ハイブリッド心理療法実践ガイド
V 感情へのアプローチ


1 感情への基本姿勢


 「思考行動と感情の分離の原則」です。

 感情は感情として尊重します。人は感情によって生きます。
 しかし感情が常に現実行動としてふさわしい方向を向いているとは限りません。いったん感情を脇において、より合理的で建設的な考え方や行動のしかたはどんなものかを、考えることが大切です。

 ただしそこで自分の感情を無視しても、心は変化成長してくれません。
 自分の感情を無視することなく、自分の感情を鵜呑みにしない建設的な思考をする。この2つを同時に見た時に、心には成長という変化が起きるのです。

 そのような姿勢に向かうための、自分の感情に対する基本的な姿勢について説明します。

1)感情を変えようとしない

 感情は変えようとして変わるものではありません。ただ湧き出るままに感じることを原則として下さい。
 誇張もせず、気のせいと否定もしない。

 これは体のどこかにちょっと違和感を感じ、「あれっ」と思って最初にその感覚に耳をすませる態度に似ています。
 まだ「なんてことない」とも「病気かも。どうしよう」とも考える前の、純粋にその感情に耳をすませる姿勢です。

2)感情を問わない

 少なくとも自分の内面においては、どんな感情であっても受け入れることが大切です。

 殺意ともいえる憎悪であってもそうです。それはしかるべき理由(心理メカニズム)があって湧き出るものですから、頭越しに「こんな感情じゃ駄目だ」と考えたところでどうにもなりません。
 取り組み方法はちゃんと別に用意します。まずは、自分がそんな感情を湧き出す状況に置かれている、という理解が大切です。そう理解することから、次の「取り組み」が可能になるからです。

3)感情は基本的に心にしまう

 感情は人に見せたり、見られたりするものではありません。
 これは自分と他人が互いに別の世界観を持つ、独立した個人であるという姿勢が、成長した心の基本だということです。
 心理障害においてはこの成長が阻まれています。
 このことを意識し、「自分の感情を自分の心にしまっておく」ことを強く意識することは、その克服にとても大切です。

 一方、自分の感情を人に見せつけようとする衝動とか、自分の感情が人に見透かされるという感覚は、「残存愛情要求」「プライド衝動」「感情の膿」など、さまざまな非合理な感情として自覚する取り組みの対象になります。

 自分の感情を解きほぐし、非合理な感情を克服する過程では、ある程度全般的に、人との感情的な距離を保つ姿勢が推奨されます。
 これは孤独感や孤立感を多少とも増加させるという「副作用」を、避けることができないものになるかも知れません。
 これは孤独そのものを推奨しているということではありませんし、人と親しくしたいという気持ちを非合理として否定することでもありません。
 しかし、非合理な感情と自然な感情がまざっている状態において、非合理な感情に流されて動揺を繰り返す危険を考えるなら、いったん全般的に対人関係から退却した方が望ましいのです。
 そこから、非合理な感情と自然な感情を自分で考えながら、前者は押しとどめ、後者へは勇気をもって後押しするという、自分の感情を自分で把握して判断して行動するという実践が重要になります。

4)「けなげ」より「したたか」に

 自分の感情は自分の心にしまっておくという時、行動は、様々な感情を内側にひめながらも、生活において最も支障のない行動を外面では保つように心がけます。
 そしてうまく行きそうな時に、自分の感情を行動の中でうまく通してみる、という感じにします。
 自分の感情があり、それとは別に建設的な思考法行動法がある。これらの持ち駒をいかにうまく動かして、この現実世界で良い結果を得るか。ゲームです。

 これはイメージとしては、「けなげ」に生きるというより、「したたか」に生きる感じです。
 こうした自己イメージを持つことは、心の成長の要件というよりは、結果として有利なことです。
 「けなげ」とか「かよわい」という自己イメージは、この取り組みにおいては不利です。障害感情の餌食になりやすいという感じ。
 人によっては、自己イメージを多少とも意識的に変えていくことを、お勧めすることにもなるかも知れませんね。

