ColunmとEssay
3 感情とは何か
02 愛の複雑性 2003/04/02

 執筆中の小説からの抜粋です。
 主人公の精神分析が本格化し、彼の心の奥底に眠っていた愛への葛藤が表面化する始まりの所のくだり。
 愛は人間が持つ感情の中でも最も複雑なものであろう。

 愛という感情そのものが複雑な感情なのではない。それを複雑にするのは、愛というベクトルを同じくした何種類もの愛の要因があり、それが合成された結果が意識の上に現れるからだ。不安と孤独を癒す愛、自己のナルシズムとして求め発散する愛、相手を操作して自己の充足を搾取するサディズムの愛、自己嫌悪の麻酔としての愛、自己の苦しみを忘却し大きな存在に身を委ねる愛、性の欲望としての愛、弱き者を守り育てる愛、家族への、肉親への、同郷の者への愛、そして相手との時間の共有を無垢に喜ぶ愛。
 そのうちのあるものが、いやそのほぼ全てが、心理障害人格の中で特別の光を帯びるようになる。内面の空虚を補うその輝きに、彼は虜になる。彼の内面の分裂と葛藤がそのまま、彼の中に相反する愛の要素を生み出す。無意識の中で対立する愛の感情が、意識の上ではひとつのベクトルの中で合成されて現われる。愛の虜になる彼を、彼の中の別の人格が容赦なく否定しようとする。愛は冷淡と憎しみに姿を変える。彼の中の人格が統合されないかぎり、彼は愛の中で翻弄される運命にあるのだ。

 真実の愛とは異なる種から生まれた愛情を不実なものとして理性により抑圧することはたやすい。だがそれは彼の中で統合されない人格を眠るままに置くだけのことでしかない。それにより彼が得るのは、温厚な表面との引き換えに人生の真実を失い、浅薄な他人の人生を生きることだけなのだ。
 何が真実の愛なのかを知るためには、彼は身をもって心の罠が映し出した愛の不実を味わう必要があるのである。

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