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歩みの学び
 歩み-1 心の問題の仕組みとその克服

歩み1-1 「心の問題」の全体の理解
基本説明  「心の問題」の構成要因心の「闇」  心の「病み」  心の「浅はかさ」(思考一般)  心の「浅はかさ」(「自意識」と「心と魂の分離」)  心の「業」)  「人生の歩み」に組み込まれたものとしての「心の問題」とその克服
心の問題の「組み込み」  心の問題の「表面化」  心の問題の「克服」  心の成長の節目道標と心の問題要因の根本克服
自己操縦心性の崩壊・・・「心の病み」の根本的克服  「心の成長」への基本指針  「否定価値の放棄」・・・「心の業」の根本的克服  「成熟」への心の成長変化  「心の成熟」と「魂の感情」  「永遠の命の感性の獲得」・・・「心と魂の分離による心の浅はかさ」の克服  .「超越的幸福」・・・「心の闇」の最終的克服 「望みの燃焼の法則」  「心の問題」の全体の終結  過去ログ
最終更新:2018.3.17
基本説明 
「心の問題」とは、ある人が置かれた現実の状況に対して、その人不釣合いに不幸でいる、つまり不合理悪感情感情動揺発生持続膨張がある時、あるいは幸福可能性へと向かうことができていない人生を生きることへの無気力不明疑問感じているような時、そこに「心の問題」があるということになる。そうハイブリッド心理学では定義します。
そうした「心の問題」についてのハイブリッド心理学からの理解は、以下のようになります。

・「心の問題」の構成要因
まず、「心の問題」構成する要因を、いくつかの視点で考えることができます。
そこには、来歴での否定的感情体験起因としたものと思われるものもあれば、万人共通の、人間宿命と思われるものもあります。
列記すると以下の5つです。
1.心の「闇」・・・奥底に、容易には取り去れないマイナス感情染みついてしまっている、あるいはマイナス感情根源できてしまっているもの。
2.心の「病み」・・・「健康」損なわれた、何か病的問題起きていること。
3.心の「浅はかさ」(思考一般)・・・ものごと深い本質見る目持たずに、表層だけを見て、的外れな思考をすること。
4.心の「浅はかさ」(「自意識」と「心と魂の分離」)・・・人間「心」というものが、「自意識」出現により、その大元「命」からはがれた薄っぺらいものとして動くようになったという、なんびとも免れない人間の宿命
5.心の「業(ごう)・・・仏教用語「カルマ」とも呼ばれる、「人間の宿命的不合理」ハイブリッド心理学からは、「自分から不幸になろうとする傾向」がそれだと言えます。

・「人生の歩み」に組み込まれたものとしての「心の問題」とその克服
ハイブリッド心理学からの理解として重要なのは、「心の問題」が上記のような要因から構成されるとして、それはたとえば風邪を引いたり交通事故にあったりするように、「誰もがそうなりえる、いつそうなるかも分からない」というような、外部からもたらされる災禍結果というよりも、「人生の歩み」に組み込まれたものなのだ、という考え方です。その克服についてもです。
つまり「心の問題」があるということが私たち人間存在そのものの宿命であり、私たちのをはそれを「課題」として生まれ、その「克服」は、「成長」として成されるのだ、ということです。

要点について、以下
「心の問題」の構成要因
「人生の歩み」に組み込まれたものとしての「心の問題」とその克服
にて簡潔に説明していきます。

「心の問題」の構成要因 
「心の問題」構成する要因についてそれぞれ簡潔に説明すると、以下のようになります。

1.心の「闇」・・・奥底に、容易には取り去れないマイナス感情染みついてしまっている、あるいはマイナス感情根源できてしまっているもの。来歴での否定的感情体験起因としたものと思われるものです。
ハイブリッド心理学では、特に幼少期家族との関係の中で発生した、根深い否定的感情着目をします。その内容とは一言で、「根深い自己否定感情」「孤独感」です。そこに伴う「恐怖」「外界への不信感」が、問題深刻度特徴づけるものになるでしょう。

2.心の「病み」・・・「健康」損なわれた、何か病的問題起きていること。
ここで、機能的障害と思われる発達障害学習障害統合失調症などの症状そのものについては、ハイブリッド心理学としては考察範囲外になります。あくまで脳機能としては健康な中における、「心」「病的」あり方考察します。
するとそれは、まずは「感情の荒廃」「空想と現実の重みの逆転」という視点捉えることができます。その先に、幼少期から思春期にかけて発動する、「根深い自己否定感情をバネにして描く「理想化された自己像」通りになるよう自分自身を操縦する、「真の自己」とは別の人格体」とでも定義できる、「自己操縦心性」ハイブリッド心理学が呼ぶ心理構造が生まれる。これがハイブリッド心理学の、病みについての中核理論になります。

3.心の「浅はかさ」(思考一般)・・・「浅はかさ」とは、ものごと深い本質見る目持たずに、表層だけを見て、的外れな思考をすることです。
日常生活人生生き方および問題解決に際して、浅はかで的外れ思考あふれているのが世の常だと言えます。それに流され本当に確かな答えのために自分で考えるということができないと、問題解決もうまくできず味わう必要もないような不幸向かうことも起きてきます。上記の、心の闇と病み克服抜け出しも、見えようもないものになるでしょう。結果、人生への力強い向かい方など見えようもないのが多く現代人現状になるかも知れません。
「心の浅はかさ」は、「未熟」という言葉でも捉えることができます。ただし全て生き物「未熟」から始まることは当然なことであり、問題は、「未熟」にとどまる、あるいはしがみつくような思考や姿勢起きることにあります。
これらはひとえに、多くの人日常では論理的思考せずに、感情でものごととを考えている、その結果、今の心の中だけで考えているのが原因と思われます。このためハイブリッド心理学では、「確かなことの積み上げ」思考する自分自身への論理的思考を、心の健康と成長への歩みのための、最も基礎的心の基盤として、極めて重視しています。

4.心の「浅はかさ」(「自意識」と「心と魂の分離」)・・・浅はかさというテーマではさらに、人間「心」というものが、「自意識」出現により、その大元「命」からはがれた薄っぺらいものとして動くようになったという、なんびとも免れない人間の宿命がある、とハイブリッド心理学では考えています。
これによって私たち人間は、「命の重み」からは切り離され薄っぺらい「自意識」と共に動く「心」と、「命の重み」伝えるための「魂」、そして大元にある「命」という3元構造になった、と。これを「心と魂の分離」とも呼んでいます。
これが人間「心の問題」原因である「浅はかさ」大きな根源でもあると共に、心の豊かさと安定ゴールが、「“自分”というものはほんの仮りの姿」と感じ取る「永遠の命の感性」にあることの由来ともなる。これがハイブリッド心理学根幹思想でもあります。

