ケース・スタディ
感情分析過程の例
02 ハイブリッド療法の姿勢と感情分析過程が典型的に現れた数日間の体験

3■ 2002年12月9日(月) Aさんの事態が緊迫化し会って欲しいとの願いを受ける 2003.9.2

2002年12月8日(日) 2日目

 援助の申し入れが成立した翌日の日曜日、この日だけでも結構多数のメールのやり取りをしました。私はPCで。Aさんは通院や引越しの合間のため携帯で。
 私はそこでごく基本的な心がけについて短く分けたメールをやりとりしましたが、最初からどうも思った流れにならないのを感じました。私はAさんができるだけ人に煩わされず落着いて自分の内面に向かえる環境にするのが最優先と思っていましたが、Aさんの心はどんどん今現在の波乱の生活に向かっていたようです。

 この日Aさんから伝えられたことは次のような事柄です。
 ●今の自分の一番の問題は、独りにどうやって耐えればいいか。でも戦うしかない。きのうはパニック発作で救急車で運ばれた。明日独りになった自分を想像するとゾッとする。 ●一番好きな人の傍に引越しするものの、その男性も彼女と同じく境界性人格障害であり、この関係を続けるのが良いことか悩んでいる。どう思いますか? ●今母が来て絶交を言い渡された。軽い怒りから逆に勇気のようなものが湧いてきた。明日はもう胃痙攣もパニックも起きないような気がする。自分は怒りが原動力になることが多いようだ。

 この段階で、実際のところ私からの「援助指導」も形を成していない状態を感じていました。
 特に気になったのは、お母さんとの関係がこの時一時悪化状態になった顛末です。彼女は怒りが力になると感じても、それは怒りが苦痛を麻痺させる感情だからです。その中で実は心身を消耗して行っている、という良くない状況が生まれているように思えました。
 それで、私はこのお母さんとも話をしたいのだけど、とか連絡して次の日を迎えました。

2002年12月9日(月) 事態が急変する

 こんな感じで、私自身、ちょっと方向感が見えない中で、翌朝起きてメールを空けると、Aさんから緊迫感の漂うメールが入っているのを見ました。
 「会って下さい。お願いします。メールじゃとても伝え切れません。今はもうすがる人があなたしかいないんです。お願いします。」との言葉が繰り返されていました。

 私は、心配していた事態が早くも起きてしまった、と感じました。
 私は彼女がパニック的絶望感に襲われた状態になったのを想定したのです。その状態ではあまり理屈で考えることは意味がありません。むしろ、傍にいて安心させてあげる人が必要なのです。
 だが、この段階で自分がその役割をすることは全く想定していませんでした。自分の進める心理療法の説明も、彼女のその理解も何もない段階で、自分が共感的支持のカウンセラーを演じることも想定外です。

 私は、困ったことになった..と思わずマンションのリビングの中で腕を組んで丸く歩き回っていました。
 障害の方への直接援助について、私が自制心を持っていた理由の2つ目、私自身の心理的状況がこれに見合うかという問題に直面したわけです。

 そもそも今振り返ると、この頃の私が心理研究家として活動する自分に抱いたイメージは、まるで「治療者の仮面」をかぶって、私人としての自分を切りはなして当たろうというような姿勢がありました。実際頭の中でも、心理療法者はこうあらねばならないという人間像があったと言えます。何事にも動じず落着き、常に肯定的で、感情的にならず...云々。
 一方で、私のマイナス感情がほとんど消えたとは言え、私はまだまだ途上の人間です。特に対人的積極性はまだ通常の健常より少し低いレベルにあったと言えます。だからこそ杓子定規の「治療者像」を抱いたとも言えます。
 自分がその「治療者像」に近づけるという感覚は多分に尊大であり仮面の軽薄さが伴っていました。

 朝起きて「会って下さい」という緊迫感溢れるメールを見て、私はとりあえずの返信をしました。
 決心ははっきりしてないものの、場合によっては会う方向を考えざるを得ないだろうと思いながら。

 これから会社へ出ます。夜会えるか、方法を考えましょう。
 少し早くなりましたが、行き詰まった苦しみへの対処を、Aさんは学んでいく必要があります。実際、再生が必要なのです。その時、その苦しみが訪れます。全てを時間に任せて、ただ自分の体を休めることを学んで下さい。布団の中で思いっきり泣いて、死んだように眠るのもいいでしょう。事実、精神だけは死に向かい、体だけが生きている時間が訪れます。それでいいのです。私は何があっても味方でいます。
 午前会議がありますので午後また連絡します。


 今読み返すと、やはり仰々しさが感じられます。
 また、「私は何があっても味方でいます。」という言葉に、私が現実通りでない自己像を抱いていたことが想像されます。今の私から見ると、「おい、そりゃ嘘だろ」と言えるような(^^;)。

 ここで一つ、私がAさんの恐慌状態をイメージしたことに、何らかの無意識的メカニズムがありそうです。
 「相手が苦しんでいる状態を仮定し、自分をその援助者として位置付ける」。これは自尊心を満たすための偽装的状況への自己嫌悪を麻痺させる、ミッシング・リンクのような機能を持ちます。
 これは、この仮面をかぶったような態度で私が何かの情動的利益(*)を得ようとする一方で、実はこの自己欺瞞的態度に私自身が激しい自己嫌悪を抱いていたことが、この後明らかになります。このような葛藤状況で、「自分が求めたものではなく相手が求めた、状況がそうさせた」という認知は、この自己嫌悪を全くの意識圏外に隠す機能を持っています。
 これは心理障害過程、いや人間心理の複雑さにおいて実に定石的に発生するメカニズムです。
 *表現は悪いですが、自己中心的な自尊心から、純粋に相手を助けたいという気持ちまでの全てを指します。人間心理は常に多面的です。
 

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