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ハイブリッド人生心理学 メール相談事例集 はじめに・「取り組み実践」とメール相談
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島野のメール相談活動
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No.003 ネット恋愛葛藤を超えた「魂の愛への望み」を見つめる
カテゴリー: 「魂の感情」への向き合い
相談期間: 2008年8月(約1か月間)
概略
ご相談内容とアプローチの考え方
 ・「愛への望みに向かう」という生きることへの根源原動力
 ・「魂の感情」への向き合い
 ・「現実世界における前進」と「魂の世界における前進」
 ・アドバイスの考え方
1回目アドバイス: 「現実の世界」と「魂の世界」を分けそれぞれを守る 2008.9.7(日)

概略
これまで紹介した2つの事例と同様、「期間メール相談」としてのものですが、「魂の感情」への向き合い最初からアドバイスした、事例です。
このような例は、記憶する限りこれが唯一のものかも知れません。つまり他の事例でも、「魂の感情」への向き合いやがてアドバイスするというものは少なくありませんでしたが、まず外面現実問題への建設的な向かい方について大方「けりが付いて」から、あるいは「けりが付いて」いく中で、「魂の感情」垣間見えるようであればそれに目を向けさせる、というアドバイスになったのが通例です。
この事例ではなぜそうなったのか。単純です。ご相談者状況私自身心を置いてみた時、すぐそこに「魂の世界」があったからだ、とでも言えるでしよう。
それだけ、外面問題にあると、その超えた先にある「望み」「愛」であることが、明瞭であった事例と言えるでしょう。

悩み状況は、既婚ながらもネット上で出会った相手との恋愛がやがて心の支えとなり、まさにその重みゆえに、相手との現実関係どうすべきかという葛藤が始まったという女性です。
なおこの「代表的事例」への掲載としては、「魂の感情」とはどのようなものか、そのさわり紹介という主旨にて、まずは最初のアドバイスをここで紹介し、引き続いて期間相談部分別途「テーマ別事例」の方で続編として掲載したいと思います。

ご相談内容およびアプローチの考え方
この事例については、ご相談者外面的状況についてはあまり触れず、それがどのような感情揺らぎ流れにあるものであるのかを、端的に伝える言葉中心紹介しておきたいと思います。
30代後半既婚女性。若くして学生時代からの恋人男性結婚し、子供あり。
ご主人仕事関係引越してから、「自分の性格が災い」して人間関係とことんうまくいかず、孤独寂しくてしかたなく、ノイローゼの鬱状態子育てもうまくいかず、思うようにならないと泣き続ける日が続き、家事まともにできず、子供公園デビューの頃から対人恐怖もひどくなる。動揺するとひどいときは2日間ぐらい何も手につかず、だいたい横になっていることが多かった。歩いていても、が付いていない感覚で、本当に5センチくらい浮いているかのようだった。何で生まれてきたんだろう・・・と、泣いてばかりいた。

そんなNo.003さんをまずは救ったのが、ネット上でのある男性との出会いだったという経緯です。
そんな時にSNS「淳さん」(仮名)という同年代男性出会う。実際会ったことはなく、互いの顔写真交換もしないまま、とても好感を持て、おはようおやすみ挨拶生活場面写真交換などをするようになる。
彼の方も直前恋人病気亡くし死のうと思ったことがあるぐらい辛い時期だったらしい。
やがて「出会ったのは運命、前世で何度も会っている、永遠に愛している」といった熱烈言葉を受け、すっかり落ちる。生まれて初めて「愛してる」と言われ、何かあると必ず励ましてくれ、支えになってくれ、それから対人恐怖は殆どなくなり、傍目には普通に過ごせるようになった。

・「愛への望みに向かう」という生きることへの根源原動力
ご相談状況紹介途中ですが、まずここでNo.003さんなぜうつ状態や対人恐怖になり、そしてネット上での「淳さん」との恋への出会いによりそれが解消したのかについて、私の考え簡潔記しておきたいと思います。
それはずばり「生きる」ということへの根源的な原動力を見失った時、起きることであり、それを取り戻した時、消えるものなのだ、と。

