの共有」という真の愛得るものでもない「自尊心と愛の蜃気楼」を追う姿勢であるに、まさにその姿勢によって、優劣テーマ、たとえば学業スポーツ仕事美貌といった目標課題への純粋で真剣な探究心向上心をなかなか持てず、結果優越向かうこともできず、やがて「激しい劣等感」へという蟻地獄落ちていくのが必至、という心理メカニズムがあります。
「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」へと目を向けることで、「劣等感」「優越感」も次第に色を薄め、やがて人生彩る絵の具パレットから、完全姿を消すでしょう。
========


ということで、

>つまり人にばかにされないようにしようとする動機のみで能力を高めることに疑問を感じました。やる気にもならないし、全てをやっている時間もない

となるのが必至心理メカニズム感情だということですね。
ですので、

>ばかにしてくる人がいたとしても、気にしないような内面になりたいというか、何かをできないことに劣等感を感じる内面そのものと解きほぐしを行いたいです。

については、

1)基本的学び
「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」といったものの理解ハイブリッド心理学からはどう言っており、自分では本心においてどう考えるか。
今回話の文脈としては、まずは「真の自尊心」というテーマ重要ですね。ハイブリッド心理学からは、自分外面からの断片的な評価の合計として見るのではなく、前に進む一つの存在として尊重すること、そして最終的には、自分が自らを幸福にする能力がある感じられることにおいて獲得するものだ、という考えになります。詳しく『理論編上巻』あたりで、あと話が散在していますが(まあそれだけ影響範囲の大きなテーマということですね^^)辞典価値観項目『実践編上巻』でも扱っていますので^^。

そしてそれを足場に、まず
2)外面的前進
「真の探究心向上心」感じられるもの向かう
という取り組み必要になると思います。
つまり、心理メカニズム理解したとして、それで内面に向き合うことで綺麗さっぱりな心へ・・というのはちょっと絵に描いた餅であり、順番的に、外面行動として自分を何か変えるというのがないと、より深い内面向き合いにも進めないと思います。

「料理」テーマであれば、上記心理理解踏まえ、まず料理がうまいとはどういうことか、それに対し自分どうか、そしてそもそも自分料理がうまくなることに、本当情熱持っているのか。
料理がうまいとは、たとえば『鉄腕DASH』好きで見ているのですが、先日もやった「グルメ厄介」コーナーに出てくる料理人などが真の「料理がうまい」だと思います。初めて食材に、そのクセ見抜き臭み消し食感良くする方法豊富な懐から探し出し最後豊富なバリエーション料理仕上げる
これにはどれだけ勉強と実地の修行必要か、と思います。それを考えれば、料理が下手だと馬鹿にされることの全てが、実はヒントの宝の山かも知れない。もし本当料理がうまくなりたいのであれば、ですね。
そうではなく実はもともとそんな情熱などないのだ、そもそも自分自身料理の細かい味の違いは分からないし興味もないのだ・・なんて話であれば、問題「仕事の選び方」になってきますね^^;

そうして心理メカニズムについて学び自分自身理解納得問い外面行動での前進仕方考える中で、
3)精緻な内面向き合い
試みてみるのが有用になると思います。
まあ内面向き合い以前の、外面問題そのもの見方見直しから含めてですね。
そもそも「料理ができないと馬鹿にされた」というのが、どんなこと起きたということか。その仕事場必要不可欠な能力を自分が欠いたという、実は全面的に自分の問題なのか。それとも、多少の不足があったとして、法外に強い否定をされたという、パワハラ的問題か。それとも、そのどちらにも及ばないような軽い問題としてちょっとからかわれた程度のものを、自分が過度に敏感に受け取ったということか。
その最初のもの該当しそうであれば、とにもかくにも「馬鹿にされる」のが問題ではなく自分の向上前進が課題であり、2つ目該当しそうであれば、ちょっと問題はかなり違ってきて結構高度な行動学的対処の話になります。3つ目該当しそうであった場合に、問題は自分の過敏さなのだとはっきり自覚したならば、

>料理に関しては、居酒屋で働いていた時にたくさん怒られた経験

というものの中で、そこで自分がどのように嫌な気分や苦しみを味わったかしみじみと追体験することが、理由が分からないまま起きる「馬鹿にされる恐怖」の反応のようなものを解消させる、精緻な内面向き合いになるかも知れません。
あくまで、自分がもはや馬鹿にされることを恐れる必要などない存在だという、かなり確固とした自信獲得した上でのとしてですね。

そのためには・・、と最初に戻しますと、辞典まとめたように、「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」へと目を向けることにまず取り組む。そしてそこに向かうためには、「行動学」「仕事のスキル」といった、結局辞典にまとめているような項目全体への取り組み足場になります。
つまりやはり、「成長」への取り組み全体向かうわけですね。
そしてそこにおいて前進すれば、そもそも人から馬鹿にされるような場面自体、まずはなくなると思うのですが^^。

ということで、結論的には、自分が向かうべき目標からして、「ばかにしてくる人がいたとしても、気にしないような内面」というようなものではなく「成長の全体」置き直して向かう良い、というになりますね。
「何かをできないことに劣等感を感じる内面」など解消したい、という目標いいでしょう。そしてその方法とは、やはり「成長の全体」です。

ということで、どんな悪感情についても、その克服結局「悪感情の種類別の克服対処の指針」基本説明言っているのがちょっと難解かもですが、「成長」全体向かうのが答えになりますね^^。


(No Subject) / tok
No.1314 2019/02/28(Thu) 13:56:22

島野さんこんにちは。
結局、どれだけ今がダメでも、自分にできることをやっていくしかないと思い雑用やらやっています。
相変わらず仕事もなく一人だけ放置されています、
人間に承認欲求なんてものがなければ、どれだけ生きやすくシンプルになるでしょう。
出来ることをやっても、アウトプットの質が悪いのと能力が低いので、結局相手にしてもらえない。こんな仕事別にしたい訳でもないのにとやる気がなくなってきます。

なるべく肯定形で物事を捉えるよう努力してますが、孤立し自分が無能だと感じる出来事に直面すると、なかなか難しいです。まともな仕事をしてちゃんと人に認められて、ここに居場所を持てると感じられるようになるまで頑張れるだろうか。そもそも、仕事が嫌いだと言うのに笑

望みが自分でも分からないために、どこを目指したらいいのか不明です。
現実から少しずつ出来ることをしてるつもりですが、成果を出してないので居心地も悪く孤立している。あの人よりマシだと思わせるために居るのかなとすら思えてきますが、そう言うことドツボにはまるのでなるべく考えないようにしてます。

承認が欲しいだけで、仕事内容自体はどうでもいいんだと思います。
でもそれが望みだと感じられたところで、前進感はないです。
少しでもスキルを上げるよう、自社のサービスを理解できるよう、努めるだけですね。
どこに向かいたいのか、そのうち見えてくるのかもしれませんね


 
Re: / tok
No.1315 2019/02/28(Thu) 13:57:07

間違えて新規投稿してしまいすみません。いまいち、使い方に慣れませんね


 
Re: / しまの
No.1316 2019/02/28(Thu) 14:06:04

いえいえ、あまりレスが多くなるとトピックの更新が分かりにくくなるので、適宜新規で入れて頂くので歓迎です。
順番に後日コメント入れますので^^。


 
Re: / tok
No.1318 2019/03/01(Fri) 17:56:44

ありがとうございます。
今日、またミスをしてしまいさらに落ち込んでいます。
汚名返上どころか逆に行ってしまい。結局きちんと仕事をしてこなかった自業自得の結果だと感じています。
周囲が自分を無能な怠け者と見下してるというイメージに対し
・もう無理だな辞めたい
・これから変えていくしかない
・この年齢でこんなんじゃどこいっても無理
・イメージが正しいとは限らないが現実を知らずにいたい
・目の前の針の穴のようなタスクに没頭するだけ
などなどさまざまな思考と感情に翻弄されています。
感情と行動の分離の実践は、そもそも根底にかなり健康的な成長志向があってこそですね。
退行欲求に流されないだけの前向きさと希望がある人なら上手くいくのかなと感じています。


 
仕事への向かい方・望みへの向き合い方・テーマ出し思考^^ / しまの
No.1322 2019/03/19(Tue) 16:49:20

ざっとアドバイスを書き、入れようとして3/1に追加して頂いた部分に気づいたのですが、
>今日、またミスをしてしまいさらに落ち込んでいます。
については、とにもかくにもミスをしないための具体的ノウハウどう身に着けるか問題になると思います。
それは具体的な仕事内容いかんですので、書いて頂ければ具体的にアドバイスできるかも知れません。

以下、2/28部分へのアドバイスになりますが、「テーマの具体化」というのが全般的にアドバイスできるものになるかと思います^^。


「仕事への向かい方」「望みへの向き合い方」といった基本的なテーマになると思いますので、「こうすればいいですヨ」というような付け焼刃はなく、まず基本的なテーマ理解と、それを使った自己向き合い思考馴れることから、ということになると思います。
ちょっとキーワードの羅列的なものになるかと思いますが、ざっと書いてみますと、

仕事への向かい方としては、
 ・少しでも「面白さ」「やりがい」を感じられるもの選ぶ
 ・必要なスキルの本質を見抜く・・・これについてはこの掲示板「スキル」とかで検索すると参考になるトピックいろいろ出てくるかと思います^^。また、職種作業内容など言って頂ければ「仕事の普遍的スキル」という観点からの、多少とも具体的なアドバイスできるかも知れません。
 ・「個人の能力発揮」ではなく「役割の遂行」、そして「人との優劣競争」ではなくそれとはまさに逆「誰によるものと示すことなく結果を生み出す」という「匿名性における価値の生み出し」といった姿勢意識を向ける。
などがまずはお勧めできるものになります。
それが自ずと、仕事の成績の向上、そして回りからの評価と信頼つながっていくであろうものとしてですね。

「認められたい」「人に勝ちたい」という気持ちについては、まずは「ただ流す」です。「自分はどうせこんな気持ち」自己批判するのでも「こんな気持ちでは駄目」かき消そうとするのでもなく。
もしそれが前進へのガソリンになればそれも良しとして、苦々しい感情つながっているだけのようであれば、まさにその苦々しさバネに、「真の自尊心」とは何か取り組む良いでしょう。
実践4-1「価値観」の理解 / 「自尊心」への価値観
まとめたように、「打ち負かし自尊心」「愛され自尊心・認められ自尊心」「生み出し自尊心」といったバリエーションを知り、自分自身の選択問うというものですが、考え方視点について多少とも読書重ねながら、日々の出来事向き合う中で、その具体的な現われ方感じ取りながら、自分ではどう感じ考えるか検討していくという、地道で長い取り組みになります。
詳しく『入門編上巻』『実践編上巻』などが取り上げています。
それを通して、「生み出し自尊心」へと向くことができるに従い、より揺らぎなく上記のような仕事への向き合い方になる、というものになります。

>望みが自分でも分からないために、どこを目指したらいいのか不明です。
については、「望みへの向き合い方」というテーマになるかと思いますが、さらに漠然抽象としたものになりますが、基本的には、
望みに蓋をしているものを一つ一つ取り去りながら、人生に向き合い続ける
といったものが指針になります。
そこで「望みへの蓋」とは何かということになりますが、マイナス思考であったり、価値観であったり、心に染みついたマイナス感情であったりと、結局『実践の学び』として整理しているもの全てになりますね。
そうしたもの取り組めるよう、ここではまずは、「テーマ出し思考」というようなものをお勧めできますね。
「望みが自分でも分からない」とのことですが、それはやりたい仕事見つからないということか、それとも仕事以外の生活面のことか、ならば「趣味」にはどう向き合っているか。交友問題か。あるいは人生全体の望みというようなか。
そうして「言葉」自分の心掘り探ることで、テーマ出れそれに応じた話がまた出てきます。

そうした「テーマ出し思考」自分でできるようになると、前進感変わってくると思いますので^^。


乱暴な国家への対応 / noname
No.1313 2019/02/20(Wed) 13:01:35

政治的な質問になってしまいますが。
島野さんは、韓国の攻撃的とも捉えられる日本への姿勢に対して、日本はいかに対応していくのが得策と考えますか?
特に徴用工問題はこの先日本経済に大きな被害を与えると考えられます。レーダー問題や竹島問題では、韓国側は自国有利な証拠を国家が捏造している模様。慰安婦問題でも、一度まとまった慰安婦財団を一方的に解消し、国家間の約束すら政権が変わればすぐに破棄する。
日本の常識ではあまりに無茶な行為を平気で行っており、日本は不利な防戦一方で、このままではいつか日本が潰されてしまうのではとすら感じます。

韓国だけではなく、中国は武力や経済的優位を背景にしてより露骨に無茶を通そうとしています。

このような姿を見ると人間関係のようにも捉えられ、ジャイアンがのびたを搾取する姿を見ているような、悔しさ、歯がゆさを感じるところです。

このような言わば乱暴者に対して、日本は、そして我々個人はどのような対処をするのが適切と考えますか。

日本が中国の属国のような姿になる可能性も想像し、危機感を抱いています。
今までの比較的平和な日々は、日本に平和ボケをもたらしたように思います。近年の苦悩は日本に危機感を取り戻す良いきっかけになりうるのかもしれません。問題の捉え方は様々できると思います。また、韓国が悪いという論調にも偏りはあり、多面的に評価すればどうとでも言えるという気はします(「どうとでも言える」ということを利用して韓国は無茶を押し付けているように感じられます)。

相手を論理や原理原則で打ち負かしても問題は解決するとは思えず、かといって相手から食い物にされるのを黙ってみていることもできず・・・。適当な落とし所というものはあるのでしょうが、それは高度に政治的な問題として、我々一般人が答えをだすことができないものとも思います。
島野さんの対応術を伺いたいです。


 
「魂の原理原則」と国家間のウインウイン行動法と「和解学」^^ (前) / しまの
No.1320 2019/03/15(Fri) 13:29:51

これは3段階考察するものになると思います。
1)行動学一般(敵対構図におけるもの)
2)国家間の交渉術
3)現在の日本の外交懸案問題
政治的問題への発言基本的には僕の執筆活動範囲外なのですが、こうした問題についてどう考えるかというのも、「社会を見る目」として「社会を生きるスキル」という基本取り組みテーマにはつながる話ですので、一つの具体例として僕がどう考えるかなど一通り書いてみようかと思います。
まあこれも本が一冊書けるというか何十冊も出ているテーマですが、としては他の場で触れることはないと思いますのでここで考察を大体全て書いてみようかと、かなり長くなりますので分けて入れましょう。
まず考える上での前提視点から。


