心の成長と治癒と豊かさの道 第5巻 ハイブリッド人生心理学 実践編(上)−心と人生への実践−

9章 価値観と行動学  −進み得る道はただ一つ−

 

 

この章のまとめ

■実践項目■

この章では、「行動学」「価値観」について、取り組み実践の概要を説明し、内容のサマリーを表にて掲載します。この後の章と合わせて参考にして下さい。

「行動学」・・・目的に応じて内容を工夫する行動法の領域。

 「愛」のための行動学・・・「建設的対人行動法

 「自尊心」のための行動学・・・「原理原則立脚型行動法

これは「愛」「自尊心」への「感情の操縦法」ではないことに注意下さい。感情を豊かにすのは、これらの実践の過程で得られる「心の治癒と成長」です。行動法そのものではありません。

「価値観」・・・何を大切と考えるかの思考体系、また意識の積極的方向づけの支配論理。

「心の治癒と成長」への真の前進力が「心を解き放つ」ことにあるとして、それを方向づけるのが「価値観」になる。この取り組みにおける「否定価値の放棄」が、ハイブリッド心理学の習得達成と言える。

 

 

「行動学」と「価値観」へ

 

 「動揺する感情を克服し、真の安定と充実を得た心で人生を生きる」と表現できるであろう「心の治癒と成長」という目標に向けて、ハイブリッド心理学が用いるアプローチの最も大枠となるものを説明してきました。

 まず「問題の軽減」を「感情を鵜呑みにしない姿勢」によって図ります。先に、「心を解き放つ」ことの中に「真の解決の生み出し」が現れます。そこに見出される「望み」の感情により積極的に着目し、自分の進む先を方向づけることです。

 

 これを骨組みとするならば、次はその「真の解決への生み出し」に血と肉を注いでいくことだと、前章の終わりで書きました。

 それがこの章と次の10章で説明する「愛と自尊心のための行動学と価値観」です。

 この章ではまず、そもそも「行動学」と「価値観」とは何なのか、特に後者について詳しく、そのハイブリッド心理学の取り組み全体における位置づけを説明します。

 

「行動学」とは何か

 

 まず「行動学」とは何かを説明しましょう。

 ハイブリッド心理学では、「思考法」「行動法」という言葉を、文字通り、望ましい結果を得るためにうまくいく、思考の仕方、行動の仕方として言っています。

 「行動学」とは、そうした「思考法行動法」をさらに、目的に応じて変えて工夫していく本格的な内容がある外面向け行動法の領域のことを言っています。

 

 「感情と行動の分離」によって始まるハイブリッド心理学の行動法は、まず「外面においては建設的なもののみにする」という原則による、「建設的行動法」です。これは「破壊」「自衛」「建設」という3種類の行動様式の中で、「建設モード」での思考や行動が望ましいということです。

 これはどんな目的の行動においても、一般的に言えることです。

 そのための具体的なテクニックとして、たとえば「肯定形文法への機械的変換テクニック」などを紹介しました。これは全ての思考と行動において使うことができる、「思考法」および「行動法」としてのテクニックです。

 

 それをさらに、「愛」「自尊心」という、私たちの心にとっての2大感情テーマとも言えるものそれぞれのために、はっきりとその目的を意識した上での特別な思考法行動法を用意します。

 これがハイブリッド心理学における「行動学」の領域になります。

 

 ハイブリッド心理学では、この「愛」と「自尊心」のために、それぞれ一種類だけの行動学を用意しています。それぞれたった一種類です。

 「愛」のための行動学は、「建設的対人行動法」と呼ぶ行動法です。

 「自尊心」のための行動学は、「原理原則立脚型行動法」と呼ぶ行動法です。

 

 ハイブリッド心理学での行動法は、基本的な建設的行動法と、あとはこのたった2種類の行動学から成るものです。

 人生の全てを、この行動法だけで歩みます。これ以外の行動法は、人生で全くいらなくなります。

 この2種類の行動学が、「心を解き放ち望みへと向う」という真の解決前進への骨組みに、「感情と行動の分離」における外面向けの側面に、血と肉を注ぐものになります。

 

「価値観」とは何か

 

 一方、「望みに向って自分を方向づける」という内面そのものに血と肉を注ぐものが、「価値観」です。

 

 「価値観」は、辞書で引くと「何を大切と考えるかの重みづけの体系」と説明されていたりします。何を大切と考えるか、つまり何に「価値」を感じるかの重みづけについての、考え方の体系です。

 「体系」であるとは、いかにその人の人生と生活の全体に渡って、網羅的に整理されているかということです。頭の中で、そして心の中で。

 あなたは人生で何を一番大切だと考えますか。お金ですか。健康ですか。それとも「愛」ですか。「誇り」ですか。それとも「そんなの関係ねー」ですか。おっとこれは冗談。いや実はこれも「価値観」の一種なんですね。人生で本当に大切なものなど、何もない、と。

 

 ハイブリッド心理学では、「価値観」を基本的に「選択」として考えています。

 つまり、「こう考えるべきだ」「こう考えなさい」とは、ハイブリッド心理学では言いません。その代わりに、人間が考える価値観の類型を整理し、それぞれが心の治癒と成長にとってどのような役割を果すものになるのか、心理メカニズムの説明をします。

 そしてその選択は、人それぞれの自由な「選択」に任せます。

 これは医学での「インフォームド・コンセント」と同じものだと言えるでしょう。病気や怪我の状態をありのままに正確に患者さんに伝え、考えられる治療法の選択肢と、そのメリット・デメリットについてもありのままに正確に伝え、最終的には患者さん自身の「選択」に委ねます。

 それと同じことを、ハイブリッド心理学の実践では、それぞれの人にして頂ければと思っています。

 自らの心の状態をありのままに、正確に知り、これからの人生を生きるための「価値観」の選択肢を知り、自らにその「選択」を問うのです。

 

 「価値観」について考えるのは、一般的に言って難しい作業です。それは「自分の思考法について思考する」という高度な自己把握の作業だからです。これはまず小さな子供には難しくてできないことです。

