心の成長と治癒と豊かさの道 第5巻 ハイブリッド人生心理学 実践編(上)−心と人生への実践−

 

1部 心の治癒と成長への第一歩 

 

 

 「1部 心の治癒と成長への第一歩」では、ハイブリッド心理学の取り組みの、最も最初の取っかかり段階での実践について説明をします。

 ハイブリッド心理学の実際の進め方は、人それぞれ、特に心の障害傾向の深刻さと内容に応じて、千差万別です。そうした自分なりの進め方を考える上でも、まず実践して頂きたい内容を、この「1部」にまとめました。

 

 人それぞれの心の障害傾向の本当の度合いは、実は心の表面を見ただけでは良く分からないものです。

 たとえ深刻な否定的感情が心の表面をおおっていても、実はその原因は、この人生を生きる上での実に単純な思考のミスにあったりします。

 その場合、その思考ミスを修正するだけで、さまざまな否定的感情がいもづる式に消えてしまったりすることが少なくありません。自分の心の障害傾向は深刻だと考え、ハイブリッド心理学のメール相談を寄せる方の中にも、そうやって取り組み実践をしてみることで、実は心の障害としては軽いものであったことがすぐ分かるケースも少なくありません。

 一方、心の表面では比較的軽いように見える動揺の底に、根深い、深刻な否定的感情が隠されているケースもあります。それもまずは同じ基本的な実践をしてみることで、妨げとなる問題の存在を知り、それを糸口にして、より本格的な取り組みへと向うことができます。

 


 

 

 


1章 「感情と行動の分離」と「問題の切り分け」

 −「心理学的思考法」の基礎−

 

この章のまとめ

■実践項目■

感情と行動の分離 ・・・ ハイブリッド心理学の全ての取り組み実践で使う、原則姿勢。

  感情を鵜呑みにせず、内面感情と外面行動を分けて取り組む。内面感情を「正す」ことは一切せず、

その代わり外面行動は建設的なもののみにする。怒り破壊の非行動化。

「建設的」であること ・・・ 3種類の行動様式「破壊」「自衛」「建設」の後ろほど望ましい。

問題の切り分け ・・・ 外面の問題について、さらに「客観的現実問題」と「感情的問題」を切り分ける。

 これができただけで問題が軽くなってしまうことが実に多い。

■実例■

A子さん ・・・ 心の障害傾向は軽度。短期で大きく向上した好例

心に蔓延したマイナス思考に悩む。ここではまず状況確認から。

B子さん ・・・ 心の障害傾向やや強い。やがて深い人間的成長に向かった事例

「問題の切り分け」によって、最初の頃の仕事でのストレスを脱する。

 

 

「感情と行動の分離」

 

 心の問題を感じた時、まず最初に実践してみて頂きたい、基本的な「心の使い方」があります。

 それはあまりにも自明と言える大原則であり、ハイブリッド心理学の全ての実践が、この大原則の上に進められると言っても過言ではありません。

 その大原則が、「感情と行動の分離」です。

 

 揺れ動く「感情」を克服したいのであれば、「感情」を鵜呑みにして考えては元も子もありません。まずは「感情」を鵜呑みにせず、「感情」に流されない思考と行動を行うことです。

 このあまりにも明白な鉄則が、心の成長と健康への取り組みの、全ての始まりになります。

 

 一方、世の実に多くの人が、このあまりにも明白な指針とは逆のことをしてしまっています。

 「気持ちが大切」と考え、動揺する出来事の中でその感情を鵜呑みにし、「気持ち」で考えて行動しようとしてしまいます。もともとそれは克服する必要のある、偏った感情を含むものです。それに従って思考し行動しても、結果は大抵良くはなりません。すると感情は当然さらに悪くなります。

 これが心への向き合い方の、典型的な誤りです。「気持ちが大切」と考えることによって、まさに「気持ち」がすさんでしまうのです。

 

 「内面の感情」と、「外面への思考と行動」を、いったん心の中で切り分けます。

 「感情」は基本的に内面のみにとどめ、その良し悪しは問わない。その代わりに外面への思考と行動は建設的なもののみにする。

 これがハイブリッド心理学の実践の全てにわたる基本原則となる、「感情と行動の分離」です。

 この1章および次の2章にかけて、この基本的な思考法と行動法を考慮するだけで、まず心がどれだけ変化できるのか、実例を通して見ていきましょう。

 

「建設的であること」

 

