はじめに・「取り組み実践」とメール相談 掲載方法について 島野のメール相談活動 代表的事例 テーマ別事例 |
No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う アドバイス内容(5) | |||||||
1回目アドバイス: 「喜び楽しみの共有の愛」と「自己充足の愛」 2008.6.6(金) 2回目アドバイス: 未成長の自分を受け入れた対処行動 2008.6.10(火) 3回目アドバイス: 「喜び楽しみの共有の愛」の回復のための行動学 2008.6.15(日) 4回目アドバイス: これからの取り組み 2008.6.18(水) 5回目アドバイス 2008.6.22(日) 特別補足解説:「愛の成り立ちと自己操縦心性」の理論
特別補足解説:「愛の成り立ちと自己操縦心性」の理論 ここで「愛の成り立ち」と、幼少期に起きる問題、そしてその回復といったテーマについて、『理論編』がどのような話を展開しているのかを、ごくかいつまんで紹介しておきたいと思います。 それは病んだ心を駆動するメカニズムとしてハイブリッド心理学が「自己操縦心性」と名づけているものとの関連の中で、実に興味深い、独自独特の考えを述べているものです。 まず「愛の成り立ち」を見るならば、「愛」とは「一体化への感情」であり、互いが同じ感情を感じ、同じところにいて、ひとつになることを求める感情である。そして相手がその相手であることにおいて、無条件にその「愛」だけを目的にし、他の目的はないものを、「真実の愛」と呼べるであろう。 「真実の愛」には、4種類のものがある。 まず、「命」をつなぐために本能に設計された、「異性の愛」と「親子の愛」。この2つは一対一の愛であり、「あなたを愛している」という言葉が成り立つ。 3つ目の「普遍の愛」は広く他者を愛する感情であり、「皆愛している」という言葉が成り立つ。 そして最後の「傷ついたもの者への愛」は、傷ついて自分では立てなくなっている者を救おうとする、無償の愛の感情である。これは一対一の愛であるが、もはや「あなたを愛している」という言葉は意味を成さなくなる。まさに相手はその言葉を受け取ることさえできない瀕死の状態にあることにおいて生まれる愛だからだ。 この4つの「真実の愛」の中で、最も大きな愛、至上の愛とは、「親子の愛」である。それは感情の強さという側面の話としてではなく、「親子の愛」において、親は子供のための宇宙になる、「宇宙の愛」という性質を帯びるという側面においてだ。 つまりこの「親子の愛」において、完全に、「自分」というものが消えるのである。親は子のための宇宙になるのだから。他の3つの愛では、どうしても最後に「自分」というものが残ってしまう。そこに、「自意識」に邪魔されて、「真実の愛」が見えなくなってしまう人間という性(さが)そして業(ごう)がある、と言えるかも知れない。 幼少期に起きる問題とは、子供の心がこの「宇宙の愛」を求めながらも得られず・・その多くは親自身の心の不安定さや未熟が原因で、代わりに「基本的不安」と呼ばれる深い躓きが子供の心に生まれることである。それは自分が宇宙のように広がる愛ではなく、理解不能な潜在的危険、そして「嘘」に取り囲まれているという、深い不安である。 そこに、「自己操縦心性」とこの心理学が呼ぶ、特別な心の仕組みが発動する。それは「空想と現実の重みの逆転」を核の機能とする心の仕組みだ。自分が空想で抱くことそ、あるべき真実であり、「現実」でさえあるのだ。いわゆる「現実」などというのは、虚構の、唾棄すべき嘘のようなものでしかない、と。 この「自己操縦心性」は、この文脈において不可避的に生まれる根深い自己否定感情をバネにするように、硬直した「自己理想化像」通りになるよう自分にストレスをかける自己脅迫の姿勢を生み出す。 そして同時に、上述の「愛の成り立ち」との関連において、「愛における真実と嘘の差し替え」とも呼べる、この人間自身にとって罪深いものと言える心理メカニズムを生み出すのである。 それは、自分に注がれるべき「宇宙の愛」だけが「真実の愛」であり、それ以外の真実の愛は許すべきでない「ニセの愛」だという、幻想的感覚である。特にそれは、この人間が必要とする「傷ついた者への愛」を「ニセの愛」として拒絶し、さらには破壊しようとする衝動を生み出し、この人間が人に愛を求めながら激しい敵意と憎悪を向けるという、病んだ姿を鮮明なものにさせていく。 こうして「ありのままの現実と自分」を拒絶し、求め必要とする「愛」を自ら破壊せしめる「自己操縦心性」の理不尽を見た時、私たちはそれが「健康」とは対極の、「病み」の結果の病理として発生したもの以外の何物でもない、という印象を感じる。 しかしハイブリッド心理学は、「自己操縦心性」の核機能である「空想と現実の重みの逆転」の起源をさらに探求した時、実はそれは、求める愛が得られることなく窮地に陥った自らの心を、「これは現実ではない、空想の世界こそが現実なのだ、空想の世界なら自分は何でもできる」という「重みの逆転」によって何とか救おうとしたという、窮地に陥った心に最後に残された「健康」による、「傷ついた自分自身への愛」であったという、大きな逆説的真実を見出すのである。 