(過去ログ) 歩み1-1 「心の問題」の全体の理解 最新版はこちら^^ |
基本説明 「心の問題」の構成要因 「人生の歩み」に組み込まれたものとしての「心の問題」とその克服
「心の問題」の表面化 「心の成長と治癒と豊かさの道」 「心の問題」の解決克服への3つの通り道 「命の生涯」への回帰こそが答え
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最終更新:2017.3.28 |
「人生の歩み」に組み込まれたものとしての「心の問題」とその克服 ↑
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上記のようなさまざまな側面から成る「心の問題」は、外部からもたらされる災禍の結果というよりも、私たち人間の存在そのものに課せられた宿命であり、私たちはそれを「課題」として生まれ、その「克服」は、「成長」として成されるという形で、「人生の歩み」に組み込まれたものなのだ、というのがハイブリッド心理学の考えです。
・「心の問題」の表面化
簡潔にまとめるとこのようになるでしょう。まず幼少期の何らかの否定的感情体験によって、人の心に「心の闇」が生まれることから、「心の問題」が始まります。
しかしそこでは同時に、人の心には別のことが起きています。もの心がついてくるのと同時に、「自意識」と「空想」も芽生えることです。子供の心の健康な成長のために完璧な環境などそうそうあるものではなく、ちょっとした不足や行き違いが、子心の「自意識」と「空想」の中で、現実に実際にあったこととは不釣合いな深刻さで「心の闇」の種として取り込まれることもあるでしょう。
思春期から青年期の始まりにかけて、人の心に植え込まれた心の問題が表面化してきます。「心の病」は、その多くが思春期に何らかの兆候を見せ始めることが知られています。幼少期に「心の闇」を抱え込んだ個人は、思春期になって、心の不調や、心のバランスが崩れる体験を持ち始めます。そしてその深刻さの度合いが強いと、「心の病み」の傾向がその人の問題として存在していることを示すようになります。
一方「心の闇と病み」の問題はそれほどないような個人においても、「心の浅はかさ」への波に押し流されていた場合は、社会生活が次第に道をそれてくるような姿として、青年期の始まり頃には表面化するわけです。そうでなくとも、社会と人生を生きるために本当に役に立つことが学校教育などで教えられることのない状況は、私自身の人生を振り返っても、驚愕の感ともいえるほどです。かつての私も含め、多くの人が社会と人生の生き方に苦労するのも無理のない話です。
・「心の成長と治癒と豊かさの道」
そこから、「成長」の歩みが同時に「克服」の歩みとなるような、歩みの道のりが始まります。それがハイブリッド心理学の見出す、「心の成長と治癒と豊かさの道」です。
基本的にそれは、「社会を生きる自信」を獲得し、それを足場にして「愛」に向かう、という人生の歩みの道のりです。これは大自然を生きる動物が、親から離れひとり立ちして、大自然を生きる能力を獲得し、やがて今度は自分が新たな命を育てる側へと向かうのと、全く同じものです。
ハイブリッド心理学はそれ以外のアプローチは取りません。つまり人生の歩みに取り組むことはいったん置いて「治療」をするという形のアプローチや、「社会を生きる自信」の獲得を抜きに、「愛」を得る方法うんぬんを考えるアプローチは取りません。
「社会を生きる自信」と「愛」に向かう。そこにおける「成長」に、同時に「心の問題」の「克服」がある。そうした人生の歩みに、自ら向かう。ハイブリッド心理学は、そうした意志を持つことができる人を対象範囲とした、自助取り組みのための心理学です。
・「心の問題」の解決克服への3つの通り道
そこにおいて「心の問題」の解決克服がどのようなものとしてあるのか。最もおおまかにまとめると、このようになります。
まずは思考一般における浅はかさを脱し、社会と人生を生きるための正しい知恵を学び、実践することからです。ハイブリッド心理学からのそれは、「感情と行動の分離」に始まる、心の内面と外面双方への実践を携え、「望み」に向かって尽くして生きる、という生き方の実践です。
それが全てを貫く、車の運転技術であり、それによって人生という旅路を歩む道のりになります。そこから、道のりがどのように進むかに、「心の問題」の他の側面の解決克服がかかってくることになります。
3つの通り道がある、というイメージで理解いただくと良いでしょう。