 まずはその基本的内容についての、最初の説明をしましょう。

「建設的」であるとはどういうことかについてです。

 

これは単なる前向き姿勢のことではなく、この世に生きるもの全てにおける「行動様式」の3態のうちの一つのことを言っています。

 生きものの行動様式の3態とは、「破壊」「自衛」そして「建設」です。

 「破壊」とは、望ましくないもの、たとえば自分を食べようとする天敵などに出会った時、「それは駄目だ」という「否定」をむけ、相手を破壊することで解決しようとする行動様式です。これは多くの場合、「怒り」の感情によって行われます。

 「自衛」とは、望ましくないものに出くわさないように、先回りして対策を講じるものです。当然このほうがより安全になります。

 「建設」ではさらに、望ましくないものから自分を守るのを超えて、望ましいものに取り囲まれるような、生活の基盤を自ら築き上げます。

 

 動物の進化は、当然、「破壊」だけしかできない低い能力から、「自衛」そして「建設」というより高い行動様式ができる能力の獲得として進んできました。人間がこの高度な社会を築いたのも、地球におけるその進化の頂点だったわけです。

 そのように「建設」とは「望ましいものに囲まれる生活基盤」を「築く」ものですから、漠然とした前向き姿勢や明るい感情のことではなく、具体的な「技術」があることが極めて本質的なことになってきます。人間の場合、その「技術」とは、もちろん「科学」です。

 

 「破壊」よりも「自衛」そして「建設」の行動様式の方が望ましいのは、あまりにも自明のことのように思われます。

 ところが、現代社会人の基本的に良しとしている思考法は、「破壊」の様式なのです。「あるべき姿」を掲げて怒りに頼るという思考法であり、望ましくないものに対して、「駄目なものは駄目だと言えること」に価値があると感じる感性です。実はそれは、最も低い進化段階を目指すような思考法です。

 「それは駄目だ」と「言える」ことは、実は「解決できない」と「宣言」するのと同じです。なぜなら、解決する技術があるのであれば、「それは駄目だ」だなどと言っている暇に、改善向上への作業に取りかかることができるからです。ここではもう「怒り」は微塵も必要はありません。

 この世にある全てのものごとに、解決への答えがあります。私たちはそれについて、怒りに頼る思考違法によって、自ら遠ざかり、自ら無知になっていただけです。

 

 ハイブリッド心理学における「建設的」という言葉の意味が、お分かりになったでしょうか。

 それは前向き姿勢や明るい気分という、「感情」に依存することではなく、具体的な「技術」という、感情には全く依存することのないものです。

 

否定的感情の「非行動化」「ただ流す」の原則

 

 では内面に否定的な感情や破壊的な感情があったら、それをどう直せばいいのか。

 「直す」ことはしません。否定的な感情や破壊的な感情を「直そう」ともすることなく、その内面感情と、外面への思考行動を、全く別の話として「分離」させ、外面への思考法行動法を、とにかく建設的なものへと変えていくのです。

 否定的、破壊的な感情そのものについては、「何もしない」がまず指針になります。「直そう」とも「治そう」とも「正そう」ともしない。

 

 あえてこれを能動的な言葉でいうならば、「非行動化」します。これは主に「怒り」という、今まで行動につなげやすかった破壊的感情について当てはまります。

 もともと行動へのつながりが少ない悪感情、たとえば「恐怖」や「苦しみ」「空虚感」などについては、それを「正そう」「治そう」とするのではなく、「ただ流す」ことです。その悪感情の存在を否定することなく受け入れ、ただし鵜呑みにして強く意識して「どうにかしなければ」と考えることもせず、「ただ流す」。

 これが大原則です。

 

 なぜこのような否定的感情の「非行動化」や「ただ流す」という姿勢が望ましいのか。

 理由は単純です。それを鵜呑みにして行動化するのも、逆にそれを「何とか正そう」と考えて強く意識するのも、結局は、その否定的感情が自分にとって重大なことなのだという「言質(げんち)を与える」ことになるからです。

 つまり感情に流されるのも、感情を正そうとして硬い自己統制をとるのも、結局はその否定的感情に入れ込んでいるということで、実はその感情を心の底では後生大切にしっかりと心に刻むということを、しているわけです。これは否定的感情の克服には、つながりません。

 そうではなく、いかに意識を、外面問題に対する建設的な思考法行動法に切り換えられるか、ということになるでしょう。否定的感情をどう意識すればいいかの問題ではなく、そもそも意識することからして、減らしていくのが、否定的感情を克服するための良い方法なのです。