敵対構図における行動学

まず基本的な話ですが、ハイブリッド心理学としての社会行動法「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」3つ構成される建設的行動法100%になるようにします、という文きり回答です。
参照:『辞典』 実践3-1 行動学
そこで敵対構図場合は、「原理原則行動法+ウインウイン行動法」という応用形焦点当たることになります。

まず基本的理解確認ですが、「建設的対人行動法」「共通目標共通利益にのみ着目して行動する」いいとして、
「原理原則行動法」「相手への意見は言わずに、相手も拠って立つ原理原則を示唆してこちらの思い通りに相手を動かす」という行動法です。
ですので、

>相手を論理や原理原則で打ち負かしても
これはとりあえずハイブリッド心理学として言う「原理原則行動法」ではありませんので^^。まそれは「論破行動法」とか呼ぶと良いかと。
ハイブリッド心理学としての「原理原則行動法」は、相手「ぜひそのレールに乗って進むといいですよ」と言い、実はそのレールこちらの都合の良い方角に伸びている、という構図行動法です。
それが「ハーバード流」でもあるととしては理解している次第です。

「ウインウイン行動法」自体については特に説明は良いかと。ポイントは、「相手にも勝たせる」という側面実際どううまくできるかになるでしょう。その結果こっちが負けの構図になっては元も子もない。
これをどんな形実現するかは、各個人采配となり見識の豊かさになると思いますが、僕個人としては「相手に華を持たせ自分は実を取る」というのが結構好きですね。
いずれにせよ「ウインウイン行動法」相手との勝ち負け意識があるとまずうまくできないと思いますので、まずいかに本当にウインウインの精神を身につけるかまでの心の成長人生経験積み重ね大切になると思います。
たとえば「打ち負かし自尊心」から「生み出し自尊心」への転換取り組み『辞典』 実践4-1 「価値観」の理解 / 「自尊心」への価値観)が直結しますし、人間的なゆとりというのも足場になるでしょう。これは意識してそれを目指す長い歩みによって生まれるものです。


「現実において生み出す」

上記行動学からの一般論ポイントとして、もう一つ「感情を鵜呑みにしない」という「感情と行動の分離」基本実践からの一般論ポイント出てきます。
これは行動入り口出口という位置づけでの2つになります。
まず行動入り口においては、「空想上の脅威に対処する」のではなく「現実上の脅威に対処する」
そして行動出口としては、「現実において生み出す」です。「気を晴らす」ことを行動出口にするのではなく「現実における向上」という「結果」最大限に生み出す行動選択肢から選び実行します。
まあこの点上記ポイントも含め、敵対構図の相手からの脅威勝ち負け勝負と捉えて自分が勝った気分になれる行動をするというのが、ハイブリッド心理学採る行動法との対極にあるものと言えます。

では具体的どんな話になるかを見ていきますと、まず

>あまりに無茶な行為を平気で行っており、日本は不利な防戦一方で、このままではいつか日本が潰されてしまうのでは
>韓国だけではなく、中国は武力や経済的優位を背景にしてより露骨に無茶を通そうと
>ジャイアンがのびたを搾取する姿を見ているような
>このような言わば乱暴者
>日本が中国の属国のような姿になる可能性
というのは空想上のイメージであり、それに対して何か行動対処する問題ではない。これはいいですよネ
一方相手国どう理解するかという認識の問題はありますね。これは後述

行動対処必要現実的脅威としてレーダー照射の問題は、さすがタチが悪いな・・感じましたが、河野外相「抗議します」一辺倒もう少し別のやり方もあるのでは・・とちょっと一考した次第です。
まず状況認識として、
・レーダー照射はほぼ事実であり、恐らく現場の人間が日本側への嫌がらせで衝動的に行ったという可能性が考えられる。北朝鮮の瀬取り支援目的という説も。
・これが日本との間で取り上げられたとして、この幼稚な行動をそのまま認めて謝るというのは韓国にとりあまりに不面目であり、韓国内の反日感情の中行い難い。
・レーダー波形などの証拠で国際的にも完全な断定とするためには、恐らく米国軍などの介入が必要。しかしこれは日米韓連携の全体が揺らぎしかねない。そもそも起きた問題がそれに見合うものかという疑問が当然出てくる。

といったものです。
僕が考えたもの「現実において生み出す」になるでしょう。ただしここでは国家間の交渉術という特別な面考慮せず、まあこういう対応の例というのも一般論的にはあっていいだろう程度の話です。
は、まず現実上の脅威としてはあくまで実際攻撃されたわけではないわけです。その上でそれが実際どの程度危険な蛮行であるのかはさまざまな意見が出ると思いますが、実際の攻撃となるともう次元が違うという隔たりは、きちんと認識する必要があると思います。
それを踏まえ「現実において生み出す」ものとして目的にするのは、「今後このようなことが起きないようにする」だと思います。相手を懲らしめる、ではなく。そのため相手が進んで乗るであろうレール差し出すという、まあとりあえずウインウイン型行動法になりますね。
そこにもう一つ考慮ポイントとして加わるものがあり、相手ありそうな場合、それを追い詰めないことです。追い詰め型行動をすると、敵対姿勢完全に強くなり、もうウインウイン型難しくなります。相手には触れないでおく。

そうした考慮踏まえると、こんな感じ
・レーダー照射頑として認めないという姿勢見えた段階にて、対応者上位このような対応切り替える。「レーダー照射を受けたという報告だが、実際そんなことがあったのか調べて欲しい」。まあ「そんなことはなかった」返ってくるのは火を見るより明らかでしょうが、なら「そうか。今後とも互いに気を引き締めていこう」終わり
・相手側論点自衛隊「威嚇飛行」切り替えたの対して、「そこまでの低空ではなかったと思うが注意しよう。そちらもぜひ注意してくれ。」終わり
まあこの対処法戦法とは、
・相手を責める気はないことを示す。
・まずこちらから「我々は自己反省ができる存在だ」と示す。

これを、多少とも相手を立てるような形行うわけですね。あくまでこっち何の損も出さない形で。
その結果相手は気分を良くして、相手側も自らが自己反省できる存在であることを示そうとするだろう。相手側上位者気分良く現場を叱責できる。
といった狙いのものになります。

まあこれが島野流「華を持たせ実を取る」交渉術一例ですが、あくまで国家間交渉という特殊性度外視した、ごくごく架空の考え方例としてだけの話ですので^^。
実際国家間交渉となると、また別の要因考慮しなければならなくなる。もうハイブリッド心理学範囲ぜんぜん超える話ですが、これもちょっと一考しておこうかと。


国家間交渉

国家間の交渉、特に敵対構図におけるそれは、以下2つの要因大きな影響下にあると考えられます。
・自国内世論の動向。これを無視すると次の選挙危うくなる。
日本の状況としても・・まこれが地球人類の状況(^^;)でもあると思いますが、上記島野流良しと考える割合は果たして1パーセントにも行くかどうかでは^^;;;
・「原理原則」が一枚岩ではない。
原理原則とはいわば「群れの中の掟」であり、人間場合「国家」「群れ」としてその中で生きるわけです。その結果群れ群れ対立した時、「群れの中の掟」でその対立解決することはできず結局「戦争」至ったのが人類歴史です。その反省から、地球全体一つの群れにするべく国連組織ができたわけですが、「国」という群れ境界強固にあるのが現状であり、「国際司法に訴える」というのが国内裁判のようにすっきりとはなかなか行かないのが現状
ですので、

>相手を論理や原理原則で打ち負かしても
とのことですが、国家間相手を論理や原理原則で打ち負かすというのは、ないと思います。「こっちが正しくそっちは間違っている」責めても、「そっちこそ間違っておりこっちが正しい」返されるだけ。国際司法がそのどっちかに軍配をあげるというのはとても難しい結果「打ち負かす」というのがあるとすれば、国家間においては武力のことになると思います。

そのため、武力衝突避けながら敵対構図での問題解決したい場合、やはり「ウインウイン型」基本になりますが、それは「原理原則行動法+」というよりも、別の特有の型になる。
「ディール(取引)型」ですね。まあ島野流ではなく(これはどーでもいい^^;)「トランプ流」ですかね。これそれとを交換しよう材料差し出して、互いが差し出したものぱっとつかんでさっと離れる、という
これが、相手国多少とも同じ原理原則が通用する相手か、それとも通用しない、それこそ乱暴者国家であるかで、その一発取引の様相鮮明にします。後者の場合、一応懐にを忍ばせておき、会合の場見極め一瞬の接触済ませたら再びパッ大きく距離離す、というものへ。

では前者、つまり多少とも同じ原理原則が通用する相手国敵対構図になった場合どうか。
もちろん原理原則型望ましい。ただし「打ち負かす」なしです。勝ち負け意識表に出たとたん、土俵はもう原理原則とは別のもの移ってしまう。武力か。それともディールか。
あくまで勝ち負けではない原理原則立たねばならないんですね。それこそ真の原理原則言えるものに。


「魂の原理原則」

ということで、もう一つ視点加えておくことができます。
勝ち負けディール超え国家間動かし得る原理原則ですね。これはに、動物の種超えて働くことさえあるものです。
それを「魂の原理原則」と呼んでいいのではないかと。
「魂の感情」は、自意識の薄れた、命の重みのある深い感情などと定義できるものです。それを感じ取ることで、我々生きることの意味知り、それを遠ざけた時我々生きる意味見失う
そうした「魂の感情」どのような内容のものとしてあるのか、どのような動きをするのかの法則が、「魂の原理原則」呼べるものになるだろうと。ま「魂の法則」でもいいですね。

ハイブリッド心理学は、「魂の感情」「愛」という単一軸下にある、と考えます。まこうしたステートメント「魂の原理原則」内容だということになります。
親子の愛決して捨て去れないものとしてあること。窮地にある者眼前にした時、救いたいという気持ち湧き起こること。
それが国家間動かすことがあります。「人道的援助」というものですね。地震などの災害に際して、国際間援助の手差し伸べられます。これは取引ではなく「魂の感情」基づいて行われるものです。
「魂の原理原則」には、強制力ありません強制によって「魂の感情」引き出すことはできません
では何によって引き出されるのか。それを我々「人間性」と呼びます。「人間性」損なうごとに、湧き出なくなり、代わり利己的に他者を蹂躙するようになっていきます。そして「罪」犯すわけです。とは真逆向いた時、そこに現れるということですね。
真逆向き犯すまでではなくとも、「魂の感情」薄れ、やがて消えてしまうというもう一つ問題があります。
「心の浅はかさ」です。ハイブリッド心理学はこれを、発達「自意識」芽生えた結果宿命だと考えています。それにより人間の「心」は、大元「命」からはがれた薄っぺらいものとして動くようになったと。そうして「魂の感情」失われるごとに、代わり人の心表面的なものおおうようになります。その代表的なものが、「人の目」「お金」そして「性」です。ただし「性」もともと命に根ざした重みあるものなので、魂の感情が失われることでその刺激がどう増大するのかは、見えにくいものとしてあります。

かくして、「魂の原理原則」として、「愛」「罪」「お金」関係というのが出てくることになります。
真の愛お金では買えません浅はかな、形ばかりの愛であれば買えるでしょう。
お金では消えませんお金できるのは、もたらした損害補いだけです。では罪そのものどう消えるのかと言えば、罪を犯した者後悔の痛み触れた時罪を犯された者悔しみの痛みも、消えていくのです。
心の浅はかな人は、謝罪要求された時金を払ったのだからもういいだろう、一度謝ったのだからもういいだろうと言ったり、何度謝ればいいんだ逆に怒りだしたりします。また逆の立場において、自分が受けた小さな害に、相手を脅しお金など法外な見返りを要求するという出来事起きたりします。その時、今度害を受けたはずの者罪人へと化すのです。
加わってくる要因として、未熟さ弱さ、さらには心の病みの傾向があると、謝るということがうまくできません謝ることに「負け」「恐怖」感覚伴ったりそもそも何が起きたのか認識歪むことによってです。心の成熟と強さそして健康さによって、より純粋な感情謝ることができる共に、そもそも犯す存在ではなくなっています。
「どれだけ謝ればいいか」は、「魂の原理原則」からは、罪の深さにより、社会的マナー問題でもあり、それ以上魂の深い感情やり取り問題だということになります。往来で軽くぶつかった程度であれば、軽く会釈する程度でいいでしょうし、怪我をさせたのであれば、回復の見込み立った時点最後の謝罪としても良いでしょう。
では人を殺してしまった時いつまで謝ればいいのか。「永遠に」「魂の原理原則」からの唯一の答えになります。命ある限り、その罪を悔いるのです。謝罪を伝えるべき相手が、もうこの世にいないのですから。そして自分終わってなった時、殺された魂を訪れ、泣いて謝ればいいのです。その時その魂の罪は消え、やがて純粋な人間として生まれ変わるのです。
実際そうした「魂の原理原則」基づいたものと言える、大勢の無念の死悼む儀式行われることがあります。いつ終えるという期限設けられることなく。そこで「いつまでやればいいのだ」言う者は、再び同じことを繰り返す人間に生まれ変わる戒められることになります。

ハイブリッド心理学ではこうした「魂の原理原則」を、科学vs超常科学論議組みするのではなくあくまで個人内部心理メカニズム考え方として、その情緒性の方向性立った時人の心生きていく中豊かさへと向かい背を向けた時生きることが次第に空虚に向かってしまうという心の仕組み働いていると考えています。


 
「魂の原理原則」と国家間のウインウイン行動法と「和解学」^^ (後) / しまの
No.1321 2019/03/15(Fri) 13:31:39

外交懸案問題への受けとめ

ざっと以上前提視点として、現在日本外交懸案問題についての僕の受けとめ書いてみようかと思います。
まずは全体イメージを一人走りさせないよう、細かく個別問題分析から。

1)レーダー照射問題
上述の通り、実際の攻撃を受けるのとは次元が異なるものであり、すっきり解決したものでなくとも、この出来事自体現実的脅威ではなくこれ以上取り上げる必要はないと思います。
一方背景反日感情があるのは間違いなく以下問題絡め検討したい。

2)徴用工・慰安婦問題
確か法的原理原則にそぐわない言動韓国側行っているかと思いますが、問題見極めをしていくと、日本マスコミ報道日本人一般受けとめかなり違うもの見えてくるかも知れません。
まず徴用工問題については、最初聞いた時日本にとんでもない経済的影響があるように不安を感じましたが、よくよく情報注視していると大分違う感じですね。差し押さえ対照になるのは、新日鉄については、韓国内保有する、韓国企業との合弁の(?)企業の株3900万円程度。結局韓国主権下の財産であり、しかも金額規模としても一個人の訴訟額程度でしかありません。このやり方で、日本の主権下にある企業財産どうこうされることはあり得ないわけで、日本経済全体への影響というほどのものではなく、あくまで個別企業の個別の外国投資成果の問題だと感じます。
慰安婦問題については、詳しくは知らないのですが、これももともと日本全体への経済的影響という問題ではないと思います。これはいいですよネ。
つまりは、そこにあるのはあくまで経済的脅威の問題ではなく、あくまでやはり、感情的反発の問題ではないかと。

