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ハイブリッド人生心理学とは 1.ハイブリッド人生心理学とは
2.「取り組み実践」への理解
 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
 (7) (8) (9) (10) (11) (12)
(13) (14)
3.学びの体系
4.メール相談事例集

2013.9.17 この原稿は『ハイブリッド人生心理学の取り組み実践・詳説 −「心」と「魂」と「命」の開放−』
として無料電子書籍化しました。今後の更新電子書籍側のみになります^^。


2.「取り組み実践」への理解 - 続き
 (4)「学び」への理解
「学び」を設定する  「学び」の一覧表  「学び」への入り方  「自分に今必要な学び」のテーマの捉え方  「学び」の流れチャート図  基本的な流れ  まずは「問題の捉え方」から

「学び」を設定する

さて、「現実を見る目」による「学び」から始まり、「内面の開放」と「自己分析」も携えて、「学び」とのギャップを生きる中で3つの道があるといった、心の成長への取り組みの歩みについて詳しく説明しました。

「学び」をどのように持てるかが、全ての始まりと言えます。心の健康と成長、そして豊かさと幸福に向かうためにはどうすればいいかという、「目的思考」としてです。
「変われない人」にありがちなのは、「学びがないままの実践」です。「学びがないままの開放」「学びがないままの自己分析」。これはただ未熟と病みの蒸し返しになってしまいます。「学び」をあまり持たないまま、プラス思考法や合理的思考法、建設的行動法といったものを考えようとしているケースも少なくありません。これは取り組み実践として浅く、上滑りの空回り精神論気持ち論の繰り返しになりがちです。
そうではなく、「目的」「課題」「望み」に応じた答えという「学び」をまず持ち、それを自分自身の生活と人生の場面で具体的なものとするものとして、具体的な思考法と行動法の検討や、「開放」「自己分析」があります。もちろん、心の健康と成長、幸福と豊かさという「目的」のためにです。

「学び」を読み聞きして感銘を受け、「心が落ち着き気持ちが前向きに」なれることをもって納得理解とできるのは、「最初の一歩」です。これはそれまでの人生すでに準備されていた成長が引き出されたものです。
ハイブリッド心理学のメール相談全てもこれに該当します。かなりの範囲において変化できた人もです。

そこからさらに成長変化へと向かうためには、まずある程度の納得理解を先に持ち、あとからそれを思い出しながら実践で確かめていく、という取り組み姿勢重要になってきます。
その積み重ねの中で、「これがそうなのか!」次の成長変化「気づき」として引き出されたり、あるいはそもそもの納得理解ができていなかった部分が明らかになってきて、再度「学び」を確認してみる、あるいは今ここまでできているとしたら、次に何が課題になってくるだろうかと、学びの全体再び概観してみることも必要にもなるでしょう。
これは「一生の習い事」と同じであり、そのものです。これは人生の生き方の、学びなのですから。
一度に全部をマスター、なんてことはあり得ないですし、さらに一度に全部を納得しようとしても無理があるでしょう。それをしようと躍起になるのは、人生の生き方を最初に全て分かって、「これで大丈夫」となれてから人や社会に向かおうかと考える、誤った姿勢です。これもやはり「自意識を生き」「空想を生きる」という心のあり方の中で、生まれがちな姿勢として。そうして「大丈夫な自分」を完全完璧に追い求めようとすることで、逆に「これでは駄目な自分」にだけなっていくという、「心の業」があります。これが「引きこもり」を生み出す、最大の原因かも知れませんね。

心の外面と内面広きにわたり、心の健康と成長に向かうための「学び」を得て、心の成長変化を歩む先に、そうした「心の業」を生み出す、心の最も根源にある「否定できる価値」という感覚および姿勢を、根本から捨て去るのが、ハイブリッド心理学の取り組み実践の、ひとまずの「習得達成目標」となる、「否定価値の放棄」「不完全性の受容」です。
これが「「心」と「魂」と「命」の開放」という歩みの道のりの、「魂の開放」にあたります。「心の成長の道のり情景図」において、「成長の大地」を進み、山の頂きへと続く、への到達です。
ここで私たちの心の風景明るく開放的なものへと一変し、ここから、「現実の世界」と「魂の世界」という2つの世界における力強い前進の一歩一歩が始まることを、先の「「否定価値の放棄」「不完全性の受容」という取り組み目標」で説明しました。

