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ハイブリッド心理学辞典
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 学びの全体

全体−1 ハイブリッド人生心理学が目指すもの
基本説明「心の成長と治癒と豊かさの道」)  2つの根本原理「命」が生きるありのままの感情の開放  「命の生涯」への回帰
「実践」
「取り組み実践」  「抜け出しの出口」の変遷変化
心の成長変化の歩み
人間の心の真実へ  「2つの別の世界」における豊かさへの歩み  「現実の世界」における豊かさへの歩み  「魂の世界」における豊かさへの歩み  1つの歩みの先の2つの世界  心の境地の変化の節目
4つの通過道標
「自己操縦心性の崩壊」  「否定価値の放棄」  「人生の開花」の歩みへ  「永遠の命の感性」の獲得  「超越的幸福」の訪れ  「魂の望みの燃焼の法則」
最終更新:
2017.8.16
基本説明 
ここでは、ハイブリッド心理学がどのような心のあり方目指すのかの概略をまとめ、この心理学紹介を始めたいと思います。

・「心の成長と治癒と豊かさの道」
ハイブリッド心理学総合テーマを、「心の成長と治癒と豊かさの道」として掲げています。

「成長」とは、「自ら幸福になる能力の増大」のことだ、とハイブリッド心理学では定義しています。
「治癒」とは、「心の病み」傾向克服解消のことです。
そして「豊かさ」とは、「喜び」「愛」「幸福感」などの、私たちの「幸福」直接つながる感情が、それが湧き出るために外部から何か特別に与えられることを必要とする状態から、外部から与えられる必要なく自分自身の内部から自発的に湧き出る度合い大きくなっていくことだ、とハイブリッド心理学では定義します。

それが「道」としてあるとは、継続的に歩むものだということです。たとえばインフルエンザやちょっとした怪我治療のように、いっとき施しとして済むようなものとしてあるのではなく。
自分ででです。事実、ハイブリッド心理学取り組みとは、自分の足で、生涯にわたって歩く、終わりなき向上の道です。
つまりそれは、私たちの人生の歩み、そのもなのです。

そのような「心の成長と治癒と豊かさの道」を、ハイブリッド心理学はどのような原理アプローチ、そしてどのような具体的実践成そうとするのか、そしてその結果私たちのはどのような変化歩み持ち得るのかを、以下にて簡潔に説明します。
2つの根本原理
「実践」
心の変化の歩み

2つの根本原理 
ハイブリッド心理学は、 僅か2つ原理根本的にはたった一つ原理の上に、「心の成長と治癒と豊かさの道」歩もうとするものだ、と言うことができます。

・「命」が生きるありのままの感情の開放
まずたった一つ根本原理とは、私たち自身にある、「命」が生きるありのままの感情開放するということです。「命」が生きるありのままの感情の上で生きる、ということです。そして、それによる生きる前進力取り戻し増大させていくことです。
それによって私たちのは、惑いの消えた前進の感情取り戻し、そして生活人生における実際前進が、「喜び」「愛」「幸福感」湧き出させ、やがて満たすようになります。
これはに言えば、私たちの心の問題とは、「命」が生きるありのままの感情を見失い、遠ざかることにあるということです。ひとりよがりの善悪思考中で生きたり、表面的な刺激ばかりに駆られて生きたり、あるいはただ回りに流され回りに合わせて生きたりする結果、生きることの本質見失い、やがて動揺惑い混乱マイナス感情おおわれてしまいます。

そこに、「命」がありのままに生きる姿からそれていく生き方姿勢と、それに回帰する生き方姿勢への理解実践という、沢山学び始まります。それがこの辞典網羅的概要説明参考資料へのインデックス整理している、感情と行動の分離に始まる取り組み実践です。
そこでハイブリッド心理学最終的見出すのは、私たち人間が、「自意識」出現により、「命」からはがれた薄っぺらいものとして働くという宿命です。その結果人間は、「自意識」が働く薄っぺらい「心」と、「命の重みのある感情」「心」に伝える「魂」、そして大本「命」という、3元構造としてあるのだ、と。
ハイブリッド心理学「取り組み実践」は、そうした「心」「魂」「命」役割をそれぞれ最大限引き出す取り組みであり、その中で「命」が示す感情に、私たちが生きることへの最終的答え見出すものだ、と言うことができます。