これは私たち身体健康において、日常生活の中で「常在菌」さらされていても、活力抵抗力がある健康状態においては特に何の問題にもならないが、何かきっかけ体が弱り抵抗力が失われ通常何でもないような「常在菌」によって身体冒され、致命的にもなる、という状況を思い浮かべると分かりやすいと思います。
「うつ」「対人恐怖」も、そのようなものだと思うわけです。「生きる」ということへの根源的な原動力失ったならば、誰もうつ対人恐怖になってしまうような、細かいストレスマイナス要因に、私たちの生活満ちている。しかし生きることへの原動力が生み出す活力抵抗力持っている時、それはほとんど問題にならないものに、なり得るのだと。

そのようなものとしての、私たち人間生きることへの根源的な原動力とは、自らの「望み」に向かって生きるということであり、そこに真の活力と抵抗力与えるのは、「愛」という「望み」に向かうことなのだ、というのが私の考えです。
それを見失った時容易「うつ状態」「対人恐怖」陥り得るし、それを取り戻した時それだけ「うつ状態」「対人恐怖」消え得るのだ、と。解消のための特別な取り組みなど特に何もせずともです。
No.003さんネット上での「淳さん」との恋出会ったことで救われたという、ここまで話の流れも、そのようなものとしてあったのだとう、と。

ただしもちろん、この話短絡的に一般化しないのがお勧めです。自分うつ対人恐怖治すためには恋をすればいいのか・・といった発想など。
そうした「自意識思考」によってまた、この生きることへの真の原動力見失われるのが、私たち人間です。実際のところ、正真正銘出合っても、に、やがてそれが「自意識」によって歪められれば、不安定になり、やがてうつ対人恐怖なってしうまうというケースもあるでしょう。

・「魂の感情」への向き合い
まさにそこ心の取り組みが始まります。仕組みを知り、それを守り育てるための糸口として、さまざまな「感情」種類と、それを役立てるための対処姿勢行動法学び実践するのです。
この心理学においては、「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」基本姿勢実践携え「望み」に向かって全てを尽くして生きるという生き方姿勢実践として。

そこに「魂の感情」と呼ぶ、特別なもの姿現します。「愛」への「望み」向かう歩みの中で、自分の感情を自分自身で受けとめる姿勢と、自己の真実の感情を見る目足場にして、その「愛」近づくことへの現実における壁にし、それでもなおその「愛」への「望み」自分自身で受けとめることをした、そこに「自意識思考」による歪み消えた純粋で一途な、そして「命」の重みのある感情が、私たちの訪れるのです。
これを「魂の愛への望み」感情呼んでいます。

ハイブリッド心理学は、その先に、私たち人間の心神秘見出します。ポイント3つあります。
1つは、そうして現われる「魂の愛への望みの感情」は、現実における壁越えて心に湧くものであることに対応して、もはや「現実の世界」のものではないような感情になること。
2つ目に、その「魂の愛への望みの感情」自分心の中十分に受けめ尽くした時、私たちのから、それ以前「自意識」で揺らぐ惑いや苦しみ消えすがすがしく爽やかな心の状態訪れること。同時に、自分以前とは違う存在に変化したかのような、心の変化感覚訪れること。
この新たな感情「命の感情」呼んでいます。
ただし一度のこうした体験起きる変化は、人生の全体から見ると微量変化です。しばしば、以前似たような「自意識で揺らぐ惑いや苦しみ」ぶり返すかのようなことも起きるでしょう。
しかし生涯にわたり「魂の愛への望み」感情自分自身心の中受けとめる体験積み重ねると、その都度都度に現われる、新しい「命の感情」が、一つの大きな変遷へと向かうのです。
これが3つ目ポイントです。それは「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という、この心理学「命の生涯」と呼ぶ変遷です。そしてこの変遷たどるごとに、私たちの豊かさ、つまり人に与えられるものとしてではなく自分自身の内側から湧いてくるものとしての「幸福感」を、増大させるのです。人生の答えは、実はここにあったのです。

