ColunmとEssay
01 自殺するほど苦しい人へ |
2003/05/10 |
自己嫌悪と絶望、空虚と混乱、身を削るような寂しさと辛さから、自殺を願う方が沢山います。
もう終わりにさせて欲しい。。
その悲痛な言葉は、私自身が一度その経験を持つだけに、胸の痛みを覚えさせます。
もう終わりにしてあげることが、彼彼女にとっては本当に幸せなことなのかも知れない。。
ふっとそんな思いが浮かびさえしました。
人間を引き込む、魔の暗闇の入り口がそこにあるのでしょう。
でも、この苦しみから逃れるもうひとつの入り口が、案外単純な所にあるような気がします。
シーソーの中心の小さなところに加える力がちょっと変わっただけで、パタンと落ちる先は全く違った世界になってしまうのです。
実際のところ、「死」を解決策だと思った瞬間に、世界は一瞬にして暗雲に覆われ荒れてくるように思います。
まず死に至る過程への恐怖と不安が加わります。
そして、皆さんご存知のように死ぬことは容易なことではなく、解決策が実現しないフラストレーションが起きてくるからです。うまく行かないと社会的に咎められるハメにもなり、関係者とのあつれきが心労に拍車をかけ、苦しみはさらに高まります。
万一自殺の後遺症が出たとしたら、まさに泣きっ面に蜂どころでない苦しみ。。
自殺もうまくできない苦しみの解決手段が「死」であると。。。。
終わることのない苦しみの雪だるまが猛スピードで坂を転げ落ちていきます。
どうせ大変なんなら、「死」を解決策と思うのはやめて、生きて健康になることを解決策と思うのはいかがでしょうか。
そう思った瞬間、実は解決策に一歩踏み出したことになります。
なぜなら生きているのですから。
そして健康になるという目標は、実に理にかなったことです。
もちろんこれでことが終わりでなく、これからが始まりです。
そう考えるのができない人は、まず何でそう考えるのができないのか、から始めましょう。
きっと、「自分はもう治らない」という絶望感があるでしょう。
絶望感は、自分がバラバラでまっとうな一人の人間になれないという感覚から生じます。
それは不安を背景にした心の葛藤があるからです。
不安の底には自己嫌悪の破壊性があります。
エトセトラ。
エトセトラ。
絶望感があると、そんな細かいことを見る目も覆われてしまうのです。
でも、全部、ちゃんとした原因があり、ひとつひとつの原因を解決していけばいいのです。
一挙に健康になった自分などという現実離れした空想は脇において、
じっくり、ひとつひとつ、治していきましょう。