 ですからますます私たちは、自分の心を良くしようと、じっと自分の心に見入ることよりも、この現実世界と現実社会をよりうまく生きるための知恵とノウハウについて、精神論ではない具体的なことを沢山学ぶことに、まず心を向けて頂くのがいいと思います。

 

 ここから、心の悩みや心の障害の中で、揺れ動く感情の中で自分を持て余していた人生から、全く異なる世界への道のりが始まります。

 なぜなら、その第一歩は、もはや感情には全く無関係に進むことができるものだからです。たとえどんなに病んだ、破壊的な感情が心の中にあってもです。「感情と行動の分離」という大原則を守る限り。

 破壊的な感情も、それを何とか良い感情に変えようと焦りの中で自分を咎めることもなく、ただ「非行動化」の原則だけを守ればいいのです。そして外面における思考法行動法として、とにかく「建設的」なものを学び、そして実践することです。

 

「問題の切り分け」という基本

 

 「感情と行動の分離」を実際に心の成長へと役立てるためには、さらに具体的な思考法と行動法が必要になってきます。ここでその2番目の説明をしましょう。

 

 私のサイトを読んだ方の多くが、得てしてここでやはり勘違いをしがちなようです。「感情と行動の分離」によって、「怒り」などの悪感情を「非行動化」し、感情に流されていた今までの自分を何とか脱するところまでは、すぐできます。

 しかしそれで終わりにしてしまう姿勢のままの方が、良く見受けられます。そして漠然と、何かが良くなるのを待っているような。

 それでは何も変わりません。「外面行動は建設的なもの」にするというのが欠けているからです。感情と行動の「分離」そのものはあくまでスタートでしかないことを説明しました。最初のゴールは、何らかの具体的問題への、「建設的な思考と行動」になることが大切です。それができた時に、最初の「成長」を私たちは具体的なものとして手にするのです。

 

 「外面行動は建設的にする」という最初の実践のために必要となる、最も基本的な思考の技術について具体的な例を出して説明していきましょう。

 「思考の技術」とは言っても、感情と行動を分けて考えることを実際場面で行うとこうなるというだけの話です。それは、今起きている問題における、「感情の問題」と「現実の問題」をしっかりと切り分けるということです。

 「現実問題は何か」を明瞭にすることが大切です。明瞭になった「現実問題」には、それ相応の答えと知恵が世界に溢れています。これは特に心理学とは関係なくです。あとはそれを、「感情」とは全く別問題として、学んで実践すればいいのです。それが「建設的」な思考法行動法だということです。これは実に単純な話です。

 

 ところが人間の「素の思考」は、呆れるほどこれが下手です。「現実問題」と「感情」を変につなげて、問題を紛糾させてしまうのです。そして本来は実に簡単に解決できる問題さえも、解決不可能な巨大な問題であるかのように化かし、ストレスの中に人を放り込んでしまいます。

 それが、ちょっとした心理学思考でどんなに劇的に解決するかを、具体例とともに見ていきましょう。

 

短期間に建設的な生き方へと成長変化したA子さんの事例

 

 ここで最初のモデル・ケースとなる女性に登場頂きたいと思います。この後さまざまな具体例を出して実践の説明をしますが、事例を通して成長変化の流れの全体も浮き彫りにしたいと思います。

 「A子さん」としておきます。30代後半で、家庭も持ちお子さんもおられる方で、「心の障害」としては特に深刻なものはなく、心配性で悩みを抱えやすいといった、一般的なケースになります。その分、2か月間という短いメール相談の期間を通して、大きな向上変化を遂げられた、良い例です。

 

 メール相談の開始にあたって、主な悩み内容を伝えて頂いています。A子さんの場合は、「自分の恐怖心」の分析をしたい、とのことでした。「幼い頃の要因になっているものは何なのか?」に関心がおありだとのこと。

 ハイブリッド心理学では「感情分析」という精神分析アプローチを採用していますので、A子さんもそれにまず興味を持ったのかも知れません。でも結局、それはほとんど必要なく、まとまった成果が2か月で得られる結果になるわけです。

 私はとりあえず、「恐怖心」という課題についてはおおよそ3つのアプローチがあることを伝えた上で、A子さんが「恐怖心」を感じる具体的なことがらを幾つかピックアップしてもらうことにしました。

 