・「現実世界における前進」と「魂の世界における前進」
これが先の「「魂の感情」の事例について」で述べた、心を変化させる原動力としての「基本的な次元」「別の次元」という2つ組み合わせです。
つまり「基本的な次元」として、「感情と行動の分離」姿勢実践で、まずは「自分」という「自意識」も働かせた通常「心」で、「現実世界における前進」目指して進みます。そこで何かの壁出会い、さらに越えて「望み」向き合った時、そこに「自意識」薄れ「魂の感情」現われ自分自身心の中受けとめ尽くした時、変化する。これはもはや「現実世界」起きることではない、「魂の世界における前進」言えるものになります。
そして心の変化は、この「魂の世界における前進」でのものの方が、大きく深いようなのです。そこには、まさに「自分」という意識崩された先にある心の変化として、「“自分”というものは仮りのものにすぎない」と感じ取る「永遠の命の感性」という、心の成熟ゴール領域特徴づけるものも訪れるものとして。
こうした「魂の世界における前進」として「浄化」「成熟」「超越」といったものがあることを、『概説』でまとめていますので参照頂ければと思います。

そうした「魂の世界における前進」向かうためにも、私たちはまず「現実世界における前進」へと全力で向かわなければなりません。基礎となる心の足場全体が、そこで築かれるからです。
しかしそこで何とも一筋縄でいかない状況始まります。「現実世界における前進」向かいうまく行っている間は、外面的な満足得られるのでいいとして、「魂の世界」訪れず心の豊かさ実はあまり増大しないままでいたりします。そう聞いて最初から現実世界でうまく行かないのがいいのかなどと考え始めると、もはや全ての前進ができなくなるでしょう。基礎的心の足場失われるからです。
つまり私たちは「自分」という「自意識」を働かせる「現実世界」「心」で、常に精一杯生きるしかないのです。そしてそれとはに、「魂の世界における前進」というものがあるということも、心の懐に持つ至玉の知恵として、持っておくことです。
それは訪れる時、「自分」という意識の外側から訪れます。私たちにできることは、その時しっかりとそちらに、つまり「現実の世界」ではない「魂の世界」向けることです。すると「自分」を超えたものが、自分の心を最も深く大きく変化させるのが分かるでしょう。だからこそ、自分の中にある、自分とは別のもの感じ取るという、「永遠の命の感性」へもつながっていくわけです。
このように、「自分」努力では向かうことができないものが、最終的「自分」変化させる。これは結局、人間「心」がその大元「命」からはがれた薄っぺらいものになったという意識構造において、仕方のないことなのだというのがハイブリッド心理学考えです。

・アドバイスの考え方
さて、「魂の感情」位置づけについて少し詳しい説明を入れましたが、「取り組み実践」としては、まずはもちろん、「感情と行動の分離」姿勢実践において、「ただ流し理解する」という内面感情側取り組みになります。
その指針を、一言でこのように言えるでしょう。
もしその深く純粋で「命」の重みさえある「愛への望み」の感情が、現実行動に移し得ないものであるのならば、むしろそれこそが心をより豊かさに変化させるものであること知り、「現実世界」のものではなく、「魂の世界」のものとして、深く、しみじみと、自分自身の心の中で受けとめるが良い、と。

