5.感情分析
感情分析でいよいよ感情そのものに取り組みます。
これは基本的には精神分析の延長です。
しかし方法や考え方は正統的な精神分析とは大幅に変わりますので、新たに「感情分析」と呼びたいと思います。
今までの精神分析と最も大きく異なる点をお知らせします。
精神分析は、ただ感情をありのままに(自由連想に任せて)自覚するだけの、方向性をあまり持たないのが特徴です。
感情分析では、何をどのような順番で自覚すればいいか、またそこで何が起きるのかを、できるだけ詳しくナビゲートすることを考えています。
これは何よりも効率化と期間短縮を図りたいからです。
また分析の過程でありがちな感情的動揺をよりスムーズに乗り越えられるように導くことを狙っています。
詳しくは「「感情分析」技法による人格改善治療」でご説明します。
ここでは感情分析の取り組みを構成する3つの側面を説明します。
1)感情の吟味と真意の理解
「自分は本当にはどう感じているのか」を吟味し、その意味を知ることを行います。
人の感情というものは、連鎖的に起きることで複雑になりがちです。
その中で、より根本的な感情を見失いがちです。
心理障害においてはこれが、来歴を通して、まさに感情の膿として蓄積されているので、これを解きほぐす作業が必要です。
たくさんの感情が「無意識化」しているため、これを我流の内省で行うのは無理があり、専門的心理学の助けが必要です。
島野ハイブリッド療法は基本的に自己努力によるものと位置付けていますが、この面では専門家の援助が有用なのは言うまでもありません。
島野ハイブリッド療法では、フロイトの理論は完全に排除し、カレン・ホーナイの精神分析を使います。
このサイトでは、「心理障害の感情メカニズム」を提供致しますので、ざっと読んで、自分に関連しそうなところを読みながら、自分の感情は本当はどんな意味があるのかと吟味してください。
心理障害の中で、人は自分や他人への身構えにより、どんどん自分の本当の感情が分からなくなって行く、自分が薄っぺらな存在になってしまったような感じに陥ります。
まずはこの状態を脱却し、自分の内面に力を感じられるようになるのが目標です。
これによって最初にまず「大きな開放感」が効果として現れるでしょう。
「カタルシス」と呼ばれる、大きな感情がどっと現れて、緊張が解ける体験もきっとあるでしょう。
そして引き続き、埋もれていた感情をありのままに感じ、その意味を探り、引き出して行く過程を続けます。
ここまでが普通の精神分析とあまり変わらない部分です。
2)生活の中で生きる過程
自分の感情を知る、精神分析的な作業は、今の自分に対して、そして過去へと、来歴をさかのぼるように進みます。
一方で、人は時間をとどめる存在ではありません。
前に進む、生活の中で生きて行く過程が必要です。
そしてこの生活の中で生きて行く過程そのものが、最大の治療者になると考えています。
「治療が済んで自信が出たら、ちゃんと社会生活に出よう」と考える方もおられるかも知れません。
そうではありません。
人は皆、自信がない状態で社会に出て、ぎりぎりの状態で生きていく中で、やがて成長し、自信がついて行くのです。
上の、自分の感情を知る過程は、内面にとどめておくのが原則です。
特に、非建設的な感情に対しては、それをじっと味わうだけで、決して行動化しないことです。
そしてこれからの、そして今の行動をどうするかについて、先に学んだ「自己建設型」の姿勢を考えて下さい。
むしろその姿勢によって、悪感情にじっと耐えることができるようにもなる、と言えます。
ここにおいて、来歴を通して生み出される感情と、前を向いた建設的な思考との、ぶつかり合いが起きます。
これが島野ハイブリッド療法が治癒原理と考えるものの大きな一つです。
ここで注意しなければならないことがあります。
「悪感情が見つかったらそれを正す」とは考えないことです。
それはむしろ心理障害を生み出した、今までの姿勢です。
感情は感情としてとどめ、行動は自分の現実を全て踏まえたものを考えて行く努力をして下さい。
まさにこれが中庸の思考です。
このように、感情を無理に変えるのでなく、行動への思考が変わることで次第に感情も建設的になって行くという変化が、感情の改善の正しい姿です。
この段階は、感情の膿の弱化除去という効果が主体になると考えています。
「他人は敵であり自分は無力で駄目な人間だ」といった感情を、非建設的な行動に陥ることなく、ただじっと味わう過程が進みます。
その後に、次第に悪感情が消化吸収された後の、気分の開放と改善が現れるようになってきます。
3)建設的絶望体験
最後に、最も根本的かつ最大の治癒ポイントが、この形で訪れます。
これを良く知っておいて下さい。
