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はじめに・「取り組み実践」とメール相談 掲載方法について 島野のメール相談活動 代表的事例 テーマ別事例 |
島野のメール相談活動 参考までに、私のメール相談活動が、私の執筆の歩みの中でどのように行ったものであったかを、ここで簡潔に書いておきたいと思います。 それは私の執筆の段階に応じて、メール相談に当たる姿勢に、ひいてはアドバイスの傾向に、次のような若干の変遷があったものになります。 まず2002年、41歳の時に執筆活動を開始し、翌年2003年に「心の外面と内面への二面的な取り組み」を主旨とするハイブリッド心理学の考え(当初「ハイブリッド心理療法」などと命名)をまとめ始め、インターネット上(このサイトです^^)で公開し始めました。 それと同時に、「無料メール相談」を開始しました。 私の執筆活動の黎明期であり、「取り組み実践」もまだ定式化できていない段階で、私にとっても勉強の場と位置づけ、その反面、「私がついています。一緒に歩いていきましょう」という親身な姿勢をもってあたることになりました。そこには、メール相談という枠を超えた人間的な関わりが生まれたケースもあり(『悲しみの彼方への旅』の冒頭で触れ、『理論編』に登場の「Y子さん」など)、まさにそれがハイブリッド心理学の中核的な部分を誕生させたと言えます。 2005年、44歳でいよいよ会社を辞め執筆への専念を開始すると同時に、メール相談の有料化を行いました。 当初、それによって生計の足しになるような収入も目指し、「取り組み実践」の手順なども次第に定式化できてきており、多少とも定式的なアドバイス文面を用意し量をこなすという発想も持ったりしましたが、実際行ってみると、同じアドバイス文面を異なるご相談者に送れることなど、結局一度もありませんでした。ご相談者の状況は二つとして同じものはない、それぞれが唯一無二であると同時に、アドバイスする「学び」が同じようなものであっても、それをどう理解納得できそうかという、ご相談者の心の足場の状況も、人それぞれだからです。それに応じて、アドバイス文面も私として直観的に表現をその都度アレンジするというものになりました。 ちなみに料金設定は、「一往復メール相談」が1,500円、「期間メール相談」が5,000円にて初回は1か月、2回目は2か月、3回目は3か月、4回目以降は永久会員モードという設定でした。ハイブリッド心理学はあくまで「自らによる成長」を補佐するためのものであり、高価な料金の見返りとして効果が得られるという発想には反対する立場でもあり、私なりにごく手間賃として安価な設定により行った次第です。 それから5年間ほど、この心理学の整理の執筆を続ける中でメール相談を行って、次第に見えてきたことが2つあります。 一つは、同じようなアドバイスによって、変化できる人と変化できない人がかなり明瞭に分かれること。 もう一つは、変化できた人についても、メール相談を引き続き長く続けるほど、変化もより多く導けるというものではない、ということ。『はじめに』の「人の言葉で変われるのは「すでに準備されている潜在的成長力」の引き出し」で述べたように、メール相談の効果があるのはせいぜい半年以下、というものとして。 実はこれは、「学び」の中で「歩みの学び」の2番目のテーマとして記しておいた「心の健康と成長のための意識基盤」からは、その理由がかなり明確です。意識基盤として「自分自身への論理的思考」と「心の依存から自立への転換」があり、前者はメール相談ではあまり問わないとして(島野がそれを提示してみるという形)、後者の「心の依存から自立への転換」が元からある程度培われている人が変化でき、「心の依存」の中にとどまる人はなかなか変化できないという形です。またあまり長くメール相談を続けることもまた、この心の足場を逆に妨げ始めてしまう、という理由を言えます。これについてより詳しくは、事例紹介の折にまた適宜触れることにしましょう。 いずれにせよ当初私としては、長く続ければ続けるだけより多くを導くことができるのでは、という感覚がありました。しかしこれは、私がこの心理学をまとめ始めるにあたり、最初から持ち込んだバイアス(期待の偏り)のようなものであったと思い返されます。 つまり、私自身の成長体験においては、人に直接言われたことで変化できたことなど、私の人生で結局一度もなかったのです。全てが、自ら読書する学びと、人生の体験の中での模索の先に訪れたものでした。