ハイブリッド心理療法実践ガイド
V 感情へのアプローチ


3 感情分析と共に歩む生活
 (1)感情の全般的抑圧の自覚



 感情への基本姿勢として「感情を開放する」ということを述べました。
 ここではそれについて、さらに、その重要性、またそれを妨げる姿勢およびそれに対する基本的な対処について説明します。


感情をありのままに感じ取ることの重要性

 感情を、自分の心の中においてはありのままに感じ取ることが重要な理由は、それが基本的に心の健康の条件だからです。

 逆の表現をすれば、自分自身の感情をありのままに感じ取れない状態というのが、心の健康を損なった状態の基本的な特徴のひとつです。
 自分が誰であり、何をしようとしているのかが不明な状態。これは同時に、外界で起きた出来事や、人の行動が、自分にとってどんな意味を持つことなのかが曖昧、という状態でもあります。

 この状態そのものが、本人に自覚され、「現実がぼやける」感覚として体験されることも少なくありません。まるで世界にもやがかかっているかのように、何が起きたのか、自分がどうだったのかが曖昧になります。
 ホーナイは、自分の感情への感受性の低下が、身体感覚にまで及ぶことがあることを指摘しています。暑いのか寒いのか。頭で考えて、暑いという感覚が自分にあることにようやく気づく。深刻な心理障害傾向で見られるリストカットなどの自傷行為は、こうした身体感覚の低下を背景にして、可能になるのかもしれません。

 自分の感情をありのままに感じ取れない状態とは、心理学からは、「アイデンティティの喪失」と捉えられます。
 はっきりとした自分というものがないので、自分がどんな気持ちで、どんなことを考えているのかが曖昧になってしまうわけです。
 この状態に伴ってしばしば見られるのが、記憶の喪失です。来歴のある時期のことが思い出せない、ある出来事の前後の記憶がない、といったことをしばしば聞きます。

 自分を見失うのは、多くの場合、ストレスの結果でもあります。ストレスとか自己嫌悪感情とかが辛いため、「気にしなければいい」とか「こう考えればいい」とか「もうどうでもいい」とか、要は自分自身から逃げようとする心の動きが起きてしまいます。
 実際それは、そのストレスに対して一時的に無感覚になる効果があるかも知れません。
 しかしその蓄積によって、やがて、自分というものそのものが、希薄になり、空ろなものになってしまうという、新たな問題が出現します。

 それによって、逃げようとしていたストレスなどに、さらに容易に侵されるようになってしまいます。
 ストレスに打ち克つ源泉としての自己がなくなっているからです。自分としての強い感情が湧き出ないために、枯れた源泉のように回りの水に侵されてしまいます。これは入門編の「自己による幸福の追求」でも説明しました。
 そこから逃げようとして、さらに「気にしない」「どうでもいい」という姿勢をしていると、自分が何を考え、何を感じているのかさえ、なくなってしまいます。

感情の全般的抑圧の原因その1:積極的な自分離れ

 自分の感情をありのままに感じないことが、心の健康を損なうことにつながることがお分かりだと思います。
 そして目を向けて頂きたいのは、この姿勢が色々な形で、広範囲に、人がそれと自覚しないまま取られていることです。

 「自分離れ」のおき方は、大きく分けて2種類の流れで起きます。

 ひとつは、自分離れそのものを目的とした思考や願望です。

 最も日常茶飯事に、ごく普通の人でも行うものに、「気にしない」「つじつま合わせ」「ごまかし」があります。これは本人は自分離れをしているとは自覚しないまま行うものと言えるでしょう。
 もしかして自分はこんなやばい感情を持っているのでは..いや気のせいだ。気にしない気にしない。人間なんてどうせそんなものだ。自分は出世なんて、結婚なんて、関心ない。

 本人が意識して自分離れをすることもあります。その場合は「自己放棄」または「現実逃避」への衝動やその行動化という形になります。
 もういやだ。どうにでもなれ。全てを忘れさせてくれる、強烈な刺激への衝動。性的放埓やドラッグ、賭け事、etc。

 たしかにそうした自分離れの試みによって、本人の意識上の苦しみは一時的に薄らぐかに見える時もあるでしょう。
 しかし問題なのは、そうした態度の結果、自己嫌悪感情が無意識のうちに潜行することです。本人はまさに苦い感情から逃げることに目が向いているので、これをあまり明瞭に意識しません。しかし心の無意識のメカニズムはこれを見逃しません。自分はどうしようもない、無力なできそこないだという感覚に、自らを追い込んでしまうのです。

 その結果、自己放棄を「やった」あと、その人間の精神状態はそれ以前に比べて、一段階「劣化」しているというような状態が起きることになります。ちょっとしたことが、以前よりさらに辛く、どうしたらいいのか分からない状態。そしてそこから逃れようとして..。
 この悪循環が起きます。

 こうした、自分でも意識できる自分離れについては、とにかくそれはやめることです。
 それは辛い状態を克服する方法が分からないところで起きます。しかし克服できる道がちゃんとあるのですから。


感情の全般的抑圧の原因その2:自動的な自分離れ

 もうひとつの、感情の全般的抑圧が起きる流れは、自動的にそれが起きて、自分では意識していないものです。
 厄介なのはむしろこっちの方かも知れません。

 これは自動的に起きるものであって、その時に、自分が自分の感情を抑圧しているということを自覚することはできません。
 しかしそれはあらゆる障害感情の、全ての場面において起きています。このことをまずはっきりと知っておくことが重要です。その自覚があって初めて、自分の本当の感情は何かという疑問を、自分自身に向けることができるからです。

 どうゆうことかと言うと、心の中で有無をいわさずに何かの感情が湧き出るということそのものにおいて、本人の自発的な感情や思考がふさがれている、ということです。


 有無をいわさない感情が湧き出るのは、それが不安や恐怖に根ざしているからです。危険が迫っているのですから、選択の余地があまりありません。
 しかしもしその危険がないのだとしたら、つまり不安や恐怖がないのだとしたら、今自分はこの環境で何を望むのか。


 まずはこの目で、自分自身の感情を見る目を持って頂きたいと思います。
 つまり2つの感情の源泉が自分の中にはあるという目です。
 ひとつは、不安に根ざした、強制的な感情。それがどのような性質のもので、他のどのような感情から流れて起きたものか、じっくりと吟味して行くことも必要でしょう。
 一方で、危険や不安に根付かない、自由と安心があった場合の自分の感情とはどんなものなのか。それを考えてみることもとても重要です。

 人間の幸福とは、そうした自由と安全に基づいた、自発的な感情を開放して生きることにあるのですから。


改訂履歴
2004.12.30 最初の掲載。

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