5.心の「業(ごう)・・・仏教用語「カルマ」とも呼ばれる、「人間の宿命的不合理」指すものです。それが具体的何かと言えば、心理学的幸福主義に立つハイブリッド心理学からは、「自分から不幸になろうとする傾向」のことに他ならないと言えるでしょう。
これは「価値観」領域で起きる問題であり、「基本行動様式への価値観」における一つ不実選択極みだと言えるでしょう。ものごとの良い面よりも悪い面に目を向け、「怒り」を積極的に向けることに、自らを「神」の座の高みへと上げるほどの価値を感じるという、「破壊」選択極みとしてです。
問題はそれが意識表面思考自覚するよりもはるかに深い無意識深層抱かれることです。これこそが人間「心の業」正体だとハイブリッド心理学では考えており、「否定価値感覚」(リンク予定)と呼んでいます。それにより、怒り心身にもたらすダメージによる「不幸」を、積極的かつ恒常的に選ぶ心の状態になるのです。「怒り」自ら向いた場合は、「不幸」度合いはかり知れないほどのものになるでしょう。

「人生の歩み」に組み込まれたものとしての「心の問題」とその克服 
「心の問題」は、人の人生に宿命として組み込まれ、生涯にわたる「成長」が、同時にその克服になる。
これがハイブリッド心理学考えです。
この「生涯にわたる成長」どのようなものなのかの大枠を、最初全体−1 ハイブリッド人生心理学が目指すもので説明しました。それは「現実の世界」「魂の世界」という、「2つの別の世界における豊かさ」へと歩むものであり、「自己操縦心性の崩壊」「否定価値の放棄」「永遠の命の感性の獲得」「超越的幸福」という、「4つの節目道標」を通り得るものになる、と。

「心の問題」焦点を当てるならば、それを次のようにたどることができます。
3つ局面から整理することができます。心の問題「組み込み」「表面化」、そして「克服」です。
それぞれ一言にまとめるならば、ハイブリッド心理学考えはこうなります。

 1.「組み込み・・・幼少期において、否定的体験によって「心の闇」が、さらに人間の宿命として「心と魂の分離による心の浅はかさ」組み込まれ学童期「思考一般における心の浅はかさ」組み込まれます。

 2.「表面化・・・心の問題あるであろう様子は、まずは思春期から青年期前半にかけて、人生を生きる様子内面もしくは外面においてあらぬ方向へとそれる姿として表面化します。内面があらぬ方向へとそれるものは、幼少期組み込まれ「心の闇」深刻さ対応するものと考えられ、新た「心の病み」傾向という心の問題要因となります。
そのようにはっきりした様子ではなくとも、青年期後半以降自分人生生き方十分な納得感満足感持てていないという姿も、心の問題表面化と言えるでしょう。そのに、多くの人抱えながらには見えない「心の業」という要因いつの間にか存在するものになっています。

 3.「克服・・・まずは「思考一般における心の浅はかさ」脱する方向へと、感情流されることのない基本的思考法思考法人生生き方について学ぶのが全てスタートであり、克服への基盤になります。その先に、心の成長歩みにおける「4つの節目道標」が、心の問題各要因根本的克服対応するものになります。

それぞれにて簡潔に説明していきます。
心の問題の「組み込み」
心の問題の「表面化」
心の問題の「克服」
心の成長の節目道標と心の問題要因の根本克服

心の問題の「組み込み」 
「心の問題」人生組み込まれるのは、まずは3つの形においてだとハイブリッド心理学は考えます。

1つ目は、幼少期における家族、特にとのにおける否定的体験です。これは「根深い自己否定感情」「孤独感」、そしてそこに添えられ「恐怖」「不信感」といった心の闇始まりとなるものです。これが起きる深刻さ程度は、により大きく違いがあります。

2つ目は、やはり幼少期芽生え始める、「空想」「自意識」です。これはなんびと免れ得ない、大元「命」からはがれ薄っぺらい「心」という宿命の下で働き始めます。心と魂の分離による心の浅はかさ問題がここで組み込まれます。
これがどのよう「心の問題」としてあるのかは、もちろんこの段階では見えようもありません。それでも言えるのは、「心の闇」との結びつきです。子供健康な成長のために完璧環境などそうそうあるものではなく、ちょっとした不足行き違いが、子心「自意識」「空想」で、現実に実際にあったこととは不釣合いな深刻さ「心の闇」として取り込まれることもあるかもしれません。
「自意識」それ自体親密になるのではなく距離を置く意識(うつわ)として働きます。あるいは、「自意識」持ったこと自体が、人間「孤独」という心の闇根源なのかも知れません。

人生組み込まれ心の問題3つ目は、思考一般における心の浅はかさです。ものごと深い本質見る目持たずに、表層だけを見て、的外れな思考をすること。それでは人生力強い生き方も、そして心の問題全体からの抜け出し見えようもないという、私たちのハンドルさばき基礎問題です。
ただしこれは、人間はもともと完璧存在ではなく、ものごと深い本質見るというのももともとそう容易なことではありませんので、生涯を通してそこからの改善向上歩み重要になる、というでもあります。気分感情に流される思考から、「本当に確かなこと」つながりをしっかりと考える論理的思考へ、という基本的方向性でです。
一方心理メカニズム的には、心の問題情緒的側面組み込まれる時期として端的なのが上記2つのように「幼児期」であるとして、思考の問題側面組み込まれる時期として端的なのは「学童期」つまり小学生頃時期であることを特筆できます。
歩み1-2 心を病む仕組みとその克服より詳しく説明しますが、「病み」は、幼少期否定的体験によって「闇」としてその植え込まれ、やがて思春期「病み」として表面化する、という流れ端的なものとしてあります。「学童期」には「闇」は概して心の中「抑圧」され切り離され表面的には心の問題有無があまり見えなくなるという、いわば「潜伏期」が生まれる一方で、実はこの「学童期」に、やがては表面化する心の問題に、ただ流されていくか、それとも自ら克服に向かう方向へと転じることができるかという、自己方向づけ基礎となる「思考」基本的あり方が、植え込まれるのだ、ということです。

具体的には、学校、そしてはば広くこの私たちが生きる社会文化要因となり、成長に向かって生きる方向性を欠いた思考が、子供植え込まれることが問題になる、と言えるでしょう。たとえば心の基盤として項目立てた中の、自分自身への論理的思考」「現実科学思考を欠いた、感情や気分で非論理的にものごとを解釈する思考など。
ただ、子供時代こんな思考問題という、より細かい分析議論無用でしょう。重要なのは、これからどう前進するかです。それはハイブリッド心理学取り組み実践全てであり、心の基盤項目については、小学校頃からの自分思考どうだったかを振り返って自身確認しながら、取り組んでいくのがお勧めになります。

心の問題の「表面化」 
心に問題を抱えているであろう様子は、主に3つの形表面化すると言えます。
まず2つは、上述のように幼少期から学童期にかけて心の問題組み込まれるのに対応して、「思春期」から「青年期」前半にかけて問題表面化するものです。
人生生きる様子が、明らかに、あらぬ方向へとそれていくものとしてです。一つは、内面において。もう一つは、外面において。