そうした「否定価値の放棄」という達成目標まで、メール相談で導くことはありません
なぜなら、心の奥底にあるその大きな扉を開くためには、日常生活と社会生活の全てにわたって、具体的な行動法やマイナス感情への対処を体得していくという、いわば外堀りを埋めていくことが必要になるからです。
その先に、それでも自分の心を何かのマイナス方向へと自分自身で力づくに向かせているものに向き合い、「完全完璧への衝動」「神になろうとする衝動」といった、多少とも哲学宗教的なテーマに向き合うのが、まずはその大きな道標への道筋としてこの心理学が考えているものです。
そうした、日常生活と社会生活の全てにわたって学びを広げるという段階で、それをメール相談なり何なりの「幅広く親身な相談指導」の形で進めるというのは、量的に非現実的であることに加えて、そうした行為自体が成長に逆行するように私は感じています。時折のアドバイスは引き続き有用として、基本的には自分自身で取り組み実践に向かうことが必要です。

そのためには、「学びの設定」ができることが重要になってきます。
「学びの設定」ができるとは、「今自分に必要な学びは何か」を、まず意識できるということです。「必要な学び」のテーマを持ち、その答えについて世の中にどんな考え方があるのかを把握し、その中から、自分としてはどれが確かだと思うのかの考えを持つようにし、それが必要だと考える間は継続してその実践をするという姿勢です。
これはスポーツ選手の技術向上の姿勢もそうですし、ダイエットの姿勢もそうでしょう。ダイエットにはどんな方法の考え方があるか。とにかく食事を減らせばいいのか。そうではないでしょう。「リバウンド」を引き起こすような極端な方法は避け、栄養のバランスと、適度な運動を取り入れること、などなど。
心の悩み人生の生き方についても、全く同じ姿勢が大切です。

つまり、読み聞きした感銘「自分の心を落ち着かせ、気持ちを楽にし、前向きにさせてくれる」言葉を求めて手当たり次第に読み漁ってあっちに行ったりこっちに来たりという姿勢から、変えていく必要があるということです。それではきりがありません。自分の心と人生にとって必要な「学び」のテーマを明瞭にし、自分でその答えを選んでいき、実践していくという姿勢にです。
そこで具体例で学ぶのはもちろん有用としても、「この通りにすればいい」と感じるものを求めるのも、基本的には誤りであることを理解しておいて頂ければと思います。なぜなら悩み場面としてはほとんど同じようであっても、本人と回りの状況の中にあるさまざまな前提の違いによって、結果として導かれる最善の行動全く逆のものになることもあるのです。たとえば本人の能力資質成長段階回りの人々のそれ、そして回りの状況が本人にどのように好意的かそれとも敵対的か、といった細かな違いなど。それによって、導き出される最善の行動は、たとえば勇気を振り絞って行動に出ることであったり、逆に、怖くて行動できない自分を許してあげることがそれであったりというように。
結局、「自分としてこうしたい!」という最終的な答えは、それぞれの人に、唯一無二のものになるのです。それぞれの人が唯一無二の存在であり、唯一無二の人生を生きているのですから。それを決めるのは、「現実を生きる」「今を生きる」こととして説明した、“「解釈」によって揺らぐ自分の感情の脆さ、頼りなさを越えて、その全ての可能性を受け入れた上で、最後に、自分から能動的に現実世界に向かうこととして、「解釈」を越えて、「ただそこにある現実」に対応した感情”として見出すものなのです。
ですから、具体例で学ぶことにも増して、「それはどういうことか」「なぜそうなのか」という「理屈」でしっかりと理解しておくことが大切です。「学び」にはどんな項目があり、それぞれの前後依存関係はどうなっているのか、等々。それによって、ある「学び」が今自分に必要だと感じても、手につけようもないような難しさを感じた場合、その前に必要となる「学び」が何なのかが、分かってきたりします。こうした「学び」の相互の関係といった話になるにつれ、一気に話の量が増えてきます。全てを一度に理解しようとせず、大まかな項目をまず理解し、あとは「一生の学び」の姿勢で、時折を読んで心の懐を肥やしながら日々の実践に向かうという姿勢が大切です。

ではここで、ハイブリッド心理学での「学び」が実際にどのような内容になるのか、その概要をお伝えしておきましょう。
まずその一覧表を、以下に示します。基本的な入り口から、より本格的な成長の真の源泉に向かう流れを、このあと大まかに説明していきます。

