成長段階
-問題テーマ- |
心理要素 |
説明 |
克服への
視点 |
幼少期
-「心の闇」の
埋め込み- |
「幼少期の周囲(主に家族)との間での否定的体験によって、脳に染みつくかのように蓄積したマイナス感情の塊」を、ハイブリッド心理学では広く「心の闇」と呼んでいます。主に以下2つの側面があります。 |
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・「根源的
自己否定感情」 |
自分がこの世に生まれ出るにあたって否定拒絶された存在だという、漠然として深い自己否定感情。漠然とし強い不安恐怖・不信と怒り・失意悲しみなどを伴います。
「自他未分離の渾然意識」の中で生まれたものであることに対応し、なぜそれが始まり、どう克服できるものかが見えない、その分心に深く広範囲な影を落とすものになることが考えられます。その始まりの原因の一面は実は外部の出来事ではなく「心と魂の分離」そのものだったのかも知れません。 |
心の
成長成熟
の全体 |
・「感情の膿」 |
幼少期における否定的体験の際、幼い心でそのまま感じ取るのはあまりに惨く、精神破綻をまねく恐れのあるような破壊的色合いの感情の部分は、防衛メカニズムにより意識から切り離される代わりに、まるで脳内に潜む毒素の膿のように蓄積し残る、というメカニズムが考えられます。思春期以降にそれが「破滅が迫る」という焦りとストレス、そして日常的に流れる重苦しい感情の源になる、と。
ハイブリッド心理学では、この「感情の膿」が「病み」の要素を決定づけるものになると考えています。ただしそれは単独に切り離して考えることはできず、以下に展開する心理過程全体との一体の中で作用するものになります。 |
「感情の
膿の放出」
の治癒 |
学童期
-歪んでいく
感性- |
「学童期」は、幼少期に始まった心の問題が思春期に表面化するまでの、いわば潜伏待機期間であるような印象も受けます。しかし表面ではあまり目立たないまま、病んだ心の中で動揺する感情の方向性は、学童期から形づくられていくとハイブリッド心理学では考えています。そのため学童期は、それに対抗し得る、感情動揺や病みの傾向の克服への種となる姿勢の醸成の時期としても重要になります。 |
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・「情動の荒廃化」
の始まり |
病んだ心の基本的特徴要素である「情動の荒廃化」が、「心の闇」からの直接的連鎖として、もの心ついた時点ですでに始まっていることが考えられます。それは「望みの停止」により進行するというメカニズムであり、「何かが妨げられた」という深層感覚による、漠然とした怒りから始まるものとしてです。
情動の荒廃化は、この後の心理要素の流れの中で、雪だるま式に膨張悪化する傾向が強くなり、「度を超えた悪感情」の土壌になります。 |
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・「否定価値感性」
(「否定価値感覚」)
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「否定できることを良しとする」という感覚、感性が、学童期の段階で醸成されると考えられます。
これは心の病みの傾向の有無を超えて幅広く、私たち人間の「宿命的不合理」と言われる「心の業」の、正体だとハイブリッド心理学で考えるものであり、人が置かれた現実状況に比べて不釣合いに不幸でいるという「心の問題」全体の中で、大きな要因に位置づけるものです。
流れとしては、幼少期からのマイナス状況に応じ進行し始めている情緒の荒廃化と、人間の心の業の心理要素が結びつく、というものになるでしょう。それにより、すさんだ怒り攻撃の衝動が、ブレーキを働かせるどころかターボエンジンのように加勢を加えて自他に向けられ、情緒の荒廃化を膨張させる、大きな土壌になります。
否定価値感覚の成り立ちから克服までは、実践-6 「否定価値の放棄」の根本的選択で詳しく説明します。 |
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・「受動価値感性」 |
「受動価値感性」は、「望みの停止」が緩やかに働いて起きる感性の歪みと言えるものであり、「価値」というものを、自ら自発的に感じ取るのではなく、人が自分にどう接してきたかを受けて、つまり「人の目」を通して感じ取るという、価値の感じ取り方の歪みです。何を望むか自分では決められず人が望むなら自分も望めるという依存性、人生で目指そうとするものが、外見容姿、性格印象、地位財産など、「人の目」の中での見栄え体裁基準に傾くという人生価値の浅薄化など、私たちの心に広い影響を与えるものになります。
これは「人の目の中で生かされる」という私たち人間の「宿命的不完全性」であり、誰もがそうした面を持つと言える一方、「人の目」の空想がストレスの中で意識にまとわりつく、そして自分が「本当に望むもの」が分からなくなる、さらに自分に嘘をついて望む、といった歪みが出るにつれ、心の病みと結びつくものになってきます。心の病みではなくとも、私たちの心の未熟による惑いとそこからの抜け出しによる成熟という、人生の舞台がこれなのだと言えるでしょう。 |
