分類 |
悪感情の種類 |
克服対処の指針 |
成長への継続的取り組み主課題となるもの |
怒り |
「怒り」こそが、私たちが人生で根本的な捨て去りへの取り組みをしたい、本尊の悪感情だと言えます。怒ることが正しい、怒ることが力になるという観念によって、人は自らの人生を積極的に破壊し、不幸なものにしていくからです。
怒りの有害性を理解し、外面においては怒りを用いない行動法を学び習熟する先に、「否定価値の放棄」によって怒りを根本的に捨て去るのが、ハイブリッド心理学の取り組み実践の大きな柱になります。 |
悲しみ |
「悲しみ」は必ずしも悪感情ではありません。心の成長の歩みの中で、それを「魂の感情」として自分自身の中で受けとめることができた時、心に、「自分から愛することができる」、そして「自発的幸福の増大」という豊かさが一歩増大する、心の豊かさへの導きの感情だと言えます。
そうして「豊かさ」へと変化する時が訪れるまで、悲しみに向き合い続ける姿勢がとても大切です。 |
怖れ
(恐怖・不安・
緊張・パニック) |
「怖れ」も私たちの心の動揺の主因となるものであり、心の成長と豊かさへの歩みの先に根絶を目指したい悪感情です。
まず外面において正しく「安全」を築き、それでも内面において残る恐怖を「生きた」時、その怖れは人生でもう起きないものへと、心の根底から消えていく、というのが基本指針になります。 |
焦り |
ほとんどの悪感情が、安直な短期的解消ではなく多少とも時間をかける向き合いを必要とするのに対して、「焦り」が唯一、意識法テクニックにより即効的解消が可能な悪感情であり、またそれが望ましいものでもあります。
ものごとは焦りの中では行わないのが基本です。「最低ラインを決め、あとは思い切って捨てる」というのが基本になります。 また家庭内や外出時の行動などで、何でも迅速素早く済ませることを美徳と感じる結果、焦る必要のないところで焦るという、現代人日本人にありがちな心の癖を見直すのもとても有用です。 |
抑うつ |
自分で受けとめることのできない喪失と、それに関連する自己叱責が、「抑うつ」の主な構成要素と言えるでしょう。
短絡的な解消法よりも、まず心の成長の全体に向かうこと、その先に、抑うつの中で自分が感じていることをていねいに自己分析し、その中に、受けとめることのできる悲しみ、そして出来事への自己叱責を超えた受け入れ目線を見出した時、抑うつ感情は根本的に消える、と言えます。 |
空虚感・
孤独感 |
「空虚感」「孤独感」は、「命の重み」において「生きる」こと、そして「愛」を見失っていることを、「魂」が感じ取り「心」に流す、むしろ健康な反応だいうのがハイブリッド心理学の考えです。それを打ち消せるような、刹那的表面的でより刺激の強いものへの衝動に心を明け渡すことで、人は人生そのものを見失っていってしまうのだ、と。
「空虚感」「孤独感」が心の中に「ある」のであれば、最後までそれを見つめ、向き合い続けることがとても大切です。それがどのように生まれ、そして最終的に解決するのかは、私たち人間の宿命であり人生の歩みそのものだと言えます。これを「人生の歩みと最終的克服」で説明します。 |
無気力 |
まずは何よりも、「やる気」の気分よりもやることの内容価値に目を向けるなど、「やる気の勢い」に頼らずに行動する姿勢を築くことが第一です。感情の勢いに頼る姿勢の先に、やる気の勢いが足りないと、一気に心の前進力が消えてしまうのが「無気力」の症状だからです。
より重要なのは、自分の成長前進の方向を感じ取りそれに向かうこと、さらにその先に「これが自分の人生だ」と確信を持てるものを見出すことが、「無気力」とは無縁な心の状態を生み出します。 |
後悔 |
「もう忘れましょう」というありがちなアドバイスとは真逆とも言えるものが、ハイブリッド心理学からの指針になります。
つまり後悔の感情が少しでもあるのであれば、とことんその悔いの感情と共に生きるのです。それがその後悔を超える成長へと心を導く、唯一の道です。これがどういうことかは、まずは決して後悔をしないための決断によって行動する姿勢で生きる先に、やがて見えてくるでしょう。 |
成長への節目として時に乗り越えるべきもの |
絶望
(失意) |
