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ハイブリッド人生心理学とは 1.ハイブリッド人生心理学とは
2.「取り組み実践」への理解
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3.学びの体系
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2013.9.17 この原稿は『ハイブリッド人生心理学の取り組み実践・詳説 −「心」と「魂」と「命」の開放−』
として無料電子書籍化しました。今後の更新電子書籍側のみになります^^。


2.「取り組み実践」への理解 - 続き
 (10)「自らによる心の成長」と「人生の前進」の歩みへ
「自らによる心の成長」の歩みへ  人生の前進と「望み」への向き合い  「自己分析」と「見通しづけ」の導き  「人生の望み」への向き合い

「自らによる心の成長」の歩みへ

こうして、「今望む成長」を自らの心に問うまでの意識過程という「歩み方」に加えて、その見えるであろう「心の成長への視野」思想という「歩みの先への地図」をたずさえることで、ハイブリッド心理学による「自らによる心の成長」歩みが、完成するように思えます。

つまりそれは、「現実を見る目」「自分自身に対する論理的思考」に始まり、「目的思考」による「学びの姿勢」、そして「全てを尽くして望みに向かう姿勢」が生み出す「成長の望み」という思考過程通過駅と、それを支える「2面の真摯さ」という2本のレール、そのはざまにある「ギャップを生きる歩み」「自己分析」、そして「現実(今)を生きる」という心のあり方というこの列車の旅路に、果たして心と人生の答えどこにあるのかを、一つのたたき台となる地図片手に、自分の足で立って歩くからこそ働くようになる、自分自身の心の目で、探求していく歩みになるのだ、ということです。
それが、「心の成長の道のり情景図」に示した、「未熟と病みの大会」から抜け出て「成長の大地」歩み始めるという、その最初の地点から始まるのだ、ということです。

まずは、今自分が望む心の成長とは何なのかを、自分に問うことから始めるのがいいでしょう。それは「自分を悪感情の洪水から救い上げる」ことだとして、それは本当に「依存の愛に別れを告げる」ということなのか、と。それは一体どういうことか、と。
そこから、今自分直面する、日常生活人生具体的問題における具体的「学び」へと、つなげていくのです。それは自分自身でしっかりと「目的思考」による考えを持つようにすることであったり、対人行動法見直しであったり、仕事の能力という課題向かうための思考法行動法といったテーマであったりするでしょう。
そこで、この心理学からの「学び」ではどのような話になるのか、の把握重要になります。いきなり「どうすればいいか」の結論に行こうとするではなく「学び」としてはこうなる。それについて、自分としてまずどう納得理解できるのか確認してください。そしてそれが「今望む姿成長」を支える行動法であることがしっくりと納得できる時、この歩み前進始めます。その行動法合う感情自分の中見出すにせよ、それができず行き止まりの自分の心見つめることになるにせよ。

そのための、「学びを設定する」という作業が、決め手になります。今自分悩み動揺しているのはこうしたことであり、それは「学び」テーマとしてこれになる。それについてのハイブリッド心理学からの「学び」このようなものであり、それはこのような心の成長向かうためのものなのだ。
そうして、「学びの設定」「ギャップを生きる歩み」「今望む成長」までの全てつながった時、この歩みは、自ず前進します。
ですので「取り組み実践」意識作業としては、
1)「学びの設定」と「ギャップを生きる歩み」を、その都度その都度の行動場面材料について、自分が感じる悩み動揺の内容と、それに対する「学び」がどうなるのかの理解を、日記などに書く作業として進める。
2)「今望む成長」向き合うと共に、それがそうした具体的な「学び」にどのようにつながるのかについては、継続的な読書一助にして自分なりの自覚と理解深めていく。
という、2本立ての進め方を考えると良いでしょう。


人生の前進と「望み」への向き合い

ここから先歩みとは、「成長の望み」への向き合いと、「学び」の深まりと共にある、人生の前進そのものです。

つまり、まずは感情や回りに流されて自分の考えを持てないという状態脱し「目的思考を欠いた善悪と評価の思考」からも抜け出て「自分自身に対する論理的思考」で働かせる「目的思考」によって、日常生活と社会生活の向上、そして自分なりの人生の基盤の構築に向かうという歩みを、実際に前進させていくことです。今述べた「自らによる心の成長」歩みとしてです。

