ColunmとEssay
2 心理障害のメカニズム
02 苦しみの機能 2003/04/05

 「苦悩」は、心理障害の結果として生み出されるものであると同時に、独特の機能を果たすことがあるようです。
 それらが組み合わさる状態は千差万別と言えますので、実際に人が抱える苦悩を安易に解釈するのは禁物です。

 あくまでひとつの例として、執筆中の小説から紹介します。
 主人公がある精神的破綻をきっかけに心理学や精神病理学を学び始めた頃、「苦しみを自分のアイデンティティのように感じていた」自分を振り返った述懐です。
 この頃の自分には、自分の対人心理の混乱への苦しみがあった。だが同時に、自らその苦しみに没入し、その苦しみを気どり陶酔するという面もあったように感じる。
 苦しみをもたらした状況がなくなっても、苦しみが何か中空な状態でひとり歩きし、他者に対しては自己を「苦しむ人間」として位置づけ続けるのだ。

 この頃だったか、あるいは大学1年の時だったろうか、確か上級生とのふとした会話のおりに、僕が「何もないよりは苦しみがあった方がいい」と言った場面を憶えている。
 そう言った時点では、苦しむことが自己の存在証明、アイデンティティであったような気がする。自分が一体何者なのかが分からない状態においても、苦しみがあることは、自分が生きているという強烈な証明を与えていた。また苦しみは、自分が何か困苦の課題に対して闘う、選ばれた人間だというような感覚を与えていたように思う。

 大学2年になり、内面の苦しみを吐露する場面を得たとき、別の側面も現れていた。
 ひとつには、他者からの期待と、それに応えられないという非難や嫌悪に対する免罪符という役割があったと思う。自分に重い期待や嫌疑がかけられる時に、自分に自信がない場合、苦しむ姿を見せることが一つの答えになることがある。問題の先伸ばしをする、弱い人間心理の一つだ。

 そしてさらに、苦しむ自分の姿に、何か自分が高貴で繊細な人間だという自己イメージを得ていたように思える。
 僕の心の中ではしばしば、人々は、この苦しみを理解し共感する「こちら側」の人間と、苦しみを理解しない、粗野で心知らずの「むこう側」の人間に2極化された。自分のような苦しむ人間は、「むこう側」の人間の世界で迫害された犠牲者なのだという感覚があった。苦しみの中にいるという自己像は、自分がむこう側の人間とは違う、純粋で繊細で高貴な人間なのだという優越感や自尊心を無意識の中で持つという機能を果たしていたと思う。

 同時に、「自分は迫害された」という苦しみの感覚は、その裏に強大な怒りを含むものでもある。怒りとは、幼児期からの来歴に関する親兄弟への怒りとか、自信を持てない自分自身に対する怒りとか、色々なものが混ざっている。
 高貴で繊細という自己像を持つ人物にとって、怒りに任せる行動などはむこう側の人間のすることであって、自分が取るべきものではない。そのため、「苦しみを見せつける」ことで相手に罪悪感を起こさせるというのが、怒りの表現方法となる。

 こうして苦しみは、自分が迫害された高貴な犠牲者だという自己像の中で、自尊心と内面の復讐への怒りを同時に満たす手段となる。

 このような心理の最大のブレークポイントは、自分が高貴な存在であるという脆い自尊心そのものだ。それは容易に崩れ、自分が犠牲者を装った自己中心的不具者という破壊的な自己嫌悪へ姿を変える。その屈辱が事実彼らを無慈悲に苦しめるのだ。その苦しみがやはり、「見せつけるべき苦しみ」を増幅させることへ収束する。
 リストカットとか自殺企図を繰り返すとかの自傷傾向は、こうした心理で説明できる部分が非常に大きい。この隠された怒りと、あともうひとつ、自己不全感に悩む彼らが持つ基本的欲求として、「自己を何かにゆだねる」つまり何か大きな感情や感覚の中に自己を忘却することへの欲求が加わり、自傷衝動が極めて大きな誘因となって現れるという。

 こうした人物に、「本当は苦しくないのでは」と指摘することで理性的な自己転換を促すことは、逆効果であることが大抵だ。そのような指摘は、自分が作為的だという屈辱感になり苦しみを増す。その屈辱を与えた相手がむこう側の人間であれば、苦しみを見せつけようとする欲求は決定的なものとなる。最終的には自分の死が復讐の手段となる。

 これらはカレン・ホーナイの精神分析に基づいて考察したものだ。
 僕自身は自傷傾向に陥ることはなかったが、それが説明する心のメカニズムというのは、心の流れとして吟味して十分納得できるものだと思う。

 ただしホーナイ自身も指摘しているように、その心理自体は理解したところで問題が解消されるものではない。
 それはその人が苦しんでいる心の過程の中で、苦しみの部分が自己循環的に増幅する姿があり、その自己循環の部分が目を引いた、比較的枝葉のものだ。

 本当の問題はもっと奥にある。
 何か演技されたような、中空状態のように見える苦しみの底に、本当の苦しみが置き去りにされている。

 心の旅に出た僕は、自分の苦しみを何か知的な問題のように頭の中でころがしていた。
 その奥で自分がどれだけ本当に深く苦しんでいるのかを知るのは、もう少し後のことだった。

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