「絶望」は多くのケースにおいて、「問題の深刻」ではなく「解決の無知」を示すもの、また自らあおる自棄衝動の表れです。それは「心の依存」の姿勢の中でとても顕著になりがちです。まずは自らの足で前に進む成長へのノウハウを得ながら、「心の自立」の姿勢も得て、「成長」を目指すことにおいて脱したいものです。
その上で、「絶望」は外面的もしくは内面的な壁に出会い、それを「ただ流す」体験の中で、今までの未熟で病みも含んだ心が死に、一歩成長し健康さも増大した新たな心が「再生」する、心の成長の歩みの中で極めて意義の大きい節目になり得ることを、知っておくと良いでしょう。 |
葛藤 |
自分の存在のあり方にかかわる、相容れない選択肢を前に、どれを選ぶことも捨てることもできず「心が引き裂かれる」という状態が「葛藤」です。
これも「絶望」と同じく、成長への姿勢とノウハウが不足している時に陥りやすいものです。葛藤の苦しさから逃れようとする行動が選択肢に紛れ込む罠に注意しながら、自分の成長の観点からていねいに選択肢を整理することで、自ずと選択すべきものが見えてくるでしょう。 |
苦しみ・痛み |
多くの悪感情と感情動揺は「心の痛み」を伴い、それを解決できないまま自分で受けとめられないという「苦しみ」を引き起こします。それらを感じまいと心を麻痺させ、心の底に押しやることで、自らの心の深みを見失うと同時にコントロールを失うという、「心の病み」の土壌が生まれてしまいます。
「悪感情への耐性」というものも心がけ、ここでまとめているような向き合い対処をする中で、「痛みをただ痛む」という姿勢が、悪感情の一因ともなった自らの邪心を心の底から捨てさせ、より清らかで健康な心へと変化するためにとても大切です。 |
「成長」を目指すことにおいて捨て去りたいもの |
憎しみ |
「憎しみ」とは、「自分に苦しみと不幸を押しつけ続ける相手への破壊衝動」だと言えるでしょう。しかし時にこれは、人や社会が自分の幸福のために尽くすべきだと感じる未熟な衝動、また自己嫌悪と自己不信を人から自分に向けられるものと映し出して感じる「投影」「外化」といった心の病みのメカニズムが生み出すものです。そしてこれらのさらに背景には、「自分では幸福に向かうことができない」という深い無力感があるように思われます。
自ら幸福に向かう、自ら自分を救うという基本姿勢を得ると共に、自分の心の暗闇の経緯への深い理解の中で、その底にあった純粋な「望み」を自分自身で受けとめることができた時、「憎しみ」は「悲しみ」へと変化し、新たな人生への道が示されるでしょう。ここに「病んだ心から健康な心への道」の主題があると言えます。 |
屈辱 |
「屈辱」はかなり無駄な心理だと言えます。なぜならそれは、「自分を高める」のではなく「相手を潰す」ことで得る刹那的プライドに駆られるという、「成長」に向くことのない姿勢の中で、その軽蔑攻撃衝動を相手に投影した上でそれに屈したと感じた時の激しい悔しさ感情であり、「一人負け相撲」とも言える心理だからです。
もちろんこれはしばしば、未熟な者同士の間で、ただの投影ではない軽蔑攻撃合戦の中で起きるものですが、そんなところで「勝つ」よりも、「自分を高める」という成長のために、その場から静かに身を離すことこそが「勝ち」なのです。 |
嫉妬 |
「嫉妬」は「羨ましい」というごく自然で健康な感情が、フラストレーションと「屈辱」を帯びたものに変形した悪感情だと言えるでしょう。
注目したいのはこれが、自分で望む願望の感情を意識の表面では否定しようとしていたのが失敗させられる屈辱として起きる、ということです。ここに答えがあります。つまり屈辱の土台となる刹那的プライド衝動を脱却すると共に、自分から抱くありのままの願望の感情に、向き合うことです。そこにある心の痛みを自分で受けとめることができた時、「嫉妬」は純粋な「憧れ」の感情へと変化し、心は一歩清らかで健康なものへと変化します。それは「救い」とも言える変化になるでしょう。 |
恥 |
「恥ずかしい」という「恥」の感情は、自分の弱点欠点や「程度の低さ」が人の目に晒された時の、ごく自然で健康な感情と言えます。