内面においてあらぬ方向へとそれていくものは、心の病み傾向として、「心の問題」全体構成する一要素になります。
それが表面化する様子とは、思春期を迎えた子供に、「ある日突然に」とも言えるような出現する「漠然とした不安」と、それを引き金にした、対人感情の混乱や、これからの人生生きることへの不安恐怖などので、まずは始まると言えるでしょう。それはやがて、「絶望感」「希死念慮」にまで膨張するかも知れません。それを何とか乗り越えやり過ごし生き始め個人は、以降、自分が何か心の闇持った人間だという漠然とした自覚抱えて生きることになるかも知れません。のち人生で、「うつ」などとして病みの傾向表面化した場合、たとえ本人があまりそうは自覚していなくとも、思春期にそうした最初兆候があったのが、ほぼ例外のないことではないかとハイブリッド心理学では考えています。
「心の病みの傾向」健康な心とは異なる本質的要素、そしてその発動解消克服について、ハイブリッド心理学では独自明確心理メカニズム理論を持っています。次の克服の中で簡潔に記します。

一方外面においてあらぬ方向へとそれていくものというのは、思春期あたりに(あるいは学童期においてすでに)その兆候多少は見えるかもしれませんが、はっきりとその傾向人の目見えるようになるのは、それより少し後青年期前期あたりになるでしょう。
つまりそれは、まっとうな社会人生活に入ることができない姿としてはっきりするものです。暴力犯罪傾向端的なものとして、反社会的行動無気力による非就学非就労、さらには家庭近隣などとの頻繁トラブル傾向といったものなどです。
これらについてさらに詳しい類型分類整理のような考察は、ハイブリッド心理学では行いません。どのようなケースにおいても、そこからの克服前進アプローチ一貫して同じ内容の、取り組み実践全体になります。

心の問題あることが表面化する3つ目は、漠然とした形をとるものであり、青年期後半以降対応したものになるでしょう。
それは、生活比較的順調なものに向かう中で、自分の人生の生き方はこれでいい!、という納得感満足感持てていない、という姿です。人生なんてこんなものというやや投げやりな思い抱くものから、生きるとは辛く苦しいことだという明瞭厭世観念持つものまで、人生を生きることへの何らかの否定的な観念抱く姿です。そうして人生を生きることへ否定的な観念を持つ人割合、と言うのならまだしも、それをさらに、これでいい!という納得感満足感持てていない人割合、と言うならば、あるいはそれが現代人マジョリティと言えるようなものになるかも知れません。
そこにやはり、「心の問題」表れがある、ということです。基本説明で述べたように、「心の問題」とは、置かれた現実の状況に対して十分に向かうことができていないことの要因指すからです。同時にこれが、「克服」どこにあるのかを示唆するものになるでしょう。

以上まとめれば、「心の問題」5つの構成要因として、幼児期組み込まれるのが心の闇そして心と魂の分離によるの心の浅はかさ学童期組み込まれるのが思考一般における心の浅はかさであり、「心の闇」深刻であったケース思春期心の病み表面化するという流れで、4つ出揃います。
そして最後構成要因である心の業見えないまま、納得感満足感のいく人生生き方妨げる、という構図になります。
これが、ハイブリッド心理学の考える、私たち人間「心の問題」構造です。

心の問題の「克服」 
では、「克服」どのようなものとしてあるのかに転じましょう。
まずまさに、「心の問題」とは置かれた現実の状況に対して十分に向かうことができていないことだという定義が、その示唆になります。
つまりまずは、置かれた現実に向かって十分に、つまり全力を尽くして、生きることができるようになるのが、「心の問題」「克服」なのだ、ということです。
「心の問題が見事に消え去った、優秀な心の状態」になることが、克服なのではない、ということです。恐らくは、そうした「優秀な心の状態」という観念自体が、「心の問題」作り出し浅はかな思考だということになるでしょう。

心の問題5つの構成要因から考えるならば、こうなります。
幼少期否定的体験に始まり、そのマイナス影響持続性端的なものとなる心の闇について言うならば、まずはそのマイナス影響自体「障害」なのではなくそれを理由に前を向くことができなくなってしまうのが「障害」なのだ、と言えます。これは島野最初著書である自伝小説『悲しみの彼方への旅』「考察―病んだ心から健康な心への道の本質」の中でも述べたことです(P.347)。
前に向き前へと歩むことが生み出す「成長」が、同時に、やがてマイナス影響をも根底から消え去らせ「治癒」となります。これがハイブリッド心理学基本的考えです。それとはに、前に向けるためにはまずこのマイナス影響が消えなければ、と、マイナス影響ばかりにじっと見入り、前へと歩むことをやめてしまう。そうした、「闇」「未熟」しがみつく姿勢ありがちです。

その克服のために、「動揺する感情を克服したければ、まずは感情を鵜呑みに考えない」という自明原則に立ち、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」姿勢から始まる取り組み実践全てがあります。
そこで実践するのは、「心の闇」深刻抱えた人場合も、それをほとんど持たない人場合も、一貫し同じ内容です。
まずはこれが、思考一般における心の浅はかさという要因克服への、直接的取り組みになります。この世界生き始めた中でどうしても身につけてしまう的外れな思考を一つ一つ脱し外面行動法から自己内面への向き合いにわたって、人からの学び豊富に取り入れた、叡智学び実践していくことです。
まずはこれがスタートであり、生涯にわたって続けるものとして、ハンドルさばき基本になります。

それによってまずは、「心の問題」とはと冒頭定義した中の、その人が置かれた現実の状況に対して、幸福可能性へと向かうことができていないという側面から、克服への全体的歩み始まることになります。まずは全力を尽くして向かうことができる姿へと。そしてやがて「心の問題」大きく脱し至る幸福を、見出す姿へと。
それが、一生ついやし歩み得る「成長」変遷としてある、というのがハイブリッド心理学の考えです。全体−1 ハイブリッド人生心理学が目指すもので説明したように、「現実の世界」「魂の世界」という2つの別の世界における豊かさへの歩み経ながら「自己操縦心性の崩壊」「否定価値の放棄」「永遠の命の感性の獲得」「超越的幸福」という4つ節目道標通り得るものとしてです。

そこにおいて4つ節目道標が、心の問題各要因根本的克服に、それぞれ以下のように対応するものになります。
・自己操縦心性の崩壊・・・「心の病み」根本的克服(青年期)
・「否定価値の放棄」・・・「心の業」根本的克服(壮年期前半)
・「永遠の命の感性の獲得」・・・「心と魂の分離による心の浅はかさ」克服(壮年期後半)
・「超越的幸福」・・・「心の闇」最終的克服(老年期)
下にてそれぞれ簡潔に説明します。