== 島野からA子さんへ 2007314(水)==

おおよそ、「恐怖心」の原因には、

1)幼少期の体験から染み付いたもの

2)過去の体験ではなく、現在の価値観や自分への姿勢が生み出しているもの

があり、さらには、

3)恐怖心の克服のノウハウについての理解不足

というものが案外重要になってきます。そもそも人間は未熟な状態から成長していくことで恐怖心を克服する存在であり、まず最初に恐怖心があることは自然なことと受け入れての、克服への取り組みが具体的に出てきます。

 

というように、心の問題は常にそうですが、問題は複合的にあります。

通り一辺倒のやり方、一面的な考え方では克服もなかなか難しいものですので、長い道のりを通して「人間としての成長」というより大きな歩みの中で、「恐怖心」もその結果として克服されている、という方向性を見出すのがなによりも大切だと思います。

 

 A子さんが伝えてきた具体的問題としては、以下のようなものがありました。

 

== A子さんから島野へ 2007314(水)==

これが恐怖と思われるかもしれませんが・・

@3回ほど人間関係でトラブルがありました。

 友達・剣道の先生・主人の両親とうまくいかずケンカ。私の人格が問題なのかな?人に愛されない恐怖。

A人が出来て自分にできないことに「ダメな自分」と責める。

BPTAの役員など面倒でやりたくないと思う自分をいやな人間だと思う。

C道路に面している所に引越し不安を感じる。夜中に物音がすると恐怖におびえる。

 世田谷にすんでいるせいかすぐに「世田谷一家殺人事件」を思い出す。

D相手が不機嫌だと「自分のせい」と思い不安になる。

E老後に対する恐怖。お金の問題。母の年金の金額が低いことに自分の老後はどうなるのかと不安。

 起きていない事柄、主人が病気とかになって自営業を一人で出来るか不安。

 

 どれも心の悩みとしては良くありがちなもので、そこには現実的なトラブルから「愛されないことへの恐怖」など深層心理にも関る感情など、まさに玉石混交状態です。

 こうした状態に対して、まず「問題の切り分け」というごく基本的な思考の技術が、大きく役立つわけです。

 

やがて深い治癒体験へと向かったB子さんの事例

 

 ここでもう一人のモデル・ケースの女性に登場してもらいます。A子さんよりもずっと前からメール相談をした方で、やがて深い治癒体験へと向かった方です。その内容については『下巻』の方で紹介しますが、A子さんへのアドバイスの中でも例として触れていますので、ここで先に最初の頃に交わしたメール相談から紹介していきます。

 「B子さん」としておきます。20代後半。エステサロンで主任さんの仕事をしておられます。

 メール相談開始当時は独身。B子さんの方は、やや心の障害への傾向が見られ、A子さんよりも深刻な内面状態で始まりました。

 ここでは、メール相談開始当初の、仕事場面における心労への対処について説明したものを紹介します。「問題の切り分け」という単純な思考技術で、劇的に心労が解決した場面例です。

 

==B子さんから島野へ 2005119(水)==

島野さんも最近、仕事がお忙しいようですね。。でも、ストレスを感じずにお仕事されているので羨ましいです。

実は、わたしも最近仕事が忙しすぎてちょっと精神的にまいっています。締め切りつきの仕事が何個か重なっているので、身動きが取れなくなっています。実際にどうしようもない感じです。

そして、問題の私の心がそれに対しとても追い詰められていると感じています。そのため、当然怒りがすごく湧いてきてしまいます。この怒りによってさらに心身が疲労し。。

 

と悪循環です。怒りが無駄だとは思うのですが、怒りが湧き続けます。怒りが無駄だと心のそこで意識されてないため、無くならないのでしょうが、ぐるぐるしてます。

そして、何がしたいの?と自分に問い掛けても、何も出てきません。以前の望みがわからないという感じではなく、何もない感じがします。ただ、辛いと感じ、なぜ自分だけが苦労しなければいけないのかと思います。

 

ただ、職場の周りの人にはそういった怒りをださないように心がけていますが、やはり家族とか、彼氏とか自分の親しい人には怒りを少し出してしまいます。そして周りの人に少しでも優しい言葉をかけられると泣きそうになってしまいます。これが何故だかよくわかりません。

他人の同情を引き出すための条件反射的なものなのでしょうか?相変わらず、他人ははわたしが嫌いに違いないと感じるのに。だからこそ私が存在するための許可の印として同情が必要になってくるのでしょうか?