「学び」の一覧表
項目 内容
1 心の健康と成長
  のための
  基本姿勢と
  基本実践
「自分を優しく育てる姿勢」  「基本的自己受容」・・・唯一無二の成長への意志
「感情と行動の分離」の基本姿勢・・・内面感情ただ流し理解し、
  外面行動建設的なもののみにする
目的思考」「現実を見る目」「内面の開放」「自己分析
「自意識(空想)を生きる」から「現実(今)を生きる」へ
今までの心の死」を受け入れる 「学び」とのギャップを生きる
「自分自身に対する論理的思考」
外面向けテーマ
2 思考法と行動法の基本 「一歩一歩の向上思考」「肯定形・望み形での思考」
「破壊」から「自衛」「建設」
3 日常生活と社会生活
  の向上
日常生活・家事・健康・趣味における向上
「行動学」(建設的対人行動法・原理原則行動法・ウインウイン行動法)
仕事の能力とスキル向上(「価値の生み出し」の視点など)
内面向けテーマ
4 悪感情の克服 基本は、自分が外面現実の何に、どのようにその感情を感じたのか
ごまかしなく自己分析し、小手先の思考で塗り消すのではなく、
その感情の克服に向かうような現実世界への向かい方の学びを自分に問う
怒り・・・怒りを用いない行動法と価値観
怖れ・不安・緊張・・・正しく安全を知り、恐怖の感情を生きる
焦り・・焦りは比較的即座に解消が可能であり、またそれが必要な悪感情でも
  あります。ものごとは焦りの中では行わないのが基本です。「最低ラインを
  決め、あとは思い切って捨てる」
のが基本です。
・・・「体面」「外聞」「メンツ」vs「成長」のどちらを取るか
嫉妬・・・「受け身の幸運」から「自ら切り開く」へ 人生観
無気力・・・「やる気の勢い」に頼らない、メリット・デメリットによる行動判断
  自分の前にニンジンをぶらさげる技術
自己嫌悪・・・これにそのまま直接対処しようとするのは誤りであり、
  改善向上すべき、もしくはハンディとして受け入れるべき外面問題と、
  自分の内面衝動の何かに対する自己嫌悪に、まず分けるのが基本です。
  前者は外面向けテーマへ、後者は内面向けテーマおよび心の成長の全体への
  取り組みへ。その先に、「魂の感情」によって浄化されるという
  道のりになります
罪悪感・・・まず「現実世界」における行動法としては、相手に与えた「害」
  客観的に判断する対処法を学ぶのが健全です。一方、自己理想を満たせない
  ことや、相手の期待にそえないことを罪悪感に感じるのは「心の依存」であり、
  罪悪感の問題よりも「心の自立」が課題になります。一方、心の自立の先に、
  内面的な罪悪感については上記「自己嫌悪」の克服の一環になります。
悲しみ・抑うつ・空虚感・・・これらは「魂の望み」が置かれた状況に対する、
  むしろ心の健全な反応です。抑うつ自分自身で押しつぶしていることの、
  空虚感置き去りにされたそれがあることを示すものとして。「魂の開放」
  向かう取り組みの中で、「悲しみ」何を失ったことに対するものであるのか
  を自己分析する先に、「魂の望み」の回復への道があります。
痛み・失意・絶望・・・絶望の多くは、問題の深さではなく解決への無知による
  ものです。まずそれを脱し、心の成長の全体に取り組む先に、
  「痛みをただ痛む」という姿勢によって、痛み・失意・絶望は「自意識の殻」が
  壊れ、「命」の本当の「生きる力」へと私たちがつながっていく
  通り道
になります
5 心の成長の
メインテーマ
「愛」・・・外面においては「喜びと楽しみの共有」
  内面においては「魂の愛への望み」の開放
「自尊心」・・・「人を打ち負かす」から「現実において生み出す」
「人生」・・・「善悪主義」「評価主義」から「自らによる幸福主義」
  「存在の身分」から「今を原点とした前進」
  性善とサバイバルの世界観 欲求の開放と浄化
これらの全体が、「健康な心の世界」と「病んだ心の世界」への視野に依存します
根底テーマ
6 心の深層の決定的歯車 「否定価値の放棄(不完全性の受容)」
不幸になるための空想をやめる
7 総合的理解 心の成長の全体・・・「命の生涯」の開放
心の障害の治癒
・・・基本的には感情の抑圧と力づく練り上げ演技が原因

「学び」への入り方

「学び」への入り方は、「最初の一歩」「自らによる成長への模索」「終わりなき成長の歩み」という、おおよそ3つの段階を経ることを通して、と理解頂くと良いかと思います。

「最初の一歩」は、読み聞きした感銘、つまり人の言葉によって変化できる部分です。今までの人生ですでに準備されていた成長が、「気づき」として引き出される部分です。それによって「心が落ち着き、気持ちが楽になって、前向きに」なれるようなものとして。この範囲人それぞれです。
そこからほどなくして、それだけではもう次の成長に向かうことができない時が訪れます。人の言葉で変化できた変化「もつ」のは、長くてせいぜい半年です。すぐ、「やはり自分はまだ・・」と感じる時が訪れます。
そこからは、自分自身の考えによって、成長変化に向かう段階になるのです。