しかしそれは、「今を原点とした成長」への意志によって、比較的容易に吹き消せるものと感じます。従って、ごくハプニング的な場面で体験するごく一過的な「恥」の感情はいいとして、「恥への恐怖」といったものが強い感情動揺の内容になる場合は、成長への基本姿勢の不足がまずは課題として考えられます。「成長を目指す心に「恥」は不要」という言葉を心に入れ、動揺場面について実際恥をかかずに済むような行動法の知恵を学び、成長への姿勢の全体への取り組みにつなげると良いでしょう。 |
罪悪感 |
人が「罪悪感」と感じるものには、人の期待に応えられない、自分の自己理想を損なう、そして他に害を与えたという、主に3つがあると言えるでしょう。
しかし「成長」への歩みに立つならば、前二者を「罪悪感」と感じるのは不適切であり、それらは、自らの目標と「愛される望み」への向き合い、そしてありのままの自分を受け入れての前進という、別の心のテーマへと変化します。また他に実際に害を与えた時の「罪悪感」は合理的とは言えますが、それもやはり、償いと補いのための最善の行動への意志へと置き換わります。
そのように、「罪悪感」は、「成長」への歩みの中で別れを告げるべき感情だと言えます。 |
劣等感・優越感 |
「劣等感」「優越感」は、人生の全体を「徒労」つまり「無駄な努力と苦しみ」に塗る最大の絵の具だと言えます。つまり人は他人に優越することで「自尊心」さらには「愛」を得ようとする姿勢によってその感情に振り回されることになるのですが、それは「自らを尊敬できる」という真の自尊心を得るものでも、そして「喜び楽しみの共有」という真の愛を得るものでもない、「自尊心と愛の蜃気楼」を追う姿勢である上に、まさにその姿勢によって、優劣のテーマ、たとえば学業、スポーツ、仕事、美貌といった目標課題への純粋で真剣な探究心向上心をなかなか持てず、結果優越に向かうこともできず、やがて「激しい劣等感」へという蟻地獄の底に落ちていくのが必至、という心理メカニズムがあります。
「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」へと目を向けることで、「劣等感」も「優越感」も次第に色を薄め、やがて人生を彩る絵の具パレットから、完全に姿を消すでしょう。 |
「問題の捉え方」への取り組みから始めたいもの |
自己嫌悪 |
「こんな自分なんて嫌いだ」という「自己嫌悪」は、往々にして、自らを軽蔑することで得る刹那的プライド、もしくは甘美な嘆きへの耽溺であり、真の向上心とは全く別のものであるのを、まずは理解すると良いでしょう。
真の自己成長と向上を望むのであれば、まずは心の成長の歩みの全体を学び、その実践に向かう中で、自分が一体何を自分の短所欠点と感じているのかに真摯に向き合い、心の成長の観点からその一つ一つにていねいに取り組むことが大切です。外面能力的な問題、内面性格的な問題、それらの向上へのノウハウ、壁に向き合うことで心に起きる変化など、全てに答えがあります。 |
対人恐怖 |
「対人恐怖(症)」と呼ばれる心の状態とは、対人場面での動揺や怖れそのものではなく、「動揺なしに人に接することができる自分」という自己理想像に固執しての、動揺する自分への自己処罰感情が生み出す動揺や怖れの膨張を指すものと言えます。
対人動揺を「症状」と捉えているところに、真の克服への道はないと考えます。これもやはり心の成長の全体について学び、対人場面内容に応じた行動法や、その支えとなる価値観に取り組み、自分がどのように考え感じているのかにていねいに向き合いながら、成長への歩みの全体の中で克服に向かう、という方向性を理解すると良いでしょう。 |
うつ症・躁うつ症 |
「うつ(症)」「躁うつ(症)」と呼ばれるものもやはり、気分の浮き沈みの激しさそのものよりも、「いつも元気な自分」といった自己理想像を基準にした自己叱責と自己礼賛が生み出す気分の浮き沈みによって、気分の浮き沈みがぐるぐる状態に膨張して自己コントロール不能に陥った状態、という視点からの理解が役に立ちます。
「無気力」について述べた指針を皮切りとした、大きな取り組みに向かうと良いでしょう。つまり「やる気のある自分」といった自己理想基準から自分に見入るのではなく、仕事や結婚といった人生の目標の計画の立て方と向かい方のノウハウを一から学び直し、実践していく取り組みです。それは人生の歩みそのものであり、そこにおける前進そのものが、心を安定させ、より豊かなものにしていきます、。 |