はじめに・「取り組み実践」とメール相談 掲載方法について 島野のメール相談活動 代表的事例 テーマ別事例 |
No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う アドバイス内容(7) | |||||||
1回目アドバイス: 「喜び楽しみの共有の愛」と「自己充足の愛」 2008.6.6(金) 2回目アドバイス: 未成長の自分を受け入れた対処行動 2008.6.10(火) 3回目アドバイス: 「喜び楽しみの共有の愛」の回復のための行動学 2008.6.15(日) 4回目アドバイス: これからの取り組み 2008.6.18(水) 5回目アドバイス: 価値観人生観のエッセンス 2008.6.22(日) 6回目アドバイス: 自己能動の人生価値への具体的意識姿勢 2008.6.29(日) 7回目アドバイス 2008.7.5(土)
補足解説 「親と接する時のストレス」という問題テーマについて、ここではまず基本的な考え方を述べたものになります。鉄則と言えるものです。 3つ。 (1)相手の変化能力を判断する。往々にして、相手はもう向上することはほぼ望めない、終わりゆく命を抱えた存在である。対応にやり合うのではなく、相手をいたわることが仕事と心得るのが、往々にして有益になる。 (2)実害を判断し、それについては現実的対処により防じる。 (3)実害を防じる行動においては、親子だからこそ心が自然に巻き込まれる「連帯愛」を一時的にでも捨てる決断、覚悟が重要になる。 この結果の行動とは、実際に親の行動に問題がありそれへの対処を行う時、親をいったん赤の他人のように切り離す感覚さえ持った上で、それでも親子として自分にできる合理的、そして原理原則的な行動を取ることになることもあるだろう、と私の経験も踏まえた意見を述べたものです。 もちろん、「赤の他人という心持ちで対処しましょう」なんてことを言っているのではありません。そうした感覚が心に巻き起こる可能性があるほど、上記が重い鉄則なのだということです。 私の経験としても触れているように、そこに親との関係の変化が生まれるでしょう。少なくとも自身の内面において。それがそこで巻き起こった「他人の感覚」をより現実的路線化してしまうものなのか、それともより穏やかな愛へと成熟変化するのかは、親子が置かれた状況と互いの人間像に応じて千差万別であり、「こう感じるのが良い」などど「意識」で方向づけようとするのは、いかなる内容においても皮相です。「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の一貫した姿勢と実践で生きる歩みの先に、親への感情の最終的な変化についても、最後は「命」に委ねるのが良い、というのがハイブリッド心理学からの指針になります。 そこに、6回目アドバイスの中で述べた「答えを出す時と出さない時のメリハリ」というものも出てくる、と言えます。今答えを出さなければならない、今の行動場面における親への対応、そして今答えを出す必要のない、これからの自分の親への気持ちのあり方。 そこで今の行動場面に対して出る答えとは、実際に親の行動を変えるための現実的対処の行動法の答えであることもあれば、それに先立ち、何よりもまず自分の感じるストレスと動揺の正体が何なのかへの、内面自己分析の答えであることもあるでしょう。 つまりそれは、親の行動がもたらす「実害」ではなく、互いが別個の人格であることを認めることができず、自分の人格の一部であるかのように子に接しようとする親の態度と、そして同時に、自分ににも親への愛があるからこそそれに心が巻き込まれるという、心理的圧迫にあるのだ、と。 この自己内面分析ができるかどうかで、多くの問題場面が決せられるように感じられます。それができないから、多くの親子間の問題が世に起きるわけです。 一方その自己内面分析ができたならば、「実害」はさしたるものではなく十分受け流せるものであることが見えてくるかも知れません。No.001さんの場合も、まずはその路線が期待したいものではありました。 ちなみに私の場合、幸い親があまり話を蒸し返さなかったこともあり、事なきを得ていたという状況です。 No.001さんも、その方向性を自分の心の中に見出せたようでした。ただし、自分自身で受けとめきれていない、置き去りにしたままの感情の自覚と共に・・。 ご相談者返信(抜粋編集) 2008.7.6(日)
この文面に示されるNo.001さんの心の状況とは、一言で言って、前進と停滞が半ばするものと言えるでしょう。 前進は、自分と親を別個の人格として、心の中で適切な距離を置いて受け流すという方向性に納得できていることにおいて。そして停滞は、親への否定的感情を自分自身で受けとめきれず、「島野さんに受けとめてもらうことで心が楽になる」ことのように感じ、そして本当の最終的な解決がどこにあるのかを未だ知らず、という様子において。 この前進と停滞は、同時に、彼女の心の基盤としての「心の自立」と「心の依存」が半ばしていることを示しているものでもあるでしょう。 もちろん私のアドバイスは、そしてハイブリッド心理学は、ご相談者の心を受けとめてあげ心を楽にしてあげるというのを旨とするものではありません。それとは逆に、自分の気持ちを自分自身で受けとめる先にある心の成熟に、強く目を向けます。そしてそのための心の足場となる、「心の依存から自立への転換」にです。 しかし私は、それについてここで指摘するアプローチは取りませんでした。今までの話の流れにそれを加えても、ごく単純に消化不良になる怖れもあるし、さらに一般的に言っても、「心の依存」にあるという問題を指摘して「心の自立への転換」を促すというのは、実際はかなり難しいからです。ご相談者によっては、自分が否定されたという反応しかできないこともあります。それではアドバイスとして、「現実において生み出す」ものになりません。 また完璧な心の自立というものもありません。もし気持ちを分かってもらうことで楽になれる部分があるのであれば、それはそれでいいことです。たとえ一時的な気休めに過ぎないとしても。それを現実において生み出せるのであれば、 ですので私は、「心の依存から自立へ」という話を直接言う代わりに、No.001さんがこれからの生活と人生を生きるに際して、今までの話に加えて持っておきたい、心の深いところでその転換にもつながっている最も基本的な意識姿勢について、多少の話を加えることでこのメール相談を締めることにしました。 それは、「現実において生み出す」ということに他なりません。この事例の「アプローチの考え方」として最初に述べておいたように。つまり「何が正しいか誤りか」ではなく。 お父さんとの件については、受信連絡にて以下のようにごく軽く触れるだけにしておいてです。
最終アドバイスヘ 2015.4.16 |