「自分自身の考えによって成長変化に向かう」とは、一言でいえば、今までがメール相談であれば、立場になるということです。自分がただ相談者である立場ではなく、自分がアドバイスする側に立つということです。自分自身に対してです。
これは一言でいって、大変な話です。必要なだけの知識を、幅の広さに加えて、正確さをもって持つことが必要になってきます。この心理学を学ぶにせよ他のものを学ぶにせよ、さまざなな取り組みの立場に応じた、多少とも専門的な言葉によって表現される「理屈」を理解するとともに、日常の言葉で表現される出来事のどれがどれに当てはまるかという、「実践」への「応用」が考えられるようになる必要があります。もちろん、まずは自分自身日常の言葉で感じ、考える出来事に対してです。
その先に、これがもはや「最初の一歩」ではない、つまりすでに準備されていた成長を引き出すのではなく、次の変化を準備する段階に向かうのであるということは、そのように幅広く正確な理解を持ってもまだ心は変化できず、それとのギャップを生きることに向かえるような、心底からの理解を持つ必要があるということです。その「学び」と「今の自分」とのギャップに向き合い続ける真摯さこそが、「望ましい行動に突き進む」「もはや立ち行かない自分の心を見つめる」「心の健康と成長とは逆を選んでいる自分を覚悟する」という3つの道の先に、「こう考えてこう感じるようにすればいい」という自意識のあがきを突き破るように現れる、「命」の力による心の成長変化を押し出すものとしてです。

ですから、そのような心底からの納得この心理学の学びに問うということは、ここにもう一つの道が現れる可能性を含むことでもあります。
それは、この心理学に納得せず、この心理学に「ノー」を突きつけることです。
これがはっきりすれば、これもまた単純な話になります。この心理学を選ばないのですから、この心理学が言うような心の豊かさの境地ならないのは、不思議な話ではありませんね。これはもう人それぞれの自由です。
そうした段階から、自分の考えを問う必要がある、ということです。この心理学ではこんなことを言っている。さて、自分としてはどう思うか、と。それでこの心理学に「ノー」と言うのであれば、それでいいじゃないですか。自分が「これがイエス」だと思うものに、しっかりと取り組んでみればいい。そこで答えを見出せず、それとは別のものを探したくなったら、再びこの心理学候補にして頂けたら嬉しいことです。もちろんもう、感銘によって自分を変えてくれる言葉を探して、という姿勢ではなく、心の成長についての自分の考えを問い直すという姿勢でです。
さらに言えば、心の成長についての自分の「望み」を問う姿勢でです。心の自立した、健康な世界における行動法が、自分の心をも健康と成長に向かわせ、さらに、その通りにはならない自分の心に向き合うことも、自分の心を浄化させていくというこの心理学が見出した道歩むことへの「望み」をです。
最後に私たちをこの道へと歩ませるのは、その「望み」になるからです。単に知的な納得理解を超えた、「望み」へと変化していくだけの、納得理解がです。

それがどのような幅の広さと深さになる必要があるのか、上の表も参照しながらざっと説明しましょう。

ハイブリッド心理学の学び実際の生活と人生に役立てる「取り組み実践」は、必ず、実際の生活と人生の具体的な場面について、自分がどう考え、行動し、感じているかについて、行います。
心が良くなる、心が成長変化するのは、そうした具体的な取り組み実践によってです。ただ「学ぶ」だけでは心は良くなりません学んだだけで、つまり読み聞きした感銘だけ変われるのは、今までの人生ですでに準備されていた成長引き出されたものであることは、これまで何度も指摘している通りです。ここからは、それを越えてさらなる成長変化に向かうための話をします。そのために、感銘した部分も含めて、再び学び直す・・否、これからが本当の学びを始めることとして、一からの納得理解を問い、実際の生活と人生への活用に取り組んでみて頂ければと思います。
そうした「取り組み実践」あってこその、この心理学です。実際の自分の人生に役立てない人生の生き方の学び、では変な話ですものね。

そうした実際の場面での「取り組み実践」は、まず「動揺する感情を克服したいのであれば、まずは感情を鵜呑みに考えない」という自明の大原則を踏まえて、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみにする」という「感情と行動の分離」基本姿勢に立って、その全てを進めます。(1.心の健康と成長のための基本姿勢と基本実践)

