ColunmとEssay
1 精神医療と心理療法
03 人は子供に戻って行く(私がカウンセラーになれない理由..?) 2003/08/19

 お盆休みの帰省中に絡んだ話。
 藤沢の叔父家族も来た日、祖母が入ってる養老施設に皆で行きました。
 祖母はもう100歳も近くなっています(正確な年齢忘れた^^;)。

 施設は当然ながらご老人ばかりで、高齢化社会の日本が老人ばかりになって行くというイメージを思わせました。
 祖母はもうずっと以前からボケてしまっており、5人の子供がいるにもかかわらず自分は子供は1人しか生んだことはないと言っていたりとか、孫の僕のことももう分らないだろうな、という感じでした。
 その日は珍しく上機嫌で、2歳のひ孫の顔を見てにこにこ笑っていました。

 そんな祖母ですが、子供の頃のことは憶えているらしいという話を父から聞いたことがあります。
 3つ子の魂百までとは言いますが、やはり人の心の中で子供の頃の事は心の故郷とも言える大きな位置を占めるのでしょう。
 そして人間は年を経るごとに、子供の頃に帰っていく。そんな人間の心の姿がひとつあるように思えます。

 「子供の心に帰る」
 これは私の心理研究のテーマとも言えるものです。
 複雑に分裂し、絡み合い、混乱した心が、解きほぐされ、真の感情に戻って行く過程を通して、子供の頃のような無垢な心に帰って行く。
 これを、精神分析という人間の意識的作業によって進める。

 私自身、大学時代、混乱した心理障害状態の中で精神分析を進め、最大のクライマックスのような出来事が、小学校時代に純真な気持ちで大きな初恋の感情の中にいた自分が蘇るという現象となって現われました。
 ちなみにこれは「感情分析の進行過程」で言うと(7)葛藤の自覚の段階に当たる時期でした。心の中のほとんどの抑圧が解消され、葛藤にも幾つか直面し、ある程度の克服を得た後、「自分はもう心理障害者ではない」と感じるような大きな開放感がありましたが、その後にいよいよ本当のクライマックスが待っていた訳です。
 初恋の時期からほぼ10年を経た、21才の時のことでした。そしてさらに10年を経てその初恋の女性と再会。まあこの話は置いておきましょう。
 それよりもさらに小さな頃の記憶、私の心理障害の芽が生まれた頃の自分の気持ちのようなものを思い出したのが、さらに20年ほどを経た、40才も間近になっていた頃のことです。私の心に埋もれていたマイナス感情のほとんどがもはや消え去る段階へと急速に向かっていた時期のことです。
 感情メカニズム論の2.2 自己理想化と自己操縦心性(4)最初の破綻にも書いた通りですが、人は子供の頃悪感情の生まれたきっかけを思い出すことが大抵できません。私は自分の心理障害がほとんど完全に消える最後になって、初めて、当時の私の家族の歯車が狂っていたその状況を、何となく思い出し理解することができるようになったわけです。

 心理障害の発達過程においては、子供の頃の悪感情をそのまま受け入れることができず、別人格のように切り離す動きがスタートになります。
 これほど人の心に大きなものとなる自己の来歴から、その人はむしろ遠ざかろう遠ざかろうとする心のベクトルの中にいます。「違う自分になりたい」「自分を変えたい」と。そのベクトルの中で、別の人間になろうとする試みが、彼彼女の心を混乱に陥れ、やがて自滅に向かいます。
 これは明白な心理障害を示す人だけでなく、今の世の中の大半の人にも言えることでしょう。社会に出て、用意されたような「人生」のレースに追われ、子供の心を失って行く人が多いように感じます。

 精神分析の中で人が子供に戻って行く。
 そのようなことが実際に起きるのであり、その過程で心理障害も消失する。
 だからこれが「心理療法」としても扱われるわけですが、私はこの心の世界を、「心理障害とその治療」を越えたもののように感じています。
 それが、私の著作活動が一般のメンタル系とは趣の違う理由であり、私が「カウンセラー」とはあまり自分を位置付ける気になれていない理由だと思っています。

付記解説
 精神分析の中で子供の頃の感情を思い出す、子供の頃の心に戻って行く。そうは言っても、心理障害の場合、子供の頃は悪感情で満たされていたので、なぜそれが治癒になるのかという疑問も出るかと思います。
 もちろん思い出すだけでは治癒ではなく、それが「成長した大人になった現在の自分」にとっては、もはや非現実的で不要な悪感情である、という実感が得られる程度において、治癒が生じることになります。
 ところが心理障害の過程では、この心理的成長そのものが阻まれているため、思い出した悪感情は往々にしてむしろ現実的であり、そう簡単には捨て去られません。むしろ、悪感情をありのままに体験しながら、それを受け入れ、大人になった自分として生きて行く前向きの姿勢が、悪感情を克服するための成長への端緒になると言えます。
 そうして徐々に心理的成長を果たして行くことで、次第に悪感情の克服もより容易になる。「洞察できたから悪感情が消えた」などという短絡的なものではなく、じわじわとした過程がやがて好循環となり、治癒が加速度的に現われるという形になります。



inserted by FC2 system