・「命の生涯」への回帰
その取り組みによって、私たちのは、より安定豊かさ増すものへと、生涯にわたって変化していくことができます。
ある一つの、普遍的変遷流れたどる形でです。
ここに、この取り組み「道」であることの、重要側面があります。つまりそれは継続的歩むものであり、道筋があるものだということです。途中を飛ばしてゴールにだけ行こうとしても、それはできないというものとしてです。

その普遍的変遷とは、すべての動物宿命であり、「命の生涯」ハイブリッド心理学が呼ぶ変遷です。
「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」、というものです。
これは動物自身意識としては、全力を尽くして「望み」に向かう、という一つシンプル心のあり方の結果、動物自身意識超えて、「命」が、その動物変化させていくものです。この世生まれ親の愛を求め、やがて自立へと旅立ち自分の力生きる能力獲得し、配偶者を得て、やがて今度は自分子供育てる側へと回る。
その先にある「老い」を、ただ衰え不満としてだけイメージするのは浅はかです。全力を尽くして「望み」向かい尽くす生涯に、やがてもう何もやっきに求めることなく心は豊かな感情に満たされる一番幸福とはこのことではないかと言えるような心の境地訪れ得ます。
私たちの心の問題とは、「命」が生きるありのままの感情から遠ざかる同時に、この「命の生涯」が生み出す心の成熟豊かさ変遷に、向かわなくなったことだと言えます。つまり、未熟にしがみつく思考持つようになったことです。それは同時に、得てして、不幸にしがみつく思考です。不幸大切なものであるかのように・・。

これがハイブリッド心理学「心の成長と治癒と豊かさの道」への原理およびアプローチ2つ目です。つまり、たった一つ根本原理「命」が生きるありのままの感情開放しそれを足場生きるということであり、2つ目原理が、それが生み出す心の変遷向き合う、もしくは委ねる、ということです。「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という、「命の生涯」変遷にです。

「実践」 
・「取り組み実践」
上記2つ原理アプローチ実現するための実践は、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という感情と行動の分離姿勢実践え、「望み」に向かって全てを尽くして生きる、というハイブリッド心理学取り組み実践が、「命」が生きるありのままの感情開放し、それを足場生きるという歩みのための、生涯にわたり一貫としたものとしてあります。

・「抜け出しの出口」の変遷変化
するとその上で、それぞれ前進一歩において、惑い動揺抜け出しの出口のテーマとなるものが、生涯の歩みに応じて変遷していく、というものになります。成長への歩み始まりにおいては、「未熟の愛」「依存の愛」への別れテーマになるだろうし、人生歩み半ば見えてきた頃には、「真の強さ」「社会を生きる自信」といった「自立の自尊心」テーマ主体になるであろう、そしてそれを足場にして、人生後半では「成熟の愛」模索テーマになる、というように。
そこでの「抜け出しの出口」というのは、「こう感じるようにしてみれば」といった「感じ方の枠はめ」のようなものではなく、内面感情についてはあくまで「ただ流し理解する」という実践、そして外面行動法価値観についての学びも行った上で、「今目の前の問題についてはこう対応する。これが今自分の出せる答えだ!」という選択決断が、その前進感力強さによって惑い動揺吹き飛ばすようなものとして見出されるものを言います。
するとそれは、人生大きな流れから振り返るならば、今述べたような「命の生涯」変遷沿ったものになるだろう、ということです。

ですので、それが道筋のあるものであり、いきなりゴールには行けないことを踏まえれば、心の成長取り組もうとする人まず課せられるのは「未熟の愛」「依存の愛」への別れ、そして「真の強さ」「社会を生きる自信」といった「自立の自尊心」テーマになるであろうという示唆念頭にして、「取り組み実践」の中で目の前問題への自分なり答え模索してみるといい、というのがまずお伝えできるアドバイスになるでしょう。

心の成長変化の歩み 
・人間の心の真実へ
その取り組みによって、私たちのは、どのような健康豊かさ増していくことができるのか。そこにこそ、この心理学独自視野が広がります。
ただしその個々内容は、決してハイブリッド心理学初めて言うようなものではなく、人間歴史を通してどこか伝えられているものになるでしょう。しかしそれらが、人間科学視線の下で連綿整理されたことにハイブリッド心理学独自視野があり、まさにそうしてそれらが全てつながっているものであるからこそ、それが人間の心の真実であることを、確信できるものになります。