この至玉の知恵入れることができずに、深く純粋な「愛」への望み始まった心が、やがて「憎しみと破壊」という、至玉の知恵にある「心の豊かさ」とは真逆の道それてしまう姿を、私たちは嫌というほど目にします。
始まりにおいては「純粋な愛情」あったであろうものが、「現実」におけるちょっとした妨げ出会うごとに、自分はこんなに相手を思っているのだから、相手を手に入れなければならない、それができなければ自分は終わりだという邪心に、心が乗っ取られてしまうのです。そしてそれを阻む愛していたはずの相手に、「憎しみ」抱いてしまう。その最も悲劇的結末が、「ストーカー殺人」だと言えるかも知れません。
「気持ち」伝え合い、分かり合い受けとめ合うことを偏重するのが、現代日本文化だと言えるかも知れません。小説ドラマで目にするのは、「魂の感情」始まったであろう出会いが、いかに「現実関係」、しばしば性的関係として成就するかに躍起するばかりのストーリー時代が違えば、自分内面感情に出すことを良しとせず、自分自身の中で受けとめる忍耐にある心の豊かさ説教するものもあったであろうに・・。
そのどちらが、つまり気持ちを伝え合い受けとめ合う、それとも感情を表に出さずに自分自身で受けとめるだけにする、そのどちらが良いのかという択一論は、私はしません
重要なのは、その両者の価値を知り、人生の重要な場面において、今自分が成長するために成すことのできる最善の行動を、その両方の選択肢を持った上で、自分で選べるということです。それができたならば、そのどちら行動法においても、「成長」また一歩成されることに間違いないでしょう。

さて、No.003さんケースも、そうした心の知恵持たないまま、踏み外しかけ相談を寄せられたものと言えます。ご相談内容紹介を続けましょう。

淳さんにとっては、心の琴線に触れる大切な人です。恩人だとも思っています。
世の中に、お互い愛し合い、触れ合って生きていくということがあるなら、そういう人生を生きたい、心から、愛する人と共感したり触れ合いたいなと思うようになりました。そうふんわりとを見ることが、一番の心の安定になっています。
主人には、「いつでも触れてもらったり抱きしめてもらいたい。そうでない今は置き去りにされているという気分」と伝えると、「愛してると言ったり、抱きしめるのはテレビの世界の話で、実際そうするのはおかしい」と笑われました。

つい最近、淳さんに、今の状態でいるのが辛いと、耐え切れず伝えました。しかし淳さんからは、「気持ちはよくわかるけど、今はネットだけで」というようなことを言われ、これからどういう心持ちでいれば良いかわからなくなってしまいました。関係を切ることは許さないとも言われ、それを嬉しく感じる一方、自分が利用されているだけではないのかという疑念駆られたりと、気持ちの収拾がつかない状態です。
今、心の拠り所彼しかおらず、これが辛い原因一つだと思うので、性格好ましいものに変えて、近所づきあいや、友達も作って、趣味を広げたり、新しいこと目を向けるといった改善もしていきたいと思っています。

こんな悩みなのですが、アドバイスお願いできますでしょうか。

はこの、No.003さん「この世に心から愛する人と愛し合い触れ合って生きていくということがあるなら、そういう人生を生きたい。そう夢見ることが、私の心の安定になっています」という言葉に、私自身をも人生において一貫として導いた「魂の愛の世界」への「真実の望み」があるのを見ます。
同時に、だからと言ってそうした「真実の望み」呼び覚ましてくれた相手こそ「現実生活」をも共にすべきだという考え無理に押し進めた時その先にあるのは、いの「豊かさ」ではなく真逆の、「現実生活の破壊」ですらあり得ることも。

そこには、人間という存在宿命があるようにも感じられます。私たちの「魂」が、No.001さん事例の中で「特別補足解説:「愛の成り立ちと自己操縦心性」の理論」でもまとめたように、愛する相手と同じ感情を感じ、同じところにいて、ひとつになるという「一体化」望んでこの世に生まれた存在である一方、それを「現実」において阻む最大の妨げとは、私たち人間「自意識」を持ち、自己の独自性と自由失うことを良しとしないそれぞれ別個の人格持つ存在にもなることにあるように思われます。
ハイブリッド心理学は、その相容れない2面両方をしっかりと見据える先にこそ、答えがあると考えます。
どちらかを取り他方を捨てなければならないものなどとしてではなく、そもそもそれは「どちらを」と対比させることなど不可能な、別の世界のこととして、見据えるのです。そしてそこにおいて、「現実の世界」ではない「魂の世界」における「愛への望み」を自分自身の中で受けとめ尽くした時、私たちの中で「心の豊かさ」が一歩増大し、私たちは別の存在になるという、至玉の知恵持つのでです。
それによって私たちは、相容れない2面に葛藤する存在であることを脱した、別の存在へと変化するのです。