心の成長の節目道標と心の問題要因の根本克服 
「心の問題」克服への歩み始まるのは、まずは人生生き方というものを意識し始め、そして現実において社会で生きるということに直面する、青年期からになるでしょう。
ハイブリッド心理学取り組みとしては、まずは思考一般における心の浅はかさという要因克服へと、感情流されることのない思考法行動法価値観による人生生き方、そして心の仕組みについて学び自分生き方方向づけていきます。
それがこの辞典整理している「取り組み実践」全てですが、それは学校で学ぶ科目のように勉強を頑張るほど先に進めるというものとは異なり年齢も含めて人生歩み状況に応じた成長課題テーマによって、生涯を通して、自身心のあり方について問うことのできる事柄大きく様変わり変遷するものと理解しておくと良いでしょう。
4つ節目道標によって特徴づけられる変遷であり、心の問題要因根本的な克服に、以下のように対応します。

1.自己操縦心性の崩壊・・・「心の病み」の根本的克服(青年期)
浅はかな思考
脱しながら人生進もうとした時、もしそこに幼少期からの深刻心の闇によって思春期発動した心の病み傾向による妨げがあった時、この、「成長」への歩み最初において通る可能性のある節目道標が、「自己操縦心性の崩壊」による「心の病み」大きな治癒です。

「心の病み」傾向とは、荒廃した悪感情不合理に心が支配される様子だと定義できるでしょう。
その「発症」および克服解消について、ハイブリッド心理学ではかなり独自明確心理メカニズム理論を持っています。
それは一言でこのようなものです。まず幼少期否定的体験を発する「心の闇」において、最も精神的動揺の激しい感情要素は、「組み込み」でも述べたように、学童期までは比較的単純「切り離し」によって心の中抑圧され、「何事もなかったかのような平静」保たれるというメカニズム働きます。それが思春期になると、人格形成に向かおうとする心身変化により、もはや「切り離し」では済まなくなり、精神破綻を引き起こすかのような激しい動揺感情要素無意識深層でくすぶる、「潜在的自己破滅によって脅迫され続ける心の状態」出現してきます。それが、「現実覚醒レベル」低下した意識状態、つまり半分夢の中にいるような、過剰な空想支配されているような意識状態動くのです。だから理性による制御利かないのです。これが「心の病み」傾向正体となるメカニズムであり、「自己操縦心性」呼んでいます。
一方その解消克服は、「現実」へと向かって生きようとする心の動きが空想上の自己破滅の可能性をとらえて起きる絶望感情を、現実において破滅はないという認識を保ちながらただ流すことによって、「今までの心が死に、新たな心が再生する」という「心の死と再生」として生まれる、というものになります。これを「自己操縦心性の崩壊」による治癒呼んでいます。

実はこの「自己操縦心性の崩壊」「心の死と再生」心のメカニズムは、これ以降心の成長歩みにおいても極めて重要役割演じるものになります。
つまりそれが、心と魂の分離による心の浅はかさという宿命によって、薄っぺらいものとして動く私たち人間が、根本からより健康で豊かなものへと変化するために用意された、メカニズムなのだということです。病的な自己破滅空想追い立てられ激しい崩壊という様相から、「人の目」での幸福不幸という空想右往左往するからの静かな脱皮という様相変化しながらです。一貫して、薄っぺらい空想の中に生きる心抜け出し「命」のありのまま生きる力を開放して、ありのままの「現実」に向かって生きる方向へ。そこにこそ、自己内部から「幸福感」増大していく、「心の成熟」への変化があります。
より詳しくは、歩み1-2 心を病む仕組みとその克服および歩み-4 心の成長変化のベクトルで、それぞれの視点から説明します。

・「心の成長」への基本指針
「心の成長」へのハイブリッド心理学からの最も基本的指針は、内面感情良し悪し一喜一憂するのではなしに、揺れ動く感情うまく包み込むような形で、外面において前へと進むことのできる価値観行動法知恵模索し、それを実行していくことです。同時に、「心の成長」としてまず目指すのが良いのは、やはり何か優れた心のあり方になるというよりも、この社会生きる中で、現実において行動やさまざまな問題解決、そして「仕事」うまくできるようになること、それらを通して、「社会を生きる自信」獲得することだということです。
なぜなら、そうした実際的「成長」経ぬまま未熟な心でいくら「成長した心」「豊かな心」について考えようとしても、それはやはり未熟な心映し出した、的外れなものなりがちだからです。そのため内面感情をすぐに良くすることに焦るよりも、まずは比較的すぐ答えが出る外面行動法の学び主導にして、そこから再び内面感情向き合うというアプローチが良い。

もちろんそこから「社会を生きる自信」獲得までは、長い道のりになります。主導となる外面行動法じっくり学ぶことから始め、その支えとなる内面価値観「本心」から自分のものにするかの向き合い経て経験積み重ねることによる行動法への習熟そして熟達へと歳月を積み重ね前進し、まずはこれが自分が人生で得たものだとい、いっぱし仕事人間関係築く。まずは「壮年期」前半まではこの道のり続くでしょう。
そうして人生歩み半ばと、自ら「人生の実績」見えてくる頃、同時自分「社会を生きる自信」得始めていること、自分人生生き方への十分納得感満足感、そして幸福感感じられるのであれば、そこにはもう「心の問題」というものは存在しなくなっている、と言うこともできるかもしれません。その正体とは、そしてその克服とはどのようなものかについて、あまり意識的な探求しないまま・・。
これが、ハイブリッド心理学「取り組み実践」歩み得る、一つの道だと言えるでしょう。

もう一つの道もあります。それは同じよう「社会を生きる自信」見え始めるところまで来ながらも、内面深い妨げ残されており、幸福感阻害され続けているのを自覚するケースです。これは、幼少期からの「心の闇」を抱えた度合いある程度以上深刻だったケースということになるでしょう。
この場合、それまでに築いた外面的な前進安全弁のような足場にして、残された心の問題心底の核心へと、深く切り込んでいくような意識的な探求がなされる開かれ得ることになります。それにより、心の問題要因意識的突き止め根本的な克服見出されることにより、「心の闇」抱えることなく比較的順調人生を歩めたケースむしろ凌駕するような「幸福」を、人生歩み終盤になって得る可能性がある。
これがハイブリッド心理学が見出した歩みであり、逆境を経てこそ真の幸福が得られるという人間の真実一面だと言えるでしょう。島野自身が歩んだ道のりがこれであり、それによってこの心理学整理しているゆえんでもあります。

ただこの2つの道明瞭分かれる考える必要ないでしょう。重要なのは、私たちのが、人生歩みに応じてどのような幸福を得る可能性あるのかという、心の仕組み理解です。
もちろんそれは、いかに恵まれたものを「与えられる」か大幅左右されるという幼少期から始まるでしょうが、そうした「未熟」の中だけで考えていると、「成長」「成熟」通して得られる心の幸福自ら背を向けブロックするというで、まさに人生の幸福見失ってしまいます。
成長成熟による幸福とは一言で、外部から何かを与えられることによって湧き出るのではなく、自分自身の内部から湧き出るようになる幸福です。それは全体−1 ハイブリッド人生心理学が目指すもの「根本原理」として述べた、「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」変遷の中で生み出されるものです。そこに2つの道として、一つ外面的な前進の内容の変化として開花する側面と、もう一つ内面的な深い妨げの正体の突き止め克服の「悟り」の深まりへと結実する側面があるということです。
この2つの道を、人それぞれ唯一無二交わらせ方において歩むのが、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を携えて歩む人生道のりだと言えます。