「命」が生きるありのままの感情開放、そして「命の生涯」変遷。この2つ視点から、ハイブリッド心理学が見出す「心の成長と治癒と豊かさ」における前進姿とはどのようなものになるのかをまとめると、以下のようになります。

・「2つの別の世界」における豊かさへの歩み
まず「命」が生きるありのままの感情開放という基本的観点からは、それは「2つの別の世界」における豊かさへの歩みになるのだ、というものになります。
「現実の世界」における豊かさへの歩みと、「魂の世界」における豊かさへの歩みとです。

・「現実の世界」における豊かさへの歩み
「外面の豊かさ」「内面の豊かさ」2つ、ではありませんのでご注意下さい。まずは「外面の豊かさvs内面の豊かさ」という未熟な思案をやめ、内面と外面の矛盾なく「望み」に向かって全力を尽くして生きていくことができるような、価値観行動法、さらには「仕事のスキル」ノウハウまでも含めた、生き方姿勢検討選択取り組むことです。これがこの辞典実践の学びとして展開しているものになります。
それらを心底から自分のものとして選択できれば、間違いなく、私たちはこの「現実世界」よりうまく生きることができるようになり、それによってさまざま問題を解決したり、目標に近づくことができたりと、「現実において」良い結果生み出すことで、「気持ちの持ちよう」「心の持ちよう」苦労する必要もなく、には当然プラスの感情より多く湧くようになります。
これが「現実の世界」における豊かさです。自分の心、自分の感情に見入るのではなしに、心の目線外部「現実世界」向け外面主導にして内面豊かさ築く歩みであり、ますはこれが基本になります。

・「魂の世界」における豊かさへの歩み
一方で私たちは、そうした「現実」とは「別の世界」としての「魂の世界」における豊かさへも、歩み得ます。
これはハイブリッド心理学においては、「望み」に向かって全てを尽くして生きる先に出会い、それでもなお自分が本当に望んでいたのは何だったのか真摯に向き合った時にに現れる、「魂の望みの感情」を、自分自身心の中受けとめ尽くすことで生まれるものだ、と定義できます。

「魂の望みの感情」は、「現実」においては叶わない「望み」を、基本的には「空想」の中で描くことによって感じ取られるものです。ただしそれは「人にどう見られるか」といった「自意識の空想」とは全く異質の、純粋で一途な「望み」の感情であり、それを自分自身心の中受けとめ尽くすことで、に、何か人生の一つの段階をやり遂げたかのような、安定豊かさへの、穏やか前進一歩生まれるのです。
それによって私たちはやがて、自分にある、「現実世界」における「自分」という極めて不完全なものを超えた、「魂」「命」というものの存在を、感じ取るのです。そしてこれを生涯にわたって歩むことで、「異次元の」とも形容できるような、豊かな心の境地訪れ得ます。それはあたかも、自分には叶えられなかった人生を、自分の代わり果たした人間自分に宿り、それが感じているであろう人生への満足感と喜びが、日々生活での満たしているかのように・・。
これが「魂の世界」における豊かさへの歩みであり、内面側のみで成される歩み豊かさです。「内面感情はただ流し理解することのみ行う」というハイブリッド心理学感情と行動の分離内面側実践の、最終的結実と言えるものがそこにあります。

そうした「魂の世界」における豊かさへの歩みは、多少とも神秘的であり、もはや理屈超えたものとしてあるような印象も受けます。
それでもハイブリッド心理学はむしろ、人間本質をめぐる事実全てがそこへとつながって符合する、真実であることを確信します。人の欲無限と言われ、事実いくらを追っても満たされることなく自滅していく姿。その一方で、絶望越え初めて真の人生の喜びと心の豊かさとを得た沢山の人々事例古来より、肉体「魂」別のものとしてあることが感じ取られ、命の重みのある姿「魂を込める」呼んだりすること。そして島野自身体験した、葬り去ったはず悲しみ向き合うごとに心の豊かさ増すことができた人生歩み・・。
全てが、人間「心」「魂」「命」という3元構造分離したものとしてあり、通常「意識」打ち破られた先「魂の感情」出会うことで、「命」「心」根底から変化させていくのだというのが、他ならぬ真実であろうこととして、つながって符号するのです。