こうして「自己操縦心性」の機能と成り立ちを深く理解し、その理不尽さを責めるのではなく、その起源が傷ついた自分自身を救おうとしたものであったことにむしろ感謝し、自分を救うというその役割をこれからは自らが担うという意志を持った時にこそ、病んだ心から健康な心への転換の最大の一歩が成され、「自己操縦心性」も自らの役割が果たされたという安心感の中で、その発動を終えていくであろう。 おおよそ以上のような内容になります。 こうした「愛の成り立ちと自己操縦心性の関係」といったテーマの理解は、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という「感情と行動の分離」の実践における、内面感情側の取り組みになります。 最も深い「自己分析」の領域になりますが、あくまで「価値観」や「行動法」の支えがあってこそ、こうした深い自己分析も意義があると言えるでしょう。 幼少期に端を発する「根深い自己否定感情と孤独感」といった心の問題の最終的な解決は、『概説』でその過程のさまざまな側面をまとめたように、心の成長成熟の全体として訪れる、というのがハイブリッド心理学の考えです。 それは一言で、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」における、「自分から愛する」という「成熟の愛」の局面として訪れる、というものです。その時、幼少期から始まった問題への答えが出るという形よりも、そうした問題があったという事実自体が、心の中で消え去る、というものとしてです。 そのための取り組みの歩みは、「感情と行動の分離」の原則に立った実践の積み重ねの先に、「否定価値の放棄」へと至り、大きく開放される「望み」に向かう、というものです。それが「望み」の外面的満足に結実するも良し、あるいはそこに再び壁があった時、「魂の望みの感情」を自分自身が受けとめ尽くした時、「魂に魂が宿る」と表現できるような、心の豊かさが生まれる、というものになります。 『理論編』では、この「魂に魂が宿る」という心の豊かさへの過程について詳しく述べています。
ということで、話は新入学のオリエンテーションから、最初の授業「人生の価値観概説」へと移ったという按配です。 もちろんご相談者にとってはあまり、というかほとんど具体性のない話であり、こうした「価値観の学習」であればメール相談の形を取る必要もないようなものでもありますが、それでも、ご相談者の納得感に応じて多少は具体的なアプローチの考え方や材料が見つかる可能性もあるというものです。またこの頃の私の執筆状況としても、「価値観」という、得てして「建前思考」になりがちなものを本当に実際に自分のものとするとはどういうことかを、より詳しくしたい時期でもあり、こうした話の流れになった次第です。 そこで上記ではまず、「人生の生き方」についての価値観ということで、「受け身の人性価値」と「能動の人性価値」という話をメインに説明した次第です。 それに対するNo.001さんの感想はおおよそ以下のようなものでした。 ご相談者返信(抜粋編集) 2008.6.27(金)
ということで、「受け身から自己能動へ」そして「自分の命がこのためにあると感じられるような生き方」というお題目自体については十分納得し、それを強く望む気持ちも持てる一方、具体的に何をどうしたら良いのかについて思いあぐねる、というご様子。 そのため私は、そのための意識法といった、多少とも具体性のある説明を次のアドバイスメールで送りました。 つまり最初のアドバイスメールで「喜び楽しみの共有の愛」というお題目を言い、それ自体についてはNo.001さんは十分納得を感じられるものの、そのための具体的な行動学が伴っていないという状況があったのと、ここでも大体同じだということです。 それが「自分の命がこのために」といった究極的能動にまでどうつながるかはさておき、「自己能動」のためのごく基本的な意識法というのがあります。全てがその積み重ねだということです。 なお上のご相談者返信の中で最初に、「読書で自分に重なる部分が多く、具体的に何をどうすればいいのか、やることがたくさんありすぎて分からなくなる」と述べておられる部分については、この時は特にアドバイスで取り上げていなかったため、ここで触れておきましょう。 ハイブリッド心理学の「取り組み実践」は、読書によって心の懐を肥やすのと、日々の目の前の具体的問題への対処という、大きく二頭立てになります。そこで読書によって具体的に何かをどうするというものは出てきません。具体的に何かをどうするというのは、あくまで日々の目の前の具体的問題への対処の話になります。 この2つを分けることで、読書の中で焦りを感じるようなこともなくしていけるのではないかと思います。 6回目アドバイスヘ 2015.4.3 |