そのように、思考一般における心の浅はかさ心の病み克服というスタート以降残され心の問題要因根本的克服は、「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という変遷と共に、内面の深い妨げに向き合う歩みの中で生まれ得る、というのがハイブリッド心理学考えになります。短期間で習得する意識法のようなものとは全く違う、まさに人生歩みそのもののようなものとしてです。
これらの歩み流れについて詳しく歩みの学び全体で説明します。以下では、残され心の問題要因根本的克服が、そうした流れの中でどのように位置づけられるのかの要点を記しておきます。

2.「否定価値の放棄」・・・「心の業」の根本的克服(壮年期前半)
ハイブリッド心理学取り組みにおいて、「否定価値の放棄」節目道標が、「自分から不幸になる」という心の業根本的克服対応します。
これは2つ位置づけから捉えられるものになります。
それは一つに、ハイブリッド心理学における「実践」つまり実践の学びとして説明している実践項目全てが、ここでほぼ完全「習得」になるということです。
そしてもう一つにそれは、「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」変遷における、「自立の自尊心」獲得対応する節目だということです。
つまりそれは、大自然を生きる若き獣が、守られて生きる存在であることから、自分の力生きる能力自信獲得し、今度自分子供守り育て得る側存在になったことを自覚する、それと同じ節目における、この世界を生きることへの大きな意識転換なのだということです。
なぜなら、「自分から不幸になる」という「心の業」根核にあるのは、私たちが「未熟」で、「弱さ」に立って心の底築きあげた、最も平たい言葉で言うならば「究極的な強がり」衝動とでも言うべきものだからでです。「正しければ人と世界が自分に良くしてくれるべき」という「依存の世界観」で、ものごとの悪い面にばかり目を向けて怒り嘆く自分の「能力」に、自分が「神」の座にあると感じるまでの価値置く。それが「心の業」正体だとハイブリッド心理学が考える、「否定価値」呼ぶものです。
無意識化したその根底衝動を、獲得し始め「社会を生きる自信」足場にして、「真の強さ」とは何かというテーマへの向き合い、さらには信仰領域への向き合いも加え、精緻自己分析を通して、その衝動存在不合理自覚し、心の根底から捨て去る。これが「否定価値の放棄」節目道標です。

「否定価値の放棄」により「ものごとの悪い面にばかり目を向ける根底衝動」捨て去られることで生み出されるのは、自己肯定感、そしてこの世界生きることへの肯定感の、劇的な改善向上中核とした、心の境地劇的な改善変化だと言えるでしょう。
それは健康な心が本来持っている、人生に向かって生きる「命」本来エネルギーの、心の根底における開放でもあります。運転で言えば、それまではブレーキかけたまま走らせようとするようなことだったわけです。「生きる」とは常に、必要以上力みストレス、そして(きし)不快伴うものになったようなものとして。ここからは、かけたままブレーキからはもう開放された軽快走りで、自分本当に行きたい場所に向かってドライブする、人生後半歩み開花します。それまで時に「うつ」「無気力」にもさいまなれた心も、もはやそうしたものとは無縁な、充実した毎日を送るへと一変するでしょう。島野場合がまさにそうでした。
こうした「否定価値の放棄」節目道標について、その「悟り」とも言える自覚内容について実践-6 「否定価値の放棄」の根本的選択にて、またその人生歩み変遷における位置づけについて歩み-5 人生の歩みと最終的克服で、詳しく説明します。

ここで再び、上に述べた「2つの道」合流するになります。まず外面行動法学び主導「社会を生きる自信」目標歩むのは同じであり、その獲得見え始めると同時に自分人生生き方への納得感満足感感じることができるケースと、なお内面の深い妨げ続くのを感じるケースと、少し分かれるというものです。
「否定価値の放棄」「悟り」開かれる可能性があるのは、まずはその後者においてになるだろう、ということになります。それにより劇的プラスの感情前進へのエネルギー回復させたで、文字通り心も新た人生後半へと、閉ざされていた人生挽回しようと奮起する歩みは、それまでに培った外面行動法と、獲得し始めた「社会を生きる自信」大きなテコにして、ほどなくして、「心の闇」をあまり抱えることなく生きることができた人々にも勝り得るような、人生の充実と満足見出すのが間違いないでしょう。それが外面的にも何か大胆な転身果たすような姿になることもあるかもしれません。島野IT企業に勤めるのを辞め執筆開始したのがまさにそうでした。
もちろんそうした社会的転身というのは、2つの道のどちらかに限定されることなく、「社会を生きる自信」が見えてくる「壮年期」に、それを足場より価値の高い活動模索することで至る、という人間事例を良く目にするものです。

・「成熟」への心の成長変化
ハイブリッド心理学「取り組み実践」としては、「否定価値の放棄」「ひとまずの習得達成目標」となり、それ以上新たな「実践習得事項」出てこない形になります。そうして習得済み外面行動法内面向き合い続けていくのです。生涯にわたってです。
外部から与えられるものとしてよりも自分自身の内部から湧き出るものとしての幸福感増えてくる「心の豊かさ」増大していくのは、ここからです。
「否定価値の放棄」「悟り」へと至る可能性があるような、内面の深い妨げへの向き合い必要とはしなかったケースにおいても同じくです。
つまりこれは、「心の豊かさ」とは運転で言えば、運転技術いかに習熟するかの問題ではなく、自分が本当に行きたい地へと、どのように向かい至るか問題なのだということです。「人の目」にある教習所からに出て、次第にそれが意味を失っていく、自分唯一無二場所にです。教え導かれ得るものではない、それぞれの人にとって未知の自分へと変化していくものとしてです。

それに向かうために私たちにできることは、「心の成熟」変遷への視野ながら、あくまで目の前一歩一歩前進地道積み重ねていくことだけです。それが、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」姿勢実践携え全て尽くし「望み」向かう、というハイブリッド心理学一貫した「取り組み実践」に他なりません。
「心の成熟」変遷へのハイブリッド心理学からの視野とは、それが「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」における、「成熟の愛に向かう」という最終局面変遷としてある、というものになります。
それは私たちの意識努力超えて、「命」が私たちの変化させるものとしてあります。つまり私たちは「成熟した心」を、「心の持ちよう気持ちの持ちよう」として自分「こう感じるようにしてみれば」などと枠はめするのはできない一方で、「全てを尽くして望みに向かう」という歩み積み重ねる中で、自分次第にそのような変化遂げてきていることに気づく、というでのみ、それに向かうことができる、ということです。そうした「気づき」のために、「視野」持っておくことが大切だということでもあります。