でこれについて、明らかに問題である(対処が必要である)事柄が、日韓双方それぞれある可能性高いように感じています。
まず韓国側問題は、「日韓請求権協定」に基づく日本からの経済援助に、徴用工慰安婦への補償含まれていたにもかかわらず、もっぱら財閥企業などに優先的に回し(その結果韓国経済発展した)、個人への補償が実際不十分である可能性
一方日本側問題は、「お金で解決済みだ」「一度謝ったのだからもういいだろう」という姿勢であることです。お金とは「日韓請求権協定」であり、「一度謝った」「村山談話」ですね。
つまりこれは、韓国は法的原理原則にも悖(もと)り、日本は魂の原理原則に悖る、という構図
その結果日本から十分な謝罪と補償がないのみならず自国からも見放されたと感じた元徴用工慰安婦今回の行動に出た、という構図考えられると思います。

その2つの問題についてそれぞれ背景にある要因指摘できそうです。
まず日本側問題背景にあるのは、日本の対外侵攻と統治にあった非人道的な部分度合いについて、公で客観的な情報が整理されていない、触れないでおく、伏せておく、という姿勢取られてきた思われることです。一方言論と報道の自由あるので、時に、老いた帰還軍人からの「人間ではないことをした・・」という懺悔の言葉新聞TV目にすることになります。それを知った時「何度謝ればいいんだ」などとはとても言えないような出来事をです。
もちろんそれらは、ナチスによるユダヤ人虐殺ポルポト政権による国民虐殺のような、政策として成されたものではなかったとしても、同じ日本人としてそこにあった永遠に悼み、決して同じことを繰り返さないために、例えば終戦記念式典そうした要素明示されるものになっていたならば、昨今日韓間国民感情なども全く違うものになっていたのではと感じます。この点先日文大統領「力を合わせて、被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心の通じる真の友達になるでしょう」という言葉にはかなり共感を感じている次第です。
一方韓国側問題背景にある・・というかこれは日本側問題にもなるのですが、元徴用工損害賠償請求したことについて、韓国の最高裁「個人請求権は消えていない」認めた結果この騒動起きているのですが、実は同じ見解日本側でも過去に出されているとのこと。これをTV報道見た時は思わず「えっ、それじゃーだめじゃん」一人ごちましたが。

ということで、徴用工・慰安婦問題について言えば、韓国が無茶を言っているというより、日本側かなり不完全な対応をもってもう終わったとする不備不足のツケ回ってきた、というものである印象感じています。
日本企業はそのとばっちり受けた形でもありますが、実はキャスティングボードを握る立場でもあります。ここまで述べた状況を踏まえてウインウイン型の交渉知恵ひねれば、韓国政府と日本政府の双方を動かすような起死回生的なものさえあり得ると感じますが、それは今やっているらしい門前払いとは真逆の、まず相手の声に耳を傾けるというのを最初「歩」の駒一手として将棋の一局始めるような、映画じみた複雑なものになると思います。それについて空想を広げることはもう今回の考察範囲を超えていますので、まずは基本的理解への意見としてこんなところまでで^^。

3)領土問題
領土問題についても、じっくり見ていくとどうも残念ながら日本不利な状況見えてくるのを感じます。
まず、そもそも領土の係争があった場合決着をつけるための、国際的な原理原則とは何かを考えます。
するとまず人類の歴史という始まりから考えると、それは法的な原理原則の下で・・などというものではなく(国際法などない時代から始まるのですから当然)、基本は勝ったもの勝ち領土決まります。どっちの国の方が正しいという話はなく。これは例えばサルの群れ2つあり、なわばりを争った時、我々人間からどっちの群れのものになるのが正しいなどと言えないのと同じですね。
しかしそこで、サル全体保護を考えて人間が介入するというのももちろんアリですね。人間場合も、人類全体の保存と繁栄を考え、勝ったもの勝ちというのはもうやめようという機運が、第二次世界大戦後花開くことになります。
そこでどんな原理原則国際的採用されることになったのかはちょっと勉強不足なのですが、まず「先住民の自治の尊重」いうようなものだと思います。ただし厳密な基準があるのではなく、基本的先住民の動向など考慮の上の、戦勝国自由意志による、というものではないのかと。
その結果人のまとまった定住性が低い場所ほど、国際的な原理原則決着するのは難しくなります。
するとどうなるのかと言うと、国際間交渉から分かるかと?思いますが、最後「ディール」になるわけですね。ロシアアラスカ現在の日本円にして数百億円売ったとかがまさに典型例

上記基本的理解として踏まえた時現在日本抱える領土問題とは、第二次世界大戦後国際的な約束(サンフランシスコ講和条約など)において明確な線引きから漏れて多少とも玉虫色になった部分だというのが、見立てです。
つまり、「解釈の正しさ」をめぐっての争いになる。それも、かなり細かい話の部分についての。のような勉強不足の人間からは、ちょっと良く分からないような^^;;
つまり、そこにある問題もともと国際的な原理原則からは問う重みがないということですね。日本解釈がどうかについてはここでは踏み込まないとして、他国が嘘をついており日本の主張が正しいとして、それを国際機関持っていったとして、「確かにあんたの言うことが正しいかも知れんが、最終的なことは相手国と仲良く話し合って決めてもらえばいい問題だ」といこうとになってしまうのではと。
国際的な介入今後もないのではということですね。これがもっと何か国際的な約束にもとるようなものであった場合国際的な介入が起きます。ロシアによるウクライナ侵攻非難する欧米各国経済制裁行っているように。ところが北方四島ロシア支配については、国際的介入ないですね。つまり容認されてしまっているのが現実思われる。あとは日ロ二国間で話し合って下さい、と。

そうして国際的原理原則およばないでいる場所について、残りの強力な持ち駒として登場するものがあります。「実効支配」ですね。
これは結局、戦争の形は取らないものとしての、「勝ったもの勝ち」という古来から原理原則ですね。北方四島戦闘放棄した状態攻め込まれ尖閣竹島「早いもの勝ち」のようなでです。で竹島韓国実効支配取られ尖閣は幸い日本取った
で、今度はその実効支配について両国間非難の応報対立することになる。
そして日本としては自国の主張こそが正しい信じている。いいでしょう。それをどうできるか。
それは残り決着方法「ディール」として使えるということです。・・としてしか使えないという表現の方合っているでしょう。それを取引魅力的な材料感じる相手国はないでしょうから。

そうしたものとして、「ディール」臨む姿勢というのがになる、必要とされる、というのが僕の意見です。
その上どう取引を進めるかは、やはり今回の考察範囲を超えており作戦空想の詳しい展開は省きますが、一言で言えば、尖閣竹島現在の線引きのまま両国間の関係改善を最大化するのが得策北方四島早く譲歩するほど多くを得られるという目立てが、ごくごく個人的意見です。
まあそこでの主張の対立は、基本的に言って祖先が交わした手紙の内容のような類に感じます。そんなの忘れ未来志向で最適決着図るというのも十分あって良い感じています。

4)経済全般
最後に、上記のような外交懸案問題の、日本経済全体への影響について。
>日本の常識ではあまりに無茶な行為を平気で行っており、日本は不利な防戦一方で、このままではいつか日本が潰されてしまうのではとすら感じます。
>日本が中国の属国のような姿になる可能性も想像し、危機感を抱いています。
というご意見部分ですね。
これについては、僕個人としては楽観的見立てです。問題として大きくないし、日本の経済力当面はまだまだ強いという楽観です。

3つの理由からです。
1つ目に、ごく単純問題金額規模としてです。触れた3900万円というのは、まだ個人の問題程度規模です。それが3900億円となると、大企業揺らぐ規模にはなる。国家ガタガタしてくる規模というのは数十兆円といったものですね。桁が違います。
2つ目に、経済の仕組みへの理解としてです。それに対しそれらの問題は、基幹的な事柄では全くなく、ごくごく末端的なことでしかない。

グローバル社会経済というのは、お金血液として猛烈な勢いで回りながら、さまざまな国原料さまざまな国作られたもの流通することで、その流れで通用する貨幣でそこそこの生活費さえ持てば、毎日おいしいものを食べることができる世界になっています。
そのため結局何が重要なのかと言うと、他国に出せる産業あることです。モノを輸出するものであれ、向こうからやって来てお金を落としてくれるものであれ。つまり、外国から見て魅力あるものあることです。
それがないと、世界で回っている良いもの自分の国のお金買おうとしても、「あんたのところから買いたいものはないから、そんなお金では売れないよ」言われてしまう。もちろん外貨獲得手段もない。結果自給自足の時代にすぐ戻ることもできないので、パンがない、薬もないという状態があっと言う間に訪れるわけですね。先日朝日新聞にも、原油価格低下によってそうした苦境に陥った南米国の、やせ細った母病気なのに薬のない幼児ゴミ箱から残飯を探す若い家族といった姿伝えられていました。
そうしたものから見ると、日本は、他国から魅力あるものに溢れていると思います。工業製品農畜産の技術と品質自然と食文化芸術分野、そして日本的な生活そのもの、などなど。
それで言うならば、食い物にされているうちが、むしろ華なんですね、と言えるかと。他国から食い物にしたくなるようなものがなくなった時こそが、経済崩壊への入り口です。
だから我々目の前のことにおいて「価値の生み出し」へととにかく注力まい進していればいい。そう思います。

ということで、今回投資株を勝手に使われてしまうといった類のものは、金額規模的にも言ってもそうですし、内容性質的にも、日本経済影響をおよぼすものではない、というのが僕の見立てです。むしろ日本から韓国投資不適格という見方出てくることによる韓国側へのダメージが、長い目では大きいかも知れませんね。
そもそも国の経済他国からの悪意的手法によって揺るがされてしまうということなどあるのだろうか・・と考えると、やはりそんなものはないように思えるんですね。あるのはやはり生産拠点そのものが物理的に壊されるようなものであり、怖いのはやはり大地震などの災害。あとはミサイルを打ち込まれるとか。それは今回の話出てきていない某隣国ですね。

乱暴言うとすれば中国著作権侵害気質などは確かに乱暴ですが、最近多少自浄が働き始めている気配もあり、米中交渉でまさにトランプさん釘を打とうとしているものだと思います。
また中国技術進歩確かに脅威ですが、今後世界経済勢力関係としては中国とその取り巻き達vs欧米連合という図式が考えられ、日本つくのはまずは後者ですね。まあそもそも前から米国の属国みたいではあるのが日本ですね。
そして技術覇権が危うくなれば、自由原則をかなぐり捨てて政治介入するトランプさんのような自国第一主義働く案外これが理にかなっているようにとしては感じています。
いずれにせよ、人間生きて活動している限りお金という血がめぐりモノ回るという仕組みで、経済時に休憩するような場面もあっても、活発あり続ける。こうした仕組みにおける日本に、全く楽観的である次第です。


「時間」という解決因子

ということでこれが結語にもなりますが、徴用工・慰安婦・レーダー問題、そして領土問題も、経済的大きな問題ではなく行動学的には・・まああくまで外野からの意見としてご了承ですが、解決は全く容易な問題だというのが島野受けとめです。そう乱暴な相手でもない上では触れませんでしたが、自身の乱暴な感情が投影外化されて相手が乱暴に見えるという心理メカニズム考慮するといいでしょう。そうして、相手の言葉の中にある一片の理を認めてあげた時、次にこちらの五片の理を相手に認めさせることは、もう箸をころがすような容易なことです。
ただし、感情でものごとを考えるのをやめ、一面的な「正しさ」の観念を脱し、建設的な行動法に徹する姿勢を心底から自分のものにすれば、のです。
そしてこれが、難しい。こうした心理行動学接することもないのが多勢です。人々は相変わらず「正しければ怒って当然」と考え、次第「正しければ破壊して当然だ」という感覚へと陥り、やがて自分の「正しさ」さえ壊してしてしまう。かつてはそれで戦争へと一直線だったわけですが、「とにかく戦争はだめ」という最後の歯止め利くでしょう。
ともかくそれが世論を作り、政治家世論を見ながら行動しなければなりません。結果、特に韓国との関係悪化の一途です。これが何か「解決」したというような報道見ることは、しばらくないようにも予測できます。

それでも楽観的でいる3つ目理由もう一つ解決因子があります。
「時間」です。まあそれが解決するだろうというか、期待したい
空に向かって吐いたつばが自分に戻ってくるのを知れば、韓国行動を変えるでしょうし、そして具体的に衝突する場面減れば、やがて問題が解決したという形ではなく、問題そのものがうやむやになる、忘れられていくというのが、一つ考えられる。そして10年もした頃に、またちょっと違う機運も現れてくるのではと。
いずれにせよ、これらは結局親がやってる隣人との喧嘩だと感じます。まあとことんやってもらうもいいが、変わったら、全てリセットして自分達のやり方やっていい問題だと。そして僕個人は、小さいことにはてんでこだわらない暢気な人間なので、この楽観の下能天気に幸せに生活していくのでいい、ともうタカをくくっているという次第です。
そして正直に言えば、この楽観あくまで僕が生きている間の時代については、というものです。その後のことは分からない^^;
これからの若い世代が、いかに「価値の生み出し」へと意識を向け続けられるかいかんだと思います。そうして僕が生きている間にでも、本当の友好関係向かい始めている両国見られれば嬉しいですね。


「和解学」の推奨

以上前提視点から問題の受けとめまでざっと書いてみましたが、「感情を鵜呑みに考えない」という「感情と行動の分離」から始まり価値観や行動法の選択取り組み日常生活人生問題向き合うという、ハイブリッド心理学「取り組み実践」全体が、こうした問題への対処の考え方としても、例えば島野の例で言えばこのような形になる、というものになります。

その最初始まりである「感情を鵜呑みに考えない」ということで重要なのは、何が起きたのか、何が問題なのかという問題の認識から、感情を鵜呑みにしない思考によって、見直すということです。たとえば「こんなひどいことされた!」感情で感じるままに問題を捉えてから、に、それに対しどのように対処することが感情を鵜呑みにせず建設的なのか、という検討努力取ろうとするというのがありがちですが、それだと答えがまず出ないものになってしまいます。
上記今回の話においても、まず「どんな問題が起きたのか」という最初の問題認識から、感情にまかせるのではない思考によって見直すという思考作業実は大半になっているのが分かるかと思います。価値観と行動法の選択という足場踏まえたものとてしてです。
そうして、感情を鵜呑みにせず問題を捉えることができた時もう答えは見えている。
そのようなものとして、ご参考頂ければと思います。

ですので、もし本格的外交懸案問題について検討しようとする場合は、そもそも問題は何なのかという認識の見直し、特に第二次大戦をめぐっての経緯事実についての、十分で客観的な情報・・上記で僕が書いたものはごく断片的なものにすぎませんので・・整理することから始められるとよろしいかと思います。
それも、日本の立場見るだけではなく、他国の立場見た場合のものも含めてです。
それについて、反日的態度の相手国とも協働して、特定国の立場に偏らない、歴史認識の合意こそが、根本解決のために必要だと感じていたのですが、ちょうど今回この考察頭の中まとめ始めた中で、そうした動きがまずアカデミズム起き始めているというのを朝日新聞見かけましたので紹介しておきましょう。

早大浅野教授主導しておられる『和解学』というもの。
2.27(水)朝刊より
前半
後半
「お互いがが主張する法的論理と『正義』がずれている」ことに問題の原因があり、それを「闘技(アリーナ場)型」という対話の場討議しようというもの。それはやみくもに合意を焦るのでもないという主旨なのか興味持てるものですが、複数の正義があることを認めその優劣を競わないというスタンスは、ハイブリッド心理学からも完全に支持できるものと言えそうです。
もし本格具体的考えたいようであれば、この活動への何らかの参加など検討されるのもよろしいのではと^^。


遅刻する人への対応 / waka
No.1312 2019/02/19(Tue) 10:43:25

島野さんこんにちは。初めて投稿します。

昔から待ち合わせで30分も人を待たせる友人にイライラしてしまいます。
どうせ遅れるからと私も20分遅れるとさらに友人は遅れて来ます。悪びれる様子もないので私が損したような気分になります。
できれば待ちたくないのですが家に迎えに行っても待たされます。
こういう時の建設的行動はどういうものがありますか?