その基本姿勢を踏まえた上で、取り組み実践入り口およびになるのは、外面において日常生活および仕事や対人関係など社会生活全般を向上させるための「3.日常生活と社会生活の向上」領域と、内面において悪感情を克服するための「4.悪感情の克服」領域になるでしょう。
またこの両面を貫いて、人生の主要テーマとして「愛」「自尊心」「人生」への価値観行動法に取り組む「5.心の成長のメインテーマ」についての学びから取り組むという入り方も良いでしょう。
重要なのは、それら全てがつながっており、どれか一つでも心がその方向には向いていないものがあると、どれか一つに心を動かそうとしても、心はそうは動きはしないということです。
たとえば、社会に対して積極的に行動したくても、怖れ怒りなどの悪感情による妨げが強すぎると、難しくなってしまいます。そこで「怒り・怖れ・不安・緊張」などの妨げ感情を克服したければ、そこに書いたように、まず全ての悪感情に言えることとして、自分が外面現実の何に、どのようにその感情を感じたのかを明瞭にするとともに、小手先の思考で塗り消すのではなく、その感情の克服に向かうような現実世界への向かい方選ぶということが必要になります。「怒り」であれば、「怒りを用いない行動法」があります。それを本当に自分が選ぶものとするか。最後には怒りのパワーで相手をねじ伏せる勝利を求めながら、一方で怒りの心身的な不快感や悪影響だけなしにしたいと思ったところで、そうは問屋が卸さないのです。私たちの心と体の仕組みという問屋がです。
心底から「怒り」というものをなくしたければ「怒りに頼らない行動法」として「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」などの「行動学」を学ぶ必要があります。それはまた、「人に勝つプライド」ではなく「現実において生み出す」ことに自尊心を置く価値観を、本当に心底から選ぶこととつながっています。
「怖れ」「怒り」表裏一体です。怒りに頼って行動する人は、常に人からの同じような行動が自分に向けられることへの怖れを抱えて生きることになります。「怖れ」の克服を、上記表においては「正しく安全を知り、恐怖の感情を生きる」ことと記していますが、「怒りに頼らない行動法」によって実際に人や社会に対してうまく行動できるようになることで、その「正しい安全」が得られるのです。そうして「正しく安全を知った」上で、今までの人生で積み重なったものとして流れ続ける怖れの感情ただ受けとめる時間を経た時、私たちの心の底から、怖れの感情消え去り始めるのです。
同じ「怖れ」と言っても、災害や事故への怖れと、人から受ける評価や、人からの愛情が失われることへの怖れは、大分異なります。後者においては、「愛」「分かり合い認め合う」ものとした時、その怖れ克服できないものになります。なぜなら、人はもともとそれぞれが唯一無二の存在であり、「分かり合い認め合う」ことに「愛」を求めてはいけない面も持つ存在だからです。このことを心底から受け入れ、「愛」を「喜びと楽しみの共有」とする行動法および価値観を、本当に自分が選ぶものとするか。
これは、「健康な心の世界」「病んだ心の世界」への視野にも依存します。「健康な心の世界」というものを、どのようなものと考えるか。私の言葉でいえば、それは相手の痛みを分かるといったことよりも、純粋で素朴な楽しみによって生きるといったことです。この言葉にはすぐには納得できない人が多いかも知れませんね。
いずれにせよそのように、全てがつながっているのです。

「最初の一歩」が過ぎ、「やはりまだ自分は・・」と感じ、改めてこの心理学を学び始める決意をしてから、「これがそういうことなのか!」といった成長変化始まりを感じ取れるのは、そうして外面の向上なり、内面の悪感情の克服なり、あるいは人生のメインテーマなり、自分が「問題・課題・望み」として取り上げるテーマについてのハイブリッド心理学からの答え、そして上記表にまとめたような、それにつながるテーマの大よそへの理解ができてきて、その大よその方向に納得でき心が向き始めた時・・というよりも、つながりのある大よそのテーマについての自分自身の考えがほぼ持てるようになった時、と言えるように感じます。つまり、実際の生活と人生の場面で、自分が今取り組むべきこのテーマだ、と明瞭にでき、それについてのハイブリッド心理学からの答えはこうこうである、そしてつながりのあるテーマについてこう言っている、ただし自分はこれには納得できるが、これには納得できない、という自分自身の考えを自覚できるようになった時です。
ここから、「「学び」とのギャップを生きる」中での3つの道に加え、「これには納得できない」という自分の考えもはっきりさせることも含む4つの道が現れる形で、目に見える形で、あるいは目に見えない形で、自分の心が変化し始めるのを、知ることになるでしょう。
そこから、「終わりなき成長の歩み」が始まるのです。