 

色々考えるのが、最近すごくおっくうになっています。・・疲れているのかなあ。すぐに泣いてしまいます

私にできることは怒りをなるべく出さないようにするので精一杯です。他は何もできていないのです。こういうときこそきちんと考えれるようになりたいです。

 

 同じ問題も、人の心に受け止められる影響度はさまざまです。同じ外面問題が、幼少期からの根深い否定的感情を背景に持った心においては、何倍にも増幅したストレスになってしまうのです。そのまま紹介したメール相談の言葉が、そうした違いを伝えているのが分かると思います。

 だからと言って、対処が可能な現実問題に、深い内面心理の問題を持ち出すのは無用です。B子さんのその状況については、私はごく実践的な思考法による対処を提案しました。

 世の中の大半の人が、心の問題への基本的な見当違いをしています。多くの場合になんらかの「現実問題」の中で起きる心労やストレスについて、「心の癒しが必要」だと考え、「現実問題」を放り出したままにしてしまう。適切な対処がなされないことでますます問題が大きくなります。さらに心労も大きくなり、「心の癒しが必要」と考える。

 

「問題の切り分け」と「建設的行動」の具体例

 

 まず「感情」と「現実問題」をしっかりと切り分けることです。そして「現実問題」については早めに片付けてしまうことです。それは正しいノウハウを知れば案外簡単なことがほとんどです。そして「現実問題」が消えてから、ゆっくり心を癒すのがいいでしょう。実はその時、癒す必要さえなくなっていることが得てしてあります。

 B子さんの場合もまさにそうでした。

 

==島野からB子さんへ 2005121(金)==

「感情と行動の分離」の原則を考えるのがいいですね。この原則の主旨は主に2つあります。

 

一つめの主旨は、思考と行動が感情に巻き込まれない姿勢を習得するということです。感情は感情として置いといて、それとは独立した思考をめぐらせてから、一番いい行動を考える。「怒り」の場合、「怒り」にまかせて行動するのでもなく、「怒り」を無理に消そうとするのでもない。行動は行動の問題として、どうするのが一番いい方法かを考えることです。

これをすると、怒りそのものが解決してないとしても、感情にまどわされない行動ができたということで、内面の自信が増します。すると怒りも少なくなってくる。感情にまどわされないことで、内面の強さが増すからです。怒りは弱さの現れです。

面白い話ですが、遠回りに、怒りの大元そのものが弱くなっていくんですね。

2つめの趣旨は、「感情」と「現実問題への思考法行動法」を分け、そのそれぞれについて別々に、さらに本格的な取り組みをしましょうということです。できるだけ分けて、感情の問題と、思考法行動法の問題がかかわり合わないようにしたい。

 

B子さんの今回の問題でいうと、「締め切りのある仕事が重なって追い詰められた気分」を、ひとつの問題として一緒にどうこうしようとするのはお勧めではありません、ということになります。別々の問題なんですね。

「締め切りのある仕事が重なった厳しい状況」というのは、現実行動の問題。「追い詰められた怒り」は、感情の問題。

そして、どうゆう段取りでこの2つの問題に取り組むかというと、感情の問題はできるだけ視界からいったん外して、現実行動の問題を、できるだけ現実的に解決するのが先というのが原則です。なぜなら、感情の問題はすぐには解決できない根深い問題ですが、現実行動の問題は、たいてい短期の問題だからです。またそうして感情はいったん外して、現実行動を解決すると、感情の問題もいつの間にかあまり大きな問題ではなくなってくることが良くあります。

「感情の問題」と「現実行動の問題」を絡み合わせて考えるのが、実は紛糾の原因なんですね。

 

ということで、今回は「現実行動」についてのアドバイスです。2つあります。

 

まず考えなければならないのは当面の対処法です。

締め切りがある仕事は実際のところ、できそうかどうか。「寝なければ」とかは考えないで下さい。これは実際の仕事の仕方のアドバイスでもありますが、余裕を持って終わらせられる時間を確保することです。そして、仕事を頼んできた相手には、「これがぎりぎりです」と言う。

これは「うまく振舞う」ということではなく、「リスク管理」という、実際の企業の仕事の仕方に求められる原則です。

もし無理をしないとできない、さらには無理をしてもできないと最初から分かっていれば、できるだけそれを早く相手に伝えることです。謝ることや怒られることに抵抗があるかもしれません。それはまた感情の問題。最後になって「できません」というよりは、その方が相手にとっても望ましいことであるはずです。

これがまずですね。

 