 「価値観」はしばしば、本音と建前の裏表を持ちます。私はこう考えているんですよ。どうですか。私は素晴らしい人間でしょう。その「価値観」が本当にその人の心を方向づけている心底からの価値観であるのかどうかは、その人の心の底だけが知っています。

 大人になっても「価値観」の思考がうまくできない人がいます。その多くは、8章の「感情の監視操縦」で説明した「感情の切り捨て」を来歴の中でした人です。「自分なんて」という思考の中で、自分の感情を無視して生きることを覚え、人に見せるための自分の型枠作りだけに思考をめぐらすようになった人々です。

 すると「価値観」は、自らによって自分の感情を方向づけるための地に足をつけた着実な羅針盤の役割を果さなくなってしまいます。人に見せるための建前思考、もしくは「自分はこんな人間」と思い込むための、自分自身へのポーズのような「価値観」の思考が、頭の中に蔓延するようになってしまいます。

 

ハイブリッド心理学における「価値観」とは「意識の積極的方向づけ先を支配する論理」

 

 こうした、移ろいやすく脆い「価値観思考」を、より心理学的、医学的な目で、それぞれの人自身に把握して頂くために、ハイブリッド心理学では「価値観」をより幅広く、「意識の積極的自己方向づけ先を支配する論理」として捉えたいと思います

 

 例えば、「人間関係で大切なのは思いやりだ」とあなたが考えたとします。これは「価値観」です。

 そして思いやりが足りないと思える人を見た時に、「怒らずにはいられない」と感じたとします。これは「怒り」という「感情」です。「思いやりが大切という価値観」を背景にして起きた「感情」だと言うことができるでしょう。

 しかしハイブリッド心理学ではそこでさらに、その「怒り」の感情そのものが一種の「価値観」として心で動いているという視点を持ちます。

 その「怒り」という「感情」のどこに、「価値観」でもある側面があるのかと言えば、「怒ることに積極的な価値を感じている」という側面にです。ハイブリッド心理学では、これも「意識の積極的方向づけ」があり、その根底に何かの論理があるものとして、「価値観」の一つとして捉えます。

 

「怒り」に価値を感じる「否定価値感覚」

 

 この「怒ることに積極的な価値を感じる」という「価値観」について、もう少し詳しく説明しましょう。

 

 怒ることに「積極的な価値を感じる」とはどういうことか。

 「怒らないよりも怒る方が良いことだ」と感じているということです。

 怒りを奮い起こして戦うしかない場面があります。たとえば山でクマに襲われた場合です。この場合は「怒らないよりも怒る方がいい」どころの話ではありません。

 このように「実害」特に身体的危害を受けるであろう場面で怒りが起きるものは、あまり「否定価値感覚」としてはハイブリッド心理学は捉えていません。そもそも出来事の全体が、「積極的な価値」などないからです。この場合に「怒り」が価値を持つとしても、それは「消極的な価値」です。

 そうではなく、はっきりした実害や身体的被害がなくても、まるでそんな状況であるかのような怒りへと自ら積極的に向うような姿になるにつれて、それは「怒りに積極的な価値を感じる」という性質を帯びてきます。

 

 たとえば、街でクダを巻く不良少年少女グループの姿を見かけたとしましょう。あるいはTVで役人の汚職事件のニュースを見たとしましょう。

 その時、それに対して、「怒らないよりも怒る方がいい」と感じるのであれば、それは「怒ることに積極的な価値を感じている」ということです。

 まあ大抵の人はそう感じるかも知れませんね。悪を前にしたならば、怒らないよりも怒る方がいい

 しかし実際そこに何か望ましからざるものがあったとして、私たちが取り得る改善向上のための行動とは、山でクマに襲われた時の「怒りを奮い起こして戦う」とは大分異なるものになるはずです。それは街のマナー向上のルール作りであったり、政治の問題への討議の場に参加することであったりするでしょう。それが「建設」モードでの対処法になります。

 これは必ずしも怒りによって進める作業ではありません。逆に、「知性」と「見識」によって冷静に進めていくことが望ましいことのように私は感じます。別に「怒らないよりも怒る方がいい」ことなど、ここでは別にない。

 「建設的行動」は基本的に「怒り」でおし進めるものではありません。「怒り」でおし進めることになるのは、「破壊モード」の行動です

 いや、怒らないよりも怒る方がいい。怒るべきだ。こうなってくると、「怒りに積極的な価値を感じている」という側面がかなりはっきりしてくるのではないかと思います。

 

 これをハイブリッド心理学では「否定価値感覚」と呼んでいます。はっきりと価値観思考として意識するよりも、思考する以前に直感的に働いているものとして、「感覚」という言葉をつけて呼んでいますが、これも「意識の積極的方向づけを支配する論理」があるものとして、ハイブリッド心理学で取り組む「価値観」に含めるものとして扱っています。

 つまり、「否定価値感覚」とは、外面においては「破壊」を(むね)とする生き方を選んでいる人の、それに対応する内面の芯とも言えるような「価値観」です。

 

「感情と行動の分離」における内面の方向づけ役割となる「価値観」

 

 それを、ハイブリッド心理学では「感情と行動の分離」によって取り組んでいくわけです。内面感情と外面行動を分けて考えます。

 外面行動は、建設的にです。望ましくないものをより望ましいものへと改善向上できるのであれば、それをするのが良いでしょう。

 内面感情については、まずは「良し悪しは問わずただ流し理解するのみとする」でした。

 「怒り」が流れる。ならば「怒りを感じることが善か悪か」は問わず、まず自分が怒りを感じている事実を知ることです。心の健康と成長における、それぞれの感情の位置づけを知るのが良いでしょう。これはより詳しくは「感情分析」の実践になってきます。

 ここまでは、内面感情についての「積極的方向づけ」は出てきません。

 

 一方、1章からの流れの中では、実はすでに「内面感情の積極的方向づけ」が出てきています。まず「怒り」「焦り」は心の健康に有害な感情として、できるだけそれをなくしていく実践を説明しました。