一つは、順調な前進の道です。視界がひらけた土地を、学びから得た運転技術の実践によって進み、「望み」の実現へと順調に向かう道です。そこには多少の障害が現れたり、あるいはどしゃ降りが降るような時もあるでしょうが、基本的に視界が利いており、私たちはそれをどのような運転技術で、どこに向かって切り抜けていけばいいのか分かりながら進むことができる。そのような道です。
残りの2つの道は、そうした歩みが壁に出会い、順調な前進ができなくなった時に現れる道です。
一つの道は、暗闇の中の前進の道です。もはや視界が利かない暗闇の中で、その分、私たち自身の心を深く映す「魂の感情」が現れ、それに導かれて進む道です。
不思議なことが起き始めます。そうして視界が利かない暗闇を通り、やがて再び視界が利くようになった時、あたりの景色は、順調な前進の道を歩んでいる時よりも、大きく変化しているようなのです。心の安定と豊かさが、より増したものへと。
残りの一つの道は、これもやはり暗闇の中の道なのですが、そこにさらに断崖を越えた前進への道が現れるものです。私たちはそこで一度断崖から谷底へと落とされるのです。私たちの「意識」はそこで一度果て、「死」を迎えるのです。
しばらくしてあたりが再び明るくなってくると、心の景色の変化がさらに一次元大きなものになっています。谷底へと落ちたはずの自分は今、以前よりも心の高みへと来ているのです。まるで脳が変化したかのように。これは、「心の死と再生」(リンク予定)が起きたことを意味しています。
実はこの3つの通り道は、そのそれぞれが、ハイブリッド心理学が私たち人間の心の構造として考える「心と魂と命の3元構造」(リンク予定)に対応したものです。つまり上に述べた順に、「心」が主な役割を果たしている前進、「魂」が主な役割を果たしている前進、そして「命」が主な役割を果たしている前進です。
・「命の生涯」への回帰こそが答え
「心の問題」の克服は、そうした歩みの道のりにおける、心の風景の変遷の重要な節目に対応している、と理解いただくと良いでしょう。
その変遷とは、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という変遷です。
これがまさに、大草原を生きる全ての動物がたどる、「命の生涯」の変遷です。ハイブリッド心理学の生き方思想とは、この、あまりにも大きく自然な摂理へと、立ち返るということです。
まずは思考一般における浅はかさを脱することです。それが全ての始まりです。
歩みの始めの頃に、大きな転換が訪れ得ます。「感情の荒廃」と「空想と現実の重みの逆転」である「心の病み」の傾向が、空想を優先基準にするのではなく、ありのままの現実を受け入れて生きることへの本人の意志を原動力にして、克服へと向かうものです。あるいはそれは、「未熟の愛」の中で描いた、「人の目」の中で「こうあれる自分」という未熟な自己理想像通りにはなれないことへの「完全なる絶望」という形で、病んだ心が自らに絶望して崩壊するという、その人にとって生涯最大の「心の死と再生」の通り道になることもあることを、知っておくと良いでしょう。これは「歩み1-2 心を病む仕組みとその克服」で詳しく説明します。
私たちの心の成長と人生の歩みは、「命の生涯」の視野からは、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を築く」という前半段階と、「成熟の愛に向かう」という後半段階の、大きく2つの局面の、長い歳月から成るものになると言えます。
ハイブリッド心理学の「実践の学び」の全体が、その前半段階で取り組むべきものとしてあります。未熟と病みが生み出す感情の罠を知り、それに流されることのない建設的行動法、さらには、より高度なノウハウである「原理原則行動法」などの「行動学」や「仕事の普遍的スキル」などを学び、実践することの積み重ねを通して、「社会を生きる自信」、そして「真の強さ」と「真の自尊心」を築くのです。
そこに、「心の闇」の一側面である「根深い自己否定感情」の克服があります。それは未熟と弱さの中で空想した「強い人間」「自信がある自分」という自己像のようにどうなれるか、あるいは人にどう評価されるかといった、危うい基準によって得るものではありません。自分が自らを幸福にするための行動の能力を獲得したという、実際の実績によって、得るものなのです。
そうして「真の強さ」と「真の自尊心」が築かれる頃、大きな節目が訪れ得ます。「心の業」の根核にあった、「否定価値感覚」を、「自己分析」を通して自覚し、捨て去るという節目です。望ましさの度合いがある程度において不足したものを否定できることに、自分が神の座にあるかのような価値を感じる。それは「弱さ」において生み出された深層衝動だったのです。「真の強さ」を得て、「信仰」というテーマについてもじっくり向き合い、その深層衝動を捨て去るのです。