もう一つは、この体験から学ぶことです。「締め切りのある仕事が重なる」ことになってしまった、そもそもの原因を考え、次にそうならないためにはどうしたらいいかを考えることです。引き受けた時の状況はどんなだったか、ということが検討のテーマになると思います。

仕事がかさなって後で大変にならないような、自分なりの引き受け方というのを考えると良いと思います。例えば同時に引き受ける仕事は原則として2つまでにする、とか。それ以上の依頼がきたときは、いったん、「他の作業があるのですぐにはできませんが..」とか言っておいて、あとでじっくり、それを入り込ませても大丈夫か検討してみる。本当にできると確信ができた時だけ、「やっぱりできそうです」と言う。

「頼まれると断れない」という気持ちがあるなら、その感情が検討の対象になりますね。

 

そんな感じで、まずは現実問題に対処することから考えるといいですね。それで何とか苦境を乗り越えてから、感情の方をまたじっくり考えましょう。

 

 一週間後にB子さんから返信が来ました。仕事への対応を変えたことで、「追い詰められた感情」の方も消えたようでした。多少は続きがあるだろうと考えていた私にとっても、拍子抜けするような話でした。

 メールではすぐに話題が別の方に向かいます。「感情と行動の分離」において「内面だけにとどめる」感情の方です。彼女はここで、「内面感情の開放」という、さらに先の「自己受容」という実践にも向かっています。

 ただし感情は開放しただけではきれいになってくれません。その先の長い取り組みが必要です。ここでは、かなり深刻な心理状況においても「感情と行動の分離」そして「問題の切り分け」が役に立つ例として、またB子さんのスタートラインの大よその状況を示すものとして、メールの残り部分もそのまま紹介します。

 

==B子さんから島野へ 200524(金)==

先日のメール返信ありがとうございました。

すごくありがたかったです。現実問題として何をしなければいけないのかを考えてはいましたが、切迫した感情と現実の忙しさを同一視してしまい、二つをきちんとセパレートできていませんでした。指摘していただいて、目からうろこという感じでした。

とりあえず、仕事が一段落すると切迫した感情はすぐに無くなりました

 

また別の仕事ではご指摘いただいた点を踏まえて、行動を感情に左右されずに行えたのではないかと思います。(でも、感情は相変わらずの切迫ぶりでした)

独特な業界のせいか、島野さんがメールに書かれていたような仕事の進め方などを考える人は少数派です。男性がいないからかな?? なので、そういったことを教えていただけてすっごく勉強になりました。

 

あと、最近自分の中で感じたことを歯止めをかけずに心の中で開放しています。そうすると今まで意識しなかったような敵意や、時には暴力衝動を感じます。それに対しては何もせずに受け流しすようにしています。

しかし、自分が相手に向けた敵意が相手も私に向けていると感じます。心の中で感じる敵意が激しくなっている分、跳ね返りがすごいです。

今日も職場の友人から嫌われているに違いないという強い感情がおきました。そのときは一瞬これは外化かな?と思いましたが、こんな態度を友人がとったのだから、これは真実に違いないと言う感情にのみ込まれました。

 

ぎりぎりのところで、現実行動をどうするかを考えました。でも、自分にとってのベストな行動がわかりません。そして、自分の心に心理障害があるのを感じます。

私は“友人”というものに強い劣等感があります。孤独感は強くなりましたが、傷を癒すには今は一人でいたほうがよいのかなとおもっています。

島野さんの理論に出会って数ヶ月しか経っていないのに、これだけ強い感情が見えてくるのなら、さらにどんな感情が出てくるか不安です。でも、進めていきたいです。

 

全ての問題に応用できる「感情問題と現実問題の切り分け」

 

 話をA子さんのケースに戻します。彼女の場合、「恐怖心」の問題は、ごく日常的な問題から、人間関係における内面感情にまで、多岐にわたる玉石混交状態でした。

 しかしその全てに、「感情問題と現実問題の分離」という基本が応用できます。

 私たちの抱える全ての問題に、これが適用できます。逆に言えば、これをしないと、改善向上が始まりません。

 それを実際に示すため、私はA子さんに、B子さんのようなケースを要約して説明し、A子さんの挙げてくれた6つの関心事についても、「感情問題と現実問題の分離」を書いて見せました。

 

==島野からA子さんへ 2007315(木)==

・・B子さん事例の要約説明(略)・・

何でこんなことが起きてしまうかというと、全く別の問題をつなげて考えることで、互いが原因だと錯覚してしまうからです。つまり、「精神的にまいってる」原因は「無理な仕事が重なっているから」だと考え、「精神的にまいってる」から仕事も無理だ、と考えてしまうわけです。