待つのが楽になるような方法があればいいかなと思いますが、相手を探して(数十分も)キョロキョロするのが苦手です。

逆に、待ち合わせに数分遅れただけで急かす人に対しては、私は数十分も待たされてるのに1,2分だけでなぜ?と思ってしまいます。
どっちにしても自分を軽視されていると感じます。
こうやって書いてみると
・時間に数十分遅れるのは悪いことなので怒る権利があり
・数分遅れは悪いことではない
という価値観があるのがわかりました。
人から被害を受けるという重心を欠いた思考だなとも思います。

どうしたいかを考えると、、数十分も待たされるのなら会わずに他のことをする時間にしたい、という感じです。
ですが地元の友人で近くに住んでるとばったり会ったり、非社交的なことを責められるのも嫌なのです。
明るく「することあって忙しくて逢えなくてゴメンね!」とでも言えたらいいのですが、おずおずと「しばらく忙しい」と言うと何をしてるのか、そんなに忙しいわけないという気まずい空気になり、来週再来週ははどうなのかと聞かれるとますます会うのが億劫になります。


p.s島野さんの初恋の相手との話を自分のことのようにドキドキしながら読んでいます(o^^o)
差し支えなければ近況などまた読めたら嬉しいです。


 
まず判断基準軸のブレをなくす^^ / しまの
No.1319 2019/03/03(Sun) 10:24:55

これは一言で、
決断のための判断基準のブレをなくし、自分の心そして望みに向き合い続けるべし。
というものになりますね。

「決断のための判断基準」とは、問題への対処法決断際して、守るべき鉄則です。ものの見方考え方価値観思考法行動法など。それを守らずに対処法を決断したところで、良い結果を生むものではなくシッペ返しでまた苦しむのが火を見るより明らかなもの。
まずそれについて、しっかりとした自分の考え持つ共に全体としてブレのないものになることが重要です。でないと、まるであべこべな方向を向いている車輪で車を走らせようとするようなもので、うまく走ることができず、あげくの果てに嫌になって、自分に向き合うこともできなくなってしまいます。で藁にすがるように、人の言うことをそのままやったり人の真似をすれば・・、ということにもなるのですが、それはもう自分に嘘をついた行動になり、さらに心がすさんでいく、というのがありがちです。
ご質問の文面もちょっとそんな気配ちらほら、と^^;

まず判断基準としては、今回の話としてはざっと以下5テーマくらいになると思います。「そう考えるようにすればいいのか」ではなく、まず本心からの自分の考えどうなのか、そしてこれから本当にどんな考え方を取って生きていくのかという自己向き合い真剣さ足場になります。

1)社会常識・マナー
遅れ許容範囲場面種類により異なる友人との待ち合わせであればまずは数分まで会議であればぴったり0秒でもNGであり数分前常識マナー
参考例として島野の感覚では、友人待ち合わせなら遅れ20分以上事前に連絡する、また「ごめんごめん」口に出して謝る40分以上なら黙って帰られ流れでも仕方ないいつも30分以上待たせるような横柄ルーズな相手基本つき合わない^^;

2)待ち時間への対処法
何か特別な状況長い待ち時間予想される場合は、パソコンを持参して作業など時間の有効活用できるようにする。また自分から何度も相手を確認する必要なく向こうから到着連絡するよう、「ここにいる」「着いたら携帯入れて」など調整しておく。

3)ル−ズな相手への対処
改善の可能性見極め難しそうであれば距離を置く方向へ。改善させるための積極的働きかけ検討しても良いが、基本的人を変えるのは難しい

4)相手と距離を置く行動学
「肯定形の言葉で」というのが鉄則「誘ってくれてありがと。ただその日は○○なので。また連絡するね」とかの言葉使い付き合い悪さ非難されても全く変わらず飽きられるまでこれで。相手を非難し返すようなものは、距離を置くのではなく逆に破壊的な形で相手からの接近を招く行動法恨みを買う他の友人巻き込み破壊的結果を招く危険注意

5)純粋で豊かな交友を妨げる価値観や自己理想からの抜け出し
交友「楽しみの共有」として、まず自分がどう楽しめるのかを探求する姿勢が、純粋で豊かな交友への王道互いの「理解」「評価」「敬意」を友情と感じてつき合う関係というのは、すれ違い怒りにつながり壊れやすい
「友だちの多さ」「社交性」自己理想とするのも良いが、本当にそれが自分の性分に合っているのか適宜確認するといい。性分に合わない自己理想不幸の素
誘われたら応じるのが「善」断るのは「悪」という「道徳思考」「仲良し道徳」を持つと、一般的な社会常識マナーさえ見えなくなり交友に混乱をもたらすので注意横柄ルーズな人間から格好のつき合い相手にされてしまう危険も。

ざっとそんなところですね。
まずこうした判断基準軸について、自分の考えしっかりと向き合い自分の選択取り組んでみて頂くといいと思います。
そこから再度書いて頂いた疑問項目を、自分で見直してみるといいでしょう。よく整理できないものがあればまたご質問頂ければ^^。

そうして判断基準軸のブレをなくしで、今起きている問題どう考えるか、そしてどう対応していくのか、自分はどうしたいのかに、向き合う。そして今できる最善の行動思えるもの実践する。
その一歩一歩ごとに、「成長」があり、成長によってまた対応法の考え方変わるかも知れません。いやまだつき合えるぞ。あるいは、もうはっきりとこれはやめるべきと分かった、とか。
そうして判断基準軸のブレをなくして自分の進路を問い続けるという一歩一歩前進こそが、「建設的」だといことですね。「こうすればいいですヨ」付け焼刃で言えるものなどではなく。
まずはじっくり検討してみて頂ければ^^。


>p.s島野さんの初恋の相手との話を自分のことのようにドキドキしながら読んでいます(o^^o)

そのうちじっくり書こうと思っているので、人にも関心持ってもらえるようだと嬉しいですね。
ま近況としては、華やかで活発な初恋女性と奥手で朴訥な僕という、結局のところ小学校の頃の気持ちと関係がそのままなのだ、という感じですかね。僕自身の確信的決意としても男女関係的駆け引きなど一切なく、ごくごくたまに会う中で、僕が自分の思いに向き合い続けることが、僕の人生の豊かさを生み出したというもの(番宣テロップ?^^;)。
まあ我ながら面白い話だ、という感じです。こんなの他に聞いたこともない、と。まもうちょっと時間あると思いますがそのうち晩年に向けて書き始めるかと思いますので^^。


(No Subject) / tok
No.1308 2019/02/11(Mon) 23:04:22

島野さん

今までの価値観で生きることの限界は感じています。例えば下記のような問題があります。

・受け身他力本願思考が強く、自分で切り開いていくという感覚がない
・仕事は、己の現実が惨めで恥ずかしいという感情に圧倒されてしまい目先に集中できない

仕事のことに関しては、実際の相談事例として過去記事は参考になりました。
ですが己の能力の低さに「この年齢でこんな事もできないなんて人がいるのだろうか?」といった自責や恥ずかしさを感じないよう、考えないようにする労力で疲れてしまうのです。

こうなりたい、頑張りたいという情熱や原動力があるわけでもなく、
できれば仕事などしないで家で引きこもっていたいタイプなので、何を原動力にして前へ進めばいいのかわからずにいます。

無駄なことを考えるより目の前のことをただ積み重ねるしかない、平日も休日も関係なく、でも一体何のために? 生きてていいことなんてこの先あるんだろうか、何の望みもないのに…と、放っておくとどんどんネガティブな方向に頭が行ってしまう。

考え方を変えなければと頭ではわかっていても、内面は虚無感や無気力、劣等感などが渦巻き、もう無理じゃないかと感じることもしばしばです。

原動力となるものがない、望みの方向性が見えないときはどこから手を付けたらいいのでしょうか。


 
Re: / tok
No.1309 2019/02/12(Tue) 14:04:44

主に仕事面について、相談です。

感情と行動の分離、過去記事で注射の例えがわかりやすかったです。
怖い感情はありつつも、自分にとって注射の有無が今後どのように影響するのかを冷静に判断して、腹くくって受けるというイメージでしょうか。

今まで私がやってたことは、仕事ではなく言われたことをやるだけのことも満足にできない、
作業員であったという自覚と、自分はかなりどうしようもない人間なのだという気持ちを感じるままにしつつ、目の前のことに集中しようと努めてはいます。
このスキルでは同業種の転職は不可能ですが、社会を生きるスキルも分からないまま転職や退職を考えたところで、何も良い方向には行かないと思います。


 
Re: / tok
No.1310 2019/02/12(Tue) 15:22:14

連投ばかりですみません。
職場では誰にも相手にされてない感じで辛くあります。
例えばプログラマなら業界10年の人が、初心者講座に通う的な感じで、若い人に混ざって恥を忍んで受けに行こうかと思ってもいますが、現時点で使い物にならないのが会社のお荷物でしかない気がして‥。
本来、プライドなんかかなぐり捨てて頑張らないでどうすんだよってとこなんでしょうけど。
仕事もプライベートも、健康(糖尿病予備軍です)面も、すべて行き詰まりを感じています。


 
前進思考への転換^^ / しまの
No.1311 2019/02/13(Wed) 11:34:36

これはずばり「前進思考への転換」から取り組むのがいいと思います。
『入門編下巻』では「思考の文法変換テクニック」(P.33)として説明しているもの。
抜粋しますと・・抜粋というか一部だけ省略ですが、
==========
 まず「怒り嘆き形」の思考を「望み形」の思考へ
 これが大きな流れを変えるものになります。「こんなんじゃ全然駄目!」「こうあるべきなのに!」と怒り嘆きの思考が湧いてきたら、「では自分は何がどうなるのを望むのか」を問います。
 これが、日常の思考を心理学的幸福主義の生き方思考に変えていく、大きな舵取りになるでしょう。その分、これは実際には結構な思案を必要とするものになるかも知れません。
・・(略)・・
 もう一つの「文法変換テクニック」は、より細かいレベルで実践します。
 「否定形文法」から「肯定形文法」へ
 これは話の内容を特に変えたり考え直したりすることはせず、とにかく文章として「肯定形」で終わるようにします。
 コップを落として割ったのであれば、「なんてこった、割ってしまった!」ではなく、「割らずに済んでたらいいな!」へ。これを日常浮かぶ思考で行うのは多少最初は違和感があるかも知れませんが、重要なのは人に伝えるために書いたり喋ったりする文章です。メールをよく使う人であれば、この見直し実践がしやすいでしょう。
 「‥でなければならない」「‥ではいけない」「駄目」「怒りを感じます」といった否定形で終わる文章を、「‥にできるといい」「‥であれば嬉しいです」といった肯定形に変えます。音楽のメロディを短調から長調に変えるように、機械的にでも。

 怒りと嘆きに心が流れそうになったら、必ずこの2つを実践するのです。
 自分に問うのです。では何がどうなるのが、お前の望みなのか。
 そしてそのための具体的な思考を検討するのです。何をどうすればそれに近づくか。完全無欠な人間はいないという限界に、しっかりと向き合いながらです。
 これを、100パーセント徹底させるまでやるのです。
 意識努力なしに自然に肯定形文法の言葉が出るようになった時、自分の性格も、マイナス思考が減り、人との対応の中でも、以前より情緒も安定し、穏やかで、かつ積極的になっていることを感じるでしょう。

==========

書い頂いた内容見るに、やはり基本的に「怒り嘆き形」なっておられるようで、マイナス指向土壌になっていると同時に、具体的な前進の方向性見えないものにさせていると思います。

こんな状況として理解頂くと良いかと思います。頭痛がして医者に行けば、「頭が痛いんです・・」と言えばあとは医者全てやってくれるかも知れません。原因を調べ適切な対処をする。
しかし、「人生」というのはそのようにはいかないわけですね。「人生がうまく行きません・・」と訴えて、良い人生作り出してやれる医者はいない^^;
それを人生への取り組みバージョン考えるならば、頭痛多少軽減できればいい程度なのか、それとも原因を究明し根本解決したいのか、あるいは頭痛というもののさまざまな原因について医学的な勉強をしたいのか、などなど、によって違い出てきます。そうして人それぞれが違う人生の歩みというものが出てくるわけですね。
そのように、「何をどうしたいか」「実際何がどうできそうか」という具体的内容落としていくことで、そこに前進始まるわけですね。
その内容方向性は、まずは自分自身だけ考えることができます。

そうしてまず思考の基本的な型前進形にしていく重要なのは、「今を原点」として前進すること。つまりいきなり高い完成形になろうとせずに、ゼロから、自分に着実にできること見出しにそれを拡大向上させていくというステップ踏んでいくことですね。
そのためには、まず目の前にある一本のペンを、右から左に動かすことができるか、といったレベルから考えるのだ、というのがハイブリッド心理学流です。
実際それもかなり困難なハンディというのが、いくらでもあるのだという人生観です。