それによって、「自分から不幸になる」という「心の業」が消え去り、心のエネルギーが大きく解放されます。心の風景は、寒風吹きすさぶ閉鎖的な北国のものから、暖かい風が吹く南国のものへと一変します。
これがハイブリッド心理学の取り組みの「ひとまずの習得達成目標」とも位置づけられるものであり、「実践-6 「否定価値の放棄」の根本的選択」で説明するものになります。
そこからの人生の歩みは、「成熟の愛に向かう」という主テーマの下にある、後半段階になります。もはや人生の生き方について新たに何かを学ぶというものではなく、人生の前半段階で獲得した生き方と、大きく開放された心で、もはや誰に学ぶこともできない、その人が本当に愛する人と愛するものに向かう、その人だけの唯一無二の人生へと、向かうことができるようになる段階です。
その先に、残された「心の問題」の最終的な解決克服が訪れ得ます。
そこでもやはり通り道が2種類あり、順調な前進の道と、壁に出会い暗闇を前進する道です。
そのどちらにおいても、「心の闇」で残された側面の「孤独感」が、最終的な克服へと至り得ます。順調な前進の道においては、愛する家族や心底からの情熱を注げる仕事を得るなど、「望み」が実現へと向かう形で、私たち人間の根源的な心の問題である「孤独感」が、消し去られていくというものです。
一方暗闇を前進する道の先にも、神秘的な最終克服が訪れ得ます。それは一言で、「孤独感」が「消し去られる」のではなく、むしろ逆に、「孤独感」の根源へと意識が向かい、「魂の感情」としての「悲しみ」の中で尽き果てた後に、孤独感が消え去った、一段階豊かさの増した心の状態が現れるというものです。
「心と魂の分離」によって「心」がその大元の「命」からはがれた薄っぺらいものになったという、「心の問題」の中で最後まで残された側面が最終的克服に至り得るのも、やはり暗闇を前進する道の先です。「魂の感情」を受けとめ尽くすことで、「命」が、自らの「意識」を超えて、「心」を豊かなものに変えていく。この体験の積み重ねの先に、「自分」というものは、大きな命のつながりの中の、ほんの仮りの姿にすぎないことを、心の心底において感じ取る、「永遠の命の感性」の獲得へと、至るのです。
その歩みの先に訪れるのは、「超越的幸福」という、まさに「心の問題」の全てが消え去った、私たち人間に用意されたものの中でも最も高みにある、「幸福」が実現された姿になるでしょう。
これらについては「歩み-3 「魂の感情」」「歩み-5 人生の歩みと最終的克服」で詳しく説明します。
総括すれば、こう言えるでしょう。私たち人間の「心の問題」は、「命の生涯」から遠ざかったことにあり、その克服とは、「命の生涯」への回帰なのだ、と。
そのように、「心の問題」とは、外部からもたらされる災禍というよりも、その発生から克服までが、私たち人間の人生に組み込まれたものなのだ。それがハイブリッド心理学の考えです。
上で述べた、「命の生涯」における心の変遷と「心の問題」の要因側面の克服との関係について、下の表にまとめておきますので参考下さい。
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「命の生涯」における節目 |
達成するもの |
克服される心の問題 |
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前進のスタート |
「自分自身への論理的思考」
などの心の基盤 |
心の浅はかさ(思考一般) |
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「未熟の愛」からの旅立ち |
ありのままの現実
を受け入れて生きる意志 |
「心の病み」 |
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「自立の自尊心」 |
「社会を生きる自信」
「真の自尊心」
「真の強さ」
「否定価値の放棄」 |
「心の闇」の「根深い自己否定感情」
「心の業」 |
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「成熟の愛」 |
唯一無二の人生
「永遠の命の感性」
「超越的幸福」 |
心の浅はかさ(「心と魂の分離」)
「心の闇」の「孤独感」 |
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