そして、感情分析に慣れてくると、実は自らをこれに導けるようになるのが最終形になります。
これは感情の膿の除去ではなく、自己操縦心性の除去に当たる部分です。
心理障害の核とは、「自分は駄目な人間だ」と言った悪感情よりも、様々な悪感情を背景にして「発動」された、他人を見下し勝利することへの衝動が塊のように意識の根底に発達したものです。
酷い自己嫌悪や自己破壊衝動も、この心性の冷酷な目が自分に向いて起きるのです。
これを自己操縦心性と呼んでいます。
人は、この心性に駆り立てられて、自分の本当の感情を見失い、自分をある優れた存在にしなければ、という圧力を自分に加えます。
その圧力こそが、心理障害の病源といえます。
その結果何が起きているのかを一言でいえば、それはまさに、自分を偽って何者かになろうとする過程です。
上の、自分の感情の解きほぐしや、建設的な姿勢とのぶつかり合いを通して、次第にこのことが本人に分かってきます。
頭でそう理解するのでなく、意識の根底が、この「自分への偽り」を感じ取るのです。
重ねられた嘘は、必ず破綻するものです。
それと同じことが、意識の根底で起きます。
意識の根底が、今までの生き方が自分を偽ったものであり、現実においては全くかなえようのない願望であったことを感じ取ります。
この時、本人の意識はまだこの心性の上にあります。
このため、この体験は「完全な絶望」とかパニックとして現れます。
じっとこれに耐え、やりすごすことが必要です。
それが去った後、まさに台風が去った後のように、澄んだ感情と、もはや何の前提もなしに生きる力が湧き出していることを、やがて感じ取るでしょう。
自己操縦心性が消えた分だけ、「真の自己」が自然成長力を回復した姿です(図参照)。
最初にこれが起きるのが、恐らく最大の治癒ポイントであり、同時に、その段階ではまだ真の自己が未発達なため、大きな動揺が起きる山場になると考えています。
*この過程は「感情分析」によってのみ起きるものではありません。
方法やきっけかを問わず、このような、人間を根本的に変化させる絶望体験というものが見られます。
自殺衝動が起きる可能性も非常にあります。絶対に行動化しないで下さい。
これは感情分析によって自殺衝動など「増悪」が起きる、と考えるより、その心理障害の重さに応じて存在する危険が、この段階でも出る可能性が高い、と考えるのが正しいと考えています。
比較的軽度な心理障害であっても、自殺は常に心の歪みがささやく甘い罠といえます。
治療過程の問題としてでなく、心理障害への取り組みの全体の問題として、自殺や自傷を防止する杭を打ちつけることが大切です。
心理障害が根本的な解決が可能であるという希望が、何よりもその杭になるのではと考えています。
そしてそのような事例認知を広く普及させることが、何よりもその希望を生み出すのに役立つと考えています。
大きな治癒ポイントを過ぎた後も、心の中にはまだかなりの感情の膿や自己操縦心性の塊が残っていると思います。
それに対する取り組みは同じです。
ただそれははるかに容易になっているでしょう。
内面の深奥と表面はより近づき、自分が一体となった人間という確固とした感覚が生まれています。
その中で自分の中に悪感情があるのを見つけたとき、自己分析の中で、自分を偽り優れた何者かになろうとした衝動が伴っていることを、より安定した心で感じ取れるようになります。
そして自分についた嘘があった時、それは破綻するしかない、その痛みを受け入れることが、私たちが前に歩くこととイコールです。
そこに私たちの成長があります。
それはまさに成長の痛みなのです。
真の自己に立って歩くことができるようになると、現実を現実としてありのままに見ることができるようになります。
何の前提もない生きる力の中で、他と比較することではなしに、自分の生きる道を見る目が育ってきます。
より建設的な行動の中で、良好な人間関係も持てるようになると、自分への自信もかなり大きくなります。
自分への自信は心の安定を生み、やがて「それを必要とはしない」形で、何の別目的も帯びない、人への愛が自分の中に生まれていることに気付く日も訪れるかも知れません。
心理障害の中にいた時とは、完全に別人になっている自分に、その時気付くと思います。
最後にひとつだけ注意をしておきます。
このような心の健康の姿を知ると、自己操縦心性は、今度は「完全に健康になった自分」を思いえがき、そうなろうとします。
恐らく必ずそうなると思います。
自己操縦心性にとって、「思い描くことは万能」であり、思い描く姿は変幻自在です。
つまり、一度「健康になった」と有頂天になったあと、どっと落ち込む日が必ずあります。
これも大したことではありません。内容のバリエーションがちょっと変わっただけです。
何も恐れることはありません。
2003.5.31