実はそうではなく、「精神的にまいってる」ことと「仕事が無理」を混同した結果、両方の別々の問題それぞれへの正しい対処ができなくなってしまっているのが、問題の原因です。仕事が本当に無理かどうかは、精神的にまいってるかどうかとは別に、客観的に判断処理できる問題です。それとは無関係に残る精神疲労があるなら、それはまた別の問題として対処するのが良い。

こうゆう話が、実に沢山あります。

 

ということで、A子さんのお悩みごとの場合も、ほとんどまずこれが当てはまります。

全く別の問題が、つながってしまっています。まずそれを別々にして、解決できるものから先に解決する、というアプローチですね。切り分けしてみますと、

@3回ほど人間関係でトラブル

ケンカが起きた客観的原因の問題と対処法がまず一つのテーマになります。

「自分の人格に問題がある?」「愛されない恐怖」は、深層心理という別のテーマ。

A人が出来て自分にできないことに「ダメな自分」

「人が出来て自分にできないこと」など誰にも星の数ほどあります。それによる現実的不便不具合はいかに?

「自己嫌悪感情」はこれまた深層心理テーマ。

BPTAの役員など面倒でやりたくないと思う自分をいやな人間だと思う

そんなの誰だって面倒でやりたくないです。どう逃げるか^^; もしくは覚悟するか。

「PTA役員を面倒と思うこと」のは「いやな人間」か。

C道路に面している所に引越し不安

現実的な「セキュリティ対策」の問題。恐怖が現実的危険に見合うか見合わないかという問題。

D相手が不機嫌だと「自分のせい」と思い不安

相手が不機嫌になった実際の理由。それをはっきりした理由なしに「自分のせい」と不安になる深層心理。

E老後に対する恐怖

これも、現実的な収入計画の問題と、漠然とした不安という深層心理の問題を、分けて取り組むのが正解です。

 

ということで、どれも、「現実的対処法」の問題と、「不安感情」の問題を、別々に取り組む問題として考えるのがお勧めですね。というか実は、「感情が気になって現実対処がおろそかになる」というのが、最もありがちな罠なわけです。だから現実的にものごとが解決しないままで、不安も結局解消できません。

不安や恐怖を感じてしまうことを問題にするのをいったん後にして、それぞれの問題への現実的対処について、ちょっとどれでもいいですから取り上げて、検討してみるのがいいかも知れませんね。ハイブリッド心理学ではそれについて、かなり具体的な思考法行動法の知恵を伝授できると思いますので。

 

 A子さんからは、翌日とその2日後に返信が来ました。これも彼女の置かれた心理状況全体と、最初の実践効果の現れを示すものとしてそのまま紹介します。

 

==A子さんから島野へ 2007316(金)==

すぐに返事を書きたくなってしまうのが私のクセです。もっと考えてから書けばよかったと後悔するのもパターンです。

この4年間ぐらい、漠然としたストレスに悩んできました。子供が、小学4年生の男の子と2年生の女の子がいます。手がかからなくなってきたと思ったら私の心のほうは落ち込んでいく感じ。

「本当は幸せなはずなのに、何で幸せと感じられないのか?」この疑問が常に頭の中をぐるぐる回っていました。

 

「気持ち優先型」のようで先生のおっしゃる罠にはまりっぱなしのようでした。

「マイナスの磁石」がかなり強いようで何か頭に浮ぶと「素の思考」ですよね。すぐにひっぱられてしまうようです。落ち込んでいて良いほうに考えられない、面倒くさがり考えたくなかった今までの私のようです。

ゴールは「どんなことでも感謝したい」「やさしさを与えられる人になりたい」「建設」モードで考えられる私になりたいです。

 

まず@の問題について考えてみたいと思います。人間関係が上手くいかないことは、誰にでもあること。べつに仲直りすることが解決だとは思いません。

私が気にしているのは、世間的にみた私への評価だと思います。誰が判定するわけでもないのに「私の中の我」が「そんなのはダメだ」といっているだけなんです。気にしないようにしても今まで「人から見られた自分」を大事にしていたみたいで苦しんでいます。

もう少し考えてまたお送りします。

 

==A子さんから島野へ 2007316(金)==

問題Dがかなり楽になってきました。

「現実は何か?」と「精神的にまいっている」を別々の問題として考えたら本当に楽になってきました。

現実、セキュリティの問題やどろぼうに狙われやすい家なのか?ということを主人に相談してみました。けっこう笑われてしまい、私が勝手におびえていたということがよくわかりました。