学びの中で本当に人生で役立ったと言えるものとして最後まで残ったのは、カレン・ホーナイと認知療法とハーバード流交渉術などの行動学といったほんの僅かなものであり、その先に最後の答えを導いたのは、私自身の中にあった「魂」との向き合いだった、というものとしてです。 それをまとめ直した心理学が、「私が導いてあげましょう」というような風呂敷を広げるものに、なるはずがないとも言えるかも知れません。それでも、会社を辞めてまでの執筆であるからには生計が立つものに、という意欲が、私の関心を、まずは私自身の文章力によってどこまで人を導けるかといった面に向かわせ、「自ら歩む」ということの最も地味で地道な側面を克明にすることが後回しになったと言えるようにも感じられます。 しかし、心の成長の歩みの最大の原動力は、無論、その「自ら歩む」ということの最も地味で地道な側面にこそあるわけです。 そうしたことが私に見えてきた2011年、50歳の節目は、『入門編』の出版の商業的不成功が確定した時でもありました。当初からの、生計が立たなければ潔く辞めるという覚悟の延長で、私は再就職し執筆を余暇の二番手の営みとすることも検討。この段階で、いったんメール相談の新規受付を終了しました。 しかしこの転機が逆に、私に、私自身の執筆の意義を、私自身にはっきりと自覚させることになりました。それは、「心」と「魂」と「命」という人間の心の真実と、それに向き合う歩みの、予想だにできない変化の神秘というものを、これからの人に伝えていくことにあるのだ。私がやってこそ意味のあることとは、これ以外にはない、と。 そこから、私の執筆活動の力点は、次の3つに移って現在に至るという経緯になります。これが私の執筆活動の、長い第二幕になると言えるでしょう。 1) 「自ら歩む」ものとしての「取り組み実践」の詳細とそのための心の基盤についての説明(『取り組み実践詳説』『概説』)。 2) メール相談の再開よりも、取り組まれる方が自分で必要な情報をより手早く探せるような、今までのメール相談事例など具体的な情報の整理。 3) 「心と魂と命」という神秘的な歩み、そして「取り組み実践」の真の全体の具体例としての私自身の体験の記述(今後『日記ブログ』などで展開予定)、 ということで、この『事例集』が、2)に該当するものの一つになります。これについては加えて、「学び」の各項目テーマについての詳しい説明を手早く参照できるよう、『詳細情報インデックス集』を今後整備したいと考えています。 ご相談質問への対応は、今後も『読者広場』掲示板にて行う形となり、私からのアドバイスの姿勢と内容としては、「その場合の学びとしてはまずこんな話が出てくる」というものを、ごく簡潔にお伝えするにとどまるような内容のものになります。 そこでご相談者がどう理解納得できるかに関してまで、寄り添うようにおつき合いしていくという、上記黎明期のような時間をかけたご相談対応は、もうできなくなると感じています。そうした親身に寄り添う対応でこそ、理解納得にも困難を感じるような困窮したケースにおいても何かを生み出すことができるかも知れないとしてもです。 私に限らず、そうした親身な援助活動を行える時間には、限りがあると思うのです。人それぞれの活動スタイルの違いによる差はあるとしても。私もいずれこの世からいなくなります。私としては、むしろその時のために、後を生きる人に役に立つ可能性があることを全て書き尽くせずに終わるというようなことにならないために、今の執筆の時間があると考えています。 事実私は、この心理学の全体が簡単に理解納得できるものだとは、毛頭思っていません。それを超えてこの心理学が指し示す道への共感を生み出し得るのは、私自身が歩んだ、他にあまり類を知ることのない、余りにも独特な内面の変化をたどった人生を、ありのままに書き尽くすこと以上のものはないと考えています。今54歳、まだまだ長生きするつもりではいますが、それが必要とするであろう長い時間のために、そうのんびりしていてはいられない、と感じているのです。 そうしてこの第二幕の執筆活動も十分にやり終えたあかつきには、再び、より平易な言葉で語りかけることを目指すような、第三幕の活動の歩みに、向かうこともあるかも知れませんね・・。 ともかくまずは、私たちが生活と人生で出会う心の動揺や悩み、問題課題に際して、向き合うべき「学び」とは具体的にどのようなものかを知ることからです。 代表的な事例から、進めていきましょう。 2015.3.9 |