まずアドバイスとなるのはそんな話ですね。ブログでも以下などで書いていますので一読頂ければ^^。
カテゴリー「(1)プラス思考」
カテゴリー「(3)人生を豊かにする思考法行動法と価値観」の中の「一歩一歩の向上思考」(3記事)

ということで、書いて頂いたもの幾つかコメントするならば、

>できれば仕事などしないで家で引きこもっていたいタイプなので、

この「家で引きこもっていたい」別にokですね。なら家でどんな風にすごせる方策を練るのも良し。これはちょっとまた別テーマ出てくる感じでもありますが、思考の全体「道徳思考」というハイブリッド心理学からはあまり望ましくないものなっているかも知れませんね。「こうであるべき」から考える思考。そこからの脱却重要です。
夫婦は何でも理解し合うべき、とか。ハイブリッド心理学からはそうではなく、「愛」「喜びと楽しみの共有」として向かうという価値観です。共有できない別々のものがあっても大いに良し
どちらも
『辞典』 実践-4 「愛」「自尊心」「人生」のための価値観と行動法
整理していますので参照あれ^^。

>例えばプログラマなら業界10年の人が、初心者講座に通う的な感じで、若い人に混ざって恥を忍んで受けに行こうかと思ってもいますが、現時点で使い物にならないのが会社のお荷物でしかない気がして‥。

これは具体的な話になりますが、もIT会社でプログラマSEをやった経験から言うと、プログラマSEかなり適性や体力(長時間労働)が要求される職種ですので、30代以降くらいから始めようとするのではかなりハードルが高くなるという個人的感想です。
手に職をつけるなら「簿記」とかの浮かびますね。まこうした職種紹介はもう僕の専門外になりますので、ごくごく参考まで。

いずれにせよまず思考の型前進形にしてみること。そして「今を原点」にすること。そこからどんな思考展開できるかになると思います。検討してみて頂ければ^^。


罪悪感との向き合い方 / tok
No.1297 2019/01/05(Sat) 17:10:31

夫に対する罪悪感に悩んでいます。私たち夫婦は41歳で子供がいませんが、
それは私がずっと拒絶し続けてきたせいであり、その頃は精神的にかなり荒れており夫のことを傷つけてきました。
夫としては20代で産み育てる人生を歩みたかったのにもう生きる事に意味がない、残りの人生は抜け殻だといって昼夜逆転したり酒を飲んだり、半ば自棄的な生活を送っています。
今更になって後悔と罪悪感、この先に希望がない気がして押し潰されそうになっています。
償うことがもう出来ないのだと思うと、死んでしまいたい気持ちになります。
でもこれは自分が楽になりたい、自分が救われたいだけだという気もしています。
もともと人生に意味も何も感じず虚しさばかりが募ります。
自分のせいで夫の人生が狂ったと言われると死にたくなります。
どう向き合えばよいでしょうか。何もかも失って自殺する未来しか見えなくなっています。


 
Re: 罪悪感との向き合い方 / tok
No.1298 2019/01/05(Sat) 17:12:43

冒頭の”その頃は”は20代のことです、分かりづらくてすみません。


 
「罪悪感」から「これからの生き方」への転換^^ / しまの
No.1302 2019/01/13(Sun) 10:17:29

「罪悪感」への向き合い方というのは、これまた一冊の本書けるような沢山の話になりますが、まず一言指針書いてみるとこうなります。
問題を切り分け、具体的前進の検討や自分の根底の望みへの向き合いへと転換すべし。
と。

まず「切り分け」については、説明全体としてはちょっと言葉足らずですが『辞典』こう書いた通りです。
実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 - 悪感情の種類ごとの克服対処の指針/罪悪感
==========
「罪悪感」感じるものには、人の期待に応えられない自分の自己理想を損なう、そして他に害を与えたという、主に3つがあると言えるでしょう。
しかし「成長」への歩み立つならば、前二者「罪悪感」感じるのは不適切であり、それらは、自らの目標と「愛される望み」への向き合い、そしてありのままの自分を受け入れての前進という、心のテーマへと変化します。また他に実際に害を与えた時「罪悪感」合理的とは言えますが、それもやはり、償いと補いのための最善の行動への意志へと置き換わります。
そのように、「罪悪感」は、「成長」への歩み別れを告げるべき感情だと言えます。
==========


つまり、実際に他に害を与えた、そしてそれに対する贖罪などが済んでいないのであれば、罪悪感に耽っているのではなくどう贖罪つまり謝罪や賠償を行うかの具体的行動の検討しなさい、と。
一方、他の期待や自分の理想を損なったというとなると、本来それは「罪」というのとはちょっと話が違うのでは、と。この場合そもそも自分はどう生きたいか真剣に向き合うのが重要「自分としてはこれからこうしたい!」というのが明瞭になれば、そこからまた、過去に自他の期待に添えなかったことへの思いも、どこか落ち着き所を見出すのでは、という

ですので、書いて頂いた状況について考えると、まずは旦那さんの期待に添えなかったというものではある一方、実際に害を与えたことへの贖罪ができていない、というものではない、と言えると思います。社会的損害のような話ではなく、あくまで夫婦間の価値観や理想像の行き違い問題
ですのでそれについては、自分がこれからどう生きたいかに向き合うのが重要、ということですね。

こんな状況としてイメージするのがいいと思います。旦那と連れ立って車で旅行をしている。どちらも運転が未熟であり、時々交代しながら旅の途中まで来て、あらぬ所に来ていることに気づく
そこで、どっちが悪いという話をしても、あまり始まらないということですね。必要があれば運転技術の習得し直し加えたりしながら、改めてこれからどこに行きたいか、どう行けるか検討まず先です。そして、新たに出発するしかない。そうして多少とも望む方向に進むようになったら、互いに、あの時は自分の運転のこれが悪かったな、と思い返すこともできるかも知れない。

ということで、罪にどう向き合うかというよりも、これからどう生きるか全体になるわけですね。
そうして目線をまずは「過去の罪に向き合う」ではなく、「これからの生き方」切りかえられるか、に向き合ってみて頂くと良いかと思います。

そのためまずとにかく視野を広く持つことが重要だと思います。
20代で子供を育てることができなかったから人生終わりなんて、あまりに限定しすぎ^^;
これから産む可能性もあるかも知れないし、里親という選択肢もある。
またそもそも旦那さんの期待に応えだけが結婚というものでもない。
そうした問いを、自分で出していくことからですね。すぐに気持ちを切り替えられることを求めるのではなく、まず思考のレベル「こうしたものはあり得るか?」という選択肢立ていかにできるかからになると思います。

それが全ての始まりであり、そこでまた沢山歩み出しの苦労や躓きもあり検討事項出てくるかと思いますが、まずここでは始まり入り口ところ話だけにしておきましょう。まずはそうした目線の転換向き合ってみて頂ければ^^。


 
Re: 罪悪感との向き合い方 / tok
No.1305 2019/01/23(Wed) 12:08:28

島野さん

ご返信ありがとうございます。
まさに「今後どう生きたいか」に集約する話ではあるのですが、そこが自分でもよくわからないのが問題だと思います。

夫として現在の状況は、
・100%私のせいである(当時私が、話し合う余地のない程激しい拒絶をしたため)
・里親は考えていない(自分の子供でなければ嫌、代理でも嫌)
・人生を犠牲にしてきたので、私が生まないならこのまま死ぬまで自暴自棄し続ける、私の言うことは絶対に聞くつもりはない

だそうです。
私自身がどうしたいかですが、この年齢になってもやはり生みたくはないのです。
今更言うのは、夫を傷つけてきた罪悪感と、老化を感じだした寂しさや焦りなどのせいだと思います。
夫には、精神的に荒れていた自分を支え続け、愛情を注いでくれたことに対する感謝の念があります。だからこそ、罪悪感もあります。

でもどう生きたいかを考える時、いつも虚無感と無力感に襲われます。
仕事でも職場では相手にされていない感じもあり、友人もなく、現実に失望することばかりで何をやっても無駄な気がして、趣味を持つ以前に物事に興味を持つことが出来ずにいます。
何かを見てもやっても、映画のあらすじだけ聞いてるような冷めた傍観的感覚です。
以前は優越感を持てそうなことが原動力になっていましたが、年々優越感を持てることも減ってきて今はほぼ皆無。

傷つかないために、どうせ何をやっても無駄、評価されなくてもいいのだ思い込もうとしています。それでいて地道な努力を嫌うくせに結果を欲しがる性格だと思います。

発達障害の傾向があり、理解力の低さ、社会的能力のなさ、会話の下手さその他全体的に能力が低いため、いつも人に馬鹿にされている気がしてなりません。逆に自分も他人を馬鹿にしていると思います。
他人は基本的に私を見下す敵だという考えがいつもあります。
自分に似た人を見下し、ないものを持つ人を過剰に大きく見て恐怖する。

じゃあどんなのが理想なのかというと、
何らかの能力に恵まれ、生き方に自信を持ち、人生を幅広く楽しみ、若く美しい女性を理想としているらしい。
趣味もなく夫と子供だけに全人生を捧げるような生き方は嫌だが、ただ一人であるのも嫌なのです。


こうして書いて見えてくる自己像は幼稚・未熟であり、恥ずかしい自分自身から逃げ、覆い隠したい目的で何か身に着けようとしますが、その事そのものには無関心なので面倒くさくなり続かないという。
そして、こんなダメ人生の責任をどうしてもとりたくないと考えています。

自分のしょぼい能力への不安と、夫との罪悪感に縛られて不幸になる未来が確定している気がして、ますます人生から逃げたくなっています。
今までの人生、自分を直視しないためだけに生きていたのかもしれません。


 
まず心の目を肥やすことから^^ / しまの
No.1307 2019/02/08(Fri) 16:26:50

やはりまず自分がこれからどのように生きていきたいかという方向性持つことからになると思います。そこから、旦那さんへの対応見えてくるかと。
そしてそれが分かるのは、もちろん自分自身を置いて他にないということになるかと^^。
その点ちょっと物足りないかも知れませんが、ハイブリッド心理学「自らによる成長」のための自己取り組み心理学になりますので、あまり突っ込んで「こんな生き方はどう?」といったご提案をするものではなく、そうした自分自身への向き合い大切ですとアドバイスできるまでとなりますです。
子供をまだどうもうけられるか云々といったもあくまで自分への問いごく一例になりますので、ぜひ他の視点からも「これからこんな生き方はどうか?」という問い自分自身に向けてみて頂ければと思います^^。

「こう生きたい」という方向性が見えない場合ハイブリッド心理学からは、たとえで言えば、一度立ち止まって・・というかすでに立ち止まっているわけですが、運転技術や足回りの確認向上取り組みます。
つまり「価値観」「思考法行動法」さらには「心の自立」といった心の基盤について学び、それについての自分自身心のあり方確認検討し、今までと違う姿勢への可能性自らに問う、といった取り組みです。
そのためには、まずは多少読書からになると思います。

>以前は優越感を持てそうなことが原動力になっていましたが、年々優越感を持てることも減ってきて今はほぼ皆無。
>発達障害の傾向があり、理解力の低さ、社会的能力のなさ、会話の下手さその他全体的に能力が低いため、いつも人に馬鹿にされている気がしてなりません。逆に自分も他人を馬鹿にしていると思います。他人は基本的に私を見下す敵だという考えがいつもあります。自分に似た人を見下し、ないものを持つ人を過剰に大きく見て恐怖する。
といった記述から見るに、「自尊心」について学ぶのが良いかも知れませんね。これは『理論編上巻』詳しく取り上げています。
そうして多少読書進め、ある程度頭に入ってから、「これはどう考えられるか」具体的糸口材料見つけてみる、という進め方良いと思います。

と言いますのも、書いて頂いたことは主に「自己像」「自分自身への感想」についてですが、これは「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解する」というハイブリッド心理学「感情と行動の分離」基本姿勢において、感情側のものに位置づけられます。
つまり自分自身をそう感じていることについては、「ただ流す」それだけです。
もちろんそれだけだと何の変化要素もなく「外面行動は建設的なもののみ行う」というもう一方の軸重要になります。まずはその材料探しから。そのため心の目を肥やすことからですね。

そうして、ま読書進める前すぐでもいいのですが、「これはどう考えられるか」具体的糸口材料をどれか絞ってご質問頂ければ、また詳しいアドバイス可能かと思いますので^^。


(No Subject) / TOBI
No.1304 2019/01/22(Tue) 01:24:39

島野さんは、一度素性の良い仕事(職場)で、普遍的と言えるような外面的行動の技術を身に付けるべきだということを書かれていたと思います。でも、「素性の良い職場」への就職というのは誰もができることではないと思います。私も、尊敬できる人がいるような職場には恵まれませんでした。
 「素性の良くない」とも思えるような仕事や職場、そもそも一人で物事を極めていくような仕事や職場であっても、普遍的な外面的行動技術を身につけることができるのでしょうか?
 幸運にも素性の良い職場に巡りあわないと、普遍的な外面的行動技術を学ぶことは難しいと思われますか?