この意識実践において足がかりとなるものを、ざっと書いていきましょう。
それはまずごく外面においては、衣食住身の回り趣味のことがら、家族との関係、交友恋愛向かうための行動法向上から始まり、から独立するにせよ同居を続けるにせよ、どのように「仕事」をするにせよ、自分なりの考えによって、自分なりに多少とも満足もしくは納得ができるまでの経済的基盤への取り組みもあれば、パートナー探しという人生のイベントもあるでしょう。

そこで内面においては、どのような心のあり方良くどのような心のあり方悪いのか、どのように感じることができればいいのかという視点ではなく
1)「自分で考える」という姿勢実践「心の依存」から「心の自立」への転換促がし、それが「人生観」変化につながることで、「自分を悪感情の洪水から救い上げる」で述べたように「怒り憎しみ」「嫉妬」「絶望感」といった最も苦しく嫌な、耐え難い悪感情消える方向向かうといった、「心の依存」から「心の自立」への転換による感情の変化の流れ
2)「愛」「分かり合い認め合い」として向かうことがしばしば「疑り合い縛り合い」変化する一方、「純粋な楽しみと喜びおよび向上の共有」として向かうことが惑いのない豊かな愛つながり得ること、また「自尊心」「人を打ち負かす優越」として向かうことが人との関係の悪化と「怖れ」「怒り」つながる一方で、「現実において生み出す」ことによるものとして向かうことが自尊心と人との良好な関係を両立させるといった、心の成長の基本テーマにおける方向性の違いによる、感情の変化推移の流れ
などの、心の成長の軸による感情の変化推移理解した上で、
3)それが「学びの一覧表」「4 悪感情の克服」にまとめたようなことに、どのようにつながっていくのかの理解が、重要になります。
その理解こそが、上述の、外面におけるさまざまな行動場面での思考法行動法転換へと、しっかりとつながっていくのです。

また、そうした理解助けに、
4)心の健康と成長に向かい得る行動へと進むことができる自分強く望みながらも、内なる病んだ心、もしくは硬い自意識妨げられてそれができない時、「病んだ心の膨張と自己崩壊」そして「自意識の業の膨張と自己崩壊」といった心の治癒の仕組みがあることを理解しておくことが、なによりも助けになるでしょう。
そこで健康な心の姿を強く望みながらも、そのようには動かない行き止まりの自分の心を見つめる苦しみが、私たちがしばしば「捨てたくてもどう捨てることができるのか分からない」ものと感じる、病んだ心が生み出す執拗な歪んだ感情と、硬い自意識が生み出す、「望み」と「現実」の間に立ちはだかる分厚いガラスのような意識の隔たりを、根底から消滅させていくのです。これが「心の死と再生」仕組みとして、私たちの未知の異次元の世界へと成長変化させていく、基本的な仕組みになるのです。
そしてこれがやはり、外面におけるさまざまな行動場面での行動法につながることを理解するのです。たとえばそれは、それは「ハイブリッド心理学のアプローチ」で触れたように、共有するもの見出せない時には孤独を受け入れるといった行動としてです。

これらの前進のための意識作業何から始めるかに再び話を戻すと、「目的思考」であり、何が「問題」「課題」かから、何が自分の「望み」かと検討を進めることが、まさにこの人生の前進推進させるものになります。