2つ視野持っておくと良いでしょう。「心の成熟」変遷とはどのようなものかという内容そのものへの視野、そしてそれがどのように生み出されるのかという心の仕組みへの視野です。
それは全て「命」というものへの視野、そしてその中における「人間」という特別な存在への視野ともなります。
「心の成熟」変遷とは、上述の通り「命の生涯」最終局面となる「成熟の愛に向かう」という変遷です。それによって「望み」「幸福感」感じ方が、「与えられる」ことから「自ら生み出し与える」ことへ、そして「やがてもう何も躍起に求めることなく豊かな感情に満たされる」という心の境地へと変化する、というものです。
そこでは「自発的不幸」から「自発的幸福」への変化という流れ働いているのを見ることができます。外部から特別に満足を与えられない状態において、自己内部から湧き出る感情とは、「未熟」においては「不幸感」伴うものであり、「成熟」においては「幸福感」伴うものへと変化する、という流れです。
それは全ての、子供生み育て動物「命」摂理だとハイブリッド心理学は考えます。動物意識においてそれは、「命をつなぐ」という根本目的支配された、「愛」という単一軸下にある「望み」へと、文字通り「命」重みにおいて生涯歩みとして向かうことで発動される、DNAに組み込まれた変化プログラムなのだ、と。
無論人間においてもこの命の摂理働くはずですが、実際にはそうした「心の成熟」変遷などまるで無縁なように、未熟な心のまま一生終えるという姿が、現代人多くのようにも思われます。
まさにそれが現代人「心の問題」なのだ、ということになるでしょう。要因としては、まず思考一般における心の浅はかさによって、未熟な思考と生き方姿勢とどまる、もしくは柔軟性を欠いた思考と生き方姿勢枠はめされた自己のまま生きるといった姿が、人間全体文化とも言え、そしてより根本的に、心と魂の分離による心の浅はかさにより「命」からはがれた薄っぺらいものとして働く私たち人間「心」には、そうした「命」本来作用働きにくいという、なんびと免れ得ない宿命があると言えるでしょう。

・「心の成熟」と「魂の感情」
そうした状況にある人間において、「心の成熟」へのとなるのが「魂の感情」です。
「魂の感情」とは一言「自意識の薄れた根源的感情」であり、その中で「壁に出会う中で現れる根源的な望みの感情」「魂の望みの感情」です。
そしてこの「魂の望みの感情」を、「心」が前を向く姿勢の中で受けとめ尽くした時、劇的とも言える「心の成熟」作用が起きるということを、ハイブリッド心理学は見出しています。「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」そして「全てを尽くして望みに向かう」というハイブリッド心理学「取り組み実践」真髄が、まさにここにあるとも言えます。

「未熟」から一足飛び完成した「成熟」へと変わるとは考えない方が良いでしょう。まず言えるのは、人生折りにふれ「魂の望みの感情」向き合った人間が、生涯深い「心の成熟」変遷成す。まずはこれが間違いないことであろう、ということです。
そしてもう一つ、「魂の望みの感情」「心の浄化」作用があるということです。つまり人生での何らか不遇不運で、「自意識」も働いてすさんだ、あるいはささくれた、あるいは混乱した心が、自分が本当に望んだものは何だったのか失意超えて向き合い「魂の望みの感情」出会った時劇的混乱消えた、純粋で澄んだ心へと変化するというものです。そこには確かに、「未熟」から「成熟」への劇的変化一歩があり、私たちが人生体験し得る心のドラマ一つの原型になるものと言えます。
ハイブリッド心理学はそこにさらに別の鍵があるのを見出します。まさにそのすさんだ心「魂の望みの感情」別世界さ、そしてそれへの向き合い経て意識努力超え変化していく自分自覚といった経験積み重ねることで、やがて、自分の中にある、「自分」とは別のものとしての「魂」そして「命」の存在感じ取れるようになってくる、というものです。
他なりません。ハイブリッド心理学「心と魂と命」という心の三元構造思想は、「霊魂」についての超常現象思考などとは全く異なる実体験に基づく科学的思考整理によって、生涯にわたり「取り組み実践」を続けた島野自身心の変化分析から導き出された結論です。そしてそれが人間太古から伝えられたさまざまな言葉とあまりに符号しているのを見た時、そこに真実あるのであろうことを、確信できるものです。

「魂の感情」については歩み-3 「魂の感情」で、「心の成熟」変遷については歩み-4 心の成長変化のベクトルでより詳しく説明します。
ここでは引き続き、「心の問題」根本克服についてのハイブリッド心理学からのサマリーを続けましょう。
するとここでまた少し分かれると言えそうです。人生後半心の成熟歩みにおいて、外面的な前進比較的順調にその生涯進めることできたケースと、何らか深い壁への向き合い続くことになったケースとです。この外面的なものなものであることもあれば、内面的なものであることもあるでしょう。
つまり人生にはつきものであり、その大きささまざまです。そこで折りにふれ「魂の望みの感情」向き合うことができた人ほど人生深い「心の成熟」たどるであろうとして、比較的大きなものではない場合は、「魂の望みの感情」への向き合い比較的浅いものになる、結果「心の成熟」変化比較的緩やかなまま生涯終える、というのが一つとして考えられる、ということです。「心の問題」として残されたものであったのか、そしてその根本克服どのようにあるのかといった命題は、あまり見えなくなるまま・・。
これは自分の内部から幸福感が湧き出るようになるという「心の成熟」としては比較的弱いのですが、その分外面的な満足による幸福感得られるケースですので、これはこれ良いのです。
一方人生での大きく深い場合外面的な満足による幸福感は当然妨げられる一方で、「魂の望みの感情」への深く大きな向き合いが、その都度この人「心の成熟」飛躍的一歩生み出していく開かれ得ます。
そのあるものとはか。

島野歩んだのは、後者の道でした。そしてそのに、「否定価値の放棄」過ぎこの心理学執筆に転じた私自身でさえ予想だにしなかった心の変化を経て、残され「心の問題」要因とその根本克服はっきりと捉えるものになったのです。
「心の問題」要因として5つのものをあげ、そのうち根本克服がここまでに示されたのは思考一般における心の浅はかさ心の病みそして心の業3つであったことを思い出して頂ければと思います。
残され「心の問題」要因としてまず心と魂の分離による心の浅はかさという万人宿命が、「永遠の命の感性の獲得」ハイブリッド心理学で呼ぶ節目道標により根本克服されるというになります。
最後残るのは心の闇です。そこで最後まで残るのは、「人間」という孤独な存在としてこの世に生まれ出てしまったことへの悲しみ、とでも言える感情要素かも知れません。
それも「超越的幸福」という最後節目道標により根本克服されるというになります。
詳しく歩み-5 人生の歩みと最終的克服で説明します。以下に、そのごく輪郭を記しておきましょう。