 
時代の変化・「仕事の普遍的スキル」入門^^ / しまの
No.1306 2019/02/05(Tue) 11:14:29

これはまず書いて頂いた言葉としては3つほどテーマになる感じかと。
1.「素性の良い仕事(職場)」・・・「素性」とは「生まれ育ち」のことで、まずは職場の性格などのになるかと。

そして「普遍的と言えるような外面的行動の技術」ですが、これはハイブリッド心理学としては2つテーマになります。
2.建設的行動法一般・・・「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」から成る
3.「仕事の普遍的スキル」


時代の変化・・

これですが、
>島野さんは、一度素性の良い仕事(職場)で、普遍的と言えるような外面的行動の技術を身に付けるべきだということを書かれていたと思います。

かなり以前ですが、旧掲示板仕事スキル関係書いていたもののかなと。以下など。
これはまずは1.「素性の良い仕事(職場)」になるかと。
===========
過去ログ2006.2収録 文字装飾はつけ直し
『「太陽と惑星」の社会構造』
しまの No.909 2006/02/21
・・(略)・・
企業働くようになり、最後長く勤めた大きな会社にいて、そのイメージがこの社会の基本構造であるのを感じるようになった次第です。
社会で
上位者と位置付けられる者達は、まとまって大きな集団を作る傾向がある。下位に行くほど、分裂して小さい。さらにその大きな集団実際生活してみて、まあ僕が行った所が良かった幸運もあるのでしょうが、暖かい、光のある世界だったと感じます。だから「太陽と惑星」というイメージぴったりきます。
決して
「け落しけ落される」世界ではなく「純粋さ、思いやり、誠実さ」そして「建設的であること」何よりも大切にされた会社文化があったと思います。それが顧客の信頼を得て、継続的な利益つながるわけです。

そうした集団入ることを、人生の目標の一つにすることに、僕は大賛成です。そうした集団は決して排他的ではなく、その会社の社員になるのでなくとも、その取り巻き集団(^^;)中に入るだけでも、沢山学ぶことなどの恩恵があるでしょう。
・・(略)・・

===========

ということで、主旨的ご指摘頂いたようなこと書いた言っていいのかなと思いますが、
実は今じっくり読み返して、すぐ浮かんだ感想とは、
「今は違う」
というものなんですね。

ちょっと時代考証などしますと、社会出たのが85年仕事場パソコンなるものもない頃で、88年大手IT企業移り、その後Windows95登場パソコンそしてインターネット普及などの流れ2005年会社を辞め執筆専念という経緯です。
それからまだそう時間も経っていない2006年上記文章など書いていたわけですが、その時点実際そう思えていたわですね。
しかしもう違う。どう違うかというと、会社にいた歳月というのは、基本的「情報」閉ざされた場の中に閉ざされていた時代なんですね。だから、同じ閉ざされた場でもなるべく大きな場の方が情報も豊富で有利であったわけです。その中でスキルを獲得していく、そのために教育するという風潮もあったと思います。
ところが今はそうではないですね。インターネット普及からさらに、SNS社会行動インフラになったという段階
ここ至り人間社会、人間文化そのものが、「集団の時代」から「個の時代」に転換した感じています。いつ頃からかと言えば、やはりfacebook株式公開した2012年頃が、その転換点かと。

そうして「個の時代」となった職場におけるスキル習得について起きている変化とは、
情報が基本的には開かれた場の上にあり、仕事場の中で教育していくというよりも、即戦力、そして自分自身を教育できる人材を求める風潮。
というものになると思います。

また「素性の良い仕事場」について言えば、社会経済発展途上にあった一回り前までは、上位の大集団がその経済的ゆとり情報の豊富さ教育熱心さ、そしてまだまだ発展するという活力によって素性の良い仕事場になることがより可能であったと考えられますが、のような低成長時代となると経済的ゆとりもなくなり、活力も低下しがち、そして「個の時代」化により職場教育の手薄化などもあり、上位の大集団「素性の良い仕事場」とはもうあまり言えない風潮ではないかと思います。
時代、そしてこれから時代において「素性の良い仕事場」というのは、やはり「個を大切にする仕事場」だと思います。具体的にどういうことかなどの考察はここでは省きますが、それはむしろ小規模のベンチャー的企業など見られるようになっているのではないかと感じます。

ということで、「仕事場」について言えば・・「大学」とかになるとまた話は違うと思いますが、「上位の大集団が素性良く学びやすい」というのはここ数年でという時間レベルで急激に変化している、つまりもうそうは言えない、というのが僕の考えです。

ではどうすればいいかと言うと、時代の潮流そのまんまですね。自らを教育すればいい。
実は「普遍的」というのであれば、これは前からそうなんですね。「普遍的」であるとは、時と場所を越えて通用するということですから、特定の場所で身につけるというものでは、元々ないんですね。特定の場所で身につけられるのは、個別限定的スキルです。まあ特定の場「普遍的スキル」銘打った教育するものある可能性もありますが、あくまでそれは「考え方」教えるとどまり「身につける」のはそこからさらにさまざまな場での経験を通して、になると思います。


仕事の普遍的スキル入門

では「仕事の普遍的スキル」とは何か、それはどのように獲得されるのかについてごく簡潔に書いておきましょう。
なおご質問「普遍的と言える外面的行動の技術」という言葉は、仕事スキルだけではない対人行動法全般、冒頭でテーマ整理した、
2.建設的行動法一般
指しているかも知れませんが、これはもう仕事場限らず全ての生活場面取り組むものになりますので、素性の良い仕事でうんぬんはもうない話になりますね。これはいいですヨネ。こちらについては
辞典 「実践3-1 行動学」
など参照頂ければ。

ということで、
3.「仕事の普遍的スキル」
という本題そのものになりますが、『辞典』の「実践3-2 仕事の普遍的スキル」での整理まだあまり書けていませんので、ここでごく輪郭など書いておきましょう。
まず定義としては、「未修得の特定技能を求められるようなものでなければ、詳しい指示を受けなくても、置かれた仕事の場において自分がすべきことがすぐ分かり、作業をすみやかに行うことができる」といった能力などと言えると思います。
これはのような課題側面から成るものと言えます。
 ・この社会で「仕事(業務)」というものがどのように構成されているのかが分かる。そこでの個々の作業の役割が分かる。
 ・ミスをなくすための工夫を考えることができ、実際ミスを最小限にして作業することができる。
 ・トラブルへの対処ができる。
 ・向上への工夫ができる。そのために必要な他者との調整ができる。

このためにまず基礎教養的スキルとして・・これは当然時代応じて変化するものですが、パソコンのスキル多少英語力文章力プレゼンテーションスキルなどがあります。その上上記のような課題側面習得するためには、実際の仕事携わりながら、それなり勉強たとえば社会人向け自己啓発本、また経験で言うと「簿記」勉強(これは結局3級も受かりませんでしたが^^ゞ)が、企業でのお金の流れ把握する上で役に立ち、ひいては企業の業務の構成把握できるようになったりしました。
そして結局仕事というのは人との調整というのが大きなものになりますので、テーマとして
2.建設的行動法一般
基礎になります。
そして仕上げとして、「実践3-2 仕事の普遍的スキル」の冒頭に書いた、
=============
「役割」「工程」「管理」そして「生み出す価値」といった専門的視点できるだけ早く意識を向け仕事場におけるその具体形の把握のコツをつかむことが、仕事のスキル獲得への近道になります。
=============
というものになります。
これは『入門編上巻』P.212「価値言葉」として指摘したものでもあります。ご一読頂ければ^^。
その具体例は、
メール相談事例集 No.002 視線恐怖および「職場での自分の位置への不安」の克服
またこの掲示板「スキル」とかで検索して頂くと出てくると思います。

これらを一言こう言うこともできますね。「仕事の普遍的スキル」とは、仕事の普遍的なスキルとは何かが分かることだ、と。まあ言葉の繰り返しですが、実際まさにそういうことだと思います。

ということで、それなりに結構高度な話であり、社会人生活を通してまずはざっと10年といった歳月を経て獲得できるものになると思います。結構ハードルの高い話でもありますが、気休めにハードル低い話をあつらえても意味ないかと思いますので^^。
それに向けて、まずはそうした目標意識を持つか。そしてそれなりの勉強を積み重ねるかになると思います。「運」というのはあまり関係ないかと^^。
まずはそんな話になりますね。お答えになりましたかどうか^^。


損得について / yamada
No.1301 2019/01/12(Sat) 21:30:17

携帯電話の料金を下げるべく携帯電話会社の乗り換えを検討しています。多くの携帯電話会社に話を聞いたところ,もっとも金銭的にお得だと言える会社が分かりました。ですが,その会社にたどり着くまでにかなりの時間と労力を使い,わずかな金額の多寡にも注意を払う自分に卑しさも感じました。得をすることは出来たかも知れないが,このような得を求める行動(損を回避する行動)を過度に行うと,長期的に人生を通してみれば損をする(人生を失う)こともあるかもしれないと思いました。

メルカリで安い商品が出るのを毎日チェックしながら時を過ごし,最終的に安く買えたはいいが,チェックをしていた時間や労力に見合っていなかった。

1000円割引のクーポンが出たから,欲しいものを探し出し,多少無理して購入する。

温泉宿に泊まり,無料だからと言って不必要に朝夕二度温泉につかる。

よりお得なものを得るため,何がお得かどうかの調査するが,その調査に時間をかけすぎる。制限時間が設定されていないと,延々と考え続け,気づいたときには多くの時間を浪費してしまっている。

より条件のよい転職先を探すが,転職活動に多くの時間をかけすぎて,1年が経ち,転職する機会を失う。


自分の決断の基軸が,「損得」になってしまっている事がよくある。よくあるというか,何事にしてもそうかもしれない。働くことだって,結婚することだって,より楽で,よりオトクなものを選択する。そんな自分が卑しいと思いつつ,それに代わる決断の基軸も特に見当たらず。

損得感・効率性といった決断の基準について,お考えがあればお聞きしたいです。


 
「お金」との付き合い・損得計算の熟達への道^^ / しまの
No.1303 2019/01/15(Tue) 15:12:10

正しい損得思考

これは比較的単純問題かもですね。損得効率考えてしまっているのが問題なのではなく、損得効率うまく判断できていないという問題になると思います。間違った損得思考や計算をしているという問題

ありがちなのは、まさに

>損得感・効率性といった決断の基準について,お考えがあればお聞きしたいです。

ご質問頂いていますが、「基準」間違ってしまっているというケースかと。

まず最初から言いますと、「損得で考える」ということ自体を、ハイブリッド心理学では否定しません
むしろ「損得」で考える主義です。それへの対照となるのは「とにかくこうすべき」という道徳主義のような思考になると思いますが、ハイブリッド心理学ではそれに立たないのはご存知かと?^^。
ハイブリッド心理学では、自分の生き方や行動を、損得で考え、決めるという主義です。
重要なのは「基準」にするかで、「幸福」基準にします。「お金」ではなく。これは「材料」にはなり得るだろうが、基準にはしない

「基準」にするとは、それがより上のものを選択するということですね。自分より幸福になるであろうものを選択する。これをもう一義的なものとして掲げます。
ただしその「材料」が、人それぞれ時と場合多種多様になるわけですね。「お金」その一つでしょうが、それだけ考えるというのはあまりに視野が狭い話であるというのはよろしいかと^^。

ともかく、まず正しい「基準」で損得を考えることだ、というです。
ありがちなのが、「材料」を「基準」にして考えてしまうのが、この損得思考損得計算全体歪み惑い出てくる原因、というものです。
通常食事であれば、「旨さ」基準最終的に選ぶと思います。文字通りの材料で決めるのではなく。また値段ももちろん判断材料にはなると思いますが、基準ではないですね。これはよろしいかな。

ということで、書いて頂いたものは、ずばり「金銭値段」を「基準」にしてしまっているのが惑い原因かと思います。「クーポン」やら「無料」やらと。
もちろん「お金」を基準にものごとを考えるのは世の人ありがちですが、「幸福」を基準に考え、人生に時間が限られることを見据えた時、「お金」は「基準」としての座を失うのみならず、「材料」としての強みさえも次第に色あせる、と言えると思います。
なぜなら、「お金」によって我々「幸福」つながるためのさまざまなもの手にできる思い描いて人生を歩み始めるわけですが、「お金」を得て、それによって得たものが「幸福」につながっていないのを感じた時、それは「時間を失う」という「損」であることを、知るからです。人生には時間の限りがあります。だからそれはまさしく、人生を失うことつながるものなんですね。
言えるのは、「お金」を基準にすると、時間がかかる、ということですね。お金を得るために、時に、というより大抵必要になる、膨大な時間お金のちょっとした差異右往左往し沢山の情報に付き合わされる時間
ならば、「お金」という基準を思い切ってとっぱらってその先で得られるものを手にしてしまえば、全体としてはるかに得で効率良いということにもなるわけです。実際それが得られるのあれば、という条件つきになりますが。


「お金」との付き合い・損得計算の熟達への道

以上のような基本的考え方として、ハイブリッド心理学からは、「損得計算の熟達への道」というのがある、と言えるかと思います。
それは同時必然的に、「お金との付き合い方」という、現代人宿題だと言えます。現代人にとり「お金」が、生活振り決定づける基盤でもあり、損得思考における極めて強力な材料、さらには基準にもなり得るものだからです。

2つ課題あるという考えになります。
一つ「道」としてあるもの。つまり人生の歩み段階に応じた課題があり、それにいかに向かうことができるかという課題
「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛へと向かう」というハイブリッド心理学「命の生涯」の思想対応するにて、以下のようながあるというものになります。一言で言えば・・というよりちょっと長くなりますが、
まずはとにかく、「仕事」の能力向上に向かうといい。それが同時に、この社会で自分がどの程度のお金を得ることができるのかの、おおよその目安になる。そうして人生の歩みの折り返し頃になれば、自分が人生でどんな生活振りができるのかの目標と実際の達成状況というものが見えてくるようになる。するとほどなく、お金が生活基盤として重要であるのは引き続く一方、やりがいや生きがいをどう得るかが、多少ともお金を度外視した形で重要性を帯びてくるだろう。その先に、やりがい生きがいを見出すと共に、人生の終わりまでの金銭の見通しを立てることを足場に、金銭への惑いや金銭欲を卒業するというのが、「お金とのつき合い」という宿題の一つのゴールの形と言えるだろう。
これがまあ、「損得」といったテーマで、惑い全体から卒業するまでのというです。「損得感」となると出てくる話

一方もう一つ課題とは、そうしたどんな時点にいるにせよ課題となる、「損得の判断力の向上」という課題です。
「損得」および「損得感」大小上記「道」に応じて様変わりするわけですが、ここではどっちかというと細かい損得場面どう素早くかつ的確に処理していけるかという、日常的な話であり、ご質問としてはこっちとしては焦点かもですね。

まあ、こうなれれば損得判断の達人という姿あるということになると思いますが、それはどんなことか。
「幸福」損得基準にする限り、それはとくかく損得金額計算が正確迅速にできればいいというのではない、のはいうまでもないことですね。
考えでは、いくつかの、達人たる判断則しっかり身につけることだ、と考えます。
それは上述のように、
1.損得の「材料」になるものを「基準」へと格上げしてしまわない
ということから始まり社会経験人生経験の中で学ぶべきことしっかり身につけた姿です。思いつくものをあげていけば、
2.代償のある小さな得は、実は基本的に損
この「代償」よくあるもの「時間」ですね。あとはたとえば「ストレス」買ったりしてごく僅かな株価変動右往左往しているのは、もうそれだけで
3.小さな得を餌に大損を食わされることなかれ
「確実な利回り」の文句エサに、老後資金をごっそり騙し取られる高齢者なんと多いことか。
そしてとりあえず最後に、これ重要ですが、
4.何のためにそれをするのか、自分自身を知れ
たとえ洋服好き着ない服ヤフオク出品するというのをよくやっていますが、中には100円200円といった値段でしか売れず、手間時間が割りに合わなそうなものも良くあり、準備作業に入ろうとして「何でこんな面倒なことを・・」自問すると、「まだ使えるものをいきなり捨てるという行為が、僕は嫌なのだ」答え返ってくるわけです。で、なるべく面倒を感じないよう、他のもののついでのような出品作業を進める。
そこでは「お金」よりも、「満足感」というプラス感情が、目的なんですね。それに見合った行動をする満足感