一般「欲求」「衝動」「願望」「望み」といった心のエネルギーの感情は、「これは感じていい」「こんなものを感じてはいけない」という風に、それが湧き出ようとするところ「検閲」し場合によって「抑圧」するというのではなく、まずは湧き出るままに、心の中で思いっきり開放することが、心の健康と成長にとって良いことであるのは言うまでもありません。心の内部で感情の「検閲と抑圧」を行うことは、基本的心の健康を害し「心を病ませる4つの心理メカニズムからの抜け出し」でも述べたように、やがて心がおかしな動きを始めて自分でコントロールできなくなる心の病につながります。
そうしてまずは心の中であらゆる衝動や願望の感情を開放したに、上記に書いたような、向かう姿勢と行動法の違いによる心と感情の変化の流れの理解立って、そうした感情そのまま「現実」に向かわせて良いものかどうかを吟味するのです。それが自分逆に窮地に陥れるものであるのを感じれば、その衝動自ず心の中滅んでいく方向に向かうでしょうし、生活と人生の前進つなげることができるものであれば、心の中で抱く願望であるだけ状態から変化し、「現実行動」に向けての「意欲」「意志」が加わったり、あるいは逆に「現実行動」に向けて「不安」が見えてくるといった、新たな局面の始まりにもなるでしょう。これが「学びとのギャップを歩む」という歩み方基本になります。

そこで疑いなく自分にとっての幸福として望みながら、すぐ現実行動につなげることには高い壁があり行動できないものについて、心の中でそれが満たされた自分の姿の空想にふけることは、悪いことではありませんし、「悪いことではない」どころではなく、それこそが「心の豊かさ」つながるものでもあることを、ここで書き添えておくことができます。
多くの文芸芸術音楽が、それをにしたものでしょうし、「自分の望み」というものをはっきりと形として自覚していくこと自体が、まずそうした「望みの空想にひたる」という意識過程あってこそ生まれるものとも言えます。もちろん、「全てを尽くして望みに向かう姿勢」があった上でのことです。
そしてこの後に説明する、ハイブリッド心理学が最も心を豊かにするものと位置づける「魂の望みの感情」も、まさにこの「望みの空想にひたる」ことので、現れてくるものです。私の『悲しみの彼方への旅』でも、その最も豊かな輝きを帯びた空想の場面が、「蘇った自己」の章終わりの方で、初恋の頃の延長として大人になった自分その少女共に過ごす場面夢想として描かれています(P.138)。映画『タイタニック』ラストで、老婆になったローズが、タイタニック号の中でジャックと祝福されている場面空想で終わっているのも、同じものと言えるでしょう。
いずれにせよこの「望みの空想にひたる」ことが心の豊かさ前進になるのも、あくまで心の健康と成長に向かい得る行動というものを得た心において、言わばそれによって守られた心の中でのみ可能になるものであることを、書き添えておきましょう。


「自己分析」と「見通しづけ」の導き

それらをまずは「望みへの基本姿勢」として、そこにさらに「自己分析」、そして多少とも「見通しづけ」とも呼べるものを加えることが、内面における深く精緻で広大な導き実践になります。
ごく手短に言えば、「自己分析」とは「感じ分ける」ことであり、「見通しづけ」とは心のアンテナ特定の方向に向けて、感じ方をとぎすませることです。「こう感じるように」「感じる内容」を方向づけようとする「枠はめ」ではなく、「自分はこれをどう感じるのか」と、「問う内容」方向づけるのを、「見通しづけ」呼んでおきます。

これはまずは、「学び」へとつなげられるだけの細かさでしっかりと自分の感情を感じ分けるのが、その「基本形」と言えます。「基本的な妨げへの取り組み」で、感情を整理するための言葉を使って考えることが大切だと述べた通り。
つまり、「自分自身に対する論理的思考」を、「言葉」というものをしっかりと正確厳密使うことで堅実にできるようになるということを、自分自身の感情把握についても行っていくことです。私たちは外界現実ものごと違いを、「言葉」違いを使って認識記憶することができます。たとえば「雪」「みぞれ」違いのように。同じように、感情の細かい違いを、「言葉」の違いでしっかりと把握するのです。「雪」という言葉「みぞれ」という言葉を分けておらず、違いも分からないというような状態を脱して。
たとえば、「人に接するのが怖い」というものであれば、それが「軽蔑」向けられると感じる怖さなのか、それとも「嫌悪」あるいは「怒り」向けられると感じる怖さなのかによって、それぞれ、「自尊心」への向かい方「愛」への向かい方、あるいは「罪悪感」克服と、「学び」のテーマ変わってくるというように。取るべき行動法の話も全く違ってきます。
これは取り組み自分で進めるためには必須になってくると同時に、これによって、上述の、心の成長の軸による感情の推移の理解に立った行動法の選択に、自分の内面感情の正確な把握がつながることで、心の内面と外面にまたがる取り組み実践の意識作業が、基本的な完成形として成り立つのです。