No.003さん場合「現実の世界」「魂の世界」が、対立する2面であるかのように、すでに目の前にあると言える状態です。
アドバイスは、その2つ「別の世界」のことであり、そもそもどちらを取るべきかという問題そのものが存在するものではないのだ、ということを伝えることが主旨のものになりました。

1回目アドバイス 2008.9.7(日) 
テーマ: 「現実の世界」と「魂の世界」を分けそれぞれを守る
メール件名『「魂の世界」と「現実の世界」』

■真実は2つある

ご相談内容拝見し、まずすぐ言えるアドバイス2つあります。

>これからどういう心持ちでいれば良いかわからなくなってしまいました。

それに対してすぐ言えることです。

淳さん存在に、感謝することです。その気持ち否定する必要はありません。
そして彼への思いがあるのであれば、これからもそれを心の中で思いっきり開放し、抱き続けるのがいいでしょう。
感謝すべきは、「自分から愛する気持ち」与えてくれたことです。事実それがどれだけ大切なものであるかを、No.003さん今回体験の中で学んだと思います。

一方で、その心の中の世界とはまた別「現実世界」があることも、しっかりと見据えることです。
そこには、衣食住を守ってくれる旦那さんや、それぞれ別の人格としてこれから成長していく、子供たちもいる。
その存在にも、感謝することです。

この両方が、真実なんです。それをそのまましっかりと見続けることです。

「どっちを」と、一方を取り他方を否定すべきものと考え始めた時に、人生歯車狂い始めるんですね。


■「魂の世界」と「現実の世界」

なんでこんなことになっているのかと言うと、それがまさにハイブリッド心理学答え世界になります。

人間は、交わることのない2つの世界生きる存在なのだということです。
「魂の世界」と、「現実の世界」です。

淳さん「前世の記憶」とか言ったとのことですが、確かにそれにつながる話でもあります。
ハイブリッド心理学では、「魂の世界」を、「自他未分離の世界」だと考えています。自分と他人の区別がない世界です。という区別ない。だから「千の風」になれるんですね。「魂」とは自分でもあり他人でもありでもある。そんな世界です。
前世で一緒だったのは、正確には、淳さんとも他の誰とも実は区別のない世界にあった何かだと言えるかと。

そして人間はまず「魂の世界」に生まれ、もの心ついた時に「自分」というものをはっきり意識するようになった時点で、自他未分離一体「愛」失い、寂しさを抱えて生き始める。まあそんな人間思想ハイブリッド心理学行き着いています。

その2つの世界を、しっかりと生き続ける。最後まで交わることのないその2つの世界を、最後まで歩み続ける。
それが「ハイブリッドの世界」呼ぶものになります。


■魂を求め現実を変えようとすると魂を失う

ですから、No.003さんにまず踏みとどまって頂くのがアドバイスとなる、一線のようなものがやはり出てきます。

淳さん存在感謝すべきこととは、「自分から愛する気持ち」与えてくれたことだと言いました。
事実、No.003さんにとって本当に大切だったものとは、その「自分から愛する気持ち」だったわけです。

しかしそこに心の罠控えています。
そのような大切「自分から愛する気持ち」与えてくれた、そんな「相手の人物」そのものが欲しくなってくる

その時、「自分から愛する気持ち」が、失われるんです。「自分から」消え相手ありき「依存」になってしまう。気づくと、自分から愛せなくなっている
現れるのは、もう「自分から愛する気持ち」ではなく「所有欲」なんですね。これはフラストレーション引き起こす感情です。大切「自分から愛する気持ち」失われフラストレーションだけがおおい進む道を見失います。

まずはこの、「魂の世界」「現実の世界」を、片方を取り他方を潰してしまうことのない、しっかりとその2つの世界を峻別し、守り続ける姿勢を、まず知って頂きたいと思います。

淳さんとの関係はまず、魂の「自分から愛する気持ち」のためにあるもの考えるのが良いと思います。
それ以上「関係」持とうと考えることは、魂の世界ではなく、現実の世界考えなければならない問題になります。