 悪感情の基本的軽減について説明し、「望み」の感情にはより積極的に向っていくという方向づけを説明しました。

 これはつまり、ハイブリッド心理学では「怒りは有害だからない方が良い」「望みの感情は有益だから積極的に向う」という価値観を採用しているということです。

 つまり、「感情と行動の分離」によって外面と内面を分けて取り組むのですが、内面の方向づけは「価値観」を基盤にして行うということです。「価値観」を基盤として、それに従って「思考法」をうまく駆使して、感情をより良いものへと改善向上するという取り組みです。

 

 感情を改善向上させるためにハイブリッド心理学が取り組んで使うのは、「価値観」と「思考法」です。

 一方、前章で説明した通り、私たちが子供の頃からそれとは異なる方法で、感情を力づくに直接良いものにしようとしたのが、「感情の操縦」です。イメージ」と「自己暗示」を使ってです。

 ハイブリッド心理学が何に、どのように取り組もうとしているものであるのか、この対比をぜひしっかりと心に入れて下さい。

 ハイブリッド心理学は、「価値観」に取り組まないまま力づくで感情を直接良いものにしようとする「感情の監視操縦」を、これからの人生ではもう必要以上に使わないことを、基本的な方向性にしています。

 小手先の「感情の操縦」に頼ることなく、しっかりと「価値観」に取り組むことで、心の根底から裏表なくより良い感情へと改善していくような、心の基盤の改善向上に取り組みます。

 

「否定価値の放棄」

 

 1章からの流れでは、「怒り」「焦り」を心の健康にとり有害な感情と考えて、その軽減に取り組む方法の第一歩を説明しました。

 しかし本当に「怒り」を根底から取り除くことを目指した時、先に説明した「否定価値感覚」という見えない価値観が、それを阻むことになる可能性があるということになります。

 本当に「怒りのない人生」を望むのであれば、「思考法」だけで「怒り」を取り除こうとするだけではなく、「否定価値感覚」という「見えない価値観」への取り組みが必要だということです。

 

 これが成された心の状態とは、「それは悪いことだ」と感じ考えても、「怒り」という「感情」は全く抱かない、ということです。つまり「悪に対して怒りを抱かない」という心の状態です。

 「悪を悪と思わない」という話ではありません。あくまで「悪に怒りを抱かない」です。

 悪を放置するという話ではありません。悪に対してはしっかりと対処をします。もしそこに重い「罪」があれば、適切な「罰」を与えることが、同じ問題を繰り返させないための技術として考えられるでしょう。

 しかし、「怒り」という感情は、一切抱く必要はありません。

 これを「否定価値の放棄」と呼んでいます。一種の「心の境地」の達成として、ハイブリッド心理学のひとまずの「習得達成」と位置づけるほどの大きな目標にしているものです。

 

「価値観」の自己把握と修正の難しさ

 

 一方「価値観」は、「おっこの価値観は良さそうだ♪」と感じたところで、そう簡単にその価値観になれるという簡単なものではありません。

 まずそれは、現に今自分が心の底で抱いている他の価値観と矛盾したり対立したものであった場合、いかにそれが「魅力的な価値観」であろうと、その価値観になることは難しくなります。

 さらに、現に今自分が心の底で抱いている価値観そのものが、自分でも良く分かっていないことがあります。「自分が今本当に抱いている価値観」が分からないまま、「良さそうだ」と思うような価値観を頭に入れたところで、それこそ、それが「自分が本当に抱く価値観」になったのかどうかも分かりません。価値観とは単に頭で理解すればいいというものではないのです。

 これはつまり、「価値観」とは「思考」でもあり「感情」でもありさらには「意志」でもあるという、人間の心の最も高度な機能がこん然一体となった、心の中の心臓部とも言える重要なものなのです。そう簡単に交換したり、好きなだけ自分の心の中に詰め込んで働かせようとしたところで、うまく機能しないのです。

 

「感情の操縦」が「価値観」に投げる影

 

 自分の「価値観」が自分でも良く分からない、もしくはうまく働かないという問題は、「価値観」が「感情」の側面を持つものであることにおいて、前章で説明した「感情の操縦」という私たちが子供の頃から頼りすぎた心の機能が、影を投げて起きています。

 つまり、「感情の操縦」と一緒に、「価値観」も「そんな価値観でいるように見せる」ための心の演技や、自分自身への強制が起きているという事態が起きています。それは当然、「心を解き放つ」ことによって湧き出た感情という芯のない、はりぼてのような薄っぺらい、他人や自分に見せるポーズでしかない「価値観」になってしまいます。

 そして「感情の操縦」によって一時的には「そうなれた」と感じた感情が長続きしないことがそのまま、ポーズとして心に抱いた価値観がすぐにもう何の心臓ポンプの役割も果さない、ただの飾りでしかないものになってしまうことにつながります。

 「感情の停止」も同しように「価値観」に影を落とします。来歴の中で人が行う「感情の切り捨て」の結果起きるのは、「人生なんて」「現実なんて」といった厭世的、もしくは現実否定的、現実逃避的な価値観、もしくはもはや「価値観」と呼べるような積極的な内面の方向づけを自分では持たずに、ただ自動生活機械のように生きていく姿です。

 

さまざまな「価値観」が相互に関係する

 

 「価値観」の自己把握と修正が難しいさらにもう一つの側面は、さまざまな価値観が互いに関係し、その間にしばしば相互依存関係があることです。

 

 たとえば、何を「強さ」だと考えるかという価値観があります。人がもしそれを「優越し相手を打ち負かせること」だと考えたとします。するとこの人は、「望ましくないものを怒りで否定する」という「否定価値感覚」を自然と持ちやすくなるでしょう。どちらも「破壊」モード姿勢から生まれて組み合わさるからです。

 一方でこの人が自分の心をより健康なものにしたいと考え、「否定価値の放棄をしよう」と考えたところで、「相手を打ち負かすことが強さだ」という価値観を持ち続ける限り、それは無理ということになるでしょう。

 「破壊ではなく生み出すことが強さだ」という価値観に心底からなった時、「望ましくないもの」あるいは「悪」を前にしてさえ「怒り」という感情はもはや持たない、「否定価値の放棄」が成り立ち得る、ということになります。

 

「価値観」への取り組み・まず自己理解を深める

 

 このように、自己把握と修正が難しい「価値観」への取り組みとは、まずは自分の中に働いている「価値観」を、まずは頭で考えているものから、はっきり意識することなく心の底で働いているものまで、一つ一つしっかりと自己把握していくことが一つの大きな実践になります。