それがさらに、今まで目をそむけていた、あるいは感覚が鈍っていた深層の感情を感じ取ったり、今まで理由が良く分からなかった気分の変化意味はっきりと自覚する、さらに心の成長の前進に伴ってもはや自分には不合理と言える悪感情の要因感じ取るといった高度な自己分析可能になるのが、「熟達形」と言えます。
「心の成長のメインテーマ 「愛と自尊心」に向かう」で、『悲しみの彼方への旅』から紹介した自己欺瞞を自ら暴く自己分析、また「「心を良くしようとするのをやめる」という第一歩」で紹介した劇的な治癒作用を伴う自己分析などがこれに該当します。
これは継続的な読書などで心の懐肥やしながら、先の「「自らによる心の成長」の歩みへ」で説明した2本立ての取り組み作業、つまりその都度その都度向き合い日記などに書く作業と、「今望む成長」の自覚のため継続的な向き合い共に積み重ねていくに、次第に可能になってくるでしょう。
これは上記の基本的完成形が、さらに心の治療のメス加え得たものと言えます。

そしてその「熟達形」が、さまざまな感情の動揺気分の昇降自分が一体何を望んでいるのかといった「望みの感受性」高めることや、自分の「望み」の中にある偽り自覚し、「望み」を自分にとってより偽りの少ない「本当の望み」へと、さらにその先にある「真の望み」へと洗練させていくことなど、「望み」に向けられるものが、「未知への前進形」だと言えます。私たちのは、「望み」の変化によってこそ、未知のものへと変化するからです。

「望みの感受性」は、この歩みの道のりにおいて、最初から極めて重要です。
たとえば「「依存から自立へ」の心の転機と「真の望み」」私自身の例を説明したように、「依存の愛」の中にある、「真の望み」感じ取るためにも。それを感じ取る中で、それはもはや自分の追い求めるべくもない望みであることを感じ取る中で、自ずからそれを卒業する方向へと、変化していくのです。深い失意の中でです。
また、「成長の望み」感じ取るためにもです。それが自分を悪感情の洪水から救い上げるために依存の愛を手放すことだというのも、それは頭で「依存の愛を手放せばいい」などと考えて向かうものではなく自分がそれをいかに心底から望んでいるか、しかしその一方でいかに自分自ら心の基盤を失う危機陥らせているかを感じ取る中で、最後に、「自分が感じる」というよりもさらに深い心の底から聞こえてくる、「命」からの命令のように感じ取るものなのです。「その愛から身を離せ」、と。これらの全てが、「望みの感受性」基盤にして、感じ取られるものなのです。
そうして「未知への前進形」となる、「望み」に向ける「熟達形」の自己分析と見通しづけが、やがて「真の強さ」という次の視野を経て、「否定価値の放棄」開かせるものになります。

「望みの感受性」が妨げられている状態への理解が、まず手始め役に立つかも知れません。
それは自分から何を望んでいるかについての感受性が損なわれるごとに、自分心の内部他人映し出され「投影」「外化」心理メカニズム深刻に作用するようになり、「意識」そのものが、人にどう見られるかに重みを帯びたものに変形してしまうというものです。そこでしばしば、人の心の中邪念ありありと見えるかのようになるのですが、これを本人が、自分には他人の心を感じる能力があると錯覚することが、しばしば、この人を完全に心の健康と成長とは反対の道向かわせてしまいますので要注意です。
そこで起きる典型的流れは、自分から望む感情を見失うごとに、他人がどうであるかに心の重みが移り、それに怒りを向けるという心のあり方になるということです。
まずはこれが多くの人スタートラインとして、他人がどうであるかよりも、まず自分がどのような生き方、どのような思考法行動法をするかに取り組むのが、この心理学です。そして「現実を見る目」「自分自身に対する論理的思考」に始まり、「目的思考」を経て「成長の望み」までの心の基盤培うことのに、いよいよ人生の前進に向かう。その足がかりとして外面から内面にわたり何があるのかの総まとめを、この節で書いているという流れです。内面足がかりは、やがて「未知への前進形」自己分析見通しづけになるものとして。

