ColunmとEssay
04 心理学の目で自分を見る |
2003/05/14 |
根本的な治りに至れるまでに、大きな2つの壁があることを、「はじめに」からの3つの記事でお伝えしました。
それが大まかな流れです。
で、そのような治りの過程に入るためには、やはり「心理学の目」で自分を見ることが必要と言えそうです。
これは最近他の方々の心理障害にも取り組むようになってきて、つくづく感じることです。
「心理学の目」というのは、要は自分の感情を客観的に見るということです。
感情をありありと感じながら、同時に理性知性でそれを「分析」できること。
あくまで同時にであって、別々ができてもちょっと不足するようです。
これが必要な理由は主に2つあります。
一つは、現実的な話で、心は外からは直接操作できないので、それを方向修正するためには、結局本人が自分の感情を客観的に見ることができないとどうしようもないことです。
もう一つは、自分の感情を客観的に見れないと、どうしても気持ちが楽になる方に流されるからです。根本的な治りの過程にはむしろ辛い感情に突入してじっと耐える場面が必要です。
感情に流されずに自分の生きる姿勢を調整するための客観的な目が必要になるのです。
いつもこのように自分を離れた目で見るのが目標なのではありません。
あくまで病んだ感情を克服する過程で必要ということです。
それが消えて健康な感情が湧きあがって来たときは、逆に、感情を思いっきり開放して身を任せることが、何の動揺もない安定した心でできるようになります。
「心理学」と言っても別に大学の教科書は必要ありません。
要は、次のようなことを、感情を感じながら同時に考えられればいいと思います。
1)この感情はなぜおきているのか。
答えはすぐ出なくてもかまいません。心理障害においては実際原因は複雑です。
2)この感情が起きるきっかけになったのはどんな出来事か。
まあ、感情が起きた時の状況を思い出せれば十分です。
3)この感情は自分にとって利にかなうものか。
この辺で「人生の勉強」というものが必要になります。
単純な例では、どこかへ急ごうとしているときに、人が邪魔になって、いらいらして、相手にどなり散らして、喧嘩になる、というような出来事が考えられます。
このとき、喧嘩をしているとますます時間が遅れるので、そんなことをしていられないはずです。
つまり、ある感情が起きているときには、その感情の前にあった、もっと重要な感情があると思います。
この場合は、相手への怒りの前に、時間に間に合うように着きたいという気持ち。
そんな時に、「ちょっと待てよ」と、今の自分の心の中にあるいくつもの感情を確認する。
重要な方を残して、意味のない枝葉の感情は捨てるよう心がける。
要は、感情に流されていく前に、「ちょっと待てよ」と一呼吸おいて考えるクッションです。
このサイトで説明する健康な心への回帰方法は、基本的にこの姿勢が必要です。
日頃、このような一呼吸が自分はできているだろうかと、ぜひ一度確認してみて下さい。