3.「永遠の命の感性の獲得」・・・「心と魂の分離による心の浅はかさ」の克服(壮年期後半)
「永遠の命の感性」とは、「“自分”というものは、大きな“命のつながり”の中の、ほんの仮りの姿にすぎない」感じ取る感性であり、その獲得が、ハイブリッド心理学取り組み実践による人生歩みにおいて「否定価値の放棄」に次ぐ3番目大きな節目道標なり得るものと考えるものです。これは壮年期後半以降のものと位置づけています。
それによるあり方変化とは、自らの人生への惑い怖れ劇的な消滅です。
当然です。私たちの人生での惑い怖れ大きな一因「こんな自分になれれば」という願望への、「なれなければ」という執着囚われ、そしてストレスにあるからです。それが劇的消滅するからです。なにせ、「“自分”というものはほんの仮りの姿」なのですから。

これを理解する上でまず重要ポイントは、これがあくまで「感性」のことを言っているのであって、「思考法」のことを言っているのではない、ということです。
つまり、そう考えることで惑い怖れ消滅する、あるいは消滅させるためにはそう考えるいい、のではない、ということです。もしそうした「思考法」のことを言っているのであれば、実践の学びの方に出てくる話になります。
そうではなく、何をどう考えるかのに、惑い怖れ消えている。だからそれを「感性」としています。で、それは何をどう感じているということかと自分の心覗いてみると、それは、もう「“自分”とは仮りの姿」だと感じているということなのだ、と自覚するのです。
否定価値の放棄」も多分にこうした「感性」レベルですのでご注意下さい。それは「否定することに価値を置くのをやめよう」という意識思考よりはるかに深いところで、否定することに価値を感じるような心の動き完全に消滅するものを言います。

となると、どうすれば、そしてどのようにしてこの感性へと至るのかに、理解重点が移るでしょう。
島野経験ではそれは、取り組み実践歩みに、「命」の重みある「愛への望み」向かう歩みと、「怖れの克服」という人生を貫く課題への歩み、この2つ歩み合流収束して一つの答え出されたようなものとして訪れました。
つまり人生半ば到達した「社会を生きる自信」「否定価値の放棄」足場に、果たされないままでいた、「人生で最も大切な愛」近づく一歩と向かうという流れになります。それは同時に、それまでの心の成熟への歩みの中で、自分にある、“自分”とは別のものとしての「魂」存在十分感じ取られ始めていた段階です。
そこで感じ取るのです。そうして「人生で最も大切な愛」近づこうとして最後に残る怖れとは、今までにその大部分克服することができた、「現実の世界」が抱く怖れとは異なる「魂の世界」における「魂の怖れ」であり、「命のつながり」によって「愛」守られることを「魂」伝えた時、それが消えていくのを。
これをに、私の心劇的平安増したものになりました。そしてその劇的平安を、今何をどう感じているのか言葉にするならば、「“自分”とは仮りの姿」というものであり、これを「永遠の命の感性」呼ぶことにしたのです。
このように、これは「思考法」さらには「心の持ちよう」とは別次元のものだということです。そこにどう至るのか多少ともによる違いも考えられ多分未知数ですが、生涯をかけた成長の歩み一つの終着点見出すというで、壮年期後半以降節目になるものであろうと考えています。

ハイブリッド心理学ではこの「永遠の命の感性」獲得を、それにより心自ら「心」「魂」「命」という3つのものが自覚される形でそれぞれ役割十分にまっとうするようになることにおいて、心と魂の分離による心の浅はかさという人間宿命要因根本克服相当するものと考えています。
その3つ分離状態そのものがなくなるというは考えていません。それは残念ながら、人間としての機能何らかの形損なったもののようなになるでしょう。
「心」そのもの薄っぺらく浅はかなものままということになります。「心」自身がそれを分かり、かつそれを補うもの持つというになります。補うものとはもちろん、自分にある「魂」「命」です。

これは同時に、もう一つ残され問題要因である心の闇が、ここでもまだ根本克服にはならずに残る可能性示唆すると言えるかも知れません。
つまりがもしその出生に際し深いマイナス感情体験したのであれば・・実はそここの人間はっきり傷つけようとする外的要因あまりなかったかも知れないとしても・・、健康である限りその記憶深いところ保たれ、それを十分補うような外面的満足得られなければ、残り人生におけるこの人幸福感も、それにより妨げられ続けるかも知れません。
2009年『入門編下巻』をもっておおよそこの心理学体系まとめあげた時、島野自身見えていたのは「永遠の命の感性」獲得までの歩みでした。
そこからさらに8年歳月を経て、もう一つ別節目があり、そこで残され心の闇根本克服され消滅することが、見えてきたのです。

4.「超越的幸福」・・・「心の闇」の最終的克服(老年期)
「超越的幸福」は、ハイブリッド心理学取り組み歩みにある、4つ目そして最後節目道標として位置づけるものであり、一言で、外部から特別な満足を与えられる必要なく幸福感が湧き続けるようになる、という心の境地です。
「魂の愛への望みの感情」ハイブリッド心理学呼ぶものにあるようです。これは「魂の望み感情」の「愛」への望みについてのものであり、人生で叶えられることのなかった、最も純粋な愛への望みの感情として、基本的深い「失意」と「悲しみ」取るものです。
「美しい情緒性」持つとも言えるその感情心の中受けとめ尽くした時、不思議その人間に、むしろ来歴において愛を満たされた人のものであるかのような、穏やかな豊かさの感情芽生えてくる。「魂」のその愛への願いの感情看取った時、「魂に魂が宿る」とでも表現できるような心の豊かさ感覚生まれる、というものとしてです。

「超越的幸福」は、折りにふれて「魂の愛への望みの感情」向き合った人生歩み至り得る、一つ終着駅のようなものだ、とハイブリッド心理学は考えます。
それは喩えるならば、コップ満たす様子のようです。満たされあふれたものが「幸福感」として感じ取られるとして、私たちの幸福感は、ものごとうまくいったり良いもの得たりとはっきり外面的成功によるものにせよ、結果をあまり問わないやりがいのような比較的内面的なものにせよ、基本的「自分」と「外部のものごと」との関係生まれると思います。コップ外部から注がれるように。それが妨げられたコップ満たされず幸福感湧かない状態です。
しかしそうしたで、「魂の愛への望み」への向き合い行うごとに、外部からは注がれないまま、コップから染み出たかのように、増えているのです。しかしコップはまだ途中までしかがなく、幸福感湧かない状態です。
しかしそれを積み重ねある日外部から注がれることなく、コップ満たしあふれ出すのです。
それは外部のものごととの関係には拠らない分、実に味わいある幸福感です。56歳2017年島野はっきり感じ取るようになったその実感的表現を記すならば、「満足のいく一日の終わりにビールを口にしようとした瞬間の幸福感」が、「出っぱなし」になる、という感じです。朝目覚めた時から、夜眠りにつく時まで。その執筆などやりがいあることをしながら過ごせる日々に、なんて幸せなんだろう、自分がこんなに幸せになるなんて、と軽い驚き感じるのです。