それは最終的に、「未知への前進形」が再び「熟達形」と結びつき、外面の出来事によって起きる心の動揺や気分の昇降を、「真の望み」のエネルギーによって吹き飛ばすような自己分析見通しづけへと前進させることが可能になります。これを私は「異次元への前進形」と呼びたいと思っています。
例えば私の例で言えば、執筆活動において外面的な成功として目標にしながら進めてきたものは、大方実現しない、外面的不成功経てきました。しかしそれによって私は、まさにこの執筆価値を、私自身において確信できるようになったのです。もし外面的成功得ていたら、私は自分の執筆価値見極めないまま、内容が粗いままの執筆ばかり続けていたでしょう。
それで言うのであれば、私たちが今生きている中で望み向かう「自意識の望み」は、「命」が抱く「真の望み」に比べれば、全てどこかに偽りがあるものなのです。それでも結局私たち人間「自意識」生きる存在であり、「今この世界の中で自分がこうなれれば」という「自意識」描くことで「望み」を持ち、それに向かって生きることができる存在なのです。それがなしになるとは、「認知症」など、もう脳の健康な機能が損なわれる段階の話になります。
そのようなものとして、私たちが今生きて向かう「望み」は、どこか偽りのものでしかない。それを、私たち人間がそのような不完全な存在であることを心の底から受け入れる「否定価値の放棄」「不完全性の受容」に立って感じ取る時、もはや生きることに何の惑いも、不安も感じなくていい、という心の境地を、私は見出すのです。結果どうなろうと、大したことはない。今自分にできること楽しみ、充実すればいいのだ、と。
私自身の感じ方なども少し話が膨らみましたが、そのように「真の望み」が持つ、あらゆる惑いを吹き飛ばすエネルギーを視野に含めた自己分析と見通しづけが、「異次元への前進形」と呼べるものだと、私は感じています。これは「命」というこの歩みゴールほぼ手に届いている、「「真の望み」に向かう心の成長の4段階」で言う第4段階になります。

私たちの人生において、最も大きな前進の体験になるのは、こうした「未知への前進形」「異次元への前進形」自己分析になる・・・のでは、ありません
自分から望むものに向かって、現実の行動に、向かう「体験」なのです。そこに、こうした内面の足がかり現れてくるということです。それは最後に、「現実」を超えた、「魂」「命」の、豊かな心の世界向かうものとして・・。

以上を、心の健康と成長向かうための思考法行動法および姿勢、そして人生の前進向かうための外面から内面にわたる足がかり総まとめとして、実際「人生の前進」向かうための、最初の指針とはこうなるのだ、という話をすることができます。
まずは目の前に置かれた日常生活と人生の「問題」と「課題」に対処するための、知恵を学ぶことです。それを手にしたあかつきに、思う存分、自らの「望み」を描くが良い、と。目の前に置かれたレールなど、多少とも捨て去ることも視野に入れて、と。

この順番を、踏み外さないことが大切です。つまり、まず目の前に置かれた日常生活と人生の「問題」と「課題」に対処する知恵を学ぶのです。「これが人生のレールだ」人に押しつけられたもの対処するという課題も含めて。「望みに向かう」ことが心の成長だと聞いて、それを無視して「自分の望みは・・」考え始めると、ただの未熟な現実逃避願望になる危険があります。「「否定価値の放棄」の扉はどう見えるのか」で述べたように、それでは「望み」の素材野菜腐ってしまいます。たとえそこに「こんな自分で終わりたくない!」という「真の望み」要素があったとしても。
まずは目の前生活と人生の課題に対処する知恵行動力という、ぬか床築くのです。そこに、「望み」素材となる野菜入れていくといいでしょう。それによって思う存分に、野菜自分好みの味に漬けて熟成させることができるようになるでしょう。
この例えは、取り組むための手順のみではなく、そこで必要になる時間についても、かなりぴっったりと当てはまります。つまり、かなり長い時間がかかるのです。「望み」というものが、自分好みの、自分唯一無二の「望み」へと熟成されるまでには。
そこで「望み」素材となる野菜とは何なのかを言うことができます。それは、まず目の前に置かれた問題課題に対処する知恵を学び実践していく「体験」の積み重ねの中で見えてくる、「ありのままの自分」なのです。そして「現実の自分」「現実の世界」「現実の社会」「現実の人間」といった、学びと実践の体験の中で見えてくる「現実」への視野の全体です。それらが「望み」素材となる野菜なのです。
さらに、実際目の前の問題課題対処することができた「体験」によって生み出される、「自分は変わることができる!」という感動の感覚を、調味料として加えてやるといいでしょう。そこに、野菜をただぬか床漬けるだけではない、妙味が生まれるでしょう。それがまさに、「成長の望み」なのです。