「現実問題」については、まずその姿勢に心を安定させるのが優先であり、あまり性急にものごとを変えようとしてしまわないのがいいと思います。
そして多少は落ち着いてから、じっくり「現実」どうするのがいいか、考えていけばいいと思います。まあ淳さんが言ったとの「ネット限定」というのが、暫定ながら維持して問題ない気がしますが。まあそれは追々。


■「2つの世界」を知る教材

実際、そんな風「魂の世界」「現実の世界」があるというのを、まず心に受けとめることを最初実践として頂くのが良いかと思います。

幾つ「教材」になるものがあります。
まず出版予定心理学本原稿としては、以下など読まれましたかな。
『理論編上巻』
4章 「愛」と「真実」の混乱と喪失−1  −魂が抱いた愛への願いと憎しみ−
『理論編下巻』
終章 人生の答え−3  −人間の真実・「神の国」から「放たれた野」へ−

また、「あくまで心の2つの別世界とする」というテーマうってつけ映画として、クリント・イーストウッドメリル・ストリープ主演『マディソン郡の橋』など鑑賞をお勧めです。
まあそこでは「現実の関係」かなり進めちゃってますが(^^;)、決して「味気ない家族生活を捨てる」という話ではない面をぜひ見て頂ければと。その上で、心の中に守るものがあることで、心と人生が豊かになるという姿を、如実に示しています。

ということで、まず「今のままでいい」という心の落ち着き見出して頂くのが最初。

その後は、より現実生活寄りの心の成長への具体的取り組み検討ですね。淳さんへの対応今後もあるでしょうし、対人関係一般仕事をするとか、色々検討材料が出てきます。

ということで、アドバイス骨子としては、「現実世界」「魂の世界」というものが別々にあり、まずはそのそれぞれ支えてくれるご主人淳さん両者に感謝するのが良い、淳さんとの関係については、当面何か変えようとしなくとも良いだろう、というものになります。
なぜそれが結論になるかの補足をここで書いておくならば、「現実世界」での関係は、あくまで「魂の感情」は除外視して考えなければならないということです。あくまで現実的具体的「喜びと楽しみの共有」さらには「生活の共有」として考えなければならない。そうしたものとして、No.003さんにとって淳さんは、現実関係検討する相手ではないということになります。

こうして最初から「魂の感情」への向き合いアドバイスした、稀な事例と言えますが、「はじめに・「取り組み実践」とメール相談」の中で、メール相談でまず優先的アドバイスするものとして、「「取り組み実践」の歩みの「深さ」はどこにあるのか」「内面ストレスを減少させながら外面問題をうまく解決できるような、なるべく即効的なポイント」と述べたものが、実はこの事例でも同じであることを理解頂くと良いでしょう。
心の外面にある現実問題について、しっかり答えを出すこともしているわけです。まずは今のままでいい、と。
そうした「外面の答え」合わせて、それだけだと収まりがつかないことにもなり得る内面感情について、心の内部越えた先にある、内面感情のための全く別の行き先へも目を向けさせた、ということです。
「魂の感情」によって私たちのすがすがしく洗われると言っても、外面の現実問題片付かないまま心がさっぱりするというものではないことにご注意下さい。
もっとも、本当深い「魂の感情」出会うとは、同時に、外面問題については何もしなくていい、そもそも、今まで動揺していた外面問題が、もはやこの「魂の感情」に出会った自分には、問題として存在しなくなったのだという答え告げるものに大抵なります。

そして実際No.003さんも、この答えに、私のアドバイス足場に、一歩踏み出すことで至ることができる位置にいたということになります。
No.003さんからは、大きく切り替わった心境が伝えられてきました。

ご相談者返信(抜粋編集) 2008.6.8(日)
こんにちは^^。
とても天気が良く気持ちいい風が吹いています。
心もとても穏やかで、新鮮な気持ちです。


>淳さん存在に、感謝することです。その気持ち否定する必要はありません。そして彼への思いがあるのであれば、これからもそれを心の中思いっきり開放し、抱き続けるのがいいでしょう。感謝すべきは、「自分から愛する気持ち」与えてくれたことです。