 それを、これから説明する、ハイブリッド心理学が整理した「人間の価値観の類型」を参考にして進めて頂くのが良いでしょう。

 同時に、それが私たち自身の心の成長と幸福にとって、どのような貢献をするものなのか、それとも妨げるものなのかを、頭で理解するだけではなく、自分の日常生活での思考がどのような価値観に根ざしたものであり、その結果どのような感情を引き起こすようになっているのかと、実際の体験を通して理解していくことです。

 

 その一方で、私たちが取り得る他の「価値観」の選択肢を、同じようにハイブリッド心理学が整理したものを参考に、まずは頭で理解していきます。

 まずはどんな「価値観」が私たち人間にはあり得るのかと、公平に知ることからになるでしょう。自分がその価値観に本当になれるかどうかは別としても、まずは「こんな価値観」「あんな価値観」があるということを、できるだけ幅広く頭に入れていきます。

 

 ハイブリッド心理学では、「価値観」をいくつかのテーマごとに整理し、それぞれにおいて一つだけを心の治癒と成長に向けて望ましいものと定めています。結果、いくつかのテーマについて一つづつの価値観から構成される、一つの組み合わせが定められることになります。ハイブリッド心理学の道のりとして進み得る道はただ一つです。

 あとそれを学び、「選択」を検討していくことです。

 この「価値観の選択」とは、自分が今心に抱いている価値観を自己把握する実践と同じく、頭で「こっちの方が良さそうだ」と感じるだけではなく、実際にその新しい価値観を基盤とした具体的な思考法を日々の生活の具体的な生活の中で考えてみて、その結果自分の心がどのように動いていくのかを確かめていく、地道な思考作業の積み重ねになります。

 その積み重ねを通して、さまざまな思考とさまざまな感情の動きと価値観の関係が自分自身の心の中で整理されていき、新しい思考法がもはや自動的に新しい価値観を基盤として生まれてくるほどの、「自分はもうこの価値観で生きる!」という「確信」が心に生まれた時、それが「価値観の選択が成された」ということになります。

 

病んだ心からの治癒成長と「価値観」取り組み

 

 このような「価値観」への取り組みは、心の障害が関係してくることで、やはりさまざまな妨げへの対処が必要なものとして加わってくるものになります。

さらに根本的に重要なこととして、実は「病んだ心」自体がその根底に独自の「価値観」を持つものであることが、この取り組みから次第に浮き上がってきます。それは時に、私たち人間という存在の根本にも関わると言えるテーマに関連してきます。

従って、この「価値観」への取り組みは、時に私たち人間の存在の根本を問う、人生をかけた「選択」への取り組みになるのです。

 

 そうした問題がどのように心の深層に根深く横たわっているのかは、人それぞれであり、かつそれが心の表面にどれだけ見えているのか、それとも一見は健全そうな思考の底に隠されているのかも、また人それぞれです。

 そのため、ハイブリッド心理学では無駄なくその深層へと進めていくための取り組み手順を定義しています。それが4章で説明したものであり、それに従った流れでこの『実践編』の全体を書いています。

 まずはごく実践的に、「感情と行動の分離」から始めて、まずは外面向けの建設的な思考法行動法を試みてみることが、誰にでも適用できる入り口です。まあ最初から深い妨げがあることが明瞭なケ−スもあるでしょう。すでに紹介した「C子さん」のように。その場合はすぐに、より深層向けのアプローチに向います。

 そこまで深刻ではない比較的一般的なケースにおいては、まずは外面向けの建設的思考法行動法に取り組んでみることを、一般的な取り掛かり実践とします。

 その先は、心の障害傾向の度合いと内容、さらに人それぞれの元からある価値観傾向などによって、まさに千差万別となる取り組み実践が展開されることになります。

 心の障害傾向としては比較的軽く、建設的思考法行動法の実践によって比較的スムーズに心の改善変化が得られた場合、次により根本的な改善成長のために、この「価値観」への取り組みの局面を進めることになります。

 そして心の障害傾向としては比較的軽いケースにおいては、行動学と価値観についての学びだけで、あとは多少の深層心理の視点を加える程度で、すぐに自らの価値観の整理と修正へと向い、否定的感情からのより根本的な抜け出しと、もう後戻りすることのない建設的な生き方の獲得へと向うケースもあるでしょう。このあとその実例として、「A子さん」の事例のその後を紹介します。

 一方、より深刻な心の障害傾向から始めたケースにおいては、これとはまた全く異なる治癒への側面とのかけ合わせの中で価値観にも取り組んでいく、最も本格的なハイブリッド心理学の取り組みが進められることになります。これは「B子さん」「C子さん」そして「D男さん」の事例として引き続き紹介していきます。

 

「愛」と「自尊心」のための行動学と価値観

 

 さてここまでが、「行動学」および「価値観」についてのハイブリッド心理学の取り組みの、基本的な位置づけの説明です。

 次に、こうした「行動学」と「価値観」を、「愛」と「自尊心」を軸にして取り組んでいくという、より実践的な観点から、取り組みの概要を説明しましょう。

 

 ハイブリッド心理学では、「行動学」「愛」と「自尊心」のためにそれぞれ一種類づつだけ用意していることを述べました。

 これはつまり、「愛」および「自尊心」という最も重要な感情についてそれぞれ、それを大切に守り支え、そしてより豊かなものへと増大させていくために、この人生と社会でどのような行動法をとるのが良いかという、外面の行動法の話です。

 

 一方、「価値観」については、「愛」と「自尊心」それぞれについて価値観があるというよりも、「愛」と「自尊心」を感じる心の背景もしくは前提材料としてどんな価値観があるかになってきます。それによって、「愛」と「自尊心」の感じ方が変わって来るという価値観です。

 たとえば、「この社会は弱肉強食の競争世界だ」と考えているならば、「愛」と「自尊心」それぞれの感じ方がどうなるか以前に、「愛よりも自尊心の方が重要」だと感じるという、重みづけの配分変化が起きるでしょう。さらに、「人を打ち負かす」ことを「自尊心」だと感じるという内容変化が起きるでしょう。