「人生の望み」への向き合い

「人生の望み」というものにを転じるならば、「人生」とは最初、とても「望み」などとは呼べるべくもない、「望み」ではなく「重荷」だと感じるものかも知れません。生まれたくて生まれたわけでもないのに、不本意押しつけられたと感じるものとして・・。『悲しみの彼方への旅』での激動の時期の終わり、病んだ心の幻想から抜け出した私が、早大院への進学を模索しながら、「現実世界の中で生きてゆくことは、まるで生まれたばかりの人間が、何の楽しみも幸福も与えられずに、ただお前はこの世の中にこれこれという風に生きて行かねばならないのだと不本意な圧力をかけられている。そんな感じのことだった・・」振り返ったように(P.317)。
それでもまずは、年齢の積み重ねの中で「人生の課題」として目の前に現れてくる・・実際のところ多分にそれは「突きつけられる」ものでもある課題に対して、一つ一つを目の前の課題として個々に捉え、日常生活の問題課題の場合と同じ、身近で着実な知恵として、対処を学び実践していくことです。
「基本的な妨げへの取り組み」で説明した、「客観的な現実問題としての大きさによる優先度で、順番に対処、決断していく」という姿勢によってです。私の場合においても「現実を生きる」という姿勢始まりになったものとして、「心の癌細胞「望む資格思考」と「生きづらさ」の心理」で触れたもののように。

そこにおいて、一貫した選択の確立と、視野の広がりと深まりへと向かい歩むことが、まずは「人生」への向き合いであり、広がりと深まりを増していく視野の中で自らの「望み」を問うことが、「人生の望み」への向き合いだと言えます。

一貫した選択の確立とは、「感情と行動の分離」基本姿勢であり、それに立った「破壊」から「自衛」へ、さらに「建設」へという行動様式選択であり、それらの基本姿勢の上で、「基本的な流れ」で言ったように、目の前に置かれた問題課題対処するために、心の健康と成長に向かい得る行動選択肢の中から、自分の幸福に向かうための行動自分選んでいくということです。

視野の広がりとは、外面内面双方においてのものです。
外面においては、まずは私たち人間が歩み得る「人生」というものの、あまりにも広大なバリエーションを知っていくことです。
地域時代を超えて、思いもつなかいような人生の姿があることを、知っていくのがいいでしょう。そこには、あまりにも暢気贅沢を尽くしたものもあれば、あまりにも無慈悲に残酷なものもある。それを知るごとに、今の社会ではこう生きなければ、といった感覚薄れていく・・とは必ずしもいかない面もあるでしょうが、まずは自分の幸不幸の感じ取り方が変わってくるでしょうし、現代社会に生まれた今を受け入れ、自分の人生を模索しようという意志生まれるのではないかと思います。その点、私が一つの「基準」にしたのは、かつての軍国主義の時代、一度も異性触れることなく死んでいった若い学徒兵であったりしました。恋愛がうまくいかない孤独感を感じる一方で、それを不遇嘆く感情など散って消えていくものとして。
一方で、今目の前にある、日常生活と人生の問題課題に際しては、まさに今目の前にある場面にとどまらない、その背後に広がる広大な世界への視野を広げることが大切です。学校の中の問題であれば、学校を出た後の世界への視野を持つことです。仕事の問題であれば、自分の会社の外の世界への視野を持つことです。家庭の問題であれば、家庭の外の世界への視野を持つことです。それぞれが、自分が置かれた目の前の問題から、どのようにつながっていくのかを見ながら。
そうして視野広げる中で、目の前問題課題対処するための知恵学ぶと共に、心の健康と成長に向かい得る行動選択肢の中から、自分の幸福向かうためのものを、自分自身選んでいくのです。「視野その1・心と体が実際にどう動いているか」で取り上げたような、「自意識の鎧」を捨てたありのままの自分で、自ら「望み」問うことで。