確かにそうだと思いました。アニメ一休さんが、お母さんであるてるてる坊主大切にする気持ち持ち続けていこうと思いました。

>一方で、その心の中の世界とはまた「現実世界」があることも、しっかりと見据えることです。そこには、衣食住を守ってくれる旦那さんや、それぞれが別の人格としてこれから成長していく、子供たちもいる。その存在にも、感謝することです。この両方が、真実なんです。それをそのまま、しっかりと見続けることです。

少しずつ受け入れていこうと思います。まだ確執は残っていて、照れくさいし、いつになるかわからないけど、主人マッサージしてあげたり、話し相手になろうと思います。
心の中で、何かが吹っ切れました。淳さんと出逢って、できること増えていることに気付きました。自分の気持ち切り替え意外に早いなと思いました。

(続く)

こうしてNo.003さんご相談における当面差し迫った問題は、1か月間「期間相談」での最初のアドバイスメール大方一段落し、残りの期間で、ご相談にあった「自分の性格が災い」して人間関係がうまくいかずといった問題、そして性格を好ましいものに改善したいといった、幅広いテーマについてやり取りするものになりました。
これは最初にご紹介した「No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う」事例似た流れだということになるでしょう。「生き方の全体」については、また似た話も出てきます。
そうした残りの部分にについては、また別途「テーマ別事例」の方で、続編として紹介できればと思います。
ここでは、No.003さん返信の中で、引き続き自身の課題について感じるものを伝えてきた部分を紹介しておきましょう。

(続き)

>そのような大切「自分から愛する気持ち」与えてくれた、そんな「相手の人物」そのもの欲しくなってくる。その時、「自分から愛する気持ち」が、失われるんです。「自分から」消え相手ありき「依存」になってしまう。気づくと、自分から愛せなくなっている。

すごくわかります。淳さん依存しています。その前は、主人依存していました。

『理論編上巻』の以下の部分は、まるで自分のことが書かれているみたいでした。
4章 「愛」と「真実」の混乱と喪失−1  −魂が抱いた愛への願いと憎しみ−
=====
また、心の障害に悩む多くの方が、「子供の頃に愛されずに育った」と語ります。それが、自分の心の問題の根深さを確実に示すことであるかのように。
真の問題の根は、「愛されなかった」と語る心の裏で、この人が自分自身を肯定できていないことです。
「心の問題の始まり」
「愛を求める感情」が心の背景にとどまるケースでは、そうした相手を意識して求めることはありませんが、人からのちょっとした拒絶に出会うと、たまらない憂うつ感や苛立ちにおおわれてしまいます。
「愛情要求症候−1:心理的安定の「愛」への依存」
相手に対する肯定的な感情を抱けるかどうかは、相手から自分に肯定的な感情が向けられること、向けられ続けることに、決定的に依存してくるというものです。
相手への疑心に駆られる自分への自己嫌悪感から、「愛とは何か友情とは何か」という難解な哲学的疑問を抱き始め、「愛は相手を疑わないこと」などと考えて自分を律しようとしたりします。
「愛情要求症候−2:自己人格の相手依存」 ※多少文章の変更あり)
=====

自分問題だと思っている性格とは、以下のような点。
・ちょっとしたことで人が嫌いになる。全て受け入れてくれる人はいないのかなと、本気で感じていた。そんな人がいないことに淋しさを感じていた。
・劣等感が強いせいか、と話してると無意識偉そうだったり生意気な態度をとってしまう。対等か、それ以上でいたいと思ってしまう。
・劣等感とは、頭が悪いところ、頭の回転も悪いところ。自分ADD(注意欠陥障害)なのかな?と思う程記憶力が悪く緊張すると会話がうまくできなくなってしまう。
基本的人との接し方が良くわからない。
などなど。

それでも今は、今からでもやればできること自分は漠然と不安を抱いているんだなと思うと、少し気が楽になります。


2015.6.10

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