 一方、「社会とは助け合いだ」と考えていれば、「自尊心よりもまず愛が大切」だと感じるでしょうし、さらに、実際に良い人間関係に囲まれることが「自尊心」として感じられるようになるでしょう。

 そのように、「愛」と「自尊心」の感じ方を変化させる材料には、どのような「価値観」が人間の思考の中にはあるかを、ハイブリッド心理学ではまずあまねく整理しています。

 たとえば今言った「この社会は弱肉強食の競争世界だ」「社会とは助け合いだ」は、「社会観」あるいは「世界観」です。また良く世で論じられる話題として「人間の本性は善か悪か」といった思考テーマもあります。これは「人間観」です。

 そうした「価値観」としてどんなものがあるかを、まずざっと整理し、それらが私たちの「愛」と「自尊心」の感じた方にどのような影響をおよぼしているのかを見ていきます。

 

 それを踏まえて、どのような価値観をこの人生で携えていくのかを、「選択」するのです。

 いかに建前論ではない、心底からの選択として検討できるかがポイントになるでしょう。ハイブリッド心理学での価値観の検討では、建前はなしです。

 

「感情の強制」の轍への留意

 

 ひとつここで留意したい点があります。

 それは、この「行動学」も「価値観」も、「感情の操縦法」ではない、ということです。

 ハイブリッド心理学の実践に取り組んでいる方の多くが、行動学と価値観検討を、特に前者を、「それによって自分の中に愛もしくは自尊心の感情が湧き出てくる行動法」という風に勘違いして努力される方が多いかも知れません。

 そうではなく、あくまで「行動法」とは、「感情と行動の分離」によって感情はいったん内面だけの話として分けた上での、外面の行動法のことを言っています。それはまずは「愛」と「自尊心」を損なうことのない、特に互いに損ね合うことのない行動法という点が重要になってきます。その先に、「愛」と「自尊心」の感情を向上増大させることに良くつながっていく行動法ということになります。

 

 では「愛」もしくは「自尊心」の感情そのものは、どうやって湧き出させ増大せればいいのか。何がそれを向上増大させるのか。

 8章までの実践をざっと思い返して下さい。そこに答えがすでに示されています。

 動揺する感情を鵜呑みにする悪影響を軽減する実践を、外面向けにも内面向けにも行い、「問題の軽減」を図ります。真の解決への前進は、「心を解き放つ」ことの中にしかありません。そこに湧き出るものを受けとめるしかないのです。それは「未知」です。ここまでが、一つの実践のサイクルになります。

 そうして解き放たれた感情に、悪感情があればまた軽減への実践をします。この繰り返しだけでも、すでに内面圧力の根本的減少への治癒が始まっています。さらに「望み」の感情が見えたら、それがより積極的な治癒と成長への道しるべになります。それによって、自分を次の一歩へとより積極的に方向づけるのです。

 そうして次の進み先を、再び行動学を携えて考えます。この時再び「感情と行動の分離」の原則に従い、悪感情も望みの感情もいったん内面だけのこととして、外面行動はまた別に考えていきます。

 そして「ただ現実へと向う」。心が再び解き放たれます。

 行動法によって感情が直接良くなるという話は、ここには一切出てきません。

 

 こうした繰り返しの中で実際に感情がより良く豊かなものへと改善向上していくというのは、「行動法」が直接作り出すものではなく、この過程全体が生み出す「心の治癒と成長」という、目に実際に見えるものではない、それでも明らかに実体のある何かの変化によってです。

 それを生み出すのは、「行動法」と単独に取り上げたものではなく、「現実を生きる」「人生を生きる」ことを成したということそのものが生み出す、「治癒と成長」です。これを生み出すさらに大元の根源は、もはや何の人工的努力によって作り出せるものではない、「心の自然治癒力と自然成長力」なのです。

 

 まあもし「行動法」が直接感情を良くするのだとしたら、その行動をやめたとたんに、感情は元に戻ってしまいますね。

 それは「感情の操縦」の話です。問題の繰り返しです。

 

取り組み実践の中で深さを増す「価値観」への取り組み

 

 実際の場面においては、こうした「感情の監視操縦」を多少とも繰り返している中でハイブリッド心理学の実践が進められるという、混在する形になるのが現実的です。で、「感情の監視操縦」の側面を感じたら、それを「ただ流し理解するのみにする」わけです。

 これがさらに、その「感情の監視操縦」の根底にメスを入れる、最も高度なハイブリッド心理学の取り組みである「感情分析」につながっていきます。つまり、「感情の操縦」の根底にある価値観を明らかにしていくのです。

 

 こうして、「価値観」への取り組みは、ハイブリッド心理学の取り組み実践の中のごく一局面になるのではなく、このあとの「感情分析」などより深い内面取り組みと同時に、何度でも価値観の自己把握と選択検討の同じ実践を繰り返すスパイラル状の歩みになります。スパイラルが一巡するごとに、それは深みを増していきます。

 そしてその先に「否定価値の放棄」が成された時、それは「価値観への取り組み」における一つの達成節目であると同時に、ハイブリッド心理学の「習得」そのもののひとまずの達成とも言えるものになります。人間性の根底からの変化成長がいよいよ始まるのは、ここから始まる「後期」と呼ぶ終わりのない過程になります。

 

「価値観」は実は単純な「選択」ではない

 

 このような取り組み実践の流れを概観すると、実は「価値観」というものは、好きに「選択」できるという単純なものではないことが良く分かってきます。

 それはまず、私たちが「選択」する以前に、私たちをその中で生み出すに至った、社会文化の背景であり、親や身近であった人々の価値観であり、好むと好まざるとに関わらず心の底に染みついた、しばしば「足かせ」として私たちの心に働き続けるものです。時には「重い十字架」とさえ言える様相で。

 自らの病んだ心に苦しむ人は、それに憎しみを向けるかも知れません。そして自分自分が憎むものを自分の中に植えつけた過去の来歴と人々に、怒りを向けるかもしれません。

 しかしそうして過去を憎むこともまた、今現在この人が抱く価値観によってなのです。ハイブリッド心理学によって過去を変えることはできませんが、人生を変えるための切り口がここに生まれてきます。

