ColunmとEssay
3 感情とは何か
01 悲しみの原型 2003/03/23

漠然とした悲しみ、押し込められたような抑うつ感、そして空虚感。
歪んだ人格構造モデル」で、この3つを心理障害における基本感情として説明しました。

なぜこれが基本感情になるのかというと、それは人格構造の歪みによる阻害を真の自己が知覚した反応であり、むしろ正常反応と言えるからです。
その中でも「漠然とした悲しみ」は、その人が人間として何かを本当には求めていることを示す糸口であり、「探すべき自己」があることを示すものと言えます。

これを病気と考えて薬で抑えようとする考えには賛成できません。

さて、この漠然とした悲しみには、ひとつの原型というものがあるように感じます。
今小説を執筆しているのですが、それについて書いた部分をちょっと抜粋します。
主人公が自分の過去について友人に語っているものです。
 ..「不完全な」恋愛至上主義感覚とのつながりのある話だが、中学の頃は、妹の持っていた少女マンガを良く読んだ。
 少年マンガの方にはほとんど関心を持てなかったが、その頃の少女マンガには僕の心の中に深く触れるものが多かった。小学校時代に心に触れ読み耽ったのが少年少女文学で、中学生時代では少女マンガだったという感じだ。
 少女マンガと言っても、大きな目の中にお星さま、王子様に出会ってハッピーエンド、なんて単純なやつじゃないよ(笑)。

 この頃の少女マンガには、今となっては文学と並び賞されるような評価の高い作品が多いんだよ。何かひとつ挙げるとしたら、やはり萩尾望都の「ポーの一族」だな。作者の萩尾望都は、比較的最近の話としては菅野美穂が主演したTVドラマの「イグアナの娘」の原作者だ。
 「ポーの一族」は、時を超えて生きるバンパイヤ(吸血鬼)の一族の末裔、エドガーを主人公にした一連のシリーズ。人間界を追われたポーの一族の中で、いまやエドガーと共にいるのは女の子よりも美しい年下の少年アランただひとりだが、自分達が追われた人間界の中で、再び人々との交流の中で生きていく中で、その底流には「ポーの村」から旅立つときに失ってしまった妹への深い悲しみがずっと流れている。

 この物語が僕の心に触れるのは、(実は今そんな風にストーリーを書いていても、じ〜んとして涙があふれたよ(笑))、それが僕の心の中の(多分他にも多くの人々の)ひとつの「心の原型」なんだろうな。自分では言われなき理由で追われ、やがて自ら立ち上がることができるようになり再び自分を追った人々の世界へ戻っていく..ひとつの和解..でも大きな「失われたもの」への愛情と悲しみは決して癒えることはない..
 この悲しみは、「愛することができる」から「悲しむことができる」ということだと思えるんだよ。自分を追った人々への憎しみがある間はまだ失われたものへの悲しみも見えないままでいる。それが自分を追った人々も愛せるようになって、初めて失われたものへの本当の悲しみが見えてくる。こうした愛と悲しみとかは、もう心理分析とかの出る幕でない、人間の生きる姿そのもののように思えるんだ。

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