視野の広がりは、内面においては、私たち人間の心が、いかに未熟と病みから成長と成熟へと、未知の異次元の世界へと変化し得るのか知ることです。
それはまずはこの心理学からは、この心理学が伝える心の成長の歩みの道のりを、おおまかに把握して、イメージできるようにすることです。それは「心と魂と命の開放」としてあるであり、「心の成長の道のり情景図」イメージ表現されるようなです。
もちろんその壮大な、思想的表現イメージでは、実際に自分が悩み惑う問題どう捉えたらいいのか、すぐにはつながらないかも知れません。ならば、その情景図右側に示してある、心の境地の主な変遷の道のりを、把握しておくと良いでしょう。それは心の病の「症状」の消失から始まり、「開放感」「内面の力の感覚」、そして「生きる喜び」を経て、「無条件の愛」そして「豊かな無」へと変化し得るものです。
ならば、自分の心が弱くて不出来なものだと感じ「人生」はあまりに巨大な重荷だと感じるとしても、決して自分をそれにとどまる存在だと、決めつけてしまわないことです。今の心のまま長い人生の課題の最後まで向かい合うのだという空想イメージを、決して信じ込まないことです。
私たちは、変わっていくのです。最後には「無条件の愛」へと、変化し得るものとして。ならば今はそうでないとしても、遠い未来に訪れ得るその未知の自分のために、今できる最善のことを、探すのです。それが、視野の広がりの中で自らの「望み」を問うということなのです。

加えて、「人生」について一般に言えることは、「これが自分の人生だ」と考えることの、誤りです。
まさにそれが覆っていくのが、人生なのです。これをまずはとし、さらに身をもってそれを体験していくことが、これもやはり内面における視野の広がりです。
それについての場合、病んだ心の崩壊を経て、心の健康回復し始めると共に、もはや大学院の研究室にどとまることに自分の成長はないと感じ、社会に出て結構仕事もできるようになった頃、これが自分の人生なのだ・・と思い始めていたといった経緯を、「「学び」の人生の期間」でも触れました。沢山の心理学の本も売り払い、もう心理学の世界戻ることはないと切り捨てた、かつての自分。やがて「島野隆」として新しい心理学執筆を開始する自分が未来にあることなど、夢にも考えなかった、別人の私が、そこにはいました。
さらに遡り、「これが自分の人生」と自分で考えることの誤りの中にいた自分を、最近『悲しみの彼方への旅』電子書籍化作業をしていてしみじみと感じたものがあります。
本の帯裏面に引用した言葉です。病んだ心の崩壊の、まさに仕上げとも言える絶望の淵で私が感じた言葉と、それから20年を経て、「僕は今ようやく人生というものが分かった気がする」という言葉の、鮮明対比として。
その前者において、私は、「人生が終わった」と感じたのです。20歳、まさにまだ人生を知らなかったからこそ抱いた、その観念・・。その未熟な心で抱いた「人生」が見事にも無残に散って終わった時が、実は人生の始まりだったのです。

