ケース・スタディ
感情分析過程の例
02 ハイブリッド療法の姿勢と感情分析過程が典型的に現れた数日間の体験

6■ 2002年12月12日(木)  Aさんへの援助姿勢の変化とその後 2003.9.2

 私の中で「何が起きても支えます」といった尊大な指導者意識と援助への情熱が消えた一方、Aさんの方も刻一刻と生活の流れが変わっていたようです。
 土日に会うか電話で話しましょうとは言っておいたものの、私の方もAさんの方も、もうそんな状況でなくなっていたように思えます。Aさんは2日ほど私にもサイトにも音信不通となり、私は何か起きたかと心配な一方、自分の側の心境の変化については伝えておかねばと感じ、12日の木曜に少し長いメールを出しました。

 こんな時、自分としては自分が数日前の自分ではないことを、うまく弁解しようとするのですが、それは自分の内面だけの話であって、それを説明しようとすることは得てしてちんぷんかんぷんな奇妙な話に聞かれる恐れもあります。現実的には何も言わないのが良いのかも知れません。それでも自分がもう別人だという感覚があまりに強いので、やはりそのことを言わざるを得ない気分になってしまうのです。それがひとつの自分のけじめとしての告白という意味もあるものです。
 この微妙な状況を考慮して、簡潔な話にまとめるのが良いと思います。

 私が出したメールのうち前半は、私に起きた変化の説明で、やはりそれ自体を治療アプローチの説明として意識したため、不要に饒舌になっているのを感じます。この部分は省略します。
 その後に、改めて、自分がAさんにオファーする援助とはどのようなものか、やや饒舌に説明しています。

 Aさんはこの前後で、ある著名な精神科医に会って、心のたけを全て話す機会を得ていたようです。
 そのため、実際、私の方は用なし状況になっていたのですが、この心の病への姿勢についてAさんと真摯に話し合うメールとなりました。この部分以降はもう今回のケーススタディとは無関係になりますので省略します。
 ここでは改めて私に可能な援助について説明した部分を引用します。
 多少とも、「つき離す」印象があります。それで良ければ力を惜しまず協力しましょう、と。

 ...
 さて、整理すると、私はAさんに内面世界での援助をしたいと思っていますが、それは心を現実に立脚して自立させる道であり、これから様々な面で、Aさんはまず自分自身の生き方を見なおすよう、話し合いたいと思っています。話を黙って聞くとか、一方的な援助や慰めは、あまりこのメニューの中にはありません。ただ、Aさんの内面状況を知るために時間を取って話を聞くことはやぶさかではありませんが、合うとか電話は、今時間的物理的制約が多いのです。

 前に、「会うとしてもそのまえに山のように済ませることが」と書きましたが、最初にしなければならないのは、私が提供するものについての、お互いの合意です。
 私が援助するのは、Aさんが自分の足で立って歩くことです。もしそれが無理だと思うなら、Aさんは他に援助を求める必要があります。この合意をする前に、私にすがって欲しくないのです。藁にすがるのではなく、自分の足で立って欲しいのです。足を伸ばせば、そこに地面があります。ただしそこにはかなりの起伏があるでしょう。そこで私がGPSの役割をします。そうして自分の足で歩く意志がAさんにあるのであれば、私もできる範囲でそれを超えた援助も検討したいと思います。

 正直に言います。私は心の病の病巣に棲む毒虫の正体も、それとの戦い方も知っています。が同時にその強大さも知っており、恐いのです。もしAさんが私にすがりたい気持ちのまま一緒にそれと戦うとき、私には全く勝ち目がありません。何よりもAさんが自分の足で立つ強大な決意が必要です。それによって何とか私の援助も役にたつかも知れません。それでもなお、もっと強力な心の支えが必要になる場面が出る可能性もあるのです。だから、その時にAさんを救うすべも、Aさん自身がよく考えておいて欲しいのです。良い薬で一時的に気を和らげることかもしれないし、お母さんとかかも知れません。

 こうゆうものでなく、とにかく強い存在にすがり、心の支えを求めたいのであれば、Aさんは現実世界の中でそのような援助者を探すべきです。それは私ではありません。

 私はまだAさんのいる場所がつかめていません。Aさんは本当に自分の足で立って歩くことを、自分の心の問題を自分の問題として取り組む決意ができますか?まずその返答を待っています。