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・「なるべき自分」
と自己処罰感情 |
幼い心なりに「自意識」が働くことで、やがて「なりたい自分」を描くという心の動きが出てきます。そこにこれまでの心理過程が影を投げかけ、歪みを生じさせます。根源的自己否定感情を抱えた場合、自己理想はそれを塗り消し葬り去るためのものとして、融通がきかない「なるべき自分」として自らに課せられるものになります。一方否定価値感性により、理想に満たないものを容赦なく攻撃否定する心の動きが生まれ、他人のみならず自分自身へも向けられるようになります。そこに受動価値感性も加わると、「人の目」のために別人を演じる薄氷へと心を強いるものへ陥っていきます。
やがて、病んだ心の「病状」の素になるとも言える感情のエンジンが、この人に備わります。それが「自己処罰感情」であり、血が逆流するような感覚と目まい、腹痛、頭重頭痛、吐き気、体に重石を乗せられたような倦怠感などの体調不良を伴うような自己叱責の感情です。これはまるで、この人が出生に際して「獲得」した悪感情の全てで練り上げた爆弾で自らを砲撃するかのようなものだと言えるでしょう。 |
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・「情動の荒廃化」
の進行 |
自己処罰感情は、さまざまな「断念」を引き起こしがちです。自己理想の断念、「取り下げ」や、人との関係についての断念です。
これが「望みの停止」による「情動の荒廃化」を一次元深めるものになります。「どうせ自分なんて」という断念の後いったん静まったかの心に、他人の邪魔やアラ探しをしたいなど、はっきりとすさんだ衝動が芽生えてくる形でです。これがさらにこの人の自己認識を悪くし、さらなる断念、望みの停止が起き、さらに情動の荒廃化が深まるという坂道がそこにあります。 |
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思春期
-病んだ心
の発動- |
上記の心理要素は、学童期までは「そんな面もある」程度に自他により認識されたとしても、人生を生きる困苦として感じるようなものでもなく、その連鎖展開も緩やかであるのが大抵です。
それが思春期となり、一気に連鎖展開と膨張の激しさを増すと同時に、人生を生きる困苦としての姿を示すようになります。これはまさしく、今までは結局スクールバスに乗った中でのことのようなものだったのが、これからは自分で運転して進むことを求められ、事実気づいた時にはすでにそのつたないハンドルさばきによって心もとない場所に来ている、というような状況と言えます。
これは「思春期要請」によって、まず「自信と愛の獲得」という人生課題への号砲が心の中で打ち鳴らされたことに加え、「人格統合への要請」の作用によって、今まで切り離してきた心の闇が「意識に組み込まれる」という仕組みが動くのだ、とハイブリッド心理学では考えています。同時にそこに、「病んだ心」が発動する仕組みがある、と。 |
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・「自己操縦心性」
と「外化」 |
「自己操縦心性」とは、ハイブリッド心理学が「病んだ心」のメカニズムとして考えるものであり、一言で「現実と空想の重みの逆転により、根源的自己否定感情を否定し去ろうとして動き、感情の膿の圧迫に応じて現実覚醒レベルが低下した状態で動く人格機能体」と定義できるものです。
そこでの思考と感情の内容は、上記の心理過程を受け、「こんな自分だとこう見られる」というものが中心になりますが、空想により引き起こされた感情によって操り人形のように突き動かされ、本当の自分が分からなくなってしまうというのが、「自己操縦」という呼び名を使っているゆえんです。感情の膿の圧迫が強いほど、夢の中で理不尽な感情に翻弄されているかのような意識状態になるという仕組みが考えられます。
克服にむけて理解がきわめて重要になるのが、こうした心理構造の中で起きる「外化」のメカニズムです。自分の心の内部で起きていることが外部つまり人の心の中で起きていると感じ取られるものです。他人の感情がありありと分かるかのように心に浮かぶほど、この仕組みが強くかつ病的に働いていることが考えられ、自分で疑うことができるかどうかが治癒克服への分かれ目になると思われます。 |
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・「情動の荒廃化」
の膨張 |
根源的自己否定感情を受けて始まり、断念により進行している「情動の荒廃化」は、上記「外化」によって爆発的膨張に向かう危険があります。「残忍な攻撃衝動」と「破滅感情」が自身の内部ではまず抑圧され、それが外化され、他人が自分を残忍に陥れ破滅させようとしてくるという観念の虜になり、爆発的な怒りの膨張へと向かうというメカニズムです。この「妄想」への反撃行動に出ることで、実際に破滅的事態を引き起こしかねないものになります。そうでなくとも、空想の中でエスカレートした攻撃応酬が繰り広げられ、激しい精神的疲弊を起こしがちです。 |
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