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実践の学び
実践-4
「愛」「自尊心」「人生」のための価値観と行動法
実践4-1
「価値観」の理解
道徳主義・優劣評価主義
基本説明
「道徳思考」の有害性とその克服
(
「5W1H思考」「論理的選択思考」との対比としての「道徳思考」
「道徳思考」の有害性
)
最終更新:2019.8.8
基本説明
↑
「
生き方の思想タイプ(思考法タイプ)
」
として、
「
宗教
」
の
次
のものとして説明しています。
特に
宗教
の
枠
の中ではなくても、
人間
の生き方には
何らか
の
「あるべき姿」
があり、
それに従って生きる必要
があると
感じ考えて
いる
生き方姿勢
を、
「道徳主義」
と呼びたいと思います。
自分
や
他人
の
生き方
に対して、その
「あるべき姿」
を
基準
にした、
道徳的
な
賞罰の感情
が
抱かれ
ます。
また
「あるべき姿」
が、
自分
が
目指すべき絶対的な理想
として、
人
がそれを
基準
に
優劣評価
されるものとして抱かれる
生き方姿勢
を、
「優劣主義」
と呼べるでしょう。
人生全体が人との優劣勝ち負け勝負
であるかのような
優劣感情
が
抱かれ
ます。
この
生き方思想タイプ
で
「あるべき姿」
として
掲げられるもの
は
さまざま
です。
勤勉
さ、さまざまな
領域
での
成績
、
地位
、
財産
、
友人
の多さ、
美貌
、
一流
の
大学
、
職業
、
結婚
、
子育て
といった
外面的
な
姿
から、
優しさ
、
穏やかさ
、
元気さ
、
勇気
といった
内面
の
様子
、
性格
、などなど。
いずれにしてもこうした
「あるべき姿」
の
固定観念
は、
心
の
視野
を
狭め
、
ストレス
を生み出し、
心の健康と成長
を
妨げ
ます。たとえ
自分
は
道徳主義
だ、あるいは
優劣主義
だと
はっきり
感じなくても、その
傾向
は、私たちの
心
の
一部
に、あるいは
日常生活
での
人と人
との間の
言動
の
あちこち
に
はびこって
いるものと言えます。その
脱却
が、
人生
を通して
心の健康と成長
への
長い歩み
に
向かう
ための、
第一歩
になるでしょう。
克服
の
取り組み
としては、まずは何と言っても、私たちが
家庭
や
学校
で慣れ親しんだ
「道徳思考」
というものからの
脱却
が
テーマ
になります。これについては下の「
「道徳思考」の有害性とその克服
」で説明します。
それを
皮切り
に、
「
心理学的幸福主義
」
への
転換
を図り、
心の成長
への
「
取り組み実践
」
の
全体
へ、という
流れ
になるでしょう。
人との比較意識や優劣感情
が
顕著
であり
悩み原因
でもある場合は、やはり
「心理学的幸福主義」
から
「取り組み実践」
の
全体
へという
流れ
の中で、特にまず
「
自尊心への価値観
」
への
取り組み
が
重要
になってきます。
「人との比較をやめる」
という
消極形
ではなく、
「生み出し自尊心」
を
支え
にした
唯一無二の自分の人生の進み方を築く
という
積極形
が
重要
です。
「道徳思考」の有害性とその克服
↑
「道徳」
とは、
人のあるべき姿、生きるべき道とはどういうものか
、という
話題領域
のことだと、まずは
定義
できるでしょう。
「道徳思考」
は、
何かのテーマ
を
「あるべき姿」という道徳として考えようとする思考
のこと、と
定義
できます。
・「5W1H思考」「論理的選択思考」との対比としての「道徳思考」
「道徳思考」
と
対照
になるものとして、
「何のためには」
という
「目的前提」
から始まり、
いつ(When)どこで(Where)誰が(Who)何を(What)なぜ(Why)どのように(How)
といった
「詳細状況」
による
利点欠点
などにより、
「個人の自由に立った選択」
として
考える
といった、
「5W1H思考」「論理的選択思考」
というものがあります。
そうした
論理的思考
との
対照
において、
「道徳思考」
とは、
論理的を持たない、絶対的なものとして「あるべき姿」を考えようとする思考
、だと言えます。
「目的前提」
や
「詳細状況」
といった
論理性
を持つごとに、それは
「あるべき姿」
よりも
「選択」
の
問題
として
捉えられる
ようになっていくからです。
・「道徳思考」の有害性
道徳思考
の
「有害性」
とは、まずはそれが
すぐに何か直接的な害をもたらす
というよりも、
「真の成長」
を
見えなくする
ことにある、と言えるでしょう。
道徳思考
がただ
「あるべき姿」
を
頭ごなしに掲げる
のに対して、
「真の成長」
は、むしろ
絵に描いた
ように
「あるべき姿」通り
には
なり得ない
不完全さ
から、
どのよう
な
前進
を
成す
ことが
できるか
にあることにおいてです。
これは
「成長」
というものに関して、
植物の種
を使って
何かを成そう
とする
2つの姿勢
に
たとえる
ことができます。
一つ
は、
植物の種
を
彫刻刀
で削って何か
形の良いもの
を
作ろう
とするものであり、
もう一つ
は、
土
と
水
と
太陽の光
を
用意
して
種
を置き、あとは
種
に対してむしろ
何もせず放置
するものです。
道徳思考
は
前者
に
該当
し、
「真の成長」
は
後者
に
該当
すると言えます。
(*1)
そのように、
「真の成長」
とは、私たちの
心
が
本性
において
潜在力
として持っている
根底
からの
成長力
を
開放
することで
生まれる
ものです。そして
これ
に
向かおう
とするのであれば、
沢山
の
知恵
とその
学び
が
出て
きます。
植物
を
種
から
育てる
ために、どんな
土
を
選び
、
水
と
光
をどのように
与えれば
いいのかなど、
沢山
の
知恵
とその
学び
が
出て
くるように。
「あるべき姿」
を掲げる
道徳思考
の
有害性
とは、まずはそのような
「真の成長」
に
人の目を向かせなくする
ことにあり、あとは
実際誰
が
どのよう
な
道徳思考
を
言う
かという
内容
の
問題
にもなってきますが、
実際
のところ
まだ成長
していない
未熟な心で考える道徳思考
というのは、ほぼ
例外なく
、
心
の
柔軟性
を
失わせ
、
視
野を
狭く
し、
心
に
ストレス
を与え、
自分
や
他人
への
怒り
と
結びつき
やすいなど、
心の健康と成長
に
大きな害
のあるものと、
ハイブリッド心理学
では考えます。
まずはそこからの
抜け出し
が、
心の健康と成長
そして
人生
を通しての
成熟
に
向かう
ための、
最初
の
取り組み
になるでしょう。
「
心理学的幸福主義
」
を
入り口
として、
「
心の基盤
」
として
「
自分自身への論理的思考
」「
目的思考
」「
選択思考
」
などを
培い
、
日常生活
と
人生
の
具体的場面
では
「
原理原則思考(原理原則行動法)
」
による、
理由づけのしっかりした合理的思考
の
形態
に
変えていく
、というのがその
基本的
な
道筋
になります。
*1 入門編下巻 P.203