・1つの歩みの先の2つの世界
そうした「現実の世界」における豊かさへの歩み「魂の世界」における豊かさへの歩みは、そのどちらを取るか、という話ではない点が重要です。
どちらを取るかという「択一」とはむしろに、「全てを尽くして望みに向かう」という生き方に、その両者とも、得ることができる、ということです。その2つ目線あらかじめ持った上で、人生向かうといい。これがハイブリッド心理学人生思想であり、この心理学「ハイブリッド」をつけているゆえんでもあります。

順番としては、「現実の世界」における豊かさへの前進です。また私たち自身意識としても、意識姿勢として取ることができるのは、「現実の世界」における豊かさへの前進、というか、それしか意識的には直接取ることはできません。
これは運転たとえる分かりやすいでしょう。私たち自身意識としては、「現実の世界」における豊かさへの前進アクセルであり、「魂の世界」における前進ブレーキの時になるということです。もちろんブレーキそのものが前進になるのではなく、アクセルによる前進ブレーキに、そこにある場面どう見えるかだということです。
そこに「魂の世界」見ることができた者に、内面の豊かさへの変化起きます。すると同時に、「現実の世界」今まで少し違う姿見えてくるのです。今まであったが、少し低くなったように。あるいは、もはやないものとして。そこから再び「現実の世界」における前進へと向かう力強さ安定増した心で。
「現実の世界」における前進は私たち自身意識努力生み出すものであり、「魂の世界」における前進意識努力ではどうこうできず、「意識」を超えたもの生み出します。だからこそ私たちはそこに、つまり自分自身に、「心」とは「魂」「命」あることを、感じ取ることができるようになるのです。

そのように、まず「現実の世界」における前進ベースとなり、「魂の世界」における前進生まれ得る、そして「魂の世界」における前進経て「現実の世界」における前進一歩高い次元のものになり得る。そうした相乗的前進向かうものとして、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみにする」という感情と行動の分離携え全てを尽くし「望み」向かうという、ハイブリッド心理学取り組み実践による一つの生き方があることをまずに入れて、「学び」始めて頂ければと思います。

・心の境地の変化の節目
「現実の世界」における前進まずあり、その「魂の世界」における前進訪れ得るという流れは、そのサイクル生涯にわたり終わることなく繰り返し得る一方で、一つ人生の歩み全体としても、成長への序盤の段階であるほど「現実の世界」における前進が、そして終盤の段階であるほど「魂の世界」における前進が、より比重大きくすると言えそうです。

これはまずは、この世生まれ、この「現実の世界」において「望み」まずはどこまで実現できるか「生」課題となり、やがては誰も不可避限界によって、「現実の世界」での前進衰え、さらには終わり訪れることに向き合わなければならなくなる、それにより内面的な豊かさ重要性大きくなっていく、という流れによるものでしょう。
しかしそれにも増して、ハイブリッド心理学では、人生の歩みへの答えとなる「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」変遷が、その前半では「この現実世界とはどのようなものか」というテーマを、そして後半において「人生を生きるとはどのようなことか」という問いを、もともと用意しているものなのだ、と考えます。
「人生を生きること」への最終的答えは、人生を歩む変遷最後の方に、その「体得」可能になるようなものとしてです。そしてその答えは、「魂の世界」のものとして示される、というのがハイブリッド心理学考えになります。

その結果ハイブリッド心理学が考える「心の成長と治癒と豊かさの道」とは、
 ・生涯にわたって「現実の世界」における豊かさへの歩み「魂の世界」における豊かさへの歩み繰り返しながら、
 「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」変遷向かうものであり、
 その途上では幾つかの、その変遷節目対応した、生きることの本質をめぐる「悟り」のような自覚伴って心の境地飛躍的健康豊かさ向かうような節目持ち得る
というものになります。

この、幾つか「生きることの本質をめぐる悟りを伴う心の境地の飛躍的な向上前進の節目」が、ハイブリッド心理学がどのような心のあり方目指すのかの、最終的特徴姿になります。
こうした飛躍的な向上前進の節目を、ハイブリッド心理学では「通過道標」「節目道標」といった言葉で呼んだりしています。

