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実践の学び
実践-5
悪感情への対処と「自己分析」
実践5-1
悪感情の種類別の克服対処の指針
悲しみ
基本説明
(
「心の豊かさ」への通り道としての「悲しみ」
「命の生涯」における役割
)
参考資料
最終更新:2017.1.19
基本説明
↑
「悲しみ」
は必ずしも
悪感情
では
ありません
。
心の成長
の
歩み
の
中
で、それを
「魂の感情」
として
自分自身
の
中
で
受けとめる
ことができた時、
心
に、
「自分から愛することができる」
、そして
「自発的幸福の増大」
という
豊かさ
が
一歩
増大
する、
心の豊かさ
への
導き
の
感情
だと言えます。
そうして
「豊かさ」
へと
変化
する
時
が
訪れる
まで、
悲しみ
に
向き合い続ける姿勢
がとても
大切
です。
「悲しみ」
とは、
「大切なものを失ったことへの心の反応感情」
だと、まずは
定義
できるでしょう。
ハイブリッド心理学
では、
悲しみ
は
「マイナス感情」
ではあっても
「悪感情」
では
ない
、と考えています。それはむしろ
「良い感情」
に
分類
されるものだ、と。
それはまず
第一
に、
「喜怒哀楽」
と
表現
される
人間
の
基本感情
において、
マイナス感情
に位置される
「怒り」
と
「哀(悲)しみ」
は、
前者
が
自ら
に
ストレス
を
加える感情
であるのに対して(
「
怒り
」
説明参照)、
後者
は
ストレス
を
癒す感情
であることです。
医学的
にも、
「泣くこと」
が
ストレス解消効果
を
持つ
としばしば言われるように。
ただしこれは、
「大切なものを失わされる」
という
マイナスの出来事場面
に際して、
「怒り」
がそれに
面した時
の
感情
、そして
「悲しみ」
は
過ぎた時
の
感情
という
一連
の
流れ
としてその
2種類
の
感情
があるのだとすれば、
「悲しみ」
を
取り立て
て
「良い感情」
とするには
およばない
とも言えるでしょう。
・「心の豊かさ」への通り道としての「悲しみ」
ハイブリッド心理学
が
より重視
するのは、
「悲しみ」
が
「ストレス」
を
解消する
という
消極的
な
役割側面
よりも、
「心の豊かさ」を生み出す
という
積極的
な
役割側面
です。
2つ
の
通り道
によってです。
一つ
は、私たちの
意識の中
にあるものとして。そして
もう一つ
は、私たちの
意識を超えて
あるものとして。
どちら
も、その
根本的本質
は、
「浅はかな心」
という私たち
人間
の
宿命
が、どのように
打ち破られる
かにあるものとして。
「悲しみ」
が
「心の豊かさ」
への
通り道
になるという
積極的役割
の
1つ目
は、まさに
「悲しみ」
が
「大切なものを失ったことへの心の反応感情」
だという
定義
が
鍵
になります。
つまり私たちは、
「浅はかな心」
という
宿命
によって、
自分にとって本当に大切なものが何なのか良く分からないまま、表面的なことばかりに惑わされ流されて生き始める
のです。
「悲しみ」
が、それを
打ち破る
ものに
なり得
ます。
悲しみの感情の中で、自分にとって本当に大切なものが何だったのかをまざまざと自覚する
という
体験
としてです。それが
この人
に、
自分自身にとって本当に大切なものへと揺らぐことなく向かう心の芯
のようなものを
与えた
時、それが
「心の豊かさ」
の
一つの要素
になってくるのです。
もう一つ
の
通り道
は、
「自分から愛することができる」
そして
「自発的幸福の増大」
という
「心の豊かさ」
へとさらに
直結
するものです。
それは、
「悲しみ」を「魂の感情」として自分の心の中で受けとめ尽くした時、意識の分断(心の死と再生)を経て、より豊かさを増した「命の感情」が出現する
、というものです。
これは私たちの
意識的
な
自覚
や
理解
を
超えたもの
として起きます。つまり
悲しみ
を
「魂の感情」
として
受けとめる
という時、そこにあるのはあくまで
喪失の悲しみ
という
マイナス感情
でしかありません。しかしそれを
「意識が尽き果てる」
までとも言えるような
深さ
において
自分
の
心の中
で受けとめた時、
睡眠
による
意識
の
断絶
のような、
前後のつながりのない間
を置いて、
今までの人生で体験したのことのないような安定と豊かさを帯びた心の状態
が
現れて
くる、というものです。
後戻り
の
ない
ものとしてです。
・「命の生涯」における役割
そこで
何が起きて
いるのか、
ハイブリッド心理学
からの
考え
はこのようなものです。
「命」
にはもともと、