ですので、「最初の一歩」が過ぎ、そうした「終わりなき成長の歩み」始められるまでに、学ぶ姿勢「感銘によって自分を変えてくれる言葉を探し求める」というものから、「大よそのテーマについての自分の考えを持つ」というものへと転換した上での、結構な学び直し、あるいは改めての学び始めのための、結構な期間はどうしても必要になるものと考えられます。

それが「自らによる成長への模索」段階と言えます。今これを読んだ多くの読者の方にとって、今からがそのスタートになるでしょう。ここからはもう、一気に全てを習得しようという焦りの姿勢は捨てて、「一生の学び」として、落ち着いた生活のリズムの中で、目の前の「問題・課題・望み」に向かう「実践」と、適度な時間を見つけて本などを読み返して懐を肥やしていく「学び」という2本立てが、最も良いものになるでしょう。


「自分に今必要な学び」のテーマの捉え方

では次に、「学び」の項目のレベルで、「否定価値の放棄」という「習得達成目標」までの流れ主なポイントを説明しておこうと思います。
にしたものが以下になります。流れの中に、2つの分岐があるのがポイントになります。

一つは、「最初の一歩」を過ぎ、「自らによる成長への模索」に向かおうとする段階で、もし「学び」の理解納得が全般的に進められないならば、基本的な妨げ原因は何かに取り組むという部分です。納得理解が進められない様子に応じて、幾つかの異なる原因への取り組みになります。
もう一つは、「習得達成目標」となる「否定価値の放棄」自分に問えるような、「習熟体得」の段階に達しているかどうか分岐です。

これを参考に、「自分に今必要な学び」のテーマは何かを考えることができるかと思います。ざっと説明しましょう。

  「学び」の流れチャート図
   (印刷すると2つのページに分かれる場合があります)




基本的な流れ

まず、実際の生活と人生における「取り組み実践」は、「「学び」への入り方」でも述べた通り、必ず「現実場面における行動法の学び」から入ります。具体的な問題場面状況において、心の健康と成長に向かうための行動の仕方はこうこうである、というはっきりとした答えがあります。それを知ることからです。
これが先の「学びの一覧表」において、「2.思考法と行動法の基本」基礎とした、「3.日常生活と社会生活の向上」です。
一貫する指針は、「気持ちの思いやり」のようなものよりも、「内面感情の良し悪しを問うことなく現実において生み出す」という行動法です。「分かり合い認め合う」ことではなく「喜びと楽しみの共有」「愛」とする行動法や、「人を打ち負かす」ことではなく「現実において生み出す」ことに「自尊心」を置くという「価値観」など、「5.心の成長のメインテーマ」とすぐにつながってきます。

そこから出される行動法の答えを、「この通りにしなければ」などと、全てにおいて力づくでも自分をそう行動させなければならないものと考えるのは誤りです。そもそも、心の健康と成長に向かう行動法とは、実際の場面での具体的行動として、全く異なる幾つかの選択肢として出てくるものです。たとえば行動パターンが合わない相手への対処であれば、可能な範囲で相手に合わせることも、あるいは思いきって関係を断つことも、その中に含まれるであろうように。人や社会に向かう行動もあれば、自分一人の時間を持つという行動もあります。身体の健康と成長において、「活動」「休息」どちらもが必要なものとしてあるのと同じです。結局、心の健康と成長とは、自ら幸福に向かうための行動の選択肢を知り、それを自分で選んでいけるということにあるのです。
そこに、「「学び」を設定する」でも述べたように、細かい状況の違いによる、自分としての唯一無二の行動の仕方というものが出てきます。勇気を絞ってその行動に出ることがそれなのかも知れないし、あるいは怖くて行動できない自分を許すことなのかも知れない、と。

こうした「現実場面における行動法」の選択肢の答えそのものは、原則として、すぐに出ます。その中から自分なりの「今できる最善の行動」を決めるのは、「内面の開放」「自己分析」なども経る必要のある、時間のかかることだとしてもです。
そうした「現実場面における行動法の答え」は、「まず自分で考えてみる」よりも、まずはこの心理学からの答え知るのが近道です。自分で考えようとしても、最初のうちはまずは思いもつかないか、あるいは自分で考えても内容が大抵間違っています。「今の自分の心の中で考える行動法」ではない行動法なのですから。「最初の一歩」の段階であろうと、「自らによる成長への模索」の段階であろうとです。
生活人生あらゆる場面において、全く異なる行動の選択肢の幅があるとしても、望ましい行動法の答えがあります。その全てを網羅するテキストを作ることなど不可能ですので、まずは「メール相談事例集」(あとでリンク掲載^^)なども参考にするなり、あるいは『読者広場』掲示板などでご質問頂くのがよろしいでしょう。
そうした具体例などを参考に、「2.思考法と行動法の基本」「3.日常生活と社会生活の向上」「5.心の成長のメインテーマ」内容おおよそ憶え、自分の心はまだそのようには動かないとしても、この場面状況における望ましい行動法の答えはこうなるだろう・・という内容自分でも間違いなく考えられるようになった時が、「終わりなき成長への歩み」順調に前進し始める時です。