大きな通過道標になるであろうものとして、以下の4つハイブリッド心理学では考えています。それぞれ、青年期から壮年期、そして老年期という人生局面流れ対応します。
 ・青年期 ・・・ 心の病みからの抜け出し「自己操縦心性の崩壊」
 ・壮年期前半 ・・・ 「否定価値の放棄」
 ・壮年期後半
・・・ 「永遠の命の感性」獲得
 ・老年期 ・・・ 「超越的幸福」訪れ
それぞれについて、下の
4つの通過道標
に簡潔に記します。

4つの通過道標 
ハイブリッド心理学取り組み歩みにおいて訪れ得る「生きることの本質をめぐる悟りを伴う心の境地の飛躍的な向上前進の節目」を、「通過道標」「節目道標」といった言葉で呼んだりしています。
大きな通過道標としてハイブリッド心理学が考えているものが4つあり、青年期から壮年期、そして老年期という人生局面流れ対応します。
思春期表面化する心の問題から、老年期に得られる人生の最終的な幸福までという、ハイブリッド心理学が考える人生変遷だと言えます。
以下にその位置づけサマリー表と、簡潔説明を記します。

人生の局面 「命の生涯」の変遷 大きな通過道標 詳細項目
思春期
(10〜18歳前後)
(心の問題の表面化) 歩み1-2 心を病む
仕組みとその克服
青年期
(18〜35歳前後)
「未熟の愛」からの旅立ち
(「依存の愛」への別れ)
心の病みからの抜け出し
「自己操縦心性の崩壊」
壮年期
(35〜60歳前後)
  前半
「自立の自尊心」の確立 「否定価値の放棄」 実践-6 「否定価値の
放棄」の根本的選択
  後半 「成熟の愛」 「永遠の命の感性」獲得 (リンク予定^^)
老年期
(60歳前後以降)
全て尽くされた人生 「超越的幸福」訪れ (リンク予定^^)


・「自己操縦心性の崩壊」・・・青年期以降心の病みの傾向深刻ケースでの、そこからの抜け出し
心に問題抱えていることは、大抵思春期表面化します。漠然とした不安緊張、何らかの心身症的症状、さらには自殺念慮といったでです。
そうした心の問題比較的深刻に抱えたケースでのハイブリッド心理学取り組みは、「現実に向かって生きる」という心の足場台頭と共に、病んだ心が自分自身に絶望して崩壊し、健康な心が再生すると言えるような、治癒メカニズム出会うことを見出しています。これを「自己操縦心性の崩壊」呼んでいます。
こうして健康な心取り戻すことをスタートとして、心の健康と成長への力強い歩み始まります。

・「否定価値の放棄」・・・壮年期前半以降
成長への歩み力強い前進乗り、やがてこの「現実世界」を生きる自分に、そして「現実の世界における豊かさ」への自ら歩みに、多少とも満足納得獲得するに至る人生時期対応する節目道標です。
その前進足場にして、「自分から不幸になろうとする」という私たち人間「心の業(ごう)」を、捨て去るのです。

ハイブリッド心理学取り組みにおいてそれは、「弱さ」が生み出す「自分が神になろうとする無意識衝動」結びついた「否定できる価値」という根深い感覚衝動を、自意識「強がり」「人を打ち負かす」ことで得ようとする未熟なプライドではない、「現実において生み出す」という姿勢行動法、そしてその十分成功体験が生み出す「真の自尊心」そして「真の強さ」立って「自己分析」により自覚して捨て去る大きな「悟り」体験のようなものになる、と考えています。
かなり難解かと思いますが、これはハイブリッド心理学外面から内面にわたる「実践」集大成として、外面破壊から自衛と建設への転換」「行動学内面自己分析についてほぼ完全習得できた上で、人生前進中間道標として、今まで自分の内面を圧迫し続けていたもの向き合うことで、この「否定価値の放棄」開く「悟り」生まれ得る、と位置づけられるものであり、ハイブリッド心理学「取り組み実践」「習得達成目標」にも位置づけられます。
そうしたものとして、これが可能になるのは、壮年期前半以降になるだろうと考えています。