「命」
がそれを
望んで生まれ出る
ものである
「愛
」に向かって
全力を尽くして生きる
中で、
心のあり方
が
「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」
という
「命の生涯」
の
変遷
をたどり、
同時
に、
「幸福」
を
外部から与えられるもの
よりも
自己内部から湧いてくるもの
と感じる
「自発的幸福」
が
増大
していくという
変化
が
プログラム
されている。
しかし
人間
においては、
「自意識」
の
発生
によって
「心」が「命」からはがれた薄っぺらいもの
になる
「心と魂の分離」
によって、こうした
「命の生涯」
に沿った
心
の
変化成熟
が
起きにくく
なる。
こうした
状況
において、
人
は
表面的で薄っぺらいものへの望み
をいくら
追っても
、またそこで
満たされても
、
心
が
豊か
なものへと
変化
することは
なかなか
なく、むしろ
表面的なもの
への
望み
の
挫折
による
喪失の悲しみ
を、
自分にとって本当に大切なものが何だったのかの自覚
へと
深める
形で、
悲しみを「魂の感情」として自分の中で思いっきり受けとめ燃やす
という
体験
において、
「命の生涯」
の
心
の
変遷
が
作動
する、というものになります。
その
心
の
変化
は、
心
がそこから
はがれた大元
の
「命」
が
作用させる
ことにおいて、
悲しみ
を
自分の中
で
受けとめる
ことと、
その後
に
心
が
豊かなもの
へと
変化
していることが、
「心」
の
意識上
は
つながりのないもの
として
自覚される
のである、と。
上
に述べたものがまさに、
「感情と行動の分離」
に始まる
「
実践の学び
」
と
並ぶ
ものとしてある、
「
歩みの学び
」
の
大きな領域
の
骨子
とも言えるものになります。
理解
の
ポイント
は、
悲しみを「魂の感情」として受けとめ燃やす
、そして
その後に豊かさを増した「命の感情」が出現する
とは
どんなこと
なのか、
実感
としての
理解
を
どう得るか
ということになるでしょう。
それは
まず
言って、こうした
心理学的説明
だけでは
不可能
であり、何より
実際
のその
体験
を
詳しく記述
したものが
必要
になるでしょう。
私
はそれを、
私自身
の
生涯
における
私自身
の
心の変遷
の
記録
として、残された
私自身
の
生涯
を通しての
ライフワーク
として、
『日記ブログ』
などの形で
伝えて
いきたいと思っています。
そうした
記述
を読んで、
実感
として
何かを感じ取れる人
もいれば、
感じ取れない人
もいるでしょう。また、
感じ取れた
として、
「自分もそうしてみよう」
といった
観念
は
全く意味のない
ものになります。なぜならそれは、
人それぞれ
の
唯一無二
の
人生
の
歩み
の
形
、しかも
その中
での
「喪失」
への
向き合い
といった
話
になるからです。
私たちに
できる
のは、
自分
の
人生
を
自らの足で前に進む姿勢
と、この
社会
を
力強く生きる技術
を
身に
つけ、
「望み」
に向かって
全てを尽くして
生き、それでも
ものごと
が
望む通り
にならない
失意
にも出会う
最後
に、実は
そこ
にこそ
心の豊かさ
への
入り口
がある
可能性
を、
知っておく
ことです。そうした
前進
の
姿勢
と
実際
の
歩み
なしに、ただ
悲しめば
、そして
泣けば
、
心が豊か
になると
いうのではない
のは、むろん
言うまでも
ありません。
ですので、
実感的
な
理解
を
どう得る
にせよ、
「悲しみ」
が
「心の豊かさ」
への
通り道
になるという
テーマ
についても、
結局
は、
「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、「望み」に向かって全てを尽くして生きる
という、
ハイブリッド心理学
の
取り組み
の
先
にこそ、
そうしたもの
もあるという
全体
を
理解
することが、やはり
最大
の
ポイント
になるでしょう。
参考資料
↑
・入門編上巻 1章 怒りのない人生へ - 「怒り」と「悲しみ」
(P.20)
悲しみ
は、
損なったもの
への
痛み
を、
危険
が過ぎた
「安全」
を感じる中で
癒し
、
より強くなる
ための
感情
です。
人間
が
他の動物
よりも
不幸
な
存在
だと言うならば、それは
精神的
な
痛み
に際して、
素直
に
悲しむ
ことができず、
頻繁
に
「怒り」
を
選択
し、いつまでも
自分
は
危険
だという
感覚
の下で
自ら
に
ダメージ
と
ストレス
を
与え続ける
ことを指しているのでしょう。