参考資料 ↑
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・入門編上巻 1章 怒りのない人生へ - プロローグ・「怒り」の有害性 / 「精神的な怒り」(P.17-19)
怒りは、自分より強大もしくは同等の敵と戦うために、多少の怪我を前提として生き延びるための脳内毒薬です。「怒り」は基本的に「弱さ」の表れであり、自身にもダメージを与える感情です。
それが人間においては、身体的攻撃だけではなく、「お前は悪い」と言われる精神的攻撃を受けたダメージに対して、「悪いのはお前の方だ」と反撃の怒りに駆られることで、さらに自身にダメージを与えるという、二重の痛手を負うことになります。 |
・入門編上巻 1章 怒りのない人生へ - 怒りを選ぶ現代人(P.21)
現代人が頻繁に「怒り」を選ぶ理由として、実際にこの社会を危険と考えている、危険を避けるために怒る以外の方法を知らない、他人を思い通りに動かす方法として「怒り」を使おうとする、「悲しみ」を弱さのしるしのように恥じる、といったことが考えられますが、最後に、「怒る」ことを「正しい」ことと勘違いするという大きな問題があるようです。つまり人は正しいと思うから怒るのではなく、怒る感情によって自分が正しいと感じるのです。この結果、怒る人の心は大抵、「私は正しく、そして不幸だ」というものになっとてしまいます。 |
・入門編上巻 1章 怒りのない人生へ - 「怒り」と「善悪」 / 善は悪を怒る?
/ 善は悪を許す? / 「泣いて馬謖を切る」 / 怒りは破壊でしかない(P.24-33) 人間において、怒りが「善悪」と結びつきやすい理由を考察しています。
怒ることと「善悪」は本来別の話であり、怒りについて言えば、怒ることが実際に役に立つ時だけ怒ればいい。それは悪意により身体的危害を加えられそうになったような場合だけでしかありません。一方「善悪」は社会を前提に「掟(おきて)」として生まれ、掟を破った者に「罰」が与えられる様子と「怒り」が結びついたものと思われます。しかし「罰」は本来、「怒り」の下で行われるべきものではなく、私たちが私たち自身を守るために、「愛」の下で行うべきものなのです。さらに「罰」は「技術」であって、感情の表現ではないのです。結局「怒り」は「正しさ」とは無関係の、「破壊」でしかありません。「怒り」を捨てることが、心の健康への最も基本的なことになります。 ・この対照で「愛」がどう考えられるかにつなげています(参照)。
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