島野の心理構造理論
付 感情の科学論

(6)科学の対象と手法

 さて、これまで「意識」そのものの科学的考察を行ないました。
 このような科学観をベースにして、このサイトで扱う「感情」そして「人間の内面心理」がどう科学において扱えるかというテーマに入りたいと思います。

 この最終考察は次節で行なうとし、その前にきちんと踏まえておかなければならない科学研究の原則を説明します。
 それは科学研究の対象と手法には、おおきく分けて2種類があることです。
 手法としては分析的方法と統計的方法、対象としてはノン・マス(個別)現象とマス現象という違いです。


 マスと言っているのはマスコミとかのマス、つまり「大衆」「膨大量」とかの意味です。

分析的手法

 まず科学法則の基本は分析的方法で作られるものです。
 分析とは、ものを「構造」として把握し、それを「要素」に分解して、要素と要素の「相互作用」を明らかにします。
 そのそれぞれの法則性の組み合わせで、現実世界で起きる全ての事柄を説明しようとするものです。

 ここでは「構造」から「要素」へきちんと分解できるかが重要です。
 ある金属物質の性質を説明するとき、鉄とアルミとか違う要素が混ざってできているのであれば、それを分けずにその物体の性質を説明しても、あまり科学的説明になりません。

 きちんと要素と相互作用に分解でき、そこで見出された法則は絶対です。例外はありません。
 水の重力は1ccで1グラムです。「大抵の場合は1グラムである」などというあいまいな話はなしです。

統計的手法

 ところがもうひとつの科学的研究手法、統計的方法になると、「大抵の場合」という話になります。科学の法則性におけるこの「大抵」の意味を考えましょう。

 これは、研究対象がマス現象だからです。
 マスとは大衆現象、つまり膨大な要素と相互作用の集合体全体を見ている、ということです。
 もしその中の個別の要素だけ取り出せば、その法則性は絶対でしょう。
 しかし、それが膨大な量で組み合わさった集合体全体の法則性を説明するのは、理屈の上では不可能ではないが、人間の実際の作業として現実的でない、ということになります。

 マス現象の典型的なものに「気象」があります。その動きの予測をするのが「天気予報」です。
 これも現在は科学的な手法によるものです。その手法が統計的手法です。
 統計的手法とは、膨大な要素と相互作用の中から、重要なあるものを取り上げて、その影響具合を見ることです。

 天気予報の場合は、日時大気の状態、地形などが重要な要素です。
 それで天気を予測するのは、今まで同じような状態ではこうなった、という統計があるということです。
 大抵の場合はそうなった、だがまれに違うこともある。確率の問題になる、とも言えます。
 分析的手法のように、法則の絶対性を言わないのは、取り上げられていない要素や相互作用も多数あるから、そうとは言い切れないということです。

マス現象とノンマス現象をはき違えるな

 分析手法と統計手法の違いはおわかりでしょうか。
 分析手法では法則性は絶対であり、統計手法ではそうではないことも。なぜそうでないかも。

 ここで、科学の姿勢で研究しようとする全ての場面で注意しなければならない心得を取り上げたいと思います。

 それは、研究しようとする対象がマス現象であるのかノンマス現象であるのかをきちんとわきまえ、それに適した手法を扱うことです。
 絶対法則を見出したければ、ノンマス現象を観察し、分析手法を用いるしかありません。
 マス現象を統計的に研究した結果は、結局のところ「大衆」の振る舞いであり、「大体そんなもの」程度にとどまることをわきまえておく必用があります。

 この2領域の間には中間はありません。
 統計で分かるマス現象を、「ノンマスの絶対法則の世界」の問題として扱うことは、現実問題として無理です。

 サイコロのそれぞれの目が出る確率は1/6ですが、これはどちらの対象をどちらの手法で言っているものか。
 1/6の確率というのは統計的手法で言っていることで、「サイコロがふられる」のがマス現象だからそうなのです。

 これを、「この特定のサイコロで、振る時の状態から、物理法則としてどの目が出るかは確定できるはずだ」と考えて、「サイコロの目の出方の法則性」を分析科学の絶対性の下で作ろうとしても、どだい無理な話でしょう。
 ちょっと考えただけでも、サイコロの目に影響する要因には、手を離れる時の、方向、速度、3次元での回転方向と速度、材質、接地面までの距離、その全体の結果としての接地角度、それに材質、質量、接地面の反発特性、その全体の結果としての反発運動、次の接地と反発の繰り返し、その中での運動エネルギーの減衰量、..
 もしそれら全てを、サイコロが手を離れた瞬間に正確厳密に測定し、コンピューターに瞬時にインプットして計算させたら、その瞬間に「今度出る目は5だ!」とか言えるかも知れません。
 だがこれは人間の作業としてあまり現実性がないので、「サイコロの各目が出る確率はだいたい1/6」で済ませているわけです。

 このように、私たちが「科学的に研究したい」と思った時、分析手法と統計手法の違い、特に後者の限界をわきまえるのが大切です。
 これを履き違えた場合の誤りとは、マス現象のあいまいさ(統計性)を、ノンマスの分析で得られる絶対法則であるかのように拡大解釈する、というものです。

 これは「人間科学」の領域においてとても大切な話になってきます。
 ノンマスとマスが入り乱れているからです。


 人間を科学的に理解しようとするとき、この2つの対象・手法のわきまえが薄れる程に、その人間理解は「あさはか」になります。
 多くの事象の1面だけを取り上げ、それが絶対であるかのように考える誤りが増えてくる、ということです。

 「血液型がA型は性格が気帳面」という「法則」。
 これが統計的に出た話だとします。

 ある人は、これを絶対の話のように、「あの人はA型だから几帳面な人だ」と考えて過ごしています。
 ある人は、「A型血液の中には、何か神経伝達物質に関連するものがあるのだろうか。それが感情とかの基本傾向に影響するだろうか。そもそも几帳面とはどのような感情や行動傾向を言うのだろうか。」と考えたりします。

 人間理解においては、その結果として言われる事の多様性と同様、その研究の姿勢に多様性がありそうです。


2003.7.20
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