話の感銘「心が落ち着き気持ちが楽になり前向きに」なれるのは、「最初の一歩」までです。
「自らによる成長への模索」からは、気持ちが楽になれるかどうかではなく、心の健康と成長に向かう行動法を、自分自身がどのように考え、理解しているかに、強く意識を向ける必要があります。「感銘」ではなく、その納得理解と共に「人生を歩む時間」こそが、さまざまな「体験」の中で心の成長変化を生み出すものになるからです。目に見える形で、あるいは目には見えない形で。
それは「次の成長への保留段階」とも言うべき、感情がむしろ不安定になる状態経るものであることは、「「学び」とのギャップを生きる」で述べた通りです。今までしたこともない新しい行動法に出ようとした時、パニックに襲われることであったり、あるいはもう立ち行かない自分の心を見つめる「心の死」を受け入れることであったりと。

ですから、短絡的に感情を良くしようとするのではなく、長い目で感情がどのように、根本的に良いものへと変化していくのかを理解することが、決定的に重要になってきます。これが「4.悪感情の克服」の領域です。
そこに示すように、「焦り」ただ一つの例外とし、どの悪感情をとっても、悪感情そのものに働きかけてすぐに良くする方法はありませんし、さらに、「こうした行動法ができれば解消する」と言えるようなものさえ、ないのです。つまり感情がより良く豊かなものに変化していくのは、心の健康と成長の、総合的な結果なのです。そこで「7.総合的理解」が、感情を良くしようとする短絡的な焦りを脱し、悪感情に対してまずは「ただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の姿勢を取るために、何よりも強い援軍になるでしょう。
また、悪感情の種類に応じた克服心の健康と成長への総合的な理解を深めることは、同時に、「学び」とのギャップに向き合う「開放」および「自己分析」を、深く精緻なものへと前進させていきます。そこに、「「学び」と「開放」と「自己分析」」で述べたように、悪感情の埋もれた「原因感覚」が突き止められ劇的な解消が生まれるといったことも起きるようになります。これもやはり「終わりなき成長への歩み」順調に前進する段階です。


まずは「問題の捉え方」から

では始めましょう。「取り組み実践」は、「目的思考」で行います。つまり何が「問題」か、あるいは何が「課題」「望み」なのかという、取り組みをする「目的」を把握し、それに対する望ましい行動法の答えをまず知ることからです。
そこで重要なのは、まず「何が問題なのか」という「問題の捉え方」から、感情に流されずに考えることです。「答え」感情に流されずに考えること以前に、「問題」そのものから感情に流されずに考えることです。「感情と行動の分離」の基本姿勢に立った取組み実践が、そこから始まっているのです。

たとえば私たちの感情動揺は、まず大抵は「こんな目で」「こんな扱いを受けた!」といったものから始まります。そこでそのまま、「そんな目」の他人に受け入れるためにはどうすればいいか、あるいは「こんな扱い」を受けたことへの仕返しをするためには・・といった「目的」を掲げた時点で、それはもう問題把握からして感情に流されているということです。その先にハイブリッド心理学の「取り組み実践」をしようとしたところで、すでに道の外にはずれてしまっています。
そうではなく、「こんな目で!」「こんな扱いを!」という、起きた出来事の捉え方から、「感情と行動の分離」の姿勢で見直すことから始めます。

重要なのは、「客観的な現実問題」と「内面の感情の問題」を、それぞれ分けて考えることです。それは自分が「酷い扱いを受けた!」と感じることにおいて、実際のところ誰の目から見ても酷い他人の行動があったのか。それとも、客観的に見ればごく些細な、自分が特別に尊重されなかっただけの、ごく普通の出来事だったのか。
それに応じて、外面向けの行動法「学び」と、内面向けの感情の解きほぐし「学び」が出てきます。もし本当に他人の側の酷い行動があったのだとしたら、怒りに頼らない、「行動学」による具体的な対処法学びへと進めます。内面向けには、そうした他人の側の酷い行動に対しても動じない心の安定と強さとは何かの学びへと進めるでしょう。あるいは、実は他人の側はごく些細な普通の行動であったと見直すことができれば、自分がどのように特別扱いへの衝動を抱いていたかの自己分析など、内面側の検討へと進むことができるでしょう。
「外面の現実問題」と「内面の感情の問題」をしっかりと分けることが重要です。まずは「外面の現実問題」を、そうした客観的な姿勢先に捉えることが重要になります。外面の問題は比較的すぐに答えが出ますので、それにまず対処し、次に、残る感情の問題に対してじっくりと取り組むというのが、基本的な流れになります。