 「したたか」というのは、「自己の重心」を強く持つイメージではあるでしょう。これは心の成長に重要な要素なのです。
 「けなげ」「かよわい」は自己重心を放棄した自己イメージという感じがあります。

5)感情に対抗する客観的評価

 感情が「これはひどいことだ」「これは素晴らしい」と言うと思います。
 それとは別に、できるだけ客観的にそれが現実的にもひどかったり素晴らしかったりすることなのか、考える思考を持つようにします。

 そしてそれが倫理道徳的にどうなのか、現実科学的にどうなのか、ということを考えて下さい。
 実際のところ、そのことについて自分はどんな風にそのことを「良いこと」「悪いこと」と考えているのかをしっかりと把握して下さい。
 思考と感情が矛盾していたり、幾つか矛盾した思考があるのに気づいたりすると思います。
 それがまさに、「感情分析」への糸口なのです。


6)悪感情への耐性を心がける

 「したたか」という生き方イメージとあわせて、自分の中に流れる悪感情にできるだけ動じない姿勢を心がけて下さい。
 これは注射とかの痛みを恐がらない態度を、大人になるにしたがって持つようになるのと全く同じことです。

 今まで失っていた自分と人生を取り戻すということは、今まで逃げつづけていたものへと直面するということでもあります。
 基本的にそれは、今までの姿勢の中では「耐えられないことだ」と決め付けていたことを、必ずしもそうではないこととして、再び向き合うということを意味します。

 具体的な内容はこの後に色々出てきます。その細かいことを抜きにしても、基本的に、悪感情をそのままやり過ごせる耐性というものが大切であること、そして実際にそれはその心がけによって次第に可能になることであるのを知っておいて下さい。

 これは最終的には、人間にとって耐えられない感情というものは本来ないという話へと行き着きます。
 耐えられないというか、実際に人間が破滅するのは、本来、物理的身体的な破壊とか欠乏によってです。
 それがないところで、精神的に破壊されるようなものはありません。

 これはやはり「選択」になってきます。これは耐えられないことだと解釈するという「選択」によって、人は事実自分の精神を破壊するのです。
 鈍感になるということではありません。強さを目指すということです。強さによって、目を背けようとした感情もあるのままに見ることのできる繊細さを獲得するという方向を目指すことです。

7)内面においてあらゆる感情を開放する

 これらの姿勢を通して、全体として言えるのが、自分自身の内面においては、あらゆる感情をありのままに開放するということです。
 そしてありのままに開放した上で、初めてその意味を問うことが意味を持ちます。
 十分に開放されないままの感情を、これは合理的これは非合理と判断することは、あまり意味を持ちません。それはまだ自分以外の尺度で自分の人生を評価しようとする態度です。

 まずは自分の本心を開放することから、全てが始まります。

8)性善説的人間観を保つ

 最後に、開放される感情の中には、人間性を損なったように見える感情もあるかも知れません。
 それが心理メカニズムの結果であれば、そうなることは仕方がありません。そこから目を反らしたことが、むしろ悪感情の悪循環と、意識の出口をふさがれた感情の暴走を起こしているということを心得ておく必要があります。

 しばらくは、望ましくない攻撃感情や冷淡な離反感情の中で過ごすこともあるでしょう。
 それは蓄積したまま放置された感情を問い直す通過点だと心得て下さい。
 一度「自分の本心」に戻った時、以前なら「自分がこんな感情の持ち主だったとは」というような感情に没入することにもなると思います。
 しかしそれはゴールではありません。最後まで、感情と思考行動の分離が原則です。

 やがてどこに向かうのか。愛と自信と人生についての心理学を持っておくことが大切です。
 「人間なんてどうせ」という性悪説な感情が湧き出る場合は、その感情が起きるメカニズムというのがありますので、それを理解することが重要でしょう。

 本当の光を見出すために、一度闇に飛び込むことが必要になることもあるでしょう。
 人は、自分を人為的に変えようとするのをやめた時に、変わり始めます。変えようとすることなく変わっていく、成長の方向を探り、それに乗ることが目標です。



改訂履歴
2004.12.09 最初の掲載。

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