 

 事実、ハイブリッド心理学における「価値観」への取り組みとは、心の障害傾向が比較的軽く、心の自由が効くケースにおいては、「思考法」のごく延長のような感じで「価値観」のブラッシュアップを図る、ごく軽快な自己啓発の姿になるケースもあります。一方そうはいかずに、一度は来歴の中で捨て去ることができたと感じていた重い十字架の足かせに、再び向き合う重い対決になるケースという、どちらの様相をも取り得ます。

 

「自分の心の真実」そして「人間の心の真実」へ向う

 

 ではそうした、単純な「選択」とは言えない「価値観」を、最終的には何を羅針盤に、そして何を動機として「選択」することができるのか。

 「感情の操縦」はなしだと書きました。「愛の感情を湧き出させるために助け合い社会観を取ろう」と考えたところで、それは「価値観の選択」にはならないのです。それは病んだ心の中で行ったことの繰り返しであり、ハイブリッド心理学はそこからの根本的な抜け出しへの道のりを探究しています。

 

 この答えは、やはり「心を解き放つ」ことの中に求めるのが結論と言えそうです。

 「ただ現実へと向う」「今を生きる」と同様に、「ただ真実へと向う」という方向性があります。

 

 心がそれを「真実」だと感じるものに、スポットライトを当てる作業を繰り返していくしかありません。人間はこの「真実」という感覚の下に多くの過ちを犯してきた動物ですが、ハイブリッド心理学では取り組みの最初から、まずはそうした過ちを防止する原則と実践を先に用意するという、外堀から埋めていく実践手順を用意しています。それが今まで説明したものです。

 外面においては建設的であることを基本指針とし、それが確かなものになるにつれて、私たちは外面についてより安全を保ちながら、自分自身の心の真実へと向う作業を行えるようになります。

 

 それが最後に向うのは何なのか。

 それはあくまで「心を解き放つ」ことのみに委ねる、一種の賭けのようなものにもなるでしょう。

 事実、それが私が歩んだ前半生でした。ただ「自己の真実へ向え」という心の底の声に導かれ、最後に見出した自分自身の心の真実とは、その歩みの始まりにおいては全く予想さえしないものでした。私はそれを、「感情の操縦」は一線を区切った客観的な姿勢で、純粋に自分の心が「真実」と感じるものを選択していくことの先に見出していきました。

 ただしこの「真実と感じる」という感覚は、あくまで「科学」の姿勢においてのものであることを、ハイブリッド心理学の「価値観」への取り組みの重要な条件としたいと思います。これは『入門編上巻』で説明した「心理学的幸福主義」に基づく取り組みなのです。

 

 一方そうして私が私なりに見出した「人間の心の真実」とは、人間の歴史を通してさまざまに言葉を変えながら「真実」として伝えられてきたであろうものと、完全に符号するものでした。そこに至り、それが人間の脳に刻まれたDNAなのだという確信を深めている次第です。これは「4部」にて解説します。

 そしてその「人間の心の真実」と、そこに向うことを支えるハイブリッド心理学の「価値観」が、今明らかに社会に広がっている「心の荒廃」の克服への答えになるであろうことを感じる時、私はもはや何の心配もなしに、この取り組みを社会に伝えることのできる自分を見出すのです。

 

 あくまで「感情の操縦」ではなしに、「価値観」の「選択」を検討する取り組みとは、本人の意識においては、ハイブリッド心理学が推奨する価値観をあくまで有力候補として念頭に置き続けながらも、最後に優先するのは自分自身の心の目であり「意志」だとする姿勢になるでしょう。事実私はその姿勢によって、この心理学を作るに至る前半生を歩みました。

 あくまで変に道をそれないよう、十分に建設的な思考法行動法と行動学を学びながら、この「価値観への取り組み」を進めて頂ければと思います。

 

 この章では以下に、ハイブリッド心理学での「行動学」と「価値観」についてのサマリーを、表でまとめて掲載しておきます。この後の章と合わせて、実際の実践の中で適宜参考にして下さい。

 

「行動学」のまとめ

「行動学」のまとめ ・・・「愛」と「自尊心」のためにそれぞれ一種類

これは相手により使い分けるのではなく、自分自身の目指すものによって使い分けます。「愛」に向うための行動か、それとも「自尊心」に向うための行動か。

実際の外面行動は、この合成されたものになります。この2種類の行動法は互いに妨げあうことはありません。結果、最終的には、全ての相手に対して一貫として、自分の中で矛盾対立のない、統合された自己の確立と、安定した対人関係を可能にする行動法です。

「愛」を支え促すための行動学 ・・・「建設的対人行動法」

「共通目標共通利益のみに着目」して行動する行動法。

これは重要な2つの側面がある。まず「共通目標共通利益」であるとは、相手に何でも合わせことではなく、まず自分では何をしたいか何を望むかという、「自分の目標利益」をしっかり認識できる、自己の重心、そして自己の確立が必要になるということ。

もう一つ、共通目標共通利益「のみに着目した行動」とは、共通目標共通利益がないのであれば、「何もしない」がこの行動法になります。相手に合わせる必要もないし、また問題が起きたとも考えない。

「気持ちが一緒」「何でも一緒」を愛の行動法だと考えると、不一致を怒るという「破壊」へと向いがちです。「建設的対人行動法」は、人が皆それぞれ個別の人格を持つことを尊重した行動学です。「自分を捨てることが愛」という考えは取らないという、根本的な価値観が根底で問われることになるでしょう。

 

なお「思いやり」は、外面の行動法のことではなく内面の話です。基本的にこれが豊かになる方向性が、ハイブリッド心理学の内面取り組みの方になると言えるでしょう。

「思いやりが大切」と考え、「思いやり」をしただけで外面的には何も生み出すことなく、見返りを(しかもこっちは外面で!)期待し、それが得られないと怒るというのが、最も気をつけたい、愛と自尊心の双方を結局損なうことにつながる心の罠です。内面と外面を分けてしっかり考えましょう。