そこにある問題とは、「自意識(空想)を生きる」という中だけ「人生」というものを考えることが生み出す、「人生の不明」と、社会高度に発達し、組織化格差化が進む中で、心の成長を待たずして人生の外面的進路の選択が課せられるという、現代人特有の宿命だと言えます。
その2つ結びついた先に、しばしば、「人生への幻滅」というものが起きやすいものとしてです。
つまり、私たちは実際のところがまだ十分には発達成熟していないティーン段階で、まだ社会何も知らないまま、高校進学視野に入る頃、自分の人生をどう生きるのか決めなさいと言われているかのようなプレッシャー感じ始め、やがて20歳前後には、もうそれを「最終決定」しなければならないような時期が、訪れ始める。それが未熟「自意識(空想)を生きる」という意識だけで描いた、絵に描いた餅のような自己理想結びつくことができることなど、滅多にあったものではありません。そうして多くの人が、「人生なんてこんなもの・・」といった「諦め」感覚の中で、人生生き始める・・。

ハイブリッド心理学から言えるのは、それとは全く違うところに、「人生」がある、ということです。
それを見る目持とうとするかどうかです。そして、それに向かう「意志」持つかどうかです。もちろんそれを望むかどうかは、人それぞれ自由です。

ハイブリッド心理学からは、「人生」とは、開放された「望み」に向かって全てを尽くして歩むことが生み出す自己の変化の軌跡だ、と言えます。
その変化が、外面において「これが自分の人生だ」若い時期に考えたものを覆す夢にも思わなかったような変遷へと向かうものになるのか、それとも外面においては若い時期目の前与えられ乗ることになったレールのままでいるのかは、根本的な違いではありません
根本的な違いは、「望み」の成熟変化にあります。「与えられる」ことから「自ら与える」こと、あるいは「自ら生み出す」ことへ、やがてもはや何を躍起に求めることなく豊かな感情に満たされる、「無条件の愛」「豊かな無」境地へと・・。その、「命の生涯」歩むことです。
もしそれを望むのであれば、まずは若い時期に思い描いた自己理想にどれだけなれたかどうかはさておいて、「これが自分の人生か・・」といった、多少とも「諦め」感覚の中で自分の人生見やるようになった時こそが、実はスタートなのだというのが、この心理学からの最初のアドバイスと言えるかも知れません。
そこから始まるのための詳しい意識実践を、この本で説明してきました。その集大成として、先の「自らによる心の成長の歩み」がある、というように。

そこにおいて自分を変化させるものは何なのか見る目前進こそが、ここで「広がりと深まりを増していく視野の中で自らの望みを問う」ことが「人生の望み」への向き合いだと言った、「視野の深まり」に他なりません。
つまり、私たち人間の人生というものの広大なバリエーション知ると共に、自分の心、あるいは人間の心がいかに変化し得るかの、広大な道のり遠望図手に入れ、さらにその変化を生み出すのは何なのかへの理解を、手にしていくのです。
まずはで、つまり「知識」で、ということになるでしょう。それもないと何も始まりません。
次に、それを身をもって体験していくのです。そこに、先の「「否定価値の放棄」までの「学び」の主な流れ」で述べた、「一つの選択への視野を持つことが次の選択を問う足場になり、次の選択を成すことが前の選択の思考法行動法を大きく開花させる」といったような、あるいは「「全てを尽くして望みに向かう姿勢」を培う」で述べた、「選択に向き合う時間と体験が生み出す心の成長を通して、さらに次の選択が成されていく」といった、心の成長前進がある、ということです。

そうした「視野の深まり」としてあるのが、まず「「否定価値の放棄」までの「学び」の主な流れ」から説明をしている、「日常生活と社会生活の向上」そして「愛と自尊心の心の成長テーマ」を経て「否定価値の放棄」へという、「学び」の深まりなのです。
それによる一貫した選択の確立へと向かうことが、「人生」への向き合いであり、その先に成す「否定価値の放棄」によって「望み」の感情の大きな開放成された時、「視野の深まり」は、人生の答えと、人間の真実視界捉えるものへと前進するでしょう。
それをここではこう表現しておきましょう。それは、一貫した選択の確立の中で、「自意識の望み」が敗れ去る失意を越えて前に向いた時に心に訪れる、「現実(今)を生きる」という意識のあり方の中で、私たちは自分の変化を知るのだ、と。
これを知るのは、「望み」の開放大きく成されてからのものです。まずはとにかく、「否定価値の放棄」へと歩むことだ、という話になるでしょう。


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2013.4.12

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