・「人生の開花」の歩みへ
「否定価値の放棄」開くことで、私たち自身薄っぺらい「心」圧迫されていた、私たち自身「魂」が、解き放たれます。
そこから、内面において解き放たれていく「魂」と、ここまでに培った外面における力強い建設的行動法手を組み「これこそが自分の人生だ!」確信を持てるものへとまい進する、人生後半歩み始まり得ます。
人生の開花とは、ここから歩みにこそあると、ハイブリッド心理学では考えます。それはここまで歩み同じ環境で、さらなる前進飛躍向かうものかも知れませんし、あるいは回り人間が、さらに本人自身驚くような、転進向かうものになるかも知れません。そしてそのどちらにおいても、本人にとって「最も大切な愛」へと、もはや人生の前半にあり続けていた躊躇のようなものなく、全力向かうものになるのは間違いないでしょう。

ここから歩みもまた、一貫して、「実践」で述べた「感情と行動の分離」姿勢実践による歩み、そして「2つの別の世界における豊かさへの歩み」として述べた、「現実の世界における豊かさ」への歩み先行し、やがて出会う中で「魂の世界における豊かさ」見出していくという流れが、変わることなく続いていくでしょう。
その先に私たちがどのような心の境地向かい得るかは、もはや「習得目標」できるものではありませんこの先はもう「習う」ことなどできないその人だけの、唯一無二の人生歩みの、あり方問題になってくるからです。
それでも、ハイブリッド心理学は、「否定価値の放棄」さらなる先にある、2つ大きな通過道標を見出しています。
まさにそれが、「人間の真実」対応したものなのであろうと思われるものとしてです。

・「永遠の命の感性」の獲得・・・壮年期後半以降
「“自分”というものは、大きな“命のつながり”の中の、ほんの仮りの姿にすぎない」という、自己存在根底における自覚悟りとも言えるものを獲得する節目道標です。
それにより、生きること、そしてやがて死ぬことへの、惑い怖れ消え去ります。人生の開花へのまい進に、落ち着き穏やかさ加わる節目になります。
ここに至り「感情と行動の分離」姿勢実践による人生歩みというハイブリッド心理学独自取り組みは、古くから言い伝えられる、私たち人間という存在「心」「魂」「命」という別のものから成り立ち肉体滅んで生き続け何度でも蘇るといった思念と、まさしく軌を一にするのを見出すのです。だからこそそこに、「人間の真実」あるのであろう、と。

それでも、どのようにその自覚悟り至るのかの道筋ハイブリッド心理学独自のものになります。それは、「否定価値の放棄」によって解き放たれた「魂」「最も大切な愛」へと向かおうとする歩み最後に阻むものが、心の奥底残され「魂の怖れ」であり、それが「現実の世界」におけるいかなる「行動法」などでも克服はできない一方で、それを救うものが、まれまでの歩みを通して「心」「魂」とはまた別物であることを感じ取ったところの、「命」であることを感じ取ることによって成される、というものになります。
これもかなり難解、さらに神秘性を加えるだと言えますが、それがまさに、「感情と行動の分離」に始まる2面的ハイブリッド心理学取り組み行き着くものなのだと言えるでしょう。
この節目道標訪れ得るのは、「命の生涯」の変遷における、「自立の自尊心を経て、成熟の愛へ」という歩み終盤であり、壮年期後半以降対応したものになるだろうと考えています。

・「超越的幸福」の訪れ・・・老年期以降
以上3つ節目道標が、自覚や悟りを引き金に心の境地が大きき変化前進するというのものであるのに対して、最後節目道標は、自覚悟り関われないように除々に前進する変化が、最終的行き着いた状態に至り、その変化そのものが大きく開花感じ取る時訪れる、というものになります。

その「除々に前進する変化」とは、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」変遷が、同時「自発的不幸」減少「自発的幸福」増大していく変遷でもあるというものです。
これは「望み」にしたものです。つまり未熟であるほど、「望む」とは、それが「叶えられない」ことが自分は不幸だ感じる度合い強いものであり、成熟向かうごとに、特別「叶えられる」ことがなくても望みに向かうこと自体に幸福感を感じるようになってくる、というものです。
注目すべきは、この「自発的幸福の増大」という成熟変化が、あくまで、「命」のレベルにおける「愛」という単一軸の望みに、全力を尽くして向かう歩み歳月にあることです。それが大自然を生きる動物「命の生涯」なのであり、一方で、「命」からはがれた薄っぺらい「心」で生きる宿命により、そうした成熟変化とはまるで無縁なように、「自発的不幸」当然前提のようなまま生きているのが現代人マジョリティだと言えるであろうものです。