「自尊心」を築き社会で強く生きるための行動学・・・「原理原則立脚型行動法」

相手への意見や感情を一切出すことなく、代わりに「原理原則を示し合意を取りつける」という行動法。

相手への意見感情を言わないとは、「あたなは間違っている」「あなたはこうこうだ」という言葉を一切使わない。「こんなことも分からないのか」も同じ。その代わりに、「私はこう考える。あなたはどう考えるか?」という言葉の使い方

相手に、相手が考える「原理原則」を自ら語らせることで、自分が狙う行動と同じ結果に導くことがポイントである。そうすれば、相手は喜んでこっちの望む行動へと向う。

この行動法の原則は以上のように単純なものですが、重要になってくるのは「原理原則」の内容そのものです。実際これが社会で通用し、かつ「強い」原理原則であるほどに、この行動法によって、対人行動において磐石の強さを獲得できるようになります。これは頭で憶えるだけの座学だけではなかなか習得できるものではなく、日常生活や仕事場面での積み重ねの中で、耳に入れるだけの「常識」よりも強い、実際の見聞に基づく「見識」をいかに社会と人生で増やすかが重要になってきます。

社会を生きるノウハウ ・・・「原理原則」の内容として島野の社会生活経験からのお勧め

重要な原理原則のセットを知る・・・「契約」「役割」「権利と義務」など。

仕事を進める上での重要な原理原則・・・「役割」「根本目的」「価値の生み出し」など。

スキルを高める方法・・・まず「スキル領域策定」し一芸に秀でる中で「スキル習得法」を身につける。一つの領域で得た「スキル習得法」は領域を超えて普遍的なので、そこからスキルの幅を広げるのが容易になる。

 

「価値観」のまとめ

 テーマごとに、人間思考として幾つかの価値観の類型があります。

 上の方の価値観は、その下の方の価値観にかなり依存します。従って、「否定価値の放棄」という、ハイブリッド心理学の取り組みのひとまずの習得達成のためには、その後に出てくる価値観の全てがハイブリッド心理学の推奨形になることが必要になってきます。

 次の通り、大きく2グループに分け、全部で9つのテーマになります。

 「人生への直結価値観」・・・ 否定価値感覚・人生観・自尊心・愛

 「背景となる価値観」・・・ 社会観・人間観・世界観・心の自立と依存・意識下土台

 A)B)C)で分類するものは、両立せず一つしか選択できないもので、A)が推奨形

 1)2)3)で分類するものは、複数選択可能で、2)3)の価値も否定はしないが、1)が推奨形

 

「価値観」のまとめ−1:人生への直結価値観

「否定価値感覚」への取り組み

A)「否定価値の放棄」・・・心の根底からの「否定価値感覚」の捨て去りを成した心の状態。

ハイブリッド心理学の習得完了と位置づけられる重要な目標。ここから、心の障害からの治癒成長も右肩上がりに進み、人それぞれの「唯一無二の人生」への歩みへと向う。

B)「否定価値感覚」・・・望ましくないものに向ける怒り否定に結局的価値を感じる感覚。

「怒り否定」を人生の杖であるかのように感じる幻想的感覚とも言えます。次のような情緒論理。「怒る自分が正しい(変わるべきは相手)」「嘆く自分は救われるべき」「怯える自分は守られるべき」「嫌悪する私は高潔」「軽蔑する私は優越」。

心の表面は「望ましくないもの」「マイナス側面」に積極的に意識を向けるという様相になる。心がマイナス思考と怒りに覆われ、心の健康を害し、人生を楽しむことを妨げるご本尊とも言える心の根底的価値観である。これがあるとあたかも脳は「怒りの臓器」として働く。

 

「否定価値感覚」は、「思考」のレベルで働くというよりも、脳が働く時に基本的に一枚かぶさる特別フィルターのような働き方をします。以下の「価値観」の総合結果として、人の来歴の中で獲得される。

ハイブリッド心理学の実践とは、これを取り去って生きる人生を習得することと言えます。

これは「完全なる放棄」を成すか成さないかの選択であり、「肯定価値感覚」というものとの二者択一選択ではありません。「肯定価値感覚」という特別なものなどなく、開放された心はもともとそう働くということです。この「放棄」の選択は、以下の価値観の全てと、さらに「意識下土台」までを巻き込む、深い心の働きとして成されます。

 

この「否定価値の放棄」へのハイブリッド心理学の取り組み実践とは、まずこの感覚の存在を逆に許し、ハンディとして受け入れる「自己受容」から始まると考えるのがいいでしょう。「感情の操縦」としてどうにかしようとすることの繰り返しに留意します。そのために、「感情と行動の分離」に始まる建設的な思考法行動法という、ここまでの流れがあるのです。

「人生観」・・・ 人生の生き方を決する価値観

A)「与えられた場からの前進」人生観 ・・・ 人生を見出す価値観

「与えられた場からの前進」での「価値の生み出し」へと生きる。「生きる喜び」を生み出すものとしてハイブリッド心理学が考える基本的な人生思想。自尊心への「価値の生み出し」価値観「心の自立視線」が主基盤。

B)「存在の善悪と地位」人生観 ・・・ 人生を見失う価値観

「存在の善悪と地位」という空想的競争世界で上に行くことを目指す。「人の目」の中で生きる人生でもある。現代社会人の基本的な生き方として、心の荒廃が社会に広がっている背景と考えられます。自尊心への「打ち負かし優越」価値観「心の依存視線」が主基盤。

「自尊心」への価値観 (「価値」「強さ」への価値観)

この人間社会において本当に「価値」「強さ」となるのは何か。「お金」「才能美貌」「美味しい料理」など「単体価値」の話よりも、それをどう人生で強く生かすものと考えるかという、「人間性の価値と強さ」の考え方。

1)「価値の生み出し」・・・「価値」とは「喜び楽しみと感動」をもたらすものであり、あらゆる向上である。それを支え向う営みを「価値の生み出し」と呼ぶ。ハイブリッド心理学で「心の治癒と成長」への原動力と位置づけられる「望みへ向う」において、その歩み方の推奨形と位置づけられる。「心の自立視線」が基盤えとなる。