 新しい日記を見ました。Aさんの言葉を見るたびに、心の痛みを感じます。同時に、自分が何もできない悲しみも。いつまでも見守る気持ちだけは分かって欲しいと思います。
 ゆっくり考えて下さい。私もゆっくり事にあたりたいと思っています。


 あい変わらず過度の饒舌さ、そして彼女の苦境への過度の思い入れが残っているようです。

     *     *     *     *     *

 この数日間の内面変化の後、私の中ではっきり持続する、もうあと戻りしない変化として生まれていたのは、指導者の仮面をかぶって対応しようとする身構えの減少であり、Aさんに接する際に、よりストレートな自分の裸の感情で対応するようになっていったことです。
 Aさんとのやりとりはその後もしばらく続き、彼女に接しようとする私の感情が根本的に変化する体験があと2回ほどありました。それぞれがまた趣の全く違う体験ですが、その中で私は同じように自分の「指導者としての身構え」と、度を越した彼女への援助熱意を放棄する方向に向かいました。やはり両者とも涙を流す濃い体験でした。

 こうした体験の積み重ねを経て、裸の感情でそのまま人に対する、という心理状況が私の中で育っていったという経緯です。彼女への言葉使いも「Aちゃん」となりタメ口へと変化していました。今はもうAさんとの接触もありませんが、今なら、彼女を心理障害者としてでなく一人の知人としていつでも会うことのできる自分を感じています。
 彼女とのかかわりは、感情のゼロ線を通過した後にも、やはり変わることなく起き続けている私の心理成長の中の、あるひとつの時期を形作ったものとして、とても感謝しています。

 最後に、この分析体験の「治癒効果」について。
 まず、この分析を行ったのは、心理障害としての「症状」と言えるようなものは既にない、平常の対人関係における感情の乱れを扱ったものです。このため、特定症状が消えたと言えるような変化として言えることはありません。
 従って対人感情の改善ということになりますが、分析体験直後に実感されるのは、何よりも、内面的ストレスの消滅です。このケースでは「指導者という仮面」をかぶって行動しようというストレスが消えています。
 このストレスの消滅とは、別の表現で言うならば、「嘘をつき続けることを心底から断念した安堵」と言えるようなものです。このため、安堵感が感じられる一方で、裸の自分で行動することへの覚悟や挫折感も含まれ、気分としてはむしろ沈んだ感情がしばらく残ります。

 ある程度日数が過ぎると、自発的感情の増大が感じられます。これは内面的ストレスが消滅した分を、ストレスを全く伴わずに湧き出る自発的感情が埋めている、という感じそのものです。ただし一度の分析体験で、人格全体における内的ストレスの除去はごく微量のため、自発的感情の増大感は微量です。
 そもそも、新たに人格の中を占めるようになった自発的感情というのは、自分を統制しようとするストレスのない感情であり、それはつまり自分の感情を自分で意識する要素の少ない感情です。このため自分がどんな感情にあるかを意識することなく生きる部分が増えているので、「良くなっている」ことを意識する必要もない、という状況があります
 それでも治癒過程の初期においては、内的圧迫が膨張しているので、分析体験によるストレスの減少もより明瞭に体験される傾向があります。それはしばしば「生まれて初めて感じるような開放感」という感動を伴い、後の道のりへ向かう勇気を与えてくれるものです。

 何の前提もない人への肯定的感情の増大が自覚されるのは、さらに期間を経た後です。もはやそれは一つ一つの分析体験に対応する変化ではないでしょう。その蓄積を経て、内面的な安定感と自信の増大の総合的結果として、人に対する無条件な積極的感情が生まれていることが自覚されてきます。
 これは分析の目標として意識するものではもはやありません。性格の改善というものも同じです。自己分析の過程で、「自分がこうなれた」という高揚感を感じる場合は、それは事実ではなく、開放された気分が新たな理想的自己の仮面を捉えたことを示しています。
 数年という期間を通してこのような人格改善の取り組みを継続的に行う中で、年単位で過去の自分と今の自分を比較した時に、明らかにより健康な人格に成長していることを知ることができます。
 

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