そうした細かい損得判断を、日常生活の中で素早くできる、即断できる、といった自分感じるようになって、自分人生の一つの側面で達人になれたような満足感得られるわけですね。
決して金銭額の問題ではないわけです。
そうした判断うまくできないというのは、まるで交差点を前にしていつまでもハンドルを切ることができない運転者のようなもので、何より自分が情けなくなってしまうと思います。金額的な損というより、こうしたマイナス感情こそが、なんですね。

テーマ整理および思いつく僕の考えざっと書きなぐりましたが、考え方基準はこれでおおよそお分かりかと。
書いて頂いた具体的内容については、「クーポン」「無料」とかは、まず目的が先にあって、そして時間かけず手に入るもの大いに使うのがいいですね。クーポン探し時間をかけるという行為良しとなるのは、それ自体趣味として楽しめる場合です。
電話料金は、これは長い目で見ると結構影響ありますので、調べるのに時間食うのは多少アリと思いますけどね。どっちかというと、この程度の金銭金額問題ならこの程度時間かけて検討して良しという自分の按配加減への自信なさというマイナス感情問題かと。これは判断力全体的に上がることで、「これはこれで良し」という時間配分判断力満足感向上すると思います。
一方、

>働くことだって,結婚することだって,より楽で,よりオトクなものを選択する。そんな自分が卑しいと思いつつ,それに代わる決断の基軸も特に見当たらず。

これは卑しいというより、4番目的が見えていないという、ちょっと別次元の問題があるかも知れませんね。自分人生の生きがいどのように設計するかという、どっちかというと「道」の方の次元の話
これは取り組みとしても遠大なものになりますのでここではもう話を膨らせませんが、アプローチとしては、「人生での望み」といったテーマでの向き合い、そこに妨げありそうであればどのように「望み」に蓋がされたのか自己分析などがある、と一言添えておきましょう^^。

まずは基本的考え方から確認し、あとは日常生活での細かい場面でのハンドルさばき積み重ねになりますね^^。


セツクス依存症です / リリィ
No.1290 2018/12/03(Mon) 13:19:01

36歳主婦です。
10歳から自慰を覚え15歳でセックスを覚えてから、沢山の人と手当たり次第に寝てきました。
そもそも15歳の時のお相手もセフレですし、自分は淫乱なんだと思ってきました。
30歳で結婚してからは夫以外の人とは寝ないと決めたのですが、今年プロの男性と寝てしまいました。
結局、プロの方の子供を孕んでしまい、自分は何て弱いんだろう。駄目なんだろうと苦悩しました。その事を逐一、相談していた友達にも呆れられてしまい。本当に自分が何故生まれたのか、よくわからないのです。
セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。
今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。
結婚してるのだから、夫とすればいいのですが、夫とは達した事がなくこのままで結婚前のようには手当たり次第に誰かを探すのではないか?と不安です。
私はどうしたら、変われますか?永らくこの症状に気が付かずに生きてきた為、仮に治っても私からセックスを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。
アドバイス頂ければと思います。


 
「依存症」へのハイブリッド心理学アプローチ^^ / しまの
No.1292 2018/12/16(Sun) 15:53:37

これも先のご質問相談「美容整形」といったのと同じくハイブリッド心理学ではあまり頻繁には取り上げないテーマなのですが、ハイブリッド心理学からどのようなアプローチになるのかなとちょっと一考してみましょう^^。
「依存症」というテーマですね。その中「セックス依存症」という特定テーマ独自の話もあるか。


「依存症」とは

まず「依存症」とは、特定の行為にのめり込む様子そのものではなく、そこに「やめたいのにやめられない」という心身ストレス自己コントロール不能があるものを言いますね。これは世の医療関係良く言われ周知のことと思います。
問題その先で、なぜそうなるのか原因と、ではどう克服するかというアプローチについては、かなり世の医療関係一般違うアドバウス言うことになるのかなと。
一般的には、依存症の裏にある心の闇多少配慮をしたとしても、深い心理分析にはあまり踏み込まないまま、とにかくやめるための隔離や防御、また自助グループ参加による励ましなどになるのかなと思います。
一方ハイブリッド心理学からアプローチするなら、裏にある心の闇についての、結構細かい分析からになると思います。それが自ずと、克服アプローチ方向示し始める

がまず「依存症」の裏にあるものとして想定するのは、「身をけずるような空虚感」です。それから逃れるために、たとえば飲まずにいられない
ただそれが「依存症」という激しい姿になるのには、もう一枚加わるのではないかと。
それは、「やめられないこの自分は駄目だ」という自己叱責が、「自分というものを保てない」かのようなパニック感を起こし、そこから逃れるためにその依存行動走る、というものではないかと想像します。過去自分が保てないような混乱感から、セックス救われたという心の状態一度出来上がると、パニック混乱からその依存行動繰り返し走るというのはもう分かる話です。
するとつまり、「依存をやめられない自分という自己叱責パニックから逃れるために依存する」わけですね。こうなるともう自己循環自動的にその依存行動コマが回ることになります。
書いて頂いた状況についても、そんな面があるのではと。こんな自分では・・という不安混乱頂点に達すると、誰か自分を抱いてくれる人探さずにいられなくなる、と。


克服への真の基本姿勢

それに対して、どう向き合うのが良いのか。
そうした今までの依存行動に、「もうこれは絶対駄目!」という禁止かけるであろう世の一般と、実はまさに逆の姿勢から入るわけですね。
過去の依存行動に、感謝することです。過去の依存的セックス行動に。なぜならそれが、自分を保てなくなくなるぎりぎりの精神破滅から、自分を救ってくれたのですから。
その上で、これからは、その自分を救う役割を、自分自身が果たすことです。

これは突飛なアドバイス聞こえるかも知れませんが、実は「認知療法」大家デビット・バーンズが示した真実の克服姿勢です。自分の不合理行動どうにかしたいなら、まず今までのそれに感謝することからです、と。事実そうするしか手がないなら、そうするべきであったということなのです、と。多分「認知行動療法」はこうした真のアプローチの精神抜いたまま、ただ禁止訓練をするようなものになっているのではないかと。
ともかく、「過去の依存に感謝しなさい。そしてこれからは自分がその役割を担いなさい」というものですね。依存行動繰り返すのではなく、と。


具体的実践

深刻な自己コントロール不能についてはそうした向き合い転換図るとして、あとは具体的実践になりますね。
美容整形についてのアドバイス同様ハイブリッド心理学では精神論道徳論ナシです。ただ社会行動学からの良し悪し出てきますね。
3つ取り組みになると思います。

1)良し悪しをセットで見る目
依存症克服にあたり、地味ながらも・・つまり即効性はないものの、最終的な答え見出すための一番基礎になるのがこの、「良し悪しをセットで見る目」になると思います。
つまり、ある行為魅力的な側面と、不快な側面を、セットで見る目です。そしてその行為向かおうとする時、自分が不快な側面にも向かう行為をしようとしていることを、しっかりと意識することです。
まあ実際魅力と不快がセットであるならば、セットとしてのその行為について、自分がどのように向かうべきものかの答えを出さねばならないわけです。魅力的側面だけ取って、不快な側面後から不本意に遭遇するもののように意識するのではなく。
お酒であれば、その旨さと酔いの至福だけでなく、その後悶絶するような二日酔いを、飲む行為なのだとしっかり意識する。その両者量的バランスどうなのかも、しっかり吟味しながらです。
パチンコであれば、勝つ興奮だけでなく、負けて大きく損をする行為を、今行うのだとしっかり意識する。
無差別的な性行為であれば、うーんまずは犯罪に遭う危険・・場合によっては即命に関わるような。病気を移される危険。また配偶者がいるのであれば知られた時にどうなるか。

それはとっくに聞いた話だ、ということにはなるかも知れませんが、重要なのは、要求に蓋をするのではなく、いかに根底から健全化できるかです。
そのためには、基本的自制利くという前提において(それが不可能な時上記のような向き合い)、心の中では欲求を開放したで、まず不快な側面についてしっかり確認して自制を確かなものにし、さらにその上で、その欲求健康で自然な度合いを超えた性質部分について精緻な自己分析をする、といった実践有用になります。

・基本的自制
この「基本的自制」と「精緻な自己分析」について詳しく説明し始めると、それぞれで本が書けてしまうような話になると思いますが、ごくキモのポイントを書いておきましょう。
まず基本的自制確実にするためには、精神論的・道徳論的な思考ではなく合理的科学的思考でいかに日ごろから生きていくか重要になると思います。道徳的善悪というよりも、打算計算自分にとり合理的なほどほどの線徹底的に追求する。まあお酒パチンコには「ほどほどな量」があるとしても、不倫にはほどほどというのはないとは言えるでしょうね。
ともあれ、道徳論精神論で欲求に蓋をするというのは、鬱積した欲求がふとしたきっけかけで堰を切って暴走するという、元の木阿弥になりがちですので、合理的計算打算探求に切り替えるのがお勧めということです。

・精緻な自己分析
精緻な自己分析というのは結構高度な話になりますが、その分問題の核心せまり得るものになります。
自己分析闇雲に行って効果が出るものではなく、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という「感情と行動の分離」姿勢しっかりと心底において根づいた上で、建設的行動を妨げるマイナス感情について、自分でも分からなかった根底の理由突きとめられることで、劇的な変化起きるものと言えます。
詳しくなどに譲るとして、ずばり今回の話関係しそうなポイントは、
愛が深く妨げられるごとに、性が強く刺激を帯びる。
という心のメカニズムです。
それはどのように起き、そして回復克服されるのか。島野の考えとは、愛が損なわれた悲しみを葬り去ることでこそ、それは深く損なわれるのであり、その回復克服は、いかに他人と深い性愛体験のようなものを持てるかなどではく葬り去った悲しみを自身の中でどれだけ取り戻し受けとめ尽くせるかにある、といったものになります。
その視点から考えるに、

>セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。

というのは、問題の始まりの核心実は性的な悪戯をされたことではなく、それよりずっと前の段階何らかのきっかけ生まれた、幼心に抱かれた「あるべき愛が損なわれた」という闇の感情かも知れない。それがなければ、悪戯払いのけられるようなものとしてです。
そしてこれらが回復克服されるのは、
『理論編下巻』最後の方これ一番下「魂に魂が宿る」)で「Y子さん」島野伝えてきたような、「悲しみへの向き合い」あるいは「悲しみの取り戻し」のような体験になるかも知れません。
性の問題限らず心の問題根底結局「愛」の問題行き着く、というのがハイブリッド心理学の思想とも言えます。
上記「Y子さん」の言葉も含め、その全体については『理論編下巻』ぜひ一読頂ければと思います。

2)全てのマイナス感情への本格取り組み
そうして核心の問題回復克服されるごとに、逆のメカニズム働くと言えます。つまり、
愛が深く取り戻されるごとに、性の刺激は薄れていく。
というものです。
これはより一般化した表現(?)をするならば、
心を病むごとに、性が強く刺激を帯びる。
ということであり、
心が健康になるごとに、性の刺激は薄れていく。
ということです。

心の病み回復克服取り組みがうまく進むごとに、視点性の問題よりも、心の問題全体移っていくということでもあります。
それをなるべく先取りするよう、性の問題だけに視野を狭めず全てのマイナス感情について取り組んでいくといい。これが2つ目実践アドバイスになりますね。
『辞典』「実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針」など見て頂くと、ざっとどんなことがあるのか把握できると思います。

3)生活全体の充実向上
病みの傾向動揺といったマイナス面への取り組み上記のようなものとして、あとは生活全体の充実向上というプラス面への積極的な取り組みになりますね。これは言わずもがなですね。
上述心のメカニズムなども含めて言えるのは、病んで空虚な心の中で、性はまさに闇夜に光る月のように魔力的な力で心を惹きつけるものである一方健康で充実した心の中では、まさに輝く青空に浮かぶ月のように、その魅惑的刺激を薄めるものです。その輝きの絶対値同じまま。

そうした心の世界違いをぜひ視野に置いて、それ以外のものへのアンテナ張るようにしていく。まあ個人的な趣味嗜好の問題はありますが、動物を飼ったり植物を育てたりといった、「命」に触れる活動などが、島野からお勧め一つですね。

最後もう一つ視点

>仮に治っても私からセックスを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。

とのことですが、医学的に言って、人間の性機能30代半ば頃から急速に衰え始めます。徐々に、というよりもガタンガタンと階段を下りていくように。それに伴い、性行為の快感度急激に薄れていきます。その後は、イメージの中で性行為が快楽のように映るだけの、残滓を追うような姿になりがちなのが現代人ですが、まあ参考になるかどうか、今57歳ですが、ここで述べたような心の取り組み究極的な結果なのか、男性機能はまだありますが(^^;)性欲ほとんど消えています。それが実に快適な心の状態でもあります。面倒なことが一切ないし^^;
ともあれ、セックスを取ったら・・と言ってもそれは取られるというよりも、内側から消えていってしまうものです。そう遠くない将来・・。

そんなことも視野に、以上3つ実践取り組みなど検討してみて頂くと良いかと思います^^。


 
アドバイスありがとうございます / リリィ
No.1293 2018/12/17(Mon) 15:27:25

ご丁寧な回答ありがとうございます。不覚にも声をあげて泣いてしまいました。

私の根底にある怒りを燃料に性欲の炎が私を焼き尽くすような状態で、薄汚い性欲を持っているんだから醜い気持ちが心の底にあるからセックスは止められないんだ。と、事あるごとに自分を攻めてきましたし、その度に誰かの身体を求め自分自身では壊せないから相手に私の事を壊して貰いたくて恐ろしい目に遭ったり、惨めな思いも沢山して来ました。今までは、セックスしてくれるかどうかでしか人を見ておりませんでした。そんな状態でしたが、過去の依存行動に感謝する。の文を拝見しかなり救われました。

既に最初に悪戯してきた相手も、初体験の相手もこの世におらず私は底無し沼のような場所に独り取り残されたような気持ちになっていたのかもしれません。初体験の相手の事が本当は好きだったように思うのですが、ちゃんと伝える事が出来ないままで肉体関係だけを繰り返し、付き合わないなら別れる事もないと開き直り、今日までが過ぎてしまった事を後悔していますが、彼が旅立った今となっては最早どうする事も出来ないでいます。

この「好き」の感情にも歪みが生じており、まずセックスしてからの相性で人を好きになる事がほとんどで、通常の恋愛における好きになってからセックスすると言う行程を一度も踏んだ事がなく、もしかしたら今まで好きと思った感情は全てまやかしで、私に人を好きになるような感情は無くセックスを得る為の手段として好きの気持ちに似たような状態になっていたのではないか?今まで感じた気持ちは幻想なのではないのか?と不安に襲われたりします。この逆転現象を改善しないと愛まで辿り着けないのではないか?主人との関係は適切なものか?と思うのです。
もしかしたら、その結果セックスに多くを割いてしまったが為、一度も誰の事も好きでなかったのかもしれないと思うと恐ろしいのですが、本当の事を知りたく思います。