・「望みの燃焼の法則」
もちろん島野場合まだそれが365日続くものではありませんし、感情仕組みとしても、「魂の愛への望みの感情」への向き合い積み重ねだけでそうなるのではなく、あくまで人生前進全体において、全力尽くすことができた、そしてその成果としても将来にわたり衣食住など生活基盤における不安大方取り除くこともできたといった、人生基本的満足感安定土台でのものになるだろう、と考えています。
それでも「魂の愛への望み」への向き合い彼方「超越的幸福」あるという方向性に、間違いはないだろうと考えています。ある一つの、極めて単純法則作用によるものとしてです。

それを「望みの燃焼の法則」呼んでいます。つまり「望み」質的性質「与えられる」ことから「自ら生み出し与える」ことへ、そして「やがてもう何も躍起に求めることなく豊かな感情に満たされる」というものへと変化するという「心の成熟」は、その「望み」を心の中で燃え上がらせるという、ごく単純にその量ごとにそう自動的に推移変遷するよう「命」に組み込まれている、というものです。未熟段階における「望み」「済み」より成熟した段階「望み」へと推移変化するものとして。
この「量」とは、でそれを感じる強さ深さ時間累積のようなものとしてです。

人間場合この作用があまり働かないのだ、というになります。「心」大元「命」からはがれた薄っぺらいものとして動くという、万人免れない心と魂の分離による心の浅はかさという宿命によってです。それにより私たちが日常感じ抱く「望み」というのは、それをいくら心の中燃やしたところで「心の成熟」結びつかず場合により「未熟」の深追い、さらには人生の道をそらしてしまうような浅はかなものへと変質してしまっているのです。
それを踏みとどまり行動法価値観変革を通して、心の成長成熟向き得るようなものへと、「望み」を醸成し直すことに、ハイブリッド心理学取り組み実践最大主眼があるとも言えます。
自己分析真価そこにあるわけです。動揺の底で自分が望んでいるのは何か問い前進再方向づけつなげるというのが基本になりますが、人との関係での「望み」であれば、感情がどのように「愛」への純粋な望みから、「自意識」絡みながら変形していったのか、自身来歴記憶たどるような実践極めて有益です。そのにやがて、遠く響いてくる鐘の音のように、「魂の愛への望みの感情」姿見せるかもしれません。それを、心の中受けとめ尽くすのです。

・「心の問題」の全体の終結
そうして「魂の愛への望み」への向き合い積み重ね「超越的幸福」あるという流れの、「心の問題」根本克服観点からの位置づけとは、一言で、「望みの燃焼の法則」への回帰による「心の問題」の全体の終結だと言えます。

つまり、心と魂の分離による心の浅はかさによって大元「命」から遠ざかった私たち人間「心」は、望みに向かい叶えられ満たされることでは「望みの燃焼の法則」働かず望み向かい壁に出会うことで「自意識」打ち破られ、つまりそれまでの「心」打ち破られ「魂の望み」に接した時に、作用するのだということです。ここでの「望み」とは、「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」単一軸として貫く命の重みのある「愛」への「望み」としてです。
すると不思議なことが起きます。「魂の愛への望みの感情」出会う中感じ取られるものであることにおいて、基本的深い「失意」と「悲しみ」色合いのものなのですが、そので、「自発的幸福」が増大した心の状態準備されるのです。心の中「失意」「悲しみ」受けとめる時間過ぎしばらく時間置いてから、この新たな心の状態自身自覚されることになります。これがやがて、「超越的幸福」としてあふれ出す時訪れる、ということになります。

ハイブリッド心理学はそこに、私たちの心の悩み惑い克服への原理になるものとして、あまり語られることのないもう一つの柱があるのを、見るのです。実はそれこそ最も堅固盤石のようにも思われるものとしてです。
「望み」「済む」「済んだもの」へと推移変化することによる、悩み惑い消失という原理です。
これについて印象的体験が、島野取り組み途上においても良く起きています。人に近づきたい気持ち不安定な感情の中で悩み安定した心になればもっと人に愛されるのに、という惑いの中で取り組むのですが、「魂の愛への望みの感情」への向き合いなども経て動揺消えると、それは「こうであったら」空想したような状態への改善でもあるのですが、それによってもっと人に愛されたいという衝動同時に、不思議もうなくなっているのです。「済んだ過去の望み」であるように。これが何度起きています。
そもそも私たち悩み、動揺するのは、何かを望んでいるからです。その大元望み消えれば、当然悩むことも動揺することもなくなる、というわけです。
だからと言って悩み動揺から逃れようとして「望むのはやめよう」望むことを否定するのは、「自分に嘘をつく」という、「病み」加えるだけのものにしかならないでしょう。私たちにできるのはこのであり、あくまで「望み」へと全力で向かうことです。外面において行動法知恵学び実践し、内面においては望みの歪み解きほぐしながら。その心の叡智携えながら「望み」へと全力向かうことで、「望み」叶えられるという「幸福」近づく可能性高まるでしょうし、もしそこにがあったとしても、最終的にいつか、「全てを尽くせた」ことへの満足充実感満たされるという、もう一つ「幸福」訪れ得るのです。これが一つ「望み」変遷推移サイクルだと言えます。

この「望みの変遷推移のサイクル」最大のものが、「命の生涯」他ならない、ということです。命の重みにおける「愛」という単一軸望みにおいて。一つの命に、その生涯をかけ、たった一つあるサイクルとして。
私たち人間「心の問題」とは、あまりにも発達した機能により、この「愛への望み」から引きはがされるという宿命にあるのでしょう。これを思う時、「心の問題」とはイコール「人間の問題」なのだという深くします。
それでも、この問題最終的な終結へと至る道が、「望みのサイクル」生み出し支配する、最も単純な「望みの燃焼の法則」に残されている。人間場合「愛」への望み安易叶えられ満たされることによってではなく、に出会い失意超え向き合うことで訪れる「魂の愛への望みの感情」燃焼によって働く形でです。
その積み重ねに、命の重みにおける「愛」への望みが、その全サイクル燃やし尽くされ、「超越的幸福」訪れに、終結する訪れるのだろう、と。「老年期」という段階対応したものになるのでしょう。
そうして「愛」への望みの全体が完了終結することで、「心の問題」終結するということになります。この時同時に、「人間の問題」終結するのだ。そう感じます。

どうすればそこに向かうことができるのか。
お分かりだと思います。そこまでの歩み全てを通して、一貫して、「心の持ちよう」などではない、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」姿勢実践携え全て尽くし「望み」向かうという「取り組み実践」を、日々、そして人生通して、積み重ねていく。それだけなのです。

過去ログ
歩み1-1 「心の問題」の全体の理解 2017.3.28更新版
「心の問題」克服への歩みについて、「心」「魂」「命」それぞれが導く3つの通り道というイメージで説明しています。これは本記事で説明している、比較的順調外面的前進出会う中での内面的前進という2つ流れに、最初の1つあとの2つ対応しています。
それを通し、「心の問題」克服がどのように「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」変遷対応しているかを、本記事よりも凝縮した(その分粗い)形でまとめています。


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