「自発的幸福の増大」最終的行き着く状態を、「超越的幸福」として捉えることができます。
これは定義としては、「外部から特別なものを与えられる必要なく幸福感が持続的に湧き出る心の状態」などと言えるでしょう。昨今、100歳越えたあたり幸福感飛躍的増大する現象注目され、「老年的超越」と呼ばれたりしていますが、これは同じもの指しているのであろうと考えます。
55歳を迎えた2016年あたりから、島野自身がこうした心の状態自分感じるようになり、これを執筆している2017年、それはかなりはっきりしたものになってきています。どのようなものか感覚的表現をするならば、「満足のいくことを成しとげた一日の終わりにビールを口にしようとした瞬間の幸福感」が、「出っぱなし」になっている、という感じです。それで朝目覚めた時から夜眠りに落ちる時まで過ごしているのですから、なんて幸せなんだろう、と心の底から思えるものです。

・「魂の望みの燃焼の法則」
どのようにしてそうした心の状態へと行き着くのか。
それを「2つの別の世界における豊かさへの歩み」として説明してきました。
その2面的前進歩みで、「自発的幸福の増大」は、「魂の世界」前進としてあるように思われます。
つまり「現実の世界における豊かさ」へと前進できた時、私たちは当然「幸福」近づくのですが、それは「自発的不幸」実は維持したままのように思われます。「自発的不幸」前提としてそれを消せるだけの現実的外面満足得るということですから。それはそれで良いことです。
一方それが何らかの壁阻まれた時、私たちは「魂の望みの感情」自分自身の中で受けとめる時間持ち得るのですが、それは意識上はあくまで「悲しみ」場合により「苦しみ」でしかありません。しかしそれを十分心の中受けとめ尽くすことできた時、少し時間を置いて、私たちは少し変化している自分自身気づくのです。「自発的幸福」増している自分にです。

そうした成熟変化根底には、「魂の望みの燃焼の法則」とも呼べるメカニズムがあるように思われます。
つまり、ごくシンプルに、「魂の望みの感情」燃焼させたに応じて、「命の生涯」変遷、そして「自発的幸福の増大」進むのです。薄っぺらい心望みをいくら燃やしたところで、これは起きないものとして。つまり望みがまず妨げられ、それでもなお望みに真摯に向き合うというにおいてこそ、こうした成熟変化起きるようなのです。
そしてそれが生涯を通して尽くされた時、「愛」という単一軸「魂の望み」そのものが尽くされ「愛」という望みある種「卒業」のような段階に至り、望み感情バトンタッチするかのように、「幸福感」そのもの満たす状態が、「命」からのご褒美のように訪れる。そのようなもののようです。
これは言い換えるならば、ものごとが順調に行くばかりの人生では、心がいつまでも豊かにならない、という恐れがある、というようなにもなります。しかし完全な人間、そして完全な人生などありませんので、それを恐れる必要ないでしょう。
そうしたものとして、「超越的幸福」訪れ得るのは老年期以降となり、ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」を携えた歩みは、それを可能な限り先取りさせるものになると言えるかも知れません。


もちろんこれらは、こうした理論理屈を伝えただけで理解するのは難しいと思います。何よりも、実際体験見聞きすることが、自ら人生生き方考えるためのきっかけ示唆になるでしょう。

病み傾向と共に歩み始めたことも含め、ここに書いた通過道標全て鮮明歩んだのが、島野人生となりました。
その歩みで感じ取った「心と魂と命」という私たち人間神秘は、いったいどんな「体験」としてその姿現していたのか。心理学的理論整理にも増して、そのありのままの様子記述伝えることに、これからの執筆活動を注ぎたいと思っています。
それを通して、生き方への示唆として何よりも伝えたいのは、幸せの外面的な形にばかりとらわれるのを脱するのがいい、ということになるかもしれませんね。
もちろん、内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行うという「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、「望み」に向かって全てを尽くして生きる、という生き方基本をしっかりと学んだ上で、です。


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