「恐怖をむすびつける達人」かもしれません。

他の問題も「現実」と「精神的にまいっている」を切り離して考えてみようと思います。

 

昨日、ふと思ったことがあるのですが、私は「完璧症」か「けっぺき症」かもしれません。

「手をきれいに洗おう」とかではなく、「人の失敗が許せない、不完全な部分が許せない」「自分の失敗を許さない、不完全な部分を許せない」ということなんです。

昨日、家族で車で出かけたのですが、主人が混んでいるほうの道を行ってしまい渋滞しかなり時間がかかってしまったのです。私は、「この道いけば混むことわかっているはずじゃない」っと言わず一人イライラ。しまいには「今度はあっちの道で行こうね!!」とおかんむり。

 

子供の失敗も同じように思い、「いけない、いけない」という感じなのです。理由を考えてみると、

@この性格をもって生まれてしまった。

A「不完全な自分は親から愛されない」というメッセージをうけた。

 自分が誤解したのかもしれないが。

B友達との関係に悩んだ時に剣道をはじめ17歳から10年続けました。その中で「自分にきびしく、自分に勝つ」 というメッセージを「完璧であらねば」と思ってしまった。

というものが考えられます。この「けっぺき症」が私の行きたい道をじゃましているように感じます。

「何かのせいでこうなった」をやめて「悪いことだったかもしれないけどあのことがあったおかげでこうなれた」のような問題解決になっていけばよいなあと思います^^。

 

現実問題への視点を洗練させる

 

 A子さんの場合もさっそく効果があったようで、すぐ別の話題も出ています。

 しかし実はここにもう一つの罠があります。気分が楽になると、現実問題も軽くなったかのような気がしてしまうのです。

 これはやはり「気持ちが大切」に偏りすぎているんですね。内面を重視する姿勢によって、外面がおろそかになり、結果どうしても内面感情も良くならないという罠にはまっているわけです。A子さんの場合、この「気持ちが大切」姿勢の延長で、自分の「完璧症」「けっぺき症」が気になるという話題にもなっているわけです。

 あくまで、感情とは別の話として、現実問題は現実問題として客観的に考える、今の社会今の時代に見合った対処法の「見識」がとても大切です。そうした「見識」が、やがて揺るぎなく「自尊心」を支える、一つの大きな材料になってくれるからです。「完璧症」「けっぺき症」も、いたずらにそんな自分を責めるのではなく、そうした「正しい行動見識」に置き換えていくことが克服への正解になります。

 例として私が考え得るものを伝えました。

 

==島野からA子さんへ 2007319(月)==

まあそれについては、A子さんが「勝手におびえていた」かどうかの判断は、「旦那さんに笑われたこと」によってではなく、あくまでセキュリティのノウハウの知識を得てそれから客観的に判断するのがいいですね。

僕の知る限りですと、どろぼうが人目につかずに侵入できてしまうような死角がないかとかがまず問題になるようですね。あと窓や鍵の種類など、具体的な話があるようですので、一通り押さえておくのがやはりいいと思います。今はセキュリティもかなり金で買える時代ですから、セキュリティの会社がどんなサービスをしているかをちょっと参考に考えてみるなどすると、かなり安心ですね。

 

 「感情の問題」と切り分けた「現実問題」に、「気持ちの持ちよう」や精神論は無用です。今の社会今の時代に合った正しい知識を手に入れるのみです。

 

 「現実問題」が切り分けられ残った「感情の問題」についても、実は同じ話がまず考えられます。現実への対処とは関係なく湧き出る否定的感情についても、それを軽減するための正しい心理学を学び、実践すればいいのです。

 問題の一つは、そうした点で本当に役立つ心理学がどれかが分かりにくいことがあるでしょう。世には実にさまざまな心理学が溢れています。また、「家のセキュリティ」や「老後の生活設計」など具体的な知恵の情報がある問題に比べて、内面の否定的感情のように漠然とした問題については、具体的対処法が見えないまま、「こんな否定的な自分ではいけない」と再び「否定思考」を繰り返すことになちがちです。

 「否定思考」という内面問題についても、具体的な克服方法として幾つかのノウハウがあります。心の障害で深刻な状況でなければ、それがすぐに大きな効果を発揮してくれるはずです。

 それを次に説明します。

 

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