性機能の事はわかりませんが、肉体的な衰えは感じ初めており、このままでは誰からも関心を持たれず抱かれなくなるのでは無いか?の不安はずっと付きまとっていました。今まで選ばなかったタイプともセックスする必要があるかもしれないと思うと苦痛で仕方ないのに、セックスしないとはとても言えない自分が嫌でたまりませんでした。性欲が内側から消えてくれる日が来るのが楽しみやら、淋しいやら今は複雑です。人に知られたくないような秘密を教えて頂きありがとうございます。

何とか好きになる気持ちに生じた歪みを正して本当の愛までたどり着きたいです。本当の愛が見つかるなら性の刺激が薄れても仕方ない事なのかな?と思えています。恐縮ですが、またアドバイス頂けたらと思います。 よろしくお願いします。


 
「本当の愛」への道^^ / しまの
No.1294 2018/12/21(Fri) 15:06:34

アドバイス残りがあった感じですね^^。
依存から抜け出すというのを超えて、豊かな心に向かうというより大きなご質問でも、「本当の愛」といった言葉出てきてますね。ハイブリッド心理学主題にも近づいてきます。

これもちょっと逆説的で、まずは「本当の愛か?」と問うことを、やめることからになるかもですね。
なぜなら我々それが分からない未熟から歩むのですから、そう問うことは、何か良く分からないものを無理に空想上のイメージにして、それに満たない現実を批判するというマイナス状態にしかならない可能性大きいからです。やはりこれも道徳的意識の一方で心の根底は何も変わらないというものになりがち
まずちょっと訓示のような言葉浮かびましたので書いてみましょう。

人との関係において、「本当の愛」を求めてはいけません。それを求めた時、人は「今そこにある愛」を見ることができなくなるのです。
外面行動においては「愛」を、「喜びと楽しみの共有」と位置づけ、内面においてそのための、偽りのない自分の感情を、追求し続けることです。その中で自分が最後まで守り続けるべきものはどれなのかを、探していくのです。
そして、愛が完璧でないことを、許すことです。その時「本当の愛」は誰にも気づかれることなく、また気づかれる必要もなく、道ばたの土に芽生える小さな草の芽にように、芽生え始めるのです。

を追って要点書いてみますと、また3つになりますね。まあその順に3つのステップで実践するというより、テーマにそうした広がりがあるということであり、実践としては同時にその3つに、今すぐ取り組み始めるというものになると思います。
1)愛の感情だけに見入らない
2)「喜びと楽しみの共有」として愛に向かう
3)人生の全体に向かう


「どうしたら愛が得られるのか」というテーマ問いに対し、『入門編下巻』基本指針を、「愛が欲しければ愛だけに見入るな」といった言葉書いています。「そして人生の全体に取り組むのだ」と。
(9章 愛への道)
=============
 「愛」への欠乏感と飢餓感に悩むケースでは、私はしばしば「愛が欲しければ愛だけに見入るな」という言葉を使ってアドバイスをしています。
 愛以外の人生領域に積極的に目を向け、まず自己の確立へと向かうのです。そして何よりも、自分から楽しめるものを見つけることです。
 その上で、愛を「喜びと楽しみの共有」と位置づけ、再び向き合い直すのです。
 そこから、自分を見失うのではない、本当の愛への能力が、育ち始めます。

=============

といった言葉(P.268)
まあ我々おおよそ中学校にも入る頃、相手を好きという感情一致した時バラ色の世界が広がるようなこととして「恋愛」というものを意識し始めるわけですが、人生の歩みを通し、心が成熟していくで、それとはまったく次元の異なるものとしての「真実の愛」呼べるものを、見出し得る。それは相手をどう好き、愛してるかといったものとは全く異なるものであり、言葉で言うなら、自分の命の重みがどう相手に置かれるかといったことだと言えると思います。
ただそれは人生歩む途上で、どう心を見つめたところで見えるものでもなく、人生を通して見出す・・否、「見出す」ようなものでもなく、その人の人生そのものとして築かれるものだと。

まああまりアドバイスとしてまとまりがないですが、そうした広い視野を持って、人生のさまざまな問題取り組んでみるといいと思います。基本的な対人行動法「仕事」というもののスキル趣味など。
そうした全て積み重ねとして、「本当の愛への道」というのがあるということですね。
まあ当座の懸案事項については、

>今まで感じた気持ちは幻想なのではないのか?と不安に襲われたりします。この逆転現象を改善しないと愛まで辿り着けないのではないか?主人との関係は適切なものか?と思うのです。

それぞれの相手を本当はどう思っていたのか。本当に好きだったのか。
といった問い方ではなく
何を共有したのか。
という問い向き合ってみるといいと思います。前者の問い方はやはり道徳的自己批判だけなりがちなのに対し、後者の問い方真実に近づけるものになるのではと。その結果見えてくるものが、ほっこりできるようなものであれ苦々しく感じるようなものであれ、自分自身の真実に近づくことは、「強さ」生み出します。そして「強さ」が、「真実の愛」可能にしていくわけですね。

結婚好きという気持ちの一致より、「現実生活の共有・支え」というのがまずは実際的なものですね。まあこれもまた一つ話題テーマですが。
年齢的な話も含め、性感の一致なんてことではなく、たとえば今怪我や病気になった時最後に守ってくれるのは、少なくとも今は旦那さんなのではと。ならば性生活の中で達する必要なんてなく、その感謝の気持ちを込めて触れることができればそれで十分だと思いますヨ^^。

あっと、

>人に知られたくないような秘密を教えて頂きありがとうございます。

これは全然秘密ではなく友人との会話心理アドバイスの場でも話題に触れた時は結構言ったりしている話です^^ゞ
そもそも性衝動性行動子供を生み育てるために作り出された身体機能です。子供を生む時期外れたらそれは消えるのが動物であり、その点人間明らかに過剰であり暴走迷走していますね。
自分という唯一無二の動物種としての健康と幸福追求した結果の一環として、57歳そういう状態であるのを、むしろ自然な健康だと自信を持って公言したいと感じるほどですので^^。まあ公言などする必要も機会もないですが。

まあモヤモヤしているものときほぐし視点持つとして、今答えを出すものというより、人生の全体への取り組み重要ということですね^^。


 
ありがとうございます。少しずつ進めそうです。 / リリィ
No.1295 2018/12/27(Thu) 22:35:36

ありがとうございます。何度も何度も読み返しました。
不貞を働く度に、この夫婦関係は適切なのか?こんな歪な状態で本当の愛なのか?と、
夫婦でいる権利が私には無いのではないか?と、自問自答を繰り返してきました。
沢山の人の黒い性欲を刺激し、散々楽しんで悦んだ癖に、何も知らない旦那の隣で涼しい顔して清い振りをして添い遂げる権利が私にあるのだろうか?と性欲が鎮まると汚れた自分が嫌になる波が押し寄せて、惨めで仕方ないのに、為すすべがなく本当に長い間ずっと苦しかったです。

そんな不安定な状態でも、旦那は何も知らないとは言え沢山の時間を共有してくれた事、一緒に美術館に行ったり、旅行したり、ご飯を食べたりしてくれた事を思い出し、これからもずっとこの人と一緒にいたいと思いました。これが本当の愛なのかはわからなくても、私にとってはそこにある身近な愛です。

今後、旦那に本当の事を言うべきかは、とても迷いますし、きっと打ち明ければこの関係は終わるんだと思います。私が旦那の立場なら知らずに生きて行きたいと思いますが、それは私の勝手な言い分かもしれません。その辺は、まだモヤモヤしています。

それに、まだ性欲を完全に制御出来てる訳ではなく、雨の日には私の中で炎となって暴れ出すこともあります。それでも少しずつ穏やかな夜を積み重ねています。もしかしたら、このまま静かに昼の月のように薄っすらとした存在になるのかも?と思っています。
全部、話して変わるキッカケを与えてくださり島野さんには本当に感謝しています。ご丁寧に説明して頂いたお陰で、あれから誰ともセックスせずにいれています。もしかしたら、変われたのかもしれません。本当にありがとうございました。


 
過去の過ちの後悔の克服^^ / しまの
No.1296 2018/12/31(Mon) 11:10:46

あともう一テーマあった感じですね。病み傾向からの抜け出し豊かさへの前進、そしてもう一つ重いテーマとしての残るのが「過去の過ちの後悔」克服です。

まず、

>今後、旦那に本当の事を言うべきかは、とても迷いますし、きっと打ち明ければこの関係は終わるんだと思います。私が旦那の立場なら知らずに生きて行きたいと思いますが、それは私の勝手な言い分かもしれません。その辺は、まだモヤモヤしています。

「愛」「喜びと楽しみの共有」として向かうものとする価値観からは、「知らずに生きたいというのは勝手な言い分では」というのとは明確逆の姿勢になります。
「何でも共有」「何でも分かり合うべき」ではなくあくまで共有するのは「喜びと楽しみ」つながるものだけです。それ以外のものは、無理に共有しない
「どちらが正しい」かではなく、それが「価値観の選択」というものなんですね。自分の価値観心底においてどれなのかと問い最終的自分はこれを取る!確信し、それに従った行動自信持てるようになる。
「何でも分かり合うべき」という価値観は、「愛」を、互いを自分の所有物にする欲求結びつきやすいですね。これはやがて「愛」壊れるパターンです。
それが本当に守りたい愛であるごとに、「喜びと楽しみの共有」以外のもの求めない、詮索はしない、という姿勢にも確信が持てると思います。に、本当の愛ではないもの愛であるかのようにしがみつこうとした時、「何でも分かり合うべき」という観念感覚起きるとも言えるかも知れませんね。

そうして「喜びと楽しみの共有」だけに徹して行動する具体的姿勢は、例え
メール相談事例集「No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う」
など読んで頂く参考になると思います。
また僕自身ですと、これは自伝小説続編物語のようなものとしていずれにしたいものですが、生涯唯一ずっと関わりを持ち続けることになった初恋女性は、国民的芸能人とも親交のあったりする、とても華々しい側面も持つ人なのですが、僕からそうした面について聞くことは一切せず、主に小学校の頃のこと今のことだけ話題にするのは、にとって決意とも言える姿勢でした。なぜならそうした面について僕から聞いた時、彼女と対等な関係ではなくなってしまうからです。だからSNSで彼女の活動振りを知ろうとするなんてのも、絶対やらない

ちょっと話が膨らみましたが、実は「後悔の克服」つながる話です。
これについての基本的指針を、
辞典 - 実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 - 悪感情の種類ごとの克服対処の指針 / 後悔
我ながら深い言葉だと感心(^^;)する短文書いています。
============
「もう忘れましょう」というありがちアドバイスとは真逆とも言えるものが、ハイブリッド心理学からの指針になります。
つまり後悔感情が少しでもあるのであれば、とことんその悔いの感情と共に生きるのです。それがその後悔超える成長へと導く唯一の道です。これがどういうことかは、まずは決して後悔をしないための決断によって行動する姿勢で生きるに、やがて見えてくるでしょう。
============

と。
今回のご相談で言えば、「とことんその悔いの感情と共に生きるとは、「話してしまって楽に・・」という考えや姿勢決して取らない、ということです。それが苦しければ、その苦しみ自分自身の中で向き合うことです。

上記短文補足する言葉をまた訓示のように書くならば、こうなります。
過去への後悔を消せることで、未来への前進が見えてくる、のではありません。今という一瞬一瞬を自らの決断で確信を持って生きることを積み重ねた先に、やがて過去への後悔がどう消えるのかが分かる日が、訪れるのです。
と。
加えれば、それが訪れる日というのは、人生の歩み後半以降だと考えるのが正解です。その覚悟が、何よりこれから人生の歩み力強い足場になると思います。

それで具体的どんなものとして、後悔超えるもの訪れるのか。それを想像するのはまだ尚早言っていいかなと^^。
まず目の前の行動自信確信を持って向かえるようになることからですね。今回のアドバイス意識方法価値観といったテーマにまずじっくり地道に取り組んでいくことから進めて頂ければと思います^^。

なお今回のアドバイスちょっとデリケートな内容もありますので、僕のアドバイス内容いったんログ確保済ですので、投稿削除文章削除など何なりして頂いて構いませんので^^。その場合は僕のアドバイス部分だけ再掲載など調整しますのでご心配なく^^。


 
ありがとうございます。 / リリィ
No.1299 2019/01/07(Mon) 21:18:39

ありがとうございます。
何でも共有するべきではない、喜びと楽しみを共有する。の言葉に、こんな世界があったのかと思い知り、私が目指す夫婦の形が見えた気がしました。

もうこれで長年の苦しみから解放されたのかな?意味のないセックスをせずに生きていけるのかな?と油断していたのですが、突然湧き出した性欲に負けて、知人男性とセックスしてしまいました。
この人に抱かれたら、病気になるかもしれない、旦那に今度こそ知られてしまうかもしれない、共通の知り合いにバラされてしまうかもしれない、性病にかかるかもしれない、この人と二度と会えなくなるだろう、リスクを考え自分が不快な側面に向かっている意識もあったのに制御出来ませんでした。

今までは行為前には期待も不安もあったけど、今回は自分に対する嫌悪感しかなく、このまま逃げ帰りたい。と思ったのに、結局セックスしてしまいました。
ただ、唯一の救いは私自身が変化してるからか以前のような刺すような強い快楽は無く、こんなものなら無理してする必要は無かったな。と思えた事で、したくないセックスをしてるんだと客観的に見れました。
旦那にも知人にも申し訳ないし、また性病の検査に行かねばならないのは億劫ですが、今度こそ変わりたいと思っています。

性に溺れた過去を全て無い物として生きることは出来ませんし、今後も性欲の波が来て抗えなくなるかもしれません。そんな時に読み返して自分を制御する道しるべにしたいので、投稿削除や文書削除はしないつもりです。
多分この情報量だけで私にたどり着くのは不可能でしょうし、仮に誰かにセックス依存症である事を知られても断れるような人になりたいと思います。

この後悔が消える日が来るのかは想像出来ませんが、大変お世話になりました。何度も導いて頂きありがとうございました。また、人生の行き止まりに当たった時にはお願いするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。


 
Re: / しまの
No.1300 2019/01/08(Tue) 11:26:50

>こんなものなら無理してする必要は無かったな。と思えた事で、したくないセックスをしてるんだと客観的に見れました。

まあそうした小さな変化積み重ねですね^^。そういっぺんで変われるものでもなく、揺り戻しというものもあると思います。それでもそうした小さな変化を、長い人生積み重ね続ける20年30年後には驚くほどの別世界にいる自分しみじみ感じる。
そうした長い目で向かって頂ければ^^。




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