2)「人の和と絆」・・・ もちろん望ましいものだが、自己確立を見失った時、心を逆に圧迫束縛するものになりがち。

3)「打ち負かし優越」・・・ 意外かも知れないが、実は「打ち負かし相手」を必要とする点で「依存」であり、「自分-保護者vs現実世界」という視線で世界を見る、情緒的にも未熟な自尊心の形態である。その「証拠」に、これに走りすぎ自分の回りに味方がいなくなると、一転して隷従迎合に転じやすい。

試合やコンテストでの勝利を目指す情熱などは、内容価値の高さそのものと「誉」を欲する「価値の生み出し」と、全ての他者を打ち負かすことを欲する「打ち負かし優越」とで、同じと外面と異なる内面になることに留意。

「愛」への価値観 ・・・ 対人関係において「愛」をどのようなものと感じ考えるか。

これは「価値観」というよりも、その前提となる人間の心への理解でもあります。「行動学」に密接につながります。「人間観」が背景基盤になります。

A)「喜び楽しみの共有」・・・ 愛を育み、ひいては自尊心を向上させる、「愛」の考え方。

B)「相手を認め合う」・・・ これは本来の「愛」ではなく、「愛情要求」と「自尊心衝動」の補充し合いとでも言える、「愛」の考え方です。そこに含まれる「嘘」や「拘束」が「愛」を破壊し、自尊心を愛されることに頼ろうとしたこと、そして嘘が含まれることによって、自尊心も大きく損なってしまいます。

 

「価値観」のまとめ−2:背景となる価値観

「社会観」・・・ 社会行動の行動法の考え方を決する価値観

社会を支える基本理念の考え方であり、「価値観」というよりも「教養」や「見識」として重要です。

A)自由主義・民主主義 ・・・ 個人の対等な自由と権利を何よりも尊重。競争原理を容認します。

B)共産主義・身分制 ・・・ 基本的人権よりも社会の秩序と身分を重要視する。

現代社会においては自由主義・民主主義が国家運営に採用されるのが主な趨勢です。しかし個々人の意識は、特に情緒的は、まだまだ「村社会」や「主人と奴隷」的な、人間性の豊かな開花とは逆方向の社会行動意識を持っていることが、心の健康と成長を妨げる大きな要因になっています。

「人間観」・・・ プラス思考vsマイナス思考の基本傾向を決する価値観

A)「自明論的性善説」「サバイバル性善説」・・・ プラス思考を促す価値観

「自明論的性善説」とは、「本性が望むものを“善”と呼ぶなら本性は“善”を志向する」という単なる言葉の繰り返しとして「性善」と考えるもの。この点で「性悪説」とは自己矛盾自己分裂が起きていることを表す。つまり「性悪説」は「考え方」というより心の病の一症状だと考えるもの。

「サバイバル性善説」は、「与えられた場からの前進」の先に人間性が豊かに開花するという、ハイブリッド心理学が採用する性善説思想。ここでは「愛」が「成長の中で未知の豊かさに向う」ものとして、愛を枠にはめない感情の開放が旨となります。「科学的世界観」「サバイバル世界観」が基盤。

B)「道徳的性善説」「道徳的性悪説」「自己投影人間観」・・・ マイナス思考を促す価値観

「正しい者が幸せに」という道徳的・宗教的世界観を取った上で、人間の本性が善か悪かを考えるもの。「自己投影人間観」とは、「人は皆こういうもの」と、自分の心に映ったイメージで決めつけるもの。性善か性悪かもそれで考えているわけである。

「愛」は「与えるvs与えられる」という一方通行もしくはその合算という固定的なもので捉えられ、「愛」のために「感情の監視操縦」が使われ、やがて心が活力を失い愛が貧弱化することにつながります。

「世界観」・・・ 自分とこの世界の見方を決める価値観

A) 「科学的世界観」「サバイバル世界観」・・・「科学的世界観」「現実世界」を現実科学で確認できる観念だけで見る。それとは別の「魂の世界」を否定するものではない。「サバイバル世界観」は必ずしも「弱肉強食の競争世界」という見方ではなく、「これはあるべきことでない」という思考を取らない世界観、全ての命がその与えられた場からの前進に「生きる」ことがあるという生命観。「心の自立視線」が基盤。

B) 「道徳的世界観」「宗教的世界観」・・・「正しいものが幸せになる権利がある」という観念で描かれた世界観。「幸せを与えてくれる」人間を超えた主体、もしくは「自分とは別の側の人々」が描かれることになる。神様仏様、天の恵み、人様世間様。「望む資格思考」という、心の成長にとり癌細胞思考とも言えるものを生み出しがち。「心の依存視線」が基盤。

「心の自立と依存」意識土台

A) 心の自立視線・・・「自分vs現実世界」という視線でものごとを捉え価値観を考える。

自分を全世界に対自させて考える。無人島サバイバルのためのものの見方考え方。自分の感情を自分で受けとめるという「心の自立」へ向う視線。

B) 心の依存視線・・・「自分-保護者vs現実世界」という視線でものごとを捉え価値観を考える。

 自分が守られるべき巣の中で考える。中学校の授業の教室にいるような感覚でのものの見方考え方。「人の心に住んで生きる」という、感情が「人の目」を終着場にするかのごとく体験される、心の障害の基盤意識状態につながる。

意識下土台 ・・・「現実覚醒レベル」「情動年齢レベル」「心理知性レベル」

「現実覚醒レベル」・・・「感情の膿の人格組み込み」によって起きる、「現実感」が全般的に低下した意識状態の起きている度合い。これが「自己操縦心性」の「強度」ともなる。

「情動年齢レベル」・・・「自己操縦心性」の中で起きる自動感情が、幼少期の「魂と心の分離」のどの段階での挫折に固着しているか。早期段階であるほど、情動の論理において「自分が全能万能により守られるべき」という非現実性が強くなる。

「心理知性レベル」・・・ 自分の感情や思考を、自分で客観的に把握する知性能力。またそれが人間同士の間でどう作用するかなどの思考と理解の能力。心理学の目を持つ素養能力。

 

現実覚醒レベル低下・早期の情動年齢レベルにより、意識全体が「依存幻想」の中に置かれ、価値観もその枠内のみで思考されるようになる。心理知性を高めることが、取り組みを通しての克服への道を開く。

 

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