悩み場面主なパターンなどは「メール相談事例集」(あとでリンク掲載^^)などに譲り、ここでは一つだけ、今ちょうど『読者広場』ご相談頂いている例をあげてみましょう。「人への苦手意識があり、心が繊細で細いです。今のままの自分でも強い心を持てば問題ないとは思うのですが、些細なことで傷ついてしまう弱い心。これから先交友関係を広げられるか、仕事をしていけるとか心配です。管理職になど到底なれそうもありません」
まず、「人への苦手意識」「管理職になれるかどうか」は、全く別の問題です。管理職というのは、人への苦手意識の有無といった問題よりも、自分の会社の業務への理解と情熱の方が重要でしょう。それがあれば、人への一般的な苦手意識があっても優れた経営者になる人もいるでしょう。これは「仕事の能力」についての「学び」になります。
そもそも「問題」は何か。「管理職になりたい」のか。そうであれば、「仕事の能力」のついての、より本格的な「学び」が出てきます。それを一方で学び、人への苦手意識については、また別の問題として、さまざまな具体的場面を取り上げて取り組んでいくのがアプローチになります。ただ、どうもそうではなさそうでもあります。

ここでの本当の問題は、今の自分の心で考える、自意識の空想の中のイメージに縛られて、成長が分からないでいることです。今の心でイメージできる、「繊細で弱い心」「強い心」といったイメージに縛られて。もし「今のままの自分でも強い心を持てば問題ない」と本当に思うのであれば、そうすればいい。でもできない。思考が、意味のないものになってしまっているのです。
このご相談の場合、直接的な「問題」は、「低い自己評価」「自己嫌悪感情」といったものになるでしょう。しかしそれに直接働きかけて霧散解消させ、一転して「高い自己評価」「自己賞賛感情」転じさせる方法などないことは、今「基本的な流れ」で述べた通りです。成長の全体に向かう必要があるのです。
特に、「学びの一覧表」「4.悪感情の克服」「自己嫌悪感情」について書いているように、それにそのまま直接対処しようとするのは誤りです。「こうなれれば自己嫌悪感情が消えるのでは」と、例えば「出世できれば」「友達ができれば」「結婚できれば」さらには「この宗教を信じれば」といった外面目標「練り上げる」と、本当の自分の個性を偽ったものが思い浮かびがちです。そのまま進むと、人生そのものが、自分を偽ったものになってしまうのです。このご相談「管理職になど到底・・」といった言葉が出たのも、まずは「自己嫌悪が消えた自分」のイメージとしてでしょう。この心の罠が、世の若い人の陥りがちな、「誤った自分探し」を生み出しています。自分の個性にも向き合い、純粋に自分が望める目標を模索することと、内面の悪感情への向き合いを、分けるのが正解です。

ですから、この場合のアプローチは、まずは2つになります。
1つ目「具体的な行動場面」における「具体的な成長」に、もっと目を向けることです。仕事であれば、「人への苦手意識」の問題ではなく、「役割と工程の管理」などの普遍的なスキルに、まず意識を切り換えて取り組む。交友関係であれば、友人をどう増やせるかの前に、まず自分が本心から楽しいと思えるものを探す。こうした「具体的行動場面」における「具体的な成長」というのは、それを進む中で、悩みごとや人生の感じ方の全体が変化していくものです。これに進まないと、何も始まりません。

2つ目に、内面の悪感情の根本的克服も含めた、心の成長への総合的理解に取り組むことです。このご相談者の方の場合、これまでにも何度かご相談を寄せて頂いており、多少の変化も得た、「最初の一歩」ちょうど終わったような段階です。ここから、「自らによる成長の模索」の段階に進むかどうかの、選択だということです。「一生の学び」のモードに、ギヤを変えてです。
それはこの心理学そのものを、選択するかどうかということでもあります。真の心の成長は、今の心で考える「こんな心に」というイメージの、どれになることでもありません。今の自分の心では想像もできない、未知の心へと変化していくことです。それに向かう道歩むか。そのためには、「どう考えればどう感じることができるか」、ではないのです。「今何を学ぶのか。そして今何を本当に感じているのか」なのです。自分の心を自分ですぐ変えようとする焦りを捨て、それを最後